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2008年4月29日 (火)

昭和の日

Yuu0031009_m1昭和の日← 緑に日←天皇誕生日 となった祭日で旗日だが今は家庭で国旗を掲げる人が少なくなった。また“愛国心”が議論が出て来たようだ。中国の聖火リレーで現れたナショナリズムは、問題があると思うが・・・・。

4/29産経抄から                                             昭和26(1951)年12月、昼間は出版社の経理事務員として働き、夜は大学に通っていた。月給は手取りで5890円。母親に4500円渡した残りから、通学の定期代などを引くと、520円しか残らなかった。

昭和5年生まれの作家、澤地久枝さんは、一日の終わりにお金の出入りを細かく書き留める習慣があった。その出納記録をもとに、自身の昭和の暮らしを振り返ったのが、『家計簿の中の昭和』(文芸春秋)だ。

39年6月当時のある日の支出をみると、パーマ代1200円、ざるそば70円。驚くのは、ナイロンストッキングの伝線を1本10円で直してくれる店があったことだ。作家として独立後、ミッドウエイ海戦の取材のために、貯金をおろし、さらに数千万円の借金をする場面は、さすがというほかない。つましいながらも、よく働き、少しずつ豊かになっていく。

昭和を生きた多くの日本人の生きてきた道と重なっているはずだ。そんなお年寄りの怒りが、日曜日の衆院山口2区補選で、民主党を大勝させた。与党幹部は、後期高齢者医療制度の導入に踏み切った小泉元首相に責任をなすりつけたいようだ。桝添厚労大臣は早速何らかの対応策の検討を表明したという。なんという政治の軽さだ。

48年秋、澤地さんの食料品、日用品の買い物が急に増えた。オイルショックの余波で、トイレットペーパーが店頭から姿を消したのはその直後のこと。14歳のとき満州で敗戦を迎え、一家は着の身着のまま引き揚げてきた。

いざというとき、「この国の政治は、市民一般救済の緊急性を無視すると体験で知っているから」だという。小手先の政治の積み重ねが、昭和の悲劇を招いた。福田首相は覚悟を決めた方がいい。

昭和25年朝鮮動乱で、アメリカ軍の装甲車が国道16号を横浜から横田基地に何十台の車列を作って北に南に走っていた。そして横田基地から、ジェット機や軍用機が轟音を響かせて南の空に飛び立って行った。
そんな時期、金偏景気ということで、子供の私は、小遣い欲しさに、銅線・鉄くずなどを、探して売った。(買い付け人が来た)
近くの山に戦争中に日本軍が掘った防空壕に入り銅線や鉄くずを夢中で探した。丁度青葉の雑木林の中を友達と行って収穫があった。確か天皇誕生日で、学校が休みだった。そして150円ぐらいになった記憶がある。

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