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2009年3月

2009年3月31日 (火)

生きていることを証明する春

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今日の名言

ただ過(す)ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢(よはひ)。春、夏、秋、冬。
清少納言『枕草子』

07akitakoma_sumire11春荒や水車は水を翼とし 菅 美緒

辞書のうえでは春の嵐と同義にされる「春荒(はるあれ)」だが、心情的には「嵐」とひとくくりにされるより、もっと春の持つ爆発的なエネルギーを感じさせる独特な荒々しさを持っているように思う。

掲句では、激しい風にあおられながら、水車のこぼす水がまるで白い翼を持つ生きもののようだという。村上春樹の小説『納屋を焼く』(新潮文庫)に「世の中にはいっぱい納屋があって、それらがみんな僕に焼かれるのを待っているような気がする」という印象的な文章があった。

そこにはあらゆる種類の暗闇が立ちこめていたが、掲句では水車が能動的に羽ばたくことを選び、大空へ飛ぶチャンスをうかがっているように見える。それは人をやすやすと近づけることを許さない「春荒」という季題が、水車に雄々しい自由と自尊心を与えているのだろう。

子のごとく母を洗へり春の暮〉〈交みゐて蛙しづかに四つの目〉『洛北』(2009)所収。(土肥あき子)

「春」をよく考えると、長い冬に蓄えたエネルギーを爆発させる。そのすざましい力は春夏秋冬でも一番である。「草燃える」土の中まで熱せられれて生物が一斉に蜂起するからである。そして、眠りから覚め先ず何が何でも子孫を残すために植物は、花を咲かし、種を実らせるもの、またじっくりさらに養分を取って力をつけて花を咲かせ種を実らせるものもある。

動物達は、その自然の法則に沿って、植物の恩恵を受けて子孫を残すことに懸命にいき続けるのである。そこにはあらゆる生物が互恵を認め合っていき続けているのである。

地球上に存在する生物は数えきれないがある程度のバランスを保っている。しかしそのバランスを崩そうとしているのが人間の勝手な仕業である。もっとそのことに関心を持って、本来に自然の力を認める事が重要であると同時に自然の摂理に刃向かう事は人間事態の崩壊につながる事だと思う。

桜が咲き、大勢の花見客で賑わう道端で可憐に咲いているすみれは、見捨てられているが、あの紫色の花、私は、じっと見つめていると、派手に咲くと対照的で、いとおしいさえ感じるのである。「あらゆる生物の生きていることを証明する春」である。

昨日は検査入院をして来た。病院の窓から少しだけ咲き出した桜を見た。良く晴れた一日をベットで過ごした。ちょっと退屈な日であった。

2009年3月30日 (月)

思わず気づかされる

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今日の名言

日本人は素描をするのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこまかく、感覚が素直なためだ。
『ゴッホの手紙』(中)

05sikotuko31よろけては春の真中を行く棒か 松林尚志

作者は1930年生まれ。おそらく自画像だろう。そう思うのは、最近私自身が歩行中にしばしば「よろける」ようになってきたからだ。加齢によるものとしか言いようがないのだけれど、思わぬときによろりと来る。まだ「おっとっと」と踏ん張れる程度ではあるが、駅のホームなどではけっこう恐い。

だから、ホームの黄色い線から前にはみ出さないようにするのが、習い性となってきた。老人の動作は緩慢なので、一見悠々としているように見えたりぼおっとしているように見えたりする。これまでの私も、そんなふうに高齢者を見てきた。が、実際にそんな年齢にさしかかってくると、あれはあれで若いときとは比較にならないほど激しく神経を使っていることがわかってきた。

「老人は忙しいのだ」と書いたのは、九十歳を超えたころの伊藤信吉だったが、激しく神経を使ってはいるものの、その身体的表現はあくまでもゆるやかにしか現れないので、わざわざそう書いておく必要を覚えたのだろう。そんな具合で、よろけた作者は、まるで自分が頼りない一本の「棒」みたいに思えたのである。思えたと同時に、苦笑している。時は春。

万物が若々しい息吹とともに生長しはじめたなか、自分は逆によろけては徐々に衰えてゆく。陽炎燃える「春の真中」に、よろけて歩く自分をまるで「棒」みたいではないかと戯画化した哀しくもユーモラスな一句である。『冬日の藁』(2009)所収。(清水哲男)

私も、よろける・ころぶを経験するようになった。散歩でも、駅のホーム、特に階段で注意をしないととんでもないことになる。注意をしないといけなくなった。足から年を取っていくと言われる。暇があれば毎日歩くようにしている。

寄る年はしかたがないが、なるべくゆっくり年を取りたいと思うが、ある日こんなことが出来なくなたなどの経験がしばしばである。思わず気づかされる。

それでも、少しでも健康でいたい。今日は、胃・大腸の入院検査をする。健康は誰にとって望みである。「健康は最高の幸せの贈り物」という。「心身のいたわりは年を重ねて強くなる」。

2009年3月29日 (日)

アフガニスタンの和平と復興への道

386351イラクからアフガニスタンへ世界の目は移ってきた。アメリカのオバマ大統領の政策とブッシュ前大統領と、違いを見せ始めていりる。アフガンはイラクと立地条件が大きく違う。山間部が多いこと、パキスタンとの国境では山が高く、交通などの不便で未開地が多い。

そんな山奥に、イスラム勢力とタリバンの最高指導者オマル師は、新戦略発表を受け、パキスタンとアフガン国境周辺の武装勢力を集結させ、アフガン奪還に乗り出す準備をしているという。アフガン情勢はいっそう泥沼化する可能性もある。との報道もある。

カルザイ大統領任期も5月で終わる。アフガンは少数民族のが集まった国であり、政権内部も汚職が酷く、混乱に拍車をかけているようだ。

アメリカのオバマ大統領の政策でアフガンをテロ集団を抑えこむ事は、非常に困難と思えるる。今朝のNHKT.Vのニュースでアメリカに滞在している各国の大使を呼んで協力を要請していた。日本政府は、緒方貞子氏の日本がアフガニスタンでこれまで行ってきた学校建設や教師の育成、今後行う警察官の給与の肩代わり、PRT(=地方復興チーム)への文民スタッフ派遣など、総額2000億円に上る支援の内容について説明したとのことである

毎日新聞社説・・・銃弾と爆弾だけでは勝てない」とオバマ米大統領は言いきった。アフガニスタン包括戦略を発表した際の声明である。アフガンの未来は隣国と不可分に結び付いているとしてパキスタンへの巨額支援も打ち出した。米国のアフガン政策の大きな転換点といえよう。

武断主義の色彩が強かったブッシュ政権には有名なエピソードがある。01年の9・11テロ直後、米高官がパキスタン当局に対し、米国に協力しないなら空爆を受けて石器時代に戻る覚悟をしろと圧力をかけたというのだ。パキスタンのムシャラフ前大統領が自ら暴露した話だ。

9・11直後の混乱期とはいえ、ごう慢と映る米国の態度はパキスタンやイスラム諸国の反発を買い、アフガン戦線にも悪影響を及ぼした。こうした関係を改め、アフガンやパキスタンとの連携を強めようというオバマ戦略は、同時にイスラム圏との融和という側面を持っている。

険悪なアフガン・パキスタン情勢を思えば、オバマ政権の包括戦略が実を結ぶよう期待せずにはいられない。01年からの米国のアフガン攻撃でイスラム原理主義のタリバンは政権の座から転落したが、その後じりじりと巻き返し、米軍などを苦しめている。

また、核兵器を持つパキスタンでもテロが相次ぎ、一部地域はアフガンで活動する国際テロ組織アルカイダやタリバンの隠れ家にもなっているのが実情だ。

オバマ政権が表明したパキスタンへの年15億ドルの援助(5年間)は、同盟国のイスラエルやエジプトを除けば異例の規模である。ただ、反米感情をやわらげる融和姿勢だけでは戦いに勝てないのも自明だ。オバマ政権は、アフガン政府とタリバン穏健派の対話による「国民和解」に前向きだが、米軍の苦戦が続くようなら、穏健派を武装闘争から対話路線へ転じさせることも難しくなる。

その意味では米軍増強の効果にも期待したい。オバマ政権は今回、アフガン軍訓練などのため4000人の増派を発表した。すでに公表された1万7000人増派とあわせて、アフガン駐留米軍は現在の約3万8000人から6万人規模に増えるという。

軍事・民生両面の戦略について、米国は今後「アフガン安定化国際会議」や、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議などを通じて各国の貢献を求める方針だ。日本への要望の詳細は不明だが、支援要請に対しては前向きに検討すべきだろう。

中国、ロシアを中心とする「上海協力機構」も、米代表を招いてアフガン問題を協議する特別会合を開いた。アフガンが第二の「ベトナム」になれば、米国だけでなく世界の利益が損なわれると考えているためだろう。「オバマの戦争」に、明るい「出口」が早く見えてくるよう期待したい。

4月になると

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今日の名言

恋する男にとっては、相手がどんな身なりをしていても、そんなことはどうでもいい、相手もかれのことを考えていることがわかればいいのだ。
ルソー『エミール』(下)

07yamazakura_kitakami11同じ顔ならぶ個展や春の雨 片山由美子

この句に詠まれている顔は、絵の中の顔ではなく、会場に来ている見学者の顔なのだろうと思います。個展会場の壁に整然と掛けられた絵、それぞれに、ひとつずつの顔が相対しており、その顔がどれも似ているというのです。いえ、同じだと言うのです。

むろん、人の顔そのもののつくりは違うものの、雨の中をはるばるこの会場へ来て、扉を開け、絵を観賞するために視線を向けている姿勢と心持は、それまでの時間がどんなに異なっていても、同じところに落ち着いてしまうもののようです。あるいは、描かれた絵の力によって、どの顔も、ほほえましい笑顔や、引き締まったまなざしを持つようにさせられているのかもしれません。

個展というのですから、広い敷地の美術館ではなく、銀座の裏通りに面した、こじんまりとした画廊ででもあるのでしょう。窓の外には止むことなく、静かに雨が降り続いています。見れば春の宵を、どの一粒も同じ顔をした雨が並んで落ちています。見るものと見られるものの関係の美しさを、やわらかく詠っています。「俳句」(2009年4月号)所載。(松下育男)

このところの陽気は、一ヶ月前に戻ったよな寒さになって、桜の花が咲きかけたが、なかなか、開けないで立ち止まっているようである。春休みの土日は、高速道路が1000円で行けるという。テレビで料金所などの中継が映し出されていた。観光客のドライブでかなり混んでいるもよう。これで景気が良くなるとは思えないが・・・・。

相撲も春場所が千秋楽である。でも、今日の横綱対決まえに、白鳳の優勝が決まってしまった。サッカーの10年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会アジア最終予選は28日、各地で行われ、A組の日本は埼玉スタジアムでバーレーンを1-0で破った。両国の通算成績は日本の7勝2敗。日本は勝ち点を11に伸ばし、試合がなかったオーストラリアを抜いて首位に浮上した。A組のもう1試合でウズベキスタンがカタールに4-0で勝ち、3位以下の勝ち点はすべて4になった。

そして、私にとっては何と言っても重要な月末である。胃・大腸などの消化器系統の検査で30日一泊検査入院がある。今日から病院指定食にする。

四月になると恒例である町会関係・交通安全運動関係でスケジュールでちょっと忙しくなる。あんまり頑張らないでいこう。

2009年3月28日 (土)

軽犯罪法の判断基準があいまい

3612まだまだ法律の解釈が曖昧で、人によって解釈が異なる事があるという事だ。

軽犯罪法の判断基準があいまいなのか、まさか催涙スプレーを持っているだけで、逮捕・起訴とは、どうもおかしい。しかし、いくら護身用と言っても、何時も持ち歩かないと安心できないというのも、ちょっとおかしい気がする。

まぁ最高裁で無罪となったのだから、携帯しても許されることになったようだ。しかも逆転無罪判決は、5人もの「裁判官全員一致の意見」であるからだ。

JCSTニュース記事より・・・催涙スプレー携帯で在宅起訴された会社員男性が最高裁で逆転無罪となり、捜査のあり方などがネット上などで論議になっている。スプレーは防犯グッズ店などで手軽に手に入るだけに、どのような携帯の仕方なら罪に問われないのか、などと疑問が噴出しているのだ。

催涙スプレーをズボンのポケットに隠していたと起訴

最高裁としては異例なほど、1、2審の判決について激しい調子で糾弾している。「軽犯罪法1条2号の解釈適用を誤った違法」「破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる」それもそのはず、今回の逆転無罪判決は、5人もの「裁判官全員一致の意見」であるからだ。

裁判所サイトに載ったこの事件の最高裁判例などによると、被告の会社員男性(28)は2007年8月26日午前3時20分ごろ、自転車で東京・新宿中央公園近くの路上を走行中、正当な理由がないのに、催涙スプレー1本をズボンの左前ポケット内に隠し持っていたとされた。そして、これは、軽犯罪法違反(凶器携帯)の罪に当たるとして在宅起訴され、1審の東京簡裁、2審の東京高裁ともに有罪判決を出し、科料9000円を言い渡していた。

産経新聞の09年3月26日付記事によると、1審は「携帯の必要性がない」、2審は「ポケットに隠していた」点を重くみたという。しかし、会社員男性は、先の金額の罰金刑でも不服とし、労を惜しまず最高裁にまで上告していた。

最高裁判決では、逆転無罪の理由として、次のように説明している。

被告の男性は、会社では経理をしていて、銀行に現金などを運ぶのに、カバンに護身用のスプレーを入れていつも持ち歩いていた。医者の勧めで健康にサイクリングをしており、事件の前日は、夜に寝てしまったため、当日未明に外出。公園など暴漢の危険がある場所を通るため、万一の事態を考えカバンから取り出して携行したというのだ。

さらに、体感治安が悪化していること、男性に前科・前歴もないこと、催涙スプレーが高さ8センチ、内容量11グラムと比較的小型だったことなどから、身を守るための正当な理由があったとしている。

ツバメがやってきた

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今日の名言

恋というやつは待つことを知らないもので、これがいったん若い男女の血の中にはいったが最後、はたのものが許してくれるまで待つなんてことがあったら、それこそ奇蹟というものだ。
ジョルジュ・サンド『愛の妖精』

Swallow71不可能を辞書に加へて卒業す 佐藤郁良

卒業シーズンが終わり、三月が終わる。このところの寒の戻りで、東京の桜の見頃も予想より遅れそうだが、温暖化の影響で満開にならない桜もあるらしいと聞くと、いろいろなものが少しずつひずんできているのだと改めて。

それでも、最近の中高生に教えるのは大変でしょう、と聞かれると、まあそう変わりません、というのが正直なところだ。今も昔も、中学から高校にかけての年頃は、本人もまわりも大変といえば大変だし、その成長ぶりは常に想像を超えてめざましい。

この句の卒業は高校である。不可能が辞書に加わった理由は、大学入試の失敗か失恋かそれとも。どう読むかで、思い描かれる十八歳の人間像がだいぶ違うのも面白い。

いずれにしろ、お互いの人生の一時期を共有できたことに感謝しつつ、彼等の未知の可能性を信じて送り出す教師のまなざしがある。〈卒業や証書の中に光る沖〉『海図』(2007)所収。(今井肖子)

遠くに暮らしている孫達は春休みだ。四月から進級である。クラスの編成・席替えなど結構どうなるのかドキドキしているらしい。例年になく暖かい日が続いたかと思ったら、この所の寒さは二月の陽気という。三寒四温で、暖かくなっていくのだろうが、ちょうど今の時期「花冷え」というのだろうか。

しかし、太陽は確実に直角に近く上がってきた感じで力強くなってきた。気がついたら草木が若芽を伸ばしてきた。湯殿川に泳ぐ鯉も暖か陽射しを受けて動きが活発になって来たようだ。そして、片倉城址公園で鳴くウグイスも上手の鳴いてきた。恋の季節でもある。そうして例年どうり、ツバメがやってきた。なんだかツバメを見ると元気がでるようで嬉しい。

2009年3月27日 (金)

西松建設事件

Taka0611_2国民は納得いかない。政治家の道義的責任という「看板」はなくなってしまったのでは日本政治に、黙ってはいられない。法律的には、問えない事でも、普通の人の常識の範疇を越えてしまったら人間的に失格である。

いま問題となっている、西松建設絡みの不正献金は小沢民主党代表に限らず自民党有力議員に疑惑が沸き起こっているようである。議員に聞いて見るとみんな異口同音に、「法律に則って、処理されている」と言うがどうも説明が不十分であるように思えてならない。

西松建設事件で、東京地検特捜部は次のターゲットを自民党の二階俊博経産相ら、同党実力者周辺に絞り始めた。民主党の小沢一郎代表の公設秘書を起訴したことで、自民党ルートへの内偵捜査を加速。27日の2009年度予算成立を機に、本格捜査に着手するという。「国策捜査」「政治的謀略」といった批判が出ていることを重視し、公正・公平性を証明する必要もあったのか。

これに対し、二階氏は26日、「法律に従って対応している」と違法性を否定したが、二階派は同日、4月9日に都内のホテルで予定していた派閥の政治資金パーティーの延期を決めた。西松建設のダミーとされる2つの政治団体が、04年から06年にかけて、二階派のパーティー券合計838万円分を購入していた問題も浮上している。

西松建設のダミーとされる政治団体による寄付やパーティー券購入を受けていた自民党議員や派閥は、時効にかからない04年から06年だけで、二階氏や森喜朗元首相や尾身幸次元財務相など11議員と、二階派や津島派など5派閥にのぼる。総額では、小沢氏ら民主党側の2600万円に対し、自民党側は3170万円とはるかに多い。

東京地検特捜部は国民に納得いく捜査を行い、その結果を公表できるものは公表してほしい。いづれにしても、東京地検の捜査に注目していきたい。

政治不信は高まるばかり

Sira61中川前財務・金融担当相と今回の平田財務副大臣の辞任は、緊張感の全くない、信じ難い醜態である。この経済危機を何としても乗り切る事は日本の政権の担当する者にとっては至上命題のことだろう。常識はずれのたるみである。

この上民主党小沢代表に係わる西松建設がらみ二階俊博経済産業相も怪しくなった。こんな政治不信の政治では、国民の信頼は全くなくなてしまった。

毎日新聞社説・・・「100年に1度」の経済危機に政府をあげて取り組まねばならない中、信じ難い、たるみである。平田耕一副財務相(自民党衆院議員)が、所有会社の株を市場外取引で大量売却したことが発覚、副大臣規範に抵触していた責任を取り、辞任した。

経済政策で中心的役割を果たさねばならない財務省だが、中川昭一前財務・金融担当相が「もうろう会見」の醜態を演じ辞任に追い込まれたばかりだ。その記憶も生々しい中、今度は副財務相が株取引をめぐり規範に触れ引責というのだから、あきれる。不祥事の続出は、内閣全体が緊張感を欠いている表れだ。その責任を麻生太郎首相は重く受け止めなければならない。

東海財務局に提出された大量保有報告書によると、平田氏は保有していた石こうボードメーカーの株112万株を、実質的なオーナー企業である石油製品販売会社に対し今月2日、市場外取引で売却した。売却価格は6億円超と、市場価格の倍近い値段だった。

