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2009年9月

2009年9月30日 (水)

感動の心の伝え方

07tamurano_yuhi31自分の意思を正確に伝える。美辞麗句ではなしに、素直に感動した心を訴えるこが上手にできない。話し方・書方で聞いたり、読んだりして、心が揺さぶられ、何時までも心に残る、話し方、文章の書き方をすることが、芸術?なのかも知れない。毎日、拙いブログを書いていて何時も思う。

ありきたりな言い方しか思いつかない、ありふれた例えしかできない。あるいは、こんなに感動したのに、それが上手く伝えられないもどかしさ・・・

そう思うということは、もっといい表現があるはずだ、もっと読む人の心に伝わる言葉があるはずだ、と感じているということである。表現力はその人の人間性の評価され、人間像として人々に捉えられる。

これは、ある人の表現の例であるが素晴らしい表現だと思い記してみた。

木の芽    未来が湧き出す瞬間
雨  世界を遠ざけるスクリーン
夜  世界をもとの住人たちに返す時間
野原  虫と仲良しなら最高級のカーペット
桜  今死ぬのでないなら来年まで生きていたい
雪    鎮静効果がありすぎて心騒ぐ
紅茶  時間の流れをゆるめる呪文
寝床  死に近いので生の基本
遠い囁き  あるかなしかの微風
クッション  重力が強すぎるときの頭の支え
とうふ  泳げないくせに水の中が似合う
ガラス  流れ落ちる時間をぎりぎりでとどめているので、瞬間の衝撃に弱い     
草の芽  季節と連続性の一部であって未完
ぬるくなった白ワイン  老人の微苦笑

頭の使い方に慣れるために、気が向いたときにゲーム感覚で言葉遊びなども面白く研究して見たい。

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ワークライフバランスを考える

07bonchi_asayake_hi11「ワークライフバランス」という言葉は、「仕事とプライベートの調和」という意味で、もっと簡単に言うと、仕事を効率よくこなしながら、プライベートの時間を充実させて、最終的に「仕事とプライベートに好循環をもたらそう」というものだ。

不況と言われるこんな時代、仕事もプライベートもしっかり充実させてスッキリした気持ちで毎日を過ごしたいのは現役世代の方の考えであろう。

国際的にも意識が高まっている「ライフワークバランス」。 端的に言えば、幸せな人生を送るために、自分の価値観に合う働き方、仕事と生活の調和を考えようという概念だ。

労働者のホンネは至ってシンプルで「働きやすい会社で働きたい」ことだ。有給休暇の取りやすさ、勤務時間の自由度、勤務地の選択制、職種の選択制、子供の急病時における看護休暇などであろう。

ライフワークバランスが叫ばれるようになった要因としては、不況のあおりで、操業短縮・ワークシャリングなどで勤務時間が短縮される一方で、超過勤務が多くなっている人も多いようだ。

年老いた両親の介護の問題も深刻な問題となっている。また年間百数十人と、ここ数年高水準で推移している「過労死」問題、国家公務員に5日の産休制度があるだけで、一般企業における育児休業の取得は低いのではなかろうか、男性の育児参加はまだ低く、一般社会認識も、薄いことも問題と思う。

世界同時不況で底が見えない景況感、これまで国際競争の渦中にある企業側に一律で改善を求めるには限界があるだろう。

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孔子の言葉に現代人は・・・

06oga_toga11「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」

私は、寿命が延びた現代人にも通用する名言と思う。
サラリーマンの一生に例えてみると。

15
:志学 義務教育も終えた頃からやっとの事「勉強しておけばよかった」と身にしみて思い始める。

30:而立 仕事も一通り覚えて「俺は仕事が出来る」と自分では思いはじめる。

40:不惑 本当に仕事が出来るのはこの頃から・・・。

50:知命 定年が見え始め、これまでとこれからを眺めてみて「これが俺の人生」なんて思い始める。

60:耳順 働き蟻の様にがむしゃらに働く必要が無くなって人の言う事に耳を傾ける余裕がでてきた頃。

70:従心 年金を貰って生活していくうちに、礼節の意味を知り、重んじるようになる。

私は70歳を超え、自分の人生を振り返ってみると、それなりに生きてきたと思う。この孔子の言葉を口にした時、果たして、現代人に、受け入れられるか考えて見た。現代人は意外と、年功序列型を希望しているようで、子の言葉はまだまだ通用しそうだ。

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2009年9月29日 (火)

近江商人のモットー「三方よし」が大ブーム

08ringo_tyoukai11 NHKラジオ深夜便で、同志社大学教授の浜 短子氏のインタビューがあった。中々面白いと思った。まさしく、日本発の発想で、これから世界経済の理想理念である。近江商人の行動原理が注目を集めているのだという。

今、「三方よし」という言葉が流行っているそうだ。江戸時代、近江商人は「我よし、客よし、世間よし」と3方面が喜ぶことを行動原理としていた。これが稼業繁栄の基礎であるという。

それが改めて今世界的にブームになっているという。三方がよければ必ず丸く治まるとは限らないが、いずれにせよ、こういうことに人々の目が向いているのはひとつの面白い現象だと思う。 どんな枠組みを作ったって、人間の根性が悪ければいくらでも破ることはできる。究極のところは、やはり人間の精神・知性、見識だと言うことだ。

システムさえよければなんとかなる話ではない。仏作って魂入れずではダメ。辿り着くところは、やはり経済活動は人の営みだということだと思う。

人の営みである以上、人の心意気の有り方が基本になる。「信用」は英語では「クレジット」。人間が人間を信用することが経済活動のスタート地点である。

先に行われたアメリカピッツバーク行われれた「2009 G20、金融サミット」で、各国で、世界経済の不均衡是正へ政策協調で一致したが、これで不況脱出の窓口は見えたとは言えない。

保護貿易の考えは拭いきれない。日本の近江商人の行動原理「三方よし」を世界各国が意識し行動を起こせば、起こさねば、気候変動抑制・世界経済の発展はない。

世界の「ジャングル化」を推奨ている人がいる。開発が進んで砂漠化よりも、弱肉強食の世界が多少あっても、潤いのある人間社会の方が良いということだそうだ。何れにしても、環境破壊防止は待ったなし、人間が安心して住める地球があって、経済活動がある。

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友愛の淵源と鳩山友愛思想

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05sikotuko31毎日、ゴミ拾いをしながら、どうしたらゴミを捨てる人がいなくなるのだろう?と考えて見たら、日本の教育に欠陥があったと思う。そして、鳩山由紀夫首相の「友愛」とはを、連想してみた・・・。「苦しい時・楽しい時に一緒に喜べる人間社会」だと思う。すなわち、相手を思いやる精神で国の再生を志しているのだと解釈した。

そして、相手を思いやる心があれば、捨てる人はいなくなる。家庭の躾・教育(家庭・地域)大切であるのだ・・・。平和な住み良い社会は創られる。

最近、自分さえ良ければ、の考えが多くなり、世の中、冬でもないのに「心」が寒風が吹き荒れてしまっている。地球的にみても、グローバル経済に発展し人々の激しい交流時代である。しかし、保護貿易論が出たり、アメリカの一国支配の力で制圧するという思想が依然根強いように見られる。

「鳩山由紀夫後援会」 Web siteより、「友愛の淵源と鳩山友愛思想」を開いてみた。鳩山一郎氏の政治信念であり、孫である由紀夫首相が提唱している思想である。

その目的は、「母性愛」を根源とする人格の尊重が基調であり、相互尊重、相互理解、相互扶助によって、新しい価値と夢のある未来を拓くために、人種、宗教、民族、国家、言語の壁を超越して、人間と人間、自然と人間との共生を目指して恒久的な世界平和と人類の幸せを実現することです。

1953年鳩山由紀夫代議士の祖父鳩山一郎氏が戦後の混乱から日本再建の為、自らの政治信念に従い友愛思想を提唱し、1954年内閣総理大臣に就任した後の1955年には対立していた保守をまとめて、保守合同を達成いたしました。

その信念は鳩山由紀夫代議士の父鳩山威一郎氏から、鳩山由紀夫代議士へと受け継がれております。

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2009年9月28日 (月)

幸せを感じる心

24191人生の究極の目標は【幸福】である。「幸せになる」ということは、「幸せを感じて暮らせるようになる」ことだと思う。

幸せそうに見える人でも、本人が幸せを感じることがなく、「自分は幸せだ」と思っていなければ、その人は幸せではない。

幸せを感じられない人は、幸せにはなれないのではないでしょうか。また、一時的にではなく、日常的に幸せを感じられるようになることが重要である。そして人々にその幸せを、分け与えることだと思う。

「幸せを感じる心を養う」事が人生修行だと思う。それは肩に力を入れず、どんなに忙しくても、心を落ち着かせゆったりとした心で顧みる余裕を見出すことであると思う。

・・・故松原泰道の言葉・・

「それにしても現在は、あまりにも忙しすぎます。みんな何かに振りまわされ、ものごとをじっくり「観察」するゆとりもなくなっていますし、自分の内面を見つめる余裕もなくなっています。」

「潤いのない、ぎすぎすした多忙なだけの人生では、あまりにも寂しすぎます。自分を考え、他者を気遣うだけの心のゆとりをもちたいものです。」

「ゆとりは、人生の充実のためにあります。ゆとりのなかで、自分は何のために生まれてきたのか、どう生きるべきかを大いに思索すべきでしょう。」

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鳩山首相の外交の評価は・・・

15401 20年までに1990年比25%の温室効果ガスを削減するという。鳩山由紀夫首相の国連総会での発言は、実現性は、日本の産業界をはじめ各界から疑問視する人は多い。しかし、政権交代による日本の「変化」を国際社会に強く印象づけたことは「鳩山外交」の成果と言えるだろう。

潘基文(バン・ギムン)国連事務総長は「首相の指導力によるもので加盟国から大変好意的に受け止められている」と評価し、オバマ米大統領も日米首脳会談で首相の「勇気」を称賛したという。

25%削減の慎重論がある。首相は国民合意の形成へ重い宿題を背負った。今までの自民党政権にはなかった。世界各国の首脳会談でもなかった、インパクトのある印象があったようだ。

日中首脳会談で提案した東アジア共同体構想は、米国の位置付けや日米基軸とのバランスなどの難しい問題もある。「開かれた地域主義」の原則を踏まえ、あせらずに取り組む必要があるのではないかと思う。まさしくローマは一日で成らずである。

ロシアのメドベージェフ大統領との会談では、懸案の北方領土問題解決に向けた平和条約交渉を促進するため外相レベルの定期協議を開始することで合意した。これも政権交代の効果といえるかもしれない。

一連の発信で首相の意気込みは各国首脳に伝わったことだろう。問題は発した言葉をどう実行に移すかであり、国際社会もそれを注視している。今後は現実政治の中で、連立政権トップとしての調整力と指導力が問われることになる。

昨日は、東京・両国国技館で大相撲秋場所を、幸夫人と観戦し、優勝した横綱朝青龍に自ら表彰状と内閣総理大臣杯を手渡した。

首相は土俵上で表彰状を読み上げた後「きょうは朝青龍関の誕生日です。おめでとうございます」と祝福し、観衆を沸かせた。続いて重さ約40キロの総理大臣杯を介添人の助けを借りながら授与した。

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大いに反省する

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Sunset51昨日は前の日に、ホームセンターで買った町会の建物(小屋)に使用する品物を返品するという行為を初めて行った。屋根用のビニール用(なまこ・2尺×6尺)16枚である。金額は9600円ぐらいだが、関係者に指摘されて返品してお金を払い戻したのだ。

