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2009年11月

2009年11月28日 (土)

円高ゆき過ぎ阻止を

Shiraito_fujinomiya1二番底?デフレ不況にあえぐ日本経済に追い討ち?外国為替市場で円高の勢いが強まっている。この3日間で、円は米ドルに対し一時、急激な円高に見えるが、ドル売りが進行した結果で、日本国内というより、海外に起因する不安が背景にある。このところのドル下落を招いた最大の要因は、米国の超低金利だ。

それに加え、ドバイ首長国の資金繰り不安という、東京の金融証券市場を襲った。外国為替市場で円相場は一時、1ドル=84円80銭付近まで急伸し、14年4カ月ぶりの円高水準となった。日経平均株価は7月13日以来の安値をつけた。

日本単独で流れを変えることは現実には難しそうだ。ドルの暴落など新たな金融危機に火が付くようなことのないよう、日、米、欧州、そして中国を含む主要国の協調が求められる。日本は緊急のG7会議の開催を働きかけるときだ。

連邦準備制度理事会は、事実上のゼロ金利を長期間、続ける姿勢を明確にした。ドルを安いコストで借り、金利の高い国の通貨や資産に投資する取引が活発になった。これがドル安をもたらし、ドル安はさらにこうした取引を促進した。

巨額の財政出動と超金融緩和で再生を目指す米経済だが、景気が再び悪化する懸念がある。超低金利が長引くと見込まれるため、対米投資の魅力は薄れ、世界のマネーのドル離れはやみそうにない。

リーマン・ショック以降、各国は財政金融政策の協調で一定の成果をあげてきたが、ここは為替相場、とくにドルの安定が重要だ。

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子孫の為に美田を買わず

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0008tyokai1 子孫のために美田を買わず・・・・子供や孫たちに、わざわざ財産を蓄え、残すようなことはすべきではない。自立心を失わせることになり、弊害があるからである。

西郷隆盛の有名な詩句の一節である。この語句の前に「一家の遺事人知や否や……」があり、「西郷家の家訓としては、……」というように一族の訓えという形で残されている。

私も、自分の残した財産は、なるべく自分が生きているうちに処分していまいたい主義だ。墓と葬式代位は残せばよい。その代り、子や孫に生きているうちに、何かのイベント時に、上げることにしている。

なまじ苦労して、財産を残しても西郷隆盛の言うとおり、自立心を失わせ子供同士のトラブルの元となるような話は、よく聞く聞くからである。

現在の日本の場合にあてはめてみると、税制の関係上、子孫に残していくような財産を蓄えるには、相当なテクニックが必要であるし、そのような財産を一代で蓄財できる人はむしろ例外であるし、西郷さんの考えや、中国人の蓄財精神とはベースが変ってきている。

しかし、息子のためにマンションを買ってやろうとか、登記の上で工夫して「美田を残したい」と考えている人は少なくない。財界の成功者にとっては、いわゆる二世の世代にどのように財を継続していくかは大きな問題であると思う。

経営権や、社長の地位をいかにして、自分の子供に残すかを重大関心事とし、往々にして紛争の種となり、世間を騒がせたりしている。被相続人の意思を反映させるには、遺言書を書き残して置けばよいと思う。

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2009年11月27日 (金)

不正表示に思う

08kakunodate_koyo11 不正は、何時になっても途絶えない。不正表示の摘発は、もうないと思っていたが、昨日農産物加工会社が愛知県一宮市、中国産のタケノコ水煮などを国産と偽って販売していたとされる事件で、社長ら3人を不正競争防止法違反の疑いで逮捕したニュースをテレビで見た。

問題が表面化すると行政指導が行われるが、多くの場合、こういう食品の不正がおこなわれていても、人々は知らないで食してしまう。企業経営側では問題が生じ、偽装が発覚しなければよいとして、企業の利益を優先してきた。業務にたずさわる従事者もそうした企業体質にしたがっているのだ
が、社会悪につながるとの疑問を感じ、苦しみ悩む従事者は社内告発してでも正義を貫こうとされるから、企業のエゴイズムも正されるわけだ。

問題が明るみに出ないだけでこの種のことは他にも数多く存在しているだろうとも思わざるをえない。このような悪しき商行為が世間のあちらこちらで日常茶飯事になされているのではと思ってしまう。こういう現状に対しては消費者のきびしい目こそが監視役になる。

悪しき商行為が続けられていけば、それを行っている者は平気になる、そして悪しき行為がさらに拡大していくのである。政治家や官僚の気位がしばしば傍若無人の悪しき行動につながり、利権の構造をつくり出していくのもそれでしょうか。このくらいのことをやっても、まさかその報いはあるまいと、悪しき行いを続けているとついに悪人になってしまうものである。

悪いことをしていても最初は誰も気がつかないから、大丈夫と思っていても、それが当たり前と思うようになってしまい、悪いことと感じなくなってしまう感覚麻痺に陥って、取り返しのつかないことになってしまう。悪の誘いに惑わされない勇気を持つことが大事なことだ。正直に生きることが、幸せの人生を送れるのだ。

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ジオパークと角のある恐竜の化石を発見

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06hatimantair341_11 昨夜のNHKのラジオで「角のある恐竜の化石を発見」のニュースを聞いた。

兵庫県篠山市の前期白亜紀の地層、篠山層群下部層(1億4000万~1億2000万年前)から、原始的な角竜類の頭骨の一部が発見されたと、県立人と自然の博物館が26日、発表した。角竜類と確認できる化石発見は国内では初めてという。

昨年6月に発表された国内最古級の哺乳(ほにゅう)類化石を発見した地学愛好家足立洌さんらが、同じ場所から発掘した。篠山層群からは、隣接する丹波市で大型草食恐竜「丹波竜」の化石も発見されており、同博物館の三枝春生主任研究員は「東アジアでも有数の化石産地になる可能性がある」と話している。 

最近ジオパークという公園が話題になっている。ジオ(地球)パーク(公園)。地球は生きている。地殻変動や火山活動で壮大な景観を示すが、そこに人間がすみ、文化を作るなどで、見事に共存している場所を「ジオパーク」という。

ユネスコ支援で2004年開始し、現在19カ国、世界64カ所が認定されている。日本では昨年「日本ジオパークネットワーク」が発足し、今年認定された。日本で三箇所が選ばれている、北海道洞爺湖有珠山・新潟糸魚川・長崎島原半島が昨年認定されている。

ジオパークとは、科学的に見て特別に重要で貴重な、あるいは美しい地質遺産を複数含む一種の自然公園である。

環境破壊が深刻な地球である。それも人間の勝手な行動で、取り返しのつかないところまできている。専門家は、このままだと100年は、現状維持は出来ないと言う。

地球誕生は、今から約46億年前のことだ。長い時間をかけて、生命誕生し長い歴史を経て、現在の地球がある。この「角のある恐竜の化石を発見」のニュースを聞き、発見場所の兵庫県篠山市は、まだまだ、貴重な化石類の発見が期待出来そうという。

何かこの発見された地域を手厚く保護してもらいたい、また今後の発見に期待したい。そうして、ジオパークの意義と、角のある恐竜の化石を発見を再認識し、環境破壊の防止を地球上の人間の義務である。そして、後世に引き次がなければならないと再認識をした。 

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2009年11月26日 (木)

旅について

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05sikotuko31昨日、天気は雨のち晴れという予報であったので、朝雨が降っていたが、女房と久しぶり、箱根にでもドライブに出かけた。これも「日帰り旅行」だ。気分転換をはかる意味でたまには必要である。

「旅」と言えば、バスで何台も連なっていく旅・夫婦だけで行く旅・気の合った4・5人で行く旅などあるが、私はたった一人の旅はしたことがない。

「人の一生」のたとえとしては、徳川家康の「人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず」などがある。「人生航路」「順風に帆上げる」「待てば海路の日和あり」「一路平安、前途洋々」」などは人生を船旅などの成語がある。

現代の旅といえば「海外旅行」が大きく浮かびあがって来る。とくに若い人は気楽に外国へ遊びに行くようである。語学研究やホームステイで外国人の生活を学ぶという目的のものもあると思うが、多くはレジャーや、観光目的である。旅行会社の組んだ団体ツアーヘの参加や、学校が主催する修学旅行による「海外旅行」もなかなか盛である。

安い航空チケットを手に入れて、単独や少人数での外国の旅がブームになっている。 しかし政情不安定な中東諸国は、外務省の出す危険度などをチエックして、事件・事故に遭わないように十分気をつけなければいけないのは当然である。

最近、イエーメンで、JICAの男性技師が拉致されて、開放されたニュースがあったばかりである。急激な円高も追風になって、ますます若者の海外旅行は、盛んになるものと思われる。

人間の持つ未知の世界へのあこがれ、冒険を好む本性は、「旅」によって刺激されることが大きいと感じるが、事件・事故に巻き込まれたら、多くの人に迷惑が掛かることを忘れないようにして欲しいものだ。

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2009年11月25日 (水)

20キロ圏内三つの空港

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このところ、国会でJALの経営で大きな問題になっているが、空港維持管理でもでも問題である。

「20キロ圏内三つの空港」は需要不足で経営困難?先日テレビ朝日のスーパーモーニングで、政府の「事業仕分け」を取り上げて、大阪府の橋下知事と兵庫の井戸知事が真っ向から対立している場面がテレビに映った。行政刷新会議で、関西に3つの空港は要らない。との指摘があってそのやり取りだ。