閣僚らの株取引をめぐっては「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」が在任中、株式などの有価証券の取引を自粛するよう定めている。加えて、保有株式は信託銀行などに信託することも求めている。他の閣僚や副大臣はもちろん、経済対策の任にあたる副財務相が規範に対し、より一層の注意義務を課せられることは言うまでもない。09年度予算案の成立を控えて国会が混乱する事態を回避したい与党の思惑も働いてのスピード決着となったようだが、辞任は当然である。

市場外取引で市場価格の倍で売却した経緯には疑問が残り、不透明な取引と言われても仕方あるまい。平田氏は「(規範違反かは)微妙」と言うが、こんな取引を在任中に行うこと自体、副財務相として自覚に著しく欠けていると言わざるを得ない。

それにしても、なぜこのような事態を防止できなかったか、政府は真剣に検証すべきだ。平田氏が就任時に保有株を信託していないことを是正できなかったことは、問題だ。内閣としてのチェックが正常に機能していたか、厳しく問われる。そもそも、平田氏がどこまで規範の内容について正確に理解していたかすら、疑問である。

首相は先日、経済危機克服のため株式市場の活性化を議論している際、「株屋っていうのは何となく信用されていない。株をやっていると言ったら、田舎じゃ怪しげよ」と発言し、物議をかもした。「政治とカネ」をめぐる国民の批判が強まる中、株取引自体のイメージを損ない、市場心理を冷やすのは自らの政権のこうした失態ではないか。

民主党の小沢一郎代表の秘書起訴とともに、与野党が政治不信を加速し合う状況が続いている。負の連鎖は、実に深刻である。

天城峠

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今日の名言

他を嘲(あざけ)るものは同時にまた他に嘲られることを恐れるものである。
芥川竜之介『侏儒の言葉 文芸的な,余りに文芸的な』

191104011春濡れの雉子鳩の翅役者の子 栗林千津
雉子鳩の見える風景から、旅役者の子を思う。旅役者子といえば「伊豆の踊り子」。百恵ちゃんの「かおる」も良かったが、何といっても吉永小百合だ。映画の最後の場面で、一高生川島と別れたあと、酔客たちに囃されながら奴さんの振りで踊っている小百合ちゃんの可憐さが強烈に心に残った。

映画化されたものの中だけでも、この二人のほかに、田中絹代、美空ひばり、内藤洋子、鰐淵晴子。どの「かおる」もその時代のニキビ面の青年の胸を揺さぶったに違いない。この句の作者は現実的な空間の中でのドラマ仕立てを意図する傾向にはない。

「春濡れ」という伝統派にはない季語の用い方や、鳥なのに「羽」を用いず「翅」というところにその特徴が出ている。違和感や屈折感をも利用して言葉が内面を象徴するように願う方法。そう理解していても読者の側からあえてドラマに引き込んで鑑賞したくなる俳句もある。『蝶や蜂や』(1990)所収。(今井 聖)

川端康成の伊豆の踊り子・・・「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊り、湯ケ島温泉に二夜泊り、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。…」

豆の踊り子 であまりにも有名な天城峠だが, かつてその路は急峻な地形のため, 切り立った崖の上, 岩を刻んだ階段等にもつくられ, 天城越えで尊い命を落とした人も少なくないという。
天城峠と言えば、天城トンネルである。日本の現存する道路用トンネルとしては最大長(445.5m)を誇る石造りトンネルと言うことで、平成13年に全国で初めて重要文化財に指定されたそうである。
実際歩いて峠を越えた体験がある。今はちょっとしたハイキングコースのような感じであった。あぁーこんな歌があったなぁー
       踊子
        作詞 喜志 邦三
        作曲 渡久地政信

        唄 三浦 洸一
      
      さよならも 言えず 泣いている 
      私の踊子よ ああ 船が出る
      天城峠で 会
(お)うた日は
      絵のように あでやかな
      袖が雨に 濡れていた
      赤い袖に 白い雨

      月のきれいな 伊豆の宿
      紅いろの 灯に
      かざす扇 舞いすがた
      細い指の なつかしさ
      さよならも 言えず 泣いている
      私の踊子よ ああ 船が出る

      下田街道 海を見て
      目をあげた 前髪の
      ちいさな櫛も 忘られぬ
      伊豆の旅よ さようなら

2009年3月26日 (木)

北朝鮮「衛星」打ち上げ

05detohama11「人工衛星」をもし打ち落とすような事があったなら、六カ国枠組みから「脱退」すると脅迫めいた事をいっている北朝鮮、北東アジアの平和を構築していこうということなどで、瀬戸際外交を続けている。北朝鮮は国際秩序に挑戦し、周辺国を脅迫してきた歴史がある。

長距離弾道ミサイルロケットに原爆を積めば核ミサイルになる。宇宙の平和利用を主張する前に核放棄を進めるのが筋だ。現時点では、ミサイルであれ人工衛星であれ容認できないと言わざるを得ない。

北朝鮮は98年、予告なしにテポドン1号を発射し、一部分は日本列島を飛び越えて国民に衝撃を与えた。発射後に北朝鮮は「光明星1号」という人工衛星の打ち上げに成功したと発表したが、米国の専門機関がいくら調べても該当する衛星は見つからなかった。日本はミサイルの発射実験だったと結論付け、米国は「ごく小型の衛星を打ち上げようとしたが失敗した」との判断を公表した。

日本政府高官の「当たる訳がない」無責任発言は問題だ。だったら、恐ろしい程の高額な開発・配備費用など根本的に考えなければならないことを承知で発言しているとは思えない。

毎日新聞社説・・・北朝鮮が「人工衛星」と主張する長距離弾道ミサイル発射問題で、政府は今週中にも自衛隊法82条の2に基づく「弾道ミサイル等破壊措置命令」を発令する方針だ。ミサイル防衛(MD)を発動するこの条項の適用は初めてとなる。

北朝鮮は4月4~8日に衛星を発射すると通告している。通告通りなら秋田、岩手両県のはるか上空を飛ぶため日本に被害が及ぶことはない。しかし、何らかのトラブルで日本の領域に落下する可能性を否定できないのも事実だろう。自衛隊法は、ミサイルでなくとも落下物で重大な被害が発生するおそれがある場合はMDによる対応ができるとしている。

具体的には、日本海に配備したイージス艦の海上配備型迎撃ミサイル(SM3)が迎撃し、失敗した場合は地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)で対応するという2段構えだ。

発射予告に対しては、何より北朝鮮に自制を求める外交努力を最後まで続けなければならない。予告日直前の米中首脳会談やその前の日米韓3カ国の協議は重要な場面となる。とはいえ、いざという時に備えて万全の態勢を取ることも政府の責務である。米国を狙ったミサイルをMDで迎撃しようとすれば、集団的自衛権の行使にあたるが、日本の領域に限る今回は問題にはなりそうもない。

破壊措置命令は、日本に飛来するおそれがある場合に閣議決定を経て防衛相が出すケースと、そのおそれは少ないが事態の急変に備えてあらかじめ防衛相が命じておく場合の2種類がある。前者は公表を前提にしており、後者は非公表が原則だ。政府は今回、後者を適用する方針という。

しかし、北朝鮮の発射準備も日本政府のMD対応も報道を通じて国民には周知のことだ。関東や中部地方にしか配備されていないPAC3を東北地方に移動する必要もある。文民統制(シビリアンコントロール)の観点からも、政府は後者の方法をとるとしても、非公表でなく国民に事態を詳しく説明すべきである。

ミサイルをミサイルで迎撃するMDに関して、政府高官が「当たるわけがない」と語り、物議を醸した。確かに過去のMD実験は失敗も多く、ましてトラブルで弾道が乱れた場合は、短時間に軌道計算を修正しなければならず迎撃は難しいと言われる。しかし、当たるわけがないなら、多額の費用で開発・配備されたMDそのものを再検討すべき事態だろう。政府内の無責任な迷走発言にはあきれるばかりだ。

また、実際に危険が迫った時に住民にいかに緊急事態を伝えるかという問題も残る。人工衛星と防災無線を利用した「全国瞬時警報システム」(J-ALERT)は、秋田、岩手両県では未整備である。政府には、きめ細かい対応の準備が求められている。

春場所

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今日の名言

友たるものは、推察と沈黙の術にすぐれた者であらねばならない。
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(上)

Asamayamas1琴光喜おしりが勝つと言うて春 中谷仁美

そのむかし相撲に熱中していた時期がある。毎日毎日中入り前から見ていたのであらかたの力士の名前を覚えていたが、この頃はめっきり見る機会が減り、番付に知らない名前が増えた。覚えているところでは太い腕で豪快に投げを打つ魁皇、朝青龍は相手をにらみ返す流星のような目が印象的だ。

琴光喜は作者が贔屓にしている力士。しこを踏む姿、立合いの仕切りの姿に回しをぎゅっと締めこんだお尻がチャームポイントなのだろう。大事な取り組みの勝利を願って作者は正坐でテレビを見守っているのかもしれない。

「この一番、勝って!」という熱い思いに画面の中の琴光喜のお尻が「勝つ」と答えているようだ。この勝負琴光喜寄り切りだろう春の雷の句のように怒涛の攻めで琴光喜が勝っただろうか。今場所も残り少ないけど、怪我することなく頑張ってほしいものですね。『どすこい』(2008)所収。(三宅やよい)

電気屋の 相撲に見入る 春の宵

ちょっと出かけたら、電気屋ののお店のテレビで相撲が映っていた、白鳳:琴光喜だった。思わず、覗いてしまった。他にも二人相撲好きな人がいて、勝負が決するまで見入ってしまった。

それにしても幕内力士で、人気なのが「高見盛」、どうもあの人がロボット的動きが、なっともユーモアで面白い、そして最後の塩の前に、パホーマンスが人気がある。相撲に勝って帰る花道は、天上向いて帰るが、負けたときには、下を向いて寂しそうにして帰る。その仕草がユニークで面白い。

最近、230キロと大きな身体で人気の「山本山」が人気がある。身体は他の力士より一回り大きいが童顔で、「一所懸命相撲を取っている」動きが観衆に良く伝わっているのだろう。勝っても負けても拍手喝采である。

2009年3月25日 (水)

東芝、薄型TV26型

200903250012a11我が家のテレビも購入して12年が経つ、今年の1月16日に2011.7.24よりの地テジ対応処置とった(チューナー)を取り付けてもらった(工事とも10400円)。我が家でも薄型テレビを購入したいと思っている。今のテレビは時々画面が消えてしまう事があり、そろそろ寿命である?。

多様なサービスを実現こんな理由であったのか。
現代の生活のなかで最も身近な「テレビ」もテレビのデジタル化によって、今までにない多様なサービスを実現する。地上デジタルテレビ放送では、デジタルハイビジョンの高画質・高音質番組に加えて、双方向サービス、高齢者や障害のある方にやさしいサービス、暮らしに役立つ地域情報などが提供されている。また、携帯電話、移動体向けのワンセグサービスも開始されている。

そんな中で、元東芝社員として、また株主として東芝の動向や新製品が気になるところである。

今日のFuji Sanki Businessi web・・・の記事があったので記して見た---薄型テレビの春商戦が本格化するなか、メーカー別の販売台数のシェアに異変がでてきた。2008年の通年では4位に甘んじていた東芝「レグザ」が2月、主流の「26型以上」で単月ではあるが初の2位(シェア24.4%)に浮上。首位のシャープ「アクオス」を追撃していることが、市場調査会社、GfKなどの調査で分かった。

◆万年4位から浮上

東芝は、ハイビジョンを録画する「ハードディスク搭載モデル」など高い技術力やCM効果がシェア拡大に奏功した格好だ。2月の躍進ぶりをさらに確実にしようと、3月には歌手・福山雅治さんを起用した広告の大量投下で、春商戦の新商品の認知度を一気に向上させようと、攻勢をかける。

東芝は2月、25型以下の小型を含めた全体でも従来の4位から順位を上げた可能性が高いが、今回のCM集中投下後もこの勢いをどこまで持続できるかが注目される。

東芝は、“万年4位”では、市場での存在感を維持できないと判断。「販売の勢いに弾みをつけ、ブランドを確立するためにも、間断ない広告投下が必要だ」(東芝のデジタルメディアネットワーク社テレビ事業部日本部の岡田淳部長)と話す。市場調査会社、ニホンモニターが今月1~15日までの期間を調べたところ、業界最多の268回のテレビCMを打っていることが分かった。

◆消耗戦の様相

価格が急落する薄型テレビ市場だが、東芝は付加価値商品で巻き返しを図る。

大容量300ギガバイトの内蔵ハードディスクによる長時間録画や超解像技術による高画質など技術力をアピール。

一方、08年の販売台数シェアで首位(41.6%)のシャープも、全製品のテレビCM計180回のうち、167回を「アクオス」に投入し、液晶テレビにブルーレイを内蔵した独自技術を前面に打ち出した。

同シェア2位(18.6%)のパナソニックは、新生活に向けたテレビCMで薄型テレビの「ビエラ」とビデオカメラなど機器と接続できる「ビエラでリンク」で差別化を図っている。

薄型テレビの需要は、2011年にアナログ放送終了を控え、約6000万台の買い替えが予想される有望市場だが、販売不振と単価下落でメーカー各社の採算が悪化し、消耗戦の様相だ。その中でいかにブランド再構築を図れるかがシェア獲得のカギを握っている
。(堀口葉子)

疑惑を徹底的に解明してほしい

20080120990742131私の家の前に報道関係の人がしばらく日夜取材に来ていたが、昨日あたりから姿が見えなくなった。自民党で二階俊博経済産業相の公設第一秘書の家があるからで、本人は姿をくらましているようだ。問題の西松建設がらみの寄付やパーテイー券購入などは、経緯を一番知っている人である。

その公設秘書に聞くというマスコミの取材魂はすざましい。この寒空に昼夜を問わず、ひたすら待ち続けていた。24日に小沢民主党代表の秘書の起訴があって、これで西松建設疑惑は一件落着としたら、国民は納得いかない。

与野党の国会議員らに多額の献金をしていた。東京地検特捜部は徹底的に捜査し、不透明な「政治とカネ」の全容を明らかにすべきである。異例ともいられる検察当局のコメントがあったという。検察も政治も国民のためにある。金額の多い少ないではない、そうした国民の疑念をぬぐい去るためにも、検察には節目節目で捜査の必要性を十分に説明してほしい。そして何よりも、政界にはびこる疑惑を徹底的に解明すべきである。

毎日新聞社説・・・西松建設事件の捜査は今後、他の政治家側にも及ぶのだろうか。西松建設のダミーとされる政治団体は小沢一郎民主党代表の側以外にも、与野党の国会議員らに多額の献金をしていた。東京地検特捜部は徹底的に捜査し、不透明な「政治とカネ」の全容を明らかにすべきである。

政治資金収支報告書などによると、西松建設のOBが代表を務めていた二つの政治団体は、ともに解散する06年までの3年間に、小沢氏や二階俊博経済産業相ら国会議員14人、自民党の5派閥、自治体首長5人の側に寄付やパーティー券購入で総額6360万円を提供している。また、最初に設立された95年から集計すれば、2政治団体からの提供額は4億7000万円を超え、巨額に上っている。

治資金規正法は企業から政治家側への献金を、政党や政党の政治資金団体を除いて一切禁止している。一方、政治団体からの献金であれば認められる。このため、西松建設はダミーとして作った政治団体を隠れみのに違法な企業献金を続け、小沢氏の公設第1秘書もそれを認識しながら報告書に虚偽の記載をした--というのが、特捜部が描く事件の核心だ。

だとすれば、このダミー団体から他の政治家側に提供された分はすべて、同様に西松建設からの違法な企業献金に当たるはずである。そして政治家側も実際は企業献金だと認識していれば、小沢氏の秘書と同じように同法違反に問われる事態となる。献金額は小沢氏側が最も多いものの、違法かどうかの線引きは額の多少にかかわらない。献金を受けた政治家側を洗いざらい調べてもらわなければ国民の納得は得られない。

政治家側への企業献金が禁じられているのは、特定の企業と政治家の癒着を封じることが狙いだ。報告書に虚偽の記載をしてまで企業献金が温存されているとすれば、公開される報告書を通じて国民が政治資金を監視する制度は根底から崩れてしまう。

虚偽記載の罰則は禁固5年以下などで、国民にうそをつく重い犯罪だ。特捜部が報告書に「表のカネ」として記載された献金を立件したのも、その点を重視したからにほかならない。政治家の職務権限が限定され収賄罪の立件が難しくなる昨今、政治資金規正法違反で立件するケースが増えてきている流れもある。

一方で今回の捜査には、総選挙が近づく中で選挙妨害になるのではないか、政権交代の可能性が強まる民主党の代表を意図的にターゲットにしたのではないか、などという疑問の声が国民の一部から聞かれるのも事実だ。

そうした国民の疑念をぬぐい去るためにも、検察には節目節目で捜査の必要性を十分に説明してほしい。そして何よりも、政界にはびこる疑惑を徹底的に解明することだ。

春は感動の涙あり

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今日の名言

愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存すると考えられる。
アリストテレス『アリストテレス ニコマコス倫理学』(下)

15401全身を春いっぱいにする涙 豊原清明

関東地方でもようやく桜がほころびはじめた。春はなにも桜とかぎったわけではないけれど、やはり桜が咲くことによって、私たちのからだのなかにも春は機嫌よく広がってゆく。「全身を春いっぱいにする」のは、春の真新しい涙に映っているチューリップであり、辛夷であり、桜であり、青空に浮かぶちぎれ雲かもしれない。

それらは春があちらこちらにあふれさせ、こぼした「涙」とも言えるのではないか。「涙」をもってきたところに、作者の清新なポエジーが感じられる。幸せいっぱいの涙、悲しみをこらえきれない涙、理由もなくセンチメンタルになってしまう涙・・・・全身になぜか涙が広がり、春が広がってゆくうれしさ。

きれいな季節を奏でているかのような春の涙。春こそいろいろな意味での「涙」があふれる季節、と言っていいかもしれない。その涙は目からあふれるにちがいない。それ以前に全身これ春というふうに涙がいっぱい詰まっている、そのように大胆にとらえているところに、この詩人独自のポエジーの躍動が鮮やかに感じられる。

春と涙の関係に鋭く着目したわけである。清明は処女詩集『夜の人工の木』で第一回中原中也賞を受賞した(1996)。「朝日新聞」俳壇では金子兜太選で現在も頻繁に入選していて、私は以前から注目している。清明は「ここ数年、真面目な俳句を『海程』に投句しています」と書いている。「火曜」97号(2009)所載。(八木忠栄)

春といえば、生き物すべてが萌える季節である。人間もコートを脱ぎ軽快な足取りになる。第81回春の全国高校選抜野球大会が真っ最中である。若いエネルギーを身体を動かすことで消化することは素晴らしい事である32校(21世紀枠含め)甲子園の春風を身体に当ててドラマチックな試合が連日行われている。