軽トラで運んで貰い買い、返品も運んで貰うという、私の無知からの出かしてしまったものであるが、よく協力して貰い大変有難かった。

朝、7時30分と早かったため、品物は受け取ったのだが、返品代金は、9時からということで、9時過ぎに、行き代金を受け取り、無事、一件落着した。そして、新たに普通の金引き波板を買って来た。

よく考えると、自分の勝手の思い込みで、何人もの人に迷惑をかけてしまった。買い物を任されて、簡単に引き受けてしまって、大いに反省している。しかし、返品という処置をしてくれるという事を始めて知り勉強になった。

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2009年9月27日 (日)

火葬だけする「直葬」とは

0008umaoi11J-castニュース・・・で・・「直葬」が増加 不況、核家族、価値観多様化が背景で、通夜、葬式をやめて、火葬だけを行う「直葬(ちょくそう)」を希望する人が増えているという。

通常の葬儀だと費用は100万円を越す場合が多いが、直葬なら20、30万円ですむ。不景気の影響で費用を浮かせたいという遺族が増えているほか、家族に迷惑かけたくないという故人の意思で行う場合もある。

いまのところ葬儀全体の2割程度だが、葬儀に対する考え方が多様化し、核家族化も進むなか、今後はさらに増えそうだ。

通夜や葬式を行う葬儀の場合「火葬プラン」ならお坊さんが行う簡単なセレモニーがついて21万円でできるそうだ。「必ずしも経済的な理由とは限りません。核家族化が進み、参列者が少ないという場合にも火葬プランが選ばれています」ある葬儀屋さんの話。

火葬、葬儀場でのセレモニーを1日で行う「一日葬」というプランもある。費用は50、60万円くらいで、こちらも需要が伸びているそうだ。

昔は、結婚式や葬式は家で行うことが多かったが、隣近所や親戚などお手伝いで多くの時間をかけて行われたが、核家族化と、隣近所の付き合いの度合いが薄くなり、大きく価値観が違ってきた。

人間の最後のセレモニーである「死」と、「生」にドライな考え方の人が多くなったことと、実際の生活が余裕がないことかもしれない。「直葬」が2割ということだが、これからこの数字は上がって行くだろう。

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薄暮の想い

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08yokotesigai_yuukei21_2九月も終わりに、近づき爽やかな秋風が通り抜けていく、夕方はちょっと肌寒い。

静かな湯殿川の堤防コンクリーとに肩を並べて若者カップルが座って夕日を眺めていた。

そんな光景を見ながら青春時代にプレイバックしてみた。私は目を閉じそんな楽しい時代が自分にはあったのかな???と密かに
昔を思い出していた。

薄暮の水面をつがいの鴨が今日のねぐらを探している。誰にも邪魔をされない、安心して眠れ、干渉されないねぐらを探している鴨の夫婦の光景をみて・・・。

繰り返し春夏秋冬の一年の山あり谷あり人生は、早く感じられてしまい、一日を大事に過ごせねばと・・・。現代は人間社会の変化の速度が一時代前と比べると加速しているような気がする。一年の変化が十年に匹敵しているようだ。つまり、変化に取り残されると・・・・

この時代を生き抜くことができないのではという錯覚に陥ってしまう。「昨今の社会の情勢は混迷の度をいっそう深め、激動の時代をむかえた」と、異口同音に現代人は叫び続けている。しかし、山川草木、万物は静かな生き死にの流れの中にあり、悠々に無常のの時を刻んでいるのです。

大地はには小さな花や昆虫が、生命を営みをみせている。生死を憂えることもないから生老病死の悩みもない。この大地には金も名誉もない、悠久のの生命の流れがある。

人間だけが心身を悩ますいっさいの欲望、っすなわち煩悩により、自分の足下すらみえず、歩むべき方向を見失っている人が多い。現代人の多くが日常のストレスを感じている、人間社会しか見えないが、今日のような四季の移ろいをの美しさに感動する心を失ってしまったのだろうか・・・。

人間社会のしがらみにしか生きる空間を持たない心の悩み多き人々が今日も人間の社会をさ迷っている。

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2009年9月26日 (土)

事故調報告の漏洩

07_sl_kurosawa21 えー!何だ!!、被害者・被害者遺族のみならず、これを知った多くの国民は怒りと、呆れるこの処置には、開いた口が閉まらない。中立公平でなければいけないことは、小学生でも分かる。

耳を疑うような事実が明らかにされた。2005年のJR宝塚線(福知山線)脱線事故の原因究明にあたっていた国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現在の運輸安全委員会)の委員の一人が、最終報告書を公表する前に、その内容を最大の当事者であるJR西日本に伝えていた。

漏らした元委員の山口浩一氏は、山崎氏の旧国鉄時代の先輩にあたる。報告書づくりの最中に山崎氏の求めで何度も会っていた。調査状況などを教えただけでなく、報告書案の一部のコピーまで渡したという。

委員は職務で知った秘密を漏らしてはならない、と法律が定めている。今回はそれを、よりにもよって調べられる側に漏らしたのだから悪質だ。委員会の中立性を揺るがし、報告書全体の信頼性まで大きく損なってしまった。

山崎氏の責任も、むろん大きい。当時、事故の背景や原因として、JR西日本の日勤教育や余裕のないダイヤ、現場付近に新型の自動列車停止装置(ATS)が整備されていなかったことが指摘されていた。これらについて、事故調がどんな議論をしているかを聞き出そうとしたという。

厳正中立が生命線である事故調査機関への信頼を根本から裏切る行為で、許されない行為だ。こんな事実は他と省庁にもあるのではないだろうか疑いたくなる。今回の事実が公表に至ったのは、政権交代とかかわりがあるのだろうか・・・。

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コスモスと澄みきった青空

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2054421_2 抜ける空 コスモスの花 高く揺れ

家の前の湯殿川の河川管理道路(300メートル)にコスモスが前の年の実がこぼれ春先に一面に芽を出し育つので、間引きをし雑草を取り除くのである。期間は4月から9月ごろまであるが、花は早いもので5月から、黄花コスモスが咲き出してくる。

夏の暑い期間、雑草の除草とコスモスの間引きが1週間一回ぐらい行ないとしっかり秋に咲かない。近所の方で手入れをしてくださる人がいるので殆んど二人で行った。

黄花コスモスはもう咲き終わるが、普通のコスモスは今が盛りである。白・ピンク・赤の花は人の背丈より高くなり見上げるぐらいになってしまった。そのため、雨・風に倒れてしまうので、フェンスに紐で結わくのである。

通路は、通勤・通学・買い物など、生活道路となっていて、多くの方にコスモスの花を楽しんでいただいている。しかし、心無い人がいて食べながら歩いてタバコの吸殻や、ゴミを捨てる人、空き缶・ペットボトルを捨てていく人がいて、毎朝拾っているのである。

片倉町の名所の片倉城跡公園が川向こうにあり多くの方が、散策にきている。東京都の河川維持課、のご協力頂き、最後のコスモス処分をお願いするのである。

夏らしい夏がなかったと言われる今年。秋も短くてすぐ冬になるらしい、などという噂も聞く。それでも、このところ晴れると空が高く、ついぼーっと見上げてしまう。ここ数年、秋晴れの散歩しながら、確かに眩しくて強い。

高く伸びて見上げるくらいになったコスモスが秋風に揺れている。どこかで百舌の鳴き声が聞こえてくる。真っ青な空が抜けるようである。

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2009年9月25日 (金)

9月という月(September)

Misansyo040912brsz19月という月は人間、誰しもがふと我にかえる月、真夏の狂騒が静まり、そぞろ「もののあわれ」を感じる季節である。秋の風情をうたった歌は数多くある。セプテンバー」、「セプテンバー・レイン」「小さな秋見つけた」「赤とんぼ」等々、欧米や日本の曲を問わず秋の歌は沢山ある。

日本人の実行動は、長かった夏休みが終えて学校の2学期が始まった。今週は「全国交通安全運動」でもあり、私も交通指導員で7日間出動する。今年は、鳩山由紀夫民主党政権の国際デビューでもある。国連総会での演説は、自分の言葉で話され、アメリカはじめ、各国の記者の評判はいいとの事である。

そんな社会状況の中で、自然の移り変わりは確実、移行している。暑い日は減り代わりに冷気を感ずる日が増える。昼と夜の長さがほぼ同じになることで、この日は秋彼岸のでもある。

私たちが植えたコスモスが見事に咲き多くの人の目を和ませている。そして湯殿川原にはすすきが、風で白い穂を飛ばし、女郎花の黄色い花・我が家の藤袴の花も咲き出した。今朝も田園の見える通路を散歩し稲の穂が垂れて実がふっくらとしていた。小高い丘の栗林は栗の実が弾けて落ちていた。

自然の移り変わりと人間は心身ともに、上手に捉え生きて来た。この永遠に続く地球を人間の知恵で、安心して暮らせる社会を作ることで一人一人が目標に向かって生きていくために気分を入れ替える月だ。

今朝、こんなことを重い浮かべて散歩した。ちょっと半そでは寒いくらいであった。

【作詞】サトウハチロー
【作曲】中田喜直

1.だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた
   目かくし鬼さん 手のなる方へ
   すましたお耳に かすかにしみた
   呼んでる口笛 もずの声
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた

2.だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた
   お部屋は北向き くもりのガラス
   うつろな目の色 とかしたミルク
   わずかなすきから 秋の風
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた


3.だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた
   むかしのむかしの 風見の鳥の
   ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
   はぜの葉あかくて 入日色
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた

この歌を聴くと涙が浮んでしまう。何故だろう、でも好きである。

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鳩山首相の国際デビュー

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08yokotesigai_yuukei21鳩山由紀夫首相はニューヨークで22日開かれた国連気候変動サミットで演説し、温室効果ガスの排出量を1990年比で25%削減を表明。以前より大幅に上乗せされた高い目標が国際的なメッセージとして発信されたことに対し、賛否両論の意見が寄せられている。

鳩山由紀夫首相は、華々しく国際デビューした、ニュースを読んで、この世界は「光と影」で構成されていていて、自然現象も、人間の心も同じであると思った。そして、以下のように連想した。

この地球上の起きている「光と影」があって、光り輝いている人もいるが、影で支えている人・また泣いている人がいる。今 歓びも哀しみも心が感じ伝え心が受け止める。

「光と影」は表裏一体・・・・光とは人の外面、光を人に喩えると、心よりでて人の外面に顕れる輝き・・・影とは人の内面・・・影を人の喩え・想いなど、奥深くから外面え輝きもたらす心・・・。「光と影」はその姿は違うけれど、どちらも同じもの、共にありその存在を認め合って成り立つ・・・。

もし、光だけの世界であったら、全く何も見えない。影があるからこそ物が見えるのである。逆に影だけの世界であって、明かりがなければ何も見えない。

人は、光と影があってこそ可視領域で視覚を生かすことが出来る。光と影が共にあって、それぞれの存在を認め合うことが出来る。よく喩えられるのは、光は正義・・・。影は悪・・・。しかし、そうではない、光が正義であり、悪でもある。そして、影が正義であり、悪でもある。

「光と影」は、人が認識できる自然界で様々な色や輝きを見せてくれる。それを、人は目で見て楽しみ感動すると同時に、その姿を心でも見ることが出来る。

実際に見えている以上の深い想いを抱いて、それぞれの人の感性により異なった姿、実際に見えない姿をも捉えることが出来るのである。

とまれ、鳩山由紀夫首相の国際デビューは華々しく行われた。日本の政治理念は影を照らし、暖かい光を当て輝きを与える指導的役割を果たし、そして「共存共栄」が出来る地球環境を作りに期待したい。

