雑草の生命力
今日の名言 下らん男だって恋をすれば生まれつきより高尚になるって言うからね。 |
| シェイクスピア『オセロウ』 |
作者はこの三月の末に亡くなった。享年八十九。ちょうど一年前の句だ。「継ぎ接ぎて」と、「つぐ」に別々の漢字をあてたところに、この年齢ならではの実感を読み取ることができる。「継ぐ」は親からさずかった命の自然的な継承を意味し、「接ぐ」には入院治療など本人の意思で延命をはかってきたことを指している。
両者あいまっての寿命というわけだが、そんな一種のあがきのなかで、今年も梅雨の季節を迎えたと言うのである。この年齢まで来ると、もはや梅雨が鬱陶しいだとか憂鬱だとかという心情的なレベルは越えていて、作者はただ季節の移り変わりの様子に呆然としているかのようである。
生きてまた、今年も梅雨を迎えてしまったか……。それはしかし感慨でもなく、ましてや詠嘆でもなく、作者はただうずくまるようにして、そのことを自分に言い聞かせている。高齢の人の偽りのない気持ちがよく出ていて、読者はそこに救われるのである。この句を収めた最後の句集を、作者は生きて見ることはできなかった。『惜別』(2008)所収。(清水哲男)
ことのほか 暑く感じる 梅雨晴れ間
きのうは、天気予報は雨だったが、ちょっと外れたようで一日降らなかった。妻は小学校の同窓会で長野県の戸倉山田温泉に一泊旅行へ出かけた。雨の覚悟をしていたが、降らなくて良かった。
私は、公園アドプトで、片倉時田まちの広場の除草を20人ぐらいで行う。丁度曇っていて、そんなに暑くなく、作業が出来き、午前中に終わる。
午後から、陽射しが出て二日ぶりに太陽でことのほか強く、暑く感じた。前の湯殿川河川管理道路の麦に似た雑草がのびて実が付いてしまった。それにしても、この雑草は他聞、外来種だと思う。もの凄い生命力だ。刈っても刈っても執拗に生き残る、根絶するには、根ごと掘り起こし採らないと駄目だ。明日国土交通省出先機関の方に相談して、草刈をお願いするか・・・。昔は無かったなあ・・・。
この場所に町会の有志で、コスモスを植えているが、全く雑草で見えなくなってしまった。
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コメント
なるほど・・・ここに昔のクラスメイトや初恋の人を思い出させる歌をアップ。同窓会やクラス会にぴったり。
http://music.geocities.jp/ntmusicstation/index.htm
歌詞は ふるさとの 友よ 懐かしい 学び舎 あれから 幾年月過ぎたのだろう 思い出すよ あの頃 アルバムの中の君が セピア色にかがやいている・・・
投稿 tsutsu | 2008年6月 9日 (月) 09時10分