最近は試合に負けて球場の砂を泣きながら袋に入れて退場する姿が少なくなったようだ。それだけドライになって来たのかなぁー。

涙と言うなら昨日のWBCの韓国対日本の試合は延長10回イチロウのヒットはドラマチックで感動した。韓国とは2勝2敗で決勝戦である。それぞれ強力打線のベネズエラ・アメリカを破って勝ち上がってきたのだから凄い一戦であった。結果的には5対3で日本が昨年に続き連覇した。

イチロウの延長10回2アウト2・3塁の場面でヒットが打てるとは「神が下りてきたようだ」とそして、「痛くなっるような緊張感があった」「期待を一身に受けていたこの場面で打ててよかった」話されていたのが印象的であった。観衆の涙して喜んでいた映像が日本各地からあった。不景気で沈滞気味を吹き払い、勇気とやる気を起こさせてくれた。

2009年3月24日 (火)

土地表示価格の下落

Center171今朝の新聞各紙に国土交通省の土地表示価格一覧が載っていた。ちょっと自分の近くの価格が気になり、思わず開いて見たがやはり大きく下がっていた。

東京、大阪、名古屋の3大都市圏で地価が上がった地点はない。都道府県別に平均値をみても、すべての地域で下落している。大都市圏では昨年半ば以降、下落が加速しており、底はまだ見えない状況のようだ。

百年に一度と言われる世界的な金融危機による信用収縮で、不動産投資信託(REIT)やファンドを通じた不動産市場への資金流入が減っている。金融機関も不動産向け融資を抑えている。不動産業の倒産・不振は、目を覆う状況である。

新聞各紙の社説の見出しは、景気不況に対する影響は予想以上に地価下落に繫がっている。その対策は金融収縮防止(毎日新聞)下落を経済再生のバネに(朝日新聞)などとなっていた。

朝日・・・公示価格ーー下落を経済再生のバネに

読売・・・地価公示ーーバブル崩壊時をしのぐ急落とは

毎日・・・地価下落ーー金融収縮防止へ十分な対策を

日経・・・世界的危機映す地価下落

となって地下公示価格の下落に対する、驚き・政府の対策などに関心の強さが覗える。

そこで嘆いてばかりでは、前に進まない。
読売・・・税制上の優遇措置が一つの候補だろう。実施が決まっている住宅ローン減税の大幅拡充に加え、不動産取得税の軽減などが指摘されている。

毎日・・・震源地の米国が金融システムを立て直すため大胆な措置をとるのが第一だ。そして、日本も含め各国政府が金融、財政面で適切な措置をとり、危機克服に全力を尽くしてもらいたい。

朝日・・・地価の反転を期待した経済政策や企業ビジネスはもはや通用しない、と覚悟した方がいい。「土地本位」の経済構造や取引慣行を変えるときだ。

日経・・・過去最大規模の住宅ローン減税の実施を見込んで、分譲住宅やマンションの内覧会に来る人が最近増えてきた。政府はこうした政策面での需要喚起策に加えて、土地取引や物件情報の開示を進めて、適正な価格が形成されるように促してほしい。

などである。

朧夜

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今日の名言

人生は一行のボオドレエルにも若(し)かない。
芥川竜之介『歯車 他二篇』

60mangetsu1朧夜のぽこんと鳴りし流し台 金子 敦

身の回りのものが立てる音には、住人にそっと寄り添うような優し気なものと、ぞっと孤独を引き立てる音とがある。前者は、階段がきゅーと鳴る場所だったり(暗闇のなかわざわざ踏んで下りたりする)

水道の出だしのキョッという音(あ、準備して待っていたんですがついうっかり眠ってしまって、ちょっと驚いちゃいましたよ、という感じ)などは、思わず「一緒に暮らしているんだね」と微笑みかけたくなる。

しかし、掲句の「ぽこん」は後者である。この音に聞き覚えのある方は、インスタント焼きそばの湯切り経験者だと確信する。流し台に熱い湯を捨てるとき、必ずステンレスが「ぽこん」というか「ぼこっ」と音を立てる。

それはもう、とてつもなく唐突に孤独を感じさせる音なのである。なるべく音がしないように場所を変えてみたり、少量ずつこぼしてみたりするが、流し台は「どうだ、寂しいだろう」とばかりに必ず鳴る。固く錠をかけていた胸の奥の扉が開き、潤んだ春の夜がするするっと忍び込んでくる。『冬夕焼』(2008)所収。(土肥あき子)

朧夜といえば、おぼろ月の夜のこと、最近防犯パトロールで、週一回の夜回りをしているが、それ以外は殆ど夜は外に出る機械がない。

前の湯殿川沿いの片倉城址公園の桜の蕾が膨らんできた。もうそろそろお花見が出来そうである。花見は夜桜が何とも落ち着いていい。パトロールをするコースである。桜を見上げた先に朧月が浮かんで見える光景を思い浮かべてみる。


会終へて朧月夜の女かな 
山下 雄子

ロマンティックは情景が思い浮かぶ何と言っても朧月夜は、演出効果は抜群である。

そして小学唱歌「朧月夜」がある。

高野辰之作詞・岡野貞一作曲
菜の花畠(ばたけ)に、入り日薄れ
見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし
春風そよふく、空を見れば
夕月(ゆうづき)かかりて、におい淡(あわ)し

里わの火影(ほかげ)も、森の色も
田中の小路(こみち)を、たどる人も
蛙(かわず)のなくねも、かねの音も
さながら霞(かす)める、朧(おぼろ)月夜

2009年3月23日 (月)

道徳教育の充実

07rose_ame21 家庭の躾・地域の見守りが欠けてきたといわれる中で、学校だけが力を入れてはどうだろう。世の大人たちの子供の躾には、自信がある人はいないだろう。親達の道徳が全く出来ていないので子供に対する影響は言わずもがである。

「何故うちの子だけに注意するだ」と地域の大人、学校の先生へ文句を言う。モンスターペアレントの存在がある。またまたバカ親の誕生だ。世の中は18歳成人の是非が飛び交うさなか、大学生にもなる我が子に何かと関わり続け、過保護、過干渉を繰り出す親たちのことを、教育関係者たちの間では「ヘリコプターペアレント」と呼んでいるとか。

授業の選択から卒業式の服装まで心配し、まるで上空から子どもを見守り続ける「ヘリ」のような様をいうらしい。元々は米国で使われていた言葉だという。こんな言葉出る世の中である。一筋縄では解決しないが諦めず道徳教育は是非とも行って欲しい。

産経新聞主張・・・新年度から小中学校で新しい学習指導要領が先行実施され,道徳教育の充実が図られる。徳育は学力向上とともに公教育再生の要である。学校現場は指導法を工夫して取り組んでもらいたい。

文部科学省は全小中学生に配布している道徳の副教材「心のノート」を改訂した。新指導要領を踏まえた一斉改訂だ。

心のノートは、神戸の児童連続殺人事件などをきっかけに、平成14年度から使われている。命の大切さなどの教育の重要性が指摘され、日常生活の場面を題材に考える内容だ。

改訂版では「きまりを守る」といった規範意識や公共心の育成など、新指導要領で重視される項目が増えて充実した。また若者の勤労意欲低下など最近の課題にも対応し、「働くことのよさ」をテーマにしたページも加わった。

日常のあいさつ、助け合いの大切さなどの心のノートでも取り上げられている徳目は、以前は家庭や地域の中で当たり前に教えられ、はぐくまれてきた。

だが家庭のしつけがきちんと行われず、幼児期から集団生活に慣れない子供たちが増え、学校の道徳教育の重要性は増している。

一方で、道徳は教師によって指導の差が大きい。一部教職組合は心のノートを「使わない」ことを組合活動の成果とするあきれた例さえあった。

 学校現場には道徳教育を「押しつけ」などと嫌う風潮があるが、公徳心や正義などを毅然(きぜん)として教える教育が必要なときである。

最近の意識調査で、子供の勉学意欲低下や将来を悲観的にみる若者など気になる結果が目立つ。東京都教育委員会のアンケートでは中高生は自分自身を好意的にとらえておらず、自尊感情が低いとの結果が出た。都教委が「自分が嫌いでは学習意欲もわいてこない」と懸念するのはもっともだ。

都教委では、例えば失敗や間違いも大切な経験であることを教えるなど、子供が自信を持てるような指導に取り組むという。

ま田大阪府教委は、独自の授業「志(こころざし)学」を府立高校に導入するなど、小中学校を含めて「将来について考える機会を設ける」という。

道徳以外でも、自虐的な歴史教育など子供たちの誇りや夢をつぶすような授業がまだみられる。子供たちの意欲や活力を引き出す指導をしてほしい。

環境技術で不況を乗り切る

05sikotuko31 『価値観の相違』ゴア元副大統領の地球温暖化を深刻に受け止め世界各国を訴え『不都合な真実』の映画がある。地球温暖化の危機を訴えるべく、世界をまたに掛けて講演活動を行っているゴア氏である。大分元ブッシュ大統領と価値観が違っていた。

今年よりアメリカのオバマ大統領は、環境問題にどれだけの関心があるのか、あったとしても実行力があるのだろうか、地球温暖化は待ったなしである。世界最大の石油消費国のアメリカの意識を変えることが何と言っても大事である。

不況に今、日本にとってチャンスでもある。日本の環境技術を売り込むことに力を入れる不況打開にすると言う考えである。

朝日新聞社説・・・オバマ大統領の誕生と未曽有の経済危機が、「ガソリンがぶ飲み」の米国を変えることになるかもしれない。 自動車の排ガス規制の強化に及び腰だったブッシュ前政権から一転、オバマ氏は基準強化を打ち出した。

車の出す温室効果ガスを16年までに3割削減するカリフォルニア州の独自規制も認めるという。同じような規制を他に13州が導入する準備をしており、この厳しい基準が事実上の全米基準になる可能性が高まってきた。

大型車中心の米国市場でこの新基準を達成するのは、燃費で定評のある日本メーカーも「かなり厳しい」とみる。経営危機に陥った米自動車大手3社(ビッグ3)にとっては難問だ。だが、オバマ氏は「グリーン・ニューディール政策」の一環として自動車産業の環境投資を支援し、景気対策にもする考えだ。

米国の消費者が好んで買っていたのは、ガソリンをふんだんに使う燃費の悪い大型車だった。ビッグ3はそれに甘えて大型車ばかりを大量生産し、燃費改善努力を怠ってきた。米政府もビッグ3の競争力が一段と低下することを恐れ、容認してきた。

れを批判したのが環境問題に熱心なゴア元副大統領だ。日本でも公開されたドキュメンタリー映画「不都合な真実」でゴア氏はこう指摘した。燃費がいい車をつくっているトヨタ自動車やホンダと比べ、ビッグ3の経営が悪化している。つまり国内メーカー保護のために環境基準を緩くしている米国の政策は「時代遅れだ」と。

オバマ氏は、規制の強化により燃費向上をめざすメーカーの競争を促し、温室効果ガスの削減につなぐことを狙っている。「不都合な真実」の批判にようやく応えるものになる。

これは、破綻(はたん)寸前に陥ったゼネラル・モーターズ(GM)などビッグ3を政府が支援するうえで、格好のテーマにもなる。

支援には世論の批判が強いが、政府としては雇用への悪影響を考えると突き放すこともできない。ハイブリッド車や電気自動車、燃料電池車など次世代車の研究開発を促すという環境対策の一環としてなら、支援に理解を得やすくなるからだ。

もちろんオバマ氏にはもっと大きな構想もあるだろう。ビッグ3の環境車投資によって、環境ビジネスの厚みを広げることが期待できるからだ。この危機で壊滅的な打撃を受けた金融ビジネスに代わり、新たな経済のリード役を探さねばならない米国にとって、環境ビジネスは有望な分野だ。

米国でも環境車が中心になれば、次世代技術の研究開発熱が世界的に高まるだろう。燃費技術で優位な位置にある日本メーカーにとってはチャンスだ。全力で取り組んでもらいたい。

平凡が幸せ

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今日の名言

過ぎてかえらぬ不幸をくやむのは更に不幸を招く近道だ。
シェイクスピア『オセロウ』

07yamazakura_kitakami11コノハナサクヤ三合の米を研ぐ 中居由美

今年も桜の季節になった。「コノハナサクヤ」は『古事記』に出てくるコノハナサクヤヒメにかけてある。ただし、うっすらと……。ヒメはその美しさを望まれて天皇の后となった女性だが、一夜にして身ごもったことから、他の男の子供だろうと天皇に疑われる。そこでヒメはおのれの潔白を証明すべく、産屋に火を放って出産する。

もしも天皇の子でないとしたら、無事にはすまないはずだというわけだ。そうして無事に産まれた子は三人だった。作者は桜が咲きはじめたことから、なんとなく「コノハナサクヤ(木の花咲くや)」と呟いたのだろう。

で、いまやっている仕事が米を研ぐという典型的な庶民のそれであることに、大昔のヒメとの生活感の落差を感じて、ひとり可笑しいような少し情けないような思いがちらりと頭を掠めたのである。しかも「三」は三でも、米が三合。実はコノハナサクヤヒメは姉とともに嫁いだのだが、姉は醜かったので直ちに帰されてしまった。

そんな後ろめたさを背負ってもいたので、彼女の人生は必ずしも明るかったとは言えない。そんなことも想起されて、作者は自分のドラマチックでもなく激情的でもない人生や生活のありようを、むしろ好ましく感じているのでもある。ほろ苦いユーモアの効いた佳句だ。『白鳥クラブ』(2009)所載。(清水哲男)

コノハナノサクヤビメは、日本神話に登場する女神。一般的には木花咲耶姫と記される。

コノハナノサクヤビメは木の花(桜の花)が咲くように美しい女性の意味である。カムアタツヒメの「阿多」は薩摩国阿多郡阿多郷(現在の鹿児島県南さつま市周辺)のことであるとされている。つまり阿多隼人の出身であり、その首領の娘という意味をもつ。

コノハナノサクヤビメとカムアタツヒメは本来は別の神であったと考えられている。コノハナノサクヤビメとイワナガヒメの説話は短命・死の起源を語ったもの。

平凡な人生を送ることの素晴らしさ、今朝も台所に立ち、朝食の支度をしながら何んのためらいもなく行う事が出来る。病気で臥せってしまってもしかたがない。考えて見れば、なんでもないないことが出来る事の幸せを身体の不調のときに感じる。

幸せなんて遠くにはない、何時も自分の心の中にある。日常当たり前の生活が出来る事が一番の幸福なのである。「平凡が非凡」と親父の言った言葉を思い出した。

昨日の雨で片倉城址公園の桜の花は咲き出すのが早まったろう。

2009年3月22日 (日)

春耕

287_field111花便りの季節となった。テレビのニュースで東京の靖国神社の桜の開花は例年より一週間も早く咲いたと伝えていた。そして近所でも、あちらの公園の桜が咲いたよ、こちらの川の堤の桜が見事だよ、

片倉城址の桜も美しいよ!心そぞろにあちらこちらと花見に出かける。何処の花もとても綺麗だが、我が家に帰り庭に咲く花を見てホットする。あちらこちらと花をもとめて歩きまわる、幸せを求めて心はいつも揺れ動くのである。

花を見て感動する。爛漫の桜は美しくきらびやかである、青空に大きく咲きほこる白木蓮は迫力があり、緑の山中に咲く、真っ白なコブシは存在感がある。コンクリートの割れ目に咲いた一株のタンポポや建物のわずかな隙間に群れて咲く小さな野のスミレはけなげに美しく感動を与えてくれる。

普段、雑草とみてしまい気に留めないでいると、庭の片隅で名も知らぬ草が、小さな花の蕾をつけている。ちょっと金木犀・樫・楠木などの常緑樹にも、軟らかい芽が確認できるようになった。

今年は暖冬で、雪が積もることはなく、春がやってきたような気がする。オホーツクの流氷も近年異変とのことで、流れて来る時期・規模が例年と違うらしい。そうなると流氷の下に住む生物にも大きく影響してくると言う。

このことからも地球温暖化は深刻である。人間一人ひとりの心がけで出来る温暖化阻止を真剣に考えることが必要だ。

昨日まで晴れて暖かであったが今朝は曇って午後から雨という予報である。春の雨で一段と陽気が進む事だろう。そして農家の人のとって忙しくなる「春耕」の季節となる。

高速道路料金の値下げ

Katidoki241手放しでは喜べない、「うまい話には裏がある」国の限られた予算のなかでの運用はメリット・デメリットはあるはずである。これが政策であり、国民にとって良いことであるならばいいのだが、ちょっと待った!ぬか喜びは出来ないぞ!

