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2008年5月

2008年5月31日 (土)

米・中・ロも賛同を!

07_sl_kurosawa21_2クラスター爆弾の全面禁止

日本は4種類のクラスター爆弾を保有していると言われ、その一種類の処分でも100億円掛かるという。全部処理したら400億とも言われている。なぜ、世界でも軍事力では、最右翼のアメリカ・ロシア・中国が参加すらしていない。何とも片手落ちのきらいがある。

先の環境の問題でも、京都議定書などもアメリカは、極めて消極的であった。それに対し世界国々では、不信の声が余り上がらない。しかし7月の洞爺湖サミットで環境問題を重要ターまで取り上げ議論をするそうなので、アメリカも前向きな姿勢で望むとのことである。

クラスター爆弾の前面禁止は福田康夫首相の政治決断であるとされ、今日の新聞で、朝日・毎日・日経が社説で取り上げている。日本の決断に評価している。

しかし、世界でも一番保有しているとされているアメリカ・ロシア・中国の賛同得られないとは、余りにもおかしいせかいの世論の力で、廃絶する方向に向かわせ無ければならない。

イラク戦争で、アメリカは多くのクラスター爆弾を使ったという。不発弾の処理が厄介であるという。この事は、強国の勝手な解釈で保有しているだろうが、賛同しない国でその爆弾が落とされたらどのように、民衆は、思うのだろうか、自分の肉親が犠牲になった事を考えて、もらいたいものだ。

日経新聞社説は、                                          クラスター(房の意)爆弾は1つの容器に数個から数百個の子爆弾を詰め、空中で開いて広い範囲に落とす。不発に終わる子爆弾が多く、それに触れ死傷する事故が後を絶たない。そうした事故で死傷したのは1万人を上回り、その3分の1は子供、という推計がある。

 アイルランドで開いた国際会議では「爆弾に自己破壊装置が付いている」などにより不発で残る恐れが低い高機能のものを除いて事実上、全面禁止する条約を採択した。12月に署名する。この実質全面禁止の案に英、仏、独は当初、反対していたが同意に回り、日本もそれに続いた。日本が持つクラスター爆弾はすべて禁止の対象になり、8年以内に在庫を全廃する。

 ところが米、中、ロは今回の会議に参加すらしなかった。大量保有国が条約を支持しないのでは悲惨な事故の根絶は到底望めない。実効ある条約にするために、これら3カ国の参加は欠かせない。日本を含む先進各国は米中ロに粘り強く参加を呼びかけるべきだ。

 もし米中ロが参加すれば発展途上国がクラスター爆弾を持ったり、増やしたりするのを防ぐ効果も大きい。また核兵器や生物・化学兵器など大量破壊兵器の削減や廃止に向けた国際社会の動きを加速することにもつながるはず。

 さらに、この問題で欧州と日本が手を結び、米国や中ロを説得できたなら、地球温暖化対策など多くの課題に応用できるかもしれない。そのためにも米中ロの説得へ日欧が結束して当たるときだ。

 今回、防衛専門家らの消極論を踏まえつつも条約案への同意を指示した首相の決断を評価したいが、クラスター弾被害根絶への闘いはこれからが本番ともいえる。

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団塊の世代

05tasiroike11肩書きが とれて肩凝り しなくなり」 

サラリーマン川柳の入選作品

団塊の世代昭和22~24年(1947~49)ごろの第一 次ベビーブーム時代に生まれた世代。他世代に比較して人数が多いところからだが、去年・今年と一斉に退職された。長年勤め上げた末の定年退職であればいいのだが、 リストラでやむなく退職されたお方もいる。 企業の命運と我が人生は一心同体、家庭をも顧みず自らの心身を没頭して、ひたすら企業の活動に全身全霊を傾倒してこれまでやってきた。そして今、その企業人ではなく自由人となった自分を見つめ直した時、何かホットするとともに、ちょっと寂しい思いがする。

定年退職して、夫々の第二の人性を心待ちにしている人もいると思うが、ボランテアで地域のために力を貸して欲しい。最近テレビで、地域の町会や自地会の役員がなかなかいないという番組があったそうだが、世間一般そうなのか・・・。

私の町会も役員のなり手がいなくて、困っている。町会で地域の必要性を訴えているのだが、どうしてか理解してくれない。

長年の勤めで確かに疲れているは分かるが、地域の連帯と発展には今まで培われた才能をお借りしたいのである。特に勤め先での実績を生かして欲しいと思うのだが・・・。

防犯防災・交通安全・独り暮らしの見回り・環境美化・学校ボランテア・公園アドプト要員などで、防犯パトロール、交通指導員、防災隊員、一人暮らし見回り隊・ゴミ拾いなどがある。その他連帯感を深めるため、町会行事で盆踊り・老人の集いなどを主催している。

一人の人のが全てをやるのでは無く、一人一人が何か地域の事に力を貸してもらい。そういった、団塊の世代の方にお願いしているのだが・・・。

 

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五月蝿と書いて“うるさい”

彼は、決して、あまり面白く遊んでいるような風(ふう)は見せない。玩具を取り返されるのが怖(こわ)いからだ。  ルナアル『にんじん』

23581_2叩きたる蠅の前世思ひけり 小松月尚

蠅といえば、むしむしし始めた台所にどこからともなく現れて、そこにたかるんじゃない、というところにちゃっかり止まるので、子供の頃は、できた料理にたかりそうになる蠅を追い払うのもお手伝いのひとつだった。

強い西日をうけてさらにぎとぎと光る蠅取り紙も、蚊取り線香の匂いや、色よく漬かった茄子のおしんこのつまみ食いなどとともに、夏の夕暮れ時の台所の思い出である。そんな蠅だが、最近はめっきり見かけなくなった。

先日玄関先で久しぶりに遭遇、あらお久しぶりという気分だったが、昔は、とにかくバイ菌のかたまりだ、とばかり思いきり叩いた。同じように叩いてしまってから、ふとその前世を思っている作者である、真宗大谷派の僧であったと知ればうなずけるのだけれど。

蠅の前世、という表現は少し滑稽味を帯びながら、作者の愛情深い視線と、飄々とした人柄を感じさせる。句集の虚子の前書きの中には「総てを抛(な)げ出してしまつて阿彌陀さまと二人でゐる此のお坊さんが好きであります。」という一文があり、その人となりを思う。『涅槃』(1951)所収。(今井肖子)

