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2008年7月

2008年7月31日 (木)

老いを考える

08nairikusen_kayabuki11「生老病死」人は生まれ、老いて、病んで死んで行く、誰も同じで、不老なんてあったら世の中太陽が西から上がる。しかし、いま年をとり初老となって尚人生の迷いがあるようで、今自分の存在価値とか、この世にいることの意味など考えることがある。

最近、隣町の同級生の農家に野菜などを分けてもらいに良く出かける。その家の家族構成は、同級生の夫婦と86歳の腰の曲がった、お婆さんの3人暮らしである。牛4頭と、一町4反(約4200㎡)を耕作し、アパート(24個)2棟持ている。そのお婆さんが2ヶ月前に胃がん手術をして、元気がないが、野菜を売ってくれる。

そのお婆さんがしみじみ、言った。「何も欲しくない、死んでいくのに、お金も、着物も、美味しい食べ物も、何もいらない」、私はこの家に嫁いで来て、苦労ばかりの人生であった。でも昔の人は皆同じ苦労してきていまがあるんだ」・・・。そして、夫婦でいまの財産を築いてきた。もう財産も何もいらない。百姓なんてしたって、水も飲めない。近郊農家では朝から晩まで休みなく働いても、税金で、土地を維持して行くだけで精いっぱい。涙ながら話した。

本当に何の為に生きてきたのだろう?考えてしまった。 そこでちょっと、こんな事を。

光陰矢の如し”と言われるように、時はあっという間に過ぎ去ってしまう。誰もが、いつか必ず老いを迎えなければならない。何歳位から老いると考えるかは人によって千差万別であるが、どのように老いを迎えていくかは、大変重要なことであると思う。今日は、この「老い」ということについて、日ごろ思っていること記して見たい。

字が見えにくくなり、顔のしわや白髪が目立ち始める・・・色々な処に衰えを感じ始めるのが「初老期」である。早い人は40才位から感じ始まる。この時期は「思秋期」ともいわれている。「思春期」が、大人になる前の心や体が大きく変化する時期であり、それにどう対処し乗り越えて行けばよいか思い悩む時、誰もが通る苦しい戦いの時であるのと同じ様に、「思秋期」もまた人生の大きな転機、戦いの時なのである。

前に出来たことがだんだん出来なくなる、新しいことがなかなか覚えられない・・・そういう変化を受け止めがたく、不安やあせりが出てきてしまう。ここで、そういう自分をそのまま受け止められないと、何度も同じことを聞くのが躊躇され、初めからもうダメだと逃げて自分の世界を狭くしてしまう。むしろ今は新しいことを覚えるのに3倍の時間がかかるんだと認めれば、ちゃんとマスターしていける。(ある人が、記憶力は7歳の子供と70歳のお年寄りと同じという)

また、この時期は「ウツ状態」になりやすい時でもある。「ウツ」は喪失感からやってくる。今までの体力が失われ、また子供も親のもとから離れて行く。それは子供の自立という喜ばしいことの筈だが、子供が自分の所らから失われていくと感じてしまう。

この時期は、あらゆる意味でウツになる要素を兼ね備えた時であり、また私達が人生の新しい局面に向かう時なのでだから、誰でも不安になるのはむしろ当然である。こんなはずはないと否定するのではなく、そういう年代になったのだと正しく受け止めるなら、かえってそれほどひどく落ち込まなくてもすむと思う。

やがて更に年を重ね、「老年期」を迎える。がんばりがきかなくなり、否応なしに自分の体の衰弱を認めざるを得ない時が来る。そしてついには「老衰期」を迎え、この地上での生涯を終える。

ある牧師婦人が年をとり、やがてボケの症状も加わって言葉を失っていきました。そして最後に残ったのは、たった3つの言葉でした。それは、「まあステキ!」「ありがとう」「良かったですね」。最後には、どんな言葉が残るのだろうか。それぞれの時をふさわしく生き、美しく老いていきたいものだ。そのために必要なことは何であろうか。

『白髪は光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。』

正しく生きる時、美しく老いることが出来るのだ。では、正しく生きるとはどういうこは・・・。

正しく生きることは、年を重ねて、どんな状態であってもそのままに受け入れ、認めることが出来る心である。
ひがみやねたみは出てきません。かえって心から「ありがとう」と言うことが出来る。それは、自分が価値ある者として受け入れられていると知ることから来る心の想いである。

たとえ私達の肉体は衰えていくとしても、内側から日々新しくされる命に生きることができる。この命の中に心豊かに生き、美しい老いを迎えていきたいものだ。

絶対に「死を待つだけの日々とならないよう」に祈りたい。

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誰が世界を保護主義から守るのか

Sira61世界経済はここに来て、局面を迎えた。原油暴騰・穀物高騰・アメリカのサプライムローンなど、そしてアメリカ景気は影をさしてきた。一国支配いやG8の力は、いまやブリックス諸国無しには世界経済を語れない。そしてイスラム諸国の金余りと増え続ける人口で、アフリカ開発途上国、相当に世界経済は、見極めが難しい。

スイスのジュネーブで、開かれた、ドーハラウンドを年内妥結すべくで行われた、WTO(世界貿易機関)日本の位置づけは、そして先進国、日本の役割は果たされたのか、甘利経済産業大臣は、寝る暇もなく、橋渡し役に奔走したと言うが、交渉決裂となった原因はアメリカとブリックスの新興国達の、力学的構造の支点が違ってきたのだ。発展途上国と先進国の中間に位する。新興国にも言い分があり、調整役の日本は、何をしたのか、日本の保護防衛に心血注いで世界をリードするところまで、余裕がなかったのかもしれない。

日本では、福田康夫首相の内閣改造で自民党内外でも大騒ぎであり、甘利経済産業大臣・若林農林水産大臣の11日間の交渉結果報告を受けて、どうやら8/4頃発表になるらしい。

日経新聞の社説でも以下のないようである                                   保護主義という名の亡霊が息を吹き返そうとしている。世界貿易機関(WTO)の閣僚交渉が土壇場で決裂した。貿易自由化を進めるはずの多角的通商交渉(ドーハ・ラウンド)は当分、凍結が避けられない。世界経済の成長を支えてきた自由貿易体制が大きな危機を迎えた。

決裂の直接的な原因は、米国が農業問題で中国、インド両国と対立したためだ。それぞれ10億人以上の人口を擁する両国は、米国の農業にとり巨大な輸出市場となる。逆に中印は自国の農業を守りたい。先進国の代表である米国と、新興経済大国の対立は先鋭化する一方だった。

米欧などの先進国が国際ルールづくりを主導し、途上国が従う時代は終わった。今回のWTO交渉の挫折は、その世界秩序の力学が変化した冷徹な事実を語っている。

交渉では米国と欧州連合(EU)が譲歩案を示した。大筋合意への道筋が見えた局面もあった。だが途上国代表を自任する中印が合意案に反発。いわば「拒否権」を発動する形で交渉はあっけなく頓挫した。

中印だけでなく、ブラジルも主要な交渉国として常に議論の中心に座り続けた。指導力が薄れた先進国に代わって存在感を見せつけたのは、これらの新興経済大国である。グローバル化が進むほど、世界経済の秩序を統治する力は拡散する。国際ルールづくりは、今後ますます難しくなると覚悟しなければならない。

日本の働きはどうか。今年の主要国(G8)首脳会議の議長国である日本には、米欧や中印以上にWTO交渉に深く関与し、大筋合意に向けて貢献する責任があったはずだ。

実際には、農業分野の防戦に躍起になるだけで、交渉の流れにすらついていけなかった。本来ならアジアの仲間の中印と米国の間に立ち、進んで調整役を買って出るくらいの意欲を持つべきではないか。

海外市場と貿易で経済成長力を保つ日本が、途上国に「保護主義国」と呼ばれるようでは情けない。交渉決裂に胸をなで下ろした農業関係者や政界の農林族もいる。農産品の関税削減は先送りとなるが、安心している場合ではないはずだ。

高齢化と生産性の低迷に悩む日本の農業は存亡の危機に直面している。今こそ農業改革に果敢に取り組むべき時だ。耕作放棄地の対策や次世代の農業担い手の育成、企業の参入機会の拡大などを早急に進めなければならない。

日本農業の行く末を真剣に案ずるのであれば、進むべき道は市場閉鎖ではない。耕地規模を拡大する改革と、高率関税に頼らずに農家を支援する方策を考える必要がある。

米国で来年、オバマ大統領候補が率いる民主党政権が誕生すれば、同国の経済外交は、保護主義の色彩が一段と強まるだろう。オバマ氏は米国内の雇用保護を理由に、北米自由貿易協定(NAFTA)や米韓自由貿易協定(FTA)などの見直しを明確に主張しているからだ。

EU内でも、保護主義が台頭しつつある。サルコジ仏大統領は、域内農業が不利益を被るとして、合意を急ぐマンデルソン欧州委員を名指しで批判した。

WTO交渉が再開できても米欧の内部事情をみる限り、今まで以上に各国の意見の調和は難しくなる。米欧に次ぐ経済規模の日本などは傍観者であってはならず、果たすべき役割と責任は大きい。

多国間のWTO交渉の難しさに嫌気が差し、二国間のFTA戦略を加速する国も増えるだろう。だがFTAはWTOを補完する手段である。米欧や中国などの大国の主導で、特定の国々だけで貿易を自由化するFTAには、排他的な側面があることを忘れてはならない。

世界全体が自由貿易の恩恵を享受できる新たな枠組みは、約150カ国・地域が加盟するWTOでしか築けない。各国が保護主義に走り、FTA競争だけに猛進すれば、自由貿易体制の進化は望めない。

第二次大戦の終結後の世界経済の安定を目指すため、世界各国は1944年にブレトンウッズ体制を打ち立てた。同体制の下で戦後の世界経済の柱として設立したのが、国際通貨基金(IMF)と世界銀行、そしてWTOの前身である関税貿易一般協定(GATT)だ。

世界各国は60年代のケネディ・ラウンドや、70年代の東京ラウンド、80―90年代のウルグアイ・ラウンドまで、何度も自由化を目指して難交渉を重ね、保護主義の誘惑と闘ってきた。その努力の積み重ねの結果、実質国内総生産(GDP)でみた世界経済に占める貿易の比率は、06年には25%に達した。

今ここでドーハ・ラウンドを立ち消えにし、自由貿易体制を後退させてはならない。日本を含め各国は気を緩めず、早期再開に動くべきだ。

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小さい事の積かせね

07_sl_kurosawa21「大記録とは、小さい事の積重ね」昨日イチローがインタビューに答えていた。

常日頃から、一つ一つ積み重ねていけば結果が出るという事だ。大きな目標を立て努力すると言うことかも知れないが、イチローはそうは思っていないのではないかと思う。毎日々の小さい数字(努力)の積み重ねで通過点に過ぎないと言う。

それは、イチローたりとて人間で感情の起伏もあれば、体調の波もあるだろう、しかし日常の摂生した生活がある。精神力・体力などのモチベーションを最高の条件にする事で小さな数字がでる。

毎日の小さい数字を出す努力し続けることが大事だ。古い諺で「ローマは一日にしてならず」だ。そして、楽しんでする事だ、辛かったら続かない。

産経新聞社説でも、                                             米大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー外野手イチローが日米通算3000本安打(日本で1278安打)を達成した。日本球界出身者としては、張本勲氏の3085本に次ぐ史上2人目の記録だ。

同選手は1992年、ドラフト4位でオリックスに入団後、当時の仰木監督らに才能を見いだされて力をつけ、パ・リーグで7年連続首位打者に輝くなど日本を代表する選手に成長した。

2001年にメジャー移籍すると、いきなりMVP、首位打者、新人王に輝いた。04年にはシーズン最多記録の262安打で首位打者となり、今季は8年連続200安打に挑戦中だ。

変化球で打撃フォームを崩されてもボールをしっかりとらえることができるバットコントロールに加え、持ち前の俊足でヒットの山を築いてきた。

いとも簡単に見えるが、磨きあげられた巧みな技術と鍛え抜かれた身体能力があるからこそだ。努力する姿を見せることを嫌うタイプだけに、人知れずバットを振り込む。才能だけで通用するほど、勝負の世界は甘くないことを知り尽くしている。

常に「準備を怠るな」と自らに言い聞かせながら試合に臨む。対戦する投手の情報を細かく分析して、イメージトレーニングを重ね、打席に向かう前の屈伸運動で心身ともにリラックスする。準備さえできていれば何事にも対応できる。だからこそ、8年間の大リーグ生活で大きなケガもせず、最高のパフォーマンスをファンに見せ続けられた。

こうした努力する姿勢は、スポーツ界にとどまらず、人生を生き抜くなかで挫折感にとらわれやすいとされる日本の若者たちの鑑(かがみ)ともなるはずだ。

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これから暑さは本番

今日の名言

わたしたちは、いわば、二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。

ルソー『エミール』(中)

Hasu41ほらごらん猛暑日なんか作るから 中原幸子

それにしても暑い。おおせの通り、言葉が現実を作り出すのでしょうか。「夏日」「真夏日」に加えて「猛暑日」が作られたのが去年。そんな看板に合わせてどんどん気温がうなぎのぼりになっているのかもしれない。「酷暑」「極暑」なんて季語も、いかにも暑そうだけど「猛暑」となると一枚上手、暑さがうなり声をあげて息巻いていいそうである。

いまや30度の「真夏日」なんてまだ涼しい、と思ってしまう自分がこわい。冷房の効いたビルから一歩外へ踏み出せば、灼熱の日差し、アスファルトの照り返しに頭がかすんで息も詰まるばかり。そんなとき、この句がぐるぐる頭を回りだす。

「ほらごらん」とは、「猛暑日」を作ったお役人とともに作者も含め快適さを享受しながら暑さにおたおたする私達へも向けられているのだろう。今までの最高気温は去年熊谷で記録された40.9度ということだったけど、今年はどうなのだろう。みなさま熱中症にはくれぐれもお気をつけください。「船団」75号(200712/1発行)所載。(三宅やよい)

暑い、本当に暑い、暑いねえ、なんて挨拶する日が多い。それにしてもカンカン照りで、草むしりを毎日やっている。何んとか 中農を保とうとすると、毎日取らないと・・・。

「気をつけて!水は!帽子は!タオルは!」、女房に去年熱中症になった経験があるから出かけるたびに言われるのである。一日に3回下着取替えシャワーを浴びた事がある。2回は毎日である。

顔は、真っ赤凄く疲れた様子で帰って来ると、シャワーで生き返る、そしてまた出かける。

10日間も真夏日が続いたので、ホッとする日があるかなあ・・・と思ったら暑さはこれからで、太平洋の高気圧がどっしり居座って、天気予報はこれから夏本番という。気合を入れていこう。

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2008年7月30日 (水)

人生修行

03kisyoubu11_6 こんな事初めてであるが、【別な(BIGLOBE ウエブリング)http://335059.at.webry.info/のblogに書いたものをコピー貼り付けたものだが、多くの人に環境問題をアピールしたかったから行ったのである。】毎朝4時半に外に出て(日の出4時48分)ゴミ拾いをしている。不思議な事に毎日同じ道路などを行っているのだが、毎日レジ袋に一杯になる。
一体拾わなかったら、どうなるのかと思うと三日拾わないと三日分のタバコの吸殻がある。何故やっているかと言うと、理由の一つに自分が若いときに、タバコを吸って道路でも、駅のホームでも車で投げ捨て、何でもござれだったので、反省?いや、罰で行っている。棄てていた期間が13年ぐらいだから、13年拾うという事で自分の意思で行っているのである。これも人生修行でもう13年間拾い続けている。
しかし、ちょっと考えて見ると、もうそんなことは言っておられない。地球環境があらゆるところで叫ばれているが、実感する。もう待ったなしである。
そういう意味で、もう私一人で拾うのではなく、誰か一緒に拾ってくれる人が一人でも二人でも賛同してくれる人がでてくるまで拾い続けるのが修行だと思いたい。

そして、何より大事なのは、「私はゴミを拾ってます!」何んてアピールしないで影で、人目に付かないように行動をすることが修行だと思う。もう少し続けて実践していきたい。
そうすればきっと何かが見えてくると思う。その証拠に「怒らない」という事出来ている。何があっても怒らない、怒ったら負けだと言うことに気がついたのだ。これってとても大事な事だとおもうが・・・。人間的に丸みを・・・・持った。自覚できた。

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バラマキ復活?

07bonchi_asayake_kumo112009年度予算」で今日の毎日新聞の記事から、「バラマキ復活」の下地づくり…衆院選意識?

重要課題推進枠」の扱いなどを年末の予算編成に先送りした09年度予算案概算要求基準(シーリング)が29日、閣議了解された。懸案先送りは裏を返せば「バラマキ復活」の下地づくりであり、次期衆院選を強く意識したものだ。政府は同日、社会保険庁の後継の「日本年金機構」基本計画も閣議決定したが、これも「社保庁たたき」をアピールするイメージ戦略。与党の「選挙シフト」が鮮明となる一日だった。

「昨今の災害を見ても、ただ歳出を削減すればいいという話ではなく、公共事業の慎重な取り扱いが必要だ。予算編成で十分に対応していきたい」

自民党の二階俊博総務会長は29日の記者会見で、シーリングへの直接的な評価は避けつつもこう語った。

同党では6月の「骨太の方針」の議論以来、歳出増を求める声が噴出。原油高などにあえぐ国民に対して何らかの姿勢を見せなければ、本来は金城湯池だった農村部で大敗した昨年の参院選の二の舞いになるとの危機感が背景にある。シーリング決定過程でも「このままでは民主党に政権が転がり込む」など、バラマキ復活を求めるかのような意見が相次いだ。

シーリングを了承した28日の政府・与党政策懇談会では、自民党の伊吹文明幹事長が「バラマキはしないが、やるべきことはやる」と訴えると、福田康夫首相は「とにかく選挙に勝たなければならない」とあからさまに応じた。谷垣禎一政調会長も同日の講演で「これまで予算は削る、削るの一方だったが、積極的な政策を打ち出す」と語った。

年末に向け、党内の「バラマキ派」がモデルケースとしそうなのが、28日発表された漁業者に対する総事業費745億円の支援策。厳しい財政事情と他産業との兼ね合いから政府は当初、「直接補てん」には慎重だった。しかし、漁業者の不満を背景にした与党が押し切る形で、実質的な直接補てんをすることになった。

党内には財政規律の堅持を訴える意見はあるものの、衆院選への危機感からかき消されがちになっている。

日本年金機構基本計画も財政措置ではないが、ほぼ同様の構図。政府は当初、懲戒処分を受けた社保庁職員の一律不採用はためらったが、年金記録問題で大敗した参院選の「トラウマ」が根強い与党内で異論が噴出。「厳しい姿勢を見せなければ国民の理解を得られない」と、政府方針を覆すことになった。

どう見ても、ちょっとやり過ぎである。深刻な世界経済を見据えた日本の経済を考える事が大事で一部の人間の利益にだけを考えている自民党と言う感じでは日本の将来を任す事は出来ない。もっと子供・孫の時代を想定し、今やらなければいけない問題があるであろう。

財政再建などは、考えていないようでは、政権は取れない。

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蓮と睡蓮

今日の名言

慣習であるが故にこれをなすという人は、何らの選択をも行なわない。

J・S・ミル『自由論』

Aaoooogaha1酔ひふしのところはここか蓮の花 良 寛

蓮の花で夏。「ところ」を「宿(やどり)」とする記録もある。良寛は酒が大好きだったから、酒を詠んだ歌が多い。俳句にもほろ酔の足もと軽し春の風」「山は花酒や酒やの杉はやしなどと詠んだ。酒に酔って寝てしまった場所というのは、ここだったか・・・・。

傍らには蓮の花がみごとに咲き香っている。まるで浄土にいるような心地。「蓮の花」によって、この場合の「酔ひふし」がどこかしら救われて、心地良いものになっている。良寛は庵に親しい人を招いては酒を酌み、知人宅へ出かけては酒をよばれて、遠慮なくご機嫌になった。そんなときぶしつけによく揮毫を所望されて困惑した。

断固断わったこともたびたびあったという。子どもにせがまれると快く応じたという。基本的に相手が誰であっても、酒はワリカンで飲むのを好んだ、というエピソードが伝えられている。良寛の父・以南は俳人だったが、その句に酔臥(よひふし)の宿(やどり)はここぞ水芙蓉があり、掲出句はどうやら父の句を踏まえていたように思われる。

蓮の花の色あいの美しさ清々しさには格別な気品があり、まさに極楽浄土の象徴であると言ってもいい。上野不忍池に咲く蓮は葉も花もじつに大きくて、人の足を止めずにはおかない。きれいな月が出ていれば、用事を忘れてしゃがんでいつまでも見あげていることのあった良寛、「ここ」なる蓮の花に思わず足を止めて見入っていたのではあるまいか。今年は良寛生誕250年。『良寛全集』(1989)所収。(八木忠栄)

蓮といえば睡蓮と混同しがちであるが、葉の違いで覚えておくといい。睡蓮も蓮も葉は円形である。でもよく見ると違う。睡蓮は基本的に葉に切り込みが入るが、蓮には入らない。

蓮と睡蓮は両方とも抽水(ちゅうすい)植物、水の底の土や泥に根を張り、水面(水上)に葉と花を展開する。また、花も同じ性質があり、日中に花びらが開き午後になると閉じる。(蓮と睡蓮では時間が少し違う)。これを3日繰り返して花の寿命は終わる。しかし、3日間の寿命だからといって心配は無用。夏場には次から次へと蕾が現れ毎日楽しめるという。(なるほど3日夜に眠る花だ)

近くにいる同級生が趣味で蓮を植えている。勿論大きな桶で花を楽しんでいる。風呂桶を利用したり、大きなポリ容器などに植えている。道路の通り縁にあり、通る人の目を楽しませている。

蓮根(レンコン)は蜂巣(ハチス)とも呼ばれるが,ハチスをかな漢字変換すると「蓮」となる。 ハチスは(蜂巣)で,花の終わった後につく実がついている部分が蜂の巣に似ているからだろう。

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2008年7月29日 (火)

脳科学者茂木健一郎さん

282_field111今日のNHKの「スタジオパークでこんにちは」に脳科学者の茂木健一郎さんが、出演された。茂木さんは、他に「プロの流儀」と言う番組を担当している。