何のことはない今回の値下げは、ほとぼりが冷めるのを待って、国土交通省が税の投入を『復活』させただけと見る人もいる。

民営化前の公団時代に戻ってしまった、と言わんばかりだ。確かに値下げした分だけ、料金収入が減るから、その分は税金を投入することになる。しかし、同じ税金投入でも“どんぶり勘定”に入れた利子補給金の3000億円と料金値下げのための今回の税金投入は、意味が違う。公団(会社)に入るのではなく、値下げ分に見合った減収額の補填である。と、言う見方をする人もいる。

毎日新聞社説・・・高速道路料金の値下げが始まった。自動料金収受システム(ETC)を搭載した二輪車、軽自動車、普通車が対象で、入り口か出口のどちらかを土日祝日に通過していれば割引が適用される。

20日に本四連絡高速道と東京湾アクアラインの料金が1000円に下がり、28日からは大都市近郊を除き休日ならどこまでも1000円で走ることができるようになる。

今回の高速道路料金の値下げは、原油価格の高騰対策として立案された。しかし、昨夏以降、ガソリンや軽油の価格は急落したことから、燃料価格対策は意味がなくなった。そこで、経済の急激な落ち込みに対処するための需要創造に目的を変えての実施となった。

日本の高速道路料金はもともと高いことで有名だ。休日だけでトラックなど大型車は対象外だとしても、料金引き下げは歓迎すべきことなのかもしれない。値下げを機に、観光客を呼び込もうと、さまざまなイベントが企画されている。多くの人がドライブを楽しみ、お金を使うようになれば、経済を押し上げる効果が期待できる。

ただし、ETCの車載機需要が急増したため、供給が追いつかない。値下げが行われても、対応できない車がたくさん積み残された形でのスタートだ。また、料金精算のプログラム開発が間に合わず、首都高速道路など料金体系が異なる区間をまたぐ場合に前後の料金を通算1000円にする割引は、4月29日からの実施となる。

過去に例のない措置だけに高速道路の渋滞がどのようになるのかも予測できないという。フェリーや鉄道など、値下げによって利用客が高速道路利用に流れるケースもあり、それによる不利益をどうするのかといった問題もある。

混乱が起こらないよう関係機関には全力を尽くしてもらいたいが、こうした問題が生じたのは、将来の展望を示さず、目先の人気取りの施策として高速道路の料金値下げが進められたからではないだろうか。

民主党は高速道路料金をなくすと主張している。解散・総選挙を控え、政府・与党としてはなんらかの対応策を示す必要があった。そんなところから急に出てきた値下げだけに、事前の準備ができていなかった。値下げの財源はとりあえず2年分だけだ。その後、値下げをやめることが果たしてできるのだろうか。

高速道路の利用形態と料金収入のあり方が大きく変わるわけで、高速道路の整備計画にも影響してくるはずだ。そうした点について、何の考慮も行わないまま、とりあえず値下げだけを実施したことになる。場当たり的な人気取りでは無責任で、日本の交通体系の中で高速道路をどう位置づけるのか、政府・与党はちゃんと示すべきだ。

生きている

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今日の名言

子供は眠っているときが一ばん美しい。
キェルケゴール『不安の概念』

13_10241控除欄に百一歳の母納税期 佐滝幻太
ちょうど先週の今頃は、いやいやながらも台所のテーブルに向かって確定申告の計算を始めていました。計算自体はそれほどに面倒なものではなく、小一時間も集中すれば終わってしまう作業ではありますが、なかなかやり始めようという気が起きません。それでも用紙に向かい、要求された欄にひとつひとつ数字を埋めてゆけば、年に一度のことゆえ、それなりの感興は湧いてきます。

中でも「控除欄」は、納税者のかすかに抵抗の出来る、あるいは唯一、優しいまなざしの感じられる場所でもあります。「配偶者控除」に数字を入れれば、わたしには人生をともにしてくれる人がいたのだと改めて感謝し、「扶養控除」に数字を入れれば、わたしに頼って生きているものがコノヨに何人かはいるのだと、励まされもするわけです。

今日の句も、その扶養控除を詠っており、ここではなんといっても「百一歳」の文字が光っています。扶養している、というよりも百一歳の身は、老人扶養親族として納税者の税額を立派に減らしてくれており、助けられているのはむしろ扶養する側であることを実感するわけです。

それはおそらく、税金だけの問題ではなく、生きてゆく日々に、百一歳の母親から与えられるものは数多くあるはずなのであり、と、しかしこんな理屈は、暖かな春の日差しに日向ぼっこをしている百一歳の母親には、どうでもよいことなのでしょう。「俳句界」(2009年3月号)所載。(松下育男)

邪魔扱い、世間から忘れられていく人間、現状ではどこらきたのか、お年寄りの取り扱いがなおざりになってきた風潮があるようでしかたがない。

二世代、三世代同居が少なくなってきている。人間の価値観が違ってきたのか、核家族になってきてしまい、いま殆どの人は、畳の上で臨終はない。

人間の「生・老・病・死」を子供の頃から体験することはなくなってしまった。昨日、お彼岸と言う事で遠くにいる孫がお墓参りに来た。三箇所のお墓にお線香を上げて、自分が生きていることの意味と、幸せを考えさせる。

そして、お年寄りを大事にすること、生きることに限りがあることを自然に学ばすことが出来た。そして生きているのは「多くの人に支えられて生きられる」という事も話してあげた。

2009年3月21日 (土)

元気を出そう

06oga_toga11 不況の風、北朝鮮の人工衛星なのかテポドン2号なのか物騒な話、世の中沈滞ムードの模様であるが、WBCの活躍、そして、81回目を迎えたセンバツ高校野球大会が開幕し、開会式で、出場32校の選手たちが、改修工事を終えて新しくなった甲子園球場で入場行進した。日本列島を覆いかぶさる暗いベールを吹き飛ばす若さと情熱に国民を元気付けるには最高である。

天気にも恵まれた開会式は、甲子園の大観衆が見守るなかで行われ、選手たちが、ことしの行進曲「GReeeeN」の『キセキ』に合わせて入場行進した。かつて春夏連覇を成し遂げた和歌山の箕島高校や、初出場の宮城の利府高校などには、改修工事で広くなったアルプススタンドの観客から大きな拍手が送られた。

毎日新聞社説・・・平年より早い桜の便りとともに、日本列島に球児の季節が訪れた。第81回選抜高校野球大会は21日、阪神甲子園球場で開幕する。

ひときわ厳しく、長く感じる冬だった。経済危機は深刻さを極め、各地で大手企業の非正規雇用労働者削減や地場産業の不振といった冷たい風が吹き募る。こんな時だからこそ、勇気と希望を持ち寄って、甲子園から日本全国に明るい春を届けたい。今大会の「21世紀枠」には3校が選ばれた。

春夏通じて初出場の利府(宮城)は84年の学校創立以来、生徒が地元特産のナシの授粉作業ボランティアを続けている。彦根東(滋賀)は江戸時代の彦根藩校の流れをくみ、文武両道には定評がある。大分上野丘(大分)は明治中期の旧制中学時代に外国人教師が野球を紹介し、戦後間もなく2度、センバツに出場した古参校だ。

この3校に限らず、練習時間や場所の制約を受けながら、地域とのつながりを深め、地域に助けられて活動してきたチームは多い。

選手宣誓のくじを引き当てた今治西(愛媛)の高市廉主将は「周りへの感謝の気持ちを伝えられるような宣誓を」と話す。甲子園でのはつらつプレーが、なによりの恩返しになる。

往年の強豪校の復活にも注目したい。夏に2回全国制覇した習志野(千葉)は33年ぶりにセンバツに戻ってきた。興南(沖縄)は26年ぶり、春夏4回の優勝経験を持つ箕島(和歌山)は18年ぶりに春の甲子園の土を踏む。

少子化が進み、学生スポーツは多様化してきたが、大リーグでの日本人選手の活躍などもあって、野球を志す高校生は依然多い。その中で、出場校の顔ぶれが多彩になったのは、指導者の熱意や地域の応援が脈々と受け継がれ、チーム力が伯仲してきた証拠である。

今大会は1回戦から、注目選手を擁するチーム同士の対戦も多く、球趣を一段と高めそうだ。舞台となる阪神甲子園球場は全面改修の2期工事が終わり、各地の高校に移植されていたツタの再生も始まった。名物の銀傘(ぎんさん)が内野席全体を覆い、アルプス席や外野席も足元がゆったり改良された。居心地のいいスタンドから、ファンの声援にも一層力が入るに違いない。

開幕直前の20日に阪神なんば線が開業して、近鉄との相互乗り入れで神戸、大阪、奈良が一本の路線で結ばれた。球場へのアクセスがぐっと便利になる。春の行楽の動きが活発になり、観客層の掘り起こしにつながるだろう。

入場行進曲の「キセキ」(GReeeeN)は「うまくいかない日だって 2人で居れば晴れだって!」と歌う。若い力を集めれば時代を変える「キセキ」だって起きそうな気がしてくる。さあ、未来への扉を開こう。

千の利休

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今日の名言

多く説くからとて、そのゆえにかれが賢者なのではない。こころおだやかに、怨(うら)むことなく、恐れることのない人、――かれこそ〈賢者〉と呼ばれる。
『ブッダの真理のことば・感興のことば』

08adachi_bizyutukan11大男にてもありける利久の忌 相生垣瓜人

利休忌(利久忌)は、旧暦二月二十八日。今年でいうと、三月二十四日にあたる。そして利休の身長は、残されている鎧から推測すると180・位だったらしい。

利休、茶道、侘び茶という連想から、こじんまりと枯れた雰囲気の人物像を勝手に想像してしまっていたが、考えてみれば戦国時代、お茶を点てるのも命がけであり、利休にしろ始めからおじいさんだったわけではない。

それにしても、秀吉の身長が、通説の140cmは不確かとはいえ、少なくとも小柄だったことは間違いないとすれば、二人の心理的関係の別の側面も想像される。

この句は、利休は大男であった、という、ちょっと意外とも思われる事実を、やや詠嘆をもって詠んでいる。それを知っていれば、そうなんだよね、と思いながら、知らなければ、へえそうなんだ、と思いながら、利休の生涯にそれぞれがふと心を留めるだろう。

正座と和菓子が大の苦手で、茶道はとても近寄りがたいが、利休という人物にはちょっと興味をひかれるのだった。「新日本大歳時記 春」(2000・講談社)所載。(今井肖子)

ウィキペディアより・・・1951年、利休は突然秀吉の勘気に触れ、堺に蟄居を命じられる。前田利家や、利休七哲のうち古田織部、細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したが助命は適わず、京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。七十歳であった。切腹に際しては、弟子の大名たちが利休奪還を図る恐れがあることから、秀吉の軍勢が屋敷を取り囲んだと伝えられる。死後、利休の首は一条戻橋で梟首された。首は賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形でさらされたという。

利休が死の前日に作ったとされる辞世の句が残っている。

人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛

じんせいしちじゅう りきいきとつ わがこのほうけん そぶつともにころす ひっさぐる わがえぐそくのひとたち いまこのときぞ てんになげうつ

我も今日まで七十の齢を重ねた。ウンと力み、嗚呼と嘆じた過去であるが、ソレも何だ、
咄、ナニクソ、我が這裏には金剛王の宝剣がある。
霊妙、活機、仏もなく、祖もなく、天地一枚の極地を得てゐる。世間の煩累も萬物糾縄も、我身には指も触れさせぬぞ。[千利休;唐木順三(筑摩書房)]

利休の時代から400年、こんにちの茶の湯の流れは、その多くが利休に源を発しているともいえる。また同時に、現在、茶の湯が日本の代表的な文化の一つとしてあげられ、人々に受け入れられているのは、利休が大成した茶の湯を、その後世の人たちがいかにして継承してきたかということも重要な要素となる。その生涯と茶の湯を、そしてその茶の湯が今日まで受け継がれてきた「千の利休」の、表千家の文化の歴史がある。 

2009年3月20日 (金)

東芝が社長交代

06oga_toga11 『東芝 改革へ「重電シフト」社長にWH買収担当の佐々木氏』という見出しで紹介されていた。ライバルの日立製作所でも、社長が交代した。世界同時不況の中、経営を維持して行くだけでも大変な時代である。元社員であった私にしてみれば、気になって仕方がない。

FujiSankei Business i・・・東芝は18日、6月下旬の株主総会で西田厚聡社長(65)が 会長に就任し、佐々木則夫副社長(59)が社長に昇格する人事を発表した。岡村正会長は、相談役に退く。

「(佐々木氏は)前例に拘泥しない判断のできるリーダー。構造改革とその後の成長を手がけるのは同じ人物がいい」

18日の記者会見で西田社長は交代理由をこう説明した。佐々木氏は原子力発電所の設計技術者出身で、主に重電畑を歩んだ。米原子力大手のウエスチングハウス社買収のさい、担当副社長として交渉にあたるなど、重電部門を統括した実績を持つ。東芝では久々の“重電回帰”となるわけだ。

市況悪化などから、東芝は主力の半導体事業が大幅に落ち込み、2009年3月期の営業損益予想が2800億円の赤字になるなど業績悪化が著しい。佐々木氏も「課せられた最大の責務は一日も早い業績回復を図ることだ」と、厳しい表情を見せる。

具体的な改善策については今後改めて発表する予定だが、西田社長の進める「体質改革プログラム」の実施を前提に、固定費削減を実行し、09年度中の黒字化を図る。佐々木氏は「(固定費削減は)自分たちでできる改善項目だ」と強調する。

佐々木氏はイノベーション推進本部長として技術革新に向けた社内態勢の向上に取り組んでおり、景気回復後の成長シナリオは「イノベーションを柱に据える」と強調する。

世界的な温暖化防止への取り組みから、原子力ビジネスの需要も強く、佐々木氏の起用は収益部門である重電事業のさらなる強化に弾みを付ける。重電事業を中心にイノベーションによる業績回復を目指す考えだ。

デジタル家電や半導体など、かつての主力事業が不況による打撃を受けるなか、日立製作所では、古川一夫社長が副会長に就き、子会社の日立マクセル会長を務める川村隆氏が会長兼社長に就任するなど“重電シフト”を強めている。東芝の人事も重厚長大の原点に回帰する狙いをアピールするとの見方が強い。

最大の懸案である半導体事業について、佐々木氏は「担当役員と一致団結しながら、東芝としてのマネジメントをしたい」と述べるにとどまった。

ただ、大手製造業では今春闘で定昇の一時凍結の検討を進めるほか、一時金減額など社員の士気低下につながりかねない改革も進んでいる。人心一新で難局を打開できるか、かじ取りが問われそうだ。(内田博文)

京都大学名誉教授加藤尚武の「アメリカ経済の危うい仕組み」を読んで


282_field111 ちょっとや、そっとでは不況は乗り切れない。サプライムローン証券という金融商品が作られた。その暴落から世界的な経済危機が起こった。そして国債を世界中にばら撒いて起きた不況は、アメリカ人の誰でも貧しい人が「チャンスがあれば自分も成功して富豪に」という夢を捨てていないと立ち直れない。

AIGの巨額ボーナスでも、アメリカのトップクラスでは、「年収1000万円のためなら働かない、ボーナスだけでも1億円以上もらわないと元気がでない」という神経状態では、本当に景気回復はほど遠い。

経済関係のニュースがだんだん悪い方向にばかり傾いていって、病気にたとえると回復のめどが見えてこない。病気の原因を指摘した論文をさがすと、古いものではハーバート・A・サイモン(1978年ノーベル経済学賞受賞)の邦訳名『システムの科学』(1969年)がある。

自由化を主張する経済学者で「合理的期待形成学派」とよばれる人々を俎上(そじょう)にあげる。この学派は「十分に開かれた情報のもとでなら投機行動をしても安全だ」という学説を出したのだが、サイモンは「投機的行動が不安定化作用をもたらしかねない」として批判している。

人間そのものが不安定要因の源泉だということを忘れてはいけないというのである。さまざまな学問的な警告があったにもかかわらず、金融工学という学問領域が開発され、「サブプライムローン証券」という金融商品が作られた。その暴落から世界的な経済危機が起こった。これは取り立てる権利のある借用証を、リスクが高ければ価格が安いというように、さまざまに組み合わせて、証券にして売り出したものである。

元手がなくてもローンで買い物ができる。その際に、売り手のリスク負担を証券購入者に転換、分散することによって限りなく拡張したものである。
≪増幅する「富」への欲求≫
アメリカという国が全体として、貿易を通じて買った品物の代金を、国債や「サブプライムローン証券」などとして外国人に買ってもらう、という形で済ませてきた。つまり、貿易収支の赤

字を資本収支で埋め合わせてきた。中国も日本も、アメリカというお客さんに品物を買ってもらうことで経済活動を支えてきた。常にアメリカに投機的な資金が流れこんでいかないとバランスが取れなくなる。そのため円はドルに対し安く、日本の金利はアメリカよりも低く設定されていた。今でも円がドルに対して上がれば産業関連の株が下がる。

ところでエネルギー資源の消費量を比較すると、1人当たりのエネルギー消費はアメリカ5・4(toe=石油換算トン)に対して、イギリス2・67、ドイツ2・92、フランス2・85、日本2・82となっている。アメリカはいわゆる先進国の約2倍の消費量である。中国0・47、インド0・17の10倍以上の消費量である。(経済産業省「エネルギー白書」2005年版)

しかし、アメリカ人は、平均して先進国民の2倍の豊かさを享受しているのかといえばそうではない。ポール・クルーグマン(2008年ノーベル経済学賞)によると、1970年代と現在と比べたとき、アメリカでは「上位0・1%の人の所得は5倍に増え、0・01%の人は7倍になっている」のだそうだ。アメリカ人は大量の資源から作られた富を、所得格差を拡大する形で配分している。
いま問題化している大手保険の巨額ボーナスでもわかるように、アメリカのトップクラスでは、「年収1000万円のためなら働かない、ボーナスだけでも1億円以上もらわないと元気がでない」という精神状態になっている。巨額の富をつり上げることが刺激剤(インセンティブ)として使われている。
≪景気回復への甘い見通し≫
アメリカ社会の資源浪費体質と所得格差とは連動関係にある。
貧しい人が「チャンスがあれば自分も成功して富豪に」という夢を捨てていないということは、世論調査などでも裏付けられている。所得格差を縮めるよりは、富豪の夢を大きくする方が、社会的な安定に貢献するという体質をアメリカ社会が持ち続けている。

貿易収支のバランスを回復すること、資源の浪費体質から抜け出すこと、社会的な格差を小さくすること、この3つが同時に成功するのでなかったら、アメリカ経済の本格的な再建は成り立たない。
オバマ大統領が4年間で、その第一歩を踏み出すことは不可能ではない。アメリカが貿易収支の赤字を国際的な投機資金の吸収で埋め合わせるという、あぶない仕組みを再稼働させる。そのことが、世界経済の景気回復の時点であると想定したとしても、4年間では無理だろう。
かつて日本で、バブル崩壊からの回復が10年以上かかった。今回は、もっと長く不況が続くという想定で、弱者救済の長期計画を立てることが政治に要求されている。税金を投入して有効需要を大きくすれば、景気が内発的に活性化するだろうという見通しは甘い。経済学者のレスター・サローによると市場経済社会では有効な予見はせいぜい8年であるそうだ。せめて20年程度の計画性がどうしても必要であろう。(かとう ひさたけ)

芹摘み

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今日の名言

わたしは書物はきらいだ。書物は知りもしないことについて語ることを教えるだけだ。
ルソー『エミール』(上)

Shibutoge41ぼろぼろの芹摘んでくるたましひたち 飯島晴子

季語は「芹(せり)」で春。正直に言って、私には掲句はよくわからない。しかし、わからないとは言うものの、そこらへんにポイッとは捨てられない気になる響きを持った句だ。何故だろうかと、自分自身に聞いてみる。

俳句を読んでいると、ときどきこんなことが起きる。捨てられないのは、どうやら「ぼろぼろの芹」と「たましひ」との取りあわせのせいらしい。「たましひ」は、生者のそれでもよいのだが、この場合は死者の魂だろうと、しばらく考えてから、勝手に結論づけてみた。生者が「ぼろぼろの芹」を摘んだのでは、どうしようもない。

いや、生者ならば決して摘むことはない、見向きもせぬ「ぼろぼろの芹」だ。それを、死者があえて摘んだのである。死者ゆえに、もう食べることもないのだから、とにかく摘んできただけなのだ。摘んできたのは、生きていたころと同じようにして、死んでいたいからである。

すなわち、死んでも死にきれない者たちの「たましひ」が、春風に誘われて川辺に出て、そこで摘んでいる生者と同じように摘んでみたかったのだ。それだけだ。でも、ちゃんと生者のために新鮮な芹は残しておいて、あえてぼろぼろなところだけを選んで摘んできた。

しかも、生きていた時とまったく同じ摘み方で、上機嫌で……。なんと楽しげな哀しい世界だろう。でも、飯島さん。きっと間違ってますね、私の解釈は……。開戦前夜、私はとても変である。誰も、こんなアホな戦争で、死ぬんじゃないぞ。『蕨手』(1972)所収。(清水哲男)

昨日、歩いて15分の休耕田に行って 芹摘みをして来た。23度と何もしなくても、汗をかくほどで、初夏の陽気であった。しかしちょっと20年前は田んぼは、近くにもあって、こぶな・どじょう・カエルなどがいたのが、今は開発され道路が出来て、住宅が建ち、畑や、田んぼはなくなってしまった。それでも、取り残されたように山あいに休耕田がある。だが、かろうじて残っている小川には生き物はみあたらなかった。

芹摘みは、毎年行っているのだが殆どする人がいない。芹はスーパーに売っているが、自然の田んぼに生えているものと、香りが全然違う。山あいで聞くウグイスの鳴き声・甲高いコジュケイの鳴き声は、昔を思い出し、郷愁に浸ることがでる幸せを満喫できた。

