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2009年4月

2009年4月30日 (木)

日中の戦略的互恵は本気で!

386351中国の製品は、模造品が多いという。高級ハンドバック・高級車などがそっくりである。車の売れゆき台数ではアメリカを抜き世界一という。中国では、世界中から注目されている市場でのある。まだ発展途上国の域を脱しきれない。

しかし、大消費国で市場もアメリカ初め日本・EU諸国などが虎視眈々と狙っているのである。世界経済の底割れ状態で、守るも責めるも必死で、戦場は中国なのである。

そんな中で麻生太郎首相は、訪中し、経済・新型ウイルスの対策と6ヶ国会議など多くの問題がある中で、コピー製品が多いのでこの問題は、日本・アメリカなどは、貿易の障害となるので、十分話し合っていくべきと思う。

産経新聞朝刊・・・日中の戦略的互恵関係が、言葉だけにとどまっていることを見せつけたのではないか。

中国は外国企業に対し、IT(情報技術)製品の設計図を強制的に開示させる制度を導入しようとしている。ソフトウエアが簡単にコピーされ、知的財産権が侵害される懸念がある。麻生太郎首相は日中首脳会談で「貿易の障壁になるようなことは避けてほしい」と撤回を求めたが、温家宝首相は応じなかった。

強制的な開示制度は、知的財産保護という世界的な流れを真っ向から否定する。中国側は会談当日になって、来年5月まで1年間実施を延期すると発表したが、それでは解決にならない。あくまでも撤回を求めていくべきだ。

「最も重要な2国間関係」(温首相)とうたいながら、平気で難題を突きつけてくる相手である。知的財産権に加え、主権にかかわる領土問題など、国益を守る主張を緩めてはならない。

中国が導入を予定しているのは中国国内で製造・販売するデジタル家電などのIT製品について、ソフトウエアの設計図である「ソースコード」の開示を義務づけるもので、世界にも例がない。

中国側はソフトの欠陥を狙ったコンピューターウイルスの侵入防止などが目的だと説明するが、軍事転用可能な技術情報や国家機密の漏洩(ろうえい)につながる可能性も指摘されている。温首相が制度の適用は政府が調達する製品に限定すると説明したのに対し、麻生首相が「中国では政府調達の範囲が広い」と反論したのは当然だ。

導入されれば、対中貿易は大きな影響を受ける。現地法人を含め、中国における日系企業の年間出荷額は計1兆円に上るといわれる。知的財産権の侵害を恐れ、中国への製品輸出をためらう企業も出てこよう。今後、中国が各国別に制度を緩めるなど分断を図ってくるかもしれない。それを受け入れれば相手の思うつぼだ。世界経済の利益にならないし、中国自身にもマイナスではないか。

東シナ海の共同開発問題で、中国側は継続協議中のガス田を一方的に開発し、尖閣列島沖の日本領海を海洋調査船で侵犯したが、政府が根本的解決に取り組んできたとはいえまい。環境・省エネルギーなど協力分野を拡大するのはよい。主権や国益のぶつかり合いを避け、表面的な友好を演出する訪中に終わらせてはならない。

ごみとなる化石資源

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今日の名言

惜しみなく与えるという評判が立つことはいかにも好ましいように思われる。だがしかし、気前の良さも、そういう評判が立つことを求めてあなたが使いだせば、あなたに害をもたらしてくる。
マキアヴェッリ『君主論』

07_10241風ぐるま昭和の赤いセルロイド 高橋 龍

今はもうめったに見かけないが、昭和30年生まれの私にとってセルロイドは身近なものだった。色はきれいだけど表面は弱くて、強くぶつけるとぺこんと内側にへこんでもとに戻らなかった。人形、筆箱、ああそう言えば、くるくる回る風車の羽根もセルロイドだった。

昭和と言っても幅が広くて思い出も様々だろうけど、およそ半世紀前の暮らしの記憶は暗く湿っていて、あまり戻りたくはない。それでも掲句を読んで小さいとき風車に持っていた感情を懐かしく思い出した。色とりどりの風車は賑やかなお祭りに結びついていて心が弾む。

セルロイドのお面も風車も憧れだったけど、握りしめた50円を使うのが惜しくて買わなかった。派手な色の少なかった時代に鮮やかな赤は特別の色。過ぎ去った日への郷愁を誘いつつ風車は回り続ける。

セルロイドは燃えやすいという欠点があるため今はほとんど作られていないと聞くが、平成の風車は何で作られているのだろうか。「龍年纂・第七」(2009/04/15発行)所載。(三宅やよい)

セルロイドに変わって、プラチックになった。公害で今問題の化石燃料の石油・天然ガスである。石炭・石油・ガスというと、古代の植物で地球の成り立ちと気の遠くなるような歴史を遡って見ないと分からない。

その石油でプラチック・繊維類・化粧品・医薬品などが出来ているという。もともと植物だったからだと思う。しかし、その石炭・石油・ガスも無尽蔵にあるわけもなく、枯渇するのも近いと言われている。

だから、風車も石油からプラチックになって出来る。しかし人間の知恵には、驚くが其れに奢り、無制限に掘りつくし、気がついたらもう僅かしかないと、心配している。困った事に、加工され使い尽くされて捨てられゴミになって、地球上を被いかぶしてしまっている。排ガス・プラチック・ビニールのゴミは、街中を散乱している。

人間は喉元過ぎればなんとやらで、私は関係ないとでも言いたげな態度である。私は毎日ゴミ拾いをしているが、内容はプラチック・ビニール類・雑誌・新聞紙が殆どでこれも石油からの産物である。

毎日ゴミ拾いをしているが、一人の力では拾いきれない、私のゴミ拾いをしている姿を見ても知らん顔である。一人でも二人でも一緒に拾ってくれる勇気のある方があって欲しいねがうのだが・・・・そして無意識にすてない。あったら拾って所定のところに持って行くことが、大事なことだ。

2009年4月29日 (水)

日本の祝日に考えよう

05gihu_hana_festa21アメリカのメジャーの野球に日本選手は大勢いる。開会式には国家が演奏される。選手は、帽子を胸に当てて演奏が終わるまで、ジーと静かに聴いている。勿論アメリカ人の選手・観客は起立して、一緒に口ずさんでいる。国家意識は、日本とは大分違うと感じるのである。

先だって日本のサッカーの国際試合でオーストラリアとの開会で双方国家演奏があったが、日本の選手の態度はまちまちで、ただ儀礼だけにしか映らなかった。

国家意識を競技だけに持つのではなく日ごろの愛国心がないと常々感じているのであるが、今日は緑の日である。昭和天皇の誕生日で休日である。休日ということが何んであるか、しっかり認識することが愛国心につながるとおもうのだが・・・

産経新聞主張・・・3回目の「昭和の日」を迎えた。言うまでもなくこの日は、昭和天皇の誕生日である。崩御された後、祝日として残すため初めは「みどりの日」とされた。

しかしその後「激動の時代をしのぶ日があるべきだ」という国民運動を背景に、祝日法が改正され、一昨年から「昭和の日」となっている。

国民の祝日として定着しつつあるとはいえ、昭和時代の終わりから20年あまりがたった。平成生まれの若者も社会人の仲間入りを始め、国民の意識の中で「昭和」は遠のきつつある。

だが、昨年秋以来の世界的経済不況や北朝鮮の横暴など日本がさまざまな危機に直面している今、昭和という時代を振り返ってみる意味は決して小さくない。

経済的には「100年に一度の危機」などと言われる。しかし昭和の時代、中でも焦土から「裸一貫」でやり直さざるを得なかった終戦直後の悲惨さは、現在の比ではなかった。

そこから立ち直り、奇跡と呼ばれる復興をなしえたひとつの要因は、全国ご巡幸で国民を励まされた昭和天皇を中心に、日本人が結束を保ったことだった。

国の針路をめぐる論争や対立はあった。それでもあの混迷の時代に、国の分裂や内戦などに至らなかったことも奇跡に近い。

さらに、国民が「勤勉」だとか「忍耐」「助け合い」といった日本の伝統的な価値観を取り戻し、モノづくりに邁進(まいしん)したことも大きかったといえる。

しかし、経済的繁栄を得た後の日本人はそうした「結束」の心や価値観を再び忘れてしまったようだ。今こそ、苦難を乗り切った時代の人々に学ぶことで、現在の危機を克服していく契機にしなければならない。

一方で「昭和」が先送りしてきた問題も多い。憲法改正などいわゆる「戦後レジーム(枠組み)」からの脱却や、戦後に戦勝国から押しつけられた自虐的歴史観の克服といったことである。そうした「昭和からの宿題」に答え、将来の日本の展望を開くことも、大きな課題だ。

行楽や旅行の途中でもいい。家族や友人で「昭和」について話し合ってほしい。そのことこそ「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」という「昭和の日」の趣旨にふさわしいのである。

痛快な最高裁の判断

08adachi_bizyutukan11NHKのラジオ深夜便の2時のニュースを聞いていたら、最近のモンスターペアレントにお灸を据えたような痛快のニュースが流れた。

小学校の生徒が悪戯すぎて先生のお尻を蹴って逃げて行ったのを、先生は生徒の胸倉掴んで壁に押し当てたとうことで、生徒の母親が、酷すぎるということで、裁判沙汰になり、一審二審は、先生に教育的指導という判決がでて、生徒の母親はいき洋々としたのだが最高裁では、先生のした行為は特に問題はないと逆転判決が出たという。内容だ。

今後の教育現場に於ける教育現場に影響がでるものと思う。

毎日新聞WEB記事・・・「体罰賠償訴訟:児童側敗訴の逆転判決 最高裁」

熊本県本渡(ほんど)市(現天草市)で02年、同市立小2年の男児(当時8歳)が、男性臨時教員から体罰を受けて心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したとして、市に約350万円の賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(近藤崇晴裁判長)は28日、教員の行為を体罰と認め賠償を命じた1、2審判決を破棄し、原告側の請求を棄却する逆転判決を言い渡した。小法廷は「許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく、体罰に当たらない」と述べた。

教員の行為が、学校教育法で禁じる体罰に当たるかどうかが争われた民事訴訟で初めての最高裁判決。「目的、態様、継続時間等から判断する」と一定の基準を示しており、教育現場に影響を与えそうだ。

判決などによると、教員は02年11月26日、休み時間に自分のおしり付近を2度けって逃げようとした男児の洋服の胸元を右手でつかんで体を壁に押し当て、大声で「もう、すんなよ」と怒った。

1、2審判決はいずれも「教育的指導の範囲を逸脱している」と認定したが、小法廷は「悪ふざけしないよう指導するためで、罰として肉体的苦痛を与えるためではない」と目的の妥当性を指摘。さらに時間にして数秒の出来事だったことも踏まえ「やや穏当を欠くが、違法とは言えない」と結論付けた。5人の裁判官全員一致の判決。

上告審で、市側は「必要に応じて生徒に一定の限度内で有形力(目に見える物理的な力)を行使することが許されなければ、教育は硬直化する」と主張。原告側は「肩に手を置き向き合って説諭するなどほかに適切な行為を取ることができた」と反論していた。

1審・熊本地裁は07年6月、体罰とPTSDの因果関係を認めて約65万円の支払いを命じ、2審・福岡高裁は08年2月、PTSD発症は認めず賠償額を約21万円に減額していた。【銭場裕司】

体罰
学校教育法11条で「教育上必要があると認める時は懲戒を加えることができる。ただし体罰を加えることはできない」と規定されている。体罰が疑われるとして学校が調査した件数は04年度に883件あった。

文部科学省は07年2月、体罰に関する考え方を初めてまとめ全国に通知した。「殴る、ける、長時間直立させるなど肉体的苦痛を与える懲戒は体罰」と明示する一方「体罰に当たるかどうかは、生徒・児童や保護者の主観ではなく、行為が行われた場所的、時間的環境、態様等の諸条件を客観的に考慮して判断される」とし、有形力行使が許される可能性にも言及している。

散々なゴールデンウイーク

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今日の名言

男は恋をささやくときは四月みたいだけれど、結婚してしまえば、十二月よ。娘も、娘のころは五月だけれど、人妻になると、空模様は変ってしまう。
シェイクスピア『お気に召すまま』

07_sl_kurosawa21春徂くやまごつく旅の五六日 吉川英治

上五の「春徂(ゆ)くや」は「春行くや」の意。「行く春」とともによく使われる季語で春の終わり。もう夏が近い。季節の変わり目だから、天候は不順でまだ安定していない。取材旅行の旅先であろうか。おそらくよく知らない土地だから、土地については詳しくない。それに加えて天候が不順ゆえに、いろいろとまごついてしまうことが多いのだろう。

しかも一日や二日の旅ではないし、かといって長期滞在というわけでもないから、どこかしら中途半端である。主語が誰であるにせよ、ずばり「まごつく」という一語が効いている。同情したいところだが、滑稽な味わいも残していて、思わずほくそ笑んでしまう一句である。

英治は取材のおりの旅行記などに俳句を書き残していた。「夏隣り古き三里の灸のあとという句も、旅先での無聊の一句かと思われる。芭蕉の名句行く春や鳥啼き魚の目は泪はともかく、室生犀星の行春や版木にのこる手毬唄」もよく知られた秀句である。

英治といえば、無名時代(大正年間)に新作落語を七作書いていたことが、最近ニュースになった。そのうちの「弘法の灸」という噺が、十日ほど前に噺家によって初めて上演された。ぜひ聴いてみたいものである。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)

行く春や 鳥泣き豚や 目に涙

今年のゴールデンウイークは最悪である。高速料金が1000円で行けるという。しかし、渋滞40キロ、その上人ごみは新型ウイルス(N 1H1)で (ソ連型ウイルスだそうだ。もう豚ウイルスから新型ウイルスという事になるという。)その上失業中とあれば旅行どころではないと言う人が多いだろう。

しがない年金暮らしの私は、家にゴロゴロしているしかない、人混みなどは駄目だし、何の計画たたない。

「世の中をを憂しやさしと思えず飛び立ちかねつ鳥にあらねば」深刻な状態である。

2009年4月28日 (火)

定額給付金のこと

07murasugi_watasuge11私の住む市は今日現在の人口は、547,702人である。定額給付金・子育て応援特別手当の案内が三月始めに郵送されて来た。そして「定額給付金の受給について」という申請書が同封されていて書き方の説明書と返信用の封筒が在った。

その説明書に、通帳やキャシュカードの写し(金融機関名・口座番号・口座名義人(カナ)分かるもの)を申請書裏面に貼り付けてください。・・・書かれていた 

私は、金融機関・口座番号・口座名義人を書いて、見事に通帳の写しを裏側に貼る事を失念し、郵送してしまった。

そのことに一週間位して気がつき、コールセンターに問い合わせをしたところ「作成不備で返却」するからと言われた。そういうことで、待つことにしたが昨日、支給が五月七日にあなたの指定の口座に振込み通知が郵送されてきた。

考えて見ると、通帳の写しを貼り付けることは、かなり面倒(どこでコピーをしたらいいのか、コピーが出来ない。誰かに頼めば悪用される危険がある。)などでこれは問題だと思っていた。

給付金詐欺にご注意と注意書きはあったが、コピーが出来ない人は多いと思っていたがこの貼り付けがなくても、税金の確定申告での還付金などは、写しなど要求していない。

当然だ。

予算100兆円を超えるが・・・

15401借金は、誰が返すの・・・国民でしょう・・・その国民は、子や孫になる。このことは、肝に銘じて置くことだ。

総額15兆円余りの「経済危機対策」を盛り込んだ09年度補正予算案を、国会へ提出した。補正後の09年度予算の規模は102兆円を超え、初めて100兆円を突破する。

いずれは国民がみずから負担していかなければならないものだ。だから、将来の国民が困らないように財政規律がある。その規律が大きく揺らぎ、財政運営はかなりの危険水域に入ってきたのではないか。

それでも政財界には、危機の克服には「もっと巨額の財政出動が必要」という意見もある。国債の買い手の多くが国内の投資家であることから「家庭内で貸し借りしているようなもの。心配はいらない」との声もある。

その種の楽観に楽観を重ねた期待や分析は危険だ。政府と自治体の債務残高は800兆円にのぼる。

世界的な危機で景気が急激に落ち込んでおり、財政出動はその衝撃を緩和するのが目的だ。だが、20兆~40兆円ともいわれる需要不足のすべてを政府が埋め続けることはできない。

国民が将来の不安である医療・介護の問題を抱えている中で、消費税の見直しが考えられる。この事も国民に説明し将来のビジョンを説明すべきである

毎日新聞社説抜粋・・・景気が悪くなったら財政出動が必要で、その財源は国債でまかなえばいいという論理も問題である。とめどもない額の国債がいとも簡単に発行されていくことは、財政のみならず、経済構造をも揺るがしかねない。日本銀行に国債の買い切りを思い切って引き上げ、さらには新発債の引き受けを求めるに至っては、論外である。

夏以降を展望すれば、今年度46兆円と見込んでいる税収は数兆円下方修正せざるを得ない。公共事業の大幅前倒しのあおりもあり、第2次補正予算がないとも限らない。歳出を絞ったとしてもかなりの国債増発は避けられない。そうなれば、金融・資本市場も平静ではありえない。現在の年1.4%程度の長期金利は超低水準であり、企業に資金需要でも出てくれば2%や3%程度に上昇することは容易に想定できる。その場合、国債費への跳ね返りは大きい。

国債残高の増加は基礎的財政収支の黒字化を遠のかせるだけではない。与謝野馨財務・金融・経済財政担当相が財政健全化の有力な指標としている国債残高の国内総生産比を下げることは夢のまた夢になってしまう。財政は取りかえしのつかない状況に陥る。政治家も国民もこうした国債増発の怖さを心すべきだ。

朧月夜

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今日の名言

しばしば言われてきたように、「シーザーを理解するためには、シーザーである必要はない」。そうでなければ、あらゆる歴史記述は無意味であろう。
ウェーバー『理解社会学のカテゴリー』

60mangetsu1朧夜の切株は木を恋うてをり 百瀬七生子

淡い輪郭の春の月と、鮮やかに輝く秋の月。どちらもそれぞれ美しく、古来より詠われるほど愛されてるものだが、理屈をいえばその差は空気中の湿度が影響している気象現象であるという。しかし明るくもなく、暗くもなく、曖昧という音感に漂うような月が、大気を一層潤ませているような朧夜には格別の情緒がある。

まろやかな月光がしっとりしみ込むような春の夜。年輪をあらわに夜気にさらした切株が、ありし日の思い出に身をゆだねているように見えてくる。大樹だった頃の一本の幹の輪郭をうっとりと懐かしみ、千枚の若葉の繁りを狂おしく宙に描く。

太陽の光をやさしく漉してから注ぐ乳白色の月の光に、春の大気が加わると、痛みを持つものに声を与えてしまう効果を発揮してしまうのかもしれない。朧夜にそっと耳を澄ませば、木の言葉や、石のつぶやきに地上は満たされていることだろう。〈胴ながく兎抱かるる山桜〉〈仏にも木の香のむかし朴の花〉『海光』(2009)所収。(土肥あき子)

今日四月28日(火曜)は、月齢2.64 潮汐 大潮 月名(旧暦日)夕月 との暦である。

朧夜に 狐火飛ぶを 昔見る

私の、子供頃というと10歳終戦直後である。ごく近くの山並みを、右の大きな松の木辺りから、「ポカ」と火の玉のような明るい火?が「ボー」点い(憑く)て左の方に流れて消えて、また同じように松ノ木の辺りから火の玉のようなものが・・・

夕方で宵の時間だったと思う。母親と買い物に行き家の帰る途中だった。母に、あれは何かときいてみたら「狐火」という。ちょっと怖くなって母の手を握り締めてしまた。そんな思い出がある。勿論狐は家の近くに棲んでいて鶏など被害があったことであり、狐は身近な存在であった。

「朧月夜」の歌  懐かしい歌である。

高野辰之作詞・岡野貞一作曲/文部省唱歌(六年)

菜の花畠に、入り日薄れ
見わたす山の端、霞ふかし
春風そよふく、空を見れば
夕月かかりて、におい淡し

里わの火影も、森の色も
田中の小路を、たどる人も
蛙のなくねも、かねの音も
さながら霞める、朧月夜

2009年4月27日 (月)

歩行中は禁煙を!