関西国際空港会社への補給金160億円が凍結対象になった。もともと一兆円ととてつもない借金をして作られた関西国際空港である。その返済の利息分である。補助金を注ぎ込んでも、問題の先送りにしかならないという判断は妥当なものだ。

一方、大阪伊丹空港は、人口密集地にあり、万が一事故になったら、多くの住民が犠牲になる恐れがある。危険が一杯で、機長達は日本で一番緊張のする空港という評判らしい。

もともと関西国際空港を作るときに、大阪伊丹空港は廃港にする方向であった。交通の便が悪い・コストが高い、どう対応していけばいいのか検討する必要がある関空、そんなどさくさがあることを承知で、神戸に空港を作ってしまった。何はともあれ、160億円の補助金は、解決を先送りするだけだ。

社会基盤整備のムダ、公共工事のムダがよく指摘されるが、関西圏の空港はその象徴だ。もともとあった伊丹空港の閉鎖を前提として関空をつくったが、その後方針が一変し、伊丹は存続した。さらに近年になって、神戸市が実質的な運営主体である神戸空港や関空の第2滑走路が相次いで整備され、過剰に拍車がかかったのだ。



 

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人生布織りの最後の仕上げ

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08kakunodate_koyo61「洋子愛しているよ!」10月21日に女優・南田洋子さんがくも膜下出血のため76歳で亡くなった。夫の俳優・長門裕之は、涙をこぼしながら「喪失感で“失恋”を味わった。洋子、ずっと愛しているよ」と最後のメッセージ。

私も若い時の憧れの女優の一人であった南田洋子さんである。何れは「生あるもの何時かは終える」のである。「世は無常」である。

「老」には常にマイナスのイメージが付きまとう。しかし、その老いについて、加齢は宿命的に心身の老化をきたし、どんな人も体力の衰えを感じ生気が失われていくことから免れ得ない。

生涯のそれぞれの段階がそうであるように、老いには苦しみや悩みとともに老い固有の価値や魅力があり、人間的な成熟のチャンスは十分にある。縦糸、横糸、斜め糸、ほつれ糸、迷い糸など、さまざまな糸が織り成されて味わい深い柄の一枚の布ができ上がる。

人が年をとるということは、青く若々しい青春の時から、偶然と必然のおびただしい出来事を織り込み組織しつつ、人生という布にその人固有の作品を仕立て上げていくことのような気がする。

老いからは誰も逃げることができない。だからこそ、自分の人生を受け止め、自分にしか織れない布を日々つくり上げているのだという気概を持ちたい。私も長門裕之さんのような、夫婦の別れが出来るかどうか分からないが、人と違う味わい深い柄の布を仕上げていきたい。

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2009年11月24日 (火)

トランス脂肪酸の表示

08hatuyuki_sannai11 私は、先日の健康診断で「メタボリックシンドローム」・「糖尿病の予備軍」だと、医者に言われてしまい、ショックだった。が、「トランス脂肪酸」が問題となって表示方向だ。心筋梗塞や、心臓疾患で健康によくないという。マーガリンなどの加工されるときに使われているという、注目したい。

トランス脂肪酸とは、酸化しやすい液状の不飽和脂肪酸に化学的に水素をくっつけて固形化させ、飽和脂肪酸にするための過程で発生する物質である。

マーガリンやショートニングなどの加工油で、植物性のコーヒーフレッシュや菓子類、フライドチキンなどさまざまな加工食品に使われている。トランス脂肪酸を長期間大量に摂取していると血中の悪玉コレステロール(LDL)が増え、善玉コレステロール(HDL)を減少させるといわれる。これが心筋梗塞をはじめとした心臓疾患のリスクを高めているという。

そこで、福島消費者・少子化担当大臣が、欧米ではトランス脂肪酸の食品に含まれる量の上限を設けたり、成分表示のルールを作ったりしている。が日本では、こうした措置はとられていない。

これについて、「国民の安全、健康にかかわる大切な問題なので、どのような問題点があるのか、できるかぎりの対応をしたい」と言う。トランス脂肪酸が含まれる食品に表示を義務づけるかどうかなど対応を検討するとの事。

表示することは、消費者の立場からよい事だと思うが、それによりコストが上がっては困る。日本人は、トランス脂肪酸の摂取量は問題にならないと日本マーガリン工業会ではいっているそうだ。

健康を維持していくには、高齢化していくと問題が発生してゆくものだ。確かに健康によくない食べ物は、注意しなければならないが、個人個人で食生活を考えていくことが大事であり、高齢化が進み、健康診断や、普段から運動をすることを心がけたり、バランスのよい食べ物をとる。そして自分自身の健康状態を知ることが大事だと思う。

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老い支度を考える

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06oga_toga11仏語に天人五衰(天人の死に際して現れるという五種の衰えの相)ある。人間いずれは「老いと向き合う」ことで考えなければならないことだが・・・。

その現象は、
装身具などを考えないとみすぼらしくなる。
身の回りに気を遣わなくなるとすぐに汚れて見える。
新陳代謝に異常を来たすと今まで気づかなかった体臭が出てくる。
老眼が進んで物を読まなくなり知的でなくなる。

日々の生活が楽しくなくなり笑顔が出なくなる。

“お若く見えます”とか“年を感じさせません”と言われるのは嬉しいが、本人たちは相当に努力をしていなければ若さを保つことはできない。所詮はお世辞でしかないと言うつもりはない。しかし、老いた天人に対し「老いた天人は孤独で寂しい」と断定されることの方が問題がありそうだ。

「老いと向き合う」ためには、衰えて行くことを受容れることが先ず必要であり、その上で老化といわれる一つ一つの現象を排除したり先延ばしすること、特に健康管理や栄養バランスの管理などは必要条件である。

知的好奇心を持ち、みずみずしい感性を持ち続けることは、他人との関わり合いの中で花開くことにつながる。孤独で淋しい老いた天人になることは何としても避けねばならない。 

何れにしても、汚い老人と言われたくない、身なりを気をつけたいものだ。そして心の奥底が見えるくらい透明でありたい。

今住んでいる一戸立ちの持ち家から、買い物・交通・病院などが近くにある出入り口が一つのマンションを終の棲家に、具体的に物件を探す準備をしなければと思っている。人間死ぬときはすべてのものを捨て去りたいが・・・。

そのために少しづつ整理し、減らして行きたい。整理していくものの中には人間関係もあるだろう。兄弟や親戚の関係も整理したいものだ。

「子や孫に受け継いでいくもの、それは”こころ”であって、お金やモノでは断じてない。」そんな格好のいいことが言えたらいい。しかし最後の死は自分でも選べられないが・・・。

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2009年11月23日 (月)

勤労感謝の日に思う

   07rose_ame21                                  
今日は、勤労感謝の日である。生きていられる有難さを考えてみた。

私たちが住んでいる日本では、身の回りに食料が溢れている。しかし、世界中では10億人が飢餓であえいでいるという、だが実感としてなかなか結びつかない。というのが本当のところかも知れない。

なにか大きな問題になってから考えるというでは遅すぎるのも事実だが、今から出来ること、自分たちで出来ることを一つひとつ行っていくことが必要になってくるのかも知れない。

日本でも何十年か前は、今より食料・衣料・雑貨などが手に入りにくかった時代があった。そのときは物の有難さは、痛いほど分かった。そこには、家族の絆(きずな)と、みんながお互いを思いやり、夫婦むつまじく、親子の情も細やかで、居心地のいい、あたたかい雰囲気の家庭があった。

隣近所の人々がお互いを大切にしあって、住みよい地域づくりがなされ、そして仕事にも生きがいを感じ、社会に貢献していると感じ、喜怒哀楽を分かち合う人間関係は確かにあった。

絆という意味に、断つにしのびない結びつきとか恩愛、離れがたい情実というのがある。物がなくても心は豊かになるだろうか?・・・。心の豊かさといってもそれがなんであるかという定義はなく、人によって認識はそれぞれ異なるだろう。

物の豊かさより心の豊かさをというけれど、そのいずれをも望む人もいる。物の豊かさが満たされれば自ずと心も豊かになるという人もいれば、心が豊かであれば物がなくても生きていけるという人もいる。多くは求めないが生きていくに足りる物があり、健康で長寿であれば自ずと心が豊かになるという人もいる。

ものが何時も手に届くところにあると、なんの努力もしないで生活出来てしまう。その地が安住の地であり厳しい風雨に晒されないで済んでしまう。苦しみに耐えること、目標を持って生きることで物の有難さ・大切さを知り、心が豊かになり、人を思いやる心が芽生えることだと思う。

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やわらかい感性と想像力

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200810170013a11 最近、絵本の読み聞かせを大人同士でやっているグループがあそうだ。絵本と共に過ごす時間というのは、ひとりであれ、大切な人とであれ、グループの中であっても、ふだんとは異なる時間の流れていくのだ。

大人になると、自分を振り返る時間もないままに、毎日を過ごしてしまっている、そのなかで身近にあって確実に何か刺激を求められるものとして、絵本があるのだと思う。

作家の柳田邦男さんは、「大人こそ絵本を」という運動をしている。絵本というのは読めば読むほど楽しく、深くて、選りぬかれたシンプルな言葉の響きから、心のなかのものが掘り起こされるような感じがする。

絵によって何か触発されるような気になり、絵本の力を使って豊かな感性や想像力を大人がもう一度取り戻してほしい。家のなかのあちこちに絵本があるような生活があれば、子どもや孫にも知らず知らずのうちに家族の文化として伝わっていくと言う。