そこで、その内容は、                                                          脳を化学する究極の目的は、やっぱり人間を理解するってことでした、人間の中で一番大切な臓器が脳だ、っていうことなんだ。脳という物質をもちろん研究するんですけれど、その研究を通して人間を理解する、っていうのが脳科学だと思うので、そういう意味でいうと、通常の科学とちょっと違うところがある。

物質を科学するっていうのとはちょっと違ったニュアンスが、脳科学にはあるんじゃないかと思う。それが、人間を理解する。確かに、茂木さんの本を読ませていただくと、脳科学の本と言うよりも、哲学書、思想書、みたいな感じである。そうすると、茂木さんが脳科学を始めた理由っていうのは、人間を知りたいと思った。

自分を理解したいと思ったら、科学者って、自分を棚に上げている人が多い。変な言い方なんだけれど、自然現象を理解したいと思っているんだけれど、そういうことを理解したいと思っている自分は何なのかということを棚に上げていて。
棚に上げていたツケが出てくるのが、たとえば恋愛問題とか、自分の生き方の問題とかで。まあ、ぼくにもそういうツケが回った時期があった。
科学者っていうのは客観的な真実を理解したいと思ってやっているつもりなんだけれど、自分がどう生きるかっていう一人称の問題が、どうしても避けられない時期がある。
そういうときに、科学者と言えども一人の人間だってことに気づくわけで。普通の科学というよりは脳科学をやることによって、自分というのも理解できるし、人間一般も理解できるだろうということを考えた時期があって、それで脳科学を始めたと言う。

過去の昔の経験を思い出し新しい未来に生かす。だから、遠い昔の思い出が、知らず知らず何十年前の経験と現状をミックスして対応が取れるのだと言う。だから、過去に囚われていいんだという。

人間は忘れる動物である。しかし何とか思い出しする事が脳の活性化になる。また、同じことを繰り返し行う、そうすればそこには脳の活性化が起きているのである。

朝起きて直ぐにプログを書くという、一番脳がクリエイテイブになれるというが私も同じで、朝起きて、まず、ブログを書いているところは同じである。それを3年ばかり続けているが、果たして脳の活性化になっているかなあ・・・。自分ではそう信じていたいのだが・・・。

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お施餓鬼から思う

13_10241_4お施餓鬼(セガキ)

施餓鬼(セガキ)とはどういう意味があるか、調べると。

人間が亡くなると、仏教では因果応報と言われるように、生前行った功徳の結果において、次の世の六道世界に振り分けられると言いう。六道世界とは

1地獄 2餓鬼 3畜生 4修羅 5人間 6天 の六つの世界のこと。

その中で餓鬼の世界とは、生前、欲張りで嫉妬深い人が陥る世界で、餓鬼の世界には様々な欲求不満の人間がおり、決して満たされることの無いおのれの欲望の炎によって、自身の身を焼く地獄の世界のことである。

最近、今自分がなぜ生きているのか、真剣に考えたことがある。まだ結論はでないが、今までの考えをまとめて見ると。

1.自分生んでくれた親があった。2.その(親・先祖)があった。

この世に生きている時に何をなすべきか、○子孫を残す○。(動物学的に考えると)

子孫を残す、という事は、結婚することだが、人間と他の動物と違いは、進化して文明の社会で生活を営まれなければ生きられない。大事なことは、一人では生きていけないということである。人間社会があって初めて生きられることだ。

魚に鰯がいる。鰯は大きな魚やクジラの餌にされる。自己防衛で集団の塊になって相手より大きく見せる。哺乳類・昆虫の世界も同じである。

生存競争の世界は動植物も同じである。弱肉強食・食の連鎖と言う、自然界にとっては大事な生きる術なのである。だから、この世の中に、人間だけでは、生存なぞありえない。

この地球上に、68億人の人間が生存していると言われる。このままだと、あと30年後には40億人が増えると言う。いまや、地球上の資源や食料が今環境問題と大きな問題となっている時に・・・。

そして、人間の知恵で寿命も延びたが、そこに精神的なケアー・心を持つ人間が大事なこととなって、「心の時代」など心の安らぎを求める運動がクローズアップされてきた。

心の安定と言うと宗教であるが、その宗教の捉え方で、激しくぶつかり、地球上で戦争になり、終局が見えない。

人間が生きるには隣人を愛し理解してあげること、子供の教育には、1.我慢をすること。2.人間愛 3.親を大事に尊敬の念 4.先祖を敬う心 をしっかり教えることだ。そして、弱いものを助けることが、自己を強くすることだ。

そんな、纏まりのない、事を考えている。

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水と人間生活

05oirase31朝日新聞のコラム                                                らちの明かない議論を「水掛け論」と言うが、水争いから生まれた言葉ともされる。農家にとって水は命である。かんがい施設の整う以前は、日照りが続くと、水をめぐるいさかいが頻発した。

争いは、他人同士ばかりではなかったようだ。狂言に「水掛聟(むこ)」というのがあって、婿と義父が田へ引く水を奪い合う。顔に泥を塗り合ってけんかを始める。ときには身内の仲も裂くほどに水は貴重だった。

きびしい「水争い」がいま、アジア各地で起きているという。食糧需要の高まりや、工業用水の急増が背景にある。インドでは、借金をして井戸を掘ったものの、水が出ずに自殺する農民が後を絶たない。くみ上げすぎで、地下水の層が年々深くなっているためらしい。

タイでも、穀倉地帯の水不足が深刻だという。農業と工業で、取り合いをしている。「限られた水資源の中で生産は目いっぱい」と憂える現地の声を、本紙記事が伝えていた。豊かな大河の流れるかの国でも、いまや安泰とはいかないようだ。

宇宙から見れば地球は青い。色のとおりの水の惑星である。とはいえ、ほとんどは海水で、淡水は2.5%にすぎない。東京大の沖大幹教授の試算によれば、水を安定的に得るのが困難な人たちは、いま世界で約25億人にのぼっている。

それが、今世紀半ばには約40億人に増えるそうだ。私たちとは無関係、と思うなかれ。食糧輸入の多い日本は、農畜産物を育てるための膨大な水を、実は外国に頼っている。わが食卓が世界の水につながっていることを、忘れまいと思う。

“水”に悩むということで、これも自然界に刃向かう愚かな人間ののお陰で、昨日神戸の灘区の都賀川が激しい雨で急激に増水し、学童保育で遊びに来ていた子どもや橋の補強工事をしていた作業員など少なくとも11人が流されて、4人が亡くなったと言う。

鉄砲水で、僅か10分で水位が130センチ上がったそうだ。川の直線化や川の両岸・川底までコンクリートで固めてしまたためと言う。自然の川が蛇行していて、両岸はブッシュで、柳や葦などが生えている。勿論生物だって生息している。便利さ、人間の都合だけを考えて改修したためだ。水は人間が生活するに上手に利用しなければならないが、自然を侮っていけない。

しかし、こちら東京都多摩西部は10日間も熱帯夜が続くが雨は降らない。遠く北西の空は毎日午後3時ごろ黒雲が覆い、雷鳴が轟いているが、こちらには、影響がない。畑の作物や山の木々も雨を望んでいるが、中々旨くいかない。我が家の前の砂利道は、砂埃で毎日水撒きをしなければと思っているが、焼け石に水に終わってしまうようで・・・。

そして、今朝6時45分頃、九州の戸畑区飛幡町の新日本製鉄八幡製鉄所構内から出火して、何時間も燃え続けているそうだ。暑さと水は関係が深い。大きな被害で鎮火して欲しいと願うのだが・・・。

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我が家の庭に空蝉が

今日の名言

コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい。

『寺田寅彦随筆集』(四)

035691わが死後は空蝉守になりたしよ 大木あまり

ずいぶん前になるがパソコン操作の家庭教師をしたことがある。ある女性詩人の依頼で、その一人暮らしの部屋に入ると、玄関の上に大きな駄菓子屋さんで見かけるようなガラス壜が置かれ、キャラメル色の物体が七分目ほど詰まっていた。

それが全部空蝉(うつせみ)だと気づいたとき、あまりの驚きに声をあげてしまったのだが、彼女は涼しい顔で「かわいいでしょ。見つけたらちょうだいね」と言ってのけた。「抜け殻は残されたものだから好き」なのだとも。

その後、亡くなられたことを人づてに聞いたが、あの空蝉はどうなったのだろうか。身寄りの少なかったはずの彼女の持ち物のなかでも、ことにあれだけは私がもらってあげなければならなかったのではないか、と今も強く悔やまれるのだった。

掲句が所載されているのは気鋭の女性俳人四人の新しい同人誌である。7月号でも8月号でも春先やさらには冬の句などの掲載も無頓着に行われている雑誌も多いなか、春夏号とあって、きちんと春夏の季節の作品が掲載されていることも読者には嬉しきことのひとつ。

石田郷子蜘蛛の囲のかかればすぐに風の吹く〉、藺草慶子水遊びやら泥遊びやらわからなく〉、山西雅子夕刊に悲しき話蚊遣香〉。「星の木」(2008年春・夏号)所載。(土肥あき子)

我が家の狭い庭にも、 紫陽花の葉裏で空蝉が見かけれれる。夜に何年も地中から這い出して羽化して僅か1週間の命を、子孫を残す事に力を出すのだと思うと、無事に羽化が出来たのだと思うと、感慨深い。

 空蝉の 鉄中に爪が  突き刺さり 

 一粒の 夜露を乗せて 蝉静か

最近みんみん蝉がスッカリ少なくなったようだ。山の開発が進んで居場所がなくなったのかかなあ・・・。昔は7/25日に鳴き出すと、陽気は平年並みと親父は言っていたが・・・。

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2008年7月28日 (月)

無駄ゼロと構造改革推進

Katidoki241NHKのwebニュースによると、                                        自民党は、原油高による燃料価格の高騰で深刻な影響を受けている漁業者を支援するため、省エネに取り組む漁協を対象に、燃料費の増加分のうち90パーセントを、国が直接補てんすることを柱とした対策の素案をまとめたと言う。

それによると、燃料使用量の10パーセント以上の削減を目指す漁協を対象に、去年の12月を基準にして、燃料費の増加分のうち90パーセントを、国が直接補てんするとしており、補てんを受けられるのは原則として1年とし、最大2年まで延長できるものだ。

また、素案には、漁業者が省エネ効果の高いエンジンを購入できるよう、国と都道府県による無利子の融資枠を拡充することや、燃料価格の高騰の影響で漁を休み、収入が減っている漁業者への支援を強化すること、それに漁協などと小売り業者が、直接水産物を取り引きする機会を増やすことで流通コストを減らし、漁業者の手取りを増やすことも盛り込まれている。

自民党は28日に水産部会などの合同会議を開き、この素案をたたき台にして意見を交わしたうえで、党としての対策をまとめ、政府にその実現や、必要な財源の確保を求めることにしている。

そこで、原油価格暴騰で、苦しんでいるのは、漁業関係だけではない。農業・運送業・いや、あらゆる産業に影響はある一般市民だってガソリンの高騰などで分かっている。

だから、漁業関係業者に支援するのは、良いが他産業、一般市民に支援を考えないと不公平だ。

もともと流通機構に問題があるとされる構造改革推進は手をつけないで、支援だけすればいいのではない。漁民の取り分は14㌫では、何と言ってもおかしい。

ガソリン税を含め、もっと税の公平さをこの際見直し、そして、福田康夫首相の「無駄ゼロ」をもっと真剣に考えて欲しいと思う。

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林住期に思う

07akitakoma_sumire11_3林住期=古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。「学生期」(がくしょうき)、「家住期」(かじゅうき)、そして、「林住期」(りんじゅうき)と「遊行期」(ゆぎょうき)。
「林住期」とは、社会人としての務めを終えた後、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことである。

古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。「学生期」(がくしょうき)、「家住期」(かじゅうき)、そして、「林住期」(りんじゅうき)と「遊行期」(ゆぎょうき)。
「林住期」とは、社会人としての務めを終えた後、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことである。

人は何の為に生きるのか?働く為ではない。子供を育てる為ではない。家庭を維持する為ではない。

人は何の為に生まれてきたのか?一生の中で、一体、どの時期が人の絶頂期といえるのだろうか。人生の黄金期、ハーベストタイムとは、はたして何歳から何歳くらいまでの時代を指すのだろうか。インドには古くから人生を4つに分ける考え方があった。古代インドのバラモン教の思想にある『林住期』。それは人生の終わりの日々ではなく、その時期を人生の最も重要な時期と捉える。

定年は人生の終点でも折り返し地点でもない。そこから始まる重要な歳月の出発点である。かつて「人生50年」といわれた時期を過ぎ、今は「人生100年」の新時代へ突入する!現在『林住期』の真っ只中の世代の方。会社員なら定年がそろそろ見えてきた人。すでに定年退職をした人。

または定年後に新しい職場に転じた人達はもちろんの事、これから誰しもが迎えるだろう『林住期』予備軍の若い世代全員に贈る新しい人生論。人は何の為に生まれて来たのか?それをまともに考える、第三の人生の目的、人生のクライマックスがここにある!

老いとは高齢者の老いのみをさすものではない。老いは自然なものであり、細胞は絶えず生まれ死にしていますから、細胞の新陳代謝において、若い人であっても老いは生じる。高齢化にともない肉体の老いはさけがたいものである。

長寿社会が急速に到来しました、60歳以上の旅行客が多くなった。旅行や、リュックをかついでのハイキングや登山などは、いずれも日常を捨て帰ることのない旅ではなく、非日常を楽しみ、わが家に帰る旅である。
 生活の場を郊外に移したり、農業を始める人もいます。逆に生活に便利な都市の中心部や介護を受けられる施設などに居場所を移す人もいる。 

幸いにも長寿を生きることができれば、さまざまな人生の喜びを経験する事だろう。むろんさまざまな苦悩も伴うが、苦悩も味わい深いもので、喜びそのものであると受容できるようになれるように努力したいものだ。

ほろにがきものや淡白なものにも深い味わいを感じたり、雲の動きや川の流れなど無情なるものの輝きに心躍らせ、小さな野の花や草木の芽吹き、生きものの息づかいなど無常なるものへ哀れさと愛しさを感じ琴線に触れる。これも老いのゆえに感じることかも知れない。こういう感動が得られることは老いの特権でだろう。

還暦~古希~喜寿の時期は、人生にとって最上の時期であるかも知れない。孔子の言葉では「六十にして耳に順ふ、七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず」である。

インドの人の生き方に「妻子を養うことも、そして家の職業も安定した段階で家長が一時的に家を出て、それまでにやろうとして果たし得なかった夢を実行に移そうとする人生のステージ」林住期がある。

「七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」と述懐している。この一言こそ、われわれ老境に入った者がめざすべき理想の境地と言えるのではないだろうか。

酒を呑むにしても、他人とつきあう場合にも、自己規制をかけることもなく、思いのままに振舞っても、結果として人間としての常識、社会的な規範を踏み外すことがないようになる、それは本当にすばらしい境地だと思う。

不可能に近いほどむずかしいことかもしれないが、それをめざして老いを生きるのは、何となく楽しみが与えられるような気がする…。

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アフガニスタンと国際貢献

Hiroshima101NHKの深夜便を聴いていたら、2時のニュースでアフガニスタンの東部で、タリバン武装兵士が100人が国際部隊にロケット砲で攻撃を仕掛けて来たという。NATOのヘリコプターが応戦、タリバン兵50人を射殺したと言う。イラクの治安も収まらない中、中東のアフガニスタンが戦闘が激化しているようだ。

今、世界は地球温暖化・原油暴騰・穀物高騰などで、国際感覚でどうもそちらの方に向いてしまっているが、しっかりこちらも目を向けないと、やがては世界的な大きな問題となってくるのは必定である。

そこでNHK解説「おはよう日本」7/16日を記して考えて見た。

アフガニスタンでは反政府武装勢力タリバンが攻勢を強め、国際部隊の月別の死者がイラクを上回るなど7年前のタリバン政権崩壊以来最悪の事態となっています。

タリバンが復活したおととしから激しい戦闘が続いています。治安は今最悪の状態で、国際部隊の犠牲者も目立ってきています。これはアフガニスタンとイラクの国際部隊の死者を比較したものです。アフガニスタンでは先月、月別の死者がこの7年間で最も多い45人に達しました。さらに注目されるのはアフガニスタンの死者が5月、6月と連続してイラクを上回ったことです。この傾向は今月も続いています。イラクでは治安の改善が見られるのに対し、アフガニスタンでは逆に情勢が悪化しています。

国際部隊の死者はなぜ増えているのだろうか

1つはタリバンが攻撃力を強め、強力な武器や爆発物を使って非常に大胆な攻撃を行なうようになったことがあります。3日前にはアメリカ軍の前線基地がタリバンのロケット砲などの攻撃を受け、アメリカ兵9人が死亡しました。もう1つは国際部隊が史上最高の6万7000人と大幅に増強され、より多くの兵士が危険にさらされるようになったことがあります。特に激戦が続くアフガニスタンの南部や東部ではアメリカやイギリスなどの国際部隊に大勢の犠牲者が出ています。

戦闘が激化する中で、今何が一番の問題になっているか

隣のパキスタンからのタリバンの越境攻撃が増えていることです。パキスタンと国境を接するアフガニスタン東部ではタリバンの攻撃が去年より40%も増え、国際部隊の犠牲者も増えています。問題はタリバンが国境地帯に隠れ、そこから越境攻撃をしているのに、パキスタン政府が軍事作戦を中止し、彼らと和平を結ぼうとしていることです。アメリカやアフガニスタンはこれに強く反発し、パキスタンとの関係が悪化しています。

アフガニスタン情勢、今後の見通しはどうですか

アメリカはタリバンの攻撃は今年さらに増えると見て、増派を検討しています。国際社会も軍事、復興支援の両面でアフガニスタンへの関与を強めています。日本政府も自衛隊の活動を含め、陸上での復興支援活動ができないか検討していますが、情勢の悪化はそうした議論に影響を与えることも予想されます。戦闘は今後長く続くと見られ、国際社会にとってはイラクに加えてアフガニスタンが再び重い課題になりつつあるように思います。

日本も、海上自衛隊のインド洋での補給艦の派遣延長問題が国会で審議される。日本としても無関心ではいられない。

大事な事は、情勢を正しく掴んで、日本は貢献が何が出来るか検討する事が大事であると思う。

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大豆と冷奴

今日の名言

恋はほどほどにするものだ。そのような恋こそ長続きする。

シェイクスピア『ロミオとジューリエット』

Mutsumefuta21冷奴大和島根は箸の国 渡辺恭子

食べ物の句は、とにかく美味しそうでなければならない。美味しいという感覚は、むろん食品そのものの味にまず関わるが、それだけではなくて、それを食するときの「お膳立て」いっさいに関わってくる。冷奴などは料理とも言えない素朴な食べ物であるが、なるほどこれは箸で食べるから美味いのであって、スプーンでだったら美味さも半減してしまうだろう。

句の「大和島根」は島根県のことではなくて、大和(日本)の島々、つまり日本の国のことだ。戦前戦中に流行した大八洲(おおやしま)などとという呼称に似ている。したがっていささか旧弊な神国日本の影を引く言葉ではあるけれど、この句はたかが冷奴に神国の伝統をあらためて持ち出し、「神の国」ならぬ「箸の国」とずらせてみせたことで、現代の句として面白い味を出している。

猛暑のなかの食卓につつましくのせられた一鉢の冷奴。この句を思い出して箸をつければ、他のおかずもいろいろに美味さが違ってくるかもしれない。今夜の一品はだんぜん冷奴に決めました。たまには揚句のように、冷奴も気合いを入れて食べてみなければ。月刊「俳句」(2008年8月号)所載。(清水哲男)

冷奴 (豆腐)と言えばその土地・土地に名産があって、神奈川県伊勢原の大山豆腐が有名だ、大山参りに行く途中に、豆腐料理を食べさせてもらえる、料理屋が参道に立ち並んでいる。何と言っても素朴で冷奴はいい。特に暑い夏の食欲のない時に、蛋白源を補給に適している。

大豆は昔田んぼの周りに植えていた、確か枝豆で食べたとおもった。手作りの籠に入れて、お袋が野良から持ち帰って来たのを茹でて食べたのを思い出す。

豆腐は、何と言っても水の良し悪しで決まるそうだ。山あいの湧き水が豊富なところで作る豆腐が美味しい。富士の忍野などは美味しい。

それだけではない、国産大豆が貴重で、外国産が殆どであるが最近外国産が暴騰して、お豆腐屋さんも、経費節減で大変だろう。豆腐に限らず大豆を使った製品、納豆・お味噌・お菓子なども値上げせざるを得ないと思う。

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2008年7月27日 (日)

福沢諭吉先生も嘆く

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東京新聞社説(抜粋)より、                                      大分の教員汚職事件にはあきれました。郷土が生んだ偉人、福沢諭吉に顔向けができないでしょう。腐敗を許す土壌が広がっているのではと恐れます。

今回の教員採用汚職とは似て非なる不祥事があります。2001年5月から6月にかけて、山形大、富山大、金沢大で400人を超す受験生が誤って不合格とされていたことが発覚したのです。

得点集計するコンピュータープログラムの合否判定ミスが原因でした。ミスは数年間続きました。

多くの若者の人生が変わりました。浪人して翌年遠方の私大に進学した人や2年連続で「不合格」とされ、専門学校を卒業してその春に就職した人もいました。

 底なしの様相呈す疑惑

大学側は「遅すぎた合格通知」を被害者に送る一方、慰謝料をはじめ、他大学への入学金や学費など、総額で7億-8億円の損害賠償金を支払うことを決めました。

大分の事件は、影響の大きさは似ていても原因は異なります。こちらは贈収賄という犯罪です。県警の調べや関係者の証言から、ひどい話が次々に浮かんでいます。

2 口利き許す体質と構造

さらに由々しい事態は、合否連絡をめぐる国会議員秘書や県議といった地元有力者の口利きの横行です。名古屋市教委など多くの教育委員会が、特定の受験者の合否を個別に事前連絡していました。

3 「門閥制度は親の敵」

福沢諭吉が「福翁自伝」に書いています。「先祖代々、家老は家老、足軽は足軽、(略)何年経(た)っても一寸(ちょい)とも変化というものがない。どんなことをしても名を成すことが出来(でき)ない」。そうした封建制度を憤り、わが子を僧職にしようとした亡父の心中を察し、「門閥制度は親の敵(かたき)で御座る」。