10247681手にたばこの火が当たり火傷・煙が堪らない・火のついたまま捨てられ火災が心配・道路が汚れるなど、環境によくない。子供達の公衆道徳の教育に悪影響だ。最近、地球にやさしく、温暖化が、叫ばれているが、一向に良くならない。私はボランテアでゴミ拾いを毎日行っていて気がつくが、歩行禁煙者がが多い。

毎日拾っていても、一日、いや1時間、いや拾っている目の前で捨てられていく。全く自分さえ良ければ、その人は環境など全く考えていないのか・・・、そんな大人の行為をよく見ている、子供の教育は・・・と疑ってしまう。

ゴミは小さなたばこの吸殻から始まって、ガム・鼻紙・ジュースの空缶・ペットボトルからビールの空缶・弁当の食べ残しが入った袋ごと。だんだん大きなゴミが、道路の隅に捨てられ山となっていく光景が見受けられる。植え込みの中からたばこの空き箱が15箱も捨てられていたことがあった。

きれいな町には、犯罪がないと言われている。きれいなところには最初にゴミを捨てるには誰でも躊躇するものである。そこに捨ててあるゴミがあると捨てていく人間の心理があるようだ。

何だか、立派な高級官僚?大学の教授?・政治家?なのか私のボランテアでゴミ拾いをしている前に火のついたままのたばこの吸殻を捨てていき、「ちょっと待った!!」「何を考えているんだ!」一括した。「電車が来るから忙しいんで!」と言って立ち去って行ってしまった。

これには私も腹が立った。「許せん」、その人の顔が今でも覚えている。その人に一ヶ月のゴミ拾いのぺナルテイーを科してあげたい。

「たかがたばこの吸殻、されど吸殻」だ。国土交通省にお願いし、「ゴミ捨てないで下さい」のポスター作っていただいたが、効き目なし、相変わらたばこの吸殻を捨てられて行くが、私も負けじと拾って行きたい。

自転車の三人乗り

Odaiba971私の娘は、東京の環状7号線の沿線に住んでいる。子育てで、自転車に幼児を乗せて走っているママさんを見かける。3車線もある道路を横断するのである。もし倒れたり、車に接触したら大怪我をする心配をするのである。

一昨日、知り合いの娘さんが練馬区に住んでいて、自転車でお孫さんを幼稚園に迎えに行く途中に車に接触転倒、頭を打って、救急車で病院に運ばれたという。幸い大事には至らなく、直ぐに退院したと言うが、腰が痛いという。後遺症が心配だと言っていた。

今問題になているママさんの自転車三人乗りの問題で、自転車の構造を見直しなどで、許可が出るという。とても見ていられない。そうだとするならば、環境整備が必要だろう。横断歩道の段差を整備するとか、歩道を走っても十分な広さの確保など、乗る人のマナー教育も当然である。

毎日新聞社説・・・「歩道をわが物顔で走る」「ルール無視、マナー欠落」といった自転車への悪口を聞くことが増えてきた。こうした中、6歳未満の幼児2人を乗せる自転車の3人乗りが7月、警察庁の方針転換で合法化される。2人乗りがだめなのに、「さらに危険になる」と危惧(きぐ)する声も強い。

確かに日本の都市は3人乗り自転車がゆったりと走れる状況ではない。交通事故の危険はつきまとうし、自ら転倒したり歩行者を傷つける恐れもある。だが、それは3人乗りだけに問題があるのではなく、道路の形状や車線の設定、ドライバーや自転車の乗り手の意識とマナーといった構造にも課題が多い。そもそも普及率が80%を超え、排ガスも出さず場所もとらないのに、自転車を交通体系の中で、まともに扱ってこなかったことが大問題なのだ。

この際、3人乗りの合法化をきっかけに、自転車を交通体系に明確に位置づけ、幼児を2人抱えた母親であっても移動しやすく安全な、つまり多くの人にとって住みやすい街づくりを進めてはどうだろう。

まず、3人乗りを普及させるため、自治体は支援策に踏み出してほしい。強度を高め、転倒しにくくした新製品は1台6万~8万円と高価なうえ、使用年数は限定されている。前橋市(上限4万円)のような購入補助制度や、自治体主導の貸出制度などが必要だ。その見返りとして、制度を利用する親子に交通法規やマナーを学び、ヘルメット着用など安全対策を心がける講習などを定期的に催す。子供の目を意識して大人はエリを正すし、幼児は自転車利用者としての基本を身につけることができるだろう。

自動車のドライバーに3人乗りをはじめ自転車への安全配慮を徹底させ、自転車の乗り手には歩行者優先の意識やマナーの向上を図ることも忘れてはならない。その先には、仕方なく自転車に歩道を走らせてきた政策を転換し、自転車は車道を安全にスムーズに走り、歩道は歩行者が安心して歩ける空間にする未来像を描きたい。中心街を徒歩と自転車主体にした「歩くまち」を掲げる京都市のような取り組みが広がってほしい。

3歳と1歳の子供を持つ母親からメールが届いた。今は怖くて自転車に乗れないが、「3人乗っても安定する自転車の発売を心待ちにしている」という。

世の中には2種類の考えがある。「危ないからやめておけ」と「危ないから何とかしよう」。前者は正論だが、現状がおかしいと思うならば、みんなで何とかすることを選びたい。

苗代と田螺の思い出

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今日の名言

時の翼に乗って悲しみは飛び去る。

ラ・フォンテーヌ『寓話』(上)

08nairikusen_kayabuki11酒好きのわれら田螺をみて育ち 館岡誠二

酒の肴としてよく出てくる「田螺(たにし)」を、私は食べられない。いや、食べない。理由は、句の男たちのように「田螺をみて」育ったからだ。育った土地に食べる風習がなかったこともあって、田螺は食べるものではなく、いつだって見るものだった。待ちかねた春を告げる生き物のひとつだった。 

冬眠から目覚めた田螺たちが、田んぼのなかで道を作るようにかすかに動いていく様子を眺めるのが好きだった。田螺が出てくる頃は、もうあたりはすっかり春で、田螺をみつめる時間には同時に日向ぼこの心地よさがあった。私ばかりではなく、昔の遊び仲間たちもよく屈みこむようにして飽かず眺めていたものである。

そんなふうに、往時には道端などで何かを熱心にみつめて屈みこんでいる子供がいたものだったが……。句の男たちもそんなふうに育ってきて、いまやいっちょまえの酒飲みになっている。そんな彼らの前に、田螺が出てきたのだろう。

が、誰も橋をつけようとはせず、田螺を見た子供時代の思い出を肴に飲んでいる図だ。この場に私がいたとすれば、「幼なじみを食うわけにはいかねえよ、なあ」とでも言ったところである。大人になってからの同級会を思い出した。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)

苗代の 足の裏に 田螺あり

苗代に 落ち一塊の 畦の土 素十

田螺・シジミを食べて育った年代である。終戦直後は何も食べるものがなかった。ひもじさから春を待ちきれず、野山に行き野草などを摘んで、食べられるもは何でも食べた。

今の時期苗代田に水を張り代掻きの作業を行なうときに気をつけないといけない事は素足の足の裏に当たる石や、田螺である。よく足の裏を切った事がある。

耕耘機もなく、鍬でうなって籾を蒔く、一休みをしてあたりを見渡すと、近くの山につつじの花が赤い花が咲き、新緑のがまぶしい。それにしても田螺は、いい味していた。殻は潰して鶏に食べさせた。そんな光景を思い出す季節である。

2009年4月26日 (日)

豚インフルエンザ

06oga_toga11昨日の突然のニュース「豚インフルエンザ」でメキシコで死者が出たという、その豚インフルエンザは人から人の移ったということで、大変なことになるということである。そして、アメリカのカルフォルニヤなどにも感染者が出たという。鳥インフルエンザという話は聞いていたがまさか豚インフルエンザとは知らなかった。世界保健機構(WHO)でも、「事態は急速に進んでおり、極めて深刻な状況」との認識を示しているという。

とにかく日本への影響を水際で防ぐ処置をとる万全の対策が必要であろう。旅行・仕事での出張などは、特に注意が必要であり、正しい情報で冷静な対応が大事だと思う。

読売新聞・・・メキシコや米国で豚インフルエンザが人に感染した問題は、国内にも影響が及び始めたようだ。25日午後、メキシコから帰国した人は空港で戸惑いの表情をみせ、旅行会社ではツアーを中止する動きも出ている。厚生労働省は同日夕、電話相談窓口を緊急に設置し、「正しい情報に基づいた冷静な対応を」と呼びかけた。

朝日新聞社説・・・本来なら人にはうつらないはずの豚のインフルエンザウイルスが、人に感染するタイプに変わったらしい。メキシコで豚インフルエンザが広がっている。患者は千人以上となり、死者はこれまでに60人を超えた。

国境を接した米国でも、カリフォルニア州やテキサス州で感染者が確認され、メキシコのウイルスと同じ型であることがわかった。まだ不明な点が多い。広がりやすさや毒性の強さをはじめ、どんな性質を持つウイルスなのか。感染がさらに広がるおそれはあるのか――。

ただ、すでに気がかりなことが幾つもある。人には免疫がない動物のウイルスが変異したものであること、老人や幼児ではなく若者が多く感染するという、ふつうのインフルエンザとは違う特徴があること、またメキシコ国内の数カ所や米国に流行がすでに広がっていることなどだ。世界保健機関(WHO)は警戒態勢に入った。

それでも、日本にいる私たちが今すぐに過剰に心配することはない。厚生労働省は、水際での検疫を強め、情報収集に努めるとともに、国民には冷静な対応を呼びかけている。

様子を見守りつつ、このインフルエンザが世界に広がった時のことも想定して備えを点検しておきたい。 豚インフルエンザと聞いて意外に思った人も多いのではないか。これまではもっぱら鳥のインフルエンザの怖さに関心が集まっていたからだ。

鳥インフルエンザも、ふつうは鳥にしか感染しない。だが97年に香港で初めて、H5N1と呼ばれる毒性の強いタイプが鶏から人に感染して死者が出た。アジアやアフリカなどの鶏に広がり、そこから感染して、250人余りが亡くなっている。

このウイルスが、もし人から人にうつるタイプに変わると、人には免疫がないために、20世紀初めのスペイン風邪のように大流行するおそれがある。こうした新型ウイルスの出現を警戒して、WHOは各国に対策を立てるよう呼びかけ、日本政府も行動計画をつくってきた。

豚のウイルスはこれまで、米国などでまれに人に感染した例が報告されているが、大流行の可能性はあまり予想されていなかった。 だが今回、人から人に感染する性質が見られることや短期間で多くの死者が出ていることからすれば、すでに鳥のウイルスよりはるかに大きな脅威になっているのかもしれない。

もしこのウイルスが広がったらどうか。医療などの行動計画や個人の備え方はウイルスが違っても同じだが、政府が事前接種を計画しているワクチンは豚のウイルスには効かない。鳥のウイルスを想定した新型インフルエンザ対策の再点検が必要だ。

猫と春の雨

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今日の名言

たいていの人間は大部分の時間を、生きんがために働いて費す。そして、わずかばかり残された自由はというと、それがかえって恐ろしくて、それから逃れるためにありとあらゆる手段を尽くす。
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』

60mangetsu1うらやまし思ひ切る時猫の恋 越智越人

残念ながらわたしは猫を飼ったことがないので、猫の恋なるものが具体的にどのようなものなのかを知りません。ただ、この句を読む限りは、ずいぶんあっさりしたものなのかなと、想像はできます。句の意味するところは単純です。

猫のように、わたしもこの恋をすっぱりとあきらめたいものだ、それが出来ないからこんなに胸のうちが苦しい、苦しくて仕方がない、ああ、猫のように簡単に、あの人をあきらめることができないものか、と、そんな意味なのでしょう。

ただ、言うまでもなく「猫の恋」の「恋」という言葉の使い方が、人の「恋」とはもともと意味が違うわけで、猫は夜毎枕を濡らして特定の人を思い悩んだり、メールを送って当たりをつけたり、面倒なかけひきをしたりはしません。生殖の欲求と、恋とが、無縁であるとまでは言わないまでも、やはり心情的には両者の間にはかなりの隔たりがあるわけです。

それをひとつの言葉で意図的に表してしまうから、このような句が出来上がってくるわけです。とはいうものの、句全体がやけにやるせない雰囲気を漂わせているのは、だれしもこんな思いに、一度は苦しんだことがあるからなのでしょう。『日本名句集成』(1991・學燈社)所載。(松下育男)

気まぐれな 猫の目のごとし 春の雨

猫の性格は、もともと野生の動物で人に馴れないところがある。「猫は家に馴れ、犬は人に馴れる」という。飼い猫の行動は半径70メートル位だそうだが、近所の一人暮らしのお婆さんが、猫を飼っているのだが最初は4匹ぐらいだったのが野良猫がやってきて、餌を与えていたら、居つき何と10匹になったという。

10匹もいると、近所に被害が出て、糞の始末で、迷惑をこうむっている。やたらと近所の家の庭でするのである。面白い性格の猫がいて、やたらとよそ様の家のサンダル・雑巾・草取り用手袋などを持ち去るのである。飼い主の家に運んでしまうのだが途中に縁の下に置いてしまうこともあり、探すのが大変困っているのである。

そういえば将棋の加藤一二三九段の家にもいっぱい猫を飼っていて、近所トラブルになり裁判沙汰になったというニュースがあったが、どうしたのだろう。

猫は気ままな性格という代名詞使われる時があるが、春の雨も変わりやすい、季節の変わり目は特に大きい。昨日も、朝のうちは雨は降っていなかったが急に降り出して午後から夜遅くまで降っていたが、今朝は晴れるという予報だ。そして只今はストーブを使うくらい寒いが、日中は22度ぐらいになると言う。

2009年4月25日 (土)

臓器移植について考えよう

0261心臓移植しか生きる望みはない。生まれ持った心臓疾患の子供に親はいたたまれず、全財産を投げ打っても我子の命を救おうと、あらゆる手立てを尽くすが、日本の臓器移植法には15歳以下の臓器移植は出来ない。そこで、応援を募り、募金活動して1億数千万円の資金を貯めアメリカに行き、移植手術を受ける。

飛行機に乗って出かける家族をテレビでよく観る。しかし、W H Oで外国での臓器移植を規制するということだ。万が一にも我が子が、そうでなくても身内、知り合いに臓器移植でなければ助からない人が出たら・・・。

確かに脳死の判定は、そう簡単には決まらないだろうし、脳死を一律に人の死と認める社会的合意はまだまだ議論が尽くされていないようだ。提供は本人の意思が問えない15歳以下場合は、家族の承諾でよいという与党の案で、臓器提供するときに限って「死」とする解釈することに賛成であるが・・・。この問題は国民的議論が必要な事だと思う。

朝日新聞社説・・・子どもの臓器移植の道を広げようと、臓器移植法を改正する動きが、国会でにわかに活発になってきた。日本では法律上、子どもの心臓は移植できず、米国などに渡る例が続いてきた。しかし、世界保健機関(WHO)が来月、こうした外国での臓器移植を規制する見通しになったためだ。

臓器移植は、提供者の死を前提とする特殊な医療だ。私たち一人ひとりの死生観も絡む。幅広い観点から慎重に議論し、多くの人が納得できる答えを見つけてほしい。脳死からの臓器移植を認めるこの法律は1997年にできた。政府の「脳死臨調」での激論も経て、脳死を一律に人の死と認める社会的な合意はまだないとして、臓器移植するときに限って人の死とする妥協が図られた。

臓器の摘出には本人の書面による意思表示を必要とし、民法上遺言が有効でない15歳未満からの臓器提供の道は閉ざされた。与党議員が提出した改正案は、脳死を一律に人の死とし、本人の拒絶がない限り家族の承諾でよいとする案と、現行法のままで臓器提供できる年齢を12歳に下げる案の二つだ。

前者は子どもの臓器移植への道を開くが、現行法の枠組みを根本的に変えることへの抵抗は与党内にも強い。野党議員は逆に、脳死の判定基準を厳しくする案を提出している。別の案を作る動きもある。現行法の基本を守りつつ、なんとか子どもの移植に道が開けないか、知恵を絞ってほしい。21日に行われた衆議院の小委員会の議論は国会のホームページで見ることができる。

移植医は、日本の子どもが国内で移植を受けられないのは不公平という。小児科医は、子どもの場合、脳死の診断後に何カ月も生きたり脳の機能が回復したりする例もあり、判定は100%完全と言い切れないと述べる。親が子どもの突然の死を受け入れるには時間がかかることも強調した。

そのことをうかがわせる数字がある。心臓停止後にしても16歳未満の臓器提供は昨年がゼロ、その前の2年も1件ずつ。04年の5件が近年では最高だ。子どもの臓器提供は簡単には増えそうにない。一方、救急医は、脳死移植を認めつつ、救急現場の厳しい実情を訴えた。

納得して臓器を提供できるには、最後まで救命の手だてが尽くされることが大前提だ。大人についても同じことが言える。救急現場の疲弊が、ここにも影を落としかねない。

法の施行以来、脳死移植は81例にとどまる。世界的にもきわめて低い水準であることは間違いない。議論の盛り上がりは社会的合意づくりの好機である。真摯(しんし)な意見調整を注目したい。

諸葛菜

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今日の名言

人間のすべての知識のなかでもっとも有用でありながらもっとも進んでいないものは、人間に関する知識であるように私には思われる。
ルソー『人間不平等起原論』

Shokkatusai1姉といふ媼もよけれ諸葛菜 千代田葛彦

親しい友人の妹さん曰く「おばあちゃんになったら、お姉ちゃんと二人きりで向かい合って千疋屋で苺パフェを食べたいの。お母さんやお父さんの思い出話して、あんな事もあったね、こんなこともあったね、なんて言いながら・・・それが夢なのよ」。

ちなみに友人は独身で、妹さんには現在育ち盛りの息子が二人。小さい頃はけんかばかりでも、ある程度の年齢になった姉妹には、不思議な心のつながりがある。この句の作者は男性なので、姉に対する気持ちはまた違うと思うが、媼(おうな)という呼び名に違和感のないお年頃の姉上に注がれる、変わらぬやさしい愛情が感じられる。

花大根、むらさきはなな、などさまざまな名前を持つ諸葛菜。ふだんはどうしても、線路際に群れ咲くイメージだが、先日近郊の野原に咲くこの花を間近で見る機会があり、車窓を流れるいつもの紫より心なしか色濃く、一花一花に野の花としての愛らしさが見えた。

作者もきっと、そんな瞬間があったのでは、と諸葛菜に姉上の姿を重ねてみるのだった。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)

紫で 庭彩る 諸葛菜  

一般的には、花ダイコンと呼ばれている。中国原産のアブラナ科の1~2年草。オオアライセイトウ、ムラサキハナナなどとも呼ばれている。諸葛菜は中国名で、三国志の諸葛孔明出陣のさきざきでこの種子を植えたことから名がついたと言われる。しかし、諸葛孔明が植えたのは蕪で、中国では蕪のことを諸葛菜という。日本ではショカツサイと同じ物かどうかは不明。花期は3~5月。花は淡紅紫色。

つつじの赤が日に映えて美しい。狭い我が家の庭に咲き出した。片隅に花ダイコンが咲いている。「紫色」一昨年亡くなった義母の好きな色だった。花ダイコンを見ているとあの優しい義母の笑顔が思い出さす。

「紫に秘められた力」 「経営労務ディレクター2005・3~4月号」より~カラーコンサルタント 成田イクコ著 ~

「紫」のイメージについて尋ねると、高貴な色、神秘的な色という意見に加えて、艶っぽい色といった感覚をもっている人も結構多いことがわかる。一方で、記念日のお祝いの色として、還暦では「赤」と言われるが、古希や喜寿では「紫」が使われると言われている。いずれにしろ、一般人からは距離感をもたれる色なのだろうか。しかし魅力的な色の一つには違いないだろう。

2009年4月24日 (金)

考えよう介護の問題

3612太陽のように輝く笑顔が魅力だった清水さんが、冷たい雨に打たれ、亡くなっているのが見つかった。大好きだった父が眠る富士霊園を選んだ清水由貴子さんの自殺は、介護に係わる大きな問題をクローズアップニュースさせた事件だ。

家族・社会環境の変化、誰でも通る道、高齢化に伴う共通な悩み・不安になる人は、多いと思う。解決するのは政治しかない。清水由貴子さんも、将来を考えて考えてのことだろう。こんな悩みを抱えながら生きなければならないなんてとてもやりきれない。

今の政治や、若い人は避けているようで仕方がない。自分もいづれは係わっていかなければならない問題である。介護の問題を真剣に考えるチャンスでもある。しっかり考えて見る必要がある。

私も兄夫婦の「すざましい生きざま」を知っている。その大変さは筆舌にたえない。

J=CSTニュース・・・より
「家族介護で、介護うつになる人も多いようです」
再度のけがでショックを受けたのか、清水由貴子さんの母親は、入院中に認知症が進行してしまった。退院後も車いすの生活となり、入院中の介護保険申請で、母親は、最も重い要介護度5と判定された。

そして、週5回、介護サービスを利用することになり、武蔵野市内のデイサービスセンター2か所に送迎を受けて通う日が続いた。家族の中では、由貴子さんが家で母親の介護をし、妹が仕事で家計を助けていたという。

家族の負担も重くなったため、「自殺」4日前の2009年4月16日には、ケアマネージャーを中心に介護サービス関係者6人が、由貴子さんの家に集まって担当者会議を開いた。そこでは、今後の介護をどうすべきかについて、由貴子さんを交えて話し合った。当日の由貴子さんについて、武蔵野市の高齢者支援課担当者は、先述のような話をしたうえで、「介護に悩んだり疲れたりなど、特に変わった様子はなかったと聞いています」と話す。由貴子さんは、「ありがとう」と感謝の言葉を述べていたともいう。

「自殺」が分かった21日は、デイサービスの担当者が朝に迎えに行って不在だったため、由貴子さんの携帯などに留守電を入れた。その後、帰宅した妹から聞いたところ、「母と姉は父のお墓参りに言ったと聞いています。キャンセルし忘れたのですかね」と話したという。

武蔵野市の担当者は、由貴子さんの母親に対する介護支援について、「サービスを拒否することもなく、協力体制がありました」と説明する。重度の要介護状態になった母親が施設入所しなかったことについては、「市の在宅介護は充実しており、自宅でサービスを受ける人も多いです。施設に入るかは、それぞれの家族の事情があると思います」と話している。

認知症などは家族の負担になっていることも多く、最近は「介護自殺」「介護殺人」が頻発している。
日本介護クラフトユニオンの広報担当者は、「家族介護で、介護うつになる人も多いようです。要介護度5までいくと、在宅介護はなかなか難しいかもしれません」と言う。一方、認知症の人と家族の会の小川正事務局長は、「家族同士がつながればアドバイスで悩みが救われるので、由貴子さんもそうであったなら、とも思います。できれば、住み慣れた家で介護を受けるのがいい。しかし、日本では、在宅での家族支援は立ち後れており、そのためにも、介護従事者の待遇改善などが今後必要になってくるでしょう」と話している。

蛇の思い出

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今日の名言

大食おおぐらいをして、眠りをこのみ、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、糧(かて)を食べて肥る大きな豚のようである。
『仏弟子の告白』

05ainokura11立ち上がるまつ青な草蛇脱げり 秋本敦子

現実の風景や事物から得られる瑞瑞しい実感と、そこから発する動的なエネルギーが表現に満ちている。蛇の脱皮の営みを包み込む草原の息吹が感じられる。草を動的に捉えて「立ち上がる」というところ。

草に対して敢えて「まつ青」と形容するところ。季題である蛇の衣や蛇皮を脱ぐとは違う「蛇脱げり」と舌足らずのようにいうところ。すんなりと書かれているように見える表現のひとつひとつに強烈な作者の個性と工夫が生かされている。

過去の文体やら「俳諧味」やらにちょっと自己流をトッピングして俳句巧者を気取る俳人も多い。そういう俳人に限って「だいたい典拠のない表現なんか成り立つのかね」とうそぶく。この句のように、まっさらな自分だけのものへの希求無くしてどこに文学の志があろうか。『幻氷』(2002)所収。(今井 聖)