そして人生で絵本に「三度出会う」と言っている。子どもの時分、子育ての時期、そして、子育てが終わって自分のために読むときなど。悲しみに出会って、それを乗り越えて成長するというのは、大人も子どもも同じである。絵本のテーマとしても大切なことでる。

シンプルな絵本の言葉は、大人の心にも届く。世界のことをわかったような気になって、いわゆる訳知りの大人になってしまう。大人になるとは、世界に関心をもたなくなって、イマジネーションが枯れてしまうことだとしたら、それは、なんて寂しいことだろう。

絵本を読むことは、自分のなかの、失われた感性を取り戻すことだと思う。今、建設中の世界一を目指している、スカイツリーのように揺れ動ごかなければ強風に耐えられない、それと同じで振り子のような構造であり、人間の全身の真ん中に、人生で戻るべき心のもち方が出来ることになるのだと思う。

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2009年11月22日 (日)

火災による高齢者の犠牲

Poinse1 今日は一段と寒い、寒いというと暖房を使うようになる。今年も住宅火災では高齢者が犠牲になるケースが増えていて昨日も96歳の男性と70歳女性が亡くなったとニュースがあった。高齢者を守るには、若い人とは違った対策が必要となってきた。

急速な高齢化の進展で、死者に占める65歳以上の高齢者の割合は60%もあるそうだ。
どんな時間に発生した火災で亡くなったかをみると、多くの健常者は「午前0時から6時」までの時間帯が多く、寝ていて火災に気付くのが遅れたケースが多くなっているが、高齢者は一日中どの時間帯でも亡くなっているということだ。

実際に『台所のコンロから衣類の袖に火がついて、素早く消せなかった』・『介護用ベッドの横に置かれたストーブから布団に火がついた』・『タバコを吸っていて火が布団の上に落ちたことに気付かず火事になった』など、また着ている衣類などに火がついても消せなかったり、火災に気がついても逃げ出す体力がなかったりといったケースが多いという。

国は住宅火災対策として住宅用火災警報器の設置を進めて、早く火事に気づいて逃げてもらおうという対策を進めているが、こうした実態をみると、高齢者にはそれだけで不十分である。

対策として考えられることは、ガスコンロや仏壇のローソク、それにたばこの火やライターくらいでは簡単に燃えないように加工された布団やパジャマ、エプロンなどの防炎製品を使うこと。また衣類や布団に火がつかないように注意を呼びかけることも重要で、万一、火がついても燃えにくい環境作りを進めることも必要と思う。

高齢者自身はもちろん、消防や自治会などで高齢者の身の回りを燃えにくい環境にして、火災から高齢者を守る運動が大事である。

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確かな情勢判断

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539571 民主党のマニフェストに、載せたからといって、一言一句変えずに実行する、といった硬直的な態度は取るべきではない。

時には誤りを認めて素直に改める、というのも逆に信頼向上に役立つだろう。乱暴に思えるかも知れにが、過去に投入した費用は無視して、これから発生する費用と便益だけに集中して議論する事だと思う。

【今後発生する費用(建設費+維持管理費+補償+環境コスト)>ダムの便益】

 ⇒だったらダム建設を中止する。

【今後発生する費用(建設費+維持管理費+補償+環境コスト)<ダムの便益】

 ⇒だったらダム建設を続行する。

環境破壊や景観破壊のコストは、定量化しにくいという難しさはあるが、国交省も説得力のあるデータを出した上で、中止の是非について説明すれば、より国民の理解を得られると思う。

「八ッ場ダム」建設は、治水対策と、首都圏の水がめとしての利水を目的に27年から工事が始まった。しかしその後、治水効果に疑問が出てきたうえ、首都圏の水需要も現在では足りていることから、「無駄な公共工事」と位置づけた民主党政権が工事中止の考えを打ち出したため、「いまさら何を」と地元の猛反発を受けている。

全体計画のすでに7割まで工事が進んでいる」という国交省の表現を、素直に受け取るのは危険らしい。なぜなら、それは「予定事業費の7割を現在までに使った」ということで、「あと3割で工事が終わる」という意味では必ずしもないらしいからだ。現に当初計画の2110億円から4600億円へとすでに倍増した事業費が、平成27年の「完成予定」までにさらに膨らむ可能性を、関係者の誰も否定しない。

行政に翻弄される地域住民への事後対策に万全を期すことは当然であり、国家百年の計に照らしてどうあるべきか考える視点を、マスコミもまたしっかり国民に是々非々を問うべきだろう。最近のマスコミの、「弱者の味方」面するだけのニュースの取り上げ方、報道の仕方に不安になる。

マスコミの報道に惑わされず、冷静に見極める賢さを、私たちは身につけ、確かな情勢判断力を養うことが必要と思う。

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2009年11月21日 (土)

刎頚の交わり

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10_12801[刎頚の交わり」(ふんけいのまじわり)とは、生死をともにすることもいとわないようなきわめて親しい交際のことをいう。

たとえ相手のために首がはねられるようなことがあっても後悔しないということを表わしている。 真の友情を表現する中国の成語としては「管鮑他の交り」「断金の契り」「金蘭の契り」などがある。

いまや、戦争や身辺の激しい変化によって、それらしい関係は絶たれ、消え去ってしまっている。それだけに現在保たれている友人との関係をできるだけ大切にしたいと考えたい。 

考えの多様化し、人を信じるということは現在の社会情勢では到底考えられない。しかし、日本は戦前まで「武士道精神」などと言って、自らの命を国のため、父母のため、子のため、天皇陛下のためなどで、死をいとわなかったことが美徳とされた時代があった。

「刎頚の交わり」とは、ちょっと意味が違うかと思う?信じることに不審を感じ躊躇してしまう現代社会では、考えられない「自爆テロ」がイラク・アフガニスタンなどで起きている。自分の死を神にささげるということだ。これは、かっての日本の空軍の片道だけの燃料で飛んで行き、大きな船に体当たりしたという事と似ている。

「命を神に捧げる」という思想は、民衆の間に寝ずいてしまっているようなイスラム国家のイラク・アフガニスタンなどは、日本の戦前に似ているようで仕方がない。

このようの連想していくと自己主張だけが目立つ風潮がある現代社会がある一方で、半世紀前の日本社会にタイムスリップしてしまったような感覚で仕方がない。

独りでは生きていけない人間社会である。二人以上の人間関係では人を信じて生きるしかない。刎頚の交わりは、命を賭けることであるが故に、裏切りを防ぐためにルールを作ることも必要になってくる。また思想の主張から宗教となって統制されることになり難しい。

今朝は、こんなことを考えて見た。

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2009年11月20日 (金)

切れる大人

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10_12801 最近、「切れる大人」が増えているという。不況で混迷している世情が長引いているせいかも知れないが、問題である。

「電車で携帯電話の使用を注意したところ無視され殴る」「病院で待たされ看護師に暴行する」。ここ数年、些細なことで突然感情を爆発させて怒り暴力に訴える、いわゆる"キレる"のである。

今や、「自己のための自己主張」が圧倒的に多くなり、さらには、私利私欲の主張とも一体化してしまって、「もう泣き寝入りしない」という雰囲気は、理不尽な要求、文句も許されると思い込んでいる。いわゆるモンスターペアレントと呼ばれる人たちを生み出すことにもつながっている。

新婚のときに夫の母から言われたひと言がどうしても忘れられず、姑から電話がかかっただけで冷や汗が出て動悸がする。数年前の夫の浮気を、頭では許そうと思いながらも、テレビで浮気の場面が出てきたりすると、頭がカーッとなってしまう。

怒りは時とともに減衰することなく、その時感じた怒りや憤りがリアルによみがえってきて、普段からは考えられないような言い方や振る舞いをしてしまう。その豹変した自分のことをおぼえていない。

「思い出すたびにありありとあの日のことが思い出され、怒りも新たに湧いてくる」と、一種のフラッシュバック状態にあると思われる。いわゆる、「解離性障害」に似ている?