こう語ったのは110年前。世襲制は、諭吉が敵視した門閥制度につながりかねません。

今、当事者はどういう心境だろう、何も申し開きが出来ない。昔なら打ち首獄門である。

門閥制度とは=    「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」 福沢諭吉の生涯は、 この武士としての意地から始まったのではないか。「親の敵」とは比喩ではない。諭吉の父親は学問を志しながらも、下級武士として細々とした事務的な仕事しか与えられずに、45歳の 短い生涯を終えた。

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断罪が導く地道な時代

15401

朝日新聞社説【抜粋)より

かつての「時代の寵児(ちょうじ)」が再び断罪された。元ライブドア社長の堀江貴文被告に対する控訴審で、東京高裁は一審判決を支持し、懲役2年6カ月の実刑判決を言い渡した。

堀江被告は、自らに不利な元部下の証言内容は信用できないなどと反論し、無罪を主張していた。裁判長はこれらをことごとく退け、「最高責任者の被告の指示・了承がなければ犯行はありえない」「犯行について反省の情はうかがわれない」と厳しく断じた。

派手なM&Aに頼らず、最近の傾向は、長い目で会社を発展させるにはどんな戦略が大事なのか、地道に見きわめようとしているようにみえる。事件の高い授業料が生きているといえよう。

とはいえ課題は多い。株主利益の偏重に陥らずに、社員や顧客や社会のあいだでどうバランスさせていくのか。他方、1500兆円の個人金融資産を日本経済の発展に回す役割を、株式市場はまだ果たせていない。

事件を機にIT業界では世代交代が進み、堀江被告よりも若い70年代半ば以降に生まれた社長たちが活躍している。たとえば、ネット上でコミュニティーを提供しているミクシィ。事件後に上場したが、M&Aには慎重で、長期的な成功を目指して地味な技術開発に根気よく取り組んでいる。

それにしても、わずか2年半前だった「ホリエモン逮捕」の衝撃が、ずいぶん昔の出来事のように感じられる。堀江被告が控訴審に一度も出廷せず、メディアにも姿を見せないせいもあるが、株式市場の状態が当時からは様変わりしたのが原因だ。

プロ野球に放送局。ライブドアは派手な企業合併・買収(M&A)を仕掛けて自社の株価をつり上げ、ふくらんだ時価総額をテコに次のM&Aへ乗り出す。肝心の事業内容はイメージばかりで、実態は買収ファンドに近い。株価引き上げのため利益を不正に大きく見せたのが今回の事件だ。

こんなマネーゲームができたのは、バブル後の長期不況から抜け出す道をそんな手法に夢見た一般投資家が、同調して株を買ったからである。

だが事件をきっかけに、一時の熱狂は急速にしぼんだ。続いて摘発された村上ファンド事件では「もの言う株主」にも懐疑が広がった。その後も外国系ファンドによるM&Aや株主提案の試みが続いているが、一般株主の反応は打って変わり冷静だ。

あの教訓を踏まえ、若い経営者たちは「苦境に陥った時に会社を守ってくれるのは何か」と常に考えているようだ。頼みになるのは顧客や従業員、そして社会からの支持だ。事業を通じて社会にどう貢献するか。ここに心を砕く経営者が増えるよう期待したい。

昔から、地道な考えが信頼、安心の社会は求めている。宇宙旅行は、そんなに旨くはいかないものだ。

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暑さが続く

今日の名言

沈黙しているとき私は充実を覚える。口を開こうとするとたちまち空虚を感じる。

魯迅『野草』

0563001涼しさや寝てから通る町の音 使 帆

季語は涼し、夏です。夏そのものはむろん涼しくはありませんが、暑いからこそ感じる涼しさの価値、ということなのでしょうか。この句では、風や水そのものではなくて、町の音が涼しいと詠んでいます。

マンション暮らしの長いわたしなどには、到底たどり着くことの出来ないひそやかな感覚です。たしかにマンションの厚い壁に囲まれて暮らす日々には、町の雑多な音は届きません。

思い出せば子供の頃には、銭湯へ行く道すがら、開けっ放しの窓から友人の家の団欒がすぐ目の前に見えたものでした。一家で見ているテレビの番組さえ、すだれ越しに見えていた記憶があります。当時は家の中と外の区切りはかなり曖昧で、眠っている枕元すぐのところで、町の音はじかに聞えたものです。

この句を読んだときに印象深かったのは、書かれている意味でも、また音の響きでもなく、並んだ文字のたたずまいの美しさでした。実際、柴田宵曲氏の解説を読むまでは、省略された主語がどこにかかっているのかもはっきりとせず、句の意味を正確につかまえることができませんでした。

暑い夏の一日を終え、やっと体を横たえて眠ろうとしています。その耳元に、人々のそっと歩く足音が聞えてきて、その音の涼やかな響きにいつのまにか眠りへ誘い込まれてゆく。そんな意味なのでしょう。『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男)

 欄干は  驚くほどの  熱さなり

 草いきれ ここにも命  宿る虫

すだれ越しに、打ち水で涼を取る。老夫婦のだけの家から、テレビが映っていた。若い娘達がが浴衣姿で花火を見に出かけていった。雷雨があるのかと思ったが、とうとう降らなかった。昨日は、岐阜県の多治見市で気温39度という熱さとなったそうだ。

日中こげるような太陽の陽射しは痛く感じるほどだった。それでも草むらに潜んでいるキリギリスが、「ギーチョ・ギーチョ」と鳴き声が聞えた。住吉橋の欄干に手を添えて川上を眺めようとしたら、火傷をするほど熱かった。

10日以上熱帯夜が続き、いささか寝不足気味だ。水分補給を考えないといけない。

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2008年7月26日 (土)

親子の日 今こそきずなが問われている

035831毎日新聞 2008年7月26日 東京朝刊(社説)より、確かに「親子の日」があって親子の絆のあり方など、考える一日があっていい、親子お互いに“きずな”を見直す事は、意義深いものがある。

7月の第4日曜日(今年は27日)は「親子の日」。米国人写真家、ブルース・オズボーンさんの呼びかけに賛同共鳴の輪が各界に広がり、今年も親子のきずなを確かめる写真やエッセーコンテストなどがある。

親子のきずな。今こそ重い意味がある。相次ぐ親子間の殺傷や、親との激しい対立を背景に子が暴力を無関係の人々に向ける無差別襲撃事件。かいま見える肉親とのきずなの希薄さはどうしたことか。今後連鎖的に事件が誘発されないためにも、真摯(しんし)に考えたい。

06年発表のこんなデータがある。日本青少年研究所が日本、米国、中国、韓国の4カ国の高校生の日常意識を幅広く比較した。

親子関係をみると、例えば「親に自分のことをわかってもらうことが大事」としたのは、日本がわずかに7・9%。米36・5%、中38・4%、韓25・6%に比べ、際立って低い。「家族が仲良くすることが大事」とするのも、日本13・8%に対し米57・7%、中42・0%、韓35・2%だった。

好悪は別にしても家族のことは気になるものだが、日本は「関心がない」「あまりない」を合わせて20・5%。米11・1%、中11・3%、韓5・3%で、ここにも開きがある。

親は自分にどう対しているか。父でみると「私への期待が大きい」と思っている高校生は日本が24・4%にとどまるのに、他国は米62・1%、中53・4%、韓67・1%と高い。また「私を一人前の大人と扱う」は日本18・7%、米52・3%、中44・3%、韓30・8%▽「一緒にいる時は楽しい」が日本は32・9%なのに米58・1%、中45・6%、韓45・9%という具合だ。

一方、親が子を他人と比べたり、子の趣味や好みに反対する度合いは4カ国中、日本が一番低い。子への期待はさほど大きくなく、あまりおせっかいでもない、というところか。

中央教育審議会は昨年、青少年育成に関する答申で「日本では父親が子供と過ごす時間が短く、子供のしつけを主に母親が担う傾向がある。子供は規律や社会ルールを直接保護者からしつけられることが少ない」と、親子のコミュニケーションの不足を指摘した。また、子育てに不安を感じる親が以前より増え、親子間に「衝突」のない傾向も挙げている。表面上の穏やかさの一方で、関係の空疎化が進んでいるともみえる。

行政にも相談窓口の増設、カウンセラー配備や支援制度の拡充、法整備など、必要な対応策は多くある。

ただ、一律に即効薬的なすべがあるわけではない。親子の時間を少しずつでも充実させ、時には口論してでもきずなを確かめ合う。家庭、地域、職場で共通認識を持って、そうした機会づくりを進めよう。

親子の日は改めてそう決意し合う日としたい。

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談合損害125億円回収できず

05sikotuko31あきれて、物が言えない。人間の欲望は、際限がないのは良く分かるが、一体自分で骨を折って勝ち取ったお金ではない。予算の分捕りで合戦である。国民の汗で作り上げて税金をこんな形で使われるとは、犯罪でる。

日本の行政に関する犯罪は、発見が難しい、その上罪が甘い、どうもその辺で、我がもの顔で、その役所(省庁)ために、自分のために、頭をめぐらして、口八丁で、相手を手玉に取る輩いて、それが出世したと自他共にのさばれせる風潮があるようだ。

こんな事では、日本は潰される。許せない。もういい加減にしてもらいたい。

府省庁など国の機関や国の出資を受けた国立大学法人などが昨年11月までの約5年半の間に結んだ民間企業との工事などの契約で、談合による損害が340億円を超え、そのうち125億円を回収できていないことが25日、会計検査院の調べでわかった。

契約に「違約金条項」を盛り込んでいなかったため、契約相手方が請求に応じないことが主な理由だ。検査院は「税金を使う各機関は積極的に条項を盛り込むべきだ」と指摘している。

調査対象は、39の国の機関と、独立行政法人や国立大学法人など国が2分の1以上を出資する207の法人。2002年4月から07年11月の間、工事、設計、物品購入、役務に関して結んだ契約で、談合発覚後に違約金を請求できる条項の有無と、損害の回復状況を調べた。

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宮が瀬ダムに思う

今日の名言

過ぎてかえらぬ不幸をくやむのは
更に不幸を招く近道だ。

シェイクスピア『オセロウ』

05tasiroike11みちのくの蛍見し夜の深眠り 大木さつき

七月も終わりに近づき、蛍の季節には少し遅いかもしれないけれど。子供の頃に住んでいた官舎の前の小さな川は、今思えばそれほど清流であったとも思えないのだが、毎夏当然のように蛍が飛んでいた。

仕事帰りのほろ酔いの父が、橋の上で捕まえてきた蛍の、ほの白い光が指の隙間から洩れるのを、じっと見ていた記憶がある。ゆっくり点滅していたのであれは源氏蛍だったのか、この作者がみちのくの旅で出会った蛍は、星がまたたくように光る平家蛍かもしれない。昼間は青田風の渡る水田に、頃合いを見計らって蛍を見に。

蛍の闇につつまれて小一時間も過ごして宿に戻り、どっと疲れて眠ってしまう。蛍そのものを詠んでいるわけではないけれど、深眠り、という言葉の奥に、果てしなく明滅する蛍が見えて来て、読むものそれぞれの遠い夏を、夢のように思い出させる。

啄木のふるさと過ぎぬ花煙草という句もあり、このみちのくは岩手なのかとも。『一握の砂』に〈蛍狩り川にゆかむといふ我を山路にさそふ人にてありき〉という歌があるといい、これもまた、蛍にまつわる淡い思い出。『遙かな日々』(2007)所収。(今井肖子)

うだるような暑さに、涼を求めて車で宮が瀬ダムに出かけてみた。宮が瀬ダムは測量して工事をする前から、よく行っていて、中津渓谷の川があって、そのころも観光地であった。

今現在は、その中津渓谷の釣り場にいた、おばあさんはいない。当然おばあさんがいた家はダムの底になってしまった。

エメラルドグリーンのダムは周りの木々を写し、木陰になった湖面に鴨の浮かんでいた。宮が瀬ダムの虹の大橋は、自殺で有名のところ、今では鉄策に鉄条網を張り巡らし人が乗り越えることが出来ないようにしている。

箱根の芦ノ湖と同じ水量という大きな湖となったが、発電所などエレベーターで見学できる。人間がここまで開発してしまって、以前の自然の面影がなくなってしまった。ここまで開発しなくてもいいと思うが、人間の際限のない欲望は、何時か神の冒涜となって出るような気がしてならない。

そんな思いをしながら、伊勢原に、何時もの食事どころに行って食事をしたが、やはりここでも、時代の移り代りがしているのを感じた。ガソリンで漁業・世界的に穀物の値上げなどの影響で、スッカリメニューが変わって、以前のお得なランチメニューがない。

なんだか人間のエゴで、自然を変えて、寂しい思いをしなければならないなんて、とちょっと悲しい思いがした。

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2008年7月25日 (金)

猛暑は続く

Photo2005_71気温35度アスファルトの道路は溶け出しそうである。楓の街路樹の葉は、少し葉裏を見せ始める。陽炎で遠くの橋の欄干を歪んで見える。風は、殆どない。焼けたインターブロックの上で玉子焼きが出来そうに熱い。

この太陽のエネルギーを保存し冬に回せないか、氷のように、冬の寒いエネルギーを夏へ持っていけるのだから、出来るかもしれない。今年も暑い夏がやって来るようだ。

しかし、地球物理学の先生は、地球は、段々冷える冷却期間に入ったと言う。これは54億年、すなわち地球の出来た時からのもの凄いスパーンの長い歴史から見た場合の話である。

最近は、地球温暖化が問題になっているが、光化学スモック注意報などは、今年も出るのかなあ・・・。

昔から、夏の暑さがないと稲の成長が悪い。天気が続き、豊作であればいいのだが、時には雨も降らないと農作物にも悪い。人間だって、そろそろ雨が欲しい。

今日も天気予報では、夕方雷雨に気をつけるようにとの事だったが、降りそうもない。なんだか向こう一週間は、天気が続きそうである。

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“憮然”70%が誤った理解

016テレビ各局が一斉に報じた。民法は勿論、NHKでもニュースで取り取り上げられていた。NHKのwebにあったものだが、私も恥ずかしながら知らなかった。

“憮然”70%が誤った理解

「憮(ぶ)然」という言葉を「失望してぼんやりとしている様子」という本来の言葉の意味とは違い、「腹を立てている様子という誤った使い方をしている人が70%に上ることが、文化庁の調査で解かった。

この調査は文化庁が日本人の国語に対する意識を調べるため、全国の16歳以上の男女3400人余りを対象に行った。

このなかで、「『憮然』として立ち去った」などと使う「憮然」という言葉について、「失望してぼんやりとしている様子」という本来の意味を理解している人は17%にとどまり、70%の人が「腹を立てている様子」と誤った使い方をしていた。これを年代別にみると、10代では正しく理解している人が36%と最も高く、年代が上がるにつれて正しい理解が減り、50代では12%にとどまっています。

これは4年間の調査でも『憮然』の意味をまちがっている人が多かったのをきっかけに、学校の授業で積極的に取り上げられたためとみられています。また『煮詰まる』という言葉について「議論が出尽くして結論の出る状態になること」と正しく理解している人は56%で、37%が本来の意味とは逆の「議論が行き詰まり結論が出せない状態になること」だと誤って理解していました。

『煮詰まる』については、50代と60代では正しく理解をしている人が70%を超えていますが、30代以下の若い世代では4人に3人が意味を取り違えていた。

文化庁では「若いから慣用句を知らないということではなく、それぞれの世代の事情で言葉の誤った使い方が広まっているのだろう」と分析している。

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6カ国外相会議のこと

028北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議の非公式外相会合がシンガポールで開かれ、核申告の検証作業を「加速させる必要性」で一致した。だが、検証開始時期や手順には踏み込めず、拉致問題も前進しなかった。

産経新聞社説より、(抜粋)ヒル米首席代表も認めるように、北朝鮮の核申告は核兵器や濃縮ウランなどを除いた不完全なものだ。厳密な査察と検証を経なければ、核申告義務を果たしたとはいえない。「行動対行動」の原則からも、5カ国側は北朝鮮に約束の履行を迫り、検証作業を推進させる必要がある。

とりわけ指定解除は、拉致問題にも影響する重要問題だ。北朝鮮は先月の日朝協議で約束した拉致の再調査はもちろん、実務協議再開についても何の連絡もない。

日本は「拉致問題が進まなければ対北支援に参加しない」との原則で臨み、会合では米露からも拉致問題解決を求める意見が出た。日米、日朝、米朝の接触でも「早期解決」が促された。この原則を今後も貫いてもらいたい。

核と拉致の両方に共通するのは北朝鮮が時間稼ぎを通じて優位な取引を狙っていることだろう。米議会でもこれを警戒する声が上がっている。核と拉致の前進には日米の緊密な協調が不可欠だ。とくに米政府には、テロ支援国家手続きの中断や撤回も含めて厳しく対応してほしいところだ。

北朝鮮のカード外交では、散々泣かされてきた日本政府である。約束を守って欲しいところであるが、この期に及んでまだハッキリしない。

本当のアジアの平和を唱えるなら、テロの行為である、爆弾を持って自爆する外交は、もうへきへきしている。「ダダをこねるではない!」子供をしかりつけるような、なだめるような、行為はしない外交政策しかないのか?腹ただしい思いだ。

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農耕に牛馬

今日の名言

僕の存在には貴方(あなた)が必要だ。どうしても必要だ。

夏目漱石『それから』

023_2尾をふりて首のせあへり冷し豚 三条羽村

冷し豚。一瞬目を疑った。中華料理の話ではない。牛馬冷すの季題の本意は、農耕に用いた牛馬の泥や汗を落し疲労を回復させる目的で海や川に浸けてやること。田舎では以前はよく見られた。

だから農耕に具する家畜以外を「冷す」風景は見られてもそれを季題として用いる発想はいわゆる伝統俳句にはなかった、と思われた。ところがどっこい。この句、虚子編の歳時記の「馬冷す」の項目に例句として載っている。

「ホトトギス」というところは、「写生」を標榜しながら「もの」のリアルよりも季題の本意を第一義にしていると固く信じていた僕はたまげてしまった。「もの」のリアル。そのときその瞬間の「私」の五感で掴んだものを最優先するように教わってきた僕から見てもこんなリアルな作品はめったにない。

季題の本意をかなぐり捨てても、得られるもっと大きなものがあるというのはこういう句について言えること。広い豚舎の中か、放牧の豚の群れにホースで水をかけてやる。放水の下で群れるこれらの豚の愛らしさはどうだ。

現実をそのまま写すということの簡単さと困難さ、そしてその方法に適合する俳句形式の間尺ということをつくづく考えさせられた。作者と編者に脱帽である。虚子編『新歳時記・増訂版』(1951・三省堂)所載。(今井 聖)

そう言えば、今のように農機具は発達していなかった頃は、農耕に、牛馬が利用されていた。朝早くから、夕方遅くなるまで使われて、馬や牛も、大変だったと思う。ある日夕方どうしてもあるかな無くなった牛がいて、もう少しで終わると言うのに、ダダをこねてしまった。子供と見て馬鹿にしたのである。親父に一括に動き出し何とか終わる事が出来たのだが、牛とて疲れたり、嫌になってしまうことがあると、感じたのである。

牛車で遠くまで荷物を運ぶのも、人間で言えばべ弁当である。餌の桶を載せて、町まで、行ったものだ。夕方帰ってきて、井戸端で水を体にかけ、汗をぬぐってあげると気持良さそうにしていた。

むかしは、牛馬いないと農作業は、出来ないくらい貴重な存在であった。この句を見てそんな事を思い出した。

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2008年7月24日 (木)

医療変える患者の語り

07kitayamazaki31昨年、女房が、市の健康診断で、乳がんの疑いがあり、精密検査をするように指示があった。そこで病院選びは、紹介された専門医に見てもらい、手術含め10日間入院した。改めてがんの恐ろしさに心は子羊のように、さまよわされた経験がある。

この「がん対策基本法」は2006年当時公明党の神崎武則代表が衆議院本会議で「がん対策法の制定を早急に検討すべし」と提唱した。

そして、民主党の山本孝史議員が自らのがんを告白、法案の早期成立を訴える。 などの経緯があり、国にガン対策を推進する基本計画の策定を義務づけることなどを柱とする「がん対策基本法案」が、2006年6月成立しました。(現行法(2007年4月1日施行)

ガンは日本人の死因第1位で年間30万人以上が死亡しているが、地域や医療機関によって専門医数や治療成績に格差が生じている。こうした現状に悩み、よりよい医療を求めてさまよう患者は「ガン難民」と呼ばれている。

この法案は格差の解消に向け、どこでも適切な治療を受けられる体制作りや患者の声を反映した「ガン対策基本計画」の策定を国に義務付ける。

NHKテレビの「クローズアップ現代」今日(24日)取り上げる。去年4月、がん対策基本法が施行されてから一年。しかし、目標とされた患者本位の情報提供はまだ十分とは言えない。そんな中、がん患者が自らの経験を映像と音声で語り、ネット上で公開するという動きが始まっている。

病院選びや、不安との向き合い方、さらには医師が軽視する後遺症への対処や日常生活の工夫など、体験者だからこそ語ることのできる言葉が、他の患者の大きな支えとなることがわかってきた。

イギリスでは国の支援のもと7年前からデータベース化が始まり、今では1500人の患者のインタビューがネット上で公開されている。

患者の本音を聞く機会の少ない医学生らの教育にも使われるなど、不可欠のシステムとなっている。患者の“語り”は医療をどのように変えるのか。日本の現状と先行するイギリスの例を参考にしながら考える。

私の経験で、町医者に市の健康診断で、疑いを告示された時に、ショックと病院選び悩まされた。結果的に手術をしたのであるが、別な病院で精密検査をしたなら、後遺症など考えて果たして、しなくても良かったかもしれない。などの未練が残ったのは事実である。

専門医といても、医師の経験・知識・対応などと病院の対応は、夫々違う。病院・医師選びで大きく運命が決まる。ただ言えるのは、「早期発見・早期治療」だけは事実である。

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通り魔事件続発

24191見ず知らずの人を刃物で無差別に殺傷する事件が、東京都八王子市の駅ビル内の書店で、33歳の会社員の男が2人の女性を次々と刺し、アルバイトをしていた女子大生が死亡した。