杖一本 草畦道を 蛇渡る 

最近は蛇を見なくなた。青大将・マムシ・山かがし・地もぐり・シマヘビなどがいたが環境の変化でいなくなってしまった。家の天井などいたりしてねずみなど捕食していた。十姉妹の籠に入って3匹を飲み込んでお腹が膨らんで入った鳥かごから出られない青大将を成敗したことがあった。

蛇もこの時期から、活動を始める頃だろう。畦道を歩いていると目の前に杖のように横たわっているところをよく見かけたものだ。静かに、ゆっくり動くものだから気がつかないで、蛇と分かってビックリしたものだ。

24節季で穀雨 (こくう)(4/24~5/4) である。田んぼに水を川から入れる掘りの整備をする頃だ。そして苗代作りが始まる。
田んぼや畑の準備が整い、それに合わせるように、柔らかな春の雨が降る頃。この頃より変りやすい春の天気も安定し日差しも強まる。

2009年4月23日 (木)

深刻化するミツバチ不足

05ainokura11 むかし、レンゲが咲いている田んぼにミツバチが花に止まって蜜を吸っている光景がよく目にしたものである。私の住んでいる近くには、開発されて田んぼはなくなり、ましてレンゲなどは目にすることは出来ない。

ミツバチ屋さんに行くと、今の時期、菜の花・レンゲ・アカシア・梨などで季節の香りがする物が売られていて季節感を味わえた。ところが、NHKのニュースでミツバチが足りないという。全国各地で受粉用のミツバチが不足し、農作物への影響が心配されているそうだ。

NHKスタジオパークより

ミツバチ足りないのかというと?
ミツバチというと、養蜂家が箱で飼育して蜜を集めるのが有名だが、、もう一つの重要な役割が農産物の受粉だそうだ。受粉をキチンと行わないと綺麗な実がつかない。そこで農家はミツバチを養蜂家から買ったり、借りたりして受粉作業に使うのだが、このミツバチが各地で不足しているという。

どのくらい不足しているのかというと?
これは農林水産省が、ミツバチの不足がどこで起こっているのか緊急に調査したもの。これによると、山形や福島、千葉、群馬などの関東周辺。さらに中国地方や九州などを中心に全国21の都県でミツバチが不足していることが分かった。
こうした地域では、イチゴやメロン、なすなどのハウス栽培。それに野外でのなしやリンゴ、サクランボなどの受粉をミツバチに頼っている。もしミツバチが使えなくなれば受粉作業は最悪、人の手で行わなければならない。農家は高齢化していますし、また大規模にやっているところほど、影響が大きい。


実際に影響も出ているのか?
ミツバチ不足は去年の秋くらいから深刻化しており、収穫が終わりに近づいているイチゴでは、東京や香川、徳島で収穫量が見込みを下回り、静岡や佐賀などでも受粉がうまくいかずイチゴの形が悪くなったとの報告が寄せられている。
イチゴ農家では、毎年10月頃に養蜂家などからミツバチの群れを箱ごと購入するのだが、例年だと1万円から1万5000円だった群れの価格は5割近く上がっていて、十分にミツバチを確保できなかった農家も少なくなかったという。
これまで夏が暑くてハチが弱ったりすることはあったが、ここまで不足したのはこれまでにはない。


しかしなぜ、ミツバチが不足しているのか?
いろんな要因が絡んでいるが、主な原因と考えられているのは三つ。
一つはハチの大量死で、原因と考えられているのが農薬。去年も北海道で大量に蜂が死に、死んだミツバチから、稲につくカメムシ駆除用の農薬が見つかった。この農薬は人間にはあまり影響はないが、虫に対する毒性は強力。蜂は農薬に汚染された花の蜜や水を巣に持ち帰って、これが大量死を引き起こしたのではないかという説。
 そして二つ目はダニの影響。ハチにはヘギイタダニという主に幼虫に寄生するダニがおり、ハチの体液を吸ってしまう。最近は薬も効かなくなりハチの繁殖力を弱めているという。
そして三つ目は、輸入のストップ。
これまで日本では、花粉交配用ミツバチの17%ほどをオーストラリアやハワイから、輸入してきた。女王蜂を輸入し、国内で増殖した後これを交配に使っているのだが、オーストラリアなど輸出国でミツバチの伝染病が発生し、すべての輸入がストップしている。これが大きな打撃となったというわけ。

アメリカで起こっているハチの失踪とは関係ない?
アメリカでは2005年あたりから、働き蜂が突然巣からいなくなってしまう、CCD「群れ崩壊症候群」と呼ばれる現象が全米に広がり、深刻な農業問題となっています。原因もよく分かっていませんが、すでに全米の4分の一のハチが消滅したと言われている。
日本でも畜産草地研究所が去年、全国の養蜂家にアンケートを行ったところ、23%が、原因不明で蜂の群がいなくなったと回答している。
アンケートを実施した「木村きよし」さんによると、断定は出来ないが、ハチが弱っている状況はアメリカによく似ていて、注意深く観察する必要があるという。

今後影響は広がっていくのか?
農林水産省では、国内でのミツバチの数を増やすことを考えている。ところが状況はなかなか厳しい。
国内の養蜂家の数は、昭和55年には1万戸ぐらいいたのだが、年々減り続け現在は、その半数の5000戸。海外産の安い蜂蜜との競争という理由もあるが、なにより国内に蜜源となる花が少なくなっている。
重要な蜜源だった菜の花は国内で油を作らなくなって観光用にしか残っていませんし、レンゲもかつては畑の肥料として作られていたのだが、化学肥料が出来て見ることも無くなってきた。日本の農業の構造が変わり、養蜂家の数が少なくなっては、ハチの数も増やせない。


今後どうなる?
農林水産省は当面は、全国の不足状況を見ながら、ミツバチをやりとりする需給調整を行い、ながら、病気が発生していないアルゼンチンから女王蜂の輸入を進めるとしている。
ただ世界的にミツバチの世界がおかしくなっていることを考えると海外頼りは危険。国内でも例えば使われていない農地に花を植えるなど、ミツバチ農家を支援する体制を組むことが必要。

麻生首相の理念が見えない

06oga_toga11靖国神社の春季例大祭に、麻生首相が真榊(まさかき)を奉納した。「内閣総理大臣 麻生太郎」という札がついたサカキの鉢植えで、代金は私費で5万円を支払ったという。

参拝ではなく供え物なのか「説明する必要を感じない」「いろんな状況を勘案して」と言っていた。今後参拝するかどうかについては「適切に判断する」と、いい曖昧だ。 今一、信念がないように見受けられる。

遺族や国民が戦没者を悼み、感謝をささげたいと思うのは、自然だ。春秋の例大祭や終戦記念日などに靖国神社に参ったり、供え物を納めたりするのも、その気持ちの素朴な表れだと思う。

だが、内閣と政府を代表し、外交に責任をもつ首相がそうした行動をとるとなると、大きな問題となる事は分かっているのかなぁー。

また、「将来ビジョン」「国家像」を画いて国民に示すことは大変重要であるが・・・。ぶれない政策で国民の不安を取り除き「安心・安全の社会」を希求して貰いたい。

毎日新聞社説・・・2カ月の議論で果たしてあるべき「国家像」が浮かぶのだろうか。日本の将来の方向や基本政策を各界の有識者が検討する政府の「安心社会実現会議」が発足した。

少子高齢化など高まる国民不安に答えるために社会保障を中心に未来の国家像を示す、との問題意識は賛成だ。ただ、肝心の麻生太郎首相の理念がどうも見えない。これでは、具体的イメージを国民に打ち出せないまま、消費税増税への地ならしに終始することもあり得る。やはり、本来は政治家が腰を据えて議論すべきテーマである。

新設された会議は小泉構造改革が進めた「小さな政府」路線や、市場重視主義に伴うひずみが国民の将来不安を強めていると分析し、医療、年金などの社会保障や安定財源の確保に向けた将来ビジョンを描くことが目的だ。発足を主導したのは消費税率引き上げに積極的な与謝野馨財務・金融・経済財政担当相だ。小泉改革をリードした経済財政諮問会議は、構造改革路線が基本だけに、別の会議の方が麻生首相が掲げる「中福祉、中負担」の具体化には得策との要素もあるようだ。

衆院選が迫るにつれ与野党の議員心理が落ち着きを失い、長期的視野に立つ議論がなかなか聞かれないのが現状だ。それだけに与謝野氏が言う「超然たる立場」で国家ビジョンを論じることに異存はない。特に、今回は国と地方の関係の整理や、地域共同体のあり方も俎上(そじょう)に載せようとしているのは理解できる。

ただ、会議のメンバーでもある首相自身が何を描こうとしているか、理念や哲学が示されないのでは困る。各界から幅広く論客を募っても、議論が丸投げでは論点が散漫になる懸念はぬぐえない。6月に総論の報告書をまとめ、経済運営に関する09年の「骨太の方針」に反映させる方針だが、消費増税への布石狙いとの見方もある。財政安定に向けた議論はむろん重要だが、福祉、地域社会のビジョンが貧弱では説得力を持ち得まい。

また、小泉構造改革の総括も必要だ。初会合では小泉改革の見直しを促す発言が相次いだが、方針転換ならば明確にアナウンスすべきだ。今後の諮問会議とのすみ分けや「骨太の方針」の位置づけも課題だ。改革の何を引き継ぎ、何を見直すかを具体的に議論しなければならない。

次期衆院選を半年以内に控えての発足だけに、与党には報告書の一部をマニフェストに取り入れるべきだ、との意見も出ている。しかし、こうしたビジョンはそもそも国民から選ばれた国会議員が主導し、有権者に示すべきではないか。待たれるのは政党の奮起である。

宮ヶ瀬ダムは新緑に輝いていた

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今日の名言

思考という要素を何ら含まないでは、意味をもつ経験はありえない。
デューイ『民主主義と教育』(上)

0703ze01a1珈琲や湖へ大きな春の虹 星野麥丘人

珈琲は作者自身によってブラックとルビが振ってある。珈琲(ブラック)や、と濃く熱く入れた飲み物に詠嘆しているわけで、しかも珈琲を飲んでいる眼前の湖に淡く大きな虹がかかっている。阿部青鞋に「天国へブラック珈琲飲んでから」という句があったように思うが、この句は青鞋の思いに答えたかのような色合いである。

春の虹は夏の虹に比べると色も淡く、たちまちのうちに消えてしまう性質を持っているようだが、それだけに美しく名残惜しいものだろう。ゆっくりと珈琲を飲み終わるころには虹は失せて、すっかり元の光景に戻っているのかもしれない。

麥丘人(ばくきゅうじん)の句は事実だけを述べているようで、なんともいえない老年の艶のようなものがあり、この句も口に入れると淡々と解ける和菓子のような味わいだ。日々の生活に追われるなかで麥丘人の句を読むと肩の力がほんの少し抜けるような気がする。『燕雀』(1999)所収。(三宅やよい)

新緑や 湖に浮かぶ 白き船 

雨上がりの昨日、宮が瀬ダム経由で、伊勢原の知人宅に野菜を買いに出かけた。宮ヶ瀬の湖の周りはすっかり新緑に包まれつつあった。緑が燃え盛る炎のようにも思えた。高台から湖を眺めていると、山陰から、白い観光船突然現れた。夏日となる暑さで、さわやかな光景に、しばらく見入ってしまった。

宮ヶ瀬ダムと言うと箱根の芦ノ湖と同じくらいの水をためる巨大な貯水池。新たに利用できるようになる水は一日に最大130万m3で、横浜市や川崎市など15市5町にくばられるということだ。

私はダムが出来る前から、この辺の中津川、早戸川などに遊びに来ていてダム工事が進む状況を見てきた一人である。ダム底になってしまった。あのお土産やさんの日に焼けたお婆さんは、今どうしているかなぁー。

2009年4月22日 (水)

朝食に、必ず食べているもの

539571 私が朝食に必ず食べているものは、牛乳(18CC)に黒ゴマ入りきな粉とウコン・ココア(小さじ一杯)でレンジで暖めて(700度:2分)を必ず摂っている。

一日置きに納豆に山芋細くきざんだものを摂っている。そして、人参・ブロコリー・ピーマンを茹でた物を容器に盛り付け、バナナ(1本の半分)トマト半分・リンゴ4分の一個は毎日必ず摂る。そして、酢大豆・20粒ぐらい・ナッツ10粒を食べる。また鰯缶詰一個の半分をしっかり取っている。したがって、ご飯は摂らない。サラダ風の野菜はドレッシングかけない。」

私のモットーは、「健康は、食にあり、食は農・漁のあり農・漁は自然にあり、自然は大事だ。自然を守ることに努めなければ人間は滅びる」

世襲議員の制限

10247681昨夜のスーパーニュースで、「世襲議員」の問題を取り上げていた。私も日ごろこんなに多い人が世襲議員いるのはちょっと問題があると思っていたが、4割とは・・・。

公平な選挙・本当に本人の実力があるのであればいいのだが、首をかしげたい議員もいる。自民党内に制限の話があるようだが基準の決め方が難しく、無理なような気がする。

J-CSTニュース・・・世襲議員が4割近くを占める自民党内で、「世襲制限」を次期衆院選のマニフェスト(選挙公約)に加えようという動きが持ち上がっている。世襲を検討している議員も多いなか、当然、反発の声もあがっている。はたして、公約として掲げることはできるのか。

2009年4月13日、自民党の選挙対策副委員長・菅義偉衆院議員は都内の講演で、「自民党も身を切っていると思われないと選挙には勝てない」と危機感を示し、具体策として両親から選挙区を受け継ぐ「世襲」の制限や、国会議員の定数削減などを挙げた。この後、党内から反論が出たが、菅議員は20日の講演でも改めて、「党の覚悟のほどを国民に示す必要がある」と「世襲制限論」を引っ込めなかった。

一方、麻生首相は15日、官邸で記者団に、「立候補は被選挙権を得た人ならどなたでも、ということになっている。制限はなかなか難しい」と慎重な姿勢だ。河村建夫官房長官は20日の記者会見で「立候補の自由、選挙の自由がある」として法規制は難しいとの見解を示している。

また、21日午前閣議後の記者会見でも、「世襲議員」から異論が相次いだ。小渕優子少子化対策担当相は「世襲だから良い悪いではなく、仕事の内容を見てもらいたい」とし、鳩山邦夫総務相も「党の内規で決めることはできるが、法律を作れば必ず違憲判決が出る」。金子一義国土交通相も「意味のある議論ではない」と反発の声が大きい。

毎日新聞が08年10月18日と19日に実施した、国会議員の世襲についての全国電話世論調査によると、「世襲は避けるべきだ」との回答が48%、「有権者が選ぶのだから問題ない」が44%と、賛否が分かれている。ただ、懸賞サイト「チャンスイット!」で09年1月20日まで行われた「世襲で好ましくないのは?」というアンケートでは、投票総数2554票のうち「政治家」との回答は67%(1735票)と、「世襲は悪くない」との回答9%(246票)を大幅に上回っている。

政治家のデータベース「ザ・選挙」を公開している、市民記者によるニュースサイト「JANJAN」の運営会社「日本インターネット新聞」の竹内謙社長は、「そもそも『政治家』は、独立して国民の信を問うべきで、世襲すべき性格のものではない」とし、世襲により「新陳代謝が働いていない」ことが要因で政治家の質の低下を招いている、とも指摘する。

「特に『地盤』と『カバン』はすぐにでも改革すべき。『職業選択の自由』を盾に反対する議員もいるが、親の『地盤』から出馬しないなど選挙区を変えること。また、『カバン』と呼ばれる相続税のかからない政治団体の資金に関しても、これを引き継げないようにすべきです」

また、自民党内から反対の声が上がっていることに関しても、「七光りを利用しながら務めている議員がそういう声を上げているのでは」と批判的だ。では、「世襲制限」がマニフェストに盛り込まれる可能性はあるのか。

「自民党内の問題で、難しい面もあるが、同党も半分以上の議員は世襲ではない。国民からも賛成される政策だと思われる。人気取りのアドバルーンでは仕方がないが、実現に向け、おおいに頑張ってもらいたいところです」と話している。

ツバメとこぬか雨

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今日の名言

気まぐれな読者に数時間の気晴らしを与えたり、旅の退屈しのぎをさせたり、そんなことのために、著者はいかに骨を折り、いかに不快な経験に耐え、いかに心痛に悩まされたことか。
モーム『月と六ペンス』
03kisyoubu11 つじかぜやつばめつばくろつばくらめ 日夏耿之介

燕は「つばくろ」「つばくら」「つばくらめ」などとも呼ばれ、「乙鳥(おつどり)」「玄鳥(げんちやう)」とも書かれる。「燕」は夏の季語とまちがわれやすいけれど、春の季語である。しかも「燕の子」だと夏の季語となり、「燕帰る」は秋の季語となる。

それだけ四季を通じて、私たちに親しまれ、珍重されてきた身近かな鳥だということなのであろう。さて、耿之介の詩句には、たとえば「神の聖座に熟睡(うまい)するは偏寵(へんちょう)の児(うなゐ) われ也/人畜(もの)ありて許多(ここだく)に寒夜(かんや)を叫ぶ……」という一例がある。

漢語の多用や独自な訓読など、和漢洋の語彙を夥しく散りばめた異色の詩のスタイルで知られた耿之介が、反動のように平仮名だけで詠ったのが掲出句。しかも春の辻風つまり旋風に煽られて、舞うがごとく旋回するがごとく何羽もの燕たちが勢いよく飛び交っている情景だろう。

燕は空高くではなく低空を素早く飛ぶ。「つばめつばくろつばくらめ」と重ねることによって、燕たちがたくさん飛んでいる様子がダイナミックに見えてくる。勢いのある俳句である。俳号は黄眠。『婆羅門俳諧』など二冊の句集があり、「夏くさやかへるの目玉神のごとし」という句もある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)

こぬか雨 濡れて歩けば ツバメ飛ぶ

昨日は、朝から傘は必要のないほどのこぬか雨が降ったり止んだりしていた。何時も行なっているゴミ拾いをちょっと躊躇したが、出かけみた。ゴミの山となった場所が以前より気になっていたので、何んとしても整理したいと思って目的地に行ってみた。

袋に一杯となったがその時雨が、急に強くなり道行く人は傘をさして歩いている。帽子から雫が落ちるようになり上着が濡れて重くなった。そんな時ツバメが、驚いたように「ピチ・ピチ」鳴きながら通り過ぎていった。

家についたら女房に叱られた。「着ているもの全部替えないと風邪をひくよ、雨が降っているのに傘も差さずに・・・」でも毎日行っているゴミ拾いができて、充実した気分が残った。

雨は家についたら止んでしまった。夕方から音を立てて強くなり、そして防犯パトロールは中止となった。

2009年4月21日 (火)

和歌山カレー事件

24191動機・証拠なき殺人事件といわれて11年前の和歌山の普段は平穏な田舎の夏祭の会場で起きたショック事件だった。遺族の方の思いは・・・。

元素記号は、「AS]生物に対する毒性が強いことを利用して、農薬・木材防腐に使用されるという。「ヒ素」なんて普通の家庭では、日常使われない。シロアリ駆除などに使われるという。カレーの中に人が死ぬことを目的に混入させた人間がいることは間違いない。

平成10年に4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒になった和歌山の毒物カレー事件で、殺人などの罪に問われ1、2審で死刑判決を受けた林真須美被告(47)の上告審判決で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は21日、真須美被告側の上告を棄却した。

真須美被告を死刑とした1審和歌山地裁、2審大阪高裁判決が確定する。弁護団によると、弁護人が大阪拘置所に拘置中の真須美被告に判決を伝えるという。

裁判を通じて真須美被告側は「ヒ素を混入する機会も動機もなかった」などとして、一貫して無罪を主張してきた。カレー事件への関与を示す直接証拠がないなかで、検察側は状況証拠を積み上げて、真須美被告の犯人性を浮かび上がらせる立証を展開した。

残忍で卑劣な犯行で、落ち度のない4人の命を奪った責任はきわめて重い」として林被告の上告を退け、あらためて死刑を言い渡した。これにより、林被告の死刑が確定することになった。

西松事件の結末は?

