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2008年12月 7日 (日)

片倉城址の歴史を探る

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片倉城の歴史                      

Mouri1_3                                             毛利氏の家紋は、一文字に三星

                                                                                                                                                                                        

毛利氏の家紋は、「一文字に三つ星」として知られている。毛利元就が用いた軍旗に「摩利支天の旗」があるが、それには「八幡大菩薩」「九万八千軍神二千八百四天童子」「摩利支尊天王」の文字が三行に書かれ、その下に「一文字に三つ星」の紋が据えられている。
そもそも「一文字に三つ星」の紋は大江氏の家紋であり、毛利氏も大江広元の子季光から出たもので、「一文字に三つ星」を用いたのである。

一文字三つ星紋の由来は、大江氏の遠祖阿保親王が「一品」に叙されたことから、「一品」の字を「一文字三つ星」に表体化して大江一族の紋にしたと伝えられている。とはいうが、大江氏は、菅原氏と同じく土師氏の後裔であることは、『日本書記』『六国史』『新撰姓氏禄』などによって知られており、阿保親王のことは後世の仮冒といえものであろう。

大江氏からは毛利氏のほかにも長井氏、那波氏、寒河江氏、越後の毛利氏など多くの一族が分かれたが、いずれも「一文字に三つ星」を家紋に用いいる。『羽継原合戦記』には、「永井と那波は 三つ星に一文字にて 昔の因幡守広元か末葉毛利の一家にて 一品と云字の表体也。」とあり、『見聞諸家紋』にも、大江氏の一族である長井・毛利・竹藤・萩氏の家紋として「一文字三つ星」が記されている。

片倉城は、八王子市片倉町にある中世城郭で、大江姓長井氏が築城したといわれている。「伝え云。応永の頃、大江備中の守師親在城せりと。此城古は東南北の三面は沼にして西には高き平地あり。その所に侍の屋敷町などありしと云。今見る所は西より片倉村の真ん中にさし出て、五六丈山なり。

大手口は西の方山上にて、広さ南北百間あまり。狭き所五六十間、僅かなる芝原なり。東の山上に住吉の神社の社あり、この所に櫓(やぐら)あとと云伝ふる所あり。この山の北の際を小川流る。これを湯殿川と呼ぶ。又南に小川あり、宇津貫川と云。この二流の川、城山の東の方4丁ほどすぎて落ち合へり。

小名川窪の東こざす場と云う所あり、南北より山足張いて狭窄の地にて、昔水流をつきとめし所なりと云。かヽりければ城下は尤池沼とも成しなるべし」。

この地域は横山氏の所領で、「横山荘」(船木田荘)と呼ばれた。建暦三年(1213)和田義盛の乱にくみして横山氏が滅亡したあと、大江広元の所領となった。その後、大江広元から出羽の国長井荘の地頭職を譲られた次男大江時広が長井姓を名乗り、横山荘を領有することになったという。この間の細かい経緯については詳らかでないが、康応二年(1390)、荘内山田に公園寺を開基したのは、長井道弘である。道弘は法名で、彼の本名ついても諸説があって、いまのところ明らかではない。

『新編武蔵風土記稿』は、大江氏の居館が公園寺の大門先にあったとする。それは、この辺り馬立場というところがあり、馬立の跡だといわれるからだという。一方、『武蔵名勝図会』は、大江氏が片倉に居城の頃、時々公園寺に参詣し、大江師親は毛利氏の租であり、片倉在城は不審という、当を得た見解を記す。

いずれにしろ、片倉城が長井氏によって築かれたとする点は、異論はなさそうである。この城跡を実測調査した加藤晋平は、その占地方法や縄張りきわめて類似する調布市深大寺城と、近い時期に構築されたものとしている。ふたつの城は文明年間(1469~87)、ともに扇谷上杉方の城であった。十六世紀初頭、扇谷方の長井氏は衰亡したとみられ、永正七年(1510)に上杉顕定が敗死した頃、片倉城も廃城したと考えられている。

その後、この地域は大石氏の支配下に入ったと思われるが、十六世紀中頃には北条氏支配下となる。具体的な記録はなにも残されていないが、北条氏照の滝山領における出城の一つとして機能していたと考えられるいる。そのため天正十八年(1590)豊臣勢の八王子城攻めの際には、この城も攻められただろう。山田の公園寺が焼討ちされたのは、このときであった。〈土井義夫氏〉

きょう八王子公園アドプト 【みなみ野つどいの森の会】主催で『片倉城址の歴史を探る』

講師 土井 義夫氏(郷土資料館学芸員)が、レクチャーをされた。(10時~11時)Katakurajoc21参加者約30名だった。

片倉城付近の概略図

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