逮捕された男は「仕事がうまくいかず、両親に相談したが乗ってくれなかった。ムシャクシャしてとっさに人を殺したくなった」と供述しているという。

子供のように未熟で、自分勝手な言い分だ。相手の未来を奪い去り、家族を悲しみの底に突き落とすことになる重大さを、想像できないのだろうか。

秋葉原事件では、若者の不安定雇用や格差社会と結びつけた主張もあった。だが、いつの社会にも格差はあり、厳しい就職難の時代もあった。どんな理由であっても正当化の余地はない。

不安定雇用などを改善していくことはもちろんだが、自らの努力不足や忍耐不足を省みず、他人や社会が悪いといった責任転嫁の風潮が強まっていないか。

高裁は今月11日、山口県のJR下関駅で9年前に起きた殺傷事件の被告に対し、「落ち度のない通行人らを無差別に襲った犯行は極めて悪質で酌量の余地はない」として死刑を言い渡した。

平穏な生活を守るために、犯罪には、毅然と対処すべきだ。それでこそ遺族の納得も得られる。

女子大生はアルバイトとして店で働いていて男に胸を刺された。彼女に落ち度は何もない。未来を奪われた被害者と遺族の悲しみや無念さは察するに余りある。

正規、非正規という雇用形態やワーキングプアなど日本社会で格差や貧困の問題が広がり、深刻化しているのは事実であり、解消しなければならない。

それでも、大半の人は不平や疑問を抱きながらもまじめに働いている。社会への身勝手な恨みは他人をあやめる理由にならないし、同情の余地もない。

募らせた恨みや不満が爆発する限界点が以前よりも下がっているのではないかと危惧(きぐ)する。残念ながら、理不尽な無差別凶行は繰り返されるおそれがあり、覚悟して暮らすべきなのかもしれない。

埼玉県川口市では中学3年の長女が父親を刺殺するなど、子供が突然、親に襲いかかる家庭内の事件も多発している。

暮らしを通じて自然と善悪のけじめを身につけ、自立する力を養っていく。遠回りではあるが、そんな家庭や地域の力を取り戻していくことも考えてみたい。

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財政収支悪化に思い切った政策を

7081政府の公約である、国・地方を合わせた基礎的財政収支(プライマリーバランス)の11年度黒字化がこのままでは達成困難なことが、経済財政諮問会議に民間議員が提出した試算で一段と鮮明になった。

今朝の朝日新聞の社説より、苦労しないでお金がわいてくる「打ち出の小づち」など、現実にはあるわけがない。しかし、福田政権の財政運営を見ると、おとぎ話を信じているのではないかと思いたくなる。

政府は中期の財政見通しを示した。それによると、11年度までの5年間で14.3兆円という大幅な歳出削減を前提にしても、なお、借金の利払い費以外の歳出を税収で賄う基礎的財政収支は3.9兆円の赤字になるという。

1月に公表した試算では、同じ前提で約7千億円の赤字とみていた。しかし、原油や食糧の高騰などによる景気の減速で税収を下方修正した結果、赤字幅が膨らんだ。11年度に基礎的財政収支を黒字化する目標は、これで増税なしには達成が難しくなった。

だが、福田内閣がこの難問にどう取り組むのか、さっぱり見えてこない。取り組みの第一歩となるのが来年度予算だ。その骨格となる概算要求基準を29日に閣議了解するが、そこで決めようとする歳出削減のペースは従来とさして変わらないのだ。あれだけ国民的な議論になった道路特定財源の一般財源化でも、一体どれだけを振り向けるのか、一向に示していない。

なかでも最大の問題は、基礎年金の財源である。現在は財源の3分の1を国庫で負担しているのを、来年度から2分の1へと引き上げることになっている。これには2.3兆円が必要になるが、それをどうやって調達するかの議論さえ始めていない。

もしこれを歳出削減で生み出すのなら、従来ペースの削減ではまったく追いつかない。概算要求基準を大幅に減額したうえで、来年度の予算づくりを始める必要がある。だが、その可能性はなさそうだ。

では増税で調達するのかといえば、福田首相はそうした方向も示していない。政府や自民党で税制改正の論議が始まったが、首相の大方針が出されていないため開店休業になりそうだ。

かくて、予算の大枠を左右する方針が定まらないまま、来年度の予算編成が始まろうとしている。

なぜこんなことになっているのか。総選挙である。来年9月の衆院の任期満了までには必ず総選挙がある。増税を掲げたら選挙を戦えない。予算の大幅削減も、組織票を失うから打ち出せない。首相をはじめとして与党はそう考えているのだろう。

しかし増税に口をつぐんでおいて、選挙が終わったら増税を持ち出すなどということが許されるはずがない。予算削減にしても同じことだ。

参院選も考えれば、2年に1度ぐらいは選挙がある。それを避けては通れない。財政運営の基本方針を選挙で国民へ率直に訴えて支持を得る以外に、打開する道はないのだ。その覚悟を福田首相は見せてほしい。

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「ファイトケミカル」

今日の名言

大胆は無知と卑劣の子であって、他の資格よりはるかに劣る。

『ベーコン随想集』

05tasiroike11ペコちゃんが友達だったころの夏 鈴木みのり

7月も下旬になると街角に子供の姿が増え、長い夏休みを退屈に過ごしていた小学校の頃を思い出す。避暑や旅行へ連れて行ってもらえるわけもなく、読み飽きた本を何度も読み返すか、市民プールへ出かける以外時間のつぶしようのない毎日だった。

テレビはあったが、寝っころがって好きな番組を見る贅沢が許されるはずもなく、一週間に一度見る「ポパイ」や「鉄腕アトム」を楽しみにしていた時代だ。特別な番組のコマーシャルはそれぞれ印象が深い。「鉄腕アトム」はマーブルチョコとシール。

「ポパイ」はペコちゃん人形とパフェを食べる女の子が憧れの的だった。首振りペコちゃんの店で買ってきたケーキは五人兄妹が見つめる前で厳密に切り分けられ上から順に配られたものだった。

その当時、お菓子屋かおもちゃ屋を店ごと買い占めるのが夢だった私もおとなになると、すっかりそうしたものに興味がなくなってしまった。ペコちゃんが友達だったころの夏。それは私にとっても懐かしい時だけど、二度と帰れない場所でもある。『ブラックホール』(2008)所収。(三宅やよい)

終戦後の夏は、酒饅頭が何よりのご馳走だった。しかし、甘味類の砂糖は、手に入れるには至難の業であった。サッカリン・ズルチンなどの化学製品で,どうも美味しいとは言えない代物だった。それでもお祭りなどには、酒饅頭作りは、母親は朝,三時頃から起きて作業をしていた。

今は砂糖は、いつでも手に入る。私は糖尿病の予備軍で、料理を作るときのは砂糖は使わない。ヨーグルトは、毎朝食べているが添付の砂糖は使わない。しかし、野菜や果物を良く食べる。それらに糖分が相当あり、血糖値が下がらない。(血糖値113ぐらい)

「ファイトケミカル」

ファイトケミカルとは植物にある体内で有効な働きをする物質のことで、野菜や果物に含まれる色素成分に含まれている成分。

多くの植物内のファイトケミカルは活性酸素を中和する抗酸化物質として働いてるが、人が食べて摂取しても同様の働き=抗酸化力が期待できることが注目を集めている。

活性酸素は、人の身体の細胞の遺伝子を傷つけて細胞をガン化させたり、動脈硬化や白内障などさまざまな病気を引き起こしたり、体の抵抗力を低下させ老化を引き起こす原因になると言われている。

ファイトケミカルはこうした活性酸素を封じ込める働きがあるので、老化予防や病気の予防や改善のために働いてくれる。

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2008年7月23日 (水)

「看護・介護に外国人」の課題

05gihu_hana_festa21NHK・おはようコラム 「看護・介護に外国人 課題は?」から

日本の看護や介護の現場で働くために、インドネシアからの第一陣226人が、来月7日、来日することが決まったという。

インドネシアからの人材の受け入れは順調に進んできたかと言うと、日本政府の主たる目的とインドネシアの想いがずれをどう調整するかが大きな焦点となった。

今回の受け入れを巡っては、当初から、現場と日本政府の認識のずれが指摘されていたが、それが解消されないまま、インドネシアからの第一陣を迎えることになった。その認識のずれというのはこういうことだ。

日本の看護や介護の現場では人手不足が深刻だから、施設関係者は海外からの人材の受け入れを要望しているし、インドネシアの人たちも、日本で得られる高収入や高度な技術を学べることを期待して、来日には積極的である。

ところが、日本政府は、今回の受け入れは人手不足解消のためではなく、インドネシアとの経済協力に基づく、例外的に受け入れにすぎないとしているのである。だから、来日した人たちが、専門職として日本で長く働くのに、高いハードルを設けている。

看護師を目指す人は来日して3年以内、介護福祉士を目指す人は4年以内に、日本語の国家試験に合格して、国家資格を取得しなければならないというものだ。

今回の受け入れを成功させるには何が重要かと言うと。

インドネシアの人たちは、来日から半年間、日本語研修を受けたあと、病院や施設で働きながら、合格を目指すことになる。重要なのはその間の教育である。

施設任せにせずに、政府が試験に合格するための教育を支援する体制を整えることが必要だ。それと同時に、受け入れ施設で働く人たちの待遇を改善することも考える必要がある。

日本人が燃え尽きてやめてしまうような状況では、(実際は、給料があまりにも安く食べていけないと言う)適切な指導もできない、また海外から優秀な人材がきても、働き続けることはできないと思う。

インドネシアの人たちを、日本の看護や介護を担ってくれる専門職として育てていけるのかどうか。今回の受け入れは、高齢化が急速に進む日本で、優秀な人材を確保できるかどうかの、試金石になる。

今後注目して行きたい。

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ファンドが“インフラ”をねらう

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ファンドが“インフラ”をねらう。

いったいどうなっているのか、今世界は金余り現象という。アメリカのサプライムローンで世界の投資銀行は大損である。原油高等でアフリカなどの産油国にお金が山積みされて、使い道に頭を痛めているという。かって日本の資本がアメリカのビルを買い占めて事がある。

そんな、お金の使い道を、考えもつかないインフラに目を向ける。

NHKのクローズアップ現代で取り上げた。道路・空港・水道…。私たちの暮らしを支えるインフラを「儲かる投資対象」として、投資ファンドが買収する動きが活発化しているという。

海外では、最高機密の軍事情報を扱う通信衛星網までが買収の対象になる事態も。背景にあるのは年金資産などの世界的な金余り現象。

運用先を求めるファンドの資金が、安定的に収益を上げられるインフラに流れ込んでいるのだと言う。

日本でも、財政赤字に悩む地方自治体などが持つインフラを、ファンドが買収しようとする動きが強まっている。

公共サービスを提供するインフラは誰が担うべきなのか。将来の展望が見えないが、確実に変わる。

まだまだ、不確定要素の多い社会現象あ続くであろうが、この流れは止める事は出来ない。難しい世の中になって来たもんだ。

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働きがいあってこそ、活力を高める

E6_01xga ネットカフェ難民は一向に減らない。フリーターは30代・40代も増え続けているという。一方、介護士不足で、施設は立ち行かなくなる現象が起きている。そしてワーキングプアーなど年収200万円以下の収入では、所帯を持って暮らしていけない人が増えているという。これでは将来の希望が持てない。

日本の活力を高める雇用改善は構造改革から、手を付けなければ始まらないだろう。

バブル経済崩壊後、企業が相次いで導入した業績・成果主義的賃金制度は正社員の働く意欲を低下させている。と2008年版労働経済白書は指摘した。労働者を大切にする経営に立ち戻るべきだ。

人口減少時代の日本が今後も成長するには働く人が意欲を持ち生産性を高めていくことが大切だと思う。

日本の労働者は今、低賃金と長時間労働、パートや派遣といった不安定雇用の増加など苦しい状況に置かれている。白書によると「仕事の満足度」では雇用の安定や収入の増加、仕事のやりがいなど、ほぼすべての項目が1990年代以降、悪化しているという。

満足度低下の理由は正社員として働ける会社がないため非正規社員となった人が増加したこと、正社員では業績・成果主義の拡大で賃金が抑えられたためである。

とくに正社員では50歳代の長期勤続者の意欲低下が目立つ。成果主義の導入で「賃金が低い」とか「評価が納得できない」「職場のコミュニケーションが円滑でない」などを不満としている。

もともと成果主義は業績への労働者一人一人の貢献度を反映した賃金を決めることで、仕事への意欲を高める手法である。

ところが成果主義は結局のところ単なる人件費抑制に使われた。企業は利益を内部留保や株主配当、役員報酬などへ振り向け労働分配率を減らし続けた。これでは正社員でもやる気を失うだろう。

成果主義の問題点は昨年の白書でも「長期雇用の中で培われてきた経験や能力を正当に評価することが重要」と指摘している。

今年はさらに「評価基準がばらばら」で「説明も不十分」と踏み込み、同制度は「必ずしも成功していない」と明記した。企業はしっかりと見直すべきだろう。

もうひとつの課題は非正規社員の増大である。企業は国際競争力の強化に全力を挙げた。コスト削減は当然だが、人材投資まで減らしたことは失敗だ。白書が指摘する「長期雇用の重要性」を再確認すべき時期である。

政府にも注文がある。行き過ぎた労働法の規制緩和を見直すことだ。パートと正社員との均衡待遇や日雇い派遣の原則禁止に続き、契約社員などの有期雇用にも歯止めをかける。中小企業に配慮しつつ「雇用の安定」つまり正社員化を推進することが重要である。

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びっくりニュース

0107ukisima11今朝のNHKのニュースで、驚いた。まさか身近に殺人事件が起こるとは思って見なかった。私も、防犯パトロールなど5年も続けており、防犯講習会や研修会に参加している。そして、昨夜もパトロールを6人で行っている。

しかし、身近に起こるとは驚きである。犯罪は何処にでもある事を再認識をした。内容は次のとおりである。

22日午後9時半ころ、東京・八王子市の「京王八王子駅」の駅ビルの9階にある「啓文堂書店」の店内で、従業員の女性2人が店に入って来た男に突然、包丁で刺されました。

警視庁や東京消防庁によりますと、刺された2人のうち22歳の女性はまもなく死亡しました。また、もう1人の20代の女性が軽傷だということです。

刺した男は現場から逃走していましたが、まもなく駅の近くで駆けつけた警察官に身柄を確保され、殺人未遂の疑いで逮捕されました。

男は31歳の派遣社員と名乗っており、調べに対して「仕事がうまくいかずむしゃくしゃしていた。だれでもいいから刺したかった」などと供述しているということで、警視庁は詳しい状況を調べています。事件のあったビルは、京王八王子駅に直結する地上11階、地下1階のショッピングセンターで、飲食店や衣料品店など、66店舗が営業しています。

現場となったビルの9階は「啓文堂書店」がフロア全体を占めていて、店は午後10時に閉店することになっていました。

とにかく、世の中、平和ボケ一色の感じである。世の中の勢には、したくないが、少年少女の想像もつかない犯罪が、報道ニュースが後を絶たない。聞くほうも、またかという位で、気に留める感覚も麻痺になってしまって恐ろしい。

八王子は 7/26日花火  8/1・2・3日夏祭りである。気をつけないといけない。

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大暑真っ只中

今日の名言

どんなものでも、前もって思ってみるように、よいものはありませんわ。

G・エリオット『サイラス・マーナー』

Photoどの子にも夕立の来る空地かな 村嶋正浩

子どもの頃、野原や河原で遊んでいて、いきなり雷鳴とともに夕立に襲われて家へ逃げ帰った経験は誰にもあるにちがいない。そう、子どもたちは年中外で黒くなって遊んでいた。乾ききった田んぼ道をポツ、ポツ、ポツ、ザアーッと雨粒が背後から追い越してゆく。それを爪先で追いすがるようにして走って帰った記憶が、私には今も鮮明に残っている。

空地でワイワイ遊んでいる子どもたちにとって、夕立に濡れるのはいやだが、同時に少々ずぶ濡れになってみたいという好奇心もちょっぴりあるのだ。遊んでいた子どもたちの声は、夕立によって一段と高くにぎやかになる。しかも、夕立は大きい子にも小さい子にも、分け隔てなく襲いかかる。

まさしく「どの子」をも分け隔てなく夕立が包んでゆく情景を、作者はまず上五で見逃していない。どの子にも太陽光線が均一に降りそそぐように、夕立も彼らを均一に包んでしまう。あたりまえのことだが、そのことがどこかしらうれしい気持ちにもさせてくれる。気張ることなくたった十七文字のなかに、さりげない時間と空間がきちんととりこまれている素直な句。

正浩は詩人だが、俳句歴も長い。ほかに「眉消して少年の病む金魚かな」「夕端居手足長きを惜しげなく」などくっきりとした夏の句がある。「澤」(2008年7月号)所載。(八木忠栄)

 夫々に 団扇片手に  夕涼み

 人息と 汗が飛び交う 夏神輿

 光より  闇が音する  遠花火

夕立は、夏の風物詩のである。今の時期は、梅干を干す土用である。むかし、むしろ、3枚ぐらい干して、遠くにかみなりの音がすると、急いでしまった母親の姿を思い出す。今が一年で一番暑い24節気の大暑(7/22~8/6)である。今年の土用の丑の日は24日である。

うなぎ、偽装うなぎで大きなニュースなって、うなぎの人気がなくなったとか、貧乏人は食べれない。しかし駅前の路地裏から、煙が舞い上がり、食欲をそそる蒲焼の匂いはたまらない。

26日は、花火大会である。8月1・2・3日は夏祭りである。今年も交通整理に、借り出される。

 

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2008年7月22日 (火)

医師不足と掛かりつけ医者

07_sl_kurosawa21最近、風邪を引いても、町医者がいない。どうしたいいか判断に迷う。毎月通っている、脳外科で見てもらい、風邪薬をもらう。近くに町医者がいなくなったために、高齢化になった町民は、医者探しに大変である。バスを乗り継ぎ大学の付属病院に行くのだが、待ち時間長く朝7時に出かけ、帰宅は昼すぎとなってしまう。

この問題は、政治的にも大きな問題の一つである。

歯科医は、一つもなかったところに5個も出来た。歯科医では、風邪は見てもらえない。こんな所に医師不足の影響が出ているのか?将来が不安である。

国として桝添厚生労働大臣の働きかけで、有識者会議が発足した。そこで読売新聞の社説で「医師不足対策 増員だけでは10年かかる」のテーマで下記のような内容で記されていたので書きとめてみた。

医師不足を解決するには、相当に思い切った対策が必要だろう。厚生労働省がまとめた「安心と希望の医療確保ビジョン」を具体化するための有識者会議が発足した。

厚労省は新ビジョンで、医師の養成数をこれまでの「抑制」から「増員」へと方針転換した。医学部の入学定員を現在の約7800人から、どこまで増やしていくのか。有識者会議はまず、これを明示する必要がある。

医師数の抑制方針がとられる以前は、最大で年間8300人の医師を養成していた。ピーク時の水準までは早急に回復させるべきだろう。その上でさらに増員するのか、展望も示さねばなるまい。

だが、医学部の入学者が一人前の医師になるまでには、10年程度かかる。増員計画と同時に、即効性のある対策も不可欠である。

喫緊の課題は、新人医師の臨床研修制度の改善だ。

かつて新人医師の大半は、大学病院の医局で研修していた。しかし、専門分野に偏った医師が育つ弊害が目立ったために、一般病院でも研修できるようになった。

若い医師に幅広い臨床能力を身につけさせるという、制度の目的は理にかなっている。

ところが、研修医が予想以上に減って人手不足となった大学病院が、自治体病院などに派遣していた中堅医師を引き揚げた。これが急激な医師不足現象の大きな要因である。研修医の多くは都市部の病院を研修先に選び、医師偏在に拍車もかけつつある。

これを改めるには、研修先の選択方法に工夫が求められる。各都道府県に満遍なく研修医が配属されるような定員調整が必要だ。

また、これまで大学の医局に医師派遣を頼ってきた自治体病院に対し、必要な医師を配置する仕組みや組織作りも重要である。有識者会議は、診療報酬の在り方にも踏み込んでもらいたい。今日の医師不足は、言い換えれば「勤務医不足」だ。

総じて勤務医は、開業医より収入が低く、長時間勤務で医療に従事している。産科や小児科、救急など、昼夜を問わず診察を求められる部門は過酷だ。耐えかねた医師が開業医に転身している。

現状に歯止めをかけるには、勤務医向けの診療報酬を大胆に手厚くする必要があろう。開業医が交代で病院の夜間診療を応援する、といった取り組みにも、大いに報いるべきだ。

本当に必要な医療に、財源を集中することが重要である。

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一点集中して

05detohama11一点集中し、盆踊り準備を行って来たが、昨年のデーターや、執行部の考え・周囲の意向などの参考しながら、最高のシチュエーションというか、ディレクターの役目が出来るかそのことだけに、一点集中した、1週間であった。

ディレクター次第で盛り上がりが左右され、毎年地域の交流・コミニケーション、など総合理解を深めるには、町内の催しの行事である、盆踊り・お祭りがお年寄りから子供まで参加し、楽しめるステージだと思う。

近年、核家族が進み、2世帯住宅が少なく、地域の連帯感が薄れてい行くのを、実感せざるを得ない。

地域に住んでいる方には、同じ悩みがあり、要望・不満は同一であると言うことの意思統一が題であると思う。従って、普段からよく挨拶から、悩み相談、井戸端会議などが大事である。

盆踊り一つを取っても、今の時代に合わせた、生まれ育った故郷を見直し、本当の心の故郷とは、懐かしい、郷土の山や川での暮らしがあったから、今が生きられることの認識を高める内容にしたい。

そんな思いであった。その結果、天候にも恵まれ、二日間の行事「盆踊り大会」は無事に終了し、当日の買出しの清算をして、ほっとする。ちょっと風邪で、辛く本当に疲れた。

「張り詰めた糸は切れやすい」というけれど、弛みを持つことも考えないといけないと反省する。

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夏の花火

今日の名言

戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない。

クラウゼヴィッツ『戦争論』(上)