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2009年9月24日 (木)

変化する日本語

10247681J-CSTニュースでこんな記事を見たので記して見た。こんなに日本語が変化しているとは驚いてしまう。

インターネットの登場によって、新たな言葉が急速に拡大している。そんな中で、gooランキングでは「よく見かけるけど意味がわからないインターネット用語」を取り上げている。このランキング、わかる人はどれほどいるのか。ここまでくると日本語じゃねぇよ――そんな声もある。

『NTTレゾナント』が運営する「gooランキング」は2009年9月14日、「よく見かけるけど意味がわからないインターネット用語ランキング」を発表した。

1位 「かゆ うま」・・・次第にウィルスに感染される様子をあらわしたものとされる・・・

2位 「最中(もなか)」・・・信憑性は高いが本当かどうか分からない話を指す・・・

3位 「野生の~」・・・プロ級の腕を持つ人を称する・・・

4位以下には、「やる夫」「JK」「情弱」「スイーツ(笑)」「リア充」「中二病」「wktk」と並んでいる。ネットに精通していない人にとっては、全く何のことなのか意味がわからない言葉だ。

4位以下の 「JK」・・・「女子高生」のことではなく、「常識的に考えて」のアルファベットの頭文字 「スイーツ(笑)」・・・気取っていることを指す。 「リア充」・・・実生活が充実していることを意味 「情弱」・・・情報弱者のこと。

「上位に行くほどわからない言葉が多かった」「2位だけしらん」「日本語って本当に難しい」「ここまでくると日本語じゃねぇよ」「意味は分かったけど…どう使えばいいのかわからない」などと約2000件が書き込まれ、話題となった。

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感情の動物「人間」

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07akitakoma_sumire11昨日、多くの人と話す機会が多い公職を持つ方と話すことが出来た。その方に、嫌な人、気が合う人、つまり「好きなタイプ・嫌いなタイプ」がいるだろうが、そのとき感情的になる場合あると思うが・・・と聞いてみたら・・・いますよ!どうしても人間だから顔に出てしまう・・・といい・・・修行が足りないとも・・・言っていた。

毎日、誰かと会話をし、毎日、自分の気持ちをどれくらい感じて生きているかを、考えて見た。

『喜怒哀楽』、「感情」これはすべて人間が持ったすばらしい感情である。『感動』というと、喜びや楽しさを連想する人が多いと思うが、怒りや悲しみも実はとても大事な感動の表現である。

普段あまり怒ることがない人、泣くことがないという人は結構いる?・・・。でもそれは自分の中でいろんな言い訳をつけて気持ちをごまかすか、毎日の忙しさに追われて感じる暇などないのかもしれない。

昔から、積み重ねでたまった怒りや悲しみの感情は、心の中で悲鳴をあげて体に症状として出てきたり、また日々起きる出来事を通して知らせてくる場合がある。そのことに気づくためにも毎日15分でも自分の心を感じる時間を作ってみると・・・。

『あ~私はこんなことでこんなに傷ついていたんだ』『こんなに赦せないと思っていたんだ』ということに気づいてくるはずである。

そんな赦せない気持ちを、自分で反省し、理解するように、ゆっくりと時間をかけて赦していく事である。自分の心は自分でしか感じることが出来ないのだから・・・。

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2009年9月23日 (水)

立って考える

Hiroshima101人間考えるときは、寝て考えてもいい結論は出ない。立って考えろと誰かに言われた覚えがある。生きて行くに娑婆には悩みは尽きない。「苦の娑婆」とも言う。とりとめもない「苦の娑婆」を乗り切るには・・・など今朝散歩しながらか考えてみた。

私たちは生きていく中で、色々な苦しみや苦難を背負って生きていかなければならない。苦難と立ち向かっている。その苦難や問題そのものも辛いことであるが、何より辛いのは、それを一緒に背負ってくれる人がいない、共に悩み共に涙してくれる人がいないということではないだろうか。

試練や苦難をたった一人で背負いながら、悩んでいる、だからいっそう苦しく辛いものとなるの。あてにしていた人が、いざとなると頼りにならず、友達と思っていた人が、肝心なときには助けてくれない、そんな中で私たちはいっそう苦しみ、悩んでしまうのである。

そんなに苦しんでいる唯一の心の支えは宗教である。苦しい時の「神・仏」である。神・仏を信じることが苦しんでいる人たちにどれだけ助けられたか計り知れない。

私たちが一人で悶々と悩んでいる苦しみを、神さまはご自分の苦しみとして一緒に悩み、苦しんでくださるという。それだけではなく、私たちの所に神さまの助けを送り、支え、励まし、守ってくださる。
 
一人で悶々と悩むとき、そこに神さまの共にいて一緒に悩み、苦しんでくださる、そうして悩む自分が、神さまにしっかりと支えられ生きられる。このことを実感でき、背負われて何とか幸せの淵にたどり着き、一人で解決できる勇気と知恵を授かり、生き続けられるのだ。

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りーダーと・リーダーシップ

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06oga_toga11町会の所有物で物置を移築するため、町会役員で既物置の素材の使用可否(修理・修理不要)を調査したが、皆んな素人で始めてしまった。

そんなボランテアをしながら、「リーダーとは何か」を考えてみた。

安い費用で町会で「物置を作る」という目標・目的に向けて、インフォーマルに動員したのだがどうも、ハッキリしたリーダー不在?で指示・命令が、タイミングよく出せない。

物置を移設する目的を、達成するために効率よく、仕事を進めるにはどうしても、経験・技量を有する者の指示が必要である。

インフォーマルの集った人はエキスパートの人間はいない、その中で経験がある人を働きやすくすること、一人ひとりの個性を生かし、纏め上げることが大事である。感情的にも配慮する必要性を感じた。また、そんな個性を感知することが大事であると思った。

辞書で「リーダーシップ」引いてみたが、その中で・・・
[リーダーシップの機能は、(1)目標の明確化と目標追求の維持、(2)目標達成手段・資源の供給・補給、(3)集団構造の構築と維持、(4)集団行動の促進、(5)内部結束とメンバーの充足感維持、(6)欲望の調整、組織活動の促進、である。]

[リーダーは、合理的最適点とメンバーの充足点との距離を念頭に置いて、有効性の達成と能率の達成とに限りある資源を配分し、二つの均衡の最適臨界点を模索する必要がある。]

ちょっと、昨日は、「烏合の衆」の感じで、非効率的な仕事を反省してしまった。

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2009年9月22日 (火)

スピリチュアルとは

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Galleryplayer6_cosmosスピリチュアルという言葉の明確な日本語は存在しないようである。辞書では=米国で、民衆の中から生まれた宗教的性格をもった歌。ブラックスピリチュアル(黒人霊歌)・ホワイトスピリチュアル(白人霊歌)・ゴスペルソング(福音賛美歌)など、となっている。

精神世界や霊的、霊性と言ったりするが、普通の意味としては元来は宗教的な事柄ではなく、人間として生きることに関連した経験的側面で、身体的な感覚を超越して得た体験を表す言葉だと説明されている。

それは五感+αで感じ取ったものということで、一般的には有名な画家の絵や作曲家が作った音楽と接する時に五感以外に作者の情熱や思いを感じることがよくある。こういう感覚も一種のスピリチュアルと言えるのでは・・・。

私たちは、日頃を何気なく生きているが、ふとしたきっかけで、何かに生かされていることに気付く時がある。それは両親や祖父母また、先祖があっていま生きていられる。そして、自然の恵みのお陰とも言える。もっと超越した、この世を越えた神仏や聖霊などのお陰と感じる方もいるだろう。

そう考える時に深い感謝と賛美の心が自然と湧いてくる。 このような考え方の傾向を霊性という、常にそう考えて生きることが霊的な生き方と言える。最近ではこういう内容が自己啓発や、一種の癒しにもなるということからセミナーや施術的なサービス、そして具体的にそれらを体験、体感するといった能動的な内容のものがブームでもあるようだ。

しかし、この考え(五感+α=霊感・霊的)を深入りすると、危険な穴に入り込んで抜け出せなくなり、日常生活に支障をきたすと言われている。

肝心なのは、いま生きていられることの幸せは、多くの先祖があって、生きていられる、ということを心の隅に置いとくことが大切あり、生きていることを素直に喜び、感謝の気持ちを忘れないことだと思う。今日は彼岸中でもあり考えてみた。

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2009年9月21日 (月)

完璧ということ

05sikotuko31今朝フッと頭を浮かんだ。

「完璧なもの、完璧な人、完璧な人生。求め過ぎると苦しくなる。不完全なもの、不完全な人、不完全な人生。受け入れると愛しくなる。あなたは、あなた以上でもあなた以下でもない。あなただから愛おしい。」

「完璧」を辞書でみると、「欠点がまったくないこと。また、そのさま」とある。純度100の完璧を求めることは不可能で、神や仏ではない、大気を吸って生きている生物である。

その純度は70㌫なのか80㌫なのか純度による。ゼロデファクト、人間が作った精密機器でも、完璧はありないし、障害は完全には防げない。だから人間社会では、法整備などで被害をできるだけ小さくする事が出来る。世間一般の認識・価値観が夫々違いがあり。

不完全な人間の集まりで、社会は構成されていて、悲しみ・喜び・怒り・妬みなど、つまり3毒「妬まない」「怒らない」「愚痴らない」という3毒取り除く努力を重ねながら一生を送り、そのこと忘れないで生きて行かねばならない。

 

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要領の上手な人悪い人

287_field111世渡り上手=要領が良い=ずるい人?

昨日、地域にイベントを、役員が10人足らずで、恒例となっている「敬老の集い」を行なった。私は要領が悪いと反省するのだが、何とか大過なく終らせる事が出きほっとしているが、責任感があってのことか、また、準備を任され心身とも疲れた。(旨くいって当たり前、ちょっと失敗したら大目玉である。)

そこで要領よく生きるということを改めて考えて見た。
要領よく生きてきた人は、要領のいい人にひいき目であり、悪い人には罵声をあびせる。

私も馬鹿を扱うように人前で恥をかかされるようなことを言われたことがあったが、相手は突発的言動が多いと思う、だから正確ではないこともある?堅実に冷静に対処していれば、要領いいだけの人も多いし、要領悪いのも利用価値はある。結構要領悪く生きてきた人は、要領悪い人にひいき目だったりする

知識や知恵があれば、要領は大差無いような気がする、取り合えず知識を身につけると知恵も身につき、生きやすくなるのではないだろうか・・・

仕事のやり方を分かっている人なら、一見手抜きをしているように見えるのを「要領がいい」なんて言わない。なぜなら手抜きが出来ると言うことは、仕事の本質を捉え、効率的に作業をやっている証拠だからだ。本当に手抜きをしていれば、当然結果に表れる。

同じ結果ならば、作業は楽で短い方がいいに決まってる。「アイツは要領がいい」等と陰口をたたく者は、大抵は自分の非効率さを棚に上げている「給料泥棒」である。そしてそのことを指摘すると「俺だって一生懸命努力してるんだ」。

その相手がそつなくこなせる点を見て、自分はそれをできないという劣等感が刺激され、うらやましいと思う反面、自分の欠点があらわになるので、それをかばおうと自己防衛機能が働いて、相手を世渡り上手で嫌な人と攻撃する。嫌な人と相手を低い評価をする事で、自分の自尊心を保持することができ、心のバランスを保つということだ。

世渡り上手という定義にもよるけど、相手が本当に卑劣な手段で人の足をひっぱるとかなら否定されるけれど、自分の評価を高めるため、周りとそつなくやっていくためにしていることなら、認められるし評価もできる。