07akitakoma_sumire11私の前の家に、報道記者が最近見えない。なぜなら、二階俊博経済産業大臣の公設第一秘書の家があるから、何とか情報を聞き出したいと言うことからである。連日連夜張り込んで一ヶ月経ったが何の成果もない。当の本人が雲隠れして行き先が不明であるらしい。そのため諦めて?しまった。なにやら頓挫してしまったようである。

捜査のほうはどうなっているのか、今問題となっている民主党の小沢代表の秘書の逮捕の影響で、小沢代表は守勢のの廻ってしまった形である。

しかし、自民党の二階俊博経済産業大臣など自民党大物政治家の捜査はどうなったのか、国民の政治不信は高まるばかりである。

民主党の小沢代表は、党首討論を拒んで全国お詫び行脚を始めているようであるが民主党の信頼は失墜?しそうだ。千葉・秋田と知事の連敗?もかなり影響があったものと思う。

名古屋市長選(26日)が勝負である。民主党も何とか一矢を報いたい思いだろう。力の入れ方が違うようだ。後半戦に入った名古屋市長選は19日、主要3陣営の応援に支援政党の幹部らが東京から駆け付けた。選挙戦は、あくまで減税を前面に出す前民主党衆院議員の河村たかし候補(60)と、同氏の危うさを強調し、河村氏との対比で自らの政策を訴える他陣営という構図が目立ってきた。

西松事件は、容疑が晴れるまで、国民に説明の責任がある。うやむやにするような事があっては政治不信は高まるばかりだ。

読売新聞社説・・・西松事件の追及を恐れて逃げている、と思われても仕方なかろう。自民党が打診している党首討論の開催を民主党が拒み続けている。「政治と宗教」の集中審議の実現が先だと言ってみたり、その週は海賊対処法案の審議入りの本会議があると言ってみたり、拒む理由としては、どれも苦しい。

自民党側には、小沢代表の公設第1秘書が起訴された西松建設の巨額違法献金事件を取り上げて、民主党を揺さぶる狙いもあるのだろう。だが、そのことを割り引いてもなお、民主党の姿勢はいかにも腰が引けた印象を与える。

過去最大規模となる政府の追加景気対策に対し、民主党は「大盤振る舞い」と批判し、対案の提出を検討している。具体的中身に踏み込んで政府をただせばよい。

西松事件にしても、民主党は企業・団体献金の将来的な全面禁止の方針をまとめたばかりだ。麻生首相に「政治とカネ」を巡る議論を挑むことも可能だ。

民主党の政策をアピールし、自民党との違いを国民に理解してもらうには、党首討論は絶好の機会のはずだ。それを放棄すること自体が、民主党のダメージになりかねない。

党首討論は毎週水曜日に開くことが原則にもかかわらず、近年は年2~3回しか開かれていない。最大の原因は、「本会議、予算委員会もしくは重要法案の審議に首相が出席する週は開催しない」との与野党申し合わせにある。首相が国会に縛られるのを嫌って与党側が開催見送りを主張する場面が多いが、今回は、民主党側が申し合わせを盾に取った。

だが、党首討論は1999年、自由党党首だった小沢代表が当時の小渕首相に働きかけて制定された国会審議活性化法の柱となる制度だ。導入の立役者が率先して制度をないがしろにするのは理屈が立たない。そもそも党首討論を今開いたとしても、小沢代表が不利になるとも限らない。

昨年11月の党首討論は、景気が急減速する中で2008年度2次補正予算案の提出を先延ばしすることを小沢代表が追及し、麻生首相が答弁に窮する場面もあった。小沢代表の「圧勝」と受け止めた国民も多かったのではないか。

党首討論を拒否し続ければ、衆院選を控え、民主党のイメージは低下する一方だろう。反転攻勢の機会をつかむためにも、小沢代表は積極的に論戦の先頭に立つべきではないか。

稲科の雑草

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今日の名言

この世は無常迅速というてある。その無常の感じは若くてもわかるが、迅速の感じは老年にならぬとわからぬらしい。
倉田百三『出家とその弟子』

L1いくらでも眠れる体サイネリア

以前「夕方ちょっと眠るつもりが起きたら朝だった」という失敗談をしていたら、「眠るのも若さ」と言われたことがある。たしかに加齢とともに、少しの物音にも目覚めてしまうことが多くなった。いくらでも眠れる掲句の身体は、春のけだるさとともに、健やかな若さも表現している。

また、いつまでも眠り続ける「いばら姫(眠れる森の美女)」の眠りは、魔法使いの呪いによるものであり、りんごを喉に詰まらせた白雪姫が柩に横たわる姿を王子は「まるで眠っているようだ」とつぶやく。これらの寓話は、眠り続ける姿と禍々しい死はごく親しいものがあると感じさせる。

一方キク科のサイネリアの花言葉は「いつも快活」。その名の通り、春そのもののようなカラフルな花との取り合せに、一瞬残るわだかまりは、眠りの底に流れている薄気味悪さをひっそりと引き出すことに成功しているからだろう。〈犬は腹見せ合い眠る桃の村〉〈わたくしを呼んだか振り向けば椿〉『満ち潮』(2009)所収。(土肥あき子)

もの凄い 春草を扱ぐ 気合いれ

イネ科の草で、昔は見かけなかった雑草である。背丈が、1メートル位伸びてこの草に占拠されて、他の雑草は生えない。困った事に鎌で刈っても、直ぐと伸びてくるシツコイ草である。そのままにしておけば、麦のような(燕麦)実をつける。恐るべき繁殖力である。

そんな雑草が川の堤防の通路を占拠してしまいそうで、その征伐をツルハシで根こそぎ処分する作業を行なった。根の土を落として枯らす作戦である。

慣れない作業で身体が痛くなった。特に手足が重く感じられて来てしまった。何とか目標の分まで達成できた。時間は5時を過ぎていて気がついたらビッショリに下着が濡れていた。

この草が、花が咲くと花粉症を発祥するらしい。女房はこの草の花粉に悩まされるようである。

2009年4月20日 (月)

晩春から初夏

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今日の名言

うれしまぎれに、軽はずみな承諾を与えてはならない。酒の酔いにまかせて、腹を立て怒ってはならない。
洪自誠『菜根譚』

07_10241朝寝して敗者に似たる思ひあり 菅原けい

季語は「朝寝」で「春眠」に分類。父が早起きの性だったことと農家だったことで、子供の頃から早起きだった。起床は遅くとも午前六時。それ以上寝ていると、父に容赦なく布団をひっぺがされた。それが性癖となってしまい、夜明け前に起きるのはへっちゃら。と言うよりも、太陽が顔を出す前に自然に目がさめてしまうようになったのである。

おかげで、後年ラジオの朝番組のときには大いに役立った。しかし、何かの拍子に、起きると外が少し明るい朝もある。そんなときは、この句の作者のようにみじめな気分になってしまう。「ああ、シッパイした」などとつぶやいたりする。なんとなく損したような気分なのだ。

この句はたぶんそんな早起き人間にしかわからないだろうが、少しくらい朝寝したからといって、別に生活に支障があるわけじゃなし、どうしてみじめな気持ちになってしまうのか。自分の意思とかかわりないところで、性癖が崩れることに漠然とした不安を覚えるからなのだろうか。三十代でやむをえずフリーという名の失業者になったときには、早起きの自分にいささか辟易させられた。

早く起きたってすることもないので、それまでなら出勤する時間まで何もせずに過ごしていたのだが、これがなかなかに辛かった。早起きは習い性だったけれど、朝の時間に読書とか何かをする習慣はなかったからだ。たまらなくなったので、机の前に次の江戸狂歌を大きく書いて貼っていた時期がある。「世の中に寝るほど楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起きてはたらく」。座右の銘のつもりであった。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)

鯉のぼり 川一杯の 相模川

昨日散歩していて鯉のぼりが気持ちよく泳いでいるお宅を見たが、相模川の鯉のぼりを思い出した。晩春から初夏の侯だ。

この時期になると、相模川でこいのぼりが気持ちよく泳いでいるのを見ることが出来る。近頃こいのぼりは上げる家は少なくなった。またアパート・マンションでは上げられない。

そんなこいのぼり事情があるのだろうか相模川の高田橋上流で川幅一杯にロープを張り何百匹のこいのぼりを泳がせている。観光目的だろうが、これだけのこいのぼりを集めることは大変だろう。初夏のような暖かさの風に吹かれて気持が良さそうだ。

新緑の季節となって川で泳ぐ本当の鯉は、空を見上げて、その大きさにビックリしていることだろう。そして川原ではバーべキュウを始めている若い人のグループが何組かあるだろう。

昨日は、二日酔いのために、体長が優れず、ちょっと草刈をしたのだが、今まで経験のしたことがない「疲れ」感じてしまった。昨夜は超早めに寝たのだがやはり、今朝は2時に目が覚めてしまったが「まぁーまぁー」だ。でも無理のきかない年という事をつくづく認識させられた。

2009年4月19日 (日)

森林再生が急務

03kisyoubu11_2枯れ木に花が咲いたかと思ったら、新緑の季節となり、野山に生気が甦ってきた。植物は人間などの炭酸ガス吸収し酸素を吐き出す。

植物は光合成をする。これは誰でも知っていることである。植物は光エネルギーで炭酸ガス(二酸化炭素)を有機物に換え、酸素を産出する。国内の大きな森林が吸収する分、多くの炭酸ガスを排出しても良いと主張する大国さえあるほどだ。

美しい自然に囲まれた、日本の山々を保全していく事は日本の大きな課題である。将来に投資することを忘れてしまったら、手遅れとなってしまう。手立てが遅くなればなるほど、投資額が高額になる。荒廃した森林を甦らすには、思い切った対策が必要だ。

朝日新聞社説・・・日本は国土の67%を森林が占める。京都議定書に基づく温室効果ガスの削減率6%のうち、6割を森林の吸収力でまかなうと約束したほどだ。ところが、この緑豊かな国土が荒廃の危機にひんしている。戦後に植えられた森林が木材として利用され始める時期を迎えているのに、林業にそれを行える十分な力がないのだ。

中小零細の山主が多く、大規模で計画的な経営ができない。高齢化と後継者難も深刻だ。木材相場の低迷で採算が悪化し、設備投資もままならない。

この窮状を根底から逆転させようという挑戦が、中国地方の山里で始まった。兵庫と鳥取との境にある岡山県の西粟倉村(にしあわくらそん)。「平成の大合併」を拒み、昔から生業にしてきた林業で自立することを誓った村である。

第一歩は、細かく分かれた私有林のとりまとめだった。600人の地権者が10年間、森を村に預け、村が経営して収益を還元する。道上正寿(みちうえ・まさとし)村長が12の集落で50回ほど説明会を開いて、この契約をとりまとめた。個人では最先端の大型伐採車両は買えない。それを通す作業道も引けない。「村に任せるしかない」と人々が団結した。

次は資金調達。普通なら村が債券を発行するところだが、西粟倉はひとひねりした。CDづくりの資金をネット経由で多くの音楽好きから集めているベンチャー企業、ミュージックセキュリティーズ(東京都)のシステムを今月から使うことにしたのだ。

森を大事にしたい全国の人から1口5万円、総額1億円の出資を募り始めた。これで大型伐採車両を買い、森林組合に貸す。作業の改善では、尾鷲ヒノキの美林経営で有名な速水林業(三重県)の指導を受ける。

さらに人だ。森林組合がこなす面積を6倍の年300ヘクタールへ増やすが、必要な増員はすべて都会の若者から募集する。「地元の人を優先して」という声もあったが、田舎の林業に希望をもつ人材を村へ呼び込むことが、村全体の刺激になると考えた。

流通と加工面も改革する。木材価格の低迷の裏には、木材の産地が都会の住宅の好みを知らず、売れる部材を提供できなかったり、必要な時に必要な量の木材を供給できなかったりする問題がある。ここにメスを入れる。

そのため、産地直送住宅や木材加工品の商社を村につくる。この社員にも都会の若者を雇う。都会の設計事務所や工務店と連携し、設計施工の改善や供給の安定化を図る。

林業を再生させるには、「人・モノ・カネ」の三つの面から、衰退の流れを逆転させる。そんな戦略が必要なのだろう。 小さな山里で始まった小さなグリーン・ニューディールだ。成功例となって全国に広がることを期待したい。

春の陽射しは心地よさ

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今日の名言

地上をあまりいい気になって濶歩(かっぽ)するでない。
別にお前に大地を裂くほどの(力がある)わけでもなし、高い山々の頂上まで登れるわけでもあるまい。
『コーラン』(中)

08adachi_bizyutukan11窓ぎわの花に眠気の容疑あり 村井和一

たとえば人前でスピーチをするときには、下手なジョークを入れずに、場に合った内容の話を、ひたすらまじめに伝えることに終始したほうが、間違いがありません。句を読む時にも、それと同じことが言えるのではないでしょうか。まじめに詠まれた句は、その句がどのように読者に受けとめられるかということに、それほど神経をつかう必要はありません。

しかし、多少でも「おふざけ」の要素が入った句は、かなり慎重に読者の受け止めかたを見極めておかないと、とんでもないことになります。本日の句も、「容疑あり」の一語で、大きな危険を冒しています。しかし結果としては、とんでもないことにはならなかったようです。

のんびりとした休日の午後、窓際の椅子に座って、好きな音楽でも聴いていたのでしょうか。そのうちにうつらうつらと、心地よい眠気が襲ってきています。この眠気はほかでもないこの花のせいではないかと、他愛のない言いがかりを付けているのです。気がつけば「容疑あり」の一語は、「窓ぎわ」や「花」に負けないほどに、春の明るさを伝えてくれています。「俳句界」(2009年4月号)所載。(松下育男)

けだるさに 歩幅も少し 狭くなり

暑くもなく、寒くもなく、のどかな春の陽射しが心地よい。その上お昼過ぎのお腹の方も満足している時、散歩していても緊張感がなくなる。したがって歩幅が狭くなり、目的地に行くのに何時もより時間がかってしまう。昨日は風もなかったのでなお更だった。

四月は年度かわりである町会の総会を行い、100人近く出席があった、何とか自分の会計の無事承認されて、また新たに今年度のスタートすることが出来た。

お祝いということで執行部だけで、慰労会を行なった。大分飲んで、とうとう午前様となってしまった。したがって朝食は殆ど取れなかった。胃がおかしい、頭が重い。いわゆる二日酔いである。さすがに今朝は、早朝パソコンは出来なかった。

2009年4月18日 (土)

東芝の赤字3500億円に拡大

05sikotuko31「東芝の赤字3500億円に拡大、自己資本比率10%割れへ」厳しい経営を強いられているようだが、この難局をなんとか乗り切ってもらいたい。17日読売新聞から・・・

財務の健全性を示す自己資本比率は8・2%となり、通年決算の公表を始めた1976年3月期以来初めて10%を割る見通しとなった。公的資金の活用?

税引き後赤字が膨らむのは、業績回復の遅れで09年度に十分な課税所得を確保できない見通しとなり、将来の税金の戻りを見込んで計上する「繰り延べ税金資産」を850億円取り崩すためだ。この結果、返済が不要な資金である自己資本が4500億円と、08年3月末比で55%減少。有利子負債は同42%増の1兆8000億円となる。

東京新聞web・・・東芝は17日、2009年3月期連結決算(米国会計基準)の業績予想を下方修正し、純損失を従来予想の2800百億円から3500百億円に引き下げたと発表した。業績悪化に伴う資本増強について村岡富美雄専務は記者会見で、公的資金で企業を支援する政府の新制度活用を「排除はしない」と述べ、選択肢の一つであるとの考えを示した。

東芝は有利子負債が増える一方、自己資本が減って財務内容が急速に悪化。09年3月期末の自己資本比率は前期比9ポイント悪化の8・2%と初めて10%を切り、資本増強が緊急課題となっている。

村岡専務は公的資金の活用について「現段階ではまったく考えていない」としながらも「(資本政策は)あらゆる手段を考えており、排除はしない」と含みを残した。

09年3月期の業績予想の下方修正は、将来の収益を見込んで計上していた繰り延べ税金資産約850億円を取り崩すため。一方、薄型テレビ事業が回復し年間黒字を確保したほか、メモリーなど半導体の売り上げが増加したため営業損失は2800百億円から2500百億円に改善する見込み。

同時に、非正規労働者を09年度末までに約3900百人削減することを表明。東芝はすでに昨年末から今年3月にかけて4500人の非正規労働者を削減しており、計8400人の大規模リストラとなる。

また、デジタルカメラなどで使われるNAND型フラッシュメモリーを生産している三重県四日市市の四日市工場は2月と3月に3割減産を行ったが、これを6月まで継続。7月以降は市況をみて判断するとした。

驚き、高級マンションの売れゆき

Center171高級マンションが飛ぶように売れていると言う。これだけで景気がよくなるかどうかは、分からないが、ちょっと遅い春が望めるかなぁ・・・売れる目安は、立地条件が良く、高層で眺望・高級感があることだそうだ。

しかし、買う人がいても特定のお金持ちの人に限るのではないかと思う。まだまだ一般庶民には叶わぬ夢であろう。

zakzak記事(抜粋)・・・日本最高層のマンション「パークシティ武蔵小杉ミッドスカイタワー」(川崎市中原区)は高さ約197メートルで、地上59階建て。三井不動産グループと新日石不動産が売主となり、竹中工務店が施工した。

東急東横線武蔵小杉駅から徒歩2分の好立地ながら、販売価格には割安感が漂う。もっとも数が多い「70平方メートルクラス」の物件が4000万-6000万円。一番高い物件が1億4990万円となっている。

平均坪単価258万円は、「販売を開始した2007年2月に価格を設定したので、その後のマンション価格高騰の影響を受けていないレベル。後になって開発が始まった周辺物件に比べて割安な設定」(三井不動産レジデンシャル)とか。

日本一の階数、割安な価格設定、駅から徒歩2分の好立地などの好条件が重なって、売れ行きは好調。全794戸の大半は販売済みで、今も販売しているのはわずか5戸となっている。

一方、階の数ではわずかに及ばないものの、地上からの高さでは日本一の「ザ・キタハマ タワー&プラザ」(大阪市中央区)。平均販売価格は約6700万円と決して低くはないが、こちらも地下鉄堺筋線北浜駅から徒歩1分という立地の良さなどから、ほぼ完売となっている。

ちなみに最上階54階の1戸(約303平方メートル)のお値段は約5億8000万円ナリ。どのような人物が購入したかは不明だが、販売済みという。

木の芽時

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今日の名言

生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
『古今和歌集』

05tasiroike11ふらここに坐れば木々の集まれり 井上弘美

最寄駅を出るとすぐ、通勤電車の車窓にこんもりと木々が見え、ああ、また丘がふくらんできたなあ、と実感している。この丘は公園になっていて、不必要な整備が好きな私の住む区にしては、木も地面もまあそのままの貴重な場所だ。その広い公園の端に、すべり台やぶらんこなど遊具が置かれている一画がある。

人がいないのを見計らって、逆上がりをしてみたりぶらんこを思いきり漕いだりするのだが、ちょうど今頃がぶらんこには心地よいかも、とこの句を読んで思う。萌え始めた木々に囲まれたぶらんこを遠くから見ている作者。ゆっくりと近づいてぶらんこの前に立つ。

体の向きを変え、鎖をつかみながら、その不確かな四角に腰を乗せ、空を仰いだ途端、ぶらんこを囲んでいる木々に包みこまれたような気持ちになったのだろう。そして風をまといつつ、しばらく揺られていたに違いない。

うらがへりうらがへりゆく春の川〉〈野遊びの終りは貝をひらひけりなど春の句で終わる句集の最後の一句は大いなる夜桜に抱かれにゆく〉。『汀』(2008)所収。(今井肖子)

あの山が うす緑に 頃となり

ちょっと目を離すと風景が変わっていく、回り灯篭のような感じである。片倉城址公園の木立が新緑で被いつくされてしまった。人間の身体が自然の移り変わりについていけないで、精神障害起こす季節とも言われる。

昔、親父から聞いた、木の芽時が精神障害者が多くなると言う。急な自然の変化に身体が馴染めないからだと思う。そして入学・入社で環境が変わるので一ヶ月間ぐらいは緊張と無我夢中の生活で心身ともに疲れ、5月病と言われる人が現れる。

しかし、現実は長引く不況で倒産・失業に5月病などで、自殺者が増える恐れがありそうだ。日本人の自殺者は、10年連続30000人を越えているそうだ。「ちょっと待てもう一度考えよう人生を」。

2009年4月17日 (金)

一日は一日されど一日

06_12801朝太陽が東の空から昇り、夕方西の空に沈む64億人が住んでいる地球と言う星に私も、住んでいる。春夏秋冬365日で一年終わる。毎日毎日、大宇宙の中で生かされているのであるが、その一日は人生に貴重な日と思う日はある。しかし、漫然と過ごしてしまっていることが多い。

今まで過ごしてきた一日一日が、その人の明日を左右し、明日を「明」るいものに作り変えることに考えを改めるべきだ。それには目標を持つべきで、今日一日をどう生きるかは、個人差はあるとしても、ただ無駄な一日だったと後悔するような一日で終わらせない事が大切である。

過去の日は絶対取り戻せない。タイムスリップは出来ない。だから一日24時間を有意義に過ごす事に少し考える事が大切と年を重ねてしまった現在反省している。

そうだ今日からでも考えてみよう。くだらない近所のうわさ話に振りま回されないで本当の自分の過去の反省を踏まえて将来を見据えて現在を確り生き貫くことだ。

一日は一日されど一日である。日ごろの些細な出来事に気を使って一日を終える毎日から充実感のある一日にしていきたい。そして、大切なことは、何をしようとその一日は絶対に人生の糧になり、同時に周囲の人々の人生に好影響を及ぼすのであるよう心がけたい。

葉桜の季節

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今日の名言

あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ! 死ぬなら二人で! ねェ、二人で!
徳冨蘆花『小説 不如帰』

10_10241_2花は葉にベイビーベッド組み立て中 マブソン青眼

花は葉に、葉桜の季節。葉桜の季節といえば、中学の国語教科書(光村図書)では、修道院の孤児たちとルロイ牧師との心の交流を描いた『握手』(井上ひさし)などが印象的な方も多かろう。の季節は育児が似合う。そして優しい気分になる。

今日の句も次月にだろうか、生まれてくる子供のために、ベイビーベッドを組み立てる「父親」像が思われる。母親と読んでも間違いではないのだろうが、ベイビーベッドの木枠を無骨な手で黙々組み立てる若い親父が似合う。

私は常々、名句の条件は①意外性②共感性③再現性、と言っているが、この句はベビーベッドの組み立てというフレーズが現代的で俳句としては意外でありながら、共感性は十分にある。「花は葉に」という柔らかい和語が、今後も育児世界と出会い佳句を量産していくように思われる。

私の『泉こぽ』にも「葉桜の葉になりたくて抱卵期」という句がある。
 今日の句は『恵壺(エコ)青眼句会合同句集』(参月庵 2009年)より。作者は 1968年生まれ。(塩見恵介)

葉桜に 今日の通夜は 雨になり

昨日は、近所の方のお通夜あった。奥さんに先立たれ体調を崩してしまい施設での生活を余儀なくされた。10年近くと言う。

近所の人からも忘れ去られてしまった。月日の経ったのがこんな事で実感させられた。10年という月日は近所の方の、お手伝いもままにならぬ、年になってしまったということである。

お天気がしばらく続いていたが昨日の夜遅く雨の予報である。ちょっと気を使ったしまい、帰ってきたが酷く疲れた。早めに床に入ってしまった。

2009年4月16日 (木)

携帯電話の車内利用のこと

07_sl_kurosawa2140年間満員電車に1時間近く乗って通勤したが退職したので満員電車から開放された。しかしたまに電車に乗ることがある。

何時も思うのだが、車掌の車内放送で、「電車内では携帯電話の使用はご遠慮してください」と言っているのだが、完全に無視している人がいる。しかも電車内でするのが当然のように思っている?のか、道路をあるきながら携帯使用より安全と言えば安全である。