Photo宿題を持ちて花火の泊り客 半田順子

夏休みが始まり、平日の昼間の駅に子どもたちの姿が見えるようになった。夏休みのイベントのなかでも、花火と外泊は絵日記に外すことのできない恰好の題材だ。わが家も掲句同様、わたしと弟とそれぞれの宿題を背負い、花火大会の前後を狙って祖父の家に滞在するのが夏休みの恒例行事だった。

打上げ花火の夢のような絵柄が、どーんお腹に響く迫力ある音とともに生み出されていくのを二階の窓から眺めていたことを思い出す。打上げ音が花火よりわずかに遅れて聞こえてくることの不思議に、光りと音の関係を何度聞かされても腑に落ちず、連発になると今のどーんはどの花火のどーんなのかと、見事な花火を前にだんだんと気もそぞろになっていたこともまざまざとよみがえる。

そしていよいよ白い画用紙を前に、興奮さめやらぬままでかでかと原色の花火を描く。しかし花火を先に描いてしまうと、夜空の黒を塗り込むのがとても厄介になることも、毎年繰り返していた失敗だ。以前の読者アンケートに、このページを読んでいる小学生もわずかに存在するという結果が出ていたが、花火を描くときには「夜空から塗る」、これを愚かな先輩からのアドバイスとして覚えていてほしい。〈夏来ると浜の水栓掘り起す〉〈蝉穴の昏き歳月覗きをり〉『再見』(2008)所収。(土肥あき子

私は、花火には、あまり感動しない、女房のもの凄い、花火に対する想いが強く、よく付き合わされる。熱海の花火で、ホテルに泊まったり、あちこちの花火大会につき合わされ閉口した経験はしばしばである。

遠くで、音が聞こえないが、静かに夜空を彩る風情はいいが、近くで人ごみに分け入り、花火スポットを探すのが嫌なのである。

熱海後楽園ホテルに宿を取り、両親と義母の妹二人を招待したことがあった。女房の熱烈な申し入れで、計画に乗せあられた。いやな、顔も出来ず応じたが、酷く気を使い疲れた思い出がある。

孫達が夏休みで、我が家に泊まりに来る。線香花火で、遊ぶのだが静かにパチパチとする位が好きである。

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2008年7月21日 (月)

熱中症に気をつけたい

今日の名言

外国へ行く者が、よく事情を知らぬから、知らぬからと言うが、知って往こうというのが、善くない。
何も、用意をしないで、フイと往って、不用意に見て来なければならぬ。

勝海舟『新訂 海舟座談』

06oga_toga11暑うしてありありものの見ゆる日ぞ 今井 勲

作者は私と同年。昨夏、肝臓ガンで亡くなられたという。句は亡くなる前年の作で、何度も入退院を繰り返されていたが、この頃は比較的お元気だったようだ。が、やはりこの冴え方からすると、病若の句と言うべきか。暑くてたまらない日だと、たいていの人は、むろん私も思考が止まらないまでも、どこかで停止状態に近くなる。

要するに、ぼおっとなってしまう。でも作者は逆に、頭が冴えきってきたと言うのである。「見ゆる日ぞ」とあるから、暑い日にはいつも明晰になるというわけではなく、どういうわけかこの日に限ってそうなのだった。ああ、そうか。そういうことだったのか。と、恐ろしいほどにいろいろなことが一挙にわかってきた。

死の直前の句に「存命の髪膚つめたき真夏空」があり、これまた真夏のなかの冷徹なまでの物言いが凄い。「髪膚(はっぷ)」は髪の毛と皮膚のこと。

人は自分に正直になればなるほど、頭でものごとを理解するのではなく、まずは身体やその条件を通じてそれを果たすのではあるまいか。病者の句と言ったのはその意味においてだが、この透徹した眼力を獲得したときに、人は死に行く定めであるのだとすれば、人生というものはあまりに哀しすぎる。

しかし、たぶんこれがリアルな筋道なのだろうと、私にはわかるような気がしてきた。こういうことは、誰にでも起きる。遺句集『天樂』(2008・非売)

この処の連日の猛暑は、気象庁の天気予報では、猛暑の予報で、水分補給、帽子着用して、熱中症に気をつけるように付け加えている。でも、ニュースで200名ぐらいが病院に運び込まれているという。

私も、盆踊りの支度で、外にでる機会が多い、昨年も熱中症になった経験があり、気をつけたい。何しろ、昨日、今日と汗で下着を取替え3回である。

また、この3連休で、水の事故が多くなるだろう。気をつけてもらいたい。

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2008年7月20日 (日)

下着の取替え

今日の名言

殿方って、お言葉はみんな似たり寄ったりで、実際になさることを見なければ、その違いがわかるもんじゃありませんわ。

モリエール『守銭奴』

15401胸に手を入れて農婦は汗ぬぐふ 佐藤靖美

かつて読んだ本の中に、こんなことが書いてありました。「「ゾウが汗だく」とか「ライオンが額に汗して……」なんて光景は、ついぞお目にかかったことがない。」そういえばそんなものかと思い、続きを読むと、なぜ人間以外の動物が、汗だくにならないかという理由が書かれていました。

いわく、「決定的な答えはひとつ。動物たちは、汗をかいてまで体温を下げなくてはならないようなことを、しないだけだ。」(加藤由子著『象の鼻はなぜ長い』より)。

さて、本日の句を読むまでもなく、人間は汗をかいてまで体温を下げなくてはならないようなことを、しているわけです。無理をしなければ生きていけないのが人間、ということなのでしょうか。

言うまでもなく、句中の農婦が汗をかいたのには、堂々たる理由があります。農作業中に「胸に手を入れて」汗を拭くという行為は、その動きの切実さゆえに、読者を感動させるものを持っています。

まっとうな行為としての重みと尊厳を、しっかりと備えているからなのでしょう。みっともないとか、見た目が悪いとかの判断よりもずっと奥深くにある、人間の根源的な営みを、句は正面から詠もうとしています。『角川 俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)

いやー、この所に暑さには閉口してしまった。入梅明けという事もあって、その上外の作業が多いせいか?毎日、下着を取り替える件数が3回もしないと次の行動に移れない。そのたびにシャワーを浴びるのである。しかし、何もしないで冷房が効いた部屋でのんびりしていれば別だが・・・。

それだけ、元気に外で作業し、体を動かしていられるから、幸せである。

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2008年7月19日 (土)

今日から夏休み

05ainokura11昨日、小学生が大きな袋を重そうに持て帰っていく姿を見た、そして通知表を友達同士で見せ合って日焼けした顔で、笑いながら道路を歩いていた。今日から、夏休みの学校は多い。

毎年ではあるが、水の事故・交通事故のニュースを聞き、親を卒業した私だが、遠くにいる孫が気になるところ。8月の最終日曜日に海水浴を二家族を招待しホテルを予約した。無事に夏休みを過ごしてもらいたいと思う。

夏休みに山に行き昆虫採取などを私の子供の頃はしたものだが、今の子供はどうだろう。

何時も考えているのだが、昆虫でも人間でも同じだが、生まれてから短い時間で死んでしまう生きものもあれば、長い年数を生きぬくものもある。生まれてから死ぬまでの時間、つまり一生の長短は生きものによってさまざまですが、人間は短いと嘆き、長寿であると喜ぶ。そして人間だけが生に執着し、死を恐れる。

植物の種があってもそれだけでは発芽しない、土があって水があって太陽の光があって、初めて芽が出る。生きものが生まれるためには必ず親が存在する、親があって子が産まれる。人間も一人の男と女があるだけでは子は生まれない、その男と女が出会って精子が卵子と結びつくことによって新しい命がめばえる。新しい命は子となり、男と女は親となる。そして新しい命が芽生えた瞬間に生老病死が始まる。

この生老病死を苦しみと認識するのも、生きものの中では人間だけだ。どうして人間は生老病死を苦しみと認識するのだろうか。人間だけが老ねばならぬ苦しみ、病むことの苦しみを感じて、老や病と戦おうとする。長く生きたいと願い、老いや病、死を嫌うのも人間だけである。

今日から三連休である。夏休みに入った子供と一緒に遊んで、昆虫観察でも考えてみてはどうだろう。そして昆虫の一生も人間の一生も同じという事を一緒に学んで欲しいと思う。

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お祭りとコミニケーション

今日の名言

学者は、国家を装飾するものだ。

勝海舟『新訂 海舟座談』

Img_0032祗園会に羽化する少女まぎれゆく 津川絵理子

少女が羽化する、という表現は特に目新しいものではないのかもしれないが、少女は羽化する生きものである。さなぎの沈黙の中で、日々大きく変わってゆく少女とは、十代半ば、中学生位だろうか。まだランドセルが似合いそうな新入生が、中学卒業の頃には確かに、明日から高校生、という面差しとなる。

それから自分自身を、一人の人間としてだけでなく、一人の女として意識せざるを得なくなり、少女の羽化が始まる。それは、さなぎが蝶になる、といったイメージばかりではなく、たとえば鏡の中の自分の顔をあらためて見ながら、小さくため息をついたことなど思い出される。

生まれながら無意識のうちに、自分が男であるという自覚を持っている男性に対して、女性は自分が女であることを、ある時ふと自覚する。そんな瞬間が来るか来ないかといった頃合の少女は、軽やかな下駄の音を残して、作者の横をすりぬけ、祭の賑わいの中へまぎれ消えてゆく。

祇園会は、七月一日からさまざまな行事が約一ヶ月続き、十七日の山鉾巡行がクライマックスといわれる勇壮な祭。いつにも増して観光客が多い京都の夏、そこに生まれ育って女になってゆく少女達である。『和音』(2006)所収。(今井肖子)

そういえば、田舎の百姓の生活は、“ものび”の時しか楽しみはなかった。年に一度のお祭りは、その一つで、大勢の参拝客が集まり賑やかであった。浴衣姿の若い娘さん達も、人目に引いて欲しいとの思いで、髪の匂いは男を振り向かせる。掲句のように若い男女のステージは、お祭りは最高の場所であった。

ところで、今日は年一回の盆踊り大会である。その主催となってしまって、準備は一ヶ月前から行って来たが、何と言っても、お天気が気になるところ。昨日は、予報通り午後から雨が降った。今日はどうだろう。

最近は、参加する人が減ってしまい、何とか趣向を凝らしてみているのだが、町民の心を掴むのは難しい。私は、普段取れないコミニケーションの場を提供してあげようと思っているのだが・・・。

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2008年7月18日 (金)

野茂英雄選手の引退

0107ukisima11野茂投手は今季、ロイヤルズとマイナー契約を結び、開幕直後に3年ぶりとなる米大リーグ昇格を果たした。しかし、中継ぎで3試合に登板しただけで、4月20日に戦力外通告を受けた。現役続行の道を探ったが、獲得に乗り出す球団はなく、引退を決意したとみられる。

野茂投手は大阪・成城工高から社会人・新日鉄堺に入社。88年の第59回都市対抗野球で若獅子賞(新人賞)を獲得したほか、88年ソウル五輪では、日本代表として銀メダル獲得に貢献した。90年ドラフト1位で近鉄入団。体を大きくひねる「トルネード投法」で話題を集め、新人王や、入団から4年連続で最多勝・最多奪三振のタイトルを獲得した。

それまでは夢の世界だったメジャーのグラウンドで野茂が活躍する姿に、ファン以上に心を躍らされたのは日本球界の選手だった。野茂が開いた道をイチロー、松井秀、松坂ら、各球団のスーパースターがたどることになった。

日米通算201勝という輝かしい成績、ノーヒットノーランは、2回あった。「日本人もやれば出来る」「アメリカの野球にも、日本人も通用する事を実証した」など、日本プロ野球の緒先輩の方の評価は高い。本人はもとより、日本少年野球の夢を描いてくれた功績は大きいと思う。39歳まだまだやれる、と人は言うけれど本人の希望であり、ゆっくり休んで、今後のことを考えたらいいと思う。「本当にお疲れ様でした。」

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真夏の花・夾竹桃と百日紅

今日の名言

いづれの行もをよびがたき身なれば、とても地獄は一定(いちぢやう)すみかぞかし。

唯円『歎異抄』

Img312_0610161紅の花枯れし赤さはもうあせず 加藤知世子

紅の花が夏に枝の先に黄色の花をつけ、しだいに赤色に変化してゆく。赤色になった紅の花はやがて枯れてしまうが、枯れてしまった赤さはもう色褪せることはないと作者は事実を言う。これは事実だが作者の思いに聞こえる。どういう思いか。それは命が失われてもその赤が永遠に遺されたという感動の吐露である。

花の色はそのまま人間の生き方の比喩になる。眼前の事物を凝視することから入って、人生の寓意に転ずる。これは「人間探求派」と呼称された俳人たち、特に加藤楸邨、中村草田男の手法について言われてきたことだ。「人間探求派」の出現の意義は反花鳥諷詠、反新興俳句にあった。

だから従来の俳趣味に依らず、近代詩的モダニズムに依らずの新しいテーマとして、写実を超えたところに「文学的」寓意を意図したのだった。加藤楸邨理解としてのこの句に盛られた寓意は手法として納得できる。一方で楸邨は「赤茄子の腐れてゐたるところより幾許もなき歩みなりけり」の齋藤茂吉の短歌を自分の目標として明言している。

茂吉の腐れトマトの赤は寓意に転じない。もっと視覚的で瞬間的な事物との接触である。この知世子句のような地点の先に何があるのか、そこを探ることが「人間探求」の新しい歴史的意味を拓いていくことになる。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)

夏にふさわしい花、夾竹桃、百日紅である。さるすべり呼ぶ場合ああ、幹の肌がつるつるしているので、なるほどと思うが、我が家の百日紅は、母が10年ぐらい前に50センチ位の苗を植えてもらったのが、樹の丈は3メートルぐらいになったが、枝は細くまだ全然つるつる感はない。でも、今年も枝先に一杯花のつぼみが見られる。名前の通り3ヶ月も咲き続ける。

その百日紅を植えてもらった、お袋は今年4月に93歳で、亡くなった。ふさふさとした、赤い花を見ると母を思い出してしまいそう。

夾竹桃は、ギラギラと強い日差しに映えるように深紅な花びらを風にゆすられている。遠くに海が見え白い砂浜が続く先にある、白壁の家に似合う花である。

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2008年7月17日 (木)

14歳の少年がバスジャック

1020208_img1 16日昼すぎ、愛知県岡崎市の東名高速道路を走行していた高速バスで、乗客の少年が運転手にナイフを突きつけてバスジャックしましたが、およそ1時間後に警察に逮捕された。
少年は山口県の14歳の中学2年生で、「親に怒られて嫌がらせのためにやった」などと供述しており、警察が詳しく調べている。
今回の事件について、少年犯罪に詳しい精神科医の町沢静夫さんは「少年の供述などからは、『自分はちっぽけな人間ではない。やるときはやるんだ』という劣等感とは裏腹の自己顕示欲が見える。目立つことをすれば有名になれるという情報化社会の危険性を、自分の犯罪に持ち込んでいる」と話している。
また8年前に起きた当時17歳の少年によるバス乗っ取り事件と比較して、「情報化社会の広がりは圧倒的に大きくなっているが、事件の根幹にある社会の病理や少年たちの悩みや苦痛はきわめてよく似ている。家族などへの小さな敵意があっという間に社会全体に対する敵意に変わっている。秋葉原の通り魔事件のように殺人を実行に移すことはできないが、『でもやってやれ』という少年ならではのおびえが見え隠れしている」と話す。

意外とおとなしい、一見何の不足は見られないが、この思春期の、個性が確立する前の不安定な年頃なのかも知れない。ネット社会、家族のコミニケーションが軽視され本当の少年の心の動きを掴みきれない家庭が多いと聞く。

この少年も、好きな彼女のことで父親に怒られたという。そのための反抗で、両親始め、世間を騒がせたく行動を起こしたという。大きく外れた事になってしまった結果だ。

世間の刺激が欲しい、天地が日繰り替えればいいと思う反面、自分はその外野で見ているいわゆるバーチャル・リアリテイの世界を夢見ているのではないかと思う。だから落ち着いて行動を振り返ると「何て馬鹿な事をしてしまったんだろう」と猛反省する素直な人間だ。

見方を変えれば、我慢が出来ない、自己顕示欲の強い人間が多い世の中になったその一人かも知れない。



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早朝にブログを書く

今日の名言

偶像にふれてはならない。金箔がはげて手に残る。

フローベール『ボヴァリー夫人』(下)

08adachi_bizyutukan11

涼しさよ人と生まれて飯を食ひ 大元祐子

意外なことに「涼」とは夏の季題である。暑い夏だからこそ覚える涼気をさし、手元の改造社「俳諧歳時記」から抜くと、「夏は暑きを常とすれど、朝夕の涼しさ、風に依る涼しさ等、五感による涼味を示す称」とあり、前項の「釜中にあるが如き」と解説される「暑き日」や「極暑」の隣にやせ我慢のように並んでいる。

食事をすると体温はわずかに上昇する。これは「食事誘発性体熱産生反応」という生理現象だという。掲句では「飯を食う」という手荒い言葉を用いることによって、食べることが生きるために必要な原始的な行動であることを印象付けている。また、その汗にまみれた行為のなかで、今ここに生きている意味そのものを照射する。

体温が上昇する生理現象とはまったく逆であるはずの涼しさを感じる心の側面には、喜びがあり、後悔があり、人間として生きていくことのさまざまな逡巡が含まれているように思える。ものを食うという日常のあたりまえの行為が、「涼し」という季題が持つやせ我慢的背景によって、知的動物の悲しみを伴った。

そういえば、汗と涙はほとんど同じ成分でできているのだった。『人と生まれて』(2005)所収。(土肥あき子)

連日、熱帯夜が続く、夜中に目が覚めると、下着が汗でビッショリである。シャワーを浴びないと寝れない。時間は2時30分である。シャワーを浴び、着替えが終わると3時である。そういう日が続いている。まだ暑さは、まだ序の口というの参った参った。

クーラーは、体に良くないし、この所体に暑さが応える。3時からパソコンを弄っていると4時30分外は明るい。鉢物に水遣り、芝刈りをして5時40分朝食の支度をする。

涼しい早朝の脳は冴えている。集中力が一日の内で一番いいと思う。この時間にブログを書く事が多い。

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2008年7月16日 (水)

20万隻の漁船による一斉休漁

07kitayamazaki_yoakemae11私も魚が好きで、毎日食べている。魚が高くなったらどうしようと先が暗くなってしまう。世界的な現象で、日本だけではない原油高騰である。そこで、全漁連の一斉休業の処置を取り政府に窮状を訴えということだが、ここは冷静にならないといけないと思う。

原油高に苦しんでいるのは漁師だけではない。農家や運輸業界も同様だ。厳しい財政事情を考えれば、税金のばらまきにつながってしまう燃料費への直接補助は困難だろう。

日本の漁業界も、国の支援を求める根拠として、漁業の体質をどう強化していくのか、青写真を示す必要がある。一斉休漁は、流通業者や消費者も、魚消費のあり方を見直す契機になる。特に、流通システムにはメスを入れなければならない。

魚の価格はセリで決まり、燃料費の上昇分を転嫁しにくい。しかも、流通業者は、売れ残って捨てる魚のコストまで、流通経費に上乗せしている。

これでは燃料費が高騰すれば、たちまち赤字になるのも無理はない。流通の効率化や計画的な仕入れを進めることで、漁師の取り分を増やす努力が必要だ。

燃料費の負担増が大きい遠洋マグロ漁は、8月以降の長期休漁も決まっている。すでに小売価格も、じわじわと上昇している。魚の値上がりは、消費者の魚離れを一層助長しかねない。漁業界は、政府の対応次第では再度の一斉休漁も辞さない構えだが、魚価上昇をもたらす頻繁な休漁は、国民の理解を得られないだろう。

私は、マグロが獲れないというニュースを見たとき、また、うなぎが値上がりすると聞いた時それに変わる食べ物を探せばいい、そうしなければ生活出来ない。高齢者の年金生活者はそうするしかない。

政治家の判断は、経済構造の改革をする時期に来た。早急に手をつけるべきだ。

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雲と思いで

今日の名言

どんな大金持でも、贈り物のことになると、妙にしみったれて、出し惜しみする人がいるもんよ。

『サキ傑作集』

15401雲ひとつ浮かんで夜の乳房かな 浅井愼平

無季句。季語はないけれども厳寒の冬ではなく、春あるいは夏の夜だろうと私には思われる。まだ薄あかるく感じられる夜空に、白い雲が動くともなくひとつふんわりと浮かんでいる。雲というものは人の顔にも、動物の姿などにも見てとれることがあって、それはそれでけっこう見飽きることがない。

雲は動かないように見えていて、表情はそれとなく刻々に変化している。この句の場合、雲はふくよかな乳房のように愼平には感じられたのであろう。対象を見逃さない写真家の健康な想像力がはたらいている。

遠い夜空に雲がひとつ浮かんでいて、さて、目の前には豊かな乳房があらわれている――という情景ととらえてもよいのかも知れない(このあたりの解釈は分かれそうな気がする)。そうだとしても、この句にいやらしさは微塵もない。夜空の雲を見あげる写真家の鋭いまなざしと、豊かな想像力が同時に印象深く感じられる。

カメラのピントもこころのピントもぴたりと合っていて、確かなシャッターの音までもはっきりと聞こえてきそうである。「色のなき写真の中のレモンかな」という別の句にも、同様に写真家によるすっきりした構図といったものが無理なく感じられる。『夜の雲』(2007)所収。(八木忠栄)

雲の動きを見ていると、色々な、表情が思い出される。私の子供の頃、母親に手を引かれ夕方の町を歩いた時にどんどん流れる黒い塊の雲が人間を連れ去さってしまうのではないかと思うくらい怖い思いがし、母親の手をしっかり握ってしまった。

夏の入道雲、黒い台風雲、秋の鰯雲、冬の雪雲、梅雨時の雲、など夫々の表情があって面白い、そこに人の想いがあって、詩ができ、画ができる。

山の上の雲、遥か遠くの雲を眺めていると、孫達はあの雲の下にいる、今元気にしているのかな・・・。

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2008年7月15日 (火)

竹島問題に思う

282_field111何か「中途半端」な対応で、深まる混乱を引き起こしたようだ。この問題は、3年前にも大きな問題になって、韓国の住民が住み込むという異例の事態になった経緯がある。勿論、福田康夫首相も、当然分かっている事だが、何故いまでなければいけなかったのか、とすると事前に両国の首脳の話し合いで、今のままで何故いけないのか、島根県の知事の言うように強行に決め付ける大きな物的証拠があり、韓国に、納得してもらえる自信で対応すればいい。