うるさいと 書いて五月蝿い 蝿のやつ

飛び交うや 蝿つまみ取る 武蔵なり

最近こそ蝿は滅多に家の中に現れないが、昔は、やたらにいた。蝿取り紙を天井からぶら下げておいたり、蝿たたきを腰元に置いたりした。天井にとまっている蝿を長いガラス管(フラスコ状なもの)で取った経験がある。

それだけ衛生状態が悪かったのだろうが、あんまり気にし無かった。よくテレビでアフリカや東南アジアの現地の家族など食事風景などを放映されることがあるが、蝿が顔や、食べ物にとまっていることがある。その場面を見ると終戦直後などの貧しい頃を思い出すのである。その頃は疫痢や赤痢で子供が死んだ。平均寿命も50なん歳だったという。

今では、ゾットすることだが、よく足の脛などに“デキモノ”ができた。その化膿したウミを目がけて蝿がたかるのである。それを追い払うのが大変だった。今から60年以上前のことだ。

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2008年5月30日 (金)

介護のこと

1020208_img1 今朝の朝日新聞社説「介護の人材ー賃金の改善を最優先に」を読んで

実際の年寄りを抱えて、大変な思いをしている家族のことを本当に考えているのか、また誰だって、介護師のお世話になるのである。このことを思って、「必要があると認めるときは、必要な措置を講じるものとする」。不真面目な、表現の法律だ。

私も、両親、長兄の夫婦の終末期のすざましい闘いをかいま見ているが、言葉に表さない壮絶な思いがある。そして、亡くなった義母が施設にお世話になっているときに言った言葉が忘れられない。本当の親切にしてくださった介護師の○○さんが、結婚するので辞めるとの報に涙して話した。「どうしてなの」の答えに「介護師は給料が安く、結婚しても食べていけないので、別な職業に探すというのだ」なんとも情けない。

今まで一家の大黒柱で、支えてくれた両親は、最後は子供たちでは、介護で来ず、施設にお願いするしか方法がなかった。家の事情もあった。もし面倒を見るというなら、会社を定年を待たずに辞めるしか方法がなかった。(実際そういう人もいるそうだ)

今の行政の年金・後期高齢医療制度に、もの凄く不安である、誰だって誰かの介護の面倒を見てもらう終末期は、必ずやって来る。

このことは社会問題であり、また、一番不安な気持でいる方が多いと思う。人間は動物であるが唯一自分の必ず死ぬということ分かっている動物である。世の中「安全・安心」が保障される政治行政がなされる事が人間の本当の政治と思うが・・・。

社説内容                                               「来年4月までに、必要があると認めるときは、必要な措置を講じるものとする」

 何ともとぼけた表現の法律が今国会で成立した。介護を担う優れた人材を確保するための法律なのだが、条文はたった1条だけで、中身がない。

 介護の現場の人手不足は深刻さを増す一方だ。現在100万人あまりが働いているが、毎年20%が辞めていく。景気が回復している都市部が特にひどい。介護保険が始まった00年以来、増え続けてきた訪問介護の事業所も、人が集まらないのと経営難で、去年12月ごろから減少に転じている。 不安なのは、介護福祉士を養成する各地の専門学校や大学で定員割れが続いていることだ。

 厚生労働省によると、07年4月の定員合計2万6千人に対し、入学者は64%にすぎない。07年度中に12校が養成課程を閉鎖した。若者が介護の職場をめざそうとしなくなったのだ。介護職員の平均月収は20万円あまり。重労働なのに、他の仕事より10万円以上低い。介護保険制度研究会の調査では「賃金が低い」が退職理由の1位で、他を大きく引き離している。身分も不安定で半数近くが非正社員だ。多くがワーキングプアのような状態に置かれて、将来の夢が描けない。

 介護職員の人件費を含め、介護サービスにかかる費用は政府が決める介護報酬でまかなわれている。 介護保険の利用者が年々ふえ、介護報酬の総額がふくらみ続ける。それを抑えようと、厚労省は2度にわたって介護報酬を引き下げた。賃金が低いのは、それが原因だ。財政面にばかり気を取られているうちに、担い手が次々に逃げ出している。

 現在410万人いる要介護認定者が10年後には600万人を超える。少なくともあと50万人の介護職員が必要だ。このままでは、せっかくの介護保険制度が人材面から崩壊しかねない。  法律がいう「必要な措置」の最優先は、賃金を上げることだ。介護報酬を上げたうえで、値上げ分が確実に人件費へ回るよう工夫したい。

 問題は財源だ。介護報酬は、9割を保険料と税金から支出し、1割を利用者が負担する。保険料も自己負担も限界に近いので、ここは税金からの支出を考えざるをえない。そのために、予算配分を見直す必要がある。

 世界で例のないスピードで高齢化が進む。限られた予算をこれまでと同じ配分でダムや河川や道路などに使うのか、介護や医療、教育へ大胆に移すのか。国民も選択を迫られている。 もしそれでも足りなくなったら、増税も避けられなくなるだろう。 介護の担い手とサービスを守るためには、私たちも少し、ふところを痛める覚悟が必要かもしれない。

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法事に思う

10005i1法事に呼ばれている。そこで考えてみた。

 同い年の小渕恵三元首相が現役で病に倒れ亡くなった。橋本竜太郎元首相も同い年であるが亡くなった。2人とも輝かしいご功績を残された。そして、血の出るような苦労と努力を重ね、財や地位を築かれた人も近所にもいる。その人の生きざまをかえりみる時、心の琴線に響かないこともある。では、人の幸せとは何か、生きている時が花や、死んでしまったらおしまいだ、などと、短絡な言葉は慎みたいものですが、つきつめていくと「今、生きている」その事に尽きると思う。 

 人がこの世に生まれてくることは、「受け難き人身を受けたのだ」とお釈迦さまは、教えたと言う。それは先祖から父母へと続く命をいただいたということで、しかもさまざまな命に支えられ生かされているという事実にもとずくものである。先祖や天地自然に畏敬の念をもち、謙虚な姿勢を生き方の基本として、ただひたすらに今生を生きぬくということだろうと思う。