大きな声で電話したり、あの着信音は「何んだ」と本当に苛立つ思いである。そんな場面に遭遇したら気分が悪くなり一日辛い。罰則の検討も考える事も必要と思う。

ここにもマナー問題。道徳教育。が浮上することになる。自分さえ良ければいいとの思い込んでいる人が多いのには日本の将来は暗い。

ココログニュース・・・優先席付近では、携帯電話の電源を切るべき理由は本当にあるのか。ネットユーザー間で議論が盛りあがっている。

議論の発端は『はてな匿名ダイアリー』に投稿された、とある記事。記事の投稿者は、電車内で「ペースメーカーを使用している」という人に、携帯電話の電源を切るようにとカードで示され、その場では従ったものの、「最近の機種は携帯電話の影響は受けない」という情報もあることから「どうすればいいのか」悩んでいるという。

この記事に対しては、「ペースメーカー利用者が不安なら切る」「ルールなのだから切るべき」といった意見がある一方、「ペースメーカー利用者が根拠のない不安に晒されている」「こんなの日本だけ」と、ルールを疑問視する人も。

総務省が発表している指針では、携帯電話をペースメーカーなどの埋め込み型医療機器から「22センチ以上離すこと」とあり軽視はできないが、ペースメーカー利用者のためにも、あまりにも危険性をあおるのも考えものだといえるのだろうか。

この議論はおかしい。公共のの施設でのルールをわきまえるのは当然であり、ペースメーカーを使用している人に対する問題ではない。一般社会人のマナーの問題である。

痴漢事件のこと

07rose_ame21痴漢事件の捜査には、人違いによる冤罪の危険がある。また今回の無罪判決により、相手が不起訴や無罪になったりするのなら、と被害者が訴えること自体を尻込みするのも心配だ。そうである以上、大事なことは痴漢被害を未然に防ぐ手だてを、道徳教育などの啓蒙など社会モラル向上に努め、女性自身の注意の喚起も改めて考える事も必要であると思う。

痴漢行為は卑劣な犯罪だ。被害を受けた女性に大きな傷を残すだけではない。冤罪によって人生が狂ってしまう新たな被害者を生むかもしれない。この二重の悲劇を防がなければならない。

毎日新聞社説・・・東京の小田急線の電車内で痴漢を働いたとして強制わいせつ罪に問われた大学教授に、最高裁第3小法廷が異例の逆転無罪を言い渡した。

判決は客観証拠を得にくいことなど痴漢事件の特性を指摘した上で、「特に慎重な判断が求められる」と強調した。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則を徹底するように求めたものと言える。冤罪(えんざい)防止の観点からは当たり前と映る判示だが、裁判員裁判のスタートを前に、厳罰化の風潮の中で軽んじられることがないように、最高裁が警鐘を鳴らしたと受け止めたい。

痴漢事件の容疑者は「推定有罪」として扱われがちだ。女性が恥ずかしさをおして被害を訴えるには勇気が必要で、その分、証言の信ぴょう性は高いと評価されるからだ。実際は別人の犯行を装う巧妙な手口に、被害者や目撃者が誤認することも珍しくないのだが、犯人に擬せられると、判決が指摘するように、有効な防御は容易でない。

警察は繊維片など証拠品の採取や目撃者の確保に努めているが、証拠がないからといって無実の証明とはならず、結果的に被害者の証言が重要視されてしまう。痴漢は有罪無罪のどちらも立証が難しいやっかいな犯行で、付け入るように示談金目当ての虚偽申告も相次ぐ。疑われたくないと多くの男性がつり革や手すりを両手で握る“バンザイ通勤”を励行しているのが実情でもある。拘置を嫌って、無実なのに犯行を認めて罰金刑に応じる人も少なくない。

こうした司法の機能不全状況は、早急に改められねばならない。今回の判決を機に、捜査の適正化が進むことを期待したいが、一方で被害女性が訴えを控えたり、捜査が消極的になる事態を招いてはならない。

警察当局は多発する時間や区間の警乗に力を入れて摘発と抑止に努め、同時に発生への即応態勢を整えて証拠類の収集に万全を期すべきだ。この際、自白偏重主義と裏表の関係にある長期間の拘置に頼る捜査を改め、証拠に基づく立証に徹すべきでもある。事件現場に居合わせた乗客らも痴漢を共通の敵と心得て、進んで捜査に協力したい。容疑者検挙より犯行の防止、中止を優先する対応も重要だ。不審な動きを察知したら注意し、被害者も振り払ったり、声を上げる勇気を持ってほしい。

痴漢の元凶は、人権を無視した満員電車にある。鉄道各社は輸送力増強に努め、効果を検証しながら女性専用車両の増結なども検討すべきだ。ラッシュ時間が限られていることを注視し、企業などは時差通勤にも本腰を入れたい。卑劣な痴漢行為に泣かされる被害者をなくすため、社会を挙げての対策が求められる。

井戸端会議

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今日の名言

欲するものを得ないでは生きられず、そのためには、時も快楽も生命も犠牲にする、それが恋なら私は正真正銘恋しているのです。
ラクロ『危険な関係』(上)

05gihu_hana_festa21たんぽぽの井戸端会議に参加する 薮ノ内君代

昼休みに会社のまわりを散歩していると古いビルを取り壊した更地のあちこちにたんぽぽが咲いているのが目につく。すぐに駐車場や新しいビルの工事が始まる短い間だけど、地面があれば明るく黄色い花を咲かせ白い綿毛にのせて種を飛ばすのだろう。

本当にたくましくて、可愛い花だ。「たんぽぽの」の「の」に軽い切れを含ませて二句一章で読むと、たんぽぽは後景に退いて、道端に集まっている井戸端会議に作者が参加しているともとれる。私としては群がって咲いているたんぽぽの井戸端会議に自分もたんぽぽになって参加していると想像するのが楽しい。

春だもの。ぽかぽかと暖かい野原にうとうと居眠りしているうちにたんぽぽになってしまうかもしれない。意外なところにひょいと非日常への出入り口ができる。その言葉の扉を探すのも俳句を読む楽しみの一つだろう。『風のなぎさ』(2007)所収。(三宅やよい)

井戸端会議というと、時代劇に出てくる長屋の片隅に釣瓶井戸に近所のかみさん達が4.5人で世間話をしている光景を思い浮かべる。姉さんかぶりに、小さな子供を背負って、釜で米を研いだり、また新婚ほやほやの新入り嫁さんが縞模様の着物に赤い前掛けをして大根を洗う。こんな光景を想像してしまう。

終戦直後の田舎の釣瓶井戸を体験している。太いロープに桶をつけて、滑車を利用してひきあげて水を汲み上げるのである。直径1.5メートルぐらいの大きな井戸に覗いてみると5メートルぐらいの深さに水が見える。蛙・蛇などが時々いることがある。そして雨水・木の葉などが落ちて不衛生と子供ながら思った。

水上様が祭られていて、へいそくが、井戸の隅にあった。風呂に水を入れるのが大変で30ぱいぐらいだったそうだ。

2009年4月15日 (水)

脅しともとれる北朝鮮政策

Asamayamas1今朝の新聞(朝日・読売・毎日)で脅しとも取れる、北朝鮮の政策を取り上げていた。どうも危機をあおり、世界を脅して見返りを狙う瀬戸際外交に変化が見えない。その背景は、なんなのか考える必要があると思う。日本が抱える拉致問題は、遠くに置き去られた感じである。北東アジアの安定では、このままではいけない。

日本は、アメリカと連携を深め、中国に働きかけ打開策を考えなけれいけない。後戻りは許されない。

毎日・朝日の社説を要約して・・・北朝鮮は、国連安全保障理事会の議長声明で脅迫状のような声明を出した。「人工衛星打ち上げ」と主張する弾道ミサイル発射を国連安全保障理事会の議長声明で非難され、町のの悪餓鬼がふてくされて凄みを見せているようだ。

声明が、北朝鮮の核問題を扱う6カ国協議に「絶対に参加しない」と強調表現を重ねて断言したこと自体は驚くにあたらない。発射前から、この問題を安保理で扱えば「6カ国協議の破綻(はたん)を意味する」と公言していた。

それにしても特に日本を名指しした批判が激しい。同協議不参加の理由として「日本が今回の衛星打ち上げに言いがかりをつけて」この協議の存在意義を失わせた、などと主張している。日本に責任転嫁し、他の協議参加国との間に亀裂を生じさせようという意図が透けて見える。

本気で6者協議を見限り、対米交渉一本で果実を手にしようというのか、意図はよく分からない。6者協議は米朝・日朝の関係正常化を含む地域安定の目標を掲げ、オバマ米政権もこの枠組みの重視を表明している。北朝鮮が経済を再生し生き残るためには、ここに戻るしかあるまい。

98年の北朝鮮のテポドン発射の際、安保理は懸念を表す「報道声明」を出すのが精いっぱいだった。06年のミサイル連射で「非難決議」を採択し、核実験には「制裁決議」で応じた。

国際社会が次々と厳しく対処しても、北朝鮮はミサイルを発射し、今度は核開発を再開すると宣言する。危機をあおり、世界を脅して見返りを狙う瀬戸際外交に変化が見えない。

日本にとっては拉致問題の展望も開けず、怒りだけが募る。しかし、軍事力による解決という選択肢が現実性を持たない以上、北朝鮮の冒険主義を抑え込みつつ、政策の転換を促し続け、一日も早くそれを実現させる外交が、日本をはじめ関係諸国の基本だ。

事態を動かせるのはまず米国だ。オバマ政権は早急に陣容を整え、特使の派遣も含めて米朝協議再開のきっかけを探る必要があろう。6者協議議長国の中国も、北朝鮮を協議に戻し、非核化プロセスの再構築へ影響力を発揮してもらいたい。

米国と連携を深めつつ、中国が一層の役割を果たすよう働きかけることも日本の責任だ。

春の交通安全運動

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今日の名言

権威を引いて論ずるものは才能を用いるにあらず、ただ記憶を用いるにすぎぬ。
『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』(上)

08yokotesigai_yuukei21甕埋めむ陽炎くらき土の中 多田智満子

何ゆえに甕を土のなかに埋めるのか――と、この場合、余計な詮索をする必要はあるまい。「何ゆえに」に意味があるのではなく、甕を埋めるそのこと自体に意味があるのだ。しかし、土を掘り起こして甕をとり出すというのではなく、逆に甕を埋めるという行為、これは尋常な行為とは言いがたい。

何かしら有形無形のものを秘蔵した甕であろう。あやしい胡散臭さが漂う。陽炎そのものが暗いというわけではあるまいが、もしかして陽炎が暗く感じられるかもしれないところに、どうやら胡散臭さは濃厚に感じられるとも言える。陽炎ははかなくて頼りないもの。

そんな陽炎がゆらめく土を、無心に掘り起こしている人影が見えてくる。春とはいえ、土のなかは暗い。この句をくり返し眺めていると、幽鬼のような句姿が見えてくる。智満子はサン=ジョン・ペルスの詩のすぐれた訳でも知られた詩人で、短歌も作った。俳句は死に到る病床で書かれたもので、死の影と向き合う詩魂が感じられる。

それは決して悲愴というよりも、持ち前の“知”によって貫かれている。157句が遺句集『風のかたみ』としてまとめられ、2003年1月の告別式の際に配られた。ほかに身の内に死はやはらかき冬の疣」「流れ星我より我の脱け落つるなど、テンションの高い句が多い。詩集『封を切ると』付録(2004)所収。(八木忠栄)

パトカーが 警笛ならし 春を行く

黄色い帽子、真新しいランドセルを背負ったピカピカの一年生が登校する。それに合わせて、全国交通安全運動が実施されている。私も八王子市の交通安全協会でボランテアで、交通指導を行なっている。

朝7時30分から9時までであるが、昨日の朝パトカーがけたたましく警笛を鳴らし目の前を走っていた。一瞬緊張したが、何があったか交通事故・犯罪など色々考えていたが、赤色灯をつけて走る去るパトカーを目で追ったが、近くではないらしい。ちょっと胸騒ぎを覚えた。

街角に立って、小学生の登校する元気な姿を見ていると、母親に手を引かれて入学した日を思い出した。ちょうど八重桜の花がきれいに咲いていたことで覚えている。

2009年4月14日 (火)

「弥栄」読み方のこと

06_12801日本語は難しい、日ごろ使っていない言葉を使うことはその意味を分かった上で話さないといけない。麻生太郎首相の誤読が問題となっているが、「弥栄」一般的には、日常使う機会が少ないが、結婚式などの祝賀行事の挨拶に使われる。
この「弥栄」(いやさか)を麻生首相が両陛下ご結婚50周年のお祝いする祝賀行事で繁栄を意味する「弥栄」について、「いやさか」と言うべきところを「いやさかえ」と言い間違えて祝辞を述べた。「両陛下の益々のご健勝と皇室のいやさかえを心から祈念し…」と発言したという。
産経サイトに載った記事では、「またやっちゃった?麻生首相」また、TBS番組由来のサイト、国のトップが国民の象徴に対してこれでは情けない限りです。歴史的な誤った日本語事例として残ってしまいました」と指摘があった。

ところが、ネット上では、歌舞伎の演目や神社名などに「いやさかえ」と読む例が見つかったとして、「誤報ではないか」と騒ぎになった。そして、産経が10日付のサイト記事を削除した。

確かに、「広辞苑」や「日本国語大辞典」など一般的な国語辞典を調べると、「弥栄」について、「いやさかえ」との読みは載っていない。

「辞書では、『いやさか』としか出ていない。『いやさかえ』が歌舞伎の演目にあるそうが・・・。その意味は「ますます栄えること」である。

蝶が舞う

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今日の名言

女に忘れられたら、男だって意地になります。そういう女を忘れるために、できるだけの手は打ってみる。それでもうまく行かなければ、せめて忘れたふりをする。
モリエール『タルチュフ』

05_12801_2切絵師の肩にてふてふとまりけり 加古宗也

切絵師の技を目の当たりにしたことが二度ある。一度目は、北海道の「やまざき」というバーで、マスターに横顔をするするっと切り絵で作っていただいた。白い紙を切り抜くだけで、しかしそれはたしかに似顔絵なのだった。

二度目は寄席の紙切り芸で、客席からのリクエストに即座になんでも応えていた。こちらは輪郭というより、つながり合った線が繊細な形をなして、そして切り抜かれた紙もまた反転する絵になっている見事なものだった。切り絵はなにより風を嫌うため、室内の景色であり、掲句にも蝶は通常いてはならないものだ。

鋏の先から繰り出される万象は、平面でありながらその細密さに驚いたり、生々しさに魅入ったりするのだが、そこへ生というにはあまりに簡単なかたちの蝶が舞っていることは、意外な偶然というより、妙な胸騒ぎを覚えることだろう。

ひらひらと切絵師にまとわりつく蝶は、切絵師が作品にうっかり命を吹き込んでしまったかのように見えたに違いない。〈朝刊でくるんでありし芽うどかな〉〈快晴といふよろこびに茶を摘める〉『花の雨』(2009)所収。(土肥あき子)

音もなし つつじの花に 蝶が舞う

早くも桜は散ってしまった。と思ったらつつじの花が咲きだした。もっとも我が家の三つ葉つつじも散り始めているが、ちらほら真っ赤な花が咲き出したお昼過ぎ、つつじに挨拶をしているが如くに蝶が舞っていた。「のたりのたり」とした時空であった。

朝が早いせいか、午後になると眠くなり、20・30分昼寝をすることにしているのだが、昨日は全国交通安全運動中であり、街角に立っていたが道路が空いていたので、眠くなってしまった。安全協会の指導員が、そんなことでいけない。気を入れて2時間、旗と笛で歩行者の安全確保につとめた。

2009年4月13日 (月)

アジア諸国に大きな影響

Hiroshima101タイ政情不安はアジア諸国に大きな影響が出ている。タイは今か治安状況が悪い。赤いシャツと黄色いシャツで、デモを繰り返してすこぶる危険である。タイでは、タクシン元首相を支持する反政府グループのデモ隊による抗議活動で東南アジア諸国連合(ASEAN)の国際会議が中止されるなど混乱が続いている。解決策が見つからない。

タイ国軍は13日、デモ隊に発砲して異例の強制排除に乗り出した。軍とデモ隊の衝突のきっかけは、国際会議を中止に追い込んだデモ隊のリーダーの逮捕だったが、国外に逃亡中のタクシン元首相は12日夜、「真の民主主義のために、今こそクーデターを起こすべき時だ。いつでも帰る準備はできている」と電話で支持者にメッセージを送った。

一方のアピシット首相は13日、国民向けのテレビ演説で「平和を取り戻し、違法な活動をやめさせるにはやむを得なかった」と釈明した上で、事態の沈静化に向け、断固とした態度を取ることをあらためて表明した。

世界の経済不況の中アジアの安定化はどうしても必要である。北朝鮮のミサイル問題とタイ国の政情混乱は早く解決策を見出し一刻も余裕がない状況である。日本を始め中国・韓国などで問題解決しなければ、歴史が後戻りとなってしまう。

朝日新聞社説・・・こんな事態になると誰が予想しただろうか。タイ中部のパタヤで開かれる予定の東南アジア諸国連合(ASEAN)などアジア16カ国による首脳会議が、デモ隊の会場への乱入によって中止されてしまった。

日中韓首脳会談など一部の会議は別の場所で開かれた。しかしASEANと日中韓、さらに、そこにインドやオーストラリアなどが加わる東アジアサミットなど、主要な会議は開けなかった。首脳らがヘリで脱出する騒ぎになり、議長役のタイのアピシット首相は地元に非常事態を宣言した。

タクシン元首相を支持する赤シャツ姿のデモ隊は、現政権の退陣を訴えて事前に会場周辺に集結していた。タイ当局がなぜ有効な規制を行えなかったのか理解しかねる。そもそも一連の首脳会議はタイの政治混迷によって昨年末の開催を持ち越したものだ。開催国として中止は大きな失態だと言わざるをえない。

今月初めにロンドンで開かれたG20の会議には、アジアからも日中印などの主要国が参加し、内需拡大を進め、保護主義と戦うことで一致した。それを受けて今回、不況脱出の先導役を期待されるアジアがどう足並みをそろえるのか、注目されていた。

会議の中止によって金融市場にすぐ混乱が広がるとは思えない。しかしその影響を過小評価してはなるまい。米国発の不況の波が世界に広がった昨年秋以降、アジア首脳は一度もこの問題について全体的な討議の場を持ちえていない。日中韓がASEAN支援策を持ち寄って議論を戦わせるどころか、アジアは自らの声を国際社会に発信する場をまた失うことになった。 タイの反タクシン派とタクシン派との政治対立は深まるばかりだ。

昨年末の首脳会議を延期に追い込んだのは、黄色いシャツを着た反タクシン派によるバンコクの空港占拠事件だった。この事件の後、反タクシン派にかつがれて政権を発足させたアピシット首相は2月の来日時、政治混乱を収拾させることを誓った。

この事態で、アピシット政権のかじ取りは一層難しくなるだろう。タイでは7月に日米、ASEAN各国などが参加する外相会議、12月には一連の首脳会議が予定されている。果たして開催できるのか心配だ。

アジアが直面するのは経済不況だけではない。ミサイルを発射した北朝鮮や、軍事政権の支配が続くミャンマー(ビルマ)に加えて、人身売買や麻薬問題、地域紛争など、解決を急がねばならぬ課題を抱えている。首脳会議の中止によってタイの信頼は失墜した。しかしそれ以上に深く傷ついたのは、アジアの安定と発展のイメージである。関係国は信頼回復の取り組みをすぐに始めねばならない。

郷愁のつくし・たんぽぽ

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今日の名言

心というものは、それ自身一つの独自の世界なのだ、――地獄を天国に変え、天国を地獄に変えうるものなのだ。
ミルトン『失楽園』(上)

07murasugi_watasuge11ぴいぴい昭和のテレホンカード鳥雲に 望月たけし

公衆電話をかけている。「ぴいぴい」は、むろんテレホンカードの出し入れの際に鳴る機械音だ。この音を鳥の鳴き声にかけてあるのかとも思ったが、いささか無理がある。それよりも、人が電話をかけるときの視線に注目した。

ダイヤルや文字盤に電話番号を登録してから相手が出る迄のわずかな時間、たいていの人は所在なげに上方を見上げて待つ。この間、ダイヤルを睨んだままで待つ人は少ないだろう。作者も何気なく空を見上げたところ、偶然にも北に帰って行く鳥影が見えたのである。ここでごく自然に、作者と空とが結びつく。

ああ、もうそんな季節なのか。束の間、去り行くものへの愛惜の念が胸をよぎる。そう言えば、このテレホンカードも去って行った昭和のものだ。電話をかけ終わると、また「ぴいぴい」とカードが鳴いた。機械的な音だけれど、それが今はなんだかいとおしいような感じを受ける。そこで作者はもう一度、はるかな空を見上げたに違いない。

何気ない現代の日常的な行為を巧みに捉えた、去り行くものへの挽歌である。「ぴいぴい」が実に良く効いている。一読、後を引く。これが「現代俳句」というものだろう。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)

つくしたんぽぽ昭和二桁今は昔

自分はまだそんな年ではないと思っていたが、いつの間にか年を取ってしまった。道端に咲いているタンポポの黄色い花が目に付いた。よーく見ると、西洋タンポポである。昭和二桁生まれの人は、既に昔となってしまった。

つくしは、野山に春を告げる一番手である。タンポポとつくしは、春の代名詞でもある。食料のない時代、食べられる野草を探した。

タンポポは茹でて、おひたしで食べた。つくしは味噌あえで結構美味しかった。のびる・ふき・たらの芽などは、今でも八百屋さんにある

セイヨウタンポポが増えている。場所は、開発により緑 が消失している地域で、農村地帯にはまだまだ日本のタンポポしか分布していない場所が かなりあるというが、私の住む町では殆ど見かけない。

つまり、西洋タンポポと日本タンポポは、タンポポ同士の単純な 領土争いではなく、人間によって自然が破壊されて、日本のタンポポがのんびり暮らせる 場所がどんどん少なくなってきた結果、都市生活に適応できるセイヨウタンポポの勢力が 増してきたということであると思う。


2009年4月12日 (日)

恐ろしい結核

                                         

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結核は伝染病で恐ろしい病気である。終戦後の栄養状態・衛生状態が悪い時代では、手の打ちようがない。医療状況では仕方がなかった。赤痢・疫痢などで、幼児の死亡率高かった。それと同じで結核に罹った人は多かった。ツべりクリンで反応を調べ、予防接種でBCGを注射された覚えがある。