摘んだ芹は、花粉症が酷いので私と一緒にいけないのが残念で仕方がない妻がこしらえる(根や、ゴミをとる)のだが、結構楽しそうである。

2009年3月19日 (木)

闇サイト殺人判決

08tubaki_takegaki11 何とも痛ましい!
「死刑の判決が殺された人数で決まる事はおかしい」何としても3人の『死刑』を望んでいた母親の冨美子さんだった。そして、死刑判決を街中で訴えて25,000人の署名を集めたそうだ。

母親の富美子さんは、神田、堀両被告に死刑が言い渡されたことについて、「当たり前のことと思っています。当然だと思っている」。さらに、川岸被告が自首によって減軽されたことについて、「納得はできない。検察で控訴してもらえるようお願いしたい」と無念さをにじませたと言う。
無慈悲な犯行で戦慄(せんりつ)を禁じ得ない」--。名古屋市の契約社員、磯谷(いそがい)利恵さん(当時31歳)が2007年8月、帰宅途中に拉致、殺害された闇サイト殺人事件で、名古屋地裁は18日、被告3人のうち2人に死刑、1人に無期懲役を選択した。

死刑適用の有無が注目を集める中、判決主文を無表情で聞いた3被告。手塩にかけたまな娘を無残に奪われた母親は、傍聴席で目頭をぬぐい、改めて無念をかみしめていたという。

今日の、毎日・読売・朝日各新聞の社説で、この裁判の結果を取り上げていた。その朝日新聞の記事を記してみた。
犯罪仲間を募る携帯電話の闇サイトで知り合った男3人が、金目当てに家路を急ぐ通りがかりの女性をさらって殺害した事件で、名古屋地裁は2人に死刑、1人に無期懲役を言い渡した。
3人は顔を合わせてから3日後に犯行に及んだ。女性の命ごいにもかかわらず、粘着テープで顔や首をぐるぐるまきにし、金づちでめった打ちにするという残虐な犯行だ。「何か組みませんか」「強盗でも」というメールの軽いやりとりと、残忍きわまりない凶行の落差に言いしれぬ戦慄(せんりつ)を覚える。

法廷ではののしり合って仲間に責任を押し付けようとした。拘置所から知人を通じて、ブログに被害者を侮辱するような話を載せた被告もいる。娘と2人暮らしだった母親は極刑を訴え、その思いに応えた32万近い署名が集まった。

いくら憎んでも憎みきれない犯罪である。母親の処罰感情の強さも痛いほどにわかる。被告の命を奪う死刑は究極の刑罰であり、その適用は慎重のうえにも慎重でなければならないが、死刑制度がある以上、この名古屋地裁の判断は今日、多くの人が納得するものではなかろうか。

判決は、犯行の残虐性などとともに、ネットを通じて集まった匿名性の高い集団の犯行が、発覚しにくく模倣の恐れが高いことも考慮した。

日本の刑事裁判の中での今回の判決の意味は重い。1人を殺害した犯行について、2人を死刑、自首したもう1人を無期懲役にした厳しさである。

最高裁は83年に死刑を適用する際の判断基準を示し、四半世紀にわたって裁判で使われてきた。基準は犯行の罪質、動機、殺害方法、殺された人の数、遺族の被害感情などの9項目。これに基づいて、やむを得ない場合には死刑の選択が許されるとしてきた。

もちろん事件の態様は個々に異なり、基準を機械的に当てはめれば自動的に結論が出るというものではない。

とくに被害者が1人の場合は、慎重に判断されてきた。東京都江東区のマンションで会社員の女性が殺され、遺体が切断されて捨てられた事件の判決が先月あった。東京地裁は、死刑の求刑に対して「計画的でなかった」として無期懲役を言い渡した。だが、今回は違う。近年の厳罰化の傾向を表したものといえそうだ。

年に千人以上が殺人容疑で逮捕されている。一審での死刑判決も十数件ある。死刑の判断については、プロの裁判官たちも悩み抜いてきた。

5月から裁判員制度が始まる。裁判員に選ばれた国民も同じ悩みに直面する。凶悪犯罪の抑止や社会正義の実現のためにはどういう選択をすべきなのか。一つ一つの裁判に真剣に向き合いながら、死刑という刑罰も考えていきたい。

春が来た

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今日の名言

学問には坦々(たんたん)たる大道はありません。
そしてただ、学問の急峻(きゅうしゅん)な山路をよじ登るのに疲労困憊(ひろうこんぱい)をいとわない者だけが、輝かしい絶頂をきわめる希望をもつのです。
マルクス『マルクス 資本論』(一)

07yamazakura_kitakami11人ごみに蝶の生るる彼岸かな 永田耕衣

季語で彼岸といえば春の彼岸をさすらしい。春の茫洋とした空気の中でこっちとあっちの世界はぐぐっと近くなるのだろう。掲句は耕衣が二十歳の頃「ホトトギス」に投句した作品だそうだ。

処女作には作家の全てが含まれる。と言われるが初期のこの句にその後の耕衣の行き方が示されている。春のうららかな日を浴びて人ごみに生まれる蝶は、死者の生まれ変わりとも歩いている一人が変化した姿とも受けとめられる。

夏石番矢の『現代俳句キーワード』によると「蝶はどうやら霊的存在の一時的に宿る移動手段と考えていたらしい。西洋では蝶に死者の霊魂を見ていた。」とある。

そう思えば彼岸に蝶が生まれる場所に最も俗な「人ごみ」を想定することで、いま在ることがあの世に繋がってゆく生と死の連続性が感じられる。その点から言えばどことなく不思議な光を放つこの句を耕衣後期の作品に混ぜても違和感はないように思う。『永田耕衣句集』(2002)所収。(三宅やよい)

『彼岸』、「暑さ寒さも彼岸まで」というが、日の出 05時46分 : 日の入 17時52分と夜と昼が同じに近い。そして暖かくなってきた。

桜の便りが、あちこちから聞えてくるようになった。何でも例年より、七日も早いという。昨日暖かく、21度だった。珍しいことに家の直ぐ近くでウグイスが鳴いていた。そして一生懸命口を開いている姿を確認できた。しかし、鳴き方は、あまり上手ではない、練習?のようだった。『ホーホケキョ』とははっきり聞えなかった。

里山近くの休耕田に行って、芹摘みをして来た。夕食に天ぷらそばで、早春の香りを楽しんだ。その田んぼの近くでもウグイスが辺りを切り裂くように鳴いて、春本番の雰囲気であった。

芹を摘みながら昔を思い出した。山菜摘みで毎日を過ごしたこと、芹・のびる・かんぞう・たらの芽・つくし・みつば・たんぽぽなどを摘んで食べた。よく一緒に行っていた隣のトリちゃんは足が痛めてしまい、しゃがめないので無理となってしまった。もう山菜取りをする人はいなくなた。

今年は黄砂が酷い、その上スギ花粉でどうやら目が痛く、今までなんでもなかったが、「花粉症」にかかったようだ。空の色が何となく黄ばんでいる。国道を走る車のフロントは黄色く汚れていた。

2009年3月18日 (水)

貧しくて学べない

07rose_ame21 NHKクローズアップ現代で3/11の放送で『貧しくて学べない』の放送があった。

ここでも政治の視点が問われるところ、理性と判断力のある国民の8割が反対していた政策をごり押しをしてしまった定額給付金である。1人12,000円のお金をもらえば誰だって助かし嬉しい。
しかしもっとお金の使い方は、他にもあった。今目先の経済を考えるのは当然であるが、10年先20年先の日本のあるべき姿を考えたときに「教育」がある。教育の機会均等の原則を忘れては、将来の日本は暗く希望はない。

将来の日本を支えていく若者が、貧困によって教育を受ける機会を奪う事は個人だけでなく国にとっても将来に負の遺産を残す事になる。

タダでさえ少子化で国の将来を背負う若者が減少しているのに、その貴重な人材に教育という投資を今しないと、将来にとんでもない負の遺産を残しかねない。こういうことを読んで政治と言うものが有るものだと思う。

NHKweb・・・深刻な経済危機の中、家計が貧しいことで学校に通えなくなる子どもが急増している。愛知県の高校では、自動車関連の仕事に就いていた親達が次々と仕事を失い、中退を余儀なくされたり、授業料を払えず高校を続けられるか不安に揺れる生徒が相次いでいる。

景気の悪化で顕在化した、"貧しくて学べない"子ども達。社会の格差が広がる中で、すでに深刻な状況となっている。

埼玉県内の高校では、入学した生徒の半分近くが卒業までに中退する。中退後の生徒を見守り続ける教師は、背景に貧しさから来る無気力や、将来に希望が持てない刹那的な思いがあるという。

中退した子ども達が社会的に孤立し、生活の糧を得るため犯罪組織や風俗業など闇の世界に引き込まれるケースも多いという。親の世代の貧困が、子どもの学ぶ機会を奪い、貧困の再生産につながる社会の歪みを教育の現場から伝える。

オバマ大統領、AIGの高額ボーナス支給撤回求める

                                    Yokohama1                                                                               
どうも日本人の性格と大分かけ離れているようで仕方がない。さすがにオバマ大統領に限らず怒りは、普通のアメリカ人も怒り心頭である。AIG社員の方もインタビューでボーナスは一部の人間であり非常に怒っていた。公的資金何度も入れているのである。

納税者に対する暴挙をどう正当化するのか」。オバマ米大統領は16日、巨額の政府支援で破綻を免れながら、経営難の原因となった部門の幹部に高額のボーナスを支払っている米保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)を強く非難し、ボーナス支給の撤回を求めたようだ。

NHKweb・・・事実上の公的管理下に置かれているアメリカ最大手の保険グループ、AIGが、巨額のボーナスを支給した問題で、最高で6億円余りを手にした幹部社員がいたことが明らかになりました。批判の高まりを受けて、アメリカ議会では、支払われたボーナスに高い税金をかける新たな法案を提出する動きが出ています。

この問題は、公的支援を受けて経営再建中のAIGが、先週、幹部社員に総額1億6500万ドル、日本円でおよそ160億円の高額のボーナスを支給したものです。これについて、AIGの本社があるニューヨーク州のクオモ司法長官は、17日、アメリカ議会に書簡を送りました。

それによりますと、ボーナスの最高金額は640万ドル、6億3000万円で、上位10人の総額はおよそ41億円に上るということです。また、AIGは、ボーナスの支給は優秀な人材をつなぎ止めるため必要だと説明していましたが、100万ドル以上を受け取った73人のうち11人は、すでに会社を辞めたということです。

司法当局は、AIGに対し、ボーナスを受け取った幹部社員の名前などを公表するよう求め、違法な行為がなかったか捜査を続けていく方針です。国民の税金で破たんを免れている企業が巨額のボーナスを支給したことについて、アメリカでは批判が高まっています。

与党・民主党の一部の議員は17日に、記者会見し、幹部社員が受け取ったボーナスに100%の課税をかける新たな法案を提出すると発表しました。また、別の民主党の議員の間でも、高い税金をかける法案を検討する動きが出ています。

さらに、ホワイトハウスのギブス報道官も「オバマ大統領はすべての手段を検討し尽くすまでは満足しない」と述べ、ボーナスの返還に向けた具体策の検討を引き続き行う考えを示しました。

緊張感がなくなった若者

                   3612_2                                

平和ぼけ?あまり心に刺激がないのか、若者のエネルーがなくなって、「生きる」ことの考えるが必要がなくなってしまったのか、「逃避」しているのか、もっと真剣に「人生」を「人生観」を語り合って、今できることは何かで悩んで欲しい。

命を賭けてしなければならないことがあるだろう。早く見つけて欲しいものだ。確かに回り道はある。また道草も必要だ。しかし薬物はいけない、好奇心が高じて戻れないことになってしまったら、人生台無しになる。恐ろしい・・・。いったいその原因は何であろう?

【早大;学生の1割「周囲に大麻所持者」半数以上が入手可能】という毎日新聞webにあった。

稲田大が大麻など薬物について意識調査をしたところ、学生の約1割が「周囲に所持者や使用者がいる」と答え、半数以上が「入手可能」と考えていることが分かった。早大は「学生の身近に薬物の危機が迫っている」として、指導のあり方の見直しなども含めて対策を強化する。

調査は昨年12月~今年1月、全学部生と大学院生(計約5万3000人)を対象に実施。約4700人(8.8%)から回答を得た。周囲に違法薬物の所持・使用者が「いる」と答えたのは9.9%で、学部生の男子が9.4%、女子が11.1%。大学院生は男子8.3%、女子11.9%だった。

入手しようとした場合、どの程度難しいと思うか尋ねたところ、17.3%が「簡単に手に入る」、36.3%が「なんとか手に入る」と回答。5.6%は他人から違法薬物を勧められた経験があった。

薬物に対する認識では、7.8%が「たばこより害が少ない」と考えており、6.1%は「一度くらい使っても心や身体への害は少ない」と答えた。「眠気覚ましに効果がある」としたのは9.2%で、「ストレス解消によい」は14.8%。

早大は4月と6月に薬物の講習会を開くほか「学生生活を送る上での心構えや倫理観」などを教える科目を今年4月から新設し、薬物についても取り上げる。【加藤隆寛】

潮来の川舟

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今日の名言

ああ! 京の織り子は、つづれ破れた木綿を着て、誰が着るのか判りもしない綾絹(あやぎぬ)を、せっせと織っているよ。
細井和喜蔵『女工哀史』

08nairikusen_kayabuki11牛のせて舟泛びけり春の水 徳田秋声

詞書に「潮来」とある。潮来(いたこ)の川舟には一度だけ乗ったことがある。もちろん今や観光が主で、日焼けした陽気なおじさんや、愛想のいい若づくりしたおばさんが器用に竿をあやつってくれる。川べりに咲くあやめをはじめとする花や風景を眺めながらの観光は、まちがいなくゆったりした時間にしばし浸らせてくれる。けっこう楽しめる。

もっとも、あやめの時季は五月末頃から六月にかけてだから、掲出句で牛を乗せて泛(うか)んでいる舟は、まだあやめの時季ではない。仕事として牛を運んでいるのである。潮来のあたり、観光エリアのまわりには広大な田園地帯が広がっている。

春田を耕ちに向かう牛だろうか、買われてきた牛だろうか。いずれにせよ、ぬかる田んぼでこき使われる運命にある。しかし、今はのんびりと広がる田園の風景しか見えていない。竿さばきも悠揚として、舟の上で立ったままの牛も今のところ、のんびり「モォーー」とでも鳴いているにちがいない。

春の水も温くなり、ゆったりとして流れるともなく流れている。一幅の水墨画を前にしているようで、こちらも思わずあくびが出そうになる。秋声は師の尾崎紅葉が俳句に熱心だったこともあって、多くの俳句を残している。「花の雨終にはさむる恋ながら」。文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)

私も2.3回潮来の川舟に乗ってことがある。ちょうど菖蒲の咲いている時期であった。有名な、「潮来花嫁さん」の歌がある。この歌を思い出したが、今は、観光誘致合戦で雰囲気がいまいちとなっているのが残念である。

川べりに柳の木が植わっていた、もう青い芽が出ているだろう。そして、もう時期にツバメがやって来て川面を飛ぶようになるだろう。

昭和35年の曲である。この時期は、川の水は沢山あるのかなあ・・・ちょっと気になる。あの日に焼けたおばさんのはどうしているのかなぁ・・・。

  作詞 柴田よしかず
作詞 水野富士
唄  花村菊江

          潮来花嫁さんは
          潮来花嫁さんは 舟でゆく
          月の出潮を ギッチラ
          ギッチラ ギッチラコ
          人の噂に かくれて咲いた
          花も十八 嫁御寮

          潮来花嫁さんは
          潮来花嫁さんは 舟でゆく
          夢をいだいて ギッチラ
          ギッチラ ギッチラコ
          好きなあの人 東京育ち
          わたしゃ潮来の 水育ち

          潮来花嫁さんは
          潮来花嫁さんは 舟でゆく
          花の都へ ギッチラ
          ギッチラ ギッチラコ
          別れ惜しむか よしきりさえも
          泣いて見送る 葦のかげ 

2009年3月17日 (火)

<東芝>定昇を一時凍結へ

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Iwao1702c1世界同時不況は、益々深刻の度が深まったようだ。定期昇給を一時凍結とは、事実上賃下げである。賃下げで組合側は納得できるのか、またこの処置が決定すれば、電機業界に限らず、あらゆる産業界に少なからず影響はあるだろう。

今日の株価14:30分現在日経平均株価7,927.85   +223.70  東芝+8円高 255円

毎日新聞web・・・東芝は17日、09年春闘で組合側が維持を求めている定期昇給などに相当する「賃金体系維持分」を、一時凍結する方針を固めた。世界的な景気低迷により、09年3月期の連結営業損益が2800億円の赤字になる見通しで、一段のコスト削減が避けられないと判断した。決定すれば、今春闘の電機大手では初めての、事実上の賃下げとなる定期昇給凍結で、18日の集中回答日を前に、他のメーカーの交渉にも影響を与えそうだ。

東芝はIT(情報技術)バブル崩壊後の02年にも、4月から9月まで半年間、定期昇給を凍結している。

東芝の経営側は、労働組合が求める4500円のベースアップ分(ベア)については「ゼロ回答」とする方針。定期昇給については半年後に復活させる方向で、組合側と大詰めの交渉を続け、18日に組合に回答する。

東芝はその一方で、組合側と雇用安定の行動指針を締結するなど、正雇用維持の方針は明確に示す。【秋本裕子】

報道番組の在り方を問う

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Sakura4031最近、私の家の前にマスコミの取材で大勢の記者がいる。もう10日間ぐらいになる。どうも、西松建設がらみのことらしい。だが、お目当ての本人は行方をくらまし、所在がわからないらしい。

マスコミの力は大きい、世論に対する影響は計り知れないものがある。大変な時間と労力を使って一つの番組になるのだと知らされた。そんな中で、ただ視聴率を上げるためだけを取材を記者たちの判断で作り上げたとしたら、どんなことになるのだろうと思うと恐ろしい。

何時も観ていた報道番組「真相報道バンキシャ!」(福澤朗、菊川怜らが出演)であるが、視聴者である我々は何が起こったか解からない。日本テレビの久保伸太郎社長が16日、突然、辞任した。

朝日新聞社説・・・同局の報道番組「真相報道バンキシャ!」での誤報の責任をとったというが、重い結論に至った経緯はよくわからないままだ。同局内で行われたという検証の中身についての具体的な説明がなにもないからだ。

問題の番組では匿名の男が登場し、岐阜県が裏金作りを続けていると証言した。岐阜県は独自調査をし、こうした事実はないという結論を得た。そして日本テレビに対し、放送法に基づいて調査と訂正を求めた。

日本テレビの再取材に対し男は証言を翻し、証拠とした書類も改ざんしたものだと認めた。同局は今月1日の番組で謝罪。一方、岐阜県警は偽計業務妨害の容疑で男を逮捕した。

NHKと民放で作る第三者機関「放送倫理・番組向上機構」(BPO)の放送倫理検証委員会でも審理することが決まった。内部告発をもとに報道機関が取材をし、大きな不正が暴かれた例は数多い。勇気をふるって発言する人と徹底的に調べて公表する報道の仕事は、社会正義を実現するために不可欠だ。