 病院での死は自宅での場合と違い肉親との距離をつくってしまう、遺体に触れることさえない場合もある。家族3世代はつい30年位前まで普通であったが、今は核家族が進んで、なかなか子供が人の死を見つめる事がない。人間は生・老・病・死の体感させる事が如何に大事か、71歳の年を数えて、つくづく感じるのである。

 人の死、それが身近な人である場合は、悲嘆、落胆は大きいだろう。その程度は深く、長く続きます、場合によってはそのショックから立ち直れずに、自分の命をちぢめる人もある。 
 日本人は欧米人と比べると、この悲嘆、落胆からの回復の程度が早いと言われているようだが、死が突然である場合と、病床看護がある程度なされた場合と、老若、男女によっても違いはあるが、死別しても追善供養(死者の冥福をいのり、供物をそなえて回向する)をとおして、死者は永遠に消滅したのではなく、亡き人と一体感をもち続けることができるからだと思う。

今回の法事は義姉の3回忌である。普通の人間であったと思うが、有名人と同じ、一人の人間である。人は皆同じ一生を生き抜き終える。確かに、死んでしまえば皆同じであるが、残された子孫は、そのDNAを継いで生きているのである。もし、先祖がいなければ今はない。

そう考えると、先祖を敬い今を大事に生きなければと思う。そして子孫をしっかり受け継ぐことだろう。

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五月雨

今日の名言

面とむかって人を誉めたがるやつは、また影にまわると悪口をいいたがる。

『荘子』(四)

271五月雨や上野の山も見あきたり 正岡子規

明治三十四年、死の前年の作。子規は根岸の庵から雨に煙る緑の上野の山を毎日のように見ていた。病臥の子規にとって「見あきたり」は実感だろうが、人間は晩年になると現世のさまざまの風景に対してそんな感慨をもつようになるのであろうか。

「見るべきほどのことは見つ」は壇ノ浦で自害する前の平知盛の言葉。春を病み松の根つ子も見あきたりは西東三鬼の絶句。三鬼の中にこの子規の句への思いがあったのかどうか。この世を去るときは知盛のように達観できるのが理想だが、なかなかそうはいかない。

子規も三鬼も「見あきたり」といいながら「見る」ことへの執着が感じられる。思えば子規が発見した「写生」は西洋画がヒントになったというのが定説だが、この「見る」ということが「生きる」ことと同義になる子規の境涯が大きな動機となっていることは否定できない。

生きることは見ること。見ることの中に自己の瞬時瞬時の生を実感することが「写生」であった。『日本の詩歌3・中公文庫』(1975)所載。(今井 聖)

五月雨や 鯉の動きは はつらつと

一日中  五月雨降って 火がこいし

窓ガラス 切れ葉をつけて 驟雨かな 

前の日は27度の夏日で、涼風が気持がよかったが、昨日は一日中雨で16度で火が恋しい。コタツにももぐってしまった。温度差が10度は70歳をちょっと超えたくらいでも、結構身体に堪える。雨戸に雨粒が付いているところから、風もあるのかなあ・・・。

湯殿川は、鯉が沢山見えるが今日は水が濁り見えない。一体何処に行ったのだろうか、ちょっと心配になった。

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2008年5月29日 (木)

中国へ自衛隊機が派遣

Yangtzeinthreegorges1_2NHKwebニュースの焦点の記事から、

日本政府は、中国政府からの要請に応え、四川大地震の救援にあたるため、航空自衛隊のC130輸送機を中国に派遣して、自衛隊が所有するテントや毛布などの物資を輸送し、無償で譲渡する方針を固めました。
自衛隊機が派遣されれば、中国に自衛隊の部隊が入るのは初めてのこととなります。
四川大地震では670万人以上が家を失って、不自由な避難生活を余儀なくされ、テントや毛布などの救援物資を行き渡らせることが課題となっています。
こうしたなか、町村官房長官は28日午後の記者会見で、中国政府から27日、北京にある日本大使館に対して、救援物資とその輸送の要請があったことを明らかにし、「自衛隊のテントや毛布などを自衛隊機で中国の空港まで運んでもらいたいという趣旨だと理解している。中国国内での輸送までは望んでいないようだ」と述べました。
そのうえで、町村官房長官は「できるだけ早く答えが出るように急いでいる」と述べました。
そして政府は、国際緊急援助隊法に基づいて、航空自衛隊のC130輸送機を中国に派遣して、自衛隊が所有するテントや毛布、それに医薬品などの救援物資を輸送し、無償で譲渡する方針を固めました。
これまで、航空自衛隊が運用する政府専用機が総理大臣の訪問などで派遣されたほか、旧日本軍が中国に残したとみられる化学兵器の回収などに自衛官が派遣された例はありますが、自衛隊機が派遣されれば、中国に自衛隊の部隊が入るのは初めてのこととなります。
これについて高村外務大臣は、記者団に対し、「相当大きな被害が出ているので、隣国としてお役に立つことはできるだけのことをしたい。テント、毛布、医薬品、電灯のようなものを送ることになるのではないか。具体的な要請があれば、応えられるものについては応えていきたい」と述べました。

zakzakの記事にあったものだが、中国問題評論家の石平氏は「驚くべき話だ。ロシア機ならまだしも、自衛隊機を中国領空で飛ばせるなど常識では考えられない。中国で輸送機が不足しているとは思えず、単純な人道的要請ではないはず。この機会に日米同盟にクサビを打ち込むなど、国際政治を見すえた政治的要請のような気がする」と語っている

人道上の問題だ。ロシア・アメリカ・パキスタンなどが、輸送機を派遣して毛布・発電機などを輸送しているとのことだ。特にロシアは大型ヘリコプターを出し重機をせきとめ湖近くに運んでいて、他15機以上で400トンを輸送しているとことだ。

しかし、現地の成都市の住民は、過去の歴史から、必ずしも自衛隊を歓迎する人ばかりではないようだ。これが実現したら、中国・日本の関係、アメリカ・日本の関係など、今までと違った視点で対応が迫られることになる。

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梅の実と桑のみ

今日の名言

嫉妬に御用心なさいまし。嫉妬は緑色の目をした怪物で、人の心を餌食(えじき)にしてもてあそびます。 シエクスピア『オセロウ』

05ainokura11おにいちゃんおこられながらバラ見てた須田知子

家々の門口に美しく咲き誇っていた薔薇も週末の雨でだいぶ散ってしまった。四季咲きの薔薇も多くなっているけど、やはり五月の薔薇が一番美しい。平仮名の表記と幼い口調に、小学生ぐらいの自分に引き戻された。