しかし、この問題に、「わが国の領土について理解を深めわさせることが必要だ」。などと中途半端な学習指導要領であるという。渡海文化省大臣と町村官房長官との話し合いで、福田首相の最終判断という。これでは、韓国民ならず、日本の国民も納得で出来ない人が多くいてもしかたがない。

福田康夫首相のインタビューでは、何と頼りない人任せな発言が、印象を悪くした感じであった。

韓国と日本の国民の温度差というものがある。この問題を契機に、イ・ミョンバク大統領と良くなりつつあった日韓関係に水を差した感じで、大きな広がりにならなければと思う。

ただ、今回の解説書はあくまで日本政府の従来の見解に沿ったものに過ぎない。4社の教科書はすでに竹島を取り上げている。大多数の日本国民は良好な日韓関係を維持したいと望んでいる。日本政府はあらゆる機会にそのことを韓国に丁寧に説明すべきだ。

NHK焦点のニュースより                                         文部科学省は、日本が領有権を主張している「竹島」について中学校で教えるよう、教科書の作成の指針になる学習指導要領の解説書に初めて記しました。
しかし、「日本固有の領土」という表現は避け、同じように領有権を主張する韓国側に配慮した記述となりました。
島根県隠岐島の北西にある「竹島」をめぐっては、日本と韓国の双方が領有権を主張していますが、韓国では国が定めた教科書に「自国の領土」と明記されているのに対し、日本では竹島について書かれた教科書は、地理では6冊中1冊、公民では8冊中3冊にとどまっています。
このため文部科学省は、竹島について「北方領土」と同じように中学校の社会で教える必要があるとして、教科書を作る際の指針となる学習指導要領の解説書に「竹島は日本固有の領土」だと明記する方針を固めていました。
これに対して韓国の国会が、日本に竹島に関する記述を解説書に入れないよう求める決議案を採択するなど韓国側が激しく反発したため、政府内で対応を協議してきました。
その結果、文部科学省は、解説書の内容を「わが国と韓国との間に竹島をめぐって主張に相違があることにも触れ、北方領土と同様にわが国の領土について理解を深めわさせることが必要だ」として、竹島について初めて記す一方で、「日本固有の領土」という表現を直接は使わず、韓国政府に配慮した記述にしました。
解説書に竹島を明記したことで、新しい学習指導要領が実施される4年後から、すべての教科書が竹島について触れることになる見通しです。
文部科学省教育課程課の高橋道和課長は、記者会見で「外務省と調整し、官邸とも相談しながら最終的に判断した。竹島についても北方領土と同じように理解させると記しており、子どもたちに竹島の領土問題を教えるための記述として問題ないと考えている」と話しています。

韓国側の怒りも分からぬではないが、解説書では竹島の領有権をめぐって日韓の間の主張に相違があることを客観的に明記している。 互いに主張し、違いがあればあることを認め合ったうえで、冷静に打開を図ることが、今は大事だとおもう。

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火曜日のこと

今日の名言

愛し合わなくなった時に、愛し合ったことを恥ずかしく思わない人は、めったにいない。

『ラ・ロシュフコー箴言集』

03kisyoubu11火曜日は原則としてプールの日 山本無蓋

本日火曜日。原則として、などといかめしく始まる斡旋に、わが火曜日に何ごとが起こるのかと身構えてみれば、ごく私的な「プールに行く日」なのだという。作者が大真面目であればあるほど、とぼけたおかしみに吹き出す。ことに火曜日に発見があるのではないか。

月曜日の憂鬱もなく、週末への期待もまだまだ遠く、一週間のなかでもっとも意味を持たれにくい曜日である。日曜日に市場に出かけ~♪で始まるおなじみのロシア民謡『一週間』でも、月曜日にせっせと準備したお風呂に、火曜日はただ入るだけという気楽な設定である。

まったく印象の薄い曜日だと納得していたが、最近「スーパーチューズデー」で一躍火曜日が注目された。アメリカ合衆国では選挙投票日が必ず火曜日に設定されている。これは19世紀半ばから続く慣習で、キリスト教では日曜日が安息日とされていることから、月曜日に投票場へと出発し、どんなに遠隔地からでも火曜日には到着しているあろうという、なんとも先のロシア民謡的ゆるやかな理由からなるものだった。

ともあれ、火曜日はなんとなく予定も空いているような曜日であることは間違いなく、掲句も固く決めておかないと突発的残業やら突発的飲み会などの優先順位についつい負けてしまうのだろうな。『歩く』(2008)所収。(土肥あき子)

むかし、夏休み期間中、娘が小学生のころ火曜日がプールであった。天気の影響で、でない日があったりする事があるので、近くのアパートに旗を立てて知らせる事で、子供を持つ家に教えていた。その娘は、小学生の娘を持って、夏休みの水泳はどうしているのだろう。なんだか水泳は、得意で特別に練習をしているとのことだ。今は、携帯電話、パソコンでメールで知らせるのだろうが・・・。

そして、火曜日は防犯パトロールである。始めて5年目になる。たかが30分の時間であるが、火曜日となると、パトロール参加しなければ、他の人に申し訳ない。と思い、責任が、気分を重くする。しかし、他の人には、体調が悪かったり、用事があったりしたら、遠慮なく休んでいいですから、何より長く続ける事にあるのが目的であるから、出られる時に参加して頂ければいいのです。と、何時も言っている。

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2008年7月14日 (月)

日本の品格が問われる大分の教員汚職事件

0107ukisima11 大分県の教員採用汚職事件で、採用や昇進人事が金品で左右されていた実態が次々と明らかになっている。教員採用や人事をめぐる縁故や口利きの疑惑は、大分だけの問題ではない。他の教育委員会も徹底的に調査し、不正の根を絶たねばならない。

事件で逮捕された採用実務担当の県教委参事は、上司の元教育審議監から受験者の名前を指示され、合格させる点数の改竄(かいざん)工作までしていた。点数水増しだけでなく、本来、合格点に達していた受験者を減点するなど許し難い不正だ。

文部科学省が当初、県教委の調査を見守る姿勢だったのには首をかしげる。渡海文科相がやっと「保護者、国民が教委の人事にいろいろ疑問を持っているのは否めない」とし、他の教委にも調査を求めたのは当然だ。

一体不正で、教員になった人は、何人いて、誰と誰なのかわからない。そういう不正のお陰で優秀な人材が失われていく、という事のみではない。思想・信条などの立ち入った内容・何か日教組などに関係する影が見え隠れしてきそうな事態となって、疑えばきりがない。

日本の教育・道徳を大きく問題となって来たおり、当然、都道府県にも疑いの目は向けられ、国会議員の名も囁かれてきたとなれば、日本の教育そのものを覆す、国際的にも、品格のない恥さらしな、事件となって来た。

最も、こういう土壌は、知らず知らずに培われてしまった日本政府の教育の取り組みに問題あったものと思う。

官僚の文面で、左が右、上が下という解釈できる訳の分からぬ、小利口な、狡いなやり取りを見て(13日サンデープロジエクト)驚いた。

こんな、政・官・財の癒着構造の日本の構造では、いくら外国からの侵略から守る政治・安心安全政治など掲げても、国民の信頼はなくなるばかりである。本当に日本の品格が問われる事件だ。

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向日葵とお盆

今日の名言

確かに、たとえ卵焼きを作るためだけであっても、家を燃やしかねないのが、極端な利己主義者の本性である。

『ベーコン随想集』

Sunflower_0041向日葵に路面電車の月日かな 藤城一江

今年も、向日葵が勢いよく咲く季節になった。向日葵に限らず夾竹桃も百日紅なども、夏の花はみな元気だ。そんな向日葵が咲きそろった舗道を、路面電車が通過していく。この電車、相当に古びているのだろう。

レール音も、心なしか喘いでいるように聞こえる。この街に住んで長い作者は、その昔、まだ電車が向日葵を睥睨するようにして、颯爽と走っていた時代を知っているのだ。それが年を経るうちに、いつしか立場は逆転して、いまや路面電車に精気はほとんど感じられない。

かたや向日葵は、毎夏同じように精気にあふれているのだから、いやでも電車の老朽化を認めないわけにはいかなくなってきた。すなわち、それは作者自身の老齢化の自己認知にもつながっているのであり、なんでもないようなありふれた光景にも、このように感応する人は感応しているのである。

路面電車といえば、広島市内には、かつての各地の路面電車の車両が当時そのままの姿で走っている。以前同市を訪れた際に、あまりの懐かしさに行く宛もないまま、昔の京都スタイルの市電に乗ってしまったのだった。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)

体調を崩して、三日ばかり書いていない。そういえばお盆である。お盆はその土地々で違う普通は、お盆は7月13日お盆迎え火~7月16日お盆送り火。月おくれお盆迎え火8月13日~月おくれお盆送り火、である。

しかし、私の住む町では、13日、23日、 8月1日、などがあった。そんなにバラバラな日があった理由は、農家の仕事の都合からだ。23日はお蚕(夏子)の区切りがつく時期である。8月1日は、田の草取りなどの一連の仕事が片付く時期であるそして、7月25日が天神様のお祭りであるためだ。

向日葵と言えば、昨年まで、私が植えた苗が花が咲き種がこぼれて毎年、自生し花を咲かしていたが、今年は自生しない。河川敷通路である。ちょっと寂しい。

今年もわが町会も盆踊り大会を19(土)20(日)に行う、準備が大変だ。何とか体調を戻さないと、皆に迷惑かけることになってしまう。

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2008年7月12日 (土)

原油高騰で生活に変化

Kamejima41原油高騰でガソリン始め、関連物資の値上げで、今年の夏休みは、海外、国内も旅行も、大分流れが変わりそうだと言う。それはそうであろう何と言っても、全ての物資に影響して来るのだからだ。

国も地方も7月7日に、一斉に行った。広告塔や、ライトアップの証明を一時消す事を呼びかけて行ったが、週に何回するかを決めて、温出効果ガス削減に国民の一人一人の意識の高揚になればこんな良い事はない。

本気で地球の温暖化の危機を考えて、実施する事は大事な事だと思う。

家庭の経済は、収入は現状維持で、ガソリンの値上げ、穀物の高騰で、生活形態を見直さなければ借金から、破産と言う道に滑り込んでしまう。

何としても、生活レベルを落としても、借金地獄には陥りたくない。それにしても、漁船の出港の見合わせなどの問題がテレビのニュースにあった。タクシーや、運送業者なども大きな痛手だろう。

いずれにしても、今までの生活観念では続ける事は出来ない。レベルダウンは、やもう得ない。

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土用の梅干し

今日の名言

法の終るところ、専制がはじまる。

ロック『市民政府論』

15401干梅や家居にもある影法師 山本洋子

子供の頃に住んでいた家には梅の木があり、毎年たくさんの実をつけた。縁側にずらりと梅の実が干されていたのは梅雨が明けてから、もうすぐ夏休みという、一年で一番わくわくする時期だったように思う。

この句の梅は、外に筵を敷いて干されているのだろう。小さな梅の実にはひとつずつ、濃い影ができている。影は、庭の木に石に、ひとつずつじっと寄りそい、黒揚羽と一緒にやぶからしのあたりをひらひらしている。

干している梅の実がなんとなく気にかかって、日差しの届いている縁側あたりまで出てくると、それまでひんやりとした座敷の薄暗がりの中でじっとしていた影法師が姿を見せる。影法師という表現は、人の影にだけ使われるという。

寓話の世界では、二重人格を象徴するものとして描かれたりもするが、じっと佇んで影法師を見ていると、どこにでもついてくる自らの形を忠実に映している黒々としたそれが、自分では気がついていない心の奥底の何かのようにも思えてくる。『木の花』(1987)所収。(今井肖子)

夏の土用の干しをする光景は昔の農家ではよく見られた。ちなみに今年は7月24日だそうだ。赤紫蘇の葉に良く染まった、梅を筵に干しているところを見ると、思わず口に唾液がたまってしまう。三日三晩干すのだということは、お袋が良く言っていた。(ひその葉は、間違いでした=しそ=紫蘇が本当である。でも方言?で、通用していた?。14日更新)

梅にも色々な種類があって、どうも昔、竹ざおで叩いて落とした我が家の梅は、数は生(な)ったが、実は小さかったようだった。木に登って、一つ一つもぎ落すなんて出来ない木肌が滑らかでないからである。

そういえば、桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言っていた親父は、春先になると枝を良く切っていたことを思い出す。

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2008年7月11日 (金)

北の申告と6者協議

07tamurano_yuhi31朝日新聞社説(抜粋)                                                     北朝鮮の核問題をめぐる6者協議が約9カ月ぶりに北京で始まった。どんな核開発をしてきたかについて北朝鮮は先月、申告書を提出した。それを受けての協議再開である。

この協議でまずすべきことははっきりしている。申告の内容が事実かどうかを厳しく調べる検証の仕組みをつくることだ。 検証には、黒鉛減速炉や使用済み燃料の再処理施設など、申告施設に対する立ち入り調査が欠かせない。サンプルの採取や、核開発の責任者への聞き取りも徹底する必要がある。

それらをいかに効果的に進めるかを協議で早急に詰めてもらいたい。米中ロの核保有国をはじめ日本や韓国が検証にどう参加していくか、国際原子力機関の専門家を加えるか、検討すべき課題は多い。北朝鮮はこれに誠実に協力しなければならない。

申告の内容はプルトニウム型の核開発に限っているという。そのプルトニウムは38キロあり、うち30キロはすでに抽出して、26キロを核兵器の製造にあてたとしているようだ。

米国はかねて抽出可能量をもっと多めに推計していただけに、この申告が事実かどうか調べなければならない。 さらに、第1次核危機が起きた90年代初期に、いったいどれだけ抽出したのかなど、不明な点が多い。

そもそも今回の核申告は、6者で合意した「完全かつ正確」なものにはほど遠い。日本にとって深刻な脅威である核兵器を北朝鮮はいくつ持っているのか、その製造施設や保管場所、核実験場はどうなのか。そういう肝心な点に全く触れていないという。

また、02年に明るみに出たウラン濃縮疑惑や、シリアへの核技術の拡散問題では、北朝鮮は申告とは別の文書を米国に出し、あいまいな形で済ませている。

北海道洞爺湖サミットの議長総括では、核申告の検証と核放棄の重要性を強調し、「拉致問題の早期解決」を含む速やかな行動を北朝鮮に強く求めた。国際社会の声の重さを北朝鮮に突きつけなくてはいけない。

北朝鮮の外交政策である、カード外交で、今回も約束を守らせるには、現地をIAEA(国際原子力機関)の査察と申告の徹底分析が必要であるのは、当然である。

それまで、経済協力・テロ支援国家指定の解除はすべきでない。今加藤元自民党幹事長の「北に返すべきだった」発言が大きな波紋を呼んでいる。

趣旨は分かるが、30年も拉致はなかったと言っていた北朝鮮である、しかし小泉元首相の北朝鮮入りで拉致を認めた。金成日主席であったが、横田めぐみさんは死んだ、遺骨を調べたら違う事が解かっても平気でいられる。したたかな外交などから、判断は難しい。

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高原の風は気持が良い

今日の名言

(もろこし)とこの国とは、言異(ことこと)なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。

紀貫之『土左日記』

Hiland051鳥逐うてかける馬ある夏野かな 松尾いはほ

テレビで動物の番組が見られなくなった。動物の悲惨は見るに耐えないが、最近は、動物の生態を撮った映像もだめ。こんな穴の中の住処までカメラを入れなくてもとか、この芸を覚えるのはかなりしんどかったろうな、などと考えるともうだめだ。

これはやはり老化と関係するのだろう。舞台に子役が上がるとそれだけて泣いてしまうお婆ちゃんと同じだ。脚本家はここで泣かせようと意図して場面をつくる。泣けよ、泣けよ、ほうら、泣いた、やっぱりね。というふうに。

それに嵌るのが、ボタンを押されたら涙が出るロボットみたいで悔しいから、定番の罠にかからないようにする。ここで泣かせようとするだろうと先手を打つわけである。俳句もほうら美しいでしょとか、見事に取り合わせが決まったでしょと主張する作品には魅力がない。

罠に嵌められた感じがするんだな。意図された感動つまり従来の情緒を嫌って「もの」そのものを求めていくと、いつか鋏や爪切りがそこに在ることの哀しさや喜びを詠えるようになるのかななんて考える。逐うてはおうて。鳥を追って駆ける馬には嘘がない。それを写し取る作者の意図も抑制されている。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)

鳥を逐う(追う)と言っても、夏鳥で一体何と言う鳥だろう、鳩とか、カラス?ちょっと雀は夏の草原には見かけないし、ひばりではないと思うし、椋鳥は、もうちょっと先になると思うのだが、まあそんなことはどうでもいい。

この夏野という事は、はるか彼方のに山が見えるような大草原ではないと思う。八ヶ岳の草原で白樺林が目に浮かんでくる。そういえば、八ヶ岳の牧場に観光客に馬に乗せてもらえるところがある。

実は、昨年行った八ヶ岳の高原牧場は、今の時期、高原の風は気持がいいだろうな・・・。あんまり、梅雨を感じられない爽やかな、印象であった。

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2008年7月10日 (木)

健康の秘訣から・・・。

282_field111生きていることは動きは止まらない。突然こんな事を思いついたのだが死んだら動かない。心臓が止まってしまい血液が全身に送られない、そして酸素、栄養などがストップするのである。そして、腐ってしまうのである。

「流れる水は腐らない」という諺がある。やっぱり自然界の野山でもまた、小さな小川でも、チョロチョロ流れる湧き水も、涸れてしまえば、そこは死の世界となってしまう。その周辺の樹木は枯れ、やがては、無味乾燥の砂漠となってしまう。動物でも同じである。

動かなくなって、じっとしていてもそんなに長くはいられないが、動こうとしても動けないならば、それは、体の機能が何処か異常をきたしているのだ。

自然は水が最も大切で、その水に栄養分の窒素・燐酸・カリの配分で植物は成長し繁殖されるのであるが、動物は血液である。体を丈夫にするのは血液の内容である。栄養・ミネラルなどの生命を維持できる条件は、血液の内容できまる。

だから、バランスの良い、食べ物を種類を多く採るようにするのが一番だと思う。

そして、血液の流れを、スムースに流れて、動脈硬化などの原因の食べ物を控えめにとるようにいたいものだ。

そして、適当な運動で、血液の循環を促進する心がけが、健康の秘訣と思う。ちょっと昨夜寝冷えしたか喉が痛い。ちょっと午前中静かにしていようと、家でごろごろしながら考えた。

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良い日を送りたい

07tamurano_yuhi31「良い日を送る。」死んだ兄が良く行っていた言葉だ。フト思い出したので記して見たい。どういう時に使ったかだが、一般的には、大変な思いをして、何かを成し遂げた時に使ったようだ。しかし、何もする事がなく、悶々とした日が続く毎日で、思いがけないお誘いなどで、気分が晴れた日などで家に帰って今日のラッキーな一日を振り替えて見て、そう思ったのだろう。

「日々是好日」毎日が無事でよい日が続くという意味であるが、「良い日を送る」とちょっと違うように思える。

しかし、人間は何時死ぬか分からぬとは、よく言われる。毎日毎日無事に過ごせた事を感謝する事と、反省もしなければいけない。そして、明日に期待する事が大切である。

若い人でも、老いてしまった人でも、明日のあることを信じて、毎日を大事に生きる心がけが大事で、満足はしなくても、感謝の心が大切である。

むかし、よくお袋が、朝太陽に向かって、手を合わせ祈る姿を目にしたものだ。何を祈っているか子供の私には良く分からなかったが、人性古希を過ぎて、その訳が解かる。

「日々是好日」で過ごせるように努力し、祈りたい。今日の空模様はどうだろう。4時過ぎると小鳥が鳴きだして夜明けを知らせる。今日もいい日でありますように・・・。

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青芒(あおすすき)のこと

今日の名言

善い人間の在り方如何について論ずるのはも ういい加減で切上げて善い人間になったらどうだ。

マルクス・アウレーリウス『自省録』

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青芒川風川にしたがはず 上田五千石

この句を読んだときいっぺんに目の前がひらける感じがした。山登りでちょっとした岩場に出て今まで林に閉ざされていた景色がパノラマで広がる、そんなすがすがしさと似ている。自然を描写した句は多いけど、すかっと気分がよくなる吟行句は案外少ない。

川そばの青芒が強い川風にいっせいになびいている。その風向きと川が流れてゆく方向が違う。と、字面だけを追ってゆくと理屈だけになってしまうこの句のどこに引かれるのだろう。

川の流れが一望できる高台で、視覚だけでなく頬を打つ風の感触で作者は眺望を捉えているのだ。夏の日にきらめく川の流れる方向に心を乗せて、かつ青芒をなびかせる風を同時に感じた時ひらめいた言葉が作者の身体を走ってゆく。

リズムのよいこの句のすがすがしさは、広がる景の空気感を言葉で捉えなおした作者の心の弾みがそのままこちらに伝わってくるからだろう。その時、その場でしか得られない発見の喜びが景の描写に輝きと力を加えているように思う。『遊山』(1994)所収。(三宅やよい)

青芒(あおすすき)夏の季語だ。毎日見ている湯殿川の川沿いに生い茂っている。青芒を見て、50年前頃の生活を思い出す、芒は、人と係わり合いが深かったと・・・。なぜなら、草葺屋根には、必要で、毎年屋根普請に使う為、刈って貯めていた。

また、牛の餌に今の時期に青芒刈って、押し切りで小さく切って、ふすま、おからなどを混ぜてかいば桶にいれ食べさせた。そのために、青芒は、格好の牛の餌で、よく採った。しかし、青芒で、脛に傷を付けて、痛い思いをしたものだ。

すすきは、繁殖力が強く、一旦根付くとどんどん株が大きくなって、2メートル以上に背丈がなる。今は厄介な存在となってしまった。だが、すすきは、水の浄化作用があって水辺に生えいるものは残しておきたいと河川管理者の話もあった。

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2008年7月 9日 (水)

