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2008年3月

2008年3月31日 (月)

テレビの大食い番組は止めて

33s1

3/30毎日新聞 「余禄」「二人の食卓」

20円で何が買えるだろう。近くのコンビニエンスストアで軽食類の棚を見渡すと、一口サイズのチョコレートやミニパイが税込み1個21円だった。口寂しい時に手ごろだが、内臓脂肪や血糖値がちょっと気になる。

20円あれば、飢餓に直面するアフリカやアジアの国々では、学童1人が1回給食を受けられる。飽食する先進国の大人たちが、食費の一部を給食支援に回して「食の不均衡」を解決しよう。そう呼びかけている国際貢献活動が「テーブル・フォー・ツー」(2人の食卓)だ。

世界経済フォーラムに参加した日本人グループが提唱した。これに共鳴する企業が、昨年から次々協力している。社員食堂に低カロリーメニューを設け、代金のうち1食につき20円を、世界食糧計画(WFP)を通じた寄金に充てる。毎日新聞社も4月1日から参加する。

途上国の貧困や政治混乱はなお続く。バイオ燃料の原料として注目される農産物の価格が高騰し、危機的状況はさらに広がりつつある。日々の食に事欠く地域の子供たちにとって、学校に行けば給食があるというのがどれほど心強く、うれしいことか。

日本の学校給食も明治時代に、不作にあえぐ東北地方の欠食児童対策として始まった。太平洋戦争後には食糧難の都会っ子救済から復活した。いま50~60歳代の人なら、脱脂粉乳の給食にほろ苦い思い出があろう。そんな体験を持つ日本が、先頭に立つ意義は大い。

ヘルシー食で肥満や生活習慣病克服、の狙いもあるが、それはおまけと思えばいい。飢えた子供たちと同じ食卓を囲み、食事を分かち合う心を持ち続けたい。思いやる気持ちの一層の広がりを、切に願う。

それにしても、最近テレビの視聴率を上げることで、命を賭けているいるような感じさえうける番組が多すぎると思うのは私ばかりではないだろう。

特に、夕方5時17分より、TBS・日本放送・フジテレビなどは、大食いする女をタレント化してまでして番組を盛り上げているようだ。何時もこの時間が来たら、チャンンルを変えるのである。満足に3度の食事すら出来ない国もある。いや日本だって、食べられない子供もいる。このことをデレクターの方や、スタッフの方は考えたことが、あるだろうか?

閉店で大きな食堂などのゴミ箱をあさる、ホームレスの人もいる。消費は美徳・飽食の時代と言われてきたが、日本の食糧需給率40㌫未満だそうだ。殆どが輸入である。その輸入がバイオ燃料に変換されて行くという。時代は確実に変わっている。むかしから食べ物を粗末にすると目が潰れるといわれ、尊い物と教えられてきた。

米は、八十八の手間が掛かる。簡単に手に入るが、それだけ崇高な物だということを教育の現場で教えてもらいたい中である。もっともっと、エンゲルケースは上がる前に、対策を考える事と、優しさと他人を思いやる人間社会を作るうえでも、大食い競争のような番組は、やめて欲しい。

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治安の意識

犯罪に巻き込まれる不安70%…読売世論調査

3月30日22時40分配信 読売新聞


読売新聞社の年間連続調査「日本人」によると、自分や家族が何らかの犯罪に巻き込まれ、被害者になるかもしれないという不安を感じている人は「大いに」と「多少は」を合わせて70%に上り、1998年12月の前回調査から13ポイント増加した。
こうした不安感の高まりを反映し、安全を守るためには、ある程度のお金がかかっても防犯対策をする必要があると思う人は79%に達した。「安全はタダ」という国民意識は過去のものとなっているようだ。
調査は「治安」をテーマに15、16日に面接方式で実施した。
犯罪被害者になるかもしれないという不安を感じている人に、具体的に懸念する犯罪を複数回答で聞いたところ、「詐欺や悪徳商法」58%、「ピッキングや空き巣」57%、「ひったくりやスリ」45%--が多かった。
こういった内容となった理由は何か、道徳教育・愛国心・家族形態・友達関係・国際化・メデアの多様化などがあげられるが、社会の規範意識の崩壊であろうと思う。
一部政治の不安定化などをあげる人もいるようであるが、このままで、いい筈がない。
これは、防災時のとる基本的行動と同じである。先ず、自分自身の安全・家族の安全・地域の安全(自助・共助・公助)の順で行動の安全を確保するということだと思う。
「100の鍵より一つの心がけ」「油断禁物被害あり」「たら・ねば では遅い」などが思い浮かぶ。