相手が公的機関であれ民間会社であれ、十分な裏付け取材のうえで発表するのが報道の基本だ。その点、「バンキシャ!」はあまりにお粗末だった。

誤報がはっきりした後も、何がどう間違って誤報につながったのか、問題の所在を明らかにしていない。このままでは、報道全般に対する視聴者の信頼を失いかねないし、不正を告発しようとする人を萎縮(いしゅく)させる心配もある。

07年に起きた関西テレビの「発掘!あるある大事典2(ローマ数字の2)」の問題では、番組作りを受注した制作会社の不正と、それを監督できなかったテレビ局の責任が厳しく問われた。

日本テレビでは06年にもニュースの映像で「やらせ」が判明した。これも制作会社の取材を確認せず放送したケースだった。「バンキシャ!」も、複数の制作会社が参加したチームがスクープを目指した過程で起きた。

優れた報道番組を作っている制作会社ももちろんあるが、報道について十分な教育をされていない取材者が功をあせれば、誤報を生む危険は大きい。それを防ぐ教育とチェックは、発注するテレビ局側の責任である。面白い番組をコストを抑えてつくろうとする傾向の中に、誤報を生む落とし穴がなかったか。

再発防止と報道への信頼回復のために、日本テレビは徹底的に調査・検証し、番組などで公表する必要がある。それが巨大な影響力を持つ報道機関としての義務である。

花粉症

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今日の名言

時分の花を誠の花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて、花の失(う)するをも知らず。
世阿弥『風姿花伝』

07yamazakura_kitakami11そこまでが少し先まで蝶の昼 深見けん二

日課のように家から200mくらい先のポストまでの道を、季節や天気によって最短距離を選んだり、寄り道したりして歩く。このところのあたたかな陽気では、思わぬ時間を取ってしまい、たかだか投函というだけで小一時間ほどが過ぎている。

道草の語源は馬が道ばたの草を食べてなかなか先に進めないということからきているという。そうか、だから「道草を食う」というんだ…、などと、思いめぐらせることさえのどかな春の午後である。

掲句は「蝶の昼」という華やかな季題によって、舞い遊ぶ蝶に「そこまで」の用事を一歩もう一歩と誘導されているようだ。しかし、浦島太郎よろしく「ああ、こんなところまで」と詠嘆の大時代的なもの言いでないところが、現実の静かな実感である。しかし「少し先」には、いつもの「そこまで」とはわずかに違う、ささやかな甘い実感が伴う。

隣りに並ぶ蝶に会ひ人に会ひ又蝶に会ふ〉では、掲句よりさらに先まで、めくるめく感覚に歩を進める。次元の裂け目に移ろうようにひらひらと心もとなく舞う蝶を寄り代にして、現実の世界をすべてをまぼろしのように見せ、危うく美しい無限世界を描いている。『蝶に会ふ』(2009)所収。(土肥あき子)

昨日買い物に行き、国道沿いを1時間ぐらい歩いた。今まで全く感じなかった「花粉症」にかかったようだ。家に着いて見たら、目のかゆみがあり、涙がとまらない。その上くしゃみが連発である。「イヤー参った」。

確かに、自動車のほこりと風があったからだろうと思うが、自分は絶対アレルギーはないと自信を持っていたのが・・・。

蝶になり 行き先迷う 陽気なり

花粉症 悩みの多い 花見かな

2009年3月16日 (月)

今日の嬉しいニュース

2007102400000912reuintview0001『今日の嬉しいニュース』     

その1)米航空宇宙局(NASA)は米東部時間15日午後7時43分(日本時間16日午前8時43分)、日本人初の国際宇宙ステーション(ISS)長期滞在に臨む若田光一さん(45)ら7人が搭乗したスペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げに成功したことである。5度の小さな欠陥があって打ち上げが一ヶ月も延期したがようやっと打ち上げである。

読売新聞web・・・若田さんは1996年と2000年に宇宙飛行を行っており、今回が3度目の宇宙滞在となる。ミッション・スペシャリスト(搭乗運用技術者・MS)として搭乗する若田さんは、現在ISSに長期滞在中のサンドラ・マグナス宇宙飛行士と交代し、約3カ月半ISSに滞在する。

今回のシャトルの飛行では、ISSの発電量増強に向け、4組目で最後となる大型太陽発電装置が設置される。また、尿を飲料水として再利用するシステムの実験運用が行われ、水質に問題がないことが確認されれば、ISSの定員が現在の3人から6人に増員される。

当初2月12日に予定されていた今回の打ち上げは、ディスカバリーの外部燃料タンクの制御弁の安全性確認などで計5回延期され、この日の打ち上げとなった。

3度目 自ら“実験台”にディスカバリーの打ち上げが成功し、日本人としては初めてとなる若田光一さんの国際宇宙ステーション(ISS)長期滞在が始まる。打ち上げを前に「ゆっくりと地球を見て、詩や絵を書いてみたい」と語った若田さんだが、実際は極めて多忙な3カ月半となりそうだ。

「コーイチ・ワカタはモルモット役を志願した。錠剤を飲み、体をセンサーでぐるぐる巻きにし、着っぱなしの下着がどれくらい臭くなるかを記録する。科学のために」米有力科学誌ナショナル・ジオグラフィック(電子版)はユーモラスな書き出しで若田さんの長期滞在を詳しく特集した。

若田さんは滞在中、骨粗鬆(こつそしょう)症の治療薬を週1回服用し、予防効果を調べる。遠隔医療実験のため、体には心電計などが常時接続されている。雑菌の繁殖を抑える機能を持つ衣服をテストするため、下着を長期間着用したまま生活する場面もある。

もっとも、こうした「モルモット役」は若田さんの多彩な任務の一部にすぎない。中心的な任務はISSのシステム運用。繊細なロボットアームの運用技術に定評のある若田さんはISSとシャトルの4種類すべてのロボットアームを運用する。1回の飛行ですべてを操作するのは初めてのケースという。

日本実験棟「きぼう」の保守と整備も担当する。6月下旬にシャトルで運び込まれる「きぼう」の船外実験装置を取り付けて「きぼう」を完成させ、そのシャトルで帰還する予定だ。「きぼう」で各種実験を実施するほか、欧州実験棟、米国実験棟での実験も行う。

このほか「宇宙で目薬をさすにはどうすればいいか」などといった一般公募の「おもしろ実験」も実施。帰還まで多忙な日々が続く。(松尾理也)

(その2) 第2回ワールドベースボールクラシック(WBC)2次ラウンド1組の初戦、キューバvs.日本が16日(日本時間)、米カリフォルニア州サンディエゴのペトコ・パークで行われ、日本が6対0でキューバに快勝した。

日本は3回、相手投手の暴投と青木のタイムリー、村田の犠牲フライで一気に3点を先制すると、4回、5回にも1点を追加し突き放した。投げては先発の松坂が6回を無四球、8奪三振の好投で無失点に抑えると、2番手以降の岩隈、馬原、藤川もキューバ打線に三塁を踏ませぬ投球で、見事完封リレーを収めた。

しかし、韓国がメキシコに8-2で逆転で勝っている。アメリカの地で韓国と戦う事になった。一勝一敗である。何とか勝って欲しい。

意見まちまちの性教育の判決

271 障害がある児童・生徒向けの性教育を巡って厳重注意を受けた東京都立七生(ななお)養護学校(日野市、現七生特別支援学校)の元教員ら31人が、教育への不当な介入だとして、都や都議3人らに約3000万円の損害賠償などを求めた訴訟で、東京地裁(矢尾渉裁判長)は12日、210万円の支払いを命じた。

この問題で読売新聞は、【『過激な教育は放置できない』と言う見出しである。東京都議の言動に行き過ぎた面はあったかもしれない。しかし、政治家が教育現場の問題点を取り上げて議論し、是正していくこと自体は、当然のことと言えるだろう。】と言う見解である。

それに対し、東京新聞は『「不当支配」認定・教育介入へ当然の判決』と裁判結果肯定的である。また朝日新聞はの14日の社説は「性教育判決―創意つぶす『不当な支配』」だ。という東京新聞と同じ見解である。と言った具合で賛否様々。

私は、養護学校で使われていた性教育の教材を都教委が没収したのは不当だという考えである。しかし、今、『性』の問題から逃避している事が、かえって大きな社会問題となっていると思うのである。

確かに過激な教育は疑問視するところがあると思われるが、行き過ぎた過激な教育を止めることは必要であろう。だから、社会的見地から多くの人の意見に耳を傾けるべきである。

旧教育基本法の「『不当な支配』をめぐる条文は、特定の思想を持つ団体などの教育現場への介入を戒める規定だ」が、日教組などが「国や教育委員会の指導を『不当な支配』と曲解してきた」のである。今回の判決もその延長にあり、朝日新聞は日教組の意見そのままを社説で表明しているのだ。と言う見方の人もいる。

タンポポとおき去りのボール

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今日の名言

どこの国だってほんとうの善人は多くない、はなはだ少ない。美しい人も多くはない、はなはだ少ない。
しかしいないことはない。ただそういう人にめったに会うことができないだけだ。
武者小路実篤『友情』

花の夜をボールふたたび淵を出で 竹中 宏

野球のボールか、テニスのそれか。夜桜見物の折り、作者がふと川面に目をやると、夜目にも白いボールが浮いてゆっくりと流れていく。作者が目撃した実景は、ただそれだけである。しかし作者は瞬間的に、このボールが長い間川淵に引っかかっていて、それがいま「ふたたび」動き出したのだと思えたことから、俳句になった。

では、何故そう思えたのだろうか。無理矢理に想像してこじつけたわけではない。ごく自然に、そう直覚したのだ。この直覚には、間違いなく世代によるボールへの価値観が結びつく。作者と私とはほぼ同世代だが、私たちが小さかった頃、敗戦後まもなくの頃のボールは貴重品だった。

野球の試合中でも、何かのはずみでボールが川に落ちると、もう試合どころではない。全員が川まで駈けていって必死にボールを掬い上げたものだった。が、ときどきは、いくら目を凝らしても見つからないことがある。おそらくボールが、川淵の屈まったところに引っかかってしまったに違いないのだ。

こうなると、まず見つからない。それでも未練がましく、しばらくは全員でぼおっと悔やみながら川面を見つめていたものだった。この句の実景を目にしたときに、作者の脳裏をすっとよぎったのは、たとえばそんな体験だったろう。だから「ふたたび」なのである。

まさか「ああ、あのときのボールだ」と思ったわけではないけれど、ここにはそれに通じる思いがある。ほっとしたような、「なあんだ、こんなところにあったのか」と納得したような……。

束の間の非日常的な「花の夜」に誘われたかのようにボールが淵を流れ出て、作者に思いがけない過去の日常をよみがえらせたということになる。私などの世代にとっては、まことにいとおしい時間と空間をもたらしてくれる句だ。俳誌「翔臨」(第64号・2009年2月)所載。(清水哲男)

 蒲公英と ボール寂しく 残される

子供たちが帰った後、公園を掃除していたら、忘れたのだろう、白い野球ボールが落ちていた。そこにタンポポの黄色い花が咲いていた。何ともその取り合わせが万感心にくるものがあった。

私の子供時代何も無い時代で、ボールの価値観は、今の子供たちと大分違う。ボールがなくなっても、探し方や、ちょっと諦めが早い。物を大事に仕方も違う。いわゆる価値観の相違である。公園の遊具の使い方、ゴミの始末など親の躾が疑われるばかりである。

東京江戸川区南葛西に住んでいる孫は、野球が好きなようである。ルールを守ってこそ野球が面白い。公共の施設や物をを大事に使う躾はどうだろう。ちょっと心配になった。

2009年3月15日 (日)

切り詰めたい費用は「食費」

08yokotesigai_yuukei21景気の底が見えない、消費者の自己防衛の知恵で、何とか不況を乗り切りたいとの思いは、生活費を見直しせざるを得ない。生きるための三大要素である「衣・食・住」を切り詰めを考えているのは一番手は「食費」だそうだ。

このところ『訳有り商品』が人気が出ているそうだ、野菜などの規格外れ・ちょっとした疵などであるが、今朝のNHKのテレビで、魚介類などの食品から、衣類・電機製品・旅行のホテルなど今まで見捨てられたものまで、格安で商品化する。これも節約なのだと思う。

J-CASTニュース・・・100年に一度の不況といわれるだけに、世の中全体に節約ムードが漂っている。中でも、食費を節約したいと考える人は最も多く、安い食材や節約レシピで切り詰める方法がいろいろ紹介されている。

調査会社のアイシェア・・・の「節約」に関する調査結果によると、「もっと節約したい、節約できると思う費用」の1位は外食費で43.2%、2位に食料・飲料費33.4%、3位に水道・光熱費30.0%。食費を節約したいと考える人がいかに多いかが伺える。調査は2008年11月19日~21日に実施、12月8日に発表した。有効回答数は437人。

食費節約法は実際にはどんなものがあるのか。フジテレビ系朝の情報番組「めざましテレビ」(2009年3月5日)内のコーナーでは、ホットケーキミックスを使った節約レシピが取り上げられた。渋谷の女子高生・大学生への聞き取り調査でわかったものだ。

牛乳150CC、卵1個、ホットケーキミックスを混ぜて炊飯器で炊き上げるだけで完成する。炊飯器で作るということがポイントで、大きく膨らみ、パンのような食感が楽しめるそうだ。食べきれないときには学校へと持参し、おやつにもぴったりだと紹介された。番組の試算では、1食分111円でできるそうだ。なお、あるスーパーでのホットケーキミックスの実売価格は、600g入り(150g×4袋)で329円だった。

これを裏付けるかのように、森永製菓広報ではホットケーキミックスの売り上げは2005年に比べて2008年は127%増。右肩上がりで伸びている。「節約志向も一つだが、食の安全意識から手作りが見直されている。また、手間がかからない手軽さもよいのでは」と担当者は話している。

スパゲティも注目を集めている食材の一つだ。横浜税関が2009年2月26日に発表したデータによると、08年のスパゲティの輸入量は11万7154トンで前年比23.5%増えた。社団法人パスタ協会の山本丈夫さんは、輸入量の増加には円高が関係しているとしながらも、次のように話す。

「内食回帰の傾向もあって、家庭で食べる人が増えているように感じています。スパゲティは単価が安く、手軽。300グラムあれば4人家族の夕食が間に合います。しかも、パスタソースの種類も昔に比べれば、増えましたしね」

なお、あるスーパーでは、日清製粉の「マ・マー スパゲティ」シリーズは300gで199円、450gで299円、600gで399円にて売られている。1食分の目安は100g。という。

高速料金値下げ

Odaiba971対象はETC搭載車だけだし、選挙をにらんで民主党の「高速無料化」に対抗するため2年も前から計画され、こっそり予算に織り込まれている。税金から2兆5000億円。それとは別に霞が関“埋蔵金” から5000億円。

値下げに関してはこのほか、交通量の増加で環境への悪影響や渋滞の多発も予想される。鉄道、航空、フェリーなど、高速道路と競合する交通機関の減収問題も発生しそうだ。値下げは、決していいことばかりではないと思う。乗り放題は土日は恐ろしいことになりそうだ。

読売新聞社説・・・たった1000円で走り放題」。こんなキャッチフレーズのもと、高速道路料金が近く、大幅に値下げされる。景気悪化が深刻化する中、ドライバーには朗報だが、値下げには巨額の国費がかかる。厳しい財政事情の中、いつまで値下げを続けるべきか、いずれ真剣な議論が必要になろう。

値下げは、麻生内閣の景気対策の柱の一つだ。民主党が掲げる「高速料金の無料化」に対抗する狙いもあろう。今月28日からの全面実施だが、一部路線では20日から先行してスタートする。

最大の目玉は土日祝日の走り放題である。自動料金収受装置(ETC)を装備した乗用車を対象に、大都市近郊などを除く地方の高速道路では、いくら走っても1000円が上限になる。例えば青森県から滋賀県まで、ルートを選べば1000円で行くことができる。

これまで割引がなかった地方の平日昼間の時間帯も、全車種で3割引きになる。本州四国連絡道路や東京湾アクアラインは、走り放題とは別に上限1000円だ。首都高速道路や阪神高速道路にも新たな割引が導入される。

確かに、いくら走っても1000円ポッキリなどと言われれば、遠出する気にもなろう。宿泊施設や売店の売り上げが伸びるなど、消費刺激効果が期待できる。トラック輸送経費なども節減でき、苦境にあえぐ企業にとって収益の改善につながりそうだ。

ただ、ETCシステムの変更遅れで、大都市圏をまたいで走行する場合、4月26日までは、上限1000円の料金が二重取りされるので要注意だ。

一連の値下げで最大の問題は財源である。今回の値下げは2年間の期間限定だが、5000億円の資金が必要である。政府の「埋蔵金」で賄うが、2年過ぎて値下げを継続する場合は、新たな財源をひねり出さなければならない。

政府は今回とは別に、10年間で2兆5000億円をつぎ込む料金割引を実施中だ。こちらの財源も税金である。高速道路各社は、約40兆円の借金を45年かけて料金収入で返済することになっており、値下げする余裕はない。

桜の蕾に冷たい雨

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今日の名言
.
僕の存在には貴方(あなた)が必要だ。どうしても必要だ。
夏目漱石『それから』

08tyokai_zenzinnuma11三月の風人買いのやさしさで  穴井 太

言うまでもなく「三月の風」と「やさしさ」は素直に結びつきます。みなに待たれている季節を運んでくるものとして、この組み合わせになんら問題はありません。しかし、それだけではもちろん人の心を打つ句にはなりません。だれでもがあたりまえに頷いてしまうものではだめなのです。

いったんは「あれ?」と思わせて、それからのちに、「ああそうなのか」と納得させてくれるもの。そんな都合のよい表現はあるだろうかと、作者は頭を悩ませているのです。で、行き着いたところが 「人買い」だったわけです。

たしかに人買いという、おそろしい言葉に優しさは結びつきません。しかし、よく考えてみれば、人をだますための気味の悪い猫なで声は、やさしいといえば言えなくもなく、言うとおりにすれば、一生きれいな着物を着て、おいしいものが食べられるのだと、なんだか耳をかすめる風がささやいているようです。

この季節の風を全身で受けとめ、ならばこの風に買われてみようかと、まさか思いはしないけれども。「俳句界」(2009年3月号)所載。(松下育男)

各地のお寺で、三月十五日は涅槃会 が行われる。
仏教の祖・釈迦が亡くなったとされる釈迦入滅の日。各寺院で釈迦の遺徳を偲ぶ法会が行われる。元々は旧暦の2月15日だが、現在では月遅れの3月15日に行われることが多いそうだ。
日本では推古天皇の時代、奈良の元興寺(がんごうじ)で行われたのが最初で、やがて全国の寺院に、のちに民間へも流布していった。「涅槃」とは、サンスクリット語で″ニルヴァーナ″といい「吹き消すこと」を意味する。煩悩の炎を吹き消し、さとりを開いた状態のことで、一般には、釈尊の入滅をさすことばとしても使われているそうだ。

昨日は、膨らんだ桜の蕾に冷たい雨の雫がついていた。午後3時頃に雨があがったが風は冷たかった。

テレビでサッカーの試合を見た。モンテディオ山形対名古屋グランパスの試合である。NDソフトスタジアム山形は最初は青々とした芝が後半から真っ白になってしまった。強い雪の降る中ボールを奪い選手の白い息、よこなぐりの雪、ゴールポストもかすんでしまうほどだ、そんな光景は何とも寒そうで悲壮感さえ感じれれた。試合結果は0-0の引き分けで終わった。

三月は暖かい日もあれば、寒い日もある。まさに三寒四温の時節である。体調に気をつけないと・・・。

2009年3月14日 (土)

北朝鮮の人工衛星打ち上げ

05detohama11 アメリカのオバマ政権の目を引き付けようとしてなのか、聞き及ぶ事に北朝鮮は、経済的に非常に逼迫している状態と言われている。なのに人工衛星と言って、長距離弾道ミサイル「テポドン2号を発射準備を進めている。

日本列島を飛び越えて太平洋に着水するという。日本列島を飛び越えるのも許せないものだが、間違って地上に落ちて、被害がでたら保障はどうなる?それだけのコントロールする技術があるのだろうか心配だ。

何を訴えたいのかは、国内の経済・暮らしぶりから想像できる。唯一の輸出の鉱物資源の国際価格の暴落と、韓国のイ・ミョンバク大統領の北朝鮮政策で食料補給が厳しくなって、中国の援助に頼ざるを得ない。六者協議も進んでいない。

もうそろそろ目が覚めてもいい頃だろう。こんな駄々っ子的な国では国家は崩壊は近いのではないのか?