肺結核が多かった。咳・たんが出る・顔色が悪い・微熱が続く・食欲がない・やせ衰えて死ぬ。終戦後当時を経験している私は結核で亡くなった人を多く知っている。栄養になる食べ物と休養が大事だとその当時から言われていた。ペニシリン・ストレプトマイシン、抗生物質で結核で死ぬ人が少なくなった。

しかし、現在、大きな社会問題となっているようだ。耐性菌となって猛威をふるう前に、対策を立てることが急務だ。

朝日新聞社説・・・若手の人気女性タレントが肺結核になり、入院した。「今ごろ結核?」と驚いた人も多かったのではないか。

結核といえば、石川啄木、樋口一葉といった人物が思い浮かぶかもしれない。かつては不治の病であり、幾多の若い命を奪った。長く死因のトップで、国民病とも呼ばれた。第2次世界大戦後、栄養状態がよくなり、薬も登場して死者は激減、話題に上ることも少なくなった。

だが、結核は決して過去の病気ではない。治るといっても治療に時間はかかるし、約1割の人が亡くなる。ほかの人にうつすおそれもある。厄介な病気には違いない。

新たに結核になる人は、1年に約2万5千人にものぼる。人口10万人当たりにすると07年は19.8人だった。世界保健機関(WHO)の分類では、欧米の主要国が10人以下の低蔓延(まんえん)国なのに対し、中蔓延国となってしまう。先進国の中では一番多い。 今の予測では、日本が10人以下になるのには10年以上かかる。

現状は、決して楽観できない。日本で結核になる人の半分は70歳以上だ。若いころに感染し、生き残っていた菌が、免疫の低下によって活動し始めるらしい。社会の高齢化は患者数を押し上げるだろう。栄養状態が悪く、医療からも遠ざかりがちな貧困層の拡大も患者増につながりかねない。

一方、若い人には免疫がなく、閉鎖空間などで感染しやすい。全国各地の病院や学校で集団感染が相次いでいるのも気がかりだ。早めに対応すれば、防げたと見られる例は少なくない。結核といえばツベルクリン反応とBCGがおなじみだったが、今は、子どもの結核予防のために乳児期にBCGを接種することになっているだけだ。

免疫力を保ってかからないようにするとともに、早く見つけて確実に治療することが何より大切だ。中蔓延国に住む私たちは、せきが長引くようなら、結核を疑って受診することを心がけたい。医療側には確実に診断できる態勢が求められる。

治療には、薬を半年間、毎日欠かさず飲む必要がある。薬の飲み方が中途半端だと、薬が効かない耐性菌ができてしまうためだ。すでに、複数の薬が効かない多剤耐性菌が出現している。

結核医療は採算性が悪く、病棟の閉鎖も続く。患者の多い都市部では病床が不足がちだ。他の病気が重なったむずかしい症例も増えている。新しい発想で医療態勢を整える必要がありそうだ。

世界に目を転じれば、結核はアジアやアフリカで猛威をふるい、06年には165万人が亡くなった。世界の結核対策に貢献することも日本の責任だ。結核との闘いはまだまだ続く。

成田山新勝寺に参拝

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今日の名言

知識においての真理は直ただちに実践上の真理であり、実践上の真理は直に知識においての真理でなければならぬ。
西田幾多郎『善の研究』

13_10241ふらここを降り正夢を見失う 塩野谷仁

季語は「ふらここ」、春です。要はブランコのことですが、俳句を読んでいると、日常では決して使わない、俳句だけの世界で生きている語彙に出くわします。たとえば蛍のことを、「ほうたる」とも言うようですが、はじめてそれを見たときには、なんとも不可思議な感覚を持ちました。

「ふらここ」という語も、意味がわかった後も、どうしても別のものを連想してしまいます。平安時代から使われていた和語だと言われても、いったんそうなってしまうと、なかなかそのものが頭から離れてくれないのです。それはともかく、今日の句です。

一番目立っているのは「正夢」の一語でしょうか。言うまでもなく、将来現実になる夢のことです。これだけで、句全体を覆うだけの抒情が生み出されています。ところが作者は、それをもう一ひねりして、「正夢を見失う」としています。それによって読者は、想像をたくましくせざるを得なくなります。

ブランコに乗っている間は、しっかりと胸に抱えていた正夢が、地上に降りた途端に失われてしまう。まるで現実と夢の境に綱をたらして、ひとしきり揺れてきたかのようです。「俳句」(2009年4月号)所載。(松下育男)

本堂を 出てみて眩し 桜かな

昨日、成田山新勝寺に恒例となっている。第145回八王子一心講に参加し参拝してきた。バス8台の大人数であった。中央道を八王子インターから入って下り車線は、行楽句客の車で渋滞であった。多分お天気が良く高速料金が1000円ということだろう。

そのかわり上り車線は空いていた。首都交を経て目的地成田までは、殆ど予定通りであった。新勝寺境内の桜は、初夏を思わせる日差しの中暖かい風にまう桜吹雪に驚かされた。本堂で護摩焚き参列した。

不動尊信者の心構えという事で、名刺大に書いた「私達の誓い」の内容をみると。「明るい笑顔で奉仕に励み、真心込めて助け合い、苦難に耐えてれば開ける希望、精進努力に豊かな実り、常に冷静 不動心、正しい判断さとりのさだめ、いただくご利益みんなと共に」名刺大に書いた「私達の誓い」の内容である。

『加持祈祷』の意味を調べてみると・・・加持祈祷は、弘法大師がお伝えになった真言密教の教えにもとづいているという。

弘法大師は、その著『即身成仏儀』の中に、次のように説いている。 「加持とは、如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく」 お不動さまの大慈悲が、私たちの心に働きかけてくださるのが「加」であり、私たちが、それを信心の中に受けとめることが「持」である。

護摩に参列し、一緒にご真言をお唱えしお不動様の御利益をお受けた。

【不動明王御真言】

のーまく さんまんだー 

ばーざらだん せんだー

まーかろしゃーだー

そわたや うんたらたー

かんまん

2009年4月11日 (土)

ガラパゴス現象とは

08gozo_beachl_11今朝のNHKラジオで、日本のIT産業の「ガラパゴス現象」化している。このままでは世界に通用しなくなり問題である。と耳慣れない言葉であったが、大体次のようなことらしい。

「強い肉食動物がいないガラパゴス諸島では、種間の生存競争はいわば『ぬるま湯』状態。現在の日本はそんな状況に似ているのではないか」。

特殊な生態系を持つ南米沖にあるエクアドルのガラパゴス諸島。それになぞらえ、ガラパゴス現象と呼ばれるのが、日本の技術と言われているそうだ。

日本の技術は進化はしているが、日本でしか利用されないものが多く、世界ニーズをつかめていない。持てる技術を世界に広める努力が、国際競争力の再強化には不可欠である。携帯電話・パソコン・カーナビ等も日本技術でそういったことが多いという。

ガラパゴス現象の発端は、1980年から進んだ円高で、輸出採算悪化に伴い国内販売力に力をいれた各社は、製品の子機能化をどんどん進め、さらに自前技術への固執も重なって、高い開発コストに定着してしまった。これを脱却するには、グローバルに通用する新技術を打ち出し、日本の技術採用を外国にも働きかけることだ。

このガラパゴス現象を、自分や仕事に客観的に当てはめるとリンクすることは多いのではないだろうか。狭い範囲や目先のことだけ見ていくと取り残されてしまう。

渋滞は昨年の1.7倍

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今日の名言

民衆というものはいつも政変を待ち望みながら、しかもそれを恐れているのだ。
タキトゥス『タキトゥス 年代記』(下)

Katidoki241本当の空色の空朝桜 永野由美子

この朝桜は、少し濡れているような気がする。それは昨夜の雨なのか、朝靄の名残なのか。満開にはまだ少し間のある、紅のぬけきらない桜。ときおり花を激しく揺らす鳥の姿も見える。朝の光を散らす桜に透ける空を仰ぎながら作者は、ああ日本の空の青だ、と思ったのだろう。

本当の空色がどんな色なのか、それを考えてみたところであまり意味はない。二人で一緒に空を仰いでいても、私の青空とあなたの青空は違うだろうし、それを確かめる術はない。ただ、その青空がくれる心地よさを共有していれば幸せだ。

別に空が青いくらいで幸せになんかならない、という人はそれでもいい。ああ、そんな気持ちになったことがある、という人はその青空を思い出すかもしれない。それぞれである。開花してから一気に暖かくならなかった東京の桜、やや潔さに欠けつつ終わってゆく。

それも勝手な言いぐさだなと、アスファルトの上を行き所なく転がる花屑を、謝るような御礼を言うような気持ちで見送っている。俳誌「阿蘇」(2008・七月号)所載。(今井肖子)

桜が咲きだしたかと思ったら、しばらく花冷えともいうべきか寒い日が続いたが、きのうは一気に初夏のような暑さになった。だからお花見は長らく楽しめた。最近はウイークデイでも、けっこう花見客は多い。やはり高齢化で元気なお年寄りが多くなっているということか。

風が吹きあれて、花吹雪となって湯殿川をは花屑で染めいた。土ぼこりがしてあんまり花見はゆっくり出来なかたののかと思えた。さーて今日はきのうと同じに暑くなる予報で、土曜日であるため行楽日和となると天気予報である。

高速道路料金が1000円で走れるとあって行楽地は込み合うだろう。早くもゴールデンウイークの渋滞予想が発表された。

東・中・西日本高速道路会社は10日、大型連休(25日~5月6日)の渋滞予測を発表した。最長で12日間の超大型連休となることや、3月に始まった地方の高速道路料金が休日(土日祝日)に「上限1000円」となる割引の影響で、10キロ以上の渋滞は372回で、昨年の1.7倍発生すると予測しているという。

しかし、運送会社のトラックは渋滞はいい迷惑だ。もともと、ガソリンが高騰で、国民の税金4000億円で、賄うというこが決まっているのでぬか喜びではいられない。利用者は渋滞は覚悟し、料金の付けをしっかり認識しておかないといけない。

2009年4月10日 (金)

自転車の3人乗り容認

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Shinagawa191最近は自転車は使わない。

坂道・道路が狭い・交通量が激しいなどで、怖くて乗れない。(しばらく乗っていないせいかも知れない。)

また、車に乗っていて気がつくのだが、狭い道路を走っている自転車を追い越すとき、何時も道路側に倒れたら大事故に遭うのま間違いないと思いつつ「ひやひや」してしまう。

3人乗りなんて考えられない。どうしても認めるなら○ヘルメットの着用を義務付ける。○乗る場所指定(3メートル以上歩道)に限定する。

私の子供は東京の環7道路沿いに住んでいる。3人乗りを3・4年してきて孫も大きくなり3人乗りは卒業したが、環7通りを横切る時は、怖くてみていられななかった。

NHK焦点のニュース記事から・・・自転車の前後に幼い子どもを乗せる「3人乗り」について、警察庁の委員会は、安全に走行できる自転車の基準を決める。

早ければことし7月にも、現在は禁止されている「3人乗り」が認められる見通しという。
自転車の前かごの部分と後ろの荷台に幼い子ども2人を乗せる「3人乗り」は、安全性に問題があるとして、現在、禁止されているが、幼い子どもを持つ親などから認めてほしいという要望が強いことから、警察庁の委員会は、安全に走行できる自転車の基準について検討を進めてきた。

その結果、親と幼い子ども2人の体重に当たるおよそ100キロの重みがかかっても、強度やハンドル操作に問題がないこと。子ども2人が乗った状態で駐輪しても、転倒しないよう安定性のあるスタンドが取り付けられている。など6項目の安全基準を決めました。
また、転倒した際のけがを防ぐため、子どもの頭部を保護するクッションを取り付けることなども求めている。

自転車メーカーは、すでにこの基準に合う自転車開発していて、業界団体なども安全基準を満たしたことを示すマークを導入する準備を進めている。

警察庁は、都道府県の公安委員会規則を改正するよう指導し、早ければことし7月にも安全基準を満たした自転車の3人乗りが認められる見通しである。

人間も生き物

06oga_toga1110日前に胃と大腸の検査をした。勿論「癌」の心配でここ、2年検査をしていないので胃が痛くなって、買い薬を飲んでいたので、思い切って行なう事にしたのである。

内視鏡で大腸検査は辛く、一晩入院しての検査である。大腸の検査は、今回は麻酔をしたので、全く終わるまで分からなかったが、終わって目を覚まし検査技師から、ポリープを一個取ったと言われた。

次の日胃の内視鏡であるが、こちらは全てモニターで自分の検査をしているところが分かった。食道・胃・十二指腸の順で見ていくのが良く分かった。

胃のひだは食物が良くこなれるように動くことや、胃酸の役割などが想像できた。これらを見て、芋虫?なまこ?のようで下等生物?と同じ、つまり人間も昆虫と同じ生物と同じなんだ。

色々な物を食べて生きながらえるのだ。口から入って食べ物の栄養分を消化し、吸収して生きられることがよく分かった。全ての生き物が、生存する為には、弱肉強食で成り立っていることである。少なくても人間は雑食動物である。動物・植物を採って生きられるのである。

そこで、考えたのであるが、生き物に感謝しなければいけないと胃と大腸の検査を行なって自分の腹の中を見ながら思った。

お陰さまで、ポリープは良性とのことで「ホッと」した。癌の恐ろしさは分かるから、医師の言うように来年も検査をしようと心に決めた。

うぐいすもち

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今日の名言

人は、青春のあやまちを老年に持ちこんではならない。老年には老年自身の欠点があるのだから。
エッカーマン『ゲーテとの対話』(上)

08yokotesigai_yuukei21からうじて鶯餅のかたちせる 桂 信子

鶯餅が色のみならず形も鶯に似せているということを初めて知った。あの餅のかたちのどこが似てるんじゃと驚いたが、こういう句をみるとわが意を得たりである。

いづれが尾いづれが嘴やうぐひす餅 矢島久栄という句もあるから同じことを思った人もいるのだろう。この句の一番の特徴は副詞の使い方にある。「少し」「やうやく」「たまさか」などの副詞は擬音、擬態語と並んで常套的な用い方をすれば陳腐な情緒を押し出す働きをする。

この句の「からうじて」は鶯餅というものの形状の特徴を見事に捉えている。花神コレクション『桂信子』(1992)所収。(今井 聖)

薄れゆく 鶯餅の 思いかな

あの笑顔 母懐かしき 鶯餅

ちょっと鶯餅の由来に興味があって、調べてみたら、
今をさかのぼる宝暦の頃、福井県坂井郡三国の大和甘林堂の主人、大和丈助が殷振を極めた北陸の門戸三国の大湊に出入り盛んな千石船より持ち込まれた珍品砂糖に、地元特産の糯米、小豆、大豆等を加え作製し、三国神社山王の森に鳴く鶯より着想して「鶯餅」と命名、当地名産として売り出した。以来200年改良を加えその優雅な風味と格別の日持ち等を伝えられて、今日に至ったものだという説がある。

一方、奈良県の和菓子屋さんから発祥。今の鶯餅の誕生の由来は一つに奈良の老舗「本家菊屋」というお店に逸話がある。天正の頃(1573年~1592年)秀吉の片腕として有名な弟の豊臣秀長、彼が大和郡山の城主だった頃、兄であった豊臣秀吉を招いた茶会で菊屋の初代が献上した、お菓子が大変おいしかった秀吉が喜んで、その餅を「鶯餅」と命名した。このお菓子は粒餡で包み黄な粉をまぶしたものだったという。

2009年4月 9日 (木)

金婚式をお迎えの両陛下

3612「4月10日に金婚式をお迎えになる両陛下」喜ばしい限りである。
民間から初めて迎えられた皇太子妃とご一緒に多彩で多端なご公務の日々のなかで、仲睦まじく三人のお子様方をお育てになった温かいまなざし。50年の歳月が流れた。
50年という年月は早かった?、長くお感じになられたか?分からないが、戸惑や、批判、苦しみ、悩みは、一人の人間として当然あったと思う。しかし、「一貫しているのは、国民と苦楽をともにする。」と言うお考えで50年の年月を経た。そのお考えは、国民に信頼されるものであった。何時までも、ご健康に留意されお元気を祈念したい。

日経新聞社説・・・天皇皇后両陛下が明日、結婚50周年を迎えられる。昭和天皇、香淳皇后に続き、2代続けての金婚式である。お祝いを申し上げる。

両陛下は昭和から平成にかけ、いわば車の両輪となって象徴天皇制を定着させ、新しい皇室の姿を築き上げてこられた。皇室の歴史の中で、こうした例はなかろう。その長い歩みに敬意を表したい。

終戦の時11歳だった天皇陛下は、現憲法下で即位した初の天皇である。20年前の即位の際には「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓う」と国民に訴えかけられた。象徴天皇制の中で自身の役割を一心に務めるという決意の表明であった。

天皇陛下の考える象徴天皇とは、常に国民の幸福を願い国民とともにある存在ということだろう。その役割を果たすため、骨身を惜しまれることはなかった。そして、傍らにはいつも皇后陛下の姿があった。

被災地や福祉施設の訪問などを通じて発信し続けてきた、国民を思い国民のために祈る、というおふたりの強いメッセージは、皇室を国民にとってより身近なものにした。

両陛下には戦没者の慰霊にも特別のお気持ちがある。2005年6月にサイパン島を訪れ、バンザイクリフで深々と頭を下げられた姿は、人々の心に焼きついている。

皇后陛下は民間から皇太子妃として皇室に入られた。以来50年、天皇陛下を支え、3人のお子様を育て上げ、さらに児童文学者、歌人としても足跡を残されてきた。こうしたことの一つ一つが、清新な皇室像を定着させるうえでどれほど貢献したか、計り知れない。

これまでの道のりは平たんではなかった。今も天皇陛下は病を抱え、宮内庁長官は昨年末、皇位継承問題などがご心労になっている、と発言している。皇后陛下も皇太子妃時代に健康を害し、皇后になって声を失われたこともあった。

走り続けてきた半世紀にさまざまな感慨をお持ちだろう。

今年は即位20年の節目の年でもある。これを機に、両陛下のご負担軽減のためにも、皇室の中での公務分担のあり方などが真剣に議論されることも望みたい。

雑草を取りながら

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今日の名言

海のほか何も見えないときに、陸地がないと考えるのは、けっしてすぐれた探検家ではない。

ベーコン『学問の進歩』

10_10241花もなうさかり少しはまだなんぼ 惟然

『俳諧曾我』より。惟然も芭蕉の門弟。今日の句、「なう」は「のう」と文末にあって強調する助詞。だから、「花の盛りもあとわずかになってしまったがそれでもまだいくらか遅桜が咲いているようだ」という意味。

私の住む阪神間の川には至る所に染井吉野が植えられて咲いている。通勤のたびごとにこの句を覚えてからはこの感慨になる。当時としてはとても口語調の句。「なむでやのふ柿が大分なつたはさ」(どういうわけか、柿が枝一杯になったなあ、という意)、

「のらくらとただのらくらとやれよ春」「梅の花赤いは赤いあかひわさ」(梅の花はただ見事なまでに赤いなあ、の意)など、晩年は、徹底的に無分別な吟調によって、真情の発露を、句に求めたという。芭蕉はこの句風を「軽み」を誤解していると批判しているが。(塩見恵介)

草を取る 川の向こうは 花見客

きのうは、初夏を思わせる暑さとなった。湯殿川の向かいの片倉城址公園の桜が満開となった。大勢の花見客の、グループが車座になって宴会を楽しんでいた。

何時も目の前の光景で、桜が咲いてもそれほど感慨がなくなってしまったようだ。それにしても、季節の移り変わりは早く感じてしかたがない。河川管理道路の草取りを1ヶ月前に行なったのだが、もうすっかり1ヶ月前に戻ってしまった。いわゆる雑草の力強さである。

むかし百姓だった、親父が言っていた。「百姓は、草との戦いだ」踏まれても踏まれても直ぐに立ち直る、そのため人間の精神(根性)を鍛える、つまり精神訓話として使われる。

汗をぬぐいながら草取りを行なった。

2009年4月 8日 (水)

中東情勢が深刻

07bonchi_asayake_kumo11『ネタニヤフ政権』で、強硬な人物だけに一触即発が懸念される。

NHK出川解説委員の話・・・イスラエルでは、先週、強硬派のネタニヤフ首相が率いる連立政権が発足した。
今後の中東情勢に与える影響について、ネタニヤフ新政権、一言でいうと。右派政党やユダヤ教政党を中心とする「タカ派色」の強い連立政権と言えるようだ。

10年ぶりに首相に返り咲いたネタニヤフ首相は、パレスチナ国家の樹立や占領地からの撤退に反対してきた人物である。また、外相には、極右政党を率いるリーベルマン氏が就任した。

この人は、イスラエルの5分の1を占めるアラブ系の国民に対し、「国に忠誠を誓わなければ、市民権を剥奪すべきだ」と発言したり、前の政権が結んだパレスチナとの和平交渉を再開する合意について、「批准されていないので、すでに無効だ」と述べたりして、物議を醸している。

パレスチナとの和平交渉は、ネタニヤフ首相は、就任演説でも、パレスチナ国家の樹立について、一切触れようとしない。また、「すべてのユダヤ人入植地を守り、発展させる」と強調してきた。

入植地拡大は、占領を固定化するもので、国際法違反である。「入植地と和平は決して両立しない」というのが、パレスチナ側と国際社会の共通認識である。

パレスチナ暫定自治政府のアッバス議長は、「和平を信じない人物とは、交渉できない」と述べ、深い失望感を表明している。

イスラエル側が強硬になればなるほど、ハマスなどのイスラム組織が支持を広げることが予想され、和平の実現は、不可能だ。

イスラエルの最大の後ろ盾であるアメリカとの関係は、アメリカのオバマ大統領は、パレスチナ国家とイスラエルを平和共存させる目標を明確にしているほか、核開発を続けるイランとの「直接対話」を呼びかけている。