「解離性障害」とは・・・辞書から、「通常は統合されている意識・記憶・自己同一性などが混乱し、連続性がなくなったり、失われたりする障害。強いストレスや心的外傷が原因で発症すると考えられている。」

これらを考えてくると、よく効く薬が欲しいものだ。しかし、何といっても世情の安定と人々の暖かい思いやり、家族・近隣の人たちの助け合いの心が一番の薬になるのではないだろうか・・・。

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2009年11月19日 (木)

「余地」と言うこと

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05sikotuko31 人生の古希を過ぎても、まだ心にゆとりのなさから、思わぬ失敗をしてしまう事がある。反省し、「余裕」から「よち」をじっくり心に刻んで人生を歩んでいこうと思う。「余地」ちょっと考えてまとめてみた。

よち・・・余裕のある場所を言う。また人との交際のとき譲れるだけのを十分に残し、ゆとりのある形で付き合うこと。

人間を説き伏せるには、技や力では、到底出来ないし、やろうとは思ってはいけない。精神を統一し自然の摂理に従って行動をとることで心の余裕を保つことだ。この余裕(隙間を)「余地」と呼ぶのだろう。

ギリギリのところまで押しすすめた形で付き合うと、ともすれば、人間関係を損ねてしまう。現代社会の厳しい利害関係のなかで、「余地」を見いだすことは、なかなか難しいと言える。

経験豊富な人でも、どうしても人間関係がギシギシしてしまう。しかし、スピードと正確さを極限までつきつめたコンピュータの時代にファジィ理論のようなぼんやりした余裕を認める考え方が生まれたのは興味あることである。

いわば人間に優しく、誤差や錯覚を包み込んで行く理論といってもよい人間関係は隙間や誤差が自然に存在するのかも知れない、それを計算に入れるのは新しい考え方と言える。

昔の名匠や武将といった達人は厳しい修練のなかに「余地」を見いだすことを大切にしていた。木部の伸縮や地震のショックをやわらげるために「遊び」の部分を残したことも故人の知恵といってよいだろう。

剣豪の宮本武蔵は、修行中に沢庵和尚に「お前は強すぎる」とたしなめられ、名妓といわれた吉野大夫の許へ遊びに行くことになった。吉野大夫は、自分の大切にしていた琵琶を武蔵の見ている前で打壊して内部を見せ、組み立てられた木部の継ぎの部分に少しづつ、ゆとりのあるのを示して、よい音を出す名器の構造から、道のあり方を示唆したのでした。

厳しく他人を追いつめたり、自分に厳格な戒律を強いたりしないで、少しづつ「余地」を残した方が、自然にかなっている生き方なのだ。「ピンと強く、張りつめて糸は切れる」ということに似ている。

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2009年11月16日 (月)

想定外の出来事

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07rose_ame21古希を過ぎ、これからの人生、想定外の事が起こり得るものだ。今日その想定外?事が起きた。女房の体調が昨日からよくないといっていたので心配していたが、今朝は大分よくなったというので、待望?のパソコンの買い替えの時期のチャンスと思っていた。3年前から資金を貯めていたのだが、windows 7が発売されるまでと控えいた。村内電気八王子店にいって品定めをしようと出かけ、お店の方と相談していた時に、女房から、携帯に体調が悪いので直ぐ帰ってくるようにとの事であった。

行くときは歩きで50分かけて出かけたが、50分は待てない、タクシーで帰宅してくれないかという。家からマイカーで行ってくれというが、時間は午前10時20分だった。病院は11時で受付が終りでなんとしても、家に45分ぐらいに着かないと間に合わない。タクシーで帰ることに決めた。

村内電気を出て、国道20号でタクシーを待ったが止まらない。仕方がない京王八王子駅まで10分駆け足で行こうと決めて、夢中で走った。信号が4箇所あり赤信号で2箇所待たされたが、予定の10分で、客待ちタクシーがいたので飛び乗った。

タクシーの運転手さんに事情を話し、急いで貰った。そうして家に着いたのが10時45分だった。早速女房を車に乗せて八王子医療センターには10時59分かろうじて着いて、受付の締め切りギリギリで間に合った。

応急処置をとってもらって血圧(200:90)心電図を測定してもらった。何時も、持っているニトログリセリン(舌下錠)飲んで処置室のベットで、看護士さんに介抱してもらったら、大分落ち着いて医師に診察を2時間近く待たされたが、殆んど普段の状態に戻った。診察では、薬も必要なし、MRI・採血などの処置もなかった。

原因は、本人も分からないという人騒がせで終わったが、こういう事は過去に3回あって、またかと思うが本人はもう死ぬかと思うほどとの焦りであった。原因は極度の「不安症」なのかも知れない。もっと人生アバウトに生きてゆったり生きようと言ってあげた。

人の顔色を気にしない事、責任感は程ほどにする、自分を大切に、日常生活を送ることなどを話した。いやいや今日はとんだアクシデントに付き合わされた。しかし、これからも想像をしない出来事がある。覚悟しないいけないと思った。

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2009年11月15日 (日)

七五三のお祝い

005_21 今日は、七五三のお祝いである。近くの住吉神社(片倉城跡)では、ちょっと賑やかであろう。我が家でも、孫が小学校四年生(女)・三年生(女)・二年生(男)・一年生(女)の四人いるが今年は七五三のお祝いの最後のセレモニーあったが、11月1(日)に行ってしまった。

外に(立川市)所帯を構えているので、府中大国魂神社にお参りにいった。八王子の我が家に来た時は着物の帯がちょっと崩れ、慣れない着物がちょっと邪魔そうであった。

しかし、四人目の孫まですべて七五三が無事終ることが出来て幸せである。そんな爺・婆も、結婚43年が経って感慨深い。一族が健康であることが何よりである。

七五三を含む数字奇数の数字は、中国をはじめとするアジア諸国ではおめでたい数字とされているそうだ。七五三のお祝いは、古くは平安時代から行われ、今でも一般家庭にも七五三が定着している。

北海道などでは、11月15日では雪が降ったり寒くなることから1ヶ月早めるところもあるそうだ。七五三のセレモニーが終ると一気に寒さが増す、今年は新型インフレエンザが大流行しそうで心配である。

今日の関東地方は、朝から晴れて、23度ぐらいになって、親御さんにとってホッとしていることだろう。府中・大国魂神社の銀杏の葉も社殿の屋根・参道を、はり絵のように黄色に貼り付けられていて、冬の陽射しをさんさんと輝いて、真っ青な空の下、幸せな家族の笑顔が目に浮んでくるようだ。

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喜怒哀楽の人生

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08kakunodate_koyo11人生は喜怒哀楽の繰り返しである。絶望・希望の不規則であるが繰り返しである。絶望の淵に立たされてしまったり、希望に満ち溢れたときもある。

不運が重なると、自分自身の行いが悪いと自分を責めてしまったり、また悪魔が取り付いて、一生懸命払い除けようと神仏にすがる思いで月日を過ごすことになる。

そして、状況が厳しくなると、関わる人たちにも変化が出てくる。そういうときこそ人間の本性というのがよく見えてくる。しかし、人間は最終的には同じ人間によって助けられるものであると気づく。

所詮この世は人間社会、人が人に関わって生きている社会であり、何が起こるかわからないのも、また同じく共有し合っている仲間意識である。

稀だが掌(てのひら)を返されることもあって、困ったときに捨てられることだってある。また、暴雨のときにこそ傘を差し出してくれる人、また、雨露凌ぐ場所を教えてくれる人もいる。
自分中心に考える人が最近多くなったように感じる。そういう人が、なんの配慮もなく平然と掌(てのひら)を返すものだ。

冬の厳しい寒さというのは、その場の空気がとても澄んでいてすべてのものが、混じりけなく映るものである。それと同じで厳しい境遇の中でこそ、本物か、否かそういうのも明確にわかり、人間の器も鮮明に見えてくるものである。人夫々に個性がある。そのよい個性だけをを見出し、共有しあっていくことが大切である。

人間は「楽をして生きたい」という深層心理が誰れだってある。「苦しみ悩んで自己を確立する」のであることを、家庭・学校・地域で啓蒙すべきで、互助の精神を持って人間社会を作っていくことだ。

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2009年11月14日 (土)

暖かい雨と冷たい雨

08hatuyuki_sannai11アメリカのオバマ大統領初来日で、昨夜鳩山首相との会談が行われたが、今朝、鳩山首相は、シンガポールへに旅立った。エイペック(太平洋経済協力会議)に出席のためである。

オバマ大統領は一泊二日の日程である。天皇陛下との昼食会などを過ごし、エイペックに出席する。他に、中国・韓国を訪問して九日間の日程を忙しく、東南アジア外遊予定である。

立冬を過ぎ、酉の市(12日)を超えて、街路樹の銀杏並木の甲州街道は、すっかり黄色になって、歩道に一面に散らしていた。昨日は朝から一日中、冷たい雨模様の八王子だったが、今朝は、意外と暖かい小雨だった。天気予報では、今日一日ハッキリしない小雨が降ったり、止んだりである。

そんなニュースをテレビで見て、世界でも最も注目されえるオバマ大統領である。昨日・今日の冷暖温度差が激しい気候さなか、また新型インフルエンザ、そして内外に取り巻く大きな問題を抱えて激務は、想像を絶する。

まだまだ、経済状況の先が見えない世界経済である。長期化する医療保険改革・失業率の10%を超えて、一刻も猶予のないアメリカ国内である。日本に出発を米軍基地での大量殺人事件で追悼式で、一日延長せざるを得なかった。

こんなニュースを見ながら、昨日・今日の雨のように、冷たかったり、暖かかったりの気温差の大きな事象を思い、そのスケジュールを消化していかねばならない。アフガン・パキスタンの不穏はテロとの対応なども考え、世界の平和と繁栄を模索して行かねばならないのだ。

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悩むという「力」

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24351 断崖絶壁に松はしっかり岩に根を張り、青々とした葉を伸ばし勇姿を見せている。夏は猛烈な暑さと冬は凍える雪を被っても耐えている。そんな光景をみて、人の「悩む力」を考えて見た。

人は誰でも、生きているとさまざまな悩みに直面する。悩んでいることが、決して無駄ではなく、それこそが生きる力につながるのだということを、誰でも自分の経験も重ねて強く生きられるのだと思う。悩むことで、勇気が出てくる。

悩みには答えがあるものもあるが、たいていは回答がない。苦しみだけのようにみえるけれど、「生きる」ことに関して考えると、裏返せば「悩むこと」は大きな充実感につながっているかも知れない。

「悩みのない世界こそが幸せだ」と、単純には考えられないが、大切なのは、徹底して、自分の置かれた環境を生きること。悩みと無縁で生きることは出来ない。だから、自分の人生は自分の力で、工夫していかなければならないことだと思う。