ひがむ人は概して努力不足なところがよく見られる。怠慢であったり、努力の方法が分からなかったり、努力することが分からなかったりする傾向がある。ひがんでいる人の顔の表情はネガティブな感情でゆがんでいることが多い。

世渡り上手な人がいてねたむ気持ちが芽生えたら、少し距離を取ればいいと思う。いい部分は取り入れてみればいい。そして努力してみる。人はそれぞれ。得意なこと、不得意なことがあるから・・・。

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敬老の集いに思う

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2008102200000003maisocithum0001 昨日は、私の住む町(片倉一丁目町会)で敬老会(敬老の集い)を崔した。70歳以上を対象に人数を確認して、210名だったが、実際にはもっと多い思う。自己申請で申請しなかった人を含めると260名ぐらいになるのではないか?・・・。

3週間前から、記念品の手配を行い、婦人会の方に、二日前から手料理をするために材料の買出し、煮炊きをしてもらい。立派な美味しい料理が出来た。2時間の歓談と、カラオケ大会など飲食を共にし、大いに盛り上がって楽しいひと時を過ごしていただきました。

私たちの町も、少子高齢化が進み、子供の遊ぶ姿を見る数が少なくなった。そして悲しいことに毎年十数人が亡くなられている。

老人(65歳)といわれる方は増える一方で、元気な方で、仕事をしている人が多いように思える。そのため、老人会(当地区は福寿会)の組織があるが、会の人数は少ない。

まして、町会の主たる組織の町会の役員・交通指導員などの役員に成り手がいなく、困ってしまっている。一旦役員を止めるに辞められないので、役員の万年化が進み会の維持さえ心配となってきた。こんな状況は近くの他の町会も同じようで、大きな社会現象であるのが実感である。

そんな中で、行事の準備などでも、役員の中で、勤めで出られない人がいたりするので限られた人の負担が大きくなり、自分もその一人である。

自分も70歳を過ぎお祝いされる一人であるが、お祝いされるどころか、気を使い身体を使い、心身とも疲れ果てた状態であった。

よく考えて見るとちょっとこの現象はおかしい。毎年同じ事でなく、出きる範囲の企画で行うことだと思え、一人の人に負担が掛からないようにしなければとおもう。

もうそろそろ私も役員をリタイヤし、選手交代の意思を表明しようかと思う。

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2009年9月20日 (日)

悩んで苦しんで明日がある

282_field111「悩んで苦しんで明日がある。」

自信がないから…。忙しいから…。具合が悪いから…。と自分に言い訳ばかりしていないだろうか?ふっと思うことがある。

自分が変わりたい!克服したい!と思わなければ、人からアドバイスを聞いても結局は堂々巡りで何度も同じ苦しみを味わうことになってしまう。最近、町会のボランテアをしながら、自信が持てず迷うことがある。ある奥さんから「どうせやるなら気持ちよくやれ、気持ちよく出来なければ止めたほうがいい」と注意された。「あぁーなるほど」気を取り戻した。

自信は努力を積み重ねて、初めて持てるものである。努力や行動を起こさないで、頭の中だけでもんもんと悩み、悩むだけ悩んでも、結局なにもできない。

それはとても傲慢なこと。人間がこの世に生まれてきた目的は、たくさんの経験を味わうことから気づき、成長していくことであり、そして無智を智に変える。

失敗したっていいじゃない、失敗からまた多くの事を学べば良い。人生は有限ある。嘆いてばかりで恐れていたら、あっという間に終わってしまう。誠実に努力してきたことは必ず結果として返ってくるのだから・・・。

たとえその結果が自分の思い描いていたものと違っていたとしても、自分自身が込めたその思いは必ず自分自身を輝かせるはずである。恐れている暇はない。今日も町内の崔しもので「敬老の集い」の主催者の一人としてお年寄りのために心のこもったサービスをして上げよう。

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人の噂の好きな人

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1205661人の悪いうわさを話す人が好きで、何人か集まると直ぐに話し始める。しかし、自分のことが周り回って耳に入ろうものなら大変な怒り方をする。自分がした行いは必ず自分に返ってくるという事が分かっていない。

人の悪口を言うのが癖のようになっている人もいて、誰でもしんどいなと感じる場面を経験があると思う。でもそんな場面を与えられたのも必然。人は闇を知るからこそ、光を目指すことができる。

人はついつい相手に自分の思う完璧を求めてしまうものである。しかし相手が完璧でないように私たちもまた多くの欠点を抱えて、日々生きている。そう気づくことができたら、私たちはもっと相手に寛大になれるはずである。

しかし人間は弱い生き物。自分自身のことはなかなか見ることができない。相手話の調子に乗って同じように悪口を言ってしまうのか、それとも自分は悪口を言わない、聞いても記憶に残さないと、貫く強さを持つか、それは自分自身の心にに委ねられている。

闇の中で光を目指すことは容易いことではない。でもこんな時代だからこそ、もっともっと愛をもって人と関わっていかなければと思う。人はついつい悪いところにばかり目が向いてしまい勝ちだが、どんな人にも必ず良いところがある。

会話をする中で、そんなステキな部分を引き出してあげられたらいい。そのためにはまず自分自身が愛で満たされて輝いていないといけない。いろいろな出来事が私の心を磨いてくれている。

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2009年9月19日 (土)

心に残る愛の言葉

3612マザー・テレサの『あなたの中の最良のものを』

人は不合理、非論理、利己的です、気にすることなく人を愛しなさい。あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。

気にすることなく、善を行いなさい、目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなくし続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。気にすることなく、作り続けなさい。助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。

気にすることなく助け続けなさい、あなたの最良のものを世に与えなさい。蹴り返されるかもしれません。

でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。

あなたと他の人の間であったことは一度もなかったのです。

今日ボランテアで、地域の崔しもの「敬老の集い」準備をして思ったが、ちょっと大変だなー誰か代わって欲しいなあーと思ってしまった。しかし「マザー・テレサの「愛の言葉」を目にしたとき、同じやるなら「気持ちよくやれ」と心に誓い笑顔で行なって、爽やかな気分になれた。

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つまづき人生

0261私は、先だって駅の階段でつまづき転んでしまった。幸いむこうずねがあざが出来たが、怪我はなかった。やはり年のせいか、足が上がっていると感覚的に狂ってしまったのだと思えた。

しかし、自然の法則で年齢的に仕方がないことかも知れないと納得し、「体力が落ちてしまった、この体力を確認できた」ことでむしろ良かったと、反省し気をつけて行動しなければいけないと思った。

また、道路を歩いていて転んだりすると、私たちがが頭の中で考えるのは『こんなところに自転車を置いてるからだ。』『こんなところに石なんかあるからだ。』と周りのせいにすることばかりになり勝ちである。

でもそうやって登場人物のせいにしているうちは苦しみも続くし、つまずき続けてしまう。なぜなら自転車や石という登場人物を作り出しているのはあなた自身の心だからである。

転んだ時にどうして自分が転んだのだろう、自分の反省点はなんだったのだろうと自らを省みることができたら、私たちは一歩ずつ成長することができるのではないだろうか、私たちに起きるすべての現象は、私たちに多くのことを気付かせるために起きている。

それは他の誰でもない、自分自身の体力・精神力を感じとって、これからの人生を楽しく過ごしていかなければと・・・。

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信じあう心を育てよう

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1231「人間社会は信頼し合って、安心して生活ができる。」

「お互い信頼から生まれる生きる楽しさ この楽しさには 美しい。この楽しさにはほんのり味がある。

この楽しさは、身体と心を大きく育て広がって行く。」

物質的に恵まれていても、親や他の人との触れ合いが少ない。心でなく、頭で愛情を理解する子が多いと、感じるのは私だけではないと思う。

子どもの苦しみは僕らの世代がそういう社会をつくったからで、経済成長、マネーが中心。お金を介した付き合いがメーンで、顔と顔、体と体の関係が疎遠となってしまった。豊かさの裏側に、孤独な社会が出来上がってしまった。バラバラな社会の中で育つ子どもは、遊びさえろくに出来ない。

子どもの笑顔は今と昔、日本と外国で違うようだ。大切なのはコミュニケーションで、例えば、対話の最中に携帯電話を優先する人がいるが、もっと目の前の人を大事にしてほしいと思う。

確かに子どもはみんないい目をしている。昨日隣の3歳の男の子がお父さんのサンダルで、私の家の庭に突然やってきた。その子の目を見るとホッとした。思わず「こんにちは、」と声をかけてみた。追っかけてきた、お母さんはびっくりしていたが、思わず口元がほころんでしまった。そういう子どもの目は本当にきれいで、今も昔も変わらない。

「人を信頼するな」と子どもに教えることに疑問を感じてしまう。言葉から気持ちが伝わる瞬間がいっぱいある。まず自分から信頼すれば、相手も信頼してくれる。そういうことを教えることが大切なのではないかと思う。

子どもが伸び伸びと遊び、笑うには何が必要で、子どもたちが自分で幸せを感じることで、教えようとするからいけない。親が眉間にしわを寄せ、笑顔になりなさいと言っても出来ない。大人が何かするより、無言のメッセージの方がいい。

子どもは感性が豊かである。自分を大切にしない親が多く、そういう人は笑顔が出来ない。子どもに向き合う時に作り笑いでは駄目で、大人が幸せを感じてほしい。赤ちゃんから大人が学びとって欲しいものだ。赤ちゃんを抱いて怒る人はいないはずである。

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2009年9月18日 (金)

無人の軌道間輸送機「HTV」

Kgk07091400111 今世間の話題は民主党新政権や、酒井法子被告の麻薬事件・新型ウイルス爆発的広がり発生などに注目されていて、人工衛星や宇宙ロケットは、やや注目度が上がっていない。世界が注目しているHTVのことに目を向けてみた。

宇宙ステーションに補給物資を届けるために日本が開発したもだ。HTV《 H-T2161.gif Transfer Vehicle 》地上約400キロメートルの上空を周回するに向けて、ロケットと共に打ち上げられる無人の軌道間輸送機のことだ。

打ち上げから1週間、今朝の7時のNHKのニュースで、ドッキングが成功したと、筑波宇宙管制センタールームに歓声が沸いた映像が映し出されいた。アメリカは、2010年9月30日をもってシャトル全機を退役させることになったが、それに換わるもので関係者の注目度は高かった。

日本初の無人宇宙補給機「HTV」が日本時間18日未明、国際宇宙ステーションから10メートルの位置に接近し、ステーション滞在中の宇宙飛行士がロボットアームでつかまえることに成功した。同日午前8時前にステーションに接続した。

今回の1号機は食品、衣料品などの生活必需品と、日本実験棟「きぼう」に設置する成層圏大気観測装置「スマイルズ」など計約4・5トンを搭載している。荷物を降ろして空いたスペースにステーションの廃棄物を積んで約1カ月後に離脱、大気圏に突入し、大部分が燃え尽きるということだ。

HTVは全長約10メートル、直径約4・4メートルの円筒形で大型バスと同じ位の大きさだという。地上と同じ1気圧に保たれる与圧部と、真空にさらされる非与圧部がある。

ステーションとの出入り口が1・2メートル四方と広く、大型装置も積めるのが特長。米スペースシャトルの退役後は、ロシア、欧州の補給機とともに重要な物資輸送手段となる。15年まで年1機、計7機を打ち上げる計画だという。

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和顔愛語

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271和顔愛語とは、「仏語」で、たとえお金や物を持たない人でも、笑顔(和顔)や優しい、いたわりの言葉(愛語)を施すことで、これも立派な布施行という。