そういえば昔はよく説教をされたっけ。けんかをしたとき、物を壊したとき、怖い顔で怒っている親の顔と正面から向き合っているのは気まずい。とは言え神妙な顔をしていないと、くどくどくどくど説教はいつまでも続く。

子供ながらに視線の置き方が難しかった覚えがある。自分は悪くない。と、くやしい気持ちに涙をこらえて頑なに横を向き、関係ないものをじっと見詰めていたときもある。この男の子もきっとそんな気持ちでふと目に止まったバラを見ていたのだろう。それが、そのうちバラの美しさにひきつけられて、怒られていることは忘れてバラに見入っているのかもしれない。

そんな兄の変化を少し離れたところからじっと見ている妹。単純なようでバラを中心に、少年の心の変化と家族の情景が鮮明に浮かび上がってくる句だと思う。『さあ現代俳句へ』(1997)所載。(三宅やよい)

怒鳴り声  桑の実食った 口を見て

梅の実や すっぱい思い出 幼子ころ

畑道を散歩していたら、大きな桑の木のがあった。見上げるむらさき色の実が一杯付いていた。これは食べられるぞ!と一つ口に入れたら、ほのかに甘い。ああ・・・むかしの頃一杯取ってビンに入れ持ち帰ったことを思い出す、懐かしい味がした。

梅の実を、漬けて見ないかと町会長にもらった。小梅である、洗って一夜水につけて置き、水を切て、塩一割で漬けるのだと教えられた。さーて漬けて見るか。

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2008年5月28日 (水)

信頼失くせばこういうことに

287_field111始船場吉兆の廃業は、なるべくしてなったものと思う。「ワンマン経営」ならまだしも、お客を裏切ることしばしばでは、どんなに、心を入れ替えたと言っても、お客は信用しない。お客から、信頼が無くなれば、お客は来ないのは当然である。

ごく最近の大相撲の千秋楽の結びの一番で、横綱同士の対決で勝負が付いた後に見苦しい場面を見てお客は、眉をひそめたのだ。一斉に新聞・テレビで取り上げられたが、相撲協会の北の湖理事長は、白鳳のみに注意して朝青龍には注意しなかった。それはおかしいと横綱審議委員会で両成敗だ。といって、理事長に話し。2人の横綱を呼んで注意したという。相撲協会もなんとも品格がない。

いかに、自分勝手な、お客さんそっちのけの態度で相撲協会も分かっているはずだが、一向に良くなっていない。こんな心構えでは、相撲協会も廃業になるかも?・・・。

世間一般に自己主張が強く、相手の立場に立って考える心のゆとりがなくなってしまった人が多くなって極端だが、人を殺しても、相手が悪かったから、と自分勝手ないい訳をするなんて、世も末だ。何とかしなくては・・・・相撲ファンだから・・・。

NHKwebより「船場吉兆」の廃業の記事

大阪・中央区に本店のある料亭「船場吉兆」は、28日午前10時から本店と博多店で従業員への説明会を開き、廃業する方針を説明しました。「船場吉兆」は、牛肉の産地偽装など一連の不祥事を受けて料亭の営業を自粛したあと、経営陣を刷新し、ことし1月、裁判所に民事再生法の適用を申請して経営の再建を図っていました。しかし、その後、営業を自粛するまでの期間に4つあったすべての店舗で、客が食べ残した料理を使い回していたことがわかりました。関係者によりますと、営業を再開したあと以前の半分ぐらいまで回復していた客は、使い回しの発覚後、一気に減るなど客離れに歯止めがかからないことから再建を断念し、廃業する方針を決めたということです。「船場吉兆」は、昭和5年に大阪で創業した料理店が発祥の料亭「吉兆」グループの一つで、一時は大阪で2店、福岡で2店を運営していましたが、相次ぐ不祥事で信頼を回復できないまま、廃業することになりました。福岡市博多区にある「船場吉兆」の博多店でも、28日午前10時から従業員への説明会が開かれました。説明会は、従業員10人ほどが出席して1時間余りにわたって行われました。博多店では、店の前に「都合により営業を中止しております」と書かれた紙がはり出され、入り口は閉じられたままになっています。

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自然に生きる

Shibutoge61自然の生きものたちは、ただ無心に生きている

 東の空が白みはじめる黎明の時刻になると、帳の中にいた野鳥のさえずりが最初に聞こえてくると、それまで静まりかえっていた空気を破るかのように、さえずりが聞こえてくる。すると、それに呼応するかのように他からも鳥の鳴き声が聞こえ始め、そして、あちらからも、こちらからも、さまざまな鳥たちの「今日が始まるよ」という声が、言葉のように聞こえてくる。生きものたちが最も活き活きしているのが、朝の一時である。

 5月は生命が躍動する時節。木々の緑は深みを増し、花を咲かせる、生きものの多くがこの時期に子孫を産み育て、鳥や昆虫、動物たちが一年で最も命の輝きを見せるのもこの時期である。
 生きものたちは、生きるということになんの疑問もなく、自然現象の如くに命を躍動させている。それは子孫を残すという遺伝子のはたらきのままに生きているという姿のように見えるのである。

季節の移り変わりを、味わうことなく過ぎてしまう現代の忙しい社会で、生き物すべてが、動き出すこの時期に、朝の始動を、たまには、じっくり感じて見てはいかがと思うのである。

春夏秋冬の季節がある自然環境のもとでは、この時期に生きものたちの新しい命の誕生が集中している。だから、生きものたちにとっては短い一生の中で最も命輝く時節である。自然の流れのままに生かされている生きもたちは命が輝いているように見える。それはあたえられた命をただ無心に生きているからだろう。

どんなに、文明が発達しても、所詮人間は生身の生き物で暖かい、血の通った動物である。ロボットで動いている訳ではない。ニュースで、アメリカNASAの火星探査機『フェニックス』が、日本時間26日午前8時53分ごろ、火星に着陸したとのことである。こんなに宇宙に切り開いたとしても、人間の力も自然の力には及びもしない。

人間は、自然の中で生きられるのであって、忙しい時代であるが自然をじっくり見直しながら生きることに、心がけることが大事だと思う。

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夏の海

Photo今日の名言 [実をいうと古美術の研究は自分にはわき道だと思われる。今度の旅行も、古美術の力を享受することによって、自分の心を洗い、そうして富まそう、というに過ぎない。]              和辻哲郎『古寺巡礼』