今の時代は、先行きが見えないので不安である。それに、人は悩みを持つと、他の人が幸せに見えてしまうものである。「なぜあの人たちは幸せそうなのに、どうして私だけが」と。
でもそれは、人の悩む力があることに気づいていないからだ。悩む力を持つことに、自分の生きる意味がある。それが、人生の核心につながると思う。

生きる意味、働く意味、それから他人を好きになる意味……。人間は必然的にその意味を求める。実はこの「意味」というのは、悩みの種でもある。だから意味のない人生は、悩まない。つまり一番不幸なのは、悩みのない事ではなかろうか。精神医学でもよく言われているそうだが、一番不幸なのは悩まない人だと思う。

人の一生は、ただ幸せになるために生きているのではない。人は、自分が生きている意味を見いだすために生きていると思う。それには必ず悩みがつきまとう。だから、悩みから目を背けないで、自分の悩む力を信じる。

そうすると、ただ単に幸福か不幸かという瞬間風速的なものではなくて、悩む力から生まれる生きる意味が見えてくる。これが大切なことだと思う。悩んだことで、軽薄な幸せであれば良いということではない、悩んでいることで、生きる力・意義を感じるようのなるのである。


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2009年11月13日 (金)

早期「就活」は問題

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Center171 年々大学生の就職活動が早まっている。大学生の就職活動、企業の採用活動に、大学側が危機感を募らせているという。

3年秋に内々定? 学生と企業が接触し始めるのは、3年生の夏休みだ。学生は、希望企業に、仕事を実体験する「インターンシップ」を申し込む。学生たちは、事実上の就職活動のスタート。人事担当者に気に入ってもらう大切な場になる。

秋に入り、会社説明会も次々、開かれて、就職情報会社のホームページを見ながら、説明会の日時をチェックする毎日だそうだ。

他社に先んじて、いい学生を確保しようと、企業は採用を早める。一方、従来通り、4月から活動する企業もあり、学生たちの活動は、必然的に長期化することになる。

「学業妨げ」となり、問題点も多い。早期化、長期化は、国立大学協会などでつくる「就職問題懇談会」で、たびたび問題視されてきた。

採用活動は長期休暇などを活用するなどし、大学教育を尊重し、正式内定は、卒業、修了年次の10月1日以降とすることは、当然のことだ。

優秀な人材を育てるのに最適の時期を就職活動に奪われるのは専門研究・人間形成にも中途半端になるのではないかと思う。採用・就職活動が1年の夏から翌年の5月ごろまで続くため、大学院の教育研究を大きく妨げている事実だ。

経団連にも問題が・・・経団連は現在、加盟企業に卒業・修了学年に達しない学生への面接などの選考活動を慎むよう倫理憲章で定める。ただ、守らなくても罰則はなく、拘束力は弱い。

学生が一定期間授業に出られない。卒業研究の指導が十分できないなどの問題もある。学業に専念できるようにし、卒業時の資質や能力を高める方が、学生にも企業にも良いことだ。早期「就活」は、大学・企業にも自粛すべきだ。

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2009年11月12日 (木)

シンプル族

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1020208_img1「シンプル族」とは世の中、消費は美徳・飽食の時代から、高級志向・大型化と進んで行き着くところが大きく分厚い壁に当たってしまって、跳ね返されたようなもの?

そんな事を考えたら、威勢のいい魚が、川をどんどん上流の楽園を目指して登って行ったが、途中に大きな滝となってしまったが、まだ諦めきれないで、猛然と挑戦したがどうしても旨く行かない。それなら、仕方がないと諦めて、水の少ないが浅瀬の場所で楽しもうという考えなのだ。そんに命を賭けて勝ち取る楽園でなくても、のんびり暮らせる場所を選んで生きらればいい。そんなことを連想ししてしまった。

それでは、困る人達がいる。今までまっしぐらに品質と機能とデザインなどを研究し、またお客のニーズに合わせて、切磋琢磨を重ねて日夜、努力して来たのである。それが「シンプル族」の出現でそれも、この所の経済不況の長期化で、拍車が掛かったのであろう。

シンプル族は、若い世代に多く、特に女性に多いという。テレビをあまり見ない。物をあまり買わない。インターネットで商品の情報を集め、慎重に吟味し、比較考量し、十分に納得しないと物を買わない。一方、無印良品といった物は簡単に購入する。彼らはシンプルなものを好むのだ。

シンプル族の登場によって、市場の縮小に追い込まれたのが自動車産業。また、ゴージャスやデラックスな生活を売りにしてきた百貨店も苦しんでいる。しかし、彼らはただお金を使わないというわけではない。「無印良品」「私の部屋」など、シンプルな衣食住を提案する店や、『クウネル』『天然生活』のようなシンプルな暮らしを提案する雑誌は好んで購入している。

お金があっても質素に暮らすことが「かっこいい」と思う傾向が強まっている。今後、景気が回復したとしてもシンプル族は浪費的な生活に戻らないだろう。

だから、このシンプル族を理解しないと企業は生き残っていけない。消費者を集めてどのような商品が欲しいかとインタビューをすると、「余計なデザインをするな」「余計な色をつけるな」「余計な機能をつけるな」といった、何もしなくていいという声ばかりが聞こえてくる。

シンプルなものだと高価格にしにくく、飽きがこないので買い替えが減るといった企業側の都合は通用しないのだ。しかし、もう猶予はない。既にシンプル族の時代がやってきているのだ。
環境破壊を憂う時代・エコロジー時代となって、消費者の価値観が大きく転換してきているのだ。

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2009年11月11日 (水)

森繁久弥さん死去

282_field111「女優さんと共演をするときは、特にイキイキとしていて、とても楽しそうだった」「夕食もご一緒したのですが、91歳にしてステーキやフォアグラをたいらげられていました」など、森繁さんらしいチャーミングで豪快なエピソードも披露した。(森繁さん最後の出演映画『死に花』で一緒に仕事をした犬童一心監督の話である。)

スタッフや共演者を気遣い、いつも周りを楽しませてくれた森繁さん。一方で、山崎努、宇津井健、青島幸男ら、数多くのベテラン俳優にとってはある種の緊張感を与える存在だったという。「楽しい中にもピンと張り詰めた空気が流れていた。

日本映画の歴史の中で、大俳優の一人である」森繁さんの人柄や俳優としてのオーラがあった。森繁さんの控え室にあいさつに行く監督は、いつもシナリオを読んでいたと言う。その姿が、まるで芝居好きの演劇青年のように映り、演技することが本当に好きなんだろうなぁと思いました」と思い知られされたという。

森繁さんは、NHKのアナウンサーや舞台俳優として活躍した後、、300本近い映画、テレビ、そして舞台に出演した。さらに、歌手、作家など多彩な才能を発揮し、晩年は日本映画俳優協会の会長を務めたり、1991年には文化勲章を授与されたりと、一俳優の枠を超え、日本の財産といっても過言ではない存在だった。

若さと人柄の良さ、人間的にも素晴らしく、人間味ある語り口、味わいのある演技は多くの人に感動を与えたことだろう。本当に残念である。ご冥福を祈るばかりである。

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暗い嫌な「ニュースの種」が尽きない

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07tamurano_yuhi31 このところi嫌な、事件ニュースが途切れることがない。ビックニュースばかりである。芸能人の麻薬使用事件が相次いで、逮捕・保釈・裁判・判決の一連の事件は収束しかけているところに、次から次へとニュースの種は尽きない。

イギリス人の女性を殺人死体遺棄容疑者を、昨日逮捕した。一年余りも大阪の建設会社で働いていたり、名古屋で顔を整形したり、仙台・福岡などに姿が見かけたが、捜査の目をかい潜って2年7カ月余りだ。事件発生からしばらく忘れかけていた、先月から名古屋での整形をしたという証言があって、急にマスコミの俎上にのった。

また、東京都豊島区の「婚活」連続不審死の34歳の無職の女」はネット詐欺の常習者だったそうだが、連続殺人の疑いが持ち上がっている。そして今回は出会い系サイトで。ネット上では、危険人物視されていたことも浮かび上がっている。事件は、ネット上の「婚活」ブームに冷や水を浴びせるような異常な展開をみせている。

島根県浜田市の県立大女子大生の、殺人事件は、惨い・やりきれない事件である。遺体を損壊・臥龍山に遺棄するという、これまでにない殺人事件である。なんとしても早期に犯人逮捕して欲しい。

そして、鳥取の35歳の女に、まつわる事件である。逮捕された元スナック従業員の女(35)と交際していた男性が、相次いで変死していたという。女と接点のある男性の死亡が判明したのは計5人で、このうち少なくとも3人が女と金銭をめぐるトラブルを抱えていたことがわかった。

世の中経済不況で、金回りが悪くなり、今までの思う通りの生活ができない。人間の意志の弱さと、誘惑に負けてしまう人間が多くなったのかも知れない。

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2009年11月10日 (火)

リダーと、リーダーシップの違い

08omitake_buna_aki11 町会の施設を作ろうと計画したが、いざ遣ろうという、リーダーいないで時間ばかり過ぎ去っていくのを感じ、私なりに音頭とって始まった。

しかし私には専門技量がなく、技量がある一人の人間にお願いしたが、これが人をまとめることが不得意とみて、中々始まらない。もう一人の技量がある方と話しあうように段取りをし、手伝いの出きる方を、三人お願いしやっと始めることが出来た。