また、「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉で、「和顔」は、やわらかな笑顔「愛語」は、やさしいことばすなわち、この言葉には笑顔で愛情のこもった言葉を話すという意味である。

昨夕、覚せい剤取締法違反で、起訴された女優の酒井法子被告が拘置先の警視庁東京湾岸署から保釈さた。テレビのニュースで見た。

多くの報道陣に囲まれ、湾岸署の玄関で頭を深々と下げ、謝罪をした。罪を犯して大きさは、彼女なりに痛感し、反省しているようだった。顔の表情から、反省の真剣さが感じ取れた。必死で涙を抑えた話し方が印象的であり、安心したのか笑顔さえ感じられる表情に見えた。

思い出したのが「和顔愛語」である。「和顔愛語」というと、よく行くスーパーでレジをしている店員である。お店の幹部から、教育されていると思うが、いつも、「いらっしゃいませ~」「何円のお返しです」「ありがとうございました」と笑顔で、可愛らしい声で話されると心が和んでしまう。

感じのいい方だな、素敵だな、見習わなければといつも思うくらいである。どんな人にとっても「人生は苦なり」。日常の出来事は、放っておけば苦虫つぶしたような顔になることばかりである。それでも笑顔でやさしい雰囲気なのは、笑顔絶やさず、気持ちよくお客さんと接しようと、常に心がけておられるのだ。

この笑顔と優しい言葉で、大事な運命が決まることもある。笑顔の素敵な人は、男性、女性を問わず、惹かれてしまう。心からの笑顔はうつくしいし、気持ちが安らぐ。笑顔に出会うと幸せになれる。「笑顔は幸せへのパスポート」というキャッチコピーを見たこともある。嫌なことばかり続く毎日であるが、和顔愛語を努力して実践するようにしたい。

人は必ず何かを信じて生きている。「信じる」を言い換えれば、頼りにしたり、あてにすることを言う。妻は夫を、夫は妻を信じ、親は子供を頼りにし、子供は親をあてにして生きている。自分の身体や命もそうであり、財産や名誉、社会的地位など、必ず人は何かをあてにして暮らしている。だから生きるということは信じること。神や仏を信ずることだけが信心ではないと思う。

しかし私たちは、ただ生きるのではなく、幸福を求めて生きている。苦しみや悩みはなぜ生まれるかというと、信じていたものに裏切られた時に起きてくる。夫を信じ切っていた妻が、夫に裏切られたり、健康な人が病気にかかり健康に裏切られたりするから苦しむ。それが深く信じていればいる程、裏切られた時の苦悩や悲しみ、怒りは大きくなってしまう。

結論から言うと、裏切らない、変化しないものというのはこの世にはない。裏切られたと嘆き悲しむのは、ちょっと馬鹿らしく思えてくる。これに気付くことがもしかすると和顔愛語の始めなのかも知れない。

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2009年9月17日 (木)

コスモスが咲く散歩道

Yudonogawakobiki001白い犬 コスモス咲いて 朝の町

今朝は、よく晴れた朝だった。何時ものように散歩してきたが、ちょと肌寒いくらいであった。湯殿川の河川管理道路を往復1時間ぐらい、毎日散歩しているのだが、行き交う人は殆んど変わらない。朝の五時30分ごろである。

何日か前から、白い大きな犬を連れて散歩している女性がいるが、ふわふわと長い毛の犬で、のっそりのっそりゆっくり歩いているが、おとなしい犬のようだ。小さな犬がすれ違っても、なんの反応もしないで、のっそりのっそり歩くさま、身体が大きいだけでなく、気持ちも大きいようだ。

コスモスの花が咲きだした。季節は確実に巡り回っているいるのだ。白・紫・ピンク・黄などの色とりどりの花は見ごたえがある。遠くに富士山が見え、空気が澄んでいる。気持ちい朝だった。

普段着で猫行く町の秋祭り 小西雅子

の間の日曜日犬を連れて公園へ散歩に出かけると、町は祭の最中だった。ああ、そういえば清水さんが増俳に祭りの撮影に行く予定。と書かれていたな、と思い出した。

入り組んだ町の路地のあちこちには控所や休憩所らしきものが出来、お神酒や餅がふるまわれていた。髪を明るく染めた女の子が紺の法被にぴったりとした股引をつけきびきびと走り回っている。

男も女も額には細く絞った日本手ぬぐいをきりりと巻いて、「いよっ、イナセだね」と声をかけたくなる雰囲気で、町全体が活気づいていた。うちの犬だけでなく、祭の町を連れられてゆく犬はきょろきょろあたりを見回して落ち着きがない。

通りをゆく子供もおとなもどこか華やいだ表情をしている。猫は見かけなかったけど、人目を避けて塀沿いを伝い歩きしていたかもしれない。きっとわさわさした町にちろりと視線をくれたきり、素っ気ないようすで通り過ぎていったことだろう。

秋祭に浮き立つ町でこころも身体も普段着のまま、過ごしていたのは猫と雀だったかもしれない。『雀食堂』(2009)所収。(三宅やよい)

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一言の力

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3612昨夜新内閣の顔ぶれが決まった。日本の政権が自民党政権から民主党に変わった。鳩山由紀夫総理大臣で閣僚も一新された。

財務相就任が決まった藤井裕久氏が、為替介入に否定的な考えを示したことを受けて円買い・ドル売りが加速し、円相場は一時、1ドル=90円15銭近辺と、約7カ月ぶりの90円割れ寸前まで急伸したという。一言の力は大きい力になってしまう。

一言の力は、話す人の人格・立場によって、受け止める人に大きな影響があることをつくづく思い知らされる。

 その一言で励まされ
   その一言で夢を持ち
     その一言で腹が立ち
       その一言でがっかりし
         その一言で泣かされる

ほんのわずかな一言が不思議に大きな力を持つ、ほんのちょっとの一言で嬉しくもなり、悲しくもなり、怒り、苦しんだりしてしまう。いわゆるその一言の「力」は武器になり「愛」にもなることだと思う。そして、日常の生活で、友達・両親・先生・など人間のコミニケーションの中で、その一言に相手を思いやる気持ちを忘れないようにしたい。

些細な言葉を吐いたつもりだったのかもしれない。けどあまりにも痛烈な一撃となった。人生全て、否定されたようだった。こんな経験ある人は多いと思う。

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2009年9月16日 (水)

気になる車のエンジン音

10247681最近隣の家で運送業を始めて、夜中の2時・3時に車のエンジン音で目が覚める事がある。なるべく静に音を出さないようにする配慮を考えてもらいたいので、申し入れもしたいが、それが仕事であるので仕方がないかと諦めているのだが・・・。

日常生活で、大事なことの一つにプライバシーの問題がある。他に「音」・・・「見」・・・「臭」・・・など人間生活に支障をきたす五感のうち耳・目・鼻の三っつであるが、環境が変わって、昔と大きく変わってきた。

その上、生活スタイルが多様化している。例えば、活動する時間帯も夜が明けて日が暮れるまで働いていた昔から現代では24時間誰かが働いている。

高速道路に側壁に防音壁を取り付けたり、照明を防ぐ装置を考えたり、臭いにも注意しなければいけない産業廃棄物など処理に規制が作られて人が安心して生活できる環境を維持していくよう法律が考えられている。

当然といえば当然だと思うが、人間が生きていくために食料を取り消化し、エネルギーを蓄えて排泄して行き、生命を持続できるという原理原則を守ることは必要である。

そこで生活環境が非常に問題になり、地球温暖化などを含めて、人間が知恵を出し合って人間の生活が維持できる環境を作らねばならないと思う。

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初登院に当って

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Natsu1いよいよ国会へ初登院である。初登院は各自思いを秘めながらのバッジを受けるのだろう。民主党の143名の新人国会議員である。いわゆる小沢チルドレンといわれる。いろいろな思いで国会議員を志して、名乗りをあげたのだろう。

その気概は、尊いものがあるが、国会議員の品格は、日本の品位で顔になることで責任は重大でそんなに生易しいことではない。初当選組には、民間企業や地方議員の出身者もいれば、議員秘書や官僚を務めた者も少なくない。政治経験が全くない人もいる。

代議士とは、国民を代表し「国事」を議する人という意味だ。まずは、国の基本法である憲法と国会ルールを定めた国会法を、改めて熟読してもらいたい。確かな時代認識を持ち、国家全体の行く末を常に視野に入れ、仕事を進めることも大事だ。

衆議院の民主党員308人の大政党となった。ひとり一人の力が一致団結しすることにより、歴史は変えられる。大きな目標に向かって、夢を実現するよう期待したい。

しかし、「小泉チルドレン」と呼ばれた83人のうち、引き続き自民党から出馬して再選されたのは、わずか9人に過ぎない。民主党の新人も、明日はわが身かもしれない。国会や地元での地道な日常活動が何より重要だ。

「蟷螂の斧」の諺を思い出した。「弱者が、自分の弱さをかえりみず、強敵に立ち向かうことのたとえである」が、「韓詩外伝」には次のような話がある。
或る時、斉の荘公が猟に出たが、一匹の蟷螂が、あわや踏みつぶされそうになりながら、その両足を振るって荘公の車を撃とうとした。いち早くそれを眼にとめた荘公は,「ほほう、元気な奴じゃ、これは何という虫かな?」と左右の者に訊ねた。
 
荘公の御者が答えた。
「これはカマキリという虫でございますが、この虫は進むことしか知らなくて、一向に退くことを知りませんし、自分の力のほども弁えずに、一途に敵に当る奴めでございます。」
 
荘公は、この言葉を聞いて、「この虫がもし人間であったとすれば、それは必ず天下に並びなき勇士であったろう。」といって車を戻させ、わざわざ蟷螂を避けて進んだという。

この気概で国民の期待に応えて貰いたい。

 

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2009年9月15日 (火)

複雑な社会構造でストレスに注意

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07rose_ame21_2現代人の悩みの多くはストレスが原因だ。

誰にでも悩みごとはある。自分一人では生きられない、人間社会で生きている以上人との関わりがあってそこに意見の違いや、価値観の相違はあって当然で、自分の思う通りことは進まない。

目標に向かって努力しても、想定外事件・事故に巻き込まれ、目標達成どころか人生がすっかり、狂わせられてしまうことって、しばしば起きるものである。病気などでも人生設計を組み直さざるを得ないこともある。それらがストレスという形でうつ病になる人が多くなっている複雑な社会構造である。

悩みごとは、他の人に話すことによって、少しは気持ちも楽になることもあるのだが、相談にのってもらえる人がいないとか、他の人には理解できないであろうと思い込んでしまったりして、自分の心の内に閉じ込めてしまうと、かえって悩みが深くなってしまう。

深刻な悩みがあっても、やがて解決するであろうと、達観できる人もあれば、自分の殻に押し込めて心配ごとを増幅してしまう人もいる。また積極的に他に救いを求めて苦悩の解決をはからうとする人など人それぞれである。

ラジオの悩み相談など聞いて著名な回答者が答えている番組が人気がある。人間は「人の不幸は密な味」という他人の不幸を楽しむ、不謹慎な人が多いので、信頼でき責任が持てる人に、相談することが大切だ。

家庭・職場などの人間環境の理解がどれだけ必要か、私も「うつ病」で休職に追い込まれた経験がある。薬で治せるのであるから、体がサインを出したら医者に相談する勇気が必要で、病気と診断されたら、素直に受け入れ、治療に専念するこだと思う。

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散歩コース雑感

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Yudono11 散歩は、毎日を欠かさないで続けている。家に前の湯殿川の河川管理通路の上流を遡り約1時間ぐらいかけて歩数は6000歩前後だ、その他に歩数計をつけていると一日約10000歩前後歩いている。またなるべく車を使わないで歩くことを心がけている。