北海道洞爺湖サミット閉幕する

07bonchi_asayake_kumo11NHKweb参照、三日間、討議を行った。G8・主要8か国に新興国を加えた16か国による「主要経済国会合」は、地球温暖化対策に関する討議を終え、中国やインドなどの新興国も今後、中長期的に温室効果ガスの排出を抑える取り組みを進めるとした首脳宣言を発表した。

温室効果ガスの主要排出国である16か国は、9日昼すぎまで地球温暖化対策について集中的に討議した。
発表された首脳宣言によると、日本やアメリカなど先進各国は、西暦2030年ごろをめどにした中期の削減目標を国別に掲げるとしている。
また、中国やインド・ブラジル・南ア・メキシコの新興国側も、今後は中長期的に排出量を抑える取り組みを進めるとしている。(G8とこの新興国で排出ガスは80パーセントという)
一方、2050年までに温室効果ガスの排出量を半減するという長期目標については、「国連の交渉を通じて各国が受け入れることが望ましい」という文言が盛り込まれ、「国連の交渉に参加しているすべての国々と目標を共有し、採択を求める」としたG8の合意内容を踏まえたものとなった。
しかし、首脳宣言では具体的な数値目標や達成期限には踏み込まず、今後の議論に課題を残したものとなった。

ブッシュ大統領の考えは中国・インドなど新興国が同調しない温室ガス排出量の削減の取り組みは意味がないという。

気候変動と、地球温暖化は、世界中の国が認めている問題であるが地球がこのまま未来永劫続く訳はない、人類の叡智でいずれは、抑制しなければならない事で、病人ではないが手を打つのは早ければ早い方が良いのは決まっている。

不思議な事で、危機意識が、ない?とても理解出来ないことであるが、排出量取引ビジネスの拡大である。CO2を中心とした温室効果ガスの排出量取引は、去年は世界で400億ユーロ・およそ6兆円に達した。そのうち約8割がEU域内で行われているEU-ETS(EU排出量取引)をめぐるもの。

埋蔵量も無尽蔵でない、エネルギー資源である原油が高騰し、暮らしを直撃して来た。それによりインフレが問題となってくるだろう。

代替エネルギーで、風力、太陽光、原子力などがあるが、もう一つバイオ燃料がある。それにより、食料問題に大きく影響してしまう。穀物の高騰で、アフリカなどの発展途上国などの深刻な食糧危機が大きな問題となって来た。

それらの、話し合いと、北朝鮮の拉致問題が話されたと言うが、本当に実効性のある。ものとなったか、よく分からない。人類の平和と、安全はG8だけでは決められない。いかに、各国が危機意識を持つかであるが、楽観は出来ない。そして終わった。

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蝉時雨

今日の名言

絶望は虚妄(きよもう)だ、希望がそうであるように。

魯迅『野草』

24191蝉しぐれ捨てきれぬ夢捨てる夢 西岡光秋

何歳になっても夢をもちつづける人は幸いである。しかし、一つの夢を実現させたうえで、さらに新たな夢をもつこともあれば、一つの夢をなかなか果せないまま齢を重ねてしまう、そんな人生も少なくない。

掲出句の場合は、後者のように私には思われる。捨てきれない夢だから、なかなかたやすく捨てることはできない。たとえ夢のなかであっても、その夢を捨てることができれば、むしろホッと安堵できるのかもしれない。

それはせめてもの夢であろう。けれども、現実的にはそうはいかないところに、むしろ人間らしさがひそんでいるということになるか。外は蝉しぐれである。うるさいほどに鳴いている蝉の声が、「夢ナド捨テロ」とも「夢ハ捨テルナ」とも迫って聴こえているのではないか。

中七・下五は「捨てきれぬ夢」と「捨てる夢」の両方が、共存しているという意味なのではあるまい。それでは楽天的すぎる。現実的に夢を捨てることができないゆえ、せめて夢のなかで夢を捨ててしばし解放される。

そこに若くはない男の懊悩を読むことができる。だから二つの夢は別次元のものであろう。手元の歳時記に蝉時雨棒のごとくに人眠り(清崎敏郎)という句があるが、「棒のごとくに」眠れる人はある意味で幸いなるかな。光秋には水打つて打ち得ぬ今日の悔一つという句もある。『歌留多の恋』(2008)所収。(八木忠栄

最近、目標(夢)も持てない不透明な世の中である。そんな中行く先の読めない世界の首脳が集まって、地球温暖化、世界経済、拉致と人権、などの会談が行われている洞爺湖サミットである。

夫々の思惑があって、ここでも国家・個人主義などの、夢を実現の攻防である。これを乗り越えて、最大公約数で、一つのメッセージに纏めるのは、難しい。

先進国、発展途上国との問題、資源国、消費国などの調整は、何処までの突っ込んだ話し合いが、出来たのかである。

しかし、相手国を信頼し、理解する事そして相手の思いやりが、お互いの前進あるとおもうのである。

ざわざわと、世界の民の声が蝉時雨のような中、洞爺湖サミットは二日目が過ぎた。

そう言えば、NHKのニュースで何処か聞き漏らしたが、もう油蝉が鳴き出したという。

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2008年7月 8日 (火)

サミット拡大か、縮小か?

154017日開幕した主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)を契機に、参加国の枠組みをめぐる論戦が本格化している。フランスや英国が、現行の主要8カ国(G8)では地球規模の問題に対処できないとするのに対し、日本や米国は現状維持を譲らない。米国では「先進民主主義国による会合」との原点回帰を求め、G8からロシア除外を主張する“純化論”さえある。日本も、拉致問題など自国が直接かかわる問題だけではなく、世界各地の人権や民主主義など「共通の価値」を積極的に取り上げていく構えだ。拡大か純化か、サミットは今、岐路に立っている。

 サミット拡大論に関しては、フランスのサルコジ大統領が中国やインドなど5カ国を加えた「G13」を主張しているほか、ブラウン英首相も中印の参加を唱えている。8日のG8首脳会合では、英仏両首脳が自由討議の場でこの問題を取り上げるとみられる。

 英仏両国が拡大論を主張するのは、主要議題となる地球温暖化や世界経済の問題で、中印などの経済新興国にも責任を負わせたいとの考えからだ。一方、米国はジョンドロー国家安全保障会議(NSC)報道官が7日、「(拡大論を)米国は支持しない」と明言した。日本も反対の立場だ。(産経web参考)

日米:英仏の意見対立のようだが、34回続いている現行(ロシアは後から)G7である。しかし時代は変わって、先進民主主義国だけで、地球環境や、経済、人権、などの問題を解決するのは難しいと思う。

中国・印度・ブラジル・メキシコ・南アなどを加えたフランスのサルコジ大統領の主張に賛成である。確かにアメリカの主張のように中国・印度が、温室ガスの排出などは発展途上国であっても、規制しないと意味がない。

民主主義国家だけでも意味がない。そうなると、イスラム国家などと、話は拡大してしまうが、その位、地球人が危機意識をもって、対応しないと問題は解決しないだろう。

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夏の雨

哲学というものは、たしかに、結構なものだよ、ひとが若い年頃に、ほどよくそれに触れておくぶんにはね。
しかし、必要以上にそれにかかずらっていると、人間を破滅させてしまうことになるのだ。

プラトン『ゴルギアス』

03kisyoubu11夏ぐれは福木の路地にはじまりぬ  前田貴美子

夏ぐれは、夏の雨、それも「ぐれ=塊」と考えられることから、スコールを思わせる勢いある雨をいう。潤い初めるが語源という「うりずん」を経て、はつらつと生まれたての夏を感じる「若夏(ワカナチ)」、真夏の空をひっくり返すような「夏ぐれ(ナチグリ)」、そしてそろそろ夏も終わる頃に吹く「新北風(ミイニシ)」と季節は移る。

うっかりすると盛夏ばかり続くように思える沖縄だが、南国だからこそ豊かで魅力的な夏の言葉の数々が生まれた。福木(フクギ)もまた都心では聞き慣れない樹木だが、沖縄では街路樹などにもよく使われているオトギリソウ科の常緑樹である。

以前沖縄を旅していると、友人が「雨の音がするんだよ」と福木の街路樹を指さした。意識して耳を傾ければ、頑丈な丸い葉と葉が触れ、パラパラッというそれは確かに降り始めの雨音に似ていた。

わずかな風でも雨の音を感じさせる木の葉に、実際に大粒の雨が打ち付けることを思えば、それはさぞかし鮮烈な音を放つだろう。激しい雨はにぎやかな音となって、颯爽と路地を進み、さとうきび畑を分け、そしてしとどに海を濡らしている。

若夏や野の水跳んで海を見に〉〈我影に蝶の入りくる涼しさよ〉〈甘蔗時雨海をまぶしく濡らしけり跋に同門であり、民族学に深く関わる山崎祐子氏が、本書に使用されている沖縄の言葉についてわかりやすい解説がある。『ふう』(2008)所収。(土肥あき子)

昨日、にわか雨に遭う。散歩して降るだろうと予想していたが、サーと降ってサーとやんだ。しかし、遠くの山並みの上に、黒くもが掻き散らしたようになっていた。梅雨特有な降ったかとおもったら、日が差し込んできたり、忙しい空模様だった。

それだけ、今の時期、太平洋の高気圧と、大陸の高気圧が、日本列島の上空で激しくぶつかり合っているのが、感じられる。雨は、空気の寒冷で出来る訳であるが、そんな日でもあった。

しかし、蒸し暑いいなあー・・・。ちょっと動くと、直ぐしどどになってしまい、下着を取り替えないと、汗疹できてしまう。もう首後ろなどには出来てしまった。

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2008年7月 7日 (月)

日米首脳会談にかける拉致問題

0008tyokai1日本国民の、思いは一つ、拉致問題は、核の問題と同等に思いである。産経は、北の核申告は、完全廃棄内容にほど遠い、内容である。そして朝日は、日米会談の夕暮れとのみだし、余り、拉致の問題に期待しない、しかし、日米の会談に期待するしか方法がない一点突破の見方である。日本国民は固唾を呑んで見守っているのである。

読売新聞より、今こそ、日米両国が従来以上に密接に連携し、北朝鮮の核と拉致の問題を実質的に前進させることが重要である。

福田首相とブッシュ米大統領が会談し、北朝鮮の核申告について検証作業が重要だとの認識で一致した。大統領は、拉致問題について「日本を見捨てることはない」と改めて強調した。

米国による北朝鮮のテロ支援国指定解除の手続き開始に対し、拉致被害者の家族会などは反発している。日米の足並みの乱れを指摘する声も少なくない。

しかし、日米の“離反”を最も歓迎するのは北朝鮮であることを忘れてはなるまい。この時期に、日米両首脳が北朝鮮問題での連携を再確認した意味は大きい。

当面、優先すべきは、指定解除が発効する8月11日までに、核申告の検証について北朝鮮の協力を得て作業を進めることだ。

実効性のある検証には、核施設の調査や技術者の聴取が欠かせない。北朝鮮が難色を示す国際原子力機関(IAEA)の参加も実現する必要があろう。

ブッシュ大統領は、解除発効までの期間を「北朝鮮が真剣に協力する意思があるかどうかを示す重要な期間」と位置づけている。

北朝鮮に時間稼ぎを許してはならない。週内にも再開される6か国協議で、日米両国は、中国、韓国などと協調し、北朝鮮に迅速な「行動」を迫ることが大切だ。

拉致問題で、北朝鮮は6月中旬の日朝協議で、拉致被害者の再調査や、よど号犯引き渡しへの協力を約束した後、何の具体的な「行動」も取っていない。

そもそも6か国協議で「行動対行動」の原則を提起したのは、北朝鮮である。約束を、テロ支援国指定解除のための単なるポーズに終わらせてはならない。

地球温暖化問題で福田首相は、温室効果ガスを「2050年までに半減させる」という長期目標の設定への協力を要請した。大統領は「私も建設的に動きたい」と語り、前向きな姿勢を示した。

米国が主張するように、長期目標の達成には中国、インドなど新興国の参加が不可欠だ。一方で、経済成長を遂げてきた主要8か国(G8)は、新興・途上国より大きな責任を担わざるを得ない。

日本はこの問題で、急進的な欧州各国よりも米国に近く、説得しやすい立場にある。洞爺湖サミットで成果を上げるには、福田首相は、G8議長として、米国の説得に加え、中印両国など新興国の意見調整に努めることが必要だ。

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価値観の違いを乗り越えて

07kitayamazaki_yoakemae11何故か価値観が時と人によって異なるのか、ということを考えたとき大切なのは“立場”だと言う人もいる。社会生活の中で人は常に立場を持たされ、それにより知識の方向性、考え方、倫理・道徳感が変節する。実際には本心と違えても、せざるを得ない状況が人を、本来の心根とはおおよそ逆の方向に向かわせる事はしばしばある。オウム裁判などを観ていると解り易い。人に冷たい社会に疑問を抱き、自分をもっと活かそうと入信し、結局殺人を犯してしまう。立場とは怖いものである。

他人との考え方の違い、生き方の違いを“価値観の違い”一言で解決しようとすると問題が起きる。相手の立場を理解する事が重要である。そうするまたは、そうしないの理由は、時として其の立場ある。価値観を理解するという事は、大人が子供に云う“人には優しくしなさいよ”という云いと同根であろう。更に云えば、其の為にまずは自己しっかりと形成し、自己の価値観を持つことであろう。其の上に寛容というエキスを振り、優しく受け入れることではないか。

人間として社会に出て、色々な価値観を持った人がいるのであるが、もう一つ難しいプライドと言うものが、社会生活に大事で、難しい問題である。この問題は、「人権」問題で、個人の人権がやがて、民族の人権、そして国に発展するのである。

生活・宗教・環境・教育などで、夫々の個性となる。

一番大事なのは、その価値観が違う個人の人権を、認め合う事とに始まる。そこには、民主的に政治家が選ばれ、法律が出来る。その法律を守る警察が出来る。

だから、自分の意見をしっかり言うそして聞く、そしてお互いに理解し譲歩しあって生きることが大切である。

最近の国内、海外のニュースを見ても実に様々な事件がある。ニュースにならない、家族の中でも、そして、ご近所のトラブルでも、価値観やプライドにも差があってしばしば面食らう事がある。お互いに理解と妥協の精神で乗り越えるのが大切と思う今日この頃である。

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浴衣姿の女性はいい

今日の名言

そうなると考えたくなる――人生は「むせび泣き」と「すすり泣き」と「微笑(ほほえ)み」から成り立っているのだと。なかでは「すすり泣き」がいちばん多くを占めているのだが。

『オー・ヘンリー傑作選』

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いつまでもひとつ年上紺浴衣 杉本 零

二人は家が近所の幼なじみで、一緒に小学校に通っていた。その頃のひとつ違い、それも、男の子が一つ下、となると、精神年齢はもっと違う。彼女が少し眩しく見え始めた頃、彼女の方は、近所の悪ガキなどには見向きもしない。

あらためて年上だと認識したのは、彼が六年生になった時だった。彼女は中学生になり、一緒に登校することはもちろん、学校で見かけることもなくなって、たまにすれ違う制服姿の彼女を見送るばかりである。彼も中学生から高校生に、背丈はとっくに彼女を追い越したある夏の夕方、涼しげな紺色の浴衣姿の彼女を見かける。

いつもとどこか違う視線は、彼に向けられたものではない。彼はいつまでも、ひとつ年下の近所の男の子なのだった。二つ違いの姉を持つ友人が、「小学生の頃から、姉は女なのだから、男の僕が守らなきゃ、と思っていた。

中学生の時、高校生の姉が夜遅くなると、駅まで迎えに行った。」と言ったのを聞き、あらためて男女の本能的性差のようなものを感じつつ、兄弟のいない私は、うらやましく思った。この句は、作者が句作を始めて十年ほど経った、二十代後半の作。紺色の浴衣を涼しく着こなした女性の姿から、男性である作者の中に生まれたストーリーは、また違うものだったろう。その後三十代の句に〈かんしゃくの筋をなぞりて汗の玉〉〈冷かに心の舵を廻しけり〉『零』(1989)所収。(今井肖子)

どうも浴衣で寝るのは、上手に寝れない、夜中に寒くて目が覚めてしまう、はだけて、お腹が出てしまうらしい。だから、私はパジャマでないと落ち着いて寝れない。それにしても、ここ2・3日は暑くてたまらない。あせびっしょりである。

女性の浴衣姿はいい。髪をアップして、帯をしっかり締めてお祭り、盆踊り姿は、たまらない。もう直ぐ盆踊り、夏祭りが来る。今年は暑い夏になるという、浴衣姿が多くみられる。祭りが楽しみだ。こっちらは、毎年そうだが、交通指導員で交通整理に借り出される。

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2008年7月 6日 (日)

油虫(ごきぶり)のこと

今日の名言

あたしがもし器量よしだったら、自分がこれならと思う人にだけ、器量よしで、可愛らしくなりたいと思うわ。

ジョルジュ・サンド『愛の妖精』

05sikotuko31庶務部より経理部へゆく油虫 境野大波

なぜ油虫の行き先が経理部なのかと、真っ先に引っかかったのは、わたしが長年経理部で働いているからなのでしょう。庶務部と経理部に、作者がどれほどの思い入れをしてこの句を詠んだのかはわかりません。

ただ、経理で日々苦労を重ねてきたものとしては、つい余計なことを考えてしまいます。経理というのは(庶務も同様ですが)仕事の性質上、どんなに完璧に業務をこなしても、営業のようにはなかなか評価してもらえません。と、愚痴はここまで。

本題に戻ります。油虫というと、どうしても家の台所を考えがちですが、仕事場にも確かに出ることはあるわけです。廊下の端をすばやくはしり、部屋の中へ消えて行く様子が、目に見えるようです。句の意味はそれだけのことですが、これも確かに季節を感じる心情に違いはありません。こんな瑣末な思いを積み重ねて、日々は成り立っているわけです。

ところで、仁平勝さんはこの句の解説に、次のように書いています。「いつも庶務部と経理部をウロウロして、女子社員に軽口をたたいているような男がいる。」つまりそのような男のことも、油虫の意味には含まれているというのです。気がつきませんでした。ともかく男たるもの、せめて職場で「あぶらむし」呼ばわりされぬように、気をつけましょう。『日本の四季 旬の一句』(2002・講談社)所載。(松下育男)

我が家の台所にも近年出始めた。だから出来るだけ残り物や、食器は、片付けて置くようにしているが、時々見かける。でも、2ヶ月前に、床下にシロアリ駆除の薬品を撒いたら、殆ど見かけなくなった。しかし、羽があるので飛んでくるので、完璧とはいかないのではないかなあ・・・。

不潔な、ラーメンやさんの厨房などにいると、なんだか、食欲が薄れる。この虫は大昔からいるらしい。家の女房は、極端に嫌い、見つけたら、はえ叩きと、ゴキブリ退治のスプレーを持って追廻し、殺さねば気がすまない。

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2008年7月 5日 (土)

つれづれなるままに・・・。

07tamurano_yuhi31 毎日が日曜日の暮らし、人性に無駄の日はない。無駄の日を過ごしてしまったと思う事もあるが、最近はこれで良いんだと、焦る気持を落ち着かせるようことに決めている。

その年その年でなければ出来ないし、して置かねばならないことが、分かっていない。反省をしても、過ぎてしまった過去は取り返せない。

それでも、季節季節の花の咲く頃を確り確認する心の余裕がない。不思議である。日常いくらでもある時間を有効に使っていない。

歳時記を辞書で見ると  1年のおりおりの自然・人事などを記した書物。歳事記。 俳句の季語を集めて分類・整理し、解説や例句を載せた書物。俳諧歳時記。季寄せ。  とある。

「日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」

かの吉田兼好の徒然草の序文であるが、よーく考えると今やこの状態に、陥ってしまっているのかも知れない。なんだか平和ボケと、将来の事を、をのうてんきでいるのかも知れない。

人間は、忘れる動物である。忘れる事が出来るので、将来に希望が持てる。過去の思い出にすがって生きていては、将来がない。確かに過去の積み重ねで今があることだが、将来は始めての事ばかりである。

訳のわからぬ文を書いて、何を言いたいのか自分でも解からぬが・・・。

要するに人性ジタバタしても仕方がない。とどのつまり結局は「なるようにしかならない」と言う事だ。人の一生を果てしない大海を泳いでいるとするならば、大きな波、台風、日照り、などの障害が必ず遭遇する。その時は、その時で、その時の持てるパワーで乗り切るよりい方がない。力尽きてしまってもこれが運命と思うしかないという事だ。

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明月院(紫陽花寺)

今日の名言

親は子というて尋(たづ)ねもするが、親を尋ねる子は稀(まれ)

『山家鳥虫歌』

Dsc006691紫陽花の浅黄のまゝの月夜かな 鈴木花蓑

浅黄色は、古くは「黄色の浅きを言へるなり」(『玉勝間』)ということだが、浅葱色とも書いて、薄い藍色を表すようになった。今が盛りの紫陽花の、あの水よりも水の色である滴る青は、生花の色というのが不思議な気さえしてくる。

梅雨の晴れ間、月の光に紫陽花の毬が浮かんでいる。赤みがかった夏の月からとどく光が、ぼんやりと湿った庭全体を映し出して、山梔子の白ほどではないけれど、その青が闇に沈まずにいるのだろう。紫陽花と一緒になんとなく雨を待っている、しっとりとした夜である。

初めてこの句を「ホトトギス雑詠撰集・夏の部」で読んだ時は、あさぎ、とひらがなになっていて、頭の中で、浅葱、と思ったのだったが、こうして、浅黄、となっていると、黄と月が微妙に呼び合って、ふとまだ色づく前の白っぽい色を薄い黄色と詠んだのかとも思った。

が、じっと思い浮かべると、やはり紫陽花らしい青ではないかと思うのだった。代表句とされる大いなる春日の翼垂れてあり〉の句も印象深い。「新日本大歳時記・夏」(2000・講談社)所載。(今井肖子)

紫陽花と言えば、どうしてか家の紫陽花はここ2.3年全く咲かない。その理由が分からない。よく咲いていた株をもらってきて、植えたのであるが何だか分からない。肥料が足りないと思い肥料を与えてみたが、ただ青々した葉が焼けに生い茂っているだけである。

また、咲いている枝をもらってきて鉢植えにして置いたら、3年目の今年見事に咲いた。どうも、花の咲く条件があるらしい。

鎌倉の紫陽花寺(明月院)は、時々行っているのである(今年は行っていない)。境内に多くのアジサイが植えられ、〝アジサイ寺″と呼ばれている。ちょっと調べてみたのだが、