石載せし小家小家や夏の海 田中貢太郎

貢太郎は一九四一年に亡くなっているから、この海辺の光景は大正から昭和にかけてのものか? 夏の海浜とはいえ、まだのどかというか海だけがだだっ広い時代の実景であろう。粗末で小さい家がぽつりぽつりとあるだけの海の村。

おそらく気のきいた海水浴場などではないのだろうし、浜茶屋といったものもない。海浜にしがみつくようにして小さな家が点々とあるだけの、ごくありきたりの風景。しかも、その粗末な家の屋根も瓦葺ではなく、杉皮か板を載せて、その上に石がいくつか重しのように載っけられている。

いかにも鄙びた光景で、夏の海だけがまぶしく家々に迫っているようだ。「小家小家」が打ち寄せる「小波小波」のようにさえ感じられる。何をかくそう、私の家も昭和二十五年頃まで屋根は瓦葺でもトタンでもなく、大きな杉皮を敷きつめ、その上にごろた石がいくつも載っかった古家だった。よく雨漏りがしていたなあ。

貢太郎は高知出身の作家。代表作に『日本怪談全集』があるように、怪談や情話を多く書いた作家だった。そういう作家が詠んだ句として改めて読んでみると、「小家」が何やら尋常のもではないような気もして謎めいてくる。貢太郎の句はそれほど傑出しているとは思われないが、俳人との交際もさかんで多くの句が残されている。

豚を積む名無し小駅の暑さかなという夏の句もある。「夏の海」といえば、渡邊白泉の夏の海水兵ひとり紛失すを忘れるわけにはいかない。『田中貢太郎俳句集』(1926)所収。(八木忠栄)

 海開き 暑きすな浜 足の裏

 海の家 よしずにはためく 氷旗

6月になると、各地で海開きが始まる。すでに沖縄では4月ごろに行っているという。沖縄といえば、もう梅雨に入っている。湘南の江ノ島は7月1日だそうだ。

昨日は、晴れて気温は高かったが湿度が低かったので過ごしやすかった。夜になって防犯パトロールで回っている時に、涼しい風が気持ちよかった。さーて今日の天気はどうなるのだろう。

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2008年5月27日 (火)

人間形成

Center171現代の歪が出ているのも人間形成時期に、おなざりになっていた教育方針が、はっきりしないままに、人が育つ環境が急速に変化してしまっている。少子・高齢社会の到来による社会構造の変化、産業・雇用状況が及ぼす家庭への影響、地域社会における人間関係の希薄化、各家庭における価値観の多様化など、この変化は、人が学び、育っていく家庭・学校・地域・社会の各階層において進行しており、さまざまな歪みが問題を引き起こしている。
人の一生を学びの過程と考え、幼児期、学校教育期、社会人、それぞれの段階における学びとその環境構築について考察・研究していくことが大事なことである。したがって、人の健康、心のあり方、家族関係、教育問題、教養、生涯学習基盤の問題等々について検討し、より良い人間形成と発達が保障される環境作りをしなければならない。

地域社会での日常生活をフィールドにして、
地球環境問題を見据える・・・・
人と自然が共生し、
人と人が共生できる社会を目指すためである。

 「何気なく生きる」のは悪いことではない。しかし「何も知らずに流される」のは不幸である。私たちはどこに住み、何を食べているのか。それは誰が作り、どこから運ばれてきたのか・・・食べ物だけでなく、水や空気でさえ、誰かが作り、そして誰かが汚している。家を建てたとき、その土地に以前に住んでいた人、そこに生えていた植物や、その植物と暮らしていた虫はどこへ行ったのだろう?

他人の心を思う自分の心のあり方を
明確に把握するため、
心理学の必要性の認識することである

 人にやさしくしてあげたくなるのはなぜ? いじめを見てみぬふりをしてしまうのはなぜ? 食卓に花が飾ってあると、どうして気持ちが和む。公園に緑が少ないと落ち着かないのは、どうして。人の心を理解することは、まず自分を見つめることからはじまる。

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環境相会合―歩み寄りの芽を育てたい

06oga_toga11_2 今日の新聞社説は、朝日・読売・毎日・日経・東京が環境相会合の事が載っていた。

温暖化対策の長期的な目標について、世界共通のゴールが示されたということだろう。

毎日新聞では、                                               神戸市で開かれたG8(主要8か国)環境相会合は、温室効果ガスの排出量を「2050年までに世界全体で半減する」という長期目標を北海道洞爺湖サミットで最終決定することで合意した。

 会合には、G8のほか、京都議定書で削減義務を負っていない中国やインドなどの主要排出国も招待国として参加した。

 先進国だけでなく途上国まで含めた環境政策の代表が参加した会議で、気候変動対策にどこまで合意できるか。洞爺湖サミットに向け踏み込んだメッセージが期待されたが、26日に採択した議長総括をみると肩透かしの感がぬぐえない。

 長期目標については、昨年の独ハイリゲンダム・サミットで「全世界の排出量を2050年に少なくとも半減させる」との目標を真剣に検討することが合意された。洞爺湖サミットでは、これをさらに一歩前に進める必要がある。

 ところが、環境相会合の議長総括では明確な数値や基準年は示されず、「世界の排出量を半減するために、先進国が大幅な削減を達成する」との表現にとどまった。前日の議長総括案にあった「先進国は50年に50%を大幅に上回る削減をめざす」という内容は盛り込めず、後退している。

 長期目標の達成に道筋をつけるには、中期目標の設定も欠かせない。科学者を中心に組織する「国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、先進国に対し「90年に比べ20年に25~40%の削減」を求めている。

 今回の議長総括には、世界の排出量を今後10~20年で減少に転じさせるために、先進国は国別総量目標を掲げて取り組むことが盛り込まれた。途上国の行動の必要性も指摘された。

 ただ、中期目標については「IPCCの科学的知見を考慮して、実効的な目標を設定する」との表現にとどまった。具体的数値も、排出を頭打ちにするための道筋も示されていない。