湯殿川河川管理通路は西に方面に富士山を眺め西南に丹沢山塊山並みが見渡せる。むかし、万葉集で詠まれた「多摩の横山」の地である。

たまにはコースを変えて昨日は歩いた。草が茂って手入れがされていない山道で、獣道のようになってしまって、やっと人が通れる道を登って見た。この所で、足でもくじいて動けなくなったら、どうしようと不安にかられてしまったが、くもの巣を払いながら開けた高台に出ることが出来た。

ここは、子供の頃はよく遊びに来ていて、栗や茸などを採りに来たそのころは何でもなかった場所であるが、開発されて辺りは見通しのよいところで、通ってきた道は、残された未開発の山道だ。

その高台はまだ耕作されている畑が広がっていて、人参・大根・蕪などの野菜が作られている。そこまで農家の方は取り付け道路から、車で来て農作業をするのだ。

遠く、東の方面を見渡すと、昔は田園風景だったが、すっかり家並みの続く町となってしまった風景だ。朝5時30分で、日の出間もないことから人は誰もいない。ただ私一人である。

もう少し秋が深まれば、朝露で足元が濡れて歩けないところである。静かな雑木林から、小鳥の鳴き声だけが聞こえる。ちょっと小鳥の姿を探したが見当たらない。何という鳥なのか姿を見ても分からないと思うが、あんまり聞いた覚えのない鳴き声だった。

そろそろ、百舌の鳴き声が聞こえる頃で、雑木林の山栗のイガが大きくなって弾けそうだ。空は高く鰯雲が広がっていた。このところ朝・夕 大分涼しくなった。

一時間で家に戻った。6時30分だった。

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2009年9月14日 (月)

官僚を上手に使う

1020208_img1 民主党政権になって、官僚の持っているノウハウ・優秀な頭脳を引き出し日本国民のために力量を発揮する指揮者になって欲しい。それには、国会議員も、それなりの知識と説得力がないと、官僚を使いこなせない。

日本を、発展させ将来の展望が見渡せ、国民が納得する、安心・安全で国際社会でリーダー的役割を果たせる国づくり果たして貰いたい。読売新聞社説でも、「政治指導で官僚を使いこなせ」と言っている・・・。

民主党は、政権交代で「官僚主導」政治から「政治主導」に転換するという。しかし、政治主導は、政策の立案と実行のための手段であり目的ではない。この点を肝に銘じて新政権を運営し、具体的な成果につなげて欲しい。

社説内容・・・国会議員約100人を政府内に配置する。首相直属の国家戦略局を司令塔とし、少人数の閣僚によるテーマ別の閣僚委員会を活用して、政治家が政策を調整し決定し、事務次官会議は廃止する。と言うことが、民主党の描く政治主導の意思決定システムの骨格だ。

官僚の既得権益に切り込み、官製談合や税金の無駄遣いを徹底して排除する狙いに、異論はない。政治家と官僚の役割分担を明確にし、新たなルールを作ることも大切だろう。

安易な前例踏襲をやめ、再点検する機会でもある。外務官僚がタブーとしてきた、核持ち込みに関する日米の密約問題を調査する民主党の方針は、その一例だ。

国民から選ばれた政治家が重要な政策について自ら判断し、その責任を負う。それが政治主導の本質だ。新内閣の最優先課題をトップダウンで決めるため、国家戦略局を活用する構想は良いと思う。

現在の閣議が形骸化しているのは事実だ。少数の関係閣僚が閣僚委員会で、実質的に議論し、政策を調整することは意味がある。一方で、政治主導を掲げる以上、政治家には、政策を十分理解し、官僚を使いこなす能力が求められる。官僚の専門性を活用しなければ、行政機能は低下する。

近年、国家公務員志望者の減少が続いた。不祥事続発に伴う官僚批判の高まりが一因という。政府に優秀な人材が集まらなければ、行政が停滞し、困るのは国民だ。将来の国際競争にも影響する。民主党が「お手本」とする英国でも、政府内の与党議員が多すぎて行政に支障を来している、との批判があるとされる。

民主党は、野党時代のように、人気取りのために官僚たたきに走るべきではない。官僚OBであることだけを理由に国会同意人事に反対するといった対応は慎み、能力本位の人事を行うべきだ。

政治家が誤りなき判断をするには、生きた情報とアイデアを提供する官僚との信頼関係が欠かせない。官僚を敵視せず、その能力を最大限引き出すことが重要だ。

官僚も、政治的中立性を保ち、国民に奉仕する、という原点を忘れてはなるまい。

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「人間は考える葦である」と言うことは

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Yuu0031009_m1湯殿川の河川管理道路を毎朝散歩している。静かで風もなく、葦が揺れている目を凝らして見るとマガモが2羽泳いでいた。そんな光景を見てパスカルの「名言」を思い出した。

「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの言葉。  

「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実だが、、何故「葦」だったのか、という疑問が起る。もっと他のものでも良かったと思うが・・・。  

これは、誰かの説明であったのか、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってしまう。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって風になびいてしまう。

しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に負けない、でも、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまったりする。

賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったと思う。
  
少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。

自然界の中で大変弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」つまり「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思う。
  
この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えてくる。パスカルは、40歳に満たないで亡くなっている。彼は、少年の頃から神童と言われたそうだが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去った。

自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「戦う」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云える。
  
弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルは連想したのだろう。

「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのだろう。

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2009年9月13日 (日)

実る稲穂を見て

Phot000000000003f5a5_500_01「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 詠み人知らず。 

今朝、田園を散歩しながら昨夜の雨に濡れた稲穂を見ながら思い出した。 超有名な句である。

稲穂の実は、実れば実るほど重みで穂先を垂れ頭を下げる。
「学識や徳行が深くなった人ほど謙虚になっていく」という意で力がついて成功している時こそ謙虚に生きなさいと戒めを表現した口語である。

人間はある程度生きるための生活力がついてくると周囲えの感謝を忘れてしまいがちになっていく動物である。「自分は経験があり、お金を手に入れて一人まえだ、何でもできる」と勘違いしてしまう。

しかし、どれだけ優れていて成功した人でも、人の子である。多かれ少なかれ、両親だけでなく誰かの小さな助けや、親切、愛情の上に現在の自分が存在できている。そんなお世話になった方々の愛情を感じ取る出来る人は、年を重ねるごとに生きる姿勢が謙虚になっていくのである。

本田技研工業の創業者本田宗一郎氏は、
『学問なり技術があると言うことは立派なことであるに違ないが、それを人間のために有効に使って初めて優れた人間だということが出来るのだと思う、何より大切なのは人を愛する心ではないだろうか』

時には立ち止まって、今の自分を形成してくれた多くの人たちを、思い浮かべ感謝してみてはどうだろうか、きっとこれから出会う方々から多くの事を学んでいける姿勢になるはずである。

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人生「タイミング」と「運」

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1231「タイミング」「運」の人生を考えることがある。どういうことカと言うと車の運転していても、歩いていても、「たった一秒でも自分の行動のタイミングが違ったら命を落としてしまう。」人間はすべて、タイミングで生命維持し行き続けられるのだ。

人生すべてタイミングである。そして「運」かも知れない。普通に人生の経過過程として考えたならば・・・

努力とかではなく、これはよく言われることだが、いくら頑張ってても報われないことや、関わりたくないことに、関わらないといけない時があったりする

「運」・・・運も実力のうちといわれ、、、、宝くじは運。。。じゃんけんで勝つのも運。。。。

「タイミング」・・・人に話しかけるのも行動するのもタイミングしだいで影響や反応が変わる。

このように、「運」や「タイミング」というのは大事だが、「努力」が大事だとは言っても、努力しても報われないことも多いし、旨くいかないことが殆んどだ

しかし、自分が前向きに生きていくためには、努力したから「運」や「タイミング」がついてきたと思うようにしている。「運」「タイミング」が良く旨くいくこともあるし、自分が頑張っていることで、そういう人を見ていると劣等感を感じたり自分が馬鹿みたいに思えることがる。

努力したからこそつかめる「運」や「タイミング」というのもあるはずで、私はそっちを信じて頑張ったほうが、自分が生きる上で糧になると思う。そう考えてみると、すべては考え方なのかも知れない。

生きる目標を持ち、毎日毎日を努力することで達成でき、感動・幸せ感を味わえ、次の目標に立ち向かえられる。それが結果的に「タイミング」「運」が良かったと判断することしようと思う。

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2009年9月12日 (土)

真実と言うこと

Cirrocumulus1真実=嘘のないこと、本当のこと。と辞書にはある。人間は何処まで真実を貫き生きられるのか、最近その事で、悩んでいる。ちょっと頭を整理してみた。

この如来(阿弥陀如来)を、一筋にたのみたてまつらずば、末代の凡夫、極楽に往生する道、二つも三つもあるべからざるものなり(蓮如上人)とある。

泣いても笑っても真実の道は一本だけで、弥陀の本願以外に、真実の幸福はありえない。

真実は一つだと言うが、9月の爽やかな空気の中、澄み渡った青空を眺めながら、「すがすがしい天気だなあ!」と両手を広げて天空仰いでみると、真実は青空の存在そのものである。

万人にとって真実は一つであると仮定すれば、「むなしい青空だ…」と溜め息をつく人がいる以上、真実は青空の存在そのものであり、それを眺める人の気分は、たまたまその時その人がそのように感じたという事実に過ぎない事なのだ。

人間が生きるということは、無味無臭の真実に主観的な価値を与える、営みとしてとらえることができる。海に沈んでゆく巨大な夕陽には、美しさも哀しさもない。見る人がそれに美しいという価値を与えて感動したり、哀しいという価値を与えて涙したりしているだけである。

このように眺め渡すと、人は自分をとりまく事象に主観的な価値を与え、与えた価値を対象の属性と受け止めて一喜一憂しているのではないだろうか・・・。

しかし、平和を希求する強烈な意志を、人間の楯となって表現するためにアフガニスタンに赴く人々を見るに及んで、むしろ真実は主観の側にあるのではないかと思う。

人を命がけの行動に駆り立てるほどの強い思いが真実である。とすれば、真実は人間の数だけあると考えた方がよい。そして本当の平和とは、自分以外の人々の真実を尊重するところにこそ存在する。

八ツ場ダムの工事継続・中止が、大きな問題となっているが、本当に多くの人の幸せのための真実が、関係する人間の価値判断で違う、その人それぞれの主観であるから人々の幸せを考えて集約するこことが大切だ。

真実は、時間が経って結果で判断する見方があるが、それすら主観の側に立って判断される。客観的には、最大公約数的に評価されるが、それが真実かとは言えない。

人間には、「三毒」=人の善心を害する3種の煩悩(ぼんのう)。貪(とん)・瞋(しん)・痴(ち)があるから、この世に生きている限り真実は希求することは出来ない?。

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八ツ場ダム継続・中止の問題

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Hiland051継続すべきか、中止すべきか、現地住民にとっても、予算執行継続にしても判断に迷うところである。今回の選挙に民主党は、マニフェストで中止を掲げた。

この八ッ場ダムは、総工費4600億円で、高さ116メートル、総貯水量1億750万リットル(東京ドーム87個分)の巨大ダムを建設しようというものだ。

50年前に住民の猛反対を振り切って計画、着工され、既に3210億円が投入され、工事はダム本体の工事を残すだけ、7、8割完成しているという。

ダムが完成すれば湖底に沈むはずの川原湯温泉の住民たち。もともと地元へのメリットはないのに、下流住民の安全のためといわれ無理やり認めさせられ、1キロほど離れた高台へ住まいを移す準備を進めていたという。