そこで、リーダーと、リーダーシップの意味とまとめ方を、考えて見た。団体・グループでの活動と目的意識を持たせ、一つの事業を遂行することをどうすれば、合理的で、進んで協力してもらえるか考えて見た。

リーダーとリーダーシップは違う。リーダーは、役割を果たさなくてはならない機能であり、リーダーシップはポジションに関係なく、自らがリーダーを買って出て、周囲を巻き込み、引っ張っていくことである。多く人がリーダーとリーダーシップを混同している。

リーダーシップが、とっぷや上位者ににみ求められているというのは勘違いである。職位が上のほうに行けばいくほど、リーダーシップがないが目立ち、下へ行くほど、リーダーシップがあることが目立つ。上に行けばいくほど、リーダーシップを発揮しやすい条件と裁量を与えられているから、あるのが当たり前だから、ないことが目立つのである。トップにはトップのリーダーシップが求められるのであり、平には平のリーダーシップがもとめらる。常識とは異なり、リーダーシップはその人の役割遂行に必要な手段に過ぎない。つまり、リーダーシップには、

①役割としてのリーダーシップ(リーダーのリーダーシップ)

②個人としてのリーダーシップ(メンバーのリーダーシップ)

①、②の二つがあり、立場が異なろうとも、いずれにも共通して言えることは、必要なのは、その人が自分の役割を責任を持って達成しようとするとき、自分の裁量内でやっている限り、その仕事は完結しないと言うことである。

そのとき、自分の裁量を超えて、人に働きかけ、巻き込んでも、それを達成しなくてはならないときがくる。それが結果としてリーダーシップであるに過ぎない。必要なのは、自分は何をするためにそこにいるのか、そのために何をしなくてはならないのかを、自分の頭で考えられるかどうかだ。

それを仕事の旗と呼ぶ。それは、メンバーとして、平のときから自ら考え続けていかなくては、リーダーシップがあって当然という立場になったとき、リーダーシップがないことが目立つことになるだけでなのである。

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世界経済の新たな問題

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15401 景気はよくなったという一方、日本の投資家も、迷うところだまだ先が読めない世界経済である。私も小額であるが、株・投資信託をしているが、中々回復しない株価が気になるところである。

そこで、今朝の朝日新聞社説に「世界経済―新たな不均衡に警戒を」という題目で載っていたので、なるほどと納得しまだまだ楽観できない、世界経済でることを再認識した。

ワシントンのG20サミットに結集してから、1年が経とうとしている。協調は成果を上げ、世界経済は危機のどん底から回復への道が見えてきたかに見える。

アメリカの10月の失業率は10%を突破した。大手ノンバンクや地方銀行の破綻続いている。、商業用不動産向け融資の不良債権化が懸念されている。この事態に、オバマ政権が追加の景気対策の検討を表明した。

欧州のユーロ圏16カ国も今年下半期はプラス成長を見込むが、回復の足取りは弱々しい。失業率は10%突破が避けられそうにない状態である。

一方、中国は7~9月期に8.9%の成長を達成した。中国が今年は8.4%成長を確保し、日米欧の需要減の分の4分の3を補うという、すばらしい勢いを保っている。

中国に象徴される新興国の発展は世界を危機から救い出す力ともなっているのだが、手放しでは喜べない要素がある。世界経済の新たな不均衡の芽も生まれているということだ。

過剰な消費と借金がある一方、貯蓄や生産が多すぎるという不均衡は、世界危機の背景要因になった。その不均衡を是正しつつ、世界経済の新たな不均衡を引き起こさないための協調の仕組みをどう築くかが大きな鍵になる。

結局、1年後をめどに、枠組みを段階的につくっていくことになった。各国・地域が経済運営の方針を示し、相互に監視・協議して世界規模でのバランス確保が重要だ。

だが、景気対策としての財政出動が巨額の赤字をもたらすにつれ、先進国は金融緩和への依存をなかなかやめられなくなる可能性もある。

不均衡の種をいつまでもまき散らさないためには、先進国が危機から早く立ち直るよう全力を注ぐしかない。G20の協調と各国にとって試練が続くだろう。

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2009年11月 9日 (月)

国旗・国歌は当たり前だ

06hatimantair341_11鳩山由紀夫首相は国会質疑で国旗・国歌について「国民にとって大変大事なものだ」と述べて、学校での指導を従来通り進める考えである。

民主党政権では支持母体の日本教職組合寄りの教育政策が目立っていると自民党議員に指摘された。これに対する回答である。(衆議院予算委員会)

愛国心や公共心育成などが盛り込まれた改正教育基本法について「尊重するのは当然のことだ」とし、学校での国旗掲揚、国家斉唱について「必要なときに指導していく」と述べた。

卒業式・入学式を含め、こうした限られた機会でさえ反対する動きがある。民主党政権となり、一部組合員などが反対を強めることが予想されるが、国旗・国歌に敬意を払うことは決して押しつけなどでなく、国際的な常識である。

道徳教育で文科省は小中学生の副教材「心のノート」の全員配布をやめる方針だ。新しい学習指導要領は改正教育基本法を踏まえ、道徳教育充実が盛り込まれた。これに逆行するような施策は首相答弁に反するのではないかと思う。

民主党は改正教育基本法の対案の「日本国教育基本法」で、愛国心や宗教的情操教育について現行法より率直な言葉で踏み込んでいた。そうした公徳心を養う教育こそ実践が必要である。

民主党は平成11年、国旗国家法が議論した当時に反対した議員も多くいた、これまでの党大会で国旗が掲げられなかったが、これからは与党として堂々と国旗を掲げるべきだ。

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評 価

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10_12801 人間の究極の幸せは、物や金でなく、人に愛されること、褒められること、役に立つこと、必要とされることの4つである。愛はともかく、あとの3つは仕事を通じて得られるものだ。働きたいと願うのは、本当の幸せを求める証なのだ」という。

「人間にとって生きることとは、誰かに存在を認められ、評価されることなのだ」と納得すれば、指導者の使命は「人間を評価し、幸福を実感できる場を提供することだ」と思う。

人間の脳は、高評価を受けた時、金銭報酬を受けたのと同じように反応するらしい。俳優・仲代達矢氏と黒沢明監督のエピソードがあるという。仲代氏が20歳の時、「七人の侍」に通行人役で出演した際に「歩き方が悪い」と黒沢監督から何度もやり直しを命じられたのだ。

朝9時のテスト開始から午後3時の本番まで実に6時間、ひたすら歩き続けた。そして7年後、「用心棒」に準主役で抜擢された仲代氏は尋ねた。「監督、僕を覚えていますか」。黒沢監督は答えた。「覚えているから使うんじゃないか」と言った。

この時の仲代氏の感激はいかばかりであったろう。監督の一言で、俳優としての自信を深めたのは想像に難くないが、当時まったくの無名だった仲代氏の、俳優としての素質を見抜いた黒沢監督の「審美眼」は常人ではない。

「褒められる」「必要とされる」評価は人を前向きにする。だがそれは、人それぞれの個性を見極め、才能を見出す「眼」が近くにあってこそである。心の満腹度は、個人差があるが、「褒められる」・「必要とされる」で、尚一層の深みを増し、「生き甲斐」も充実感が増幅されるのである。

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2009年11月 8日 (日)

一所懸命ということ・・・

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Utukushi121 昨日は、プロ野球の頂点を、読売ジャイアンツが2-0で優勝した。それにしても、今年の原監督は、WBCで優勝し、帰国しペナントレースに入って、ジャイアンツを率いて、セントラルで優勝。

そして、クラシックでも勝ち進んでパシフィックの優勝した、北海道日本ハムに競り勝った。日本のプロ野球の監督でも最高の年であった。

ワールドシリーズでは、松井選手がニューヨークヤンキースで活躍MVPに輝いた。そしてシアトルマリナースのイチロウ選手が9年連続の200本安打を達成。このところ、サッカーに話題を取られがちになった野球も、取り戻した感じである。

原監督・イチロウ選手・松井選手にしても、あの笑顔素晴らしい。なんでもなく勝ち取った栄冠には、人と同じ努力では、到底勝ち取ることは出来ない。「一所懸命」という言葉を連想した。

「一所懸命」ということは、あることに賭けて、命ががけで働き努力する。似たような言葉がある「一生懸命」は誤用したもの。現在では同じように、使われているが、こちらは自分の生涯をかけて一筋に生きることを指す。(辞書から)

現代のサラリーマンは「一所懸命」ではなく、初め就職した全社から一定の時期にスピンアウトして自分で会社を創設したり、別の会社に移転したりすることが通常おこなわれるようになった。

また雇用した会社側も急激に変動する経済情勢についていけず、終身雇用制度を維持できなくなり、リストラに追い込まれて、「一所懸命の社員」を養っていけない状態が多くなった。
つまり、人生に亘って「一生懸命」に企業に忠節をつくした人びとも、その考え方を切り替えなくてはならない時代になったのである。勤勉さは美徳であり、与えられた仕事に精をだしていくのが最高の生き甲斐という価値感が、根底から揺るがせられるようになった。

現在では、与えられた仕事に執着することではなく、新しい分野で新しい仕事を求めることが必要な時代になった。新規事業にチャレンジしていくことは、中小企業やベンチャー・ビジネスに必要であるばかりでなく、その規模や従来の実績によらず、むしろ大企業に籍をおくビジネスマンにも必要な徳目となってきたのである。