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川遊びと桜

今日の名言

顔にお白粉を塗れば十分なので、心にまで塗る必要はない。

モンテーニュ『エセー』(六)

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            むかし遊んだ近くを流れる湯殿川

手枕は艪の音となる桜かな あざ蓉子

艪(ろ)の水音と桜の取り合わせが素敵だ。広辞苑によると、舟を漕ぎ出すときに使う艪の掌に握って押す部分を「腕」水をかく部分を「羽」と呼ぶらしい。そういえば艪を左右に広げて舟を漕ぎ進む格好は羽根を広げて空をゆく鳥の姿を思わせる。

とはいっても左右均等に力を入れて艪を扱うのはなかなか難しく、非力な漕ぎ手が艪を漕ぐと前には進まず、ぐるぐる同じ場所を回りかねない。公園のボートであろうと、思い通りに進むのは難しい。

掲句は桜の木の下に手枕をして寝転がって桜を見ているうち、夢うつつの不思議な気分になっている状態を表しているのだろう。もしくは桜を見ているうちに眠くなって人声が遠くなっていく様子を表しているのかもしれない。

いずれにしても居眠りをする「舟を漕ぐ」や熟睡の状態の「白川夜船」といった眠りにまつわる言葉が句の発想の下敷きにあるかもしれないが、そんな痕跡はきれいに消されている。むしろ「手枕」が「艪の音」になるという、一見唐突な成り行きを感覚的に納得させる手がかりとして、これらの言葉への連想を読み手へ誘いかけてくるようである。

肘を曲げて頭の下に置く手枕が艪になり、夢心地の不思議な場所へと連れ出されてゆく。最後に「桜かな」と大きな切れで打ちとめたことで、夢は具体的な景となって立ち現れる。艪の水音と桜と夢。青空に光る桜は虚と実が交差する異界への入り口なのかもしれない。『ミロの鳥』(1995)所収。(三宅やよい)

人間は、水に係わる機会が多いというか、水が無ければ生きられない。だから、川の近くに居を構え、生活をして来た。その水を上手に利用し、文化の発達、生活の向上を続けて今日に至った。

むかし、田んぼに水を引く、堰を作り水を貯めた。深まった水の上で大きな丸太を浮かばし、その上で乗って遊ぶのである。岸の両側に咲く桜は見事に咲いて、子供心にきれいだなあ・・・と思った。そして、水は、温かくなり、川の魚達も動きが良くなったような気がした。

丸太は水には良く浮くが、乗ると非常に不安定で、クルクル回ってしまい長い棒で体を支えるのであるが、足元が不安定で、滑って落ちてしまって、全身ずぶ濡れである。そんな経験を思い出す桜の季節である。

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2008年3月30日 (日)

事件に共通するもの

05sikotuko31土浦・山口の痛ましい事件に共通すること

土浦の事件と山口の事件の共通点がある。「まじめで何事にも一生懸命やる子。目立たなくて、おとなしかった」である。
 
精勤賞の表彰を受け、「まじめ」で通っていた。「非常におとなしい」という内向的な性格もと一致している。“行き場のない境遇”も似ている。

「トップクラスの成績」といい、職探しも難航 「就職活動をしているが、仕事が見つからず難しい」 閉塞(へいそく)感にさいなまれていたとみられる2人。現代社会の行き場のない境遇の若者のは、沢山いると思う。