ネタニヤフ政権の立場とは相容れませんので、両国の関係が冷えこんでゆくのは避けられない。

イスラエルとイランとの関係は、軍事的な緊張が高まることが懸念される。ネタニヤフ首相は、「イランが核兵器を保有することは、どんな手段を使ってでも必ず阻止する」と主張してきた。イランが核開発を中止しなければ、イスラエルが、ある時点で、イランの核施設を破壊する軍事作戦に踏み切る可能性が高いという指摘も出ている。

先週、イスラエル軍は、大型の爆弾を搭載し、イランまで十分往復できる最新鋭の戦闘機の訓練を公開し、イラン側を強くけん制する。ネタニヤフ政権が、イランの核問題にどう対応するかが、今後の中東情勢の最大の焦点になるのは間違いない。

食料品捨てない工夫を

05sikotuko31「資源の無駄・環境浄化」がいま問題になっているが、食料品に係わる問題は大きい。世界中では毎日「飢え」で亡くなっている人が1日に25000人いるという。こんな世の中で、食べられるのに捨てられている食品は年間700万トンにものぼるという。

一体、私たちは毎日どのくらいの食料を捨てているのか 。それぞれの家庭から出る食料ゴミ、飲食店やホテルからの残飯、コンビニから捨てられるべんとうのなどがある。惣菜産業などの食料加工業者が、生産の過程ですてられる原材料も相当な量になる。

1998年に日本国内で捨てられた残飯の量は、約700万トンだったという。この価値約2兆円は、日本の農林水産業の年間生産額とほぼ同じ額に当たる。つまり、これは日本の農家や漁師などが苦労して作った米や野菜・果実・魚類・肉類など全部を捨てているのに等しい額である。また、捨てられた残飯量をカロリーに換算すると日本人の1人当たり摂取熱量2000カロリーの約3分の1に相当し、3食に1食を捨てている計算になる。

その一方で日本の食料自給率は40%に過ぎず、金額では世界第一位の農水産物純輸入国である。

昨日JーCSTニュースに載っていた(抜粋)・・・メーカーにとっても廃棄に多額のコストがかかる。こうした頭の痛い問題をなんとか解決しようと食品メーカーが動き出した。森永製菓は賞味期限が近い自社在庫の菓子を安く売るなど、こうした動きが業界に広がっている。

森永製菓は、賞味期限が近い自社在庫の菓子を全国のスーパーマーケットで安く販売する。大手製菓メーカーでは「初の試み」(同社)で注目が集まっている。約1600円相当のビスケットやキャンディ、チョコレートなどを詰め合わせにし、1050円で販売する。商品名は「森のふくろう」だ。

賞味期限は最低でも3か月残し、品質上、安全が確認されているものを販売する。2008年12月から地方でテスト販売したところ、好評だった。不況下で安く買いたいという消費者の心理にマッチしたようだ。

限られた資源である。食料品の捨てないで済むように工夫をして環境にも配慮し資源有効活用を考えて行きたいものだ。

春真っ只中

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今日の名言

離れればいくら親しくってもそれきりになる代わりに、いっしょにいさえすれば、たとい敵(かたき同志でもどうにかこうにかなるものだ。つまりそれが人間なんだろう。
夏目漱石『道草』

13_10241雲も水も旅をしてをり花筏 相生葉留実

花が咲いても散っても、雲は流れ水も止むことなく流れている。その雲は地上に散ったはずの桜が、何かの拍子に空に固まって浮かんだみたいに見えているのかもしれない。流れる水は散った花びらを浮かべて、みごとな花筏になっている。

悠久の時間を旅している雲も水も、花筏をとりこんだことによって、この句では大きくて美しい時空を造形することができた。雲は天にあり、水は地にあり、天地の間を雲や水を愛で、散った桜/花筏に目を細めて人は行きすぎる。そんな弥生の頃の風情である。

葉留実さんはもともと詩人で、私は第一詩集『日常語の稽古』刊行当時から、注目していた女性詩人の一人である。平井照敏主宰の「槙」誌で、ご主人の村嶋正浩さんとならんでいる彼女の名前を発見したときは、「俳句もやるんだ!」と思わずニヤリとした。

数年前に詩人の会で久しぶりにお目にかかったのに、今年1月に逝去されたと聞いて言葉を失った。「槙」がなくなった後、「翡翠」誌に移った彼女の俳句をずっと拝見していた。鈴木章和主宰は「どの句にも、そのままの彼女自身がいて、ときに清楚な含羞を見せている」とコメントしている。

同誌最新号冒頭には葉留実さんの八句が掲げられている。「長旅の川いま海へ大晦日」「浮世はなれ彼の世へゆく日冬銀河」。今は「彼の世」の春のどのあたりを、ゆったりと「長旅」していらっしゃるだろうか。合掌。「槙」231号(2000)所載。(八木忠栄)

身にとりて衣がへうき卯月かな 其角

『続虚栗』より。其角が生きた時代の卯月は陰暦で夏、当然「衣更」という夏の季語も入っているが、花冷えがあったり、いろいろな式典があったりのこの新年度。これを書いている私の「身にとりて」も、生来のめんどくさがりやも手伝って、毎日どの服を着ていくか、もうはっきりと春物で軽く着ていくかどうか、悩ましい。今風に読めばこうなる。

ちなみにこの句には「四月八日、母のみまかりけるに」の題書がある。前年俳諧宗匠として立机したものの、一家も構えず、将来の茫洋たる不安の中、最愛の母を亡くして途方に暮れた貞享四年(1687年)、其角、数え27歳の作。(塩見恵介)

今日は四月八日で、お釈迦さまの誕生日である。立像にお茶をかけて祝う。子供の頃、近くのある「慈眼寺」にいき、甘茶を頂いたことがある。甘茶というからとっても甘いお茶と思っていたのだが、それほど甘くなかった印象であった。それ以来行ったことのない、たった一回の思い出である。

「花まつり・潅仏会 」である。八王竜王が喜びのあまり甘露の雨を降らせたという言い伝えに由来するそうだ。古くは掛けた甘茶を持ち帰り、これで墨を擦り虫除けの呪いを書くと効果があると信じられていたという。

昨日は、汗ばむ陽気となった。午前中、消化器病院に行き、先だっての胃・大腸の検査結果を聞きに行ってきた。大腸にポリープがあったが取って、組織を検査したが「異常なし」でほっとする。その他も異常なしでよかった。「一年後に検査する」ことを医師から勧められた。実践したい。そして久し振り伊豆あたり旅行でもしたくなったなぁー。(11日に成田山新勝寺に行くけれど・・・)

午後は、河川管理道路の草取りをする。「春真っ只中」である。

2009年4月 7日 (火)

核なき世界に一歩

Tombi061「核なき世界に一歩」
チェコの首都プラハ(5日)で、オバマ大統領の演説は、核がテロに使われることの恐ろしさから、核テロを封じるための国際機関の創設、核物質を安全な管理下におくための体制づくり、核の安全管理に関する首脳会議、などを提案した。

核廃絶への道は険しい。「私が生きている間は不可能だろう」とそのことを認めたオバマ大統領だが、しかし、「あきらめることは簡単で、そして臆病なことだ」と、行動への決意を強調した。

日本にとっても「あきらめる」という選択肢はない。オバマ大統領の核廃絶構想に、同盟国として協力できることはあると思う。「核のない世界」を実現する政策を、日本からも発信すべきである。

毎日新聞社説・・・「核兵器を使った唯一の核兵器保有国として米国は行動する道義的責任がある」とオバマ米大統領は言い切った。チェコの首都プラハで「核兵器のない平和で安全な世界」の建設を訴えたのである。

画期的な演説といえよう。「道義的責任」といっても広島・長崎に原子爆弾を落とした責任を直接認めたのではない。だが、そうではあっても米大統領が自国を「核兵器を使った唯一の国」と規定し、だからこそ核廃絶の先頭に立つと主張する論理は、少なくとも近年の政権には見られなかったものだ。オバマ大統領の率直な姿勢を高く評価したい。

ブッシュ政権下の07年、当時の久間章生防衛相が原爆投下を「あれで戦争が終わったという頭の整理で、しょうがない」と発言して物議をかもした時、米政府高官らは「広島、長崎に原爆を投下したから米兵100万人が死ななくてすんだ」という論理を展開した。是非はともあれ、これが米国で支配的な考え方だ。

フセイン・イラク政権を「化学兵器で自国民を殺した」などと非難する米国も、自国がプルトニウム型とウラン型の2発の原爆を日本に落とした事実には言及したがらない。一般市民への大量破壊兵器使用を正当化しきれなければ、米国は歴史的に大きな責任を負うからだろう。

しかし、難しい責任論などはさておき、私たちは素朴な願いを口にしたい。オバマ大統領はぜひ、広島や長崎の原爆忌に列席してほしい。「核なき世界」をめざす旅は、その恐ろしい兵器によって命を奪われた人々への鎮魂から始まると信じるからだ。「100万人救済説」は米国のイメージをゆがめるだけだろう。

オバマ大統領は核実験全面禁止条約(CTBT)の批准を米議会に働きかけ、核の安全をめぐる国際サミット開催にも努める意向を表明した。CTBTは同じ民主党のクリントン政権が支持したが、共和党主導の上院が99年に批准を否決した。

また核兵器保有を5カ国に限定する核拡散防止条約(NPT)の体制強化と、兵器用核分裂性物質の生産禁止に関する「カットオフ条約」の交渉開始もめざすという。いずれの政策も歓迎したい。

NPTの枠外で核兵器を保有したインドやパキスタンや、大量の核弾頭を持つとされるイスラエルの非核化を図るのは容易ではない。しかし、米国が率先して世界の核軍縮を進めることは、北朝鮮やイランの核兵器保有を阻む国際的な動きにもつながるだろう。

「脱核兵器」は複数の元米政府高官も提唱している。「世界は変えられる」というオバマ大統領の呼びかけに、「イエス・ウィ・キャン」の唱和が広がることを期待する。

私の好きな花「山桜」

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今日の名言

幾つかの偉大な思想だけは本当に自分のものにしておかなければいけない。明るくなるなどとは思いも及ばなかった遠いところまで、それが光を投げてくれるから。
ジンメル『愛の断想・日々の断想』「日々の断想」

19378203v12387141361山桜咲く山の木に囲まれて 名村早智子

このところ入学式にはすっかり葉桜になってしまうほど桜の時期が早まってしまったが、今年は開花宣言から雪が降るような思わぬ寒さが続いたせいか、いまだ満開とずいぶんと見応えがある。

あらゆる樹木のなかで、もっとも人間に近いような気がする桜だが、山中にひっそりと佇む山桜となると人の気配もぐっと薄れ、白々とつつましく、そしてもちろん野趣も持ち合わせる。ソメイヨシノに代表される里桜は、花だけが吹き出すように咲き満ち、その豊満な美しさは絶景でもあるが、圧迫感に胸が塞がれる思いもするものだ。

一方、山桜は花のかたわらにつやつやとした紅色の幼葉を伴うことで、全体の輪郭をやわらげ、花の咲く木としての自然な構えがことさら好ましく思える。木漏れ日のなか、山の雑木に紛れ咲く桜には、家族に囲まれた器量よしの娘のような、素顔の輝きがこぼれている。

芽吹きつつ木は木の容思ひ出す〉〈叱られて金魚の水を替へてをり〉『山祇』(2009)所収。(土肥あき子)

私は、山桜の花に興味があって、掲句に感動を覚える。華やかさは控えめ、素朴さは、奥ゆかしさが好きだ。私の住んでいる町にはふじやと山という雑木林があったが、宅地開発でなくなてしまい、山桜は見ることが出来なくなってしまって残念な思いである。

日本の代表的な桜で、山地に広く自生している。奈良県の吉野山は昔からヤマザクラの名所として有名である。里桜(ソメイヨシノ、ヒガンザクラなど)は、花が咲いた後から葉が出てくるが、山桜(ヤマザクラ、エゾヤマザクラなど)は,葉と花がほとんど同時に開く。出っ歯のことを山桜というのは、この特徴(葉と鼻が同時に出る)に引っかけた表現である。

山桜は、かつて(戦前)は、愛国心の象徴とされた花だった。そして本居宣長の詠んだ次の歌は、散りぎわのいさぎよさを賛美した歌として知られている

 敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花

「敷島の」は「大和」にかかる枕詞で、特に意味はない。神風特攻隊の最初の4部隊が、この歌から「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」と名付けられたという。

私は今でも、渡辺浜子さんの「愛国の花」の歌を覚えている。この歌詞にも、山桜が出てくる。

       福田正夫作詞  古関祐二作曲 (昭和13年)           

       真白き富士の気高さを 

       心の強い盾として 

       御国につくす女等(おみなら)は 

       輝く御代(みよ)の山桜 

       地に咲き匂う国の花

 

2009年4月 6日 (月)

かんぽの宿の譲渡問題

15401かんぽの宿の譲渡価格の問題で鳩山総務相が「出来レース」であると強烈糾弾した。
出来レースとは「出来合いのレース(出来あがっているレース)」ということで、事前に勝敗は決まっているがあえてする勝負を意味する。 談合により落札者を決めたうえで行う入札などが出来レースにあたる。

出来レ-スの多くは第三者からそう見える勝負を嘲う言葉として使われる。 実力の差が大きく、結果が歴然としている勝負に対しても出来レースが使われるのだが、全くその通りで、記者会見で話されていたが胸のすく思いであった。

公正な国民的財産の処理手続き、不適正な譲渡をチェックできなかったのか、透明性を欠いていたことに総務省はなぜチエック出来なかったのか、我々庶民感覚では考えられないことだ。徹底的にこの問題を明らかにすべきだ。

毎日新聞社説・・・鳩山邦夫総務相が3日、日本郵政の西川善文社長に、かんぽの宿などのオリックス不動産への譲渡問題で不適切な点があったとして、業務改善を命じた。

かんぽの宿が国民共有の財産であるという認識が欠如していたという基本認識のもと、収益改善努力の不足や、一括で約109億円の譲渡価格の不当性などを指摘し、6月末までの改善策提出を求めた。

この業務改善命令は総務省が日本郵政に提出を求めたかんぽの宿譲渡に関する資料を検討分析し、16の問題点を洗い出した上で決定した。かんぽの宿職員の雇用確保が十分なものではなかったことや、オリックス不動産が取得した場合の譲渡禁止が実際には尻抜けだったことなどが明らかにされている。日本郵政は応募者に入札条件や手続きを随時、変更や撤回できることにもなっていた。

純粋の民間企業なら、あまり問題にならない論点もあるが、日本郵政は民営化されているとはいえ、現段階では国が100%株式を保有している法律に基づく会社である。郵便局会社などグループ各社も同様だ。また、政府は郵便事業や郵便局ネットワークは将来的にも維持していくことを約束している。

利潤動機最優先で動く民間企業とは異なる。そうした企業の保有するかんぽの宿は広い意味で国民の資産とみるべきなのである。

政府の規制改革に長年かかわってきた宮内義彦氏が率いるオリックスグループのオリックス不動産への譲渡断念が、政治的判断のみならず、譲渡への国民の批判の高まりに配慮したことは間違いない。

政府や日本郵政には郵政民営化を国民利益に沿ったものにする責任がある。この視点に立てば、今回の問題指摘には有益な点が多い。透明性が高く、公正な国民的財産の処理手続きができていなかった点や、日本郵政内での意思決定など企業統治が十分でなかった点は、早急に改善しなければならない。日本郵政の第三者委員会で検討が進められている資産売却のあり方にも踏み込んだ内容にしなければならない。

当然のことではあるが、資産売却などに当たっては一点の疑いもない手続きが求められる。今回のような「出来レース」の疑いの生ずるような売却方法は論外である。

いま、日本郵政が求められていることは郵便事業のサービス内容や質の維持・向上である。そのための経営体質の強化は国民の望むところである。政府もそのための支援は惜しんではならない。

総務省はなぜ、今回の不適正な譲渡をチェックできなかったのか。体制の立て直しが必要だ。

花の命は短くて

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今日の名言

ひとは単に知っていることによって知慮あるひとたるのではなくして、それを実践しうるひとたることによってそうなのである。

アリストテレス『アリストテレス ニコマコス倫理学』(下)

07yamazakura_kitakami11 泣きに来し裏川いまも花筏 中野きみ

詩歌にセンチメンタルな感情を込めるのは、意外に難しい。込め過ぎるとあざとくなり、さらっとしすぎると読者は感情移入できなくなる。そのあたりを、この句は程よくクリアーできていると思った。

「花筏(はないかだ)」は、散った桜の花びらが水に浮かんで流れて行く様を,筏に見たてたものだ。裏の川に泣きに来たのは、もうずいぶんと昔の少女時代のこと。何がそんなに哀しかったのか。

誰にも涙を見せたくなかったので、川淵に来てひとり泣いたことはよく覚えている。あのときも涙でぼやけてはいたけれど、いま眼前を行くのと同じように花びらの帯が流れていたっけ。純真だった、いや純粋過ぎたあの頃。

毎年春になれば、こうして花筏は同じように流れて行くが、もうあの頃の自分は帰ってこないのだ。美しい花筏に触発されて、作者はしばし心地よい感傷に浸っている。そして、私という読者もまた……。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)

急流に 飲まれし行く 花筏

昨日、川面をじーっと眺めていたら上流から桜の花びらが流れてきた。桜の花の寿命が何て早いものかと感じる。咲いたかと思うとパット散ってしまう花の命である。桜の花が咲く時期には、季節の変わり目でもある。寒暖の差が激しかったり、春一番・二番とか強風が荒れ狂うことがある。花吹雪となる。また雨で花びらが地面一杯に引きつつめられた光景をよく見ることだ。

林芙美子「放浪記」の「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の名句を思い出した。

そして、時間感覚というのは不思議だ。あっという間に終わる1時間もあれば、永遠かと思われる1分もある。これまでも感じていたが、最近やたらに強く感じるようになったことは、自分の周囲を流れる時間が年々速くなっているようでしかたがない。

2009年4月 5日 (日)

北朝鮮ー飛翔体発射

15401北朝鮮の人工衛星?ミサイル?と思われる飛翔体が、予定通り?というか、今日午前11時30分ごろに発射した。日本列島を飛び越えて太平洋に落ちたという。北朝鮮のミサイルなのか人工衛星なのか分からないが、今後の各国の対応が注目される。

国民の経済状況が非常に厳しい北朝鮮の国内事情あるが、実際発射すことの意味は何か、核開発によって、イラン・シリアなどに技術を売って外貨獲得する意味であろうと思う。またアメリカに対して、北朝鮮に目を向けさせるためだろう。そして韓国・日本に脅威をもたせ、6者協議を優位に保とうとする。

今回の中国の対応が注目される。日本政府の国連安全保障理事会に提訴する事に対し中国の反応とロシアの対応である。常任理事国である。中国・ロシアの対応が気になるところである。
それにしても、一筋縄でいかない北朝鮮の瀬戸際外交は、世界中が惑わせられる。

NHKweb・・・河村官房長官は、北朝鮮が飛翔体を発射したことを受けて、総理大臣官邸で記者会見し、現時点で国内での被害の情報はないとしたうえで、度重なる発射の自制を求めたにもかかわらず、発射を強行したことは、きわめて遺憾だとして、北朝鮮に対して強く抗議する考えを示しました。
この中で、河村官房長官は、北朝鮮から発射された飛翔体について、「午前11時30分ごろに発射されたと判断される。午前11時37分ごろに東北地方から、太平洋へ通過したものと判断されるが、現時点では、日本の領域とその付近への落下物は確認されていない」と述べました。

そして、河村官房長官は、「現時点で国内での被害の情報はない」と述べたうえで、麻生総理大臣から、

▽日本の領域内の安全の確保、

▽航空機や船舶の安全の確保、

▽情報収集の強化と国民への情報提供を速やかに行うよう、指示を受けたことを明らかにしました。

また、河村官房長官は「アメリカなど関係各国と連携して、鋭意、情報を収集中だ。このあと、麻生総理大臣、中曽根外務大臣、浜田防衛大臣とともに、『情報集約会議』を開き、情報を分析することにしている」と述べました。

河村官房長官は、「たとえ人工衛星でも、発射は、国連安全保障理事会の決議に違反する行為であり、きわめて遺憾だ。厳重に抗議する」と述べました。さらに、河村官房長官は、2発目の飛翔体の発射の兆候について、「現時点でそうした情報は一切ない」と述べました。

米国務省の広報担当者は4日夜(日本時間5日昼)、北朝鮮のミサイル発射を確認するとともに、「挑発的な振る舞いだ」と非難した。「北朝鮮に他国の安全を脅かすことは許されないと知らしめるため、米国としては適切な措置を取る」と述べ、国連安全保障理事会での対応を探る考えを示した。

桜貝に想う

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今日の名言

偉大な人物が化石になり、人々がかれを偉人と称するときが来れば、かれはすでに傀儡(かいらい)に変じているのだ。
『魯迅評論集』

07kitayamazaki31小指より開け子が見する桜貝 中山フジ江

季語は「桜貝」、春です。歳時記によると、「古くは花貝といわれた」とあります。その名を見ればおのずと、昔から人にやさしく見つめられつづけてきたのだということがわかります。身をかがめて拾われて、柔らかな手のひらに乗せられ、美しい美しいと愛でられてきたのでしょう。

その思いそのままに、本日の句はひそやかで、小さくて、いとしい感情に包まれています。包んでいるのは子供の手。ぷっくりと、まだ赤ん坊のころの肉を付けたままのようです。「お母さん、いいものを見せてあげる」と、差し出された腕の先はしっかりと握られ、何が出てくるのかと被せる顔の前で、おもむろに小さな指から開かれてゆきます。

小指が伸び、薬指が伸びた頃には、すでに貝の半身が色あざやかに目の前に現れ、見れば子供の爪のようにかわいらしい桜貝が出てきています。読む人をどこまでも優しい気持ちに導いてくれる、あたたかな春の句になっています。「俳句」(2009年4月号)所載。(松下育男)

桜貝といえば、私は湘南の海辺で拾ったことはあるが、生身の貝はみた事がない。勿論食べた事もない。どうしてあんなきれいな色になるのだろう。

そして何と言っても、「桜貝の歌」である。この歌は、私にとってはちょっと寂しい孤独感を感じてしまう。何故かと言えばこの歌がNHKのラジオから流れてきたのが昭和24年(1949年)である。その年は、母親が四十八歳で亡くなった年でもある。

今でもその歌は心に染み付いて湘南の海辺に行くと桜貝を探して見たくなる。そして「桜貝の歌」を口ずさんでしまう。そして母親の顔を思い出すのである。

            土屋花情 作詞
            八洲秀章 作曲

           うるわしきさくら貝一つ
           去りゆける君にささげん
           この貝は去年の浜辺に
           われ一人ひろいし貝よ

           ほのぼのとうす紅染むるは
           わが燃ゆるさみし血潮よ
           はろばろとかよう香りは
           君恋うる胸のさざなみ

           ああなれどわが思いは儚く
           うつし世のなぎさに果てぬ

           

2009年4月 4日 (土)

定額給付金の事

1231支給方法は、地方自治体で違うと思うが、私の住む八王子市では、3月末に登録用紙が市から郵送されてきた。

早速、取引銀行名・口座番号などを記入し返信用の封筒にいれてポストに入れた。その後、記入要領をみて気がついた。取引銀行の「通帳のコピーをして提出用紙に貼り付けること」と書いてあった。

早速、どうしたもの市の相談窓口に問い合わせしたところ、「作成不備で送り返すから、通帳のコピーをして提出用紙に貼り付て、郵送してください」と言われた。ホッとしたのだが、自分の早とちりと、注意不足に我ながら恥ずかしい思いであった。

しかし、作成不備は、認めるとしても、「通帳のコピーをして提出用紙に貼り付ける」分かっていても事が出来ない人、全く分からなくて作成すら出来ない人は沢山いると思う。まして、コピーはどうすればいいの?・どこですればいいの?などの問題がある。

この事を利用して、いま問題になっている振り込め詐欺に遇わないのか疑問に思うのだが、市の担当部署では、「通帳のコピーをして提出用紙に貼り付け」【記入方法が分からない・コピーなってどうすれば・コピーするところ・コピー機が使えない】などを想定したのだろうか?