せっかくここまで工事が進んでいるのにかえって税金が無駄になるのではという話もあり、建設か中止かいったいどっちがいいのかと思うほどだが、群馬2区選出の民主党、石関貴史衆院議員によると話は違ってくる。

「すでに総理大臣の国会答弁でも八ッ場ダムの必要性はなくなったといい、洪水防止の効果もないことが分かっている。しかも当初の倍以上の予算がすでに投入されており、国交省が出している投入額3210億円の数字は信用できない」と言う。

計画から50年も経ってまだ完成しない工事計画も問題があるが、ここまで工事が進んでいるダム工事を、継続・中止の議論が出たのは、常識的には今までの政府・行政の拙さが問題である。

そこには多くの利権が絡み、工事を食い物にしてしまった事にあると思う。この問題も、「政・官・財」の癒着の結果そうさせたのだろう。私は、これだけの時間と費用を費やしたのだから、学識経験者による第三者委員会を設置し「継続・中止」の議論をして結論を出すべきと思う。

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2009年9月11日 (金)

官僚の役割

3612一流大学を出て、高級官僚を目指し、霞ヶ関に入る若者の真意は何だったんだろうか、少なくても日本の行政を支えていく野望を心に秘めて入省していたのだろう。日本の経済・国民が、安心・安全に暮らしが保障させる仕組み作りに、滅私奉公の精神を持って身体投げ打った昔の「公務員」だった。

いつの間にか、その精神が薄れて省益に終始して、保身に日夜頭を使っている。省益で成果を上げる事により自分の出世し、給料も上がるということで入省時の志は大きく変換してしまった現状のようである。

このような変わり方では、日本国民の安心・安全には、考えがおぼつかない。まして財界と政治の癒着が噂されてしまうようでは「信頼」して国の行政を任す訳にはいかない。

今回総選挙で民主党が大勝し鳩山政権が16日には誕生する。今までの自民党政権が半世紀以上54年間続いて、世界の流れに乗り切れない自民党に国民は変換を求めたものだ。

自民党政権を支え続けてきた財界が、政治との関係について転換を迫られようとしている。 民主党中心の鳩山連立政権の誕生後どういう役割を果たしていくのか。問われているのはそのことだ。

そんな政界・財界で日本の経済を発展させてきた日本の潤滑的役割をしてきた官庁役人の頭脳・組織力は、政権交代で一部プログラムを変えないといけない。

勇気を持って「政・官・財」が国民のが納得いく采配を官僚役人が力を発揮して貰うこと期待したい。

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信頼ということ

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Sunset51人間社会で「信頼」ということがあって人は生きていける。

私は人が人生を歩むうえで一番大切なことは、自分が自分を信頼することで、このことを自己信頼感ということだと思う。 自分が自分を信じると言う事だろう。

自己信頼感とは、今のありのままの自分で良いと肯定的であることだと思う。

自己信頼感とは、「自分なら何とか出来る」、「前へ進める」「なんとかなるだろう」等、根拠のない体の中心から湧いてくるエネルギー。 そして、この自己信頼感こそが今を生きる私たちにとって、これからの人生を開く私たちにとってなくてはならないものであると思う。

自己信頼感を持っている人は、自分を信頼しているので、自分に自分を委ねることが出来きる。だから、自己決断をすること、責任を負うこと、未来に向かって進むことが苦にならない。

自己信頼感を持っている人は、心配事が起こっても何とかなると感じるいわゆる「自信」が持てる。しかし、自己信頼感を持っていない人は、心配事が起こるとその不安に支配され悩んでしまうだろう。

人生を不安に覆われ、常に不安への対応、心配で頭が一杯になってしまい「剣呑性」「臆病」になってしまう。 不安に悩むことは誰にでもある正常な反応なのだが、自己信頼感を獲得出来ていない人は、始終不安に支配され、起こるかどうかも分からないことに悩み続ける。

だから、自己決断が出来なかったり、責任を負うことを極度に恐れたり、未来に夢を描けけないのだと思う。

そして、自己信頼感が克服したら、他人との関係であるが、相手の考えていることが「嘘」がない真実である事が保障されて初めて、人間関係が成立するのである。

病気にかかり、医者に診てもらう日常の生活の中で、これが信頼・信用が出来なければ、命を落としかねない重大な危機に巻き込まれる。

世の中、お金儲けだけで頭が一杯の人間がいる。「嘘」や「ごまかし」などで生きている人間が多い、その見極めが大事で「いまさらながら」気をつけてたい。

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2009年9月10日 (木)

小さい秋見つけた

Misansyo040912brsz1 さわやかな朝となる。半そではちょっと寒いくらいの朝の散歩である。そして小さい秋を見つけた。山道を歩いていたら、山椒の実が赤く実って匂いをかいてみたら、山椒独特な匂いがした。

遠くに白い雪のない富士が眺められた。それだけ空気が澄んでいたのだと思う。小高い栗林を過ぎて、すすきの白い穂が朝露にぬれている。

あー幸せを感じた、健康でこうやって歩けることの有難いことが・・・。

赤い実の 匂いさわやか 秋の風

これから、栗・柿・梨など秋の味覚が楽しめる季節がやってきた。いつまでもこの幸が続けれられることを願わずにいられなかった。 今日は生きていて良かったと実感できた朝だった。

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男と女

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3612改めて人間の存在を考えて見た。人間が存在するのは「男と女」があって、「人間」である。つまり男だけ、女だけでは人間はそんざいしない。

男女の特徴と肉体的構造以外の違いについて見る。太古から狩猟生活で現存してきた歴史がある。男は狩猟で外に出て、女は家で子供を守って来た。人間が生き残って地球を支配し、進化し続けてこられた能力は他の生物との違いは二足歩行で手を使うことから発達し続けたことによるものだ。

そんな歴史を踏まえて現代の男と女の違いを改めて考えて見たい。

女は周辺視野が広く、男は遠近感覚に優れている。女性の方が色を識別する錘状体細胞のバラエティが多いので、色の違いを細かく描写できる。女は男よりも耳が鋭く、とくに高音を聞き分けるのが得意である。だから、赤ちゃんの泣き声に反応しやすいという。

男は空間能力、方向感覚に優れているので、居場所をつきとめたり、スポーツをするのが得意である。テストステロンが多いほど、攻撃的、活動的になる。男の子はスポーツ等により、その攻撃性が反社会的にならないよう発散させるた方がよい。

男は聞くより、見るのが得意である。皮膚の感受性は女の方が高い。このため、女性の方が触れあいを大事にする多い。

味覚と臭覚は女の方が優れている。しょっぱさと苦さを区別するのは男の方が得意で、だから、男はビールを好み、女は甘さや砂糖の味に敏感なので、ケーキに目がないということだ。

女は感情を武器に男に立ち向かい、男はそんな女の言葉を定義し、理屈づけようとする。女性が極端な言い方をしても、それは本気ではないのだから、男は文字通り受け取ったり、その意味を厳密に追及してはいけないだろう。

女のほうも男と議論で勝とうと思ったら、論理的に話を進めることだ。男には一度にひとつのことしか考えさせない方がよいらしい。

男は感情が高ぶると攻撃的になるが、女は話しあうのを好む。 男は仕事と業績で、女は人間関係で自分の価値を決めたがる。 女が興奮してしゃべっているとき、解決策を提案したり、感情を踏みにじるようなことを言ってはいけない。話を聞いているというそぶりを前面に押し出すことだと思う。

おしゃべりとショッピングは女にとって同じものだ。どちらも明確な目的は必要ないし、何時間もだらだらと続く。ショッピングは女にとってリラックス法であり、一般的には言えることは、元気回復剤である。

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2009年9月 9日 (水)

新型インフルエンザに思う

07rose_ame21この秋には、爆発的に患者が増え、死亡する人数も予想がつかないという一部医療関係従事者の言葉がある。

予想であるが、どうもマスコミの騒ぎすぎのようなところもあるようだ。大事なことは落ち着いて対応することが望まれる。やたら騒ぎ過ぎると国民はパニックになって収集がつかない事態になってしまう恐れがある。

限られた数しか生産出来ないというワクチンである。来月から接種が始まるという。誰でも早く接種をしたいのは分かるが、透析患者や、外科手術直後の患者などから、体力のないお年寄り、幼児などから順に接種を考えているようだが、一部ワクチンの争奪戦が心配されるところでもある。利権絡みの不正なお金儲けの人間が出てくることが必ず起こる。

誰でも豚インフルエンザなどかかりたくない気持ちは分かるのであるが、普段から「手洗い」「うがい」は丁寧に行い、不要な外出は避けたり、不摂生を気をつけるなどをすることが大事な事であると思う。

前もって爆発的流行する想定は必要だが、厚生省・医療関係者の落ち着いた対応が大事なことだ。

東京新聞記事・・・厚生労働省は八日、新型インフルエンザ用ワクチンの接種について、国と委託契約を結んだ医療機関で、原則として予約制で行うなどとする方針をまとめた。優先接種の対象者は、母子健康手帳や健康保険証などで確認する。 

ワクチンの供給量が限られ優先対象者に確実に接種する必要があることから、国が直接関与することにした。都道府県や政令指定都市の担当者を集めて同日、都内で開催した全国会議で説明した。席上、厚労省は接種料金について全国一律としたい考えも示した。

方針によると、地域の医師会が接種実施を希望する医療機関のリストを作成、機関数が不十分な場合は市町村が追加選定する。国はこれらの医療機関と委託契約を結び、十月中旬をめどにリストを公表する。接種は個人が医療機関に予約し受ける方式が原則だが、地域の実情により医療機関以外での集団的な接種もあり得るとした。

ワクチンは、生産量に応じて国が都道府県ごとの配分量を決定。都道府県は接種対象者の人数を把握し、医療機関ごとの配分を決める。

優先対象者のうち基礎疾患(持病)のある人が、かかりつけ以外の医療機関で接種を受ける場合には、主治医が発行する「優先接種対象者証明書」を持参する。

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日日是好日

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07bonchi_asayake_kumo11「日日是好日」お蔭様で今日も無事過ごせました。「有難う御座いました」感謝の心を忘れない日常生活が大事だ。また「平凡」な人生を送ることが、実は非凡である、ということだと思う。

多くの人は「きょうも一日よい日でありますように」と願い、無事を願う。しかし、現実は、その通りいかないで、雨の日、風の日があるように様々な問題が起き、悩ませられることばかりかも知れない。

しかし、どんな雨の日であろうとも、日々に起きる好悪の出来事があっても、この一日は二度とない一日であり、かけがえのない一時であり、一日である。この一日を全身全霊で生きることが出来れば、まさに「日々是好日」である。

好日は願って得られるものでなく、待って叶えられるものでもない。自らの生き方に日々に好日を見出し得なければならないのだと思う。

時の時とすると来ない、ただ座して待つのではなく主体的に時を作り充実したよき一日一日と生きていくところに意義があるのだ。

今朝はこんな事が頭に浮かんだ。  さー今朝も一万歩を目標に散歩に出かけるかー。



 

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2009年9月 8日 (火)

ダム建設無駄の責任は?