だから、第3・第4の事件は起こる可能性十分あるとおもう。これは相当に根の深い問題で、家庭教育・学校教育に大きな間違えの教育の結果が出たのだろう。これを「他山の石」として、社会人になった若者自信が正道な人の道を歩いていけるよう心がけて欲しい。

また、若者を、親・家族・地域社会・世の中すべての人が、勇気を持って励まし合う社会に努力する事で、このような事件が防げるのだと思う。

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暫定税率と首相の考え

Center171NHKwebより
この中で、福田総理大臣は「ガソリンに賦課されている今の税率を下げ、安いガソリンで二酸化炭素の排出を助長し、西欧先進国の環境問題への取り組みと逆行するようなことはすべきでなく、まして北海道洞爺湖サミットが開かれることし、日本はガソリンの価格を下げたと胸を張って言えるかどうか。少なくとも今の暫定税率の水準は維持しなければいけない」と述べました。そのうえで、「民主党が主張するように4月1日から暫定税率を廃止すれば、2兆6000億円の税収がなくなり、地方は当然財源不足が生じる。民主党が地方の声を無視してほんとうにそんなことをするのかと思うし、まだまだ話し合いの余地はある」と述べました。そして、暫定税率が期限切れとなった場合の対応について、福田総理大臣は「年度末まで、30日、31日と時間がある。混乱を回避すべく、国民に心配をかけない形で解決するために努力しなければいけない。その先のことを考えるより、その前にすべきことに全力を尽くす」と述べました。また、4月に内閣改造を行う可能性について「今、国会中であるし、税制関連法案など重要な法案が成立していないなかで、内閣改造の話はまったく考えられない。外交日程もあり、今はまったくの白紙だ」と述べました。さらに、衆議院の解散・総選挙について「国内経済が踊り場にあり、国際的にも金融・経済の不安を抱えているときに、はたして解散して良いのかどうか」と述べ、早期の解散に否定的な考えを示しました。一方、福田総理大臣は、チベットをめぐる問題について「懸念しており、早期にかつ平和的に問題が沈静化することを期待している。中国側には、透明性を確保し、双方が受け入れられる形で対話が行われることを歓迎すると伝えている。声高に批判したり、北京オリンピックと関連させるようなことを今の段階で言うのが適当かよく考えなければならない」と述べました。
今朝のNHKラジオのニュースで地方46都道府県の自治体の長にアンケートをとったら、福田首相の考えに賛成との人は80パーセントであったという。
庶民は25円安いガソリンで買えるならば嬉しい事だ。物価の値上がりは、目白押しとなる4月にガソリンの値下げは歓迎だが、なかなかそうも行かないのかなあ・・・。

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お釈迦様の誕生日

今日の名言

人間は遅疑しながら何かするときは、その行為の動機を有り合わせの物に帰するものと見える。

森鴎外『青年』

08tubaki_takegaki11 椿落ちてきのふの雨をこぼしけり 与謝蕪村

椿というと、どうしてもその散りかたを連想してしまいます。確かに増俳の季語検索で「椿」をみても、落ちたり、散ったりの句がいくつも見られます。これはむろん、句だけに限ったことではありません。若い頃に流行った歌の歌詞にも、「指が触れたら、ポツンと落ちてしまった。椿の花みたいに、恐らく観念したんだね。」というものがありました。椿の花の鮮やかな赤色と、女心の揺れ動きが、なるほどうまくつながっているものだと、いまさらながら感心します。

ところで蕪村の掲句、これも花の落ちることを詠んでいますが、それだけではなく、他のものも一緒に落しています。ありふれたものの見方も、むしろそれをつきつめることによって、別の局面を持つことが出来るようです。

目をひくのはもちろん「きのふ」の一語です。椿に降りかかった雨水が、花の上に貯えられたまま、一日は終えてしまいました。翌朝、水の重さに耐えられなくなったか、あるいはもともと花の散る時期だったのか、散って行くその周りに、水がもろともにこぼれて行く様子を詠んでいます。

水の表面は朝日に、きらきらと輝いているのでしょうか。そのきらめきの中を、どうどうと落ちて行く椿。「きのふ」の一語が入ってくるだけで、句はひきしまり、全体が見事に整えられてゆきます。『四季の詞』(1988・角川書店)所載。(松下育男)