明月院は、臨済宗建長寺派に属する寺。首藤刑部太夫・山ノ内経俊が永暦元年(1160)に平治の乱で、戦死した父・首藤刑部大輔・俊道の菩提供養として、明月院の前身の明月庵を創建。その後、康元元年(1256)、鎌倉幕府五代執権・北条時頼が執権を北条長時に譲って、この地に最明寺が建立し、出家生活をここでおくったが37歳で死去。後に時頼の子・八代執権・北条時宗が最明寺を前身に蘭渓道隆を開山に禅興寺を創建した。

建長寺にも行っていない、近いうち鎌倉に行って見るか・・・。

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2008年7月 4日 (金)

うなぎのかば焼き偽装事件

041NHKwebより、中国産のうなぎのかば焼きが国産と偽装されていた事件で、偽装の作業が行われた高松市内の倉庫では、200万匹余りのうなぎを国産と表示された10万個余りの段ボール箱に詰め替える作業が7~8人の作業員によって行われたとみられ、警察では、こうした資材や作業員がどのようにして手配されたのか、さらに調べを進めています。

この事件は、いずれも水産卸会社で徳島市に拠点がある「魚秀」と神戸市の「神港魚類」が、ことし4月から6月にかけて「愛知県産」と偽装した中国産のうなぎのかば焼き、あわせて3600キロ余りを3つの仲卸業者に販売したとして、不正競争防止法違反の疑いが持たれているものです。警察などの調べによりますと、偽装が行われたのはあわせて256トン、およそ204万匹の中国産のうなぎのかば焼きで、ことし2月中旬から3月下旬にかけて、高松市内の倉庫で「愛知県産」と表示された10万個余りの段ボール箱に詰め替えられていました。

また、段ボール箱には偽装用のラベルや原料原産地が「愛知県」と書かれたシールあわせて400万枚余りが、うなぎといっしょに詰め込まれ、こうした作業は常に7~8人で行われていたとみられています。警察では、こうした大がかりな偽装作業のための資材や作業員がどのように手配されたのか、さらに調べを進めることにしています。

何んと言ってもうなぎは、日本人が好きである。この事件は、その日本人のうなぎ好きなところを捉えた、大掛かりで、巧妙な手口である。なんだか芋づる式な事件のようだ。一都7府県に及ぶ、一斉捜索が入った。

暑い夏のスタミナ元にうなぎの人気・売れ行きに大きく影響するだろう。私みたいな貧乏人には、食べなければいいんだが、そう言えば、もう何時食べたか忘れてしまった。

うなぎと言えば、むかし置き針といって、ミミズを採って、釣り針に付けて夕方湯殿川の深みに30本ぐらい、仕掛けて置くと一晩に4・5匹かかっていた時があった。丁度今頃の時期である。何んと言っても天然うなぎである。美味しかったその味は、忘れれれない。

いずれにしても、こんな不正な世の中が次から次へと起きて嫌な事件が後を絶たない何と情けない。ちなみに、今年の土曜の丑の日は7月24日である。

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バランスのよい栄養

07akitakoma植物は、窒素・燐酸・カリ等の三要素の釣り合いが大切である。葉ばかり大きくなることは窒素肥料のやりすぎが原因で、多分、徒長ぎみなわけであろう。鶏ふん、米ぬか、油かすのようなリン酸分やカリ分を多く含む肥料を追肥として施したり、草木灰や石灰などを株間に散布すると徒長を防ぎ、根の太りを促す効果がある。これは、ニンジン、ゴボウ、サツマイモなどもまったく同じ理由で効果がある。

など、農家に育って、親父から教わった記憶がある。作物の種類によって窒素・燐酸・カリのバランスが大事で、稲に窒素肥料を多くすると、実がいる前に倒れてしまい不作になってしまう。

根菜類・葉もの類・米麦類など植物の特性を生かしてバランスよく肥料を与える事だと、教えられた。

人間も同じである。栄養が偏ると、大きく育つが、病気にかかり易い体になってしまう、健康な体作りは、栄養のバランスである。しかし、そう言ってもなかなか難しいので、面倒でも少しでいいから、沢山の種類を取るように心がける事が必要だと思う。

脳の発達に良いとされる。牛乳は幼児期から、成人になる過程で大事であるとされている。今、有機栽培で無農薬の野菜が体に優しいとされているが、確かに、中学の同級生が営んでいる農業は牛を飼っていて、牛糞などの有機肥料を使っているいるので、ちょっと違う。ジャガイモなどは、もっちりとした感じで美味しい、また、細く切って味噌汁にしても、崩れない。

人間も、有機質な栄養とバランスの良い食べ物を気を付けて採るようにしたら、健康で、頭の優れた人間になると思う。

朝の食事当番の私は、野菜中心の献立である。特に、栄養のバランスと種類を沢山採るように心がけているが・・・。

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牛の思い出

今日の名言

パンに不自由しながら人は恋を語れるでしょうか。

アベ・プレヴォ『マノン・レスコー』

05ainokura11 牛冷すホース一本暴れをり 小川軽舟

幼い頃、父に牛の品評会に連れて行ってもらった記憶がある。真黒な牛ばかりだったような。磨き込んだ牛の黒は独特、てらてらとして美しく輝く。農耕用の牛は泥だらけ。農作業のあと川や海に入れて体を冷す。

牛の漫画をよく書いた谷岡ヤスジは一時売れに売れて、過労死のごとく早世してしまった。「オラオラオラ」や「鼻血ブー」が流行語になり、キャラクターとしては「バター犬」と並んで煙管をふかす牛「タロ」が一世を風靡した。

牛の風貌はどことなくユーモアが漂う。牛を洗っているホースが暴れている。冷されている牛の方にではなくホースに焦点が当たっているところがこの句の新味である。『近所』(2001)所収。(今井 聖)

私にも牛に関する思い出がある。昭和30年代は、私の家では、ホルスタイン5・6頭・和牛1頭を飼っていた。ホルスタインは牛乳を搾って、現金収入である。和牛は役牛で、牛車を引かせ、物を運んだり、農耕用に使った。

大概の農家の家では、牛は飼われていて、肥料作りと、役牛としてである。今で言う有機肥料作りである。田んぼの土起こしや、畑うないは、小学生の私は鼻どりをさせられた。

牛にも人間と同じで性格があって、大人しい牛、暴れる牛がいた。田んぼで作業が終わり小川で体の泥を落としてあげるのだが、藁を丸めてたわし代わりにして、擦るのである。その時は暴れる牛も大人しく、気持良さそうにしていた。

牛を飼っていて、大変なのは、餌の確保である。この時期は、近くの土手で草刈りをし、草籠に何杯も刈るのである。小学生の私も随分手伝わされた。雨が降っても、風が吹いても行うのである。辛かった。

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2008年7月 3日 (木)

選択の難しい社会

Center171インターネットや携帯電話は、今や欠かせない生活形態になった。情報社会で、系統立って勉強をする専門の情報処理がある。

いわゆる情報氾濫時代になって、その選択肢が膨大となり、無限大となって、ややもすると暗黒の世界に落ち込んでしまいそうな落とし穴が潜んでいるのである。

だから、小・中学生の子供には、いま問題となってしまったのだ。フリタリングなどが話題となったが、ここまで普及してしまうと、完全には止めることは出来ないだろう。

ネットや、携帯で買い物が出来る時代である。今や携帯電話というが電話の機能より、電話以外の機能を生かす人が多いという。

ネットで生活の基盤である、就職・アルバイト・日用品の買い物・銀行や株などの金融商品取引、チケット購入など全て出来てしまう便利な社会である。そこには選択肢が膨大にあり、その機能やリスクがあるので、選択の難しさがあることを承知の上で、作業しないと人性を狂わしてしまいかねない重大な問題を抱え込む事になる。

人間同士の信頼関係は、益々希薄ととなってしまった。高齢化社会となって年寄りは一日中家に引きこもり、近所付き合いも少なくなってしまった。若者と言うと、前述のとおり人と顔を見ないで取引が出来コミニケーション不要の生活と言うより、相手の気持・感情など、面倒と思ってしまう。

マンションで、隣の人がどんな人か、気にならないし、気にしてはいけないルール?のようなものが出来てしまっているようだ。これでは、町会・自治会などの町で行うお祭り・盆踊りなどの行事は、出来るはずがない。

社会とは、近所とは、当市でも、協働を掲げて、住みよい街づくりを目指している。何とか盛り上げたいと思っているが・・・。

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これが普通?で悩んでいる

Photo_2感覚麻痺・常識認知・異常感覚・一般常識など四語字熟語を並べるとハハアーンと分かるかと思うが、最近の世の中、政治、役人、の心意気と一般市民との乖離があるのが気がついていない。

個人の感覚の差というものは、あっていいと思うが、当然である。しかし、判断基準は、最大公約数の範囲がヅレてしまっているのである。

このことは、一般市民でも、感じることが多い。例えば人のモラルに基準の認識の違いで、毎日、ゴミ拾いをしながら悩んでいるのであるが、タバコの吸殻を道路に棄てる、そこに紙くずを棄てる、また、空き缶を棄てるとゴミの山になるのである。これが普通の光景となって感覚麻痺となって、恐ろしい取り返しのつかない状態になってしまっている、これが、洞爺湖サミットのテーマでもある基準作りの環境問題である。

環境は人には守れないから、法律が出来、罰則が作られるのだ。個人の我ままと利益だけで生きる人間の罪深き行為が「普通」の感覚で来てしまった結果だと思う。

フランスのモットー「自由・平等・博愛」1789年王政に反旗を翻し民主化を求める市民によって成し遂げられたフランス革命。その際制定された青・白・赤の三色のフランス国旗は夫々、自由・平等・博愛を表すものとされ、それ以後市民社会におけるシンボルとされてきた。国を問わず法律や政治もこれらの精神によるものが望ましいとされてきた。

しかし、今度の洞爺湖サミットに参加するフランスのサルコジ大統領の個人的行動は、日本人の常識感覚では考えられないことである。離婚。そして結婚を大統領になって間もない時に行ってしまった。そして奥さんは同伴で来日する予定をドタキャンしてしまった。

そのことでも、欧州では普通なのかも知れないが、日本人の感覚では考えられない事だ。

自由の裏返しに責任があるが、その自由と責任も、国・個人の認識の差がある、そこが理解出来ないて悩んでしまっている。

何れにしても、平均的見識を持った、人に優しい思いやりのある人間が一人でも多くなって欲しいと思う。

  

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蟻のこと

今日の名言

独りで行くほうがよい。孤独(ひとり)で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。――林の中にいる象のように。

『ブッダの真理のことば・感興のことば』

05tasiroike11札幌の放送局や羽蟻の夜 星野立子

札幌の放送局に羽蟻がいる。ふと目に留めたただそれだけのことが俳句になる秘密ってどこにあるのだろう。さりげなく何の仕掛けもないこうした俳句を見るたび不思議になる。

作者が立子だから、という名前の効果もあるだろうけど、のびやかで風通しの良い句の持ち味はこの作者独自のものだ。むかし羽蟻が出ると家が崩れる、と聞き恐ろしくなった。

たかだか蟻のくせに家を傾かすとは。家で見かけるのと同じ小さな羽蟻が遠く離れた札幌にいること、おまけにそこが近代的な機械を完備した冷え冷えとした放送局であるそのミスマッチがなんとも言えずおかしい。

普段とは違う場所にいてもささやかな気づきをすらりと俳句に詠める力の抜きかげんはうらやましい限りである。新しいものを柔軟に受け入れる精神をモダンというなら、立子はいきいきと時代の素材を生かした句を作っていたように思う。『季寄せ』(1940・三省堂)所載。(三宅やよい)

我が家は、築45年も経つ、5月ごろだったか小さな蟻がお勝手に侵入してチョロチョロ目に付き始めた何処から侵入してきたか、行列までいかないが、どうも縁の下から出て来ているようだった。

よく考えると、シロアリ駆除の消毒の有効期限5年が過ぎてしまっているので、シロアリが発生しているのかなあ・・・それと、床板が軋みが見られる。これは大変だという事で、シロアリ駆除剤をインターネットで大阪から、取り寄せ、縁の下に潜り、悪戦苦闘をしながら、散布した。しかし、シロアリは見当たらなかった。

1週間は匂いが床下から漏れて匂いで散々だったが、お勝手に出ていた小さな蟻はいなくなった。ほっとした。そのため、女房の大嫌いなゴキブリもたまに見かけたが、それも見なくなった。

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2008年7月 2日 (水)

ジタバタしたって仕方がねえー

06oga_toga11日経平均株価が43年ぶりに10日連続の下落という終値176円安(読売新聞)となってしまった。これだけの下がる要因は素人の私でも分かる。

2日の東京株式市場は、ほぼ全面安の展開となり、日経平均株価(225種)は10営業日連続して下落した。

10日続落は、「昭和40年不況」と呼ばれた1965年の2~3月以来、43年4か月ぶりだ。

日経平均の終値は、前日比176円83銭安の1万3286円37銭。前日終値からの下げ幅は、一時、210円を超えた。

東証1部の出来高は約20億1200万株だった。

前日の米株式相場は上昇したが、国内に買い材料が乏しく、原油高によるインフレ懸念や、国内企業の業績悪化への警戒感が根強かった。東証1部の8割以上の銘柄が値を下げた。

世界的に問題になっている。重油の値上げ(143ドル・1バレル)と、穀物の暴騰である。今日のNHKのテレビのニュースでは、公共料金である。電機・ガスが値上げと言う。ガソリンも180円/リッターである。まだ天井知らずのようである。

スパーの野菜をはじめ殆ど値上げである。サラリーマンのインタビューでは、給料は据え置き物価は軒並み値上げである。その上消費税の見直しでは・・・とやりきれない。

サラリーマンは厳しいと言うが、年金生活者はどうしたらいいのか、厚生年金などの不正が発覚して、社会保険庁が廃止され、新組織に移行することになると言うが、(日本年金機構)何か看板の付け替えという印象は拭い去ることが出来るのだろうか疑問である。

いずれにしても、銀行預金の利息は、安く仕方なし、株や投資に回したのだが、これでは、ニッチもサッチモいかない。泥沼に落ち込んでしまったようだ。こうなったら、開き直って「ジタバタしたって仕方がねえー」だ。じっと我慢しかねえーー。

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自然の生きものたちは、ただ無心に生きている

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自然の生きもは、無心に生きる

今朝も、4時になると名も知れぬ小鳥の声で、夜の明けたのを知る。それまで静まりかえっていた空気を破るかのように、第一声の鳥のさえずりである。最近は鶏の雄鶏を飼っている家はないがむかしは一羽が鳴き出すとあちこちで鳴き出したものである。一番鳴きを競うようであった。そして、「今日が始まるよ」と言たげであるのと同時に自分の存在価値を誇示しているようでもあった。鳥達・生き物達が最も活き活きしているのが朝である。

川の生き物この時期は生命が躍動するときでもある。家の前の湯殿川の鯉も動きが何時もと違う、流れの強くて浅瀬に来て産卵するのである。子孫を産み育て、鳥や昆虫、動物たちが一年で最も命の輝きを見せるのもこの時期である。
生きものたちは、生きるということになんの疑問もなく、自然現象の如くに命を躍動させているのである。それは子孫を残すという遺伝子のはたらきのままに生きているという姿のように見える。

春夏秋冬の季節がある自然環境のもとでは、この時期に生きものたちの新しい命の誕生である。3ヶ月前に鴨のつがいを見たが、今は、5羽の子連れである。この鯉や鴨の動きを見ていると、生きものたちにとっては短い一生の中で最も命輝く時節である。自然の流れのままに生かされている生きもたちは命が輝いているように見える。それはあたえられた命をただ無心に生きているからだろう。

何故という、理屈では説明できない。これが自然で、普通なんだ。運命である。5羽の小鴨は5羽大きくなるとは限らない。その一羽か、2羽かも知れない。そんな先のことなど考えていない。一瞬一瞬を生きているだけで、それも自然の流れである。

そういう自然の生き物から人間の生き方の多くを教えさせられる。「無心」生きる大切さを・・・。

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DNAに手を加える?

今日の名言

わたしは書物はきらいだ。書物は知りもしないことについて語ることを教えるだけだ。

ルソー『エミール』(上)

07akitakoma娘が炊きし味は婚家の筍飯 矢崎康子

季語は「筍飯」で夏。といっても、もう時期的には遅いかな。筍飯にする孟宗のそれは五月ごろが旬だから。さて、掲句、類句や似た発想の句は山ほどありそうだ。「筍飯」を「豆ご飯」や「栗ご飯」と入れ替えても、句は成立する。が、作者はそんなことを気にする必要はない。また読者も、そうした理由によってこの句をおとしめてはならない。

そんなことは些細なことだ。人のオリジナリティなどは知れているし、ましてや短い詩型の俳句においては、類想をこわがっていては何も詠めないことになってしまう。思ったように、自由気ままに詠むのがいちばんである。母の日あたりの句だろうか。久しぶりに婚家から戻ってきた娘が、台所に立ってくれた。

筍飯は、母である作者の好物なのだろう。だから嫁入り前の娘にも、味付けの仕方はしっかりと仕込んであったはずだ。が、娘がつくってくれたご飯の味は、作者流のそれとは違っていたというのである。

明らかに、嫁ぎ先で習ったのであろう味に変わっていた。そのことによる母としての一抹の寂しさと、娘が親離れして大人になったこととのまぶしさの間の、瞬時の心の行き交いが、この句の「味」の全てである。味の違いに気づかぬふりをして、きれいに食べている母親の優しさよ。俳誌「日矢」(2007年7月号)所載。(清水哲男)

私は、掲句読んで、「守 破 離」を思い出した。むかし先輩から、教わった事であるが、人性の生きるには、みんなこの言葉通りに、生きているのだ。これは、武道でも教えているそうだが、生け花のある流派でも教えているそうだ。

いわゆる、稲草一本のから、確り親株の知恵(栄養・病気に耐える遺伝子を受け継ぐ)何株も増えて穂が出来る。そして離れて自立する。そこで親のDNAを受けついた種は一株の稲草となり、成長し穂となって種をつくる。この繰り返しで、植物は増殖していくのである。

今は、人間の手で、そのDNAを解析、勝手に神の領域に入り込んでしまい。問題となっている。確かに、病気に強く、沢山の収穫、味の良い、栄養価が高い物を目指していると思うが、必ずしも良いことばかりではないだろう。

お店に出す前にこの商品に表示している物があるそうだ。それにしても、クローン化何て恐ろしい人間になったら、生態系はどうなるのだろう。DNAに手を加える功罪は慎重にしないと、恐ろしい事になる。

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2008年7月 1日 (火)

流れる水は腐らない

041「流れる水は腐らない」と言われるが、人間はじめ生物や自然界でもいえる事で、人間で言えば、血液が止まってしまえば、腐ってしまう。腐ると言うことは、自然界には、細菌類の存在があって生物は生きられるのであるが、生き物を素材にしたり、樹木の葉などを素材に色々な小動物から、昆虫類へと、そして、微視物になって、食物連鎖を行っている。

また、生きていく動植物も、新陳代謝という循環作用で生きていけるのである。何時までも長く行きたい、一日でも長く生きたいという希望は誰でもあるが、この自然界においては、後世に引き継ぐ為にも、新陳代謝と言う、絶対的な連鎖は継続するのが運命である。

生きているものも、何時か死ぬ。形あるものいつか壊れる。だから、流れる水は腐らないと言うが、実は、この自然界に於いては、絶対ではない。流れているという事が何時まで続けられるのかである。

そして、やがては「無」になってしまうことになる。今日は、そんな事考えてみた。

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夏に似合う花

今日の名言

総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るゝぞ。

西郷隆盛『西郷南洲遺訓』

Sunflower_0041

歩荷くる山を引き摺るやうに来る 加藤峰子

本日富士山のお山開き。夏山登山がシーズンを迎える。歩荷(ぼっか)とは、ヒマラヤ登山のシェルパ族や、新田次郎の小説『強力(ごうりき)伝』で登場する荷物を背負って山を越えたり、山小屋へ物資を届けたりする職業である。

現在ではヘリコプターが資材運搬の主流となり、歩荷は山岳部の学生や登山家がトレーニングを兼ねて行っているというが、以前は過酷な労働の最たるものだった。実在のモデルが存在する『強力伝』で、富士山の強力小宮正作が白馬岳山頂に運んだ方位盤は50貫目(187.5kg)とあり、馬でさえ荷を運ぶときの上限は30貫目(112.5kg)だったことを思うと、超人と呼べる肉体が必要な職業だろう。

立山連峰で歩荷の経験のある舅に当時の思い出を聞くと、ぽつりと「一回に一升の弁当がなくなる」と言った。歩荷の経験が無口にさせたのか、無口でなければ歩荷は勤まらないのか定かではないが、口が重いこともこの職業に共通した大きな特徴であるように思われる。食べては歩く、これをひたすらに繰り返し、這うように進む。眼下に広がるすばらしい景色や、澄んだ空気とはまったく関係なく、道が続けば歩き、終われば目的地なのだ。

掲句では上五の「くる」で職業人としての歩荷を描写し、さらに下五で繰り返す「来る」でその存在は徐々に大きくなって迫り、容易に声を掛けることさえためらわれる様子が感じられる。歩荷は山そのもの、まるで山に存在する動くこぶのような現象となって、作者の目の前をずっしりと通り過ぎて行ったのだろう。『ジェンダー論』(2008)所収。(土肥あき子)

山のお天気は、変わりやすいと言われているが、このところ平地でも、安定しないお天気が続いている。やっぱり梅雨だからだと思うが、今日の天気図は梅雨前線が太平洋の南に下がって、大陸の高気圧が勢力強い、そのため、乾いたやや涼しいといった感じの一日だった。これも明日の後半は、崩れてしまいそう。

今日から、7月である。暑さも本番となる季節である。向日葵が似合う季節でもある。最近花屋さんに、30センチぐらいの、向日葵に似た花があるが、お店の奥にあるため、よく見ることはないが珍しい。

向日葵は、暑さに応えるようで、なんとも清清しい真昼の花だ。朝顔は、やはり夏の朝の花、また、夕顔は夏の夕暮れに似合う花だ。

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