 ここからは、京都議定書の第1約束期間が終了した後の13年以降、世界が一丸となって排出削減をしていくための明確な意思が読み取れない。

 その背景には、議長国である日本自身の覚悟のなさもあるのではないか。排出削減をめぐっては、相変わらず環境省と経済産業省や産業界が対立し、日本としての姿勢が見えにくい。

 政府は洞爺湖サミットに向け、地球温暖化対策に関する「福田ビジョン」を公表するという。この中で「2050年までに現状比で60~80%削減」との長期目標を示す方向という。具体的な長期目標を示すことは重要だが、それだけでなく、中期目標についても日本としてのはっきりした姿勢を示すべきだ。そうでなければ、長期目標が絵に描いた餅になってしまう。

 温暖化対策に消極的だった米国も、大統領が誰になるにせよ、次期政権は積極策に向けて大きくかじを切ると考えられる。それを十分に見据え、日本の戦略を確立する時がきている。

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英語教育の見直しとは

0107ukisima11 今朝の産経新聞社説より

教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾塾長)が、1次報告で小学3年からの英語必修化を目指すなど英語教育の抜本見直しを提言した。

 中学から大学まで10年間勉強しても身に付かない日本の英語教育は長年、見直しが求められてきた。だが、小学校から英語を必修化することには専門家でも賛否が割れる。小学校で何をどう教えるのかという意義を明確にし、国際社会で通じるコミュニケーション能力の充実を議論すべきだ。

 文部科学省の調査では既に小学校では97%の学校で総合学習などを利用して英語に触れる学習を行っている。平成23年度から完全実施の新学習指導要領では、小学5年から週1時間、英語活動が必修になることが決まっている。

 ただ新指導要領では小学校の英語は教科とは位置づけず、点数評価はしない。これに対し、1次報告では中国、韓国などが「日本の中学相当の英語教育をすでに小学校で行っている」とし、新指導要領よりさらに早期の小3からの英語必修化を打ち出した。まず5000校程度のモデル校で始めることを提案している。

 小学校の英語必修化に対しては、指導要領の議論でも当時、文部科学相の伊吹文明氏が「美しい日本語が話せないのに、外国語を必修化しても駄目」と発言するなど反対があった。

 英語教育の専門家を含め小学校からの英語への賛否はこうだ。賛成派は「10歳程度までの幼少期に英語を始めなければ身に付かない」と早期教育を訴える。慎重派は「根拠がない」とし、英語教育の素人が教える小学校の態勢では英語力向上につながらないと疑問視する意見もある。

 1次報告は、小学校から大学まで各段階の目標を立てた英語教育の強化を訴えるとともに、最終的に「日本の伝統・文化を英語で説明できる日本人を育成する」とうたっている

 小学校では国語など基礎学力向上が急務だ。小学校の英語を進めるには利点や弊害を踏まえ、教えるねらいを明確にしたうえで、指導法を工夫し、中学以降の英語教育の充実につなげるべきだ。1次報告の提言でも示されたように日本を語り、情報発信できる人材が求められている。国際社会の中、自分の言葉で話せる人材育成に議論を深めたい。

確かにグローバル化した現代で、英語は必要であることは理解できる。しかし、伊吹自民党幹事長の言う通り、正しい日本語も話せないのに英語を必修化してもどうか疑問である。ゆとり教育の弊害や、道徳教育の不完全なままでは困るのである。

また、語学力に力をいれても心の教育をなおざりでは人間形成に必要な基礎教育にはならないだろう。そうして、益々学力の平準化は、難しくなってしまうことになる。

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青い梅の実

今日の名言

弱いということは哀れなことだ、あえて事を行うにしろ、事を忍ぶにしろ!

ミルトン『失楽園』(上)

07kitayamazaki31

打ち返す波くろぐろと梅雨の蝶 一 民江

日本列島もちらほらと梅雨入りの声が聞かれるようになった。先日、雨降りのなかで、美しかった空の思い出を話していたら、山で見た空は青を通り越し黒く見えたという方がいた。あまりに透明度が高く、その向こうにある宇宙が透けているのだという。

それが科学的根拠に基づいているのかそうでないかは別として、聞いている全員がふわっと肌が粟立つ思いにかられた。美しさのあまり、見えないはずの向こうが見えてしまうという恐怖を共有したのだった。

掲句の波も、見えるはずのない海のくろぐろとした奥底を映し出してしまったような恐ろしさがあり、そこに梅雨のわずかな晴れ間を見つけ蝶が波の上を舞う。春の訪れを告げる軽やかな蝶たちと、夏の揚羽などの豪奢な蝶の間で、梅雨の蝶はあてどなく暗く重い。

タロットカードに登場する蝶は魂を象徴するという。もし掲句のカードがあったとしたら、「永遠に続く暗雲に翻弄される」とでも言われそうな衝撃の絵札となることだろう。〈よく動く兜虫より買はれけり〉〈梅を干す梅の数だけ手を加へ〉〈送り火のひとりになつてしまひけり〉『たびごころ』(2008)所収。(土肥あき子)

曇り空 青梅の透きに 晴れ間あり

沖縄は 梅雨入りとなる この暑さ

きのう、青い梅の実を口にしたら、子供の頃の思い出が甦った。竹の皮で梅干を包み、皮ごとしゃぶるのである。ああ!そんなことをして遊んだなあ・・・。そして食べ終わると種を割って中の芯まで食べたことも・・・。

昨日も、早朝ゴミ拾いのボランテアをおこなった。「掃けば散り掃けばまた散り積もる人の心も庭の落葉も」を思い出す。

「拾えば捨て、拾えばまた捨て、拾わなければ荒れるのみ、人の心も自然環境も」

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2008年5月26日 (月)

自分自身を輝かせる

Takabotti111自分自身を輝かせる

 この世の中は、光に満ちあふれて輝いている。私達はこのことに気づかないでいる。輝きを美しいと受け取れない、何かが心の奥ににあるからだ。

 自分の気持ちに差し障りがあるから、素直に受けとれない。このぼやっとした差し障りのことを煩悩というのだ。その煩悩を捨て去り、ぬぐい去れば、ほんの一時でも、美しいものを美しいと思え、美しいと見ることができる。

 でもまたすぐにその煩悩の差し障りが、目の前をふさいでしまう。それで常に自らの心を磨く努力をしなければいけないのである。これを精進というのだろう、日々そういう生き方を心掛け実践することを修行ということが出来る。