大きな椿の木だろう、昨日散歩、お寺の墓地の境内を突き抜けると見晴しの良い高台になっていて、その角に来たら道路一面に椿に花が落ちていた。見上げると昨夜降った雨で木の天辺のほうに咲き残っている花は、濡れて、重たそう。

4月8日お釈迦さまの誕生日に、慈眼寺で、甘茶かけという行事があって、甘茶を飲ましてくれるということで、毎年楽しみで子供達みんな揃って行った思い出がある。木彫りのお釈迦さまの像に甘茶をかけるのである。像の大きさは50㌢ぐらいの立ち像で「天井天下唯我独尊」である。

そこの像の周りに椿の花が飾られていて甘茶で、濡れて色がちょっと茶色になっていた。雨で落ちた椿の花を見て思い出した。今はその行事が行われているかどうか知らない。

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2008年3月29日 (土)

人の命と桜の花は

07yamazakura_kitakami11人の命と桜の花は、儚い春の夢の如し

最近、生きていることが、幸せと思うようになった。どんなに苦しくとも、生かされている命の尊さを実感できることは、これ以上のものはない。桜の木の下を通りながら、いつ咲くかと空に向けた枝先を眺めていたら、やがてつぼみが膨らみ、あっという間に満開となった。

天候は、無情で、昨夜の雨と風で散らしてしまうと、一年の間花の咲くことに命を賭けて備えたものだが何と儚いことだろうか・・・。人の命と同じである

春さらば かざしせむと 我が思いし 桜の花は 散りにけるかも

春になったら「かざし」にしようと思っていた桜の花は散ってしまった

 あおによし 奈良の都に 咲く花の 匂うが如く 今盛りなり

みやこに青い土があった 奈良の都はいま桜の花盛りではないだろうか

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天下分け目

07bonchi_asayake_hi11 桜は咲いたが、花見どころではない。国会は天下分け目の必死の形相で意地と意地の張り合いとなっている。福田首相の自民党の中からも驚きの妥協?の発言があった。これは、かなり思い切った発言と思うが、民主党は、反論するばかりである。

今朝の朝刊各誌は民主党の考えを批判する論調ばかりである。まあ・・・この話の落しどころといってしまえば、失礼かも知れないが、妥協という言葉を忘れてしまったのかな・・・政治は、国民のためにある。しかし、一部の人のためにあるのではない。このことを忘れないでほしい。

毎日新聞の社説の一部であるが乗せてみた。

特定財源という特別な財布を国土交通省が持つことで厳しいチェックを受けずに道路が建設され続け、政官業の癒着も生まれる。それは自民党政治の象徴であり、改革は国のかたちを変えることになると民主党は主張してきた。

福田首相が今回、廃止を表明したのは、民主党など野党がこの問題に力を注いできた大きな成果だと評価する。実現すれば硬直化している予算の改革につながり福祉や教育など本当に必要な分野に多くの予算が回せるようになるだろう。しかし、民主党の小沢一郎代表は28日も「暫定税率維持が首相の主張で、(会談しても)かみ合わない」と語り、暫定税率の即時撤廃は譲らない考えだ。

 一般財源化には自民党内にも異論は多い。ここで与野党で一気に合意した方が確実に実現するという発想もある。評価すべき改革は後押しをする。むしろ、その方が安心して「民主党に一度、政権を任せてみよう」と思う人は増えるのではないだろうか。

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桜が咲いた

今日の名言

今の世を、百年も以前のよき風になしたく候ても成らざる事なり。されば、その時代々々にて、よき様にするが肝要なり。

山本常朝『葉隠』(上)

07sakuira_seisikoen21もう少し生きよう桜が美しい 青木敏子

美しいものを美しいと詠むのは、できそうでできない。美しい、と言ってしまわないでその美しさや感動を詠むようにと言われたりもする。その上この句の場合、好き嫌いは別として、美しいことは誰も異論がない桜である。桜が美しい、と言いきったこの句のさらなる眼目は、もう少し、にある。