また「一所懸命」は、命がけで一途に賭けていく姿勢が示されているが、一つのことに将来をかけることは、リスクも大きく問題も多い。

もちろん、愛社精神が必要ないと言っているのではない。自分の属する組織を伸ばすためにも、社を離れて見るということが大切になってきたということである。

複雑な現代社会を顧みて、イチロウ選手・松井選手そして、昨日の原辰徳ジャイアンツの優勝から「一所懸命」連想した。そして、多くの人に夢と勇気を与えたことだろう。

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2009年11月 7日 (土)

糟糠(そうこう)の妻

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271_2故事百選から、・・・今まで空気のような存在であった「妻」の呼び方などを、改めて思考してみる。

糟糠の妻・・・そうこうのつま・・・酒糟うあ米糠のような粗末な食事をともにしして、く労を重ねて夫を助け、家庭を守り、連れ添ってきた妻のこと。

定年をとうに過ぎ、年金暮らしも長くなると、毎日一緒に生活していると、お互いに我がままが出て、意見が合わないことが多くなって来るものである。信頼関係すら疑問視してくる。

最近などは、忘れ物・身だしなみ・食べ方などの日常生活が気になって、注意されることしきり。女房を呼び方も、現役までは、名前で呼んでいたが、最近は「オーイ」と呼ぶこと多くなった。そして孫達の前では「婆さん」となってしまった。

わが国では、「内助の功」という言葉が知られていますが、女性の社会進出が一般的になるにつれ、この表現は古くなっている。また、荊のかんざしをしているようにつたない妻という謙遜した言葉で「荊妻」(けいさい)という表現がある。こちらは現在でも死亡広告等で見かけられる。

現代のサラリーマンは自分の妻のことをワイフ、女房、かみさんなどと呼んでいることが多いようである。子供や孫ができれば、ママ、かあさん、ときにはおばあちゃんなどと愛称していることもある。

いずれにしても、女性の社会的地位が上り、金ができても妻をとりかえるなどは考えられず、「糟糖の妻」は死語に近くなっている。
むしろ自分が定年を迎え、家でゴロゴロするようになれば、夫人の方が活発になり、面倒を見てもらわねばならなくなる。

「粗大ゴミ」とか「濡れ落葉」などは、旧い亭主の別称として通るようになってきた。また、「定年離婚」という言葉さえ生れて、サラリーを持って帰らぬようになったとたん離婚話がもち上がってくる世相だとのことである。つまり、「糟糖の妻」ならぬ「精糖の夫」の時代に入ろうとしているようである。

夫婦で苦労してきた時代に、妻の方からも「夫は苦労して、自分のことをよく考えてくれた」という思い出がないかぎりその危険性は高いと言うわけである。

また、「細君」というのは、中国の故事である「夫人おもい」の逸話から生れたものである。
漢の東方朔という、老爺の家郎は、ひょうきんな人で知られていた。皇帝が夏の盛りの三伏の時に臣下に贈る肉を、役人の来る前に剣で小片を切りとって家へ持って帰りました。その知らせに皇帝は東方朔を呼び、理由を聞きましたところ、「細君に贈りました」と白状した。。。。。
なるほど・・・

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2009年11月 6日 (金)

常住不変のものは何もない

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08kakunodate_koyo11 木々の中でも落葉樹は燃え尽きるように、色づき、そして風にせきたてられるように葉を落としていく。しかし、ようくみると枝先には、きっと来る春を信じ、しっかり花芽をつけている。

冬の寒さに備えながら、生命の息吹を感じさせられる。春を、そして夏を、その先に向かえるために葉を落としている。落ちた葉はやがて有機肥料として、また新しい命を生み出すのである。

深まり行く秋の日に、人々は自分の人生を重ねて、さまざまに思いをめぐらすことだろう。過去にこだわることなく、いつも未来志向で今を生きている。

はらはらと風に舞い散っていく木々の葉に命の儚さを感じ、美しい紅葉が秋の日に映えている。この一瞬の命の輝きに心ときめかせ,時の流れの中にあって静寂を感じ、今、生きていることを喜ぶことができれば、最高の幸せである。

今年もこうやって木々の葉を落とし散ってしまえば、人間もそれだけ容姿も衰えていく理であって来年、この紅葉を見た人々のうち、誰が生き残っていることだろうか?などと考えてしまう。

古人は、「墓標にと植えてあった松や柏のような常緑樹さえも、いつしか薪に伐られ摧かれ、墓所のありかも解らなくなってしまった」と嘆いている。(漢代の作、古詩十九首中の句)

更に、「かつては桑田であったところが、いつしか海となり、海となったところが、いつしかまた桑田となり、僅かな間に三度も変わった」(晉・葛洪作「神仙伝」)という嘆声も聞いているが、まことに、常住不変のものは何もないのだ。

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2009年11月 5日 (木)

生者必滅、会者定離

08kakunodate_koyo61 誰でも若い時には、年老いていくことも、命の尽きることも、実感しないだろう。現在が楽しければよいのであって、若い時には人生の終わりなどと、思うこともないだろう。だが、私の友達が小学校三年生で亡くなった。棺に入った友達の亡骸をみて、人は必ず死ぬのだと、初めて実感しショックを受け、しばらく不安な気持ちであった。

とうの昔、母親・父親がこの世を去った。自分も父親が亡くなった年齢に近づき、身体の衰えで老いを感じ始め、この先、何年生きられるだろうか思ってしまう。我が人生の過去をふり返ることも多くなり、老い支度・死に支度を考えないと・・・。

10代のころは早く大人になりたいと思ったことがあったが、時の流れは老いも若きもみな同じスピードなのに、老いとともに時の過ぎゆくのが早く感じるようになり、一年の経つのが早いこと早いこと。晩秋の釣瓶落としの夕日如しだ。

若くても年をとっていても、みな同じように時は流れているのだ。そして、昨日の私より、今日の私は確実に老いている。年をとった分だけ過ぎし日の数が多いから、過去をふり返ると、光陰は矢のように進んできたように感じる。また、駆け行く馬を戸の隙間から見るような思いである。

「生者必滅、会者定離」とは、生ある者はいつか必ず死んで滅び、出会う者はいつかは必ず別れる、この世は無常であるということである。

「無常の風は時を選ばず」、無常の風とは人の死をいう、吹く風が花を散らすように、有為転変の常ならない人生にとって、死はいつやってくるかわからない。世の中はどんどん変化をしていく、無常とは変わり続けるという意味である。

どんな偉い人、有名であった人も死んでしまえば、過去の人となり、人々には何時か忘れ去ってしまう。そう思うと寂しく、儚い人間の一生だ。

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晩秋の野道を散歩して

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08omitake_buna_aki11 秋の日の ビオロンの ためいきの
身にしみて ひたぶるに うら悲し
鐘の音に 胸ふたぎ
色かえて 涙ぐむ
過ぎし日の 思い出や
げに我は うらぶれて ここかしこ
さだめなく とび散らう 落ち葉かな
落ち葉かな
            ヴェルレーヌ作 上田 敏 訳
 

このところ、急に寒くなった。北海道・東北地方では、雪の便りが、群馬県の浅間山にも初冠雪があったという。二十四節気によると「秋は立秋から立冬の前日まで」となっている。

奇しくも明後日が「立冬」でこれからは「名残の秋」ということだ。 朝晩の冷え方や、稲刈りの済んだ各地の便りなどから「往く秋」を惜しむ心が伝わってくる。我が家でもコタツを出し、暖房の準備を済ませた。

昨日、人気のいない野道を散歩したら、コオロギが晩秋の陽射しに誘われるかのように鳴いていたが、細くなって、やっと聞こえるようで、寂しさを感じられた。

山茶花の花が咲き出し、昔の、♪かきねの、かきねの、まがりかど・・・の童謡「焚き火」の季節でもある。もう遥か遠くの記憶にしかないが・・・。

たわわに実っていた柿も天辺が真っ赤になっている。“更け行く秋の夜”(旅愁)と小学校で習った歌詞を思いす、何故かこの歌を口ずさむと、忙しく畑仕事をしている父母の顔が浮んでくる。とうに、この世には存在していないが・・・。

秋の日の煌めきは漆黒の闇があるから存在価値を増すのではないだろうか。暮れなずむ景色の中にふと、私の父や母は、この世に存在しない、しかし、私の心の中にいることが即ち生きていることではないかと思えることがある。

私の記憶の中にある秋の日の煌めきは消えてなくなることがないように、瞬く間に光って消える宇宙の中から何かを探さなければならない年齢になってしまったようだ。

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2009年11月 4日 (水)

P・D・Cという“当たり前”のこと

Poinse1今年もう二ヶ月切ったが、経ってしまったという事実ではなかろうか。早いものだ、と言うより、早すぎる。
昔親父に言われたことがある。「人生は山あり谷ありであり、決して平坦の道ばかりではない。特に人より抜きんでて出来なくてもいい、平凡であればよい」しかし平凡は非凡である。平凡に生きることが理想であり難しいのだ。当たり前のことが出来ないものだ。

昨年の暮れは、リーマンショックで世界の不況が始まり、日本でも派遣切り、失業者が増え大きな社会問題となった。今年は景気の底を打ったという評価もあるが、失業者の人数の問題は、深刻さが払拭されない。

業界の合併や再編が活発になり、倒産だけは防ぎたい産業界は必死である。企業では、社員の意識改革を図り、会社一丸となって不況から経ち直そうという動きがある。

アメリカ小売業の最大手、ウォルマートのモットー。「当たり前のことが重要だ」という。この言葉は、読み方によっては、当たり前のことを行うのがいかに難しいかを示しているとも言えまる。重要ではあるが実行が困難であるからこそ、会社のスローガンとして掲げて全社員に訴えているわけだ。

