宮が瀬ダムに思う
今日の名言 過ぎてかえらぬ不幸をくやむのは |
| シェイクスピア『オセロウ』 |
みちのくの蛍見し夜の深眠り 大木さつき
七月も終わりに近づき、蛍の季節には少し遅いかもしれないけれど。子供の頃に住んでいた官舎の前の小さな川は、今思えばそれほど清流であったとも思えないのだが、毎夏当然のように蛍が飛んでいた。
仕事帰りのほろ酔いの父が、橋の上で捕まえてきた蛍の、ほの白い光が指の隙間から洩れるのを、じっと見ていた記憶がある。ゆっくり点滅していたのであれは源氏蛍だったのか、この作者がみちのくの旅で出会った蛍は、星がまたたくように光る平家蛍かもしれない。昼間は青田風の渡る水田に、頃合いを見計らって蛍を見に。
蛍の闇につつまれて小一時間も過ごして宿に戻り、どっと疲れて眠ってしまう。蛍そのものを詠んでいるわけではないけれど、深眠り、という言葉の奥に、果てしなく明滅する蛍が見えて来て、読むものそれぞれの遠い夏を、夢のように思い出させる。
〈啄木のふるさと過ぎぬ花煙草〉という句もあり、このみちのくは岩手なのかとも。『一握の砂』に〈蛍狩り川にゆかむといふ我を山路にさそふ人にてありき〉という歌があるといい、これもまた、蛍にまつわる淡い思い出。『遙かな日々』(2007)所収。(今井肖子)
うだるような暑さに、涼を求めて車で宮が瀬ダムに出かけてみた。宮が瀬ダムは測量して工事をする前から、よく行っていて、中津渓谷の川があって、そのころも観光地であった。
今現在は、その中津渓谷の釣り場にいた、おばあさんはいない。当然おばあさんがいた家はダムの底になってしまった。
エメラルドグリーンのダムは周りの木々を写し、木陰になった湖面に鴨の浮かんでいた。宮が瀬ダムの虹の大橋は、自殺で有名のところ、今では鉄策に鉄条網を張り巡らし人が乗り越えることが出来ないようにしている。
箱根の芦ノ湖と同じ水量という大きな湖となったが、発電所などエレベーターで見学できる。人間がここまで開発してしまって、以前の自然の面影がなくなってしまった。ここまで開発しなくてもいいと思うが、人間の際限のない欲望は、何時か神の冒涜となって出るような気がしてならない。
そんな思いをしながら、伊勢原に、何時もの食事どころに行って食事をしたが、やはりここでも、時代の移り代りがしているのを感じた。ガソリンで漁業・世界的に穀物の値上げなどの影響で、スッカリメニューが変わって、以前のお得なランチメニューがない。
なんだか人間のエゴで、自然を変えて、寂しい思いをしなければならないなんて、とちょっと悲しい思いがした。
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