あと何回この桜が観られるか、とか、桜が咲くたびに来し方を思い出す、といった桜から連想される思考を経ているのではない。目の前の満開の桜の明るさの中にいるうちに、ふと口をついて出た心の言葉だろう。

今を咲く桜は、咲き満ちると同時に翳り始め、散ってゆく。それでも目の前の桜はいきいきと輝いて、作者に素直な感動と力を与えた。何回も繰り返して読んでいるうち、考えて作ったのではなく感じて生まれたであろうこの句の、もう少し生きよう、という言葉がじんわりしみてくるのだった。

今、咲き増えてゆく桜に、日毎細る月がかかっている。「短詩型文学賞」(「愛媛新聞」2007年12月15日付)所載。(今井肖子)

東京は桜は満開となった。昨日の雨で花びらは散ってしまっただろうか、夜桜は冷たい雨にしぼんでしまっただろうか、私は交通指導員で、街角の交差点に立って寒さで、震えてしまった。帰宅して風呂に入ってほっとする。

いよいよプロ野球のセ・パ両リーグが開催された。ヤクルト・巨人戦は神宮球場だったので観客は、寒かっただろうが、桜を見ながらとはいかなかったかな・・・?

桜といえば、上野・吉祥寺井の頭などの公園が有名だが、私は、もうちょっと後に咲く山奥の一本桜、誰にも見てもらうために咲くでもない自然の中に、ソット咲く花を見るのが好きだ。

見事華やかに咲く桜を見て、人の命と桜の花は、何の前触れもなく、平穏な日常の中にやって来る嵐。その激しさに翻弄され散り急ぐ桜のように、幸せな時間は突然終わりを告げてしまう。桜の好きな義母は、今年の桜を見ずに旅たってしまった。

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2008年3月28日 (金)

道路財源問題で新たな動き

07_sl_kurosawa21道路財源 首相新方針で与党に激震 

3月27日22時47分配信 産経新聞


福田康夫首相が道路特定財源の抜本見直しを含めた新提案を表明したことを受け、自民党には激震が走った。「道路特定財源の堅持」を掲げる自民党道路族には受け入れがたい内容だからだ。一方、民主党は新提案を酷評し、4月からの「ガソリン値下げ」に突き進む構えを見せている。
「政府の思いを国民に伝えたいんです」
首相は27日朝、自民党の伊吹文明幹事長に電話をし、4月パニック回避に向け、新提案を表明する考えを伝えた。伊吹氏は「今日会見しなくてもよいのではないですか」と進言したが、首相の決意は固かったという。
27日午後の本会議終了後、自民党役員会メンバーは国会内の党総裁室に引きこもったが、福田達夫首相秘書官が新提案の骨子を記したメモ「道路関連法案・税制の取り扱いについて」を持ってきたのは、首相の記者会見の直前。
首相の方針表明を受けて、公明党の北側一雄幹事長は「党として首相の意志を最大限尊重していかねばならない。私は賛成です」と称賛したが、伊吹氏は「(新提案は)党内手続きを取ったものではなく政府の考えだ」と述べただけだった。

 伊吹氏が慎重な態度に終始したのは、道路特定財源の一般財源化は自民党にとって「パンドラの箱」となるからだ。一般財源化すれば、道路族は道路整備をめぐる既得権益を失うことになる。一方、党内には一般財源化に賛同する勢力も多く、激しい党内対立を誘発するからだ。小泉、安倍両政権もこの問題に手を付けようとしたが激しい党内対立により頓挫した。
首相は19日にも一般財源化を含む与野党修正協議を谷垣禎一政調会長らに指示したが、道路族重鎮である古賀誠選対委員長や二階俊博総務会長らの抵抗で与党方針は骨抜きになった。
福田康夫首相は、断腸の思いでの発言だろと思う。1か月も国会を空転させ、なんの解決の糸口すら見出せないまま、過ぎてしまったことは、国民に対しても、申し訳ないとの意が現われているようだ。
私は公明党の北側幹事長の意見と同じで賛成である。