今朝の朝日新聞社説・・・先月から「人工衛星打ち上げ」を予告していた北朝鮮が、日付まで指定した。来月4日から8日までのいずれかの日に「銀河2号」なるロケットで実験通信衛星「光明星2号」を打ち上げるのだという。

北朝鮮はこれに伴い、船舶や航空機が接近すべきでない危険区域を設定し、国際海事機関(IMO)に通告した。それは秋田沖の日本海上と、はるか東方の太平洋上であり、それぞれロケットの1段目、2段目が落下するとの想定である。

すると「打ち上げ」は、日本列島を飛び越えるコースで行われるという話だろう。しかも、この「ロケット」は、北朝鮮の長距離弾道ミサイル「テポドン2号」と事実上同じものと見られる。ミサイルの弾頭部分に、不完全ではあっても人工衛星のような物体を積んで地球軌道に乗せさえすれば「打ち上げに成功した」と主張できる。

日本国民にとって、あってほしくない事態だ。しかし北朝鮮が国際宇宙条約にも加盟し、これだけ公然と準備を進めている以上、空騒ぎではあるまい。

私たちは先月末の時点で「北朝鮮が発射するのがミサイルであれ人工衛星であれ容認できない」と主張し、「発射阻止が重要だ」と指摘した。

まず、改めて強調しておきたい。北朝鮮の核実験を受けた国連安全保障理事会の制裁決議は「弾道ミサイル計画に関連するすべての活動」の停止を求めている。北朝鮮が発射するのが人工衛星であっても、弾道ミサイルと同じ技術を使っている以上、この決議に違反する。この見解で日米韓3国は一致している。発射阻止の試みをさらに続けるべきだ。米国務省が努力継続の意向を表明していることを歓迎する。

一方、中国やロシアは、「人工衛星でも決議違反」という解釈に同意していない。このままだと、北朝鮮が予告通りに人工衛星を打ち上げた場合、安保理による新たな制裁決議などはおぼつかない。すると北朝鮮は「衛星打ち上げ」の名を借りた実質的なミサイル実験を繰り返せることになってしまう。日米韓は中国、ロシアを含む国際社会の協調を得られるよう、論理的な整理と働きかけを進めてほしい。

原則論を言えば、宇宙の平和利用の権利はどの国にもある。しかし北朝鮮は、韓国でいま実施されている毎年恒例の米韓合同軍事演習を理由に、北朝鮮領空や周辺空域を通過する韓国民間機の安全を保証できないと突然宣言するな ど、「平和」とは矛盾する行為を重ねてきた。これでは信頼は得られない。

北朝鮮は宇宙の平和利用を主張する前に、拒み続けてきたミサイル関連技術輸出規制(MTCR)に参加し、「ミサイル拡散の元凶」という国際的汚名を返上すべきであろう。

春の嵐

15401ドーンドーンと雨戸を打つ音で昨夜から続き朝早く目が覚めてしまった。「春の嵐」のようだ。NHKラジオ深夜便を聴いていたら番組の途中で、気象庁の注意予報のニュースが入った。それによると、前線をともなった低気圧の影響で13~14日にかけて全国的に暴風や高波のおそれがあり、気象庁はなだれや河川の増水、土砂災害などへの警戒を呼びかけている。
気象庁によると、低気圧が発達しながら日本海を北東に進んでおり、14日朝には北海道付近に達する。このため、西日本や東日本では14日昼過ぎにかけ、北日本は14日未明から14日夜遅くにかけて、それぞれ海上を中心に風が非常に強く、大しけになるところもあり、警戒が必要という。

予想される最大風速は北日本は陸上で18~20メートル、海上で20~25メートル、東日本は陸上15~18メートル、海上で20~25メートル、西日本は陸上で15~20メートル 海上で18~25メートル。季節の変わり目には、良くあることであるが、高速道路で、トラックが横転したと言うニュースが流れた。

関東地方は、気温が4月上旬の16度の上がるらしい、今日の沖縄と同じぐらいだそうだ。そういう時は昔の人は「南陽気」と言っていた。「庭の石に汗をかき、季節外れの暖かさ、雨戸を強く打つ風」まさに昨夜から今朝方がそうだ。

「旅愁」詩の二番を思い出した。

     窓打つ嵐に 夢もやぶれ
     
     遥けき彼方に こころ迷う
     
     恋しやふるさと なつかし父母
     
     思いに浮ぶは 杜(もり)のこずえ
     
     窓打つ嵐に 夢もやぶれ
     
     遥けき彼方に こころ迷う

猫の今昔

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今日の名言

女の子は、結婚がなによりもお好きだが、たまにちょっと失恋するのも、わるくないと見えるね。
オースティン『高慢と偏見』(上)

08yokotesigai_yuukei21猫の恋太古のまゝの月夜かな 宇野 靖

ここ一、二年、一階に住む妹の家に毎日猫がやってくるようになった。野良もいれば、首輪をした飼い猫もいて、ふらりとやって来ては、餌を食べていなくなる。幸い「野良猫に餌をやっては困ります」という話がご近所から出ることもなく、猫の方もこの界隈を渡り歩いてゆるゆる過ごしているようだ。

でも、そのわりには特にここ数年、春になっても夜は静かな気がする、恋してるのか、猫。ともあれ、月を仰ぐ時、海を見る時、山頂からさらに遙かな山々を見渡す時、太古の昔から変わらない風景なのだという感慨と共に、自らのヒトとしての本能を呼びさまされるような気がする。

作者も、そんな気持ちになったのだろうか。ざわざわと内なるものの波立つ春の夜。掲出句は、「ホトトギス雑詠選集 春の部」(1989・朝日新聞社)にあり、昭和十二年に掲載されたもの。昭和十二年といえば、河東碧梧桐が亡くなった年だな、ということを、以前どこかで観た、碧梧桐の猫の絵のくっきりした墨の色と共に思い出した。(今井肖子)

猫は昔も今も、数は変わらないのではないかと思う。しかし、今のほうが存在を強くしてならない。なぜならば、ちょっとしたスパーにいけば、猫の餌の缶詰が売っている。簡単に飼うことが出来るからと思う。ただし、ねずみを捕るような光景は見ることが出来ない。

昔の農家の作りでは、隙間だらけで猫は何処からでも出入り自由であって餌は、ご飯、おかかをかけただけの物だった。動物性タンパク質の補給でねずみを食べるしかなかった。

よくねずみを捕って、座敷でもてあそんだ最後に頭から食べる光景を見ることがあった。畳を汚して、母親に掃除をさせられたことがあった。だからねずみ退治に猫を飼うというイメージだった。今は、缶詰の餌で栄養よい。自然と餌を捕ることをしないで済んでしまい、本性を現さない。

猫を飼うには、猫の性格をよく知る事である。猫の性格は、完全に人間に馴れないのだ。一日のうちでも、喉をゴロゴロ鳴らし甘えるかと思うと、時に野生に戻る事がある。しかし床に泥足の跡を残して行くのには閉口してしまう。春になると発情する縁の下で唸りが聞えて来るころだ。

2009年3月13日 (金)

取材合戦の激しさを実感

Katidoki241今日で一週間、我が家の前で、マスコミの取材人が10数人待機しているのである。

いま政界を大きく揺るがしている、西松建設の政治家献金疑惑に関する二階俊博経済産業大臣に係わる。公設第一秘書の自宅があるからである。838万円のパーテイ券購入の不正疑惑が取り立たされているから、その真意を確認する為である。

お目当ての、秘書は、行方をくらまして、何処にいるか定かでない、帰宅が何時になるか解からないがその帰宅を待って、事情聴取をしたいとのことのようだ。

暖冬とはいえ、朝晩はまだ寒い。24時間体制の取材合戦は大変である。ある記者に聞いてみた、寒くて大変であるが、1社でも残っていたら私も残るのだと・・・。玄関先に寝袋持参で陣とっている。先を越されたら上司に何と言われるか・・・。

新聞や、テレビ、雑誌などをただ何となく見ているが、こういう取材努力があって始めて番組が見られる事だと言うことに気がつかされた

関連記事で産経新聞web(12日)では、二階俊博経済産業相の後援会「二階俊博新風会」が開催を予定していた政治資金パーティーの入場券約100枚が、和歌山県庁の幹部職員に無料で配布されていたことが12日、分かった。西松建設による巨額献金事件をめぐり二階氏の動向に注目が集まる中、後援会側がパーティーの中止を決めたため入場券は回収されたが、県選挙管理委員会は「公職選挙法の寄付の禁止規定に抵触する恐れがある」との見解を示している。県監察査察室もこの情報を把握しており、関係者から事情を聴く方針。

このパーティーは、今月20日に和歌山市内のホテルで予定されていた「平成21年新春有志の集い」。会費は1人1万円だった。県幹部によると、このパーティー券は2月ごろに新風会関係者から渡され、「現職大臣のパーティーでもあり、勉強のために出席してはどうか。強制はしない」などと伝えられたという。

その後、パーティー券約100枚は県庁内で各部署の幹部らに配られた。ところが、西松建設の献金事件で、小沢一郎民主党代表の公設秘書が逮捕された後、二階氏の名前が取りざたされる事態になったこともあり、新風会側が中止を決定、今月11日に回収されたという。

パーティーでは飲食の提供も予定されており、衆院選当選に向けた発言や呼びかけなどがあった場合は、公選法の寄付だけでなく、供応接待の禁止に触れる可能性もあった。

産経新聞の取材に対し、複数の県幹部がパーティー券の配布と回収の事実について認めた。出席を予定していたという県幹部は「中央の最新情報を得るために県職員が出席することは有益と考えた」。また別の職員は「国会議員のパーティーには過去にも出席したことがあるが、動員の意味合いが強いと思う。なかば慣習化していたのではないか。ただ最近は周囲の目が厳しく、出席したとしてもだれも
飲食には手をつけないだろう」と話した。

二階氏は和歌山3区選出の衆院議員で現在8期目。巨額献金事件をめぐっては、西松建設のダミーの政治団体が二階氏側に平成16~18年の3年間に838万円分のパーティー券代を計上していたことが判明している。

いずれにしても、政界を大きく揺さぶり、事の次第では麻生政権も危うい場面も想定されるので、双方必死である。取材合戦の激しさを実感する毎日である。

風光る

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今日の名言

総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るゝぞ。

西郷隆盛『西郷南洲遺訓』

07yamazakura_kitakami11 蝶帰り来ず運河を越ゆる太きパイプ 久保田月鈴子

月鈴子は鈴虫のこと。げつれいしと読む。旧制静岡高校で中曽根康弘と同窓。東大卒業後、国策による合併企業帝国石油に勤務。企業幹部とならず労組の中央副委員長や新産別の副執行委員長として一貫して労働者の側に立った。

俳句は「寒雷」創刊以来加藤楸邨に師事。森澄雄、平井照敏のあと編集長を務める。平成四年、享年七六の月鈴子さんの葬儀に、僕は車に楸邨を乗せ参列した。楸邨はすでに支えなければ歩めぬほどに弱っていたが、遺影の前に立って弔辞を述べた。

弔辞の中で楸邨は、氏の組合活動への情熱をまず回顧して称えた。帰って来ない蝶は底辺労働者の誰彼。彼らの闘争の歴史の上に太いパイプが築かれる。

自分と同時代の人間と社会の関わりを詠んだ俳人は多いが、「社会性」を単なる「流行」として齧り、たちまち俳句的情緒へと「老成」していった「賢い」俳人もまた多い。月鈴子さんは本物だった。『月鈴児』(1977)所収。(今井 聖)

白鳳仏にいくさ経て逢ふ風光る 久保田月鈴子

これも久保田月鈴子の句ではあるが、うららかな春の日、風が吹き渡ると風景の明るさがまるで風が光る感じがする。その感じを『風光る』と作者は表現している。今年の桜の二回目の開花宣言が気象庁で発表された。

それによると、東京は二十四日だ。3月のこれまでの気温が平年より高く推移し、今後も高い見込みで、予想開花日は前回(4日)発表と同じか1日早まった地点がほとんど。観測47地点の9割以上に当たる43地点で平年より早く開花すると予想している。最も早いのは熊本の3月16日である。

私は、『暑さ寒さも彼岸まで』の昔からのことわざを思い出し、直ぐ前の片倉城址公園の桜の木を眺めて『風光る』さまを感じた。桜の花が好きだった、義母の眠る墓地は桜の木があり、花びらが降りそそぐ場所にある。義母の一周忌が終わって思い出した。

2009年3月12日 (木)

口にするのもおぞましい事件

Ota21今から22年前の衝撃的事件は、世間を震撼した。口に自殺防止用テープを張られ捜査員に両腕を抱えられタラップを下りる衝撃映像がテレビで再生された。「大韓航空機爆破事件は北朝鮮のテロ。私は偽物ではない」。田口八重子さんの家族との面会後、金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚が記者会見でそう語りながら見せた表情は、ほんろうされ続けた人生を歩んだ迫力に満ちていた。そしてやり場のない表情は、悲しいほど力があった。

著書などによると、金元死刑囚は少女時代は子役の俳優。父は外交官で、大学で日本語を学び、その容姿と語学能力で工作員に選抜された。87年の爆破事件では爆弾を置いて降機後のバーレーンで身柄を拘束、韓国に移送された。91年にベストセラーとなった著書で「犠牲となった人たちに何かをやらなければならないという荷物を死ぬまで背負っていく」としつつ「私は罪人である前に、単純に、一人の20代の女性でありたい」と、揺れる女心を記した。

その言葉通り、97年に自身の身辺警護の男性と結婚して公の場から次第に姿を消し、1男1女を育てた。だが、盧武鉉(ノムヒョン)前政権下で「爆破事件は韓国主導」との陰謀説が再燃。ソウルから地方へ自宅を移し、隠れ住まざるを得なくなった。

李明博(イミョンバク)保守政権の発足もあり、12年ぶりに公の場に姿を見せた金元死刑囚は、以前よりほおがこけ、穏やかな口調ながら厳しい表情もみせた。記者会見こそ韓国語だったが、飯塚耕一郎さん(32)らとは、田口さん仕込みの日本語で通した。

韓国のジャーナリスト、趙甲済(チョガプチェ)氏は「前政権時代に自分が圧迫を受けたことへの怒りが、彼女の背中を押した」と推し量ったという。

息をのむ思いの対面だったに違いない。それは涙で始まった。

「抱いてもいいですか」。金元死刑囚(47)は日本語でそう話しかけ、田口八重子さんの長男、耕一郎さん(32)を抱き寄せた。

金元死刑囚は「田口さんは生きている。希望を持って」と励ましたが、自ら犯行に加わった87年の大韓航空機爆破事件の後は、韓国で暮らしている。田口さんがその後どうなったのか、事情は知らないに違いない。

飛行中に爆破され、ビルマ沖に消えた大韓機には115人が乗っていた。その犠牲者の家族と金元工作員との本格的な面談はいまだできず、家族らの思いは満たされぬままだ。

そして金元死刑囚本人も、悲劇に巻き込まれたひとりでもある。恵まれた家庭の出身だが、学生時代に工作員にさせられた。事件で死刑が確定後、特赦を受けて韓国内にひっそりと暮らしている。両親と妹弟の消息は分からない。

拉致も爆破テロも、朝鮮半島の南北分断と、激しい対立のなかで起きた。北朝鮮という特異な独裁国家が手を染めた、犯罪のむごさを思う。

北朝鮮に融和姿勢をとった韓国の前政権のころは、金元工作員の存在を目立たせたくなかったのだろう、今度のような面談はできなかった。それが実現したのは、今の李明博政権が北朝鮮政策を見直したためだ。

韓国も多くの拉致被害者を抱える。これを機に拉致問題は、日韓の連携をさら強め解決していくことを祈るばかりである。

彼女が両脇を抱えられて、飛行機のタラップを降りてきた映像と、耕一郎さんと抱き合った涙の映像は、22年経った今想像も出来ない重いものが感じられた。

雲雀の思い出

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今日の名言

今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。
マルクス、エンゲルス『共産党宣言』

07akitakoma青空の暗きところが雲雀の血 高野ムツオ

高野公彦の短歌に「ふかぶかとあげひばり容れ淡青(たんじやう)の空は暗きまで光の器」という一首がある。「雲雀」「青空」「暗い」というキーワードとまばゆいばかりの明るさと暗さが交錯する構成は共通しているが、表現されている世界は違う。

高野公彦の短歌は一羽の雲雀から空全体へ視界が広がってゆくのに対しムツオの俳句は空から雲雀の血へと焦点が絞り込まれてゆく。公彦の世界では暗いのは光の器になるまで輝いている青空全体であり、淡青の空の裏側に暗黒の宇宙を透視している。

それに対して掲句の場合暗いのは「雲雀の血」であり、空に舞う雲雀が一点の染みとして捉えられている。地上の巣を見守るため空に揚がり続ける雲雀の習性に宿命を感じているのだろうか。

青空の雲雀は俳句ではのどかな情景として描かれることが多いが、この句ではそうした雲雀を見る眼差しが自分を見つめる内省的な目と重なってゆくようである。『現代俳句一〇〇人二〇句』(2001)所載。(三宅やよい)

夏目漱石の「草枕」のなかに雲雀に対する描写がある。 

雲雀の声がし出した。谷を見下ろしたが、どこで鳴いているか影も形も見えぬ 。只声だけが明らかに聞こえる。せっせと忙しく絶えまなく鳴いて居る。~略~空気が一面 に蚤に刺されて居たたまれない様な気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を 鳴き尽くし、鳴きあかし、 又鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。 