 少しでも精進し、修行していれば、美しいと思う心を、美しいと見る目を、美しいと聞く耳を持つことが出来てくるのである。

 煩悩を滅除して、無我になれた時、自他の区別はなくなり、一切が空であることをお釈迦様は覚られたそうだ。悩み苦しみの原因を他に求めようとするのが現代の風潮です、親、友達がこうだからとか、世の中みなそうだ、社会が悪い、などと、悩み苦しみから逃れるすべを他に求めてしまいがちである。

 自分自身の見方、聴き方、思う心を変えて見ることだと思う、輝けるこの世界に生きる自分自身を輝かせること、そうすれば日々が輝きの喜びの世界に変わって来るの筈である。

修行とは、世の中のできごとを悪いこと良いこと全てを、快く受け入れることのできる心だと思う。そして「人生死ぬまで修行である」               

(大辞泉では、 悟りをめざして心身浄化を習い修めること。)

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人も花も立派に咲かせるには同じ・・・

今日の名言                                            ものごとが実行に移されたら最後、迅速に匹敵する秘密保持はない。『ベーコン随想集』

05gihu_hana_festa21中肉にして中背の暑さかな 加藤静夫

この句、どことなくおかしい。「おかしい」と言うのは、変であり滑稽でもあるという意味だ。すらりと読み下ろせば、この「中肉にして中背の」形容は「暑さ」に掛かることになる。つまり、暑さを擬人化していると読める。

しかしいくら擬人化しているとはいえ、中肉中背の暑さとは不可解だ。どんな暑さなのか。強いて言えば季節に頃合いの暑さと受け取れなくもないけれど、その暑さの程度はわかったようでわからない。でも読者は馬鹿じゃないから、ここで瞬時に読みの方角を転換して、中肉中背とはすなわち作者のことであり、その作者が感じている暑さのことだと頭を切り替える。が、そう読んでしまうと、さあっとシラける。

せいぜいが肥満体にして長身の人の暑がっている姿などを想像し、それに比べれば楽そうだなどと思うだけで、句全体はさして面白くなくなるからだ。そこでまた馬鹿じゃない読者は最初の読みに戻り、いや待てよとばかりに次の読みに行き、そうこうしているうちに、この読み方の揺れ自体に句のねらいがありそうだと気付き、気付いたときには作者の術中にはまってしまっているのである

つまり前者と後者の読みが揺れながら重なったり離れたりすることで、この句はようやく精彩を発揮するというわけだ。そこらへんに、変であり滑稽であると感じさせる仕掛けの秘密があると読んだ。『中肉中背』(2008)所収。(清水哲男)

私は、「中肉にして中背」は、人間の理想の体型であると思う。だからちょうどいい頃合だろうと言うことで、暑いがそんなに暑くない、いわゆる薄暑なのかなあ・・・と思う。今の時期24・25度位の気温で湿度が30%位の陽気かだ。快適な暑さ?と解釈したい。

確かに何処となくおかしいと思う発想がユニークである。こんな表現方法もあるんだなあ・・・もう硬くなった私には考え着かない。

昨日で一段落した大相撲も、場所前の予想を覆す、角番大関の琴欧州の14勝1敗の優勝とは、誰も予想出来なかったことだと思う。気の早いNHKのアナウンサーが、解説の北の富士さんに質問していたが、来場所「横綱」の綱とり場所?になるののかの質問に答えは「なんともいえない」だった。そうだと思う「横綱」は、最高の強さと品位が無ければいけない。                                                  品位といえば、横綱同士の千秋楽最後の取り組みで、勝負がついた後で土俵上でにらみ合いは、土俵を汚し、見ているお客さんも失礼である。「問題だ」。

だけど、日本人の力士は如何したのだろう。横綱候補が現れない。希世の里を期待したいのだが・・・

雑草の中にコスモスを育てようと4・5日間一生懸命に雑草取りをしていたが、立派な力士や、一流の人間でも、草花一本でも、育て上げるには、環境と栄養と、道徳、など教育・躾があって、立派な、大輪の花が咲き、皆から中目されるのだと、オーバーラップしたしまった。

昨日雑草とりを夢中になってしまって夕方疲れてしまい、早く寝てしまった、今朝は、目が覚めてしまい、今朝は、ななんと!!!1時半に起きてしまた。shock

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2008年5月25日 (日)

見直されるアフリカ

07bonchi_asayake_hi11 今朝の朝日新聞社説より

アフリカと聞いて、何を思い起こすだろう。雄大な自然と、象やライオンなどの動物たち。貧困や飢餓、紛争、エイズ。さまざまなイメージが浮かぶが、「成長」の2文字を思う人はあまりいないのではないか。

それがここ数年、アフリカは「成長大陸」ともいうべき様相なのだ。02年ごろから経済が拡大に転じ、年率5%を上回る成長ぶりを見せている。 最大の理由は、資源価格の世界的な急騰である。

アフリカには石油をはじめ、ダイヤモンドやプラチナ、金などの天然資源が多く埋蔵されている。冷戦終結で、東西対立のあおりを受けていた紛争がおさまり、新しい開発が始まっていた。そこに資源高騰が重なり、収入が跳ね上がった。

たとえば、長い内戦に苦しんできたアンゴラ。6年前の停戦合意の後、原油やダイヤモンドの採掘が本格化し、07年の国内総生産(GDP)は27%も成長したと推計されている。

同じように、産油国のスーダンは11%、赤道ギニアが9%、ナイジェリア7%といったぐあいだ。アフリカ全体で見ると、域外輸出の6、7割を原油や希少金属などの資源が占めている。

この地下資源を求めて欧米や中国、インドからの投資やビジネスが殺到している。いまや、産油国の首都には高層ビルが立ち並び、富裕層は消費ブームにわいている。

福田康夫首相もアフリカ向けのODAを増額するという。いま原油暴騰が止まらない状況の中、資源の豊富なアフリカに世界の国々は当然注目せざるを得ない。

環境問題でクリーンエネルギーも考えていかなければいけないが、なんと言っても、鉱物資源の豊富なアフリカは魅力的である。日本も開発援助に力を入れてアフリカの国と相互の利益に貢献できるようにすべきである。