これらの事をクリヤーするには9月までの期限には難しいのではないだろうか?

税金の確定申告のように取引銀行名・口座番号などの明示だけでいいのではないかと思うのだが。

そっそかしい私のミスで市の担当部署にご迷惑おかけしてしまったのだが、こんな事は言い訳けかなぁ・・・。

恋(鯉)季節

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今日の名言

年年歳歳(ねんねんさいさい) 花相似(はなあいに)たり
歳歳年年(さいさいねんねん) 人同(ひとおな)じからず

『唐詩選』(上)

271 流し雛波音に耳慣れてきて 荒井八雪

雛流しの行事は今も行われているが、その時期は、新暦、旧暦の三月三日、春分の日など地方によってさまざまだ。吉野川に雛を流す奈良県五条市の流し雛は、現在四月の第一日曜日ということなので明日。写真を見ると、かわいい着物姿の子供達が、紙雛をのせた竹の舟を手に手に畦道を歩いている。

そして、吉野の清流に雛を流して祈っているのだが、その着物の色は、千代紙を思い出させる鮮やかでどこか哀しい日本の赤や水色だ。紙雛はいわゆる形代であり、身の穢れを流し病を封じるといい、雛流しは、静かでやさしい日本古来の行事のひとつといえる。

この句は、波音と詠まれているので海の雛流しなのだろう。作者は雛を乗せた舟をずっと見送っている。春の日の散らばる海を見つめて佇むうち、くり返される波音がいつか海の心音のように、自分の体が刻むリズムと重なり合ってゆく。そんな、耳が慣れる、もあるのかもしれない、とふと思った。『蝶ほどの』(2008)所収。(今井肖子)

急流に 鱗きらめく 鯉季節 

きのう湯殿川を眺めていたら、鯉が産卵のために浅瀬の急流に集まってきて、産卵している光景をみた。尾ひれで砂利を洗う鯉の横腹が銀色のうろこが急流に流れた。それだけ激しく身体を押し当てて卵を産むことに、命を賭けているのか?と思ってしまった。 

春は恋季節でもある。生物すべてが生命の輝き、子孫繁栄に自然界の法則がある。じっと川面を見ていて、感慨にふけってしまった。

そして、【今日の名言】「年年歳歳(ねんねんさいさい) 花相似(はなあいに)たり。歳歳年年(さいさいねんねん)人同(ひとおな)じからず。」『唐詩選』を思い出す。

2009年4月 3日 (金)

初の米・ロ首脳会談

3612「米・ロ」首脳会談がロンドンであった。アメリカのブッシュ前大統領とプーチン大統領時代と違って、「何か期待が持てそう」な雰囲気である。

お互いに40歳代と若い、世界をリードする両大統領の握手する姿は「信頼」さ強く感じた。今日の朝日・読売・毎日新聞の社説にも米・ロ「核軍縮条約」が取り上げられていた。北朝鮮のテポドン発射を控えて、核軍縮は世界各国の願いである。

唯一の被爆国日本の広島・長崎の核廃絶運動を進めている人たちのも両大統領に期待するものは大きいと思う。「核のない平和な世界」を世界中の国々で願っている。

朝日新聞社説・・・「関係をリセットする時が来た」。ロシアのメドベージェフ大統領がこう宣言すれば、オバマ米大統領も「今後は関係が漂流することはない」と応える。「新冷戦」とまで言われた米ロ関係が、正常化へ向けて動き出した。

米国の政権交代後、初めて顔を合わせた両大統領は、新たな核軍縮条約を年内に締結すること、オバマ大統領が7月にロシアを訪問することなどで合意した。 ともに40歳代という若い指導者のもとで、両国関係を包む空気は一変したと言っていいだろう。

ブッシュ前政権の末期、米ロ関係は冷え込んだ。ロシア軍のグルジアへの侵攻、米国が進めたポーランドとチェコへのミサイル防衛(MD)配備計画、北大西洋条約機構(NATO)のさらなる東方拡大の動き……。

ロシアはここ数年の原油高で急速に経済力をつけ、それを背景に米国への対抗姿勢を強めた。米国もそんなロシアと折り合わず、米ロ対立は欧州や日本にとっても心配の種になっていた。

これを反転させようと両指導者が合意したのは、良いスタートだ。米ロ関係の風向きが一変した背景には、世界経済の危機の深まりがある。両国にとって「共通の利益」の土俵は広がっていると見るべきだろう。

この機会をうまく生かすべきだ。ムードだけのリセットに終わらせないよう、これから具体的な成果を積み上げていかねばならない。

真っ先に取り組むべき課題は、会談で合意された核軍縮交渉である。米ロの第1次戦略核兵器削減条約(START1)が今年末で失効するからだ。それに代わる新条約では、保有する核弾頭の大幅削減をめざすという。

この交渉を手始めに、中国や英仏なども巻き込む多国間の核軍縮の枠組みづくりにつなぐべきだ。核不拡散条約で、核兵器国は軍縮の義務を負っていることを忘れてはならない。

「核のない世界」。オバマ氏が掲げたこの公約を実現させるために、米ロの真剣な努力が望まれる。両国間には懸案が山積している。

たとえば、緊張が高まっているイランの核開発計画について、両首脳はイランに「国際社会の信頼を回復する必要がある」と迫った。だが、ロシアはイランの原発建設に協力しており、国連安保理での制裁決議には慎重だ。 こうした溝を埋めていくには、ほかの懸案も含めて両国の粘り強い交渉と協力の機運づくりが欠かせまい。

オバマ政権が打ち出したアフガニスタン新戦略でも、ロシアの協力が必要だ。ロシアも、中国や中央アジア諸国と連携してこの地域への関与を強めようとしている。双方の勢力争いにせず、アフガニスタン安定化に力を合わせる形にもっていきたい。

始動

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今日の名言

ある考えに支配されると、どこへ行ってもその考えが表わされているのに遭う。風の中にまでその匂いが入っている。

トオマス・マン『トニオ・クレエゲル』

07akitakoma 暮春おのが解剖体を頭に描くも 目迫秩父

俳号「めさくちちぶ」と読む。春の暮の明るさと暖かさの中で、おのれの解剖される姿を思い描いている。宿痾の結核に苦しみ昭和三十八年に喀血による窒息死で四十六歳で死去。組合活動で首切りにあうなど、常に生活苦とも戦った。

こういう句を読むと、今の俳句全体の風景とのあまりの違いに驚かされる。文体は無条件に昔の鋳型をとっかえひっかえし、季語の本意本情を錦の御旗にして類型、類想はおかまいなし。

若い俳人たちは、「真実」だの「自己」だのは古いテーマと言い放ったあげくコミックなノリにいくか、若年寄のような通ぶった「俳諧」に行くか。自分の句を棚に上げてそんな愚痴をいうと、ぽんと肩を叩かれて「汗も涙も飢えも労働も病も、もう昔みたいに切実感を失ってテーマにはならないんだよ」そうかなあ、どんな時代にも、ただ一回の生を生きる「私」は普遍的命題。

いな、普遍的なものはそれだけしかないのではないか。この句の内容はもとより、上句に字余りを持ってきた文体ひとつにしてもオリジナルな「私」への強烈な意識が働いていることを見逃してはならない。『雪無限』(1956)所収。(今井 聖)

夜桜や ライトアップと 人の群れ

早朝の 光つめたき 弥生かな

家の前の片倉城址公園の桜もライトに照らされて一層の輝きを増して来た。昨日はちょっと寒かったが何組かのグループが車座になっていた。

今日は良く晴れて、風もなくお出かけ日和という。日1日と暖かくなっていくのが肌で感じるようになってきた。あれーこぶし白い花はいつの間にか散ってしまった。季節の移り変わりは早い、雑木林にあるくり・なら・くぬぎ・こならなどの枝先にはしっかり若芽がみえてきた。

片倉城址公園の名物の、「かたくり」が可憐な花をつけて何とも「落ち着いた」雰囲気をかもし出している。池の鯉も動きが活発になった。地球の北半球の生き物が太陽の恵みを受けて、始動する。

そして今日からプロ野球の開幕である。WBCで活躍した、日ハムのダルビッシュと楽天の岩隈投手の対決が楽しみである。

2009年4月 2日 (木)

派遣社員の問題

05sikotuko31派遣社員制度が各方面で問題となっているが、自分なりに考えをまとめて見たが・・・。

「派遣社員とは」本来は、派遣というのはその仕事のスペシャリストであるべきで。正社員のように会社で技術を学んで行く労働者というのは最低賃金というものが決められているからそれ以下にすることは出来ない

だが、入社したてでその賃金の仕事をしているとは思えない。その分は働いていく上で会社は長い年月をかけ回収していく。つまり稼げるようになってから会社はその投資分を回収しする
それに対して派遣というのは最初からその仕事のスペシャリストであり必要な時にスポット的に採用されるのが本来の形、正社員と同等の賃金ではない。正社員の2倍3倍の賃金を貰わないとおかしい話と思う

正社員のように雇用の継続が不安定なうえに賃金まで同じか、それ以下というのは本来おかしい話である。だからそういう観点から派遣という働き方には制限がある。つまり特殊な技能を必要とする職種に限定されていたのである。

忘れたり、理解していない行政が簡単に使い捨てられる労働力を欲している経営者の圧力に押されて規制緩和のもと規制を緩くしたのだ。

本来の意味での派遣という働き方を否定はしないが、その本来の意味を取り違えて運用されている。今の派遣という形は格差社会が広がっている現況の一つと言える。

単なる労働力ではなく、本来はその仕事のスペシャリストがすべき派遣である。それなら派遣にする必要はなく正社員のように正規雇用すればよい話である

また制度上にも問題があると思う。派遣というのは雇用先が違うわけで有給の権利もあるが、それを付与するのは派遣元で派遣先はほとんどの場合付与しない

派遣元にしてみれば、派遣先はお得意さんであるから派遣先から言われると、その派遣されている労働者に有給取得の自粛を言わざるをえない。

これも仕事のスペシャリストとして地位が高ければ、強引にでも取得できるが身分に不安あればなかなかできない。また正社員の場合 交通費というのは非課税扱いであるが、派遣で交通費を含んだ全額という形で支給されるので、交通費にも課税される。ここにも弊害がある
縦割り行政の弊害で税務署がそのことを理解していない申告をすれば戻るべき交通費に対して課税された分の還付を認めないケースが多いという。

日銀短観「過去最悪」

539571右を向いても左を見ても、不景気風が吹き荒れている。1日夜(日本時間2日未明)、日米欧に中国など新興国を加えた20カ国・地域(G20)の首脳会議(金融サミット)が、ロンドンで始まった。

会議では首脳宣言を採択し、世界経済を再び回復させるため、財政出動や金融規制などの措置にG20各国が全力を尽くす決意を表明する予定だ。 大いに期待したい。

そんな中で、BURICsの国が注目したい。特に中国の経済が気になるところである。外需の落ち込みは急というが内需に力を入れるようだ、経済成長率は落ち込んでいるが6%代を維持できるという。インド・ブラジルなどにも注目である。

日本は、環境・ロボットなどの技術を活かし独自の開拓をしながら回復に努めていくことである。

毎日新聞社説・・・新年度初日、エープリルフールと思いたくなるような「過去最悪」の日銀発表である。3月調査の「短観」は、昨秋以降の景気の落ち込みが、今年に入り一段と加速したことを印象付けた。だが同時に「底なしに悪くなっていく」との空気が緩みそうな気配も感じ取れる。企業には、いずれ訪れる「回復」をにらんだ攻めの準備を期待したい。

足元の景況感は、特に輸出型の大企業で急激な悪化が目立った。財務省の貿易統計によると、日本の輸出額は前年同月比で1月が46%減、2月が49%減とほぼ半減状態が続いている。特に2月の自動車輸出は7割も減った。3月短観を見ると、自動車業界(大企業)の景況感がマイナス92と際立って悪化している。12月調査時の3月の予想値であるマイナス68を大幅に下回り、輸出激減のショックの大きさを物語っている。

とはいえ今回の短観に、小さいながらも明るい兆しが点在しているのも事実だ。例えば、先行きの業況判断が大企業製造業で約3年ぶりに改善した。自動車と電機は10ポイント前後の改善幅である。09年度の利益予想や雇用の過剰感の予想を見ても、底打ちの兆しがうかがえる。東京市場の株価もプラスに反応した。

もちろん、まだまだ不確定要素が多いし、新規雇用の増加や所得の改善に展望が持てるようになるまで時間もかかりそうだ。失業率は一段の悪化が心配されている。政策による下支えは当分の間、手を緩めてはならない。回復の可能性を現実のものにするためにも、国内の景気対策に加え、アジアなど新興国の経済をしっかり支援することが大切である。

企業の経営者や従業員は、連日のように聞こえてくる「100年に1度の危機」という言葉に、過剰反応することはない。国内外を問わず、これまで挑戦してこなかった市場の開拓や、持ち前の技術を商品価値の向上にいかす工夫を続けてもらいたい。まだまだ活用できていない人材や国際的に競争力の高い技術が埋もれているはずである。

1日、多くの企業で入社式があった。「現在の難局は新たな発展を遂げるチャンス。次の成長に向け積極的な挑戦を始めている」。大坪文雄パナソニック社長の訓示は回復を見据えた動きを感じさせる例の一つだ。今後、こうした傾向が鮮明になり横にも広がっていくことを期待したい。金融機関には、成長の芽を積極的に見いだし、資金面から支える役割が求められている。

多くの日本企業が2度の石油危機や急激な円高など、困難のたびに強くなって復活を果たした。今度もそうなる可能性を信じたいと思う。一番暗い夜明け前が勝負時だ。

ひっそりと咲く山桜が好き

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今日の名言

子曰(いわ)く、書は言を尽くさず、言は意を尽くさずと。
『易経』(下)

07yamazakura_kitakami11 さくらばな散るや家族の鮨の上 吉田汀史

東京でも本格的に桜が咲き始めた。日曜日に訪ねた小金井公園では数百本を超える花の下で大勢の人たちが食事を楽しんでいた。桜前線の北上に伴って、全国各地で飲食の宴が繰り広げられることだろう。持ち込まれるごちそうは様々だが、掲句の「鮨」はそのむかし、遠足や運動会の「ハレ」の日に母親が準備してくれた巻き鮨やちらし鮨だろう。

普段はめったに口にすることの出来ないごちそうを家族そろって外で食べるのは特別な嬉しさだった。この句を読んで、季節は違うが岡本かの子の「鮨」という小説を思い出した。食が細くて食べ物を受け付けなかった男の子が母親の握った鮨を初めて食べた日を大人になってから懐かしむ話だが、青葉の照る縁側で母親が鮨を握るくだりが好きだった。

「よくご覧、使う道具はみな新しいものだよ。それから拵える人はおまえさんの母さんだよ」と、ぱんと打ったきれいな掌から繰り出してくる鮨のおいしそうだったこと。「家族の鮨」という言葉に酸味が効いた手作りの鮨の味が口いっぱい広がる。その鮨の上にほろほろと散るさくらばなが無条件で家族が睦みあっていた頃へ読むものを連れ出し、それぞれの回想を誘うのだろう。『海市』(2007)所収。(三宅やよい)

桜は咲いたが、桜の種類が沢山ある。一般的には、賑やかに咲いて人の目を引くソメイヨシノ桜である。そして、山奥にひっそりと咲く山桜などもある。昨日もちょっと寒かったが、片倉城址公園に車座になって酒盛りをしているグループがあった。

そして、東京上野公園の桜と見物客が16万人あったと言う新聞に載っていた。今週の土日が最高見ごろだろう。この所冬に逆戻りの寒さも週末は暖かくなるという。

しかし、いつも思うのだが、見物客のマナーの悪さ、慣れないお酒の一気飲みで救急車のお世話になったり、裸で池に飛び込んだり、お客の帰った後のゴミの山には、静かに桜を楽しむ人には大迷惑である。片付ける人の身になって行動して欲しいものだ。

私は、大勢の見物客で賑わう桜見物より、山奥でひっそり咲く山桜が好きである。

2009年4月 1日 (水)

脳波を読むロボット「アシモ」

07rose_ame21昨日、NHKのテレビでここまで来たか「ロボット開発」のニュースを見て驚いた。一緒に見ていた妻が「これなら、ロボットが、自分で考えていることをしてくれ、家庭の主婦は楽になれる。」といった。

果たしてそこまでは?出来ては困るのである。愛情まで伝えられないからである。人間の営みは機械的に動くと言うことでいき続けることはできない。人間の本質を忘れたれたら、生きる資格がないし、無味乾燥の世界で耐え難い。

そして動物本来の狩猟・子孫繁栄の原理原則を逸脱してしまい、また人間愛・優しさなどの心がおなざりとなる恐ろしさが控えているいるからである。

しかしまぁー日本の先端技術の凄さに驚かされたものだ。ロボットで介護サービスが出来たらと考えるのは私だけではないだろう。

毎日新聞webに関連記事があったので記してみた。
念じるだけで、ヒト型ロボット「アシモ」に特定の動作をさせることに、本田技研工業の子会社と国際電気通信基礎技術研究所(ATR)、島津製作所のチームが成功した。念じた時に表れる脳活動パターンの特徴を読み取る技術を応用しており、脳に電極などを埋め込む必要がない。将来は手足を動かさず運転できる自動車や家事ロボットの開発につなげたいという。

研究チームは、脳波計と近赤外光脳計測装置を使い、「右手を上げる」「左手を上げる」「駆け足」「舌を動かす」の4種類の動作を人が念じた時の脳波と脳血流を計測。各動作に特徴的なパターンを統計的に処理し、念じた動作を判別してアシモを動かすシステムを開発した。

3人の被験者で試したところ、「舌を動かす」と念じるとアシモが物を食べる仕草をするなど、約90%の確率で思い通りの動作をした。しかし現段階では、念じてからアシモが動くまで7~9秒かかる。また、脳の活動パターンは個人差が大きいため、念じる人の脳活動パターンを事前に計測する必要があるという。

修行は勇気がいる

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今日の名言

わたしたちは、いわば、二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。
ルソー『エミール』(中)

05gihu_hana_festa21噴水のりちぎに噴けり万愚節 久保田万太郎

今日は万愚節(四月馬鹿)。今の時季、あちこちの句会ではこの季語を兼題とした夥しい句が量産されているにちがいない。日本各地で“馬鹿”が四月の始まりを覆っていると思うと、いささか愉快ではないか。言うまでもなく、この日はウソをついて人をかついでもよろしいとされる日である。

もともと西欧から入ってきた風習であり、April Fool's Day。フランスでは「四月の魚」と呼ぶ。インドが起源だとする説もあるようだが、一般に起源の確証はないそうである。現在の噴水はだいたい、コンピューター操作によって噴き方がプログラミングされているわけだから、勝手気ままに乱れるということなく、きちんと噴きあげている。

掲出句は「りちぎ(律儀)」ととらえたところに、万太郎ならではの俳味が加わった。世間は「万愚節」だからといって、春の一日いたずら心のウソで人を惑わせようとくわだて、ひそかにニヤリとしているのに、噴水は昨日も今日も変わることなく水を高々と噴きあげている。万太郎は滑稽な噴水図を作りあげてくれた。

人間世界に対する皮肉でもあろう。もっとも、そこいらじゅうに悪質なウソが繁殖してきている今の時代にあっては、万愚節という風習がもつゆとりとユーモアも半減というところか。万愚節を詠んだことのない俳人はいないだろう。「万愚節半日あまし三鬼逝く」(石田波郷)「また同じタイプに夢中万愚節」(黛まどか)。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)

長年ボランテアでゴミ拾いをしている。最近時々考えるのであるが、他人が見ればどんな姿で見たり、思っているだろうと考えてしまうことがある。「馬鹿じゃないの」「みっともない」「みすぼらしい」なんてマイナス思考になることがしばしばである。その訳は妻に内緒にしているだけでなく、誰にも見れれずそっとやってやろうと考えているからである。

それでも、誰かに見られて「よくやるねー」「感心しますねー」「出来ない事だよー」と言ってくれる人がいるが、そう言われるのは気分のいいものではないからである。こんな事をして「風を引き馬鹿」じゃないのと子供たちに言われてしまったこと思い出した。

しかしこの頃、「そうなんだ勇気のいる事をしているんだ。そして自己修行なんだ」と思うようにしてできる限り続けて生きたいと思えるようになって来た。「修行は勇気がいる」。

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