雲雀といえば、空が茶色になってしまう日が春先にある。麦畑の土ぼこりがまい上がる。そんな麦畑の中から、突然ひばりが鳴きながら殆ど垂直に登り始める。確かではないが高さ50~60メートルぐらいまで上がっているのだろう。そして暫くすると急降下し麦のかぶらに作った巣に入るのである。

むかし、親父がその雲雀の巣にいる雛を捕まえ黒焼きして、胃腸(下痢)の薬として飲まされた。何だか効いたような気がしたが、今で思うとちっと残酷な気がする。

郭公なくや雲雀と十文字 向井去来   こんな句を思い出した。

カッコウ科の鳥。全長28センチくらい。全体に灰色で、胸から腹に横斑がある。アジア東部で繁殖し、冬は東南アジアに渡る。日本には初夏に渡来。キョキョキョと鋭く鳴く。

この句は、中学生ころの国語の教科書にあった?と思う。広い麦畑の畦道を歩いていると、突然飛び立つ雲雀がいた近くの雑木林で「キョキョ」と鳴いている光景に出食わしたことがある。でも郭公の姿はかくにんできなかった。

2009年3月11日 (水)

暖冬とはいえ

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今日の名言

貧しくても、生活を愛したまえ。

ソロー『森の生活』(下)

08tyokai_zenzinnuma11 春の雪誰かに電話したくなり 桂 米朝

地球温暖化のせいで、雪国だというのに雪が少なくてスキー場が困ったりしている。春を思わせる暖かい日があるかと思えば、一晩に一挙に30センチ以上も降ったりすることが、近年珍しくない。私の記憶では、東京では冬よりもむしろ三月に雪が降ることが少なくなかった。

季節はずれに雪が降ったりすると、なぜかしら親しい友人につい電話して、雪のことにとどまらず、あれこれの近況を語り合ったりしたくなる。電話口で身を縮めながらも、「今ごろになってよう降るやないか。昼席がハネたら雪見酒としゃれようか」とでも話しているのかもしれない。

もっとも雪国でないかぎり、昼席がハネる頃には雪はすっかりあがっているかもしれない。雪は口実、お目当ては酒。春の雪は悪くはない。顔をしかめる人は少ないだろう。むしろ人恋しい気持ちにさせ、ご機嫌を伺いたいような気持ちにさせてくれるところがある。

米朝は八十八の俳号で、東京やなぎ句会の一員。言うまでもなく、上方落語の第一人者で人間国宝。息子の小米朝が、昨年10月に五代目桂米団治を襲名した。四代目は米朝の師匠だった。

米朝が俳句に興味をもったのは小学生の時からで、のち蕪村や一茶を読みふけり、「ホトトギス」や「俳句研究」を読んだという勉強家。「咳一つしても明治の人であり」「少しづつ場所移りゆく猫の恋などがある。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)

昔のことを、両親や祖父・祖母に聞いても信じられないことがある。地球温暖化は長らく同じ場所に住んでいると感じるのである。例えば50㌢も雪が降った。川に氷が張って乗って遊んだ。と言っても今の子供たちには信じられないが、体験して始めて分かる。

しかし、いくら温暖化と言っても、今の時期夜はまだ寒い。4・5日前から、家の前に記者たちが取材で張り込んでいるのである。いくら仕事とは言えかなりきつそうである。

具体的には、今民主党の小沢代表の秘書が、西松建設からの献金問題で逮捕されているが、その事件に関連して、自民党の二階俊博経済産業相にも不正の疑いがかかってきたようだ。その張本人の公設第一秘書が私の家の前に住んでいるいるからである。

そして、秘書の所在が、一週間前から不明であり、事情聴取するた、帰宅を前提に寒風に負けず待ち続けているからである。その数10人を超える、本当にご苦労さんのことである。

2009年3月10日 (火)

東京大空襲

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今日の名言

たとい政治家が時と場所とをわきまえずに施政したために、いく千万の人間が禍(わざわ)いをこうむったとしても、その跡を吟味した学者は、きっとこう言うでしょう。あれは、ああならざるを得ぬ理由があって、ああなったのだ、と。
中江兆民『三酔人経綸問答』

07tamurano_yuhi31駅の灯の遠く三月十日かな 中田尚子

電灯に照らされるプラットホームに立ち、ホームに入る電車に乗り込むという行為はごく日常にありながら、駅の灯を思うときには、なぜかいつもはるかかなたに存在するように思う。悪夢には、追いかけられるものと、追いかけても決して近づけないものがあるのだそうだが、遠い灯は後者の代表的なものだろう。

昭和20年3月10日、東京大空襲。作者は昭和30年代の生まれであるから、実際の戦争体験はない。がしかし、戦争の記憶は、語り継がれることで後世の身に刻まれていく。悪夢を例にあげるまでもないが、掲句の「遠く」は単に距離や過ぎた年月だけをいうものではないだろう。

か細くまたたく駅の灯は、さまざまな人々の戦争のおそろしい体験が、時代を超えてそれぞれの胸に灯される。東京大空襲では、10万人を超える人々をこの世からぬぐい去った。この日、堅川に暮らしていた父は、両親と姉二人を亡くした。会うことの叶わなかったわたしの家族。うららかな日和であればあるほど、遠い日が切なく、恨めしい。「百鳥俳句選集第2集」(2008)所載。(土肥あき子)

東京大空襲の、東の空が赤々と夜空を焦がしていたのが、今でも記憶に残っている。三月十日は今日である。

大きな中華鍋に油を注いで、人間野菜を炒めてしまったような光景で遇ったろうと想像できる。醤油爆弾は不発弾を見たことがある。一辺が3センチの六角形で長さが40センチぐらの鉛筆のようであった。B-29の爆撃機からなん万の数で落とされ破裂して何十万人の人間を死傷させた。今更ながら、戦争の悲惨さは忘れあることはない。

ところで、私は突然体調を崩してしまった。お腹に銃撃を受け背中に抜けるたような胃が痛くなた。早速、胃腸科専門の病院に行き診察を受けた。胃カメラの検診予約をし、しっかり見てもらうのだが三十日である。医師は胃酸過多と診断したが?

そして、研修旅行、法事などが重なり、ブログ執筆を中止せざるを得なかた。心配したが今は痛みはなくなった。広場の草取りでのボランテアで汗をかき、下着を取り替えないで、身体を冷やしてしまったのが原因のようだ。気をつけないと! 年寄りの冷や水?

2009年3月 8日 (日)

金権政治とは?

08take_yuki21民主党代表の小沢一郎氏が、西松建設がらみで公設秘書の大久保容疑者の逮捕で政界が、一気に雲行きが怪しくなってきた。

今国民の誰もが感じている不況のは、政治が解決しなければどうする事も出来ない。日本の政治は異様な光景である。景気回復が最優先であるのは言うまでもないが選挙して国民の真意を問うことが必要だ。

定額給付金をばら撒きをして選挙目当てと非難されていた案件も、実施されることとなり、与党の自民・公明党の思う壺と思っている姑息な考えなど、政治の貧困である。

そんな思いのする今日この頃であるが今朝はジャーナリスト田原総一郎氏のコラムで「金権政治は悪なのか?」のwebが目に入った。「なるほどそういう見方もあるんだ!」考えさせられた。

なぜ、日本にはバラク・オバマがいないのか。

その理由は、よく言われているように、政治家が家業になってしまったからだろう。お寺の息子が和尚になるように、政治家の息子が政治家になる。政治家の子どもは「日本をこうしたい!」と思って議員になるわけではなく、家業を継ぐように政治家になる。

昔の自民党はしたたかで、世襲政治家を首相にすることはあまりなかった。最初の世襲政治家の首相は、1954年に就任した鳩山一郎だった。以後、91年の宮沢喜一まで世襲で首相になった人物はいなかった。世襲はダメだということが自民党の議員はわかっていたのだ。世襲政治家は修羅場をくぐっていない。宮沢さんも頭はよかったが、パワー不足で頼りなかった。

宮沢さんの次に世襲で首相になったのは96年の橋本龍太郎だった。以後、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と7代連続して世襲政治家である。

世襲政治家がこうも増えてしまった理由は、親の選挙地盤があるため、金銭面で無理をしなくていいからだ。たたき上げの議員は、政治家として生きるには無理をしなければならないので、金がどうしても必要になってしまう。

その代表格が田中角栄だった。だが、彼のすごいところは、田中角栄が首相になるまで、日本には旧帝大出身の高級官僚しか首相になれなかった。いわば、日本は階級制度だったのだ。これを小学校しか出ていない田中角栄がぶち破った。裏を返せば、田中角栄が首相になるためには、金権しかなかったとも言える。だから彼は、佐藤栄作にも池田勇人にも多額の寄付をしたのだ。

誤解を怖れずに言えば、私は、日本が階級制になるくらいなら、金権政治のほうがまだましだとさえ思っている。

アメリカの大統領選挙では、自分が集めたカネの額を公表している。しかも、その多くは個人献金である。ところが、日本では個人献金が少ないので、政治家は企業からカネをもらうしかない。しかし、企業の社長にとって、献金したにもかかわらず会社に何も得るものがなかったら背任行為である。一方、献金によって得るものがあれば贈賄になってしまう。日本で政治献金をする人は、賄賂と背任の狭間で活動をしている。

献金を集めることが難しいがために、カネの心配の少ない世襲政治家がどんどん増えてきた。そのためなのか、世襲政治家の多くが汚職とは無縁だが、大きな目標はない。

昔の自民党がよかったなどと言うつもりはない。しかし、歴代の首相には、池田勇人の「所得倍増」、佐藤栄作の「沖縄返還」、田中角栄の「列島改造」など、「日本をこうするんだ!」というビジョンがあった。

世襲政治家はそのような目標がなくても首相になれてしまう。これが日本の政治をどんどんダメにしている。

2009年3月 7日 (土)

山仕事で思う

今日の名言

「ああ! 過ぎ去ったことを悔むのはやめましょう。」と、彼女は小声で言った。「もう頁(ページ)はめくられてしまったのですもの。」
ジイド『狭き門』

08omitake_buna_aki11切株があり愚直の斧があり 佐藤鬼房

みちのくの土着の想念を背負って屹立する俳人である。「愚直」は愚かなほどまっすぐなこと。愚直が自己投影だとすると「愚」は自己否定だけれど、「直」は肯定。「愚直な私」と書いたら、半分は自分を褒めていることになる。

作品で自己肯定をみせられるほど嫌味なことはない。自己否定するのなら、「愚かでずるい私」くらいは踏み込んで言ってもらいたい。だからこの句の愚直を僕は自己投影とはとらない。これは斧のことであり他者のことである。

斧が深くまっすぐに切株に刺さっている風景に託して、ただ黙々と木を伐り、田を耕すしかない他者について言っている。こういう「愚直」を作者は認め自らもそうありたいと願っているのである。『名もなき日夜』(1951)所収。(今井 聖)

この句で、昔の親父を思い出した。二月から三月にかけて野良仕事と言えば山仕事である。下刈り、くずはき、山きり作業、今から思えば、下刈りは牛の餌、屑は敷き藁代わり、山きりは燃料と、自然の恵みを無駄なく使って環境に優しく上手に使っていたと思う。

日本の国土の70%が森林だという、いま問題になっている間伐がされていない山が多いことであるが人手不足、人件費の問題で放置され大きな問題となっている。

先だって、先の長野県知事の田中康夫参議員の予算質問で、持論である環境問題・農業問題・食料受給率の問題で、与党政府との議論をテレビで観た。山の従事者を増やし環境に力を入れないといけないと訴えていた。斉藤環境大臣・石破 農政大臣と質問のやりとりを聞いて、なる程と思った。

2009年3月 5日 (木)

人間の一生

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今日の名言

ふつうの人が懐疑家だとか無信仰者だとか自称する時はたいていの場合何事でも最後まで考え抜く気持ちのないことをおおい隠すただのポーズである。
T・S・エリオット『文芸批評論』

07rose_ame21おっぱいの匂いがするよ春の椅子 朝倉晴美

育児のやり方も年を追って変わってゆく。やれうつぶせ寝がいい、泣いてすぐに抱くのはダメ。おんぶより前抱きがいいだの、育児書はやかましい。粉ミルクだと腹持ちがいいせいか調子がよければ朝まで寝てくれるが、母乳だと飲み足りないのか何度も泣き声に起こされた記憶がある。

寝たまま授乳をすると寝込んだときに赤ちゃんを押しつぶしてしまうので、必ず起きて授乳するようにと、本にも書いてあったので赤ちゃんを抱えて半分眠りながら台所の椅子に座った。生暖かいおっぱいの匂いが自分のものか赤子のものかわからなくなるほど朝も夜も授乳に明け暮れる日々がどのくらい続いたことか。

よちよち歩きの子供を見るたびに、あんなに大きく育って羨ましいとため息をついたものだ。そんな日々もたちまち過去のものとなり、掲句を見てすっかり忘れていた日々を思い出した。おっぱいの甘酸っぱい匂いに包まれる椅子には春の光が似つかわしい。一人で座る腕にもう赤ん坊はいないけれど、遠く過ぎ去った日々を椅子はいつまでも記憶している。『宇宙の旅』(2008)所収。(三宅やよい)

あぁ、人間も哺乳動物なんだ。脊椎動物で猿のように尻尾があったが、進化してなくなってしまって現代人にはないが、人間が原始人の前の毛むじゃらの類人猿の時からの遠い昔の痕跡は感じられる。

生まれたての子供の時の握力は意外と強い。母親の乳房にしがみ付いたり、母乳に吸い付く力は逞しいほどだ。生命力と言うのか、本能と言うのか、今さながら驚かされるものだ。

人間の生命力とは、先祖から引きついたDNAで、人間は120年ぐらいの生命維持が出来るというが、殆ど80歳代で閉じてしまう。

そんなことを考えてみると、人生観・人間観などの哲学的な思いが最近特に頭を駆け巡ることがある。その理由は、体調を崩してしまって落ち込んでしまったせいだ。そのため3日間ブログを休んでしまった。「生老病死」は必然である。

2009年3月 2日 (月)

藁仕事

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今日の名言

人生は短く、金ってやつは少ない。
ブレヒト『三文オペラ』
Dsc_7019s11 花冷の水が繩綯ふ川の中 眞鍋呉夫

東京辺りでは、今年の桜の開花は早いそうだ。とはいえまだ少し先だけれど、早咲きを願ってこの句を紹介する。季語は「花冷(え)」で、桜は咲いたのに、どうかすると冷え込むことがあるが、そのころの季感を言う。桜の樹は川べりに植えられることも多いので、このときの作者はちょっと川端で花見でもと洒落込んだのだろうか。しかし、あいにくの冷え込みだ。

襟を掻き合わせるようにして、どこまでも白くぼおっとつづく桜並木を見ているうちに、自然に川の水に目が移った。桜の花はいわば幻想的な景観だが、川の水はいつ見ても現実そのものだから、桜を眺めていたまなざしが、ふと我に返ったのである。むろん大気の冷えが、そうさせたのだ。

こういうときの現実は強い。普段なら気にもしない水の流れに、作者の目はおのずから吸い寄せられていった。思わずも凝視しているうちに、どうした加減か、川のある箇所の水が捩れながら流れている。その様子がまるで縄を綯(な)っているように見えたというのである。

縄を綯ったことのある人ならば、あのいつ果てるとも知れない単調な作業を思い出して、句景はすぐに了解できるだろう。作者はいつしか桜のことを忘れてしまい、しばし川水の力強い縄綯いの「現実」に見入ってしまうのであった。『月魄』(2009)所載。(清水哲男)

縄をなうと言うと、私は子供ころ、縄ないの下こしらえをさせらた。どう言う事かというと、藁に水をくれて槌で叩き柔軟性を持たせるのである。小学生の4年生の小さい手では槌は片手ではもてない両手で精一杯叩くのであるが、なかなかの重労働である。

母親が縄を綯い、筵織りをするのである。ちょうど春先の今頃である。あかぎれの指が痛々しい。それでも農家の唯一の現金収入である。藁屑だらけの前掛けとほこりをかぶった手ぬぐいで、頭にかぶって働く姿が今も目から離れない。

藁仕事は、他に草履、足中(草履の半分の長さのもの)、わらじ、蓑、などがあるがある。今では作る人もいない。

2009年3月 1日 (日)

人間に寄り添って生きているカラス

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今日の名言

人はパンのみにて生くものにあらず、されどまたパンなくして人は生くものにあらず。
河上肇『貧乏物語』

Shibutoge61鳥の巣より高き人の巣留守勝ちに 金子兜太

季語は「鳥の巣」、春です。命が産み出される場所が、そのまま季節に結びついているようです。作者は、散歩で通りすがった雑木林の中から、春の空を見上げてでもいるのでしょうか。数メートル先の空には、小さな鳥の巣が見えています。

そしてその先に視線を伸ばせば、遠くには高層マンションが見えています。鳥の巣と、高層マンション。大きさも堅さも中に住むものも、全く違っているものを、同じものとして見据えたところに、この句のすぐれた視点があります。

「人の巣」という言い方は、一見、それほど際立った表現とは思えません。それでも、こうして句の中に置かれてみると、思った以上に新鮮で、目を見開かせるものを持っています。どうしたらこんなふうに、効果的な言い回しが出来るのだろう。あるいは人とは違う見方というものは、どこまでが表現の中で許されてあるのだろう。

そんなことをこの句は、考えさせてくれます。句は最後に、人の巣が「留守勝ち」であると、言っています。あんなに高いところに、人のいない空間がぽつんと置き去りにされている。確かに、鳥の巣よりもずっと深い寂しさが、こちらに押し寄せてきます。「俳句」(2009年2月号)所載。(松下育男)

鳥の巣と言えば、最近のニュースで、カラスが電柱に作った巣が原因で、22日午後2時半ごろ、広島市中区舟入南の最大2258戸が停電となった。約1時間20分後に完全復旧。中国電力は、ハンガーなどで作ったカラスの巣と高圧ケーブル線が接触し、ショートしたためとみている。

針金や木片などで作った巣は直径約30センチ。地上から11メートルの所に設置した3本のケーブル線をつなぐポイントの上に巣を作っていた。カラスの巣による停電は年間、数件はあるという。春には営巣が活発化するため、巡視や撤去をさらに強化するという。

捨ててしまったり、ベランダに片付けを忘れたりしたハンガーを巣作りに使うように学習したカラスである。また、人間のゴミ出しがきちんと出来ずカラスの餌が町に溢れている。里やまが開発されてしまった。こう言ったことの原因で被害がでる。これは人間にも責任がある。

有名な、童謡『「夕焼け小焼け」の故郷』三月八日に行き、町会の研修会に参加する予定である。地元(八王子の恩方)

作詞:中村雨紅 作曲:草川 信

夕焼小焼で 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
お手々つないで 皆かえろ
烏と一緒に 帰りましょう

子供が帰った 後からは
円い大きな お月さま
小鳥が夢を 見る頃は
空にはきらきら 金の星

こんな歌を歌っていたころは遠い昔になってしまった。「人間と寄り添って生きている鳥」である。思いを新たにした。

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