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朝顔・昼顔・夕顔

今日の名言

ただ過(す)ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢(よはひ)。春、夏、秋、冬。

清少納言『枕草子』

05ainokura11

朝顔やすこしの間にて美しき 椎本才麿

朝顔は秋の季語ですが、気分的には夏に咲く花という感じがします。思えばこの花はいつも、生活にごく近いところで咲いていました。子供の頃は、ほとんどの家がそうであったように、我が家もとても質素な生活をしていました。それでも小さな家と、小さな庭を持ち、庭には毎年夏になると、朝顔の蔓(つる)が背を伸ばしていたのでした。

子供の目にも、朝に咲いている花は、その日一日の始まりのしるしのような気がしたものです。考えてみれば、「朝」という、できたての時の一部を名前にあてがわれているなんて、なんと贅沢なことかと思います。

この句では、「朝」と、「すこしの間(ま)」が、時の流れの中できれいにつながっています。「朝顔の花一時(ひととき)」と、物事の衰えやすいことのたとえにも使われているように、句の発想自体はめずらしいものではありません。

それでもこの句がすぐれていると感じるのは、「すこしの間」というものの言い方の素直さのためです。たしかに、少しの間だから儚(はかな)いのだし、儚さにはたいてい美しさが、伴うのです。『俳句の世界』(1995・講談社) 所載。(松下育男)

  すまないと 夕顔咲いて 朝に散る

  夕がほや 男結の  垣にさく  一茶

  昼顔や 上手に咲いて 棘の上

朝に咲く朝顔・昼に咲く昼顔・夕方に咲く夕顔と朝・昼・夕の時間に咲くが三種類がある。花の形は似ているが、夕顔だけが、大きい実になる。ウリ科の蔓性一年草。ヒョウタンはこの変種だそうだ。夜咲いて朝に散るとい言うところから名前が付けられたという。

昼顔は何処の道端にも、見かける。よく朝顔の花に似ている。フェンスなどに絡みつき咲いているのをよく見かける。あんまり、人には喜ばれないで、雑草として処分されてしまう。

  

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2008年5月24日 (土)

新聞の見出しから

07_sl_kurosawa21 各誌の新聞の見出しをみても世の中、歯車が狂ってしまった。修正は、なかなか厳しいぞ・・・。

産経新聞

衝撃事件の核心】判事をストーカーに変貌させた“執着心” カギは「異動直前」          

現職裁判官を“ストーカー”へと変貌させた執着心とは何だったのだろう。しかも自身はストーカー殺人の審理も経験していたのに。前代未聞の“ストーカー裁判官”はさっそく私選弁護人を付け、取調室で堂々の法律論争を繰り広げているという。

朝日新聞                                                 

大学に「過保護者」急増 入学式は満杯、就職相談に同伴

大学生の入学から授業、進級、就職など、過剰なまでに干渉する「過保護者」が目立っている。大学教職員の多くは、近年に急増したと言う。だが「子離れ不全」として放置できなくなった。大学間の生き残り競争が激しくなる中、各校は保護者サービスにも腐心する。

読売新聞

児童の胸に「うそつき」と張り紙・体罰も、釧路の小学校教諭

北海道釧路市立鶴野小の男性教諭(43)が、担任する1年生の男子児童の胸に「うそつき」と書いた張り紙をしたり、頭をたたいたりする体罰を加えていたことが24日、わかった。

毎日新聞

職場のいじめ昨年度27%増 相談6千件 厚生労働省まとめ

厚生労働省は、全国の労働局で実施している総合労働相談の件数や内容を公表した。07年度の職場でのいじめに関する相談が前年度に比べて約6000件(約27%)も増えたのが特徴だ。労組や弁護士グループの労働相談でもいじめ相談はここ数年増加しており、職場でのいじめが深く広がっていることをうかがわせた。

日経新聞

過労自殺81人、過去最悪・07年度労災認定、厚労省まとめ

過労や職場のストレスが原因でうつ病などの精神疾患にかかり自殺した(未遂を含む)として、2007年度に労災認定された人が前年度を15人上回る81人と、2年連続で過去最悪だったことが23日、厚生労働省のまとめで分かった。自殺を含む精神疾患の認定者は268人で前年度比3割増。厚労省は「長時間労働に加え、仕事の重圧なども精神疾患の原因になる」として労働環境の改善を求めている

東京新聞は日経と同じ過労自殺を取り上げていた。どの新聞内容も世の中の歯車が狂っているのに気付かないようだ。このままだと恐ろしい事になる。どんな方法でも、舵を修正しなければならない。舵とは道徳である。「道徳教育」大きく叫ばれてきているが、家庭・学校・地域が一体になって、取り組まねばならない問題だ。

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早朝のボランテア

今日の名言

男も、女も、わかくきよげなるが、いとくろき衣(きぬ)を着たるこそあはれなれ。

清少納言『枕草子』

05tasiroike11径白く白夜の森に我をさそふ 成瀬正俊

日本では体験できないが、白夜は夏季。白夜(はくや)とルビがあり、調べると、びゃくや、が耳慣れていたが、本来は、はくや。「南極や北極に近い地方で、それぞれの夏に真夜中でも薄明か、または日が沈まない現象」(大辞林・第二版)とある。

地軸が公転面に対して、23.4度傾いていることから、緯度が66.6度近辺より高い地域で起こる現象だが、理論はさておき、どことなく幻想的である。東山魁偉の「白夜光」は、彼方の大河をほの白く照らす薄明と、手前に広がる河岸の森の深緑が、見たことのない白夜のしんとした広がりを目の当たりにさせる。

掲出句を含め四句白夜の句があり、作者も北欧へ旅したのだろう。北緯60度位だと、北から上った太陽は、空を一周して北に沈むという。そして地平線のすぐ下にある太陽は、大地に漆黒の闇をもたらすことはない。それでもどこか暗さを秘めている森に続く道、まるで深海にいるかのような浮遊感にとらわれるという白夜の森へ、作者は迷い込んで行ったのだろうか。

ノルウェーのオスロ(北緯60度)の、5月24日の日の入りは午後8時20分、5月25日の日の出は午前2時14分で、夏至をほぼ一ヶ月後に控え、そろそろ白夜の季節を迎える。『正俊五百句』(1999)所収。(今井肖子)

今日のこよみ  大安 二十四節季 

小満(5/21~6/4) 草木の葉が繁る季節

日の出 04時30分 日の入り 18時47分  (東京)

 早朝の 露草はなに 露ひかる

最近は、夜の明