539571熊本県の川辺川ダムと群馬県の八ツ場(やんば)ダムは、本当に中止でよいのか、民主党の政権マニフェストに明記しているのだが・・・。

川辺ダムは、昔から村人は洪水におびえて、安住の地を求め続けて来た歴史がある。ダムを作ることによってその洪水の心配をなくそうという発想である。過去、半世紀にわたって計画に翻弄(ほんろう)された五木村の存在だ。

水没予定地を抱える村は約500世帯が移転し、人口は最盛期の4分の1に減った。水没地をまたぐ橋の建設など、村の試算で約400億円といわれる生活再建事業が残っている。計画中止となった場合に、事業がそのまま継続できるのかという問題が出てくる。

無駄な公共事業を見直す姿勢は評価したい。特に、川辺川ダムは地元の知事らが環境面の影響などを理由に白紙撤回を求めている。

一方、八ツ場ダムは洪水を抑える機能だけの川辺川ダムとは事情が異なる。関東地方に水道水や工業用水を供給する役割がある。

民主党が主張するように八ツ場ダムはずさんな公共事業の典型例ではある。当初計画では2000年度だった完成予定は10年度に一度延期され、現在は15年度に延びている。総事業費も当初の2110億円から4600億円へ2倍強膨らんだという。一体どういうことなのか、計画に不備があったのか、中止となれば責任問題は不問となってしまうのか・・・。

なぜ計画が何度も変わったのか検証し、再び事業費が増える可能性はないのか調査すべきだ。

「八ツ場ダムは無駄だ」と主張する民主党は、その理由をていねいに説明する必要がある。ダム建設関連ですでに支出している約3200億円の4割強は都や県が負担している。「中止するなら当然、返還を請求する」(石原都知事)と自治体は主張している。

水没予定地の住民の今後も心配だ。地元では代替地の建設が進み、住民の移転も始まっている。ダム事業がどうなろうと、国は住民の生活再建に一定の責任を負っている。

なんとしても空しい、ダム建設(中止)問題だ。(一部日経新聞社説より)

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幾分の肌寒さを感じさせる冷風が・・・

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ことり籠 奥までとどく 秋となり

447141 ことしの5月小鳥屋で、ゴールデン・チェリーという種類でセキセイインコに似ている小鳥をツガイで買ってきた。

家に来て、4ヶ月がたったが繁殖力が強い?もう2回もお産をした。最初は7月で卵は5個だったが、その内一羽が育った。雛は自分で餌を食べるようになって、身体も親と同じくらいになった。しかし、全身が黄色に覆われて目の周りが赤い親に比べ、その目の周りの赤い色がまだピンクである。

今は二週間前から卵を産んで暖めているが、どうも雛がいるせいか、孵化に専念できないで巣箱から出てきて雛をいじめているように見える。身に沁みて卵を温めないようだ。

そんな我が家の縁側の最も日当たりの良い場所に籠を置いてあるのだが、陽射しが鳥かごに差し込むようになってきた。それだけ太陽が南に傾けてきたということだ。

蝉の鳴き声から虫の鳴き声になった我が家の庭には、百日紅の赤い花びらが落ちて目立つようになった。私の住む町のお祭りも終り、いよいよ実りの秋になった。近年は、稲作農家は全くいない。野菜農家が何軒あるぐらいに農業従事者がいなくなってしまった。

昨日畑道を散歩していたら、遠くの山で百舌のけたたましい鳴き声が聞こえ、空は鰯雲が広がっていた。私の子供の頃とは、大きく変わってしまった故郷の野・山・川は昔の面影を残しているところもあるが、そこに住む生き物は姿を見ることすら出来ないものもある。そして、その地に住んでいた人々も、殆んどいなくなってしまった。

ススキの穂 風に揺れて 流れ飛ぶ

Yudonogawakobiki001

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2009年9月 7日 (月)

「白露」と言う季節

                 08yokotesigai_yuukei21                                               「白露」と言うと、草の葉に露がつき、朝晩の涼しさが感じられるころ9月8日ごろという。8月の日本列島は高校野球・総選挙で、暑い夏だった。しかし、人間のもたらした地球温暖化で山口県・福岡県・兵庫県で、大雨で大きな被害がでた。

異常気象は、日照不足で稲作の農家は心配であり、野菜の収穫のも影響が出て、値上 がりに消費者は頭が痛い。選挙は政権交代を掲げた民主党が圧倒的に勝った。世界の国々は、日本の政権を注意深く見つめている。

世界の景気は底を打ったと言われているが我々庶民には全く感じ取れない。新政権に期待するところが大きい。

陽気の不順なことと、景気の低迷は関係するところが多い。明日は、二十四節気の一つ。陰暦では8月の節にあたり、処暑(しょしょ)の15日後、新暦では9月8日ごろにあたる。

太陽黄経165度。露が凝って白く見えるという意味で、昔はこのような現象がみられるのは秋の陰気が夏の陽気に交わるときとみた。すなわち夏から秋への季節の交替時に白露を目印としたものである。

新型インフルエンザは増え続けている。失業率は実質10パーセントと言っている人もいる。少子高齢化が進む世の中、季節は確実に巡っている。次は台風の心配と同時に野菜・果物の被害で生活が心配となってきた。 「自分の身は自分で守る」このことが難しくなった時代でもある。

大根蒔く短かき影をそばに置き 加倉井秋を

大根は、八月末から九月上旬が種まきの適期。大根は煮物、漬物、干大根など、日本人の食生活には欠かすことのできぬ冬の野菜として、栽培の歴史は古い。種まきが終わると、いよいよ秋の気配が濃厚になる。

ははー、そうか大根は今の時期に種まきをするのだったかー、忘れてしまっていた。

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省益を守るという事

035571官僚対民主党政権のバトルが始まりそうだ。鳩山民主党の悲願であった。霞ヶ関の牙城に何処まで食い入っていけるかである。

過去自民党政権が続き、その歴代の首相も官僚の官僚のために死守してきた。「省益」は国会議員の先生達には打ち崩す、知恵と能力が不足していたためと、国会議員は4年で自分の保身に精一杯で、知恵と経験では、一歩も二歩も上をいき、無駄な労力を使わない、という歴史を作ってしまった。

今回の選挙で民主党の大勝で、何処まで官僚を使いこなせるか、そして国民に透明で分かりやすい霞ヶ関の役人の仕事内容が示すことが出来るか、しなければ日本の国の将来はない。そのために、民主党政権はバックに国民の圧倒的援護があることを忘れないで欲しい。

役人の8割が「省益を守る」という意識があるといわれているので、簡単にはいかないと思うが、なんとしても、官僚政治を打破し、真の日本国再生に期待したい。

政権移行の準備が始まった。各省の官僚は早速省益を守るため、民主党のマニフェストがいかに非現実的でこれまでの政策がいかに正しいかということをマスコミを通じて国民に伝え、世論形成を図っている。

霞が関の官僚もマスコミも民主党による政権交代の意味を理解していない。イギリスでは高級官僚が国政に関して公の前で意見表明することが禁じられている。イギリスでは官僚はあくまで大臣など内閣のメンバーを専門集団として支えるもので、官僚自身が国民に働きかけることは「政治行為」として禁止されている。

官僚の省益を守るための説明を鵜呑みにして報道するマスコミも官僚政治の片棒を担がされている。しかもそのことを彼ら自身十分には気がついていない。

民主党は大臣の許可なく官僚が省益を守るための発言や行動をすることを禁止する行動規範を定めることをマニフェスト(鳩山政権の政権構想、第4策)に盛り込んでいる。

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人生の“迷い”を考える

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05sikotuko31人間だから当然?なのか、悩み苦しみ今まで生きてきた価値すら否定してしまうまで落ち込んでしまうことがある。何の不足もない今の生活に“迷い”に襲われてしまう?。今朝は、人生の“迷い”について考えを整理してみたい。

何もなく平穏無事に毎日を充実して過ごしている。 それは大変素晴らしい事である。 でも人は、長い人生を決められたレールや地図通りに迷うことなく 、最後の時まで進んでいけることはない。

この地球上には、凡そ60億の人生がひしめき合っている。 それぞれに悩みを持ち、それぞれに目標を持ち、この世に生まれ出た瞬間から人は、一人で歩いていかなければならない。

そして最後の時もやはり一人、この宇宙の歴史に比較すれば人の一生なんてほんの一瞬の星の瞬きのようなもの、その一瞬の瞬きの間に消えていく人の人生にどんな価値があるのだろう。

時として人は、目標を見失うとこんな風に”迷い”の気持ちに襲われる。 大海原に漂流する一片の流木にしがみつき助けを待つ心境と似ている。

自分を見失なわってはいけない。 自分自身が何を成すにしても行動の原点、思考の原点である。 もういちど原点に戻り、今までの目標が何だったのか・今までの行動がその目標に対しどのくらいのズレが生じているのかこんな風に冷静に分析する事も一つの方法かもしれない。

目標に合致した行動が効率よくなされているとき、人は充実感を憶える。 自分の仕事や人生に価値を感じている瞬間といえる。 でも自分の満足のためだけの行動になってはいないか、目標に対する行動のズレ、それは自分だけの価値観が関与しすぎると考えていまう。

人生の意義は”生きる”ということ。 仕事も家庭も遊びも...芸術や論争、悩みや喜び.... 生きているからこそすべてが存在する。 ”生きる”ことが人々にすべての可能性を与えている。

生きているからこそ、いろんな苦しみがある。さまざまな苦しみを感じることは、今、生きている証(あかし)だから、その苦しみのあることを喜ぶべきである。苦しみを喜びに変えていく力をつけ、苦しみを喜びと受けとめることができれば、苦しみが苦しみでなくなる。苦しみと上手につきあえるようになればいいのだが・・・・・・。

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2009年9月 6日 (日)

「我が人生悔いは無し」を考える

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539571このところ、生活環境を敢えて変えてみた。どういうことかというと、13年ぶりに仕事をしたのである。今まで一年中、朝から晩まで何もしない、いわゆる完全年金生活をしてきた。

考えるに、人生一回の本番であり、やり直しは出来ない。人間夫々の人生観があって、自分の人生をいかに楽しくまっとうして終えることが出来るか、人に迷惑をかけなければ、誰かに拘束されずに生きるかが70歳を過ぎた人間に与えられた特権であろうと思う。

13年ぶりに、ある企業に行きお金目的に一週間の契約?であるが、契約時の仕事の内容と、実際の仕事の内容が、大分違っていて(ハード)3日間でお手上げで終ったのである。

顔に傷をつけたり、足の指を剥がしてしまったり、腕に痣をつけてしまった。最後は左横腹の筋肉を痛め、ダウンしてしまった。理由は、自分の作業に対する甘さ、注意不足からだが、確かに体力の衰え、集中力の減退などが重なった結果だ。

仕事をする前に、自動車運転免許更新で、講習を受けたが、一番印象に残った事は、70歳以上になると、「誰でも、肉体的・精神的の衰えは出て当たり前で、講習は、その衰えてしまった程度を自覚し、自動車の運転を心がける事のためにある。」と言うことだった。

人間 「旬」 がある。生まれてから、死ぬまで、つまり「生・老・病・死」もっと細かく言うならば、幼少から終焉まで、その時期でないと出来ないことがある。

スポーツに例えて言うならば、相撲・野球・柔道などは、40歳ぐらいが限度である。そのように人間何れは訪れる終焉の時期に向かっていき続けているのである。

そんなに長くはない人生航路を有意義に過ごせるかを考えた場合その人の価値観で個人差はあるが「太く短く」か、「長く細く」である。大宇宙的に考えると人生100年とした場合、「ほんの一瞬」かげろうの命のようなものかも知れない。

人生七坂を転げ落ちていくしかないのが自然の法則である。しからば、大きな目標だが「我が人生に悔いは無し」の人生を模索して生きて生きたい。

ブログを1週間ぶりに書いた。これから一日一生の心構えで生きていく記録を残すためブログを書くことに努力したい。

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