さて、ビジネスの世界における“当たり前のこと”の1つに、「PDCサイクル」という原理原則があるそうだ。「P」はPlan(計画)、「D」はDo(実行)、「C」はCheck(評価)である。

平凡で当たり前のことをきっちり実行できることが最後に笑うことになるというものだ。鳩山政権になり、国会での予算委員会の質疑の実況中継が行われている。攻守逆転である初の委員会でもある。失業者に暖かい対策を望むところだ。

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生命尊重こそ政治の基本

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06oga_toga11 鳩山由紀夫首相の「友愛」.とは、民主党の目指す社会、友愛社会。すなわち、個人の自立・尊厳を前提に互いに支えあう社会。今日、日本が直面している最大の課題である少子高齢化問題も、友愛精神に基づき政策で解決し、国民が安心して、心豊かに暮せる社会を実現する。というものである。

この政治理念は、かって映画にもなった岩手県和賀郡沢内村の深沢晟雄村長の政治理念に近い。不透明な時代の中、長かった自民党政権の垢を洗い流し、国民主権の政治を願っているが・・・

1961年に岩手県境にある岩手県和賀郡沢内村は、国に先駆けて乳児医療費や老人医療費の無料化を行い、1962年には、とうとう乳児死亡率がゼロという画期的な記録を達成し、その後も幾度となく、乳児死亡率ゼロを記録している。

日本経済が高度成長時代に入った頃、その発展に取り残されたかのように「貧困・多病・豪雪」という三重苦を背負わされた村があった。

しかし、その村は、それらの困難の前にひれ伏すのではなく、村長の努力と村民の協力でそれらを逆手にとって全国に先駆ける輝かしい業績を築き上げた。南北28キロ、東西10キロ、面積288.47平方きろ、1955年当時人口6,713人だった。

かってこの沢内村は、乳児1,000人中69人が死亡してしまうという乳児死亡率が日本一の、また老人の自殺の多い村であった。そして、11月から4月まで5ヶ月間も雪に埋まり、外部と交通が隔絶される。

いわゆる「特別豪雪地帯」であった。1200世帯のうち生活保護世帯が125世帯、分所得が岩手県下最下位の貧しい村でもあった。ところが、沢内村では、1961年、国に先駆けて乳児医療費や老人医療費の無料化を行い、1962年には、とうとう乳児死亡率がゼロという画期的な記録を達成し、その後も幾度ともなく、乳児死亡率ゼロを記録している。

さらに、全村民の生命を守るために、晟増進、予防、検診、治療、社会復帰まで一貫した地域包括医療体制を築き上げた。いまや、沢内村は、「自分達で自分の健康を守る村」と評されるようになった。

まず、第一の秘密は、村長深沢晟雄(まさお)の政治理念の中に潜んでいた。
「こうした環境の中で郵便の配達も止まってしまう猛吹雪を恨みながら、石コロのように死んでいった病人を、余りにも沢山知っている。口に糊をすることもできない人達が、薬草と売薬を信じ、近代社会や、近代医療を嘲りながら死んでいった例をを知り過ぎほど私は知っている。生命の尊重されない政治や世相の縮図のように、私の村ほど露骨にこれを現したものも少なかろう。人命の格差は絶対に許せない。このことは感傷的はヒューマニズムでもないし、人権尊重という民主主義の題目唱和でもない。生命健康に関するかぎり、国家ないし、自冶体は格差なく平等に全村民に対し責任を持つべきであり、それは思想以前であり、まして政策以前の当然の責務である・・・」(深沢晟雄)

そして秘密の第2位は、深沢村長の行動力であった。彼は、部落座談会の開催によって広く村民の声を聞く公聴活動と、「広報さわうち」によって社会教育重視の広報活動とを具体的に展開する。

また、「引率指導型の政治」ではなく「演出指導型の政治」によって、住民が主体性を発揮させるよう努めてきた。豪雪を突破するにも冬期交通確保期成同盟なる組織を作り、実現させたのだ。さらに、第3の秘密は、村立沢内病院の医師や保健婦さんをはじめ、村民一人ひとりの粘り強い活動が深沢村長を支えていたからに他ならない。

特に、沢内村の老人たちは明るく元気である。1983年、国が老人保険法を改正し、老人医療費を一部有料化に踏み切ったとき、沢内村では、老人クラブ連合会が自ずから署名を集めて無料化の存続を訴え、ついに沢内村の議会は存続を全会一致で採択した。【(東京学芸大学・・成田喜一郎 教授)ブログ抜粋】

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2009年11月 3日 (火)

日本のアイデンティティー

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282_field111 昨日、鳩山政権初の衆議院予算委員会が行われ、自民党加藤元幹事長の質問で特に印象に残った「この国は何を目指すのか」「日本のアイデンティティーとは何か」の議論をすべきで、新保守主義、市場原理主義に力を注いだ小泉改革に疑問視してきた、加藤氏の発言は興味があった。

国の目標が見えにくくなったという現実がある。近代日本は明治維新からスタートし、国家づくりの目標に「富国強兵」を掲げた。しかし次第に「強兵」に重心が移り、極東の一小国が世界の五大強国に列するに至った。だが、太平洋戦争の敗戦によって、「強兵」の目標は大きな国家的犠牲を払って消え去った。

新しい目標を考える上で、国のあり方が問題となる。昔から日本人は、海という自然の境界線に囲まれて、島国の中に生きてきた。外国から侵略された経験もなく、日本人の遺伝子の中に組み込まれた国とか国境とかいう概念は、他の諸国と比較して希薄なのかもしれない。そのためもあって、国歌や国旗が使われるのはオリンピックの時だけという一般認識は、陸続きで国境を接している他の国とは全く異なる国民意識だろう。

今日、グローバリゼーションが進み、本格的な新しい時代に入って、「日本の顔とは何か、日本人のアイデンティティーとは何か」が明確な課題となってきた。さらには日本という「国」は日本人自身が誇れる国なのか、国際社会のリーダーたりうる資格を持っているのか、との課題が提起されている。

経済は昭和30年に経済白書において「もはや戦後ではない」と宣言したが、国のあり方を定める憲法は、いまだ半世紀前の「戦後状態」にあるといってもよい。改めて、日本のあり方の基本が問われる時代となった。

その意味で、昨日の加藤氏の質問に多くの国民は、心を揺さぶられたことだと思う。21世紀にふさわしい新しい日本の国のあり方について、検討することが強く期待されるところである。

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2009年11月 2日 (月)

人命救助

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08matukawakeikoku_koyo11 「救急救命隊」大きな災害などで、自らの危険を顧みず、人の命を救うことは人間にとって最も崇高な行為である。先だって、テレビで漁船「第1幸福丸」の転覆事故で、三人の乗組員を救出した若き潜水士が「絶対にこの人たちを助けようと思った」と記者会見で語る姿を見てあらためてそう思った。

潜水士になるのは並大抵の努力ではなれない。志願する全国の海上保安官から、年齢や体力などの適性を考慮して選ばれた研修生が約二カ月間、海上保安大学校で訓練を受けた後、国家試験に合格する必要がある。

そして、他にもいる、民間救急救命士たちの存在である。「自分だけ良ければ他人はどうでもいい」という現代社会の風潮の中で、「世のため人のために一人でも多くの人命を助けたい」という熱い志を、彼ら若き救急救命士たちは使命としている。そんな民間救急救命士たちの活躍も心強い。

人の喜びを我が事のように思える、「プライド」をもった若き救急救命士達の「元気」が、国民の救急救命士の認知度を上げ、また、かけがえのない命について、今一度考える機会になり、さらに救急救命士の活躍場所や職域拡大を私は願う。

誰しもが何時かお世話になるかも知れない。不安定な社会・何が起きてもおかしくない時代で、救急救命に係わる仕事の重要性を再認識した。
 

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2009年11月 1日 (日)

若さと老いとの交差する秋

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09_12801 若い乙女が色づいてきた街並みを、息を弾ませ駆け抜ける。八王子市中学校の駅伝競走大会が南大沢で行われた。街路樹の錦秋の美しさに見とれていると、さーっと吹きぬける風に、目の前の木々がはらはらと木の葉を散らせていく。季節の移ろいは無常であることを思い知らされる。

飛び散る額の汗に、髪をなびかせて青春をたゆがらせいるようで、残り少ないプラタナスの葉に息を吹きかけているように何故か深まる秋を一段と催促するように感じられた。

なにげないことだが、人間の生命力に、限りを感じる今日この頃である。秋の日のこの時期に、もの思いにふけることがある。それは過ぎし日のことであったり、ふと感じる自分の老いである。

今朝方は北風の冷たさに思わず襟をよせ、身を震わせてしまう。しかし、天気予報どおり午後から陽射しが戻って真夏を思わす暑さになった。小春日和の暖かさを感じながら、熱く燃えた夏の日のことや、遠く過ぎ去った、ずっと昔の青春時代をふと思ってしまった。

家に帰ったら、孫の七五三でお祝いの家族四人でお宮参りの帰りに家に寄り、昼食を一緒にとりながら、大きくなった孫の姿みてますます、自分の老いを感じ、侘しさ、寂しさを感ずには入られなかった。しかし、祝ってあげられる幸せも感じた。

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