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時の過ぎ行くままに

今日の名言

愛のなかには、つねにいくぶんかの狂気がある。しかし狂気のなかにはつねにまた、いくぶんかの理性がある。

ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(上)

0107ukisima11学生は今日で終りといふ花見 阪西敦子

季語は「花見」。まだ満開ではないが、東京の桜の名所にはずいぶんと人が出ているようだ。ピークは、この週末だろう。近所の井の頭公園でも、よほど早く行かなければ場所は取れない。

地元にいながら、悠々と見物するわけにはいかないのである。しかし、なぜ人は必死に場所取りまでして花を見るのだろうか。最近出た現代詩文庫『続続辻征夫詩集』を読んでいたら、なかに「花見物語」というエッセイがあって、あるとき谷川俊太郎にこう話したことが書いてあった。

「今年の春はぼく、英国大使館の前の濠端で花見をしたのですが、いいですね、花見って、なぜみんな花見をするのか、はじめてわかった」。「ふーん、どうしてなの?」と谷川さんが聞くと、辻征夫が答えて曰く。

「あのね、人間はね、永遠に生きるものじゃないからです。それがはじめてわかった」。「年齢のせいだよそれは!」と谷川さんが笑い,当人も「まさにそのとおり」と笑ったとそれだけの話であるが、私はこの件りにしいんとした気持ちがした。辻征夫に死なれたこともあるけれど、花見の理由を彼はそのときに「人間は永遠に生きるものじゃないからだ」と、理屈抜きに実感したのだと思う。

唐詩の一節「年年歳歳花相似、歳際年年人不同」はあまりに有名だが、この詩全体は説教じみていていけない。そんな理屈を越えて、辻征夫は古人の感じたエッセンスのみを、濠端の花見ですっと直感的に掴んだのではあるまいか。

掲句の作者はそういうことに気づいてはいないのかもしれないが、「学生は今日で終り」と詠む心持ちのなかに、つまりは人間のはかなさに通じる何かが掴まれてあると、私には思われる。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)

きのう近所の奥さんから、近くの公園で、花見をやろうじゃないかと誘われた。10人位の人間だが、毎年行っている。和気あいあいでいいもんだ。しかしまあ・・・こんな事普通にやっていけることだが、何時まで続ける事ができっるか、みんな年をとって何時は動けなくなる。

少年老い易く学成り難し。光陰矢のごとし。年年歳歳花相似 歳歳年年人不同。
as time goes by (時の過ぎ行くままに)。などを思い出し、諸行無常を実感することに・・・なる。

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2008年3月27日 (木)

国歌斉唱起立せず

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教員指示か 卒業生、国歌斉唱起立せず

3月27日8時2分配信 産経新聞


大阪府門真市の市立第三中学校で今月13日に行われた卒業式で、約170人の卒業生のうち男子生徒1人を除く全員が、国歌斉唱時に起立せず、その多くが斉唱もしなかったことが26日、分かった。式に出席していた3学年の担任、副担任計11人のうち9人も起立せずに斉唱もしなかったという。学校側は事前に教員が卒業生に不起立を促した可能性があるとみて担任らから事情を聴いており、事態を重くみた府教育委員会も調査に乗り出した。
式の後、一部保護者から事態を問題視する声が寄せられ、学校側は市教委に報告。府教委によると、学校の調査に対し一部の教員は「生徒に国歌の意義について説明し、『式で歌うかどうかは自分で判断しなさい』と指導した」と話しているという。
瀬戸和夫校長は「事前に不起立を指導していたのであれば、生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎ」と話している。

これは、おかしい、昨夜日本でMLBの公式試合が、テレビで放映された。その試合に先立ってアメリカ国歌・日本国歌が、歌われた。その時選手達は皆帽子を脱ぎ胸に当てて、国歌を歌い切るまで、聴きいっていた。そして、場内放送で、観客全員起立と国旗に注目を告げていた。

選手達の肌の色は、バラエテイーだった。白人あり、黒人あり、黄色の日本人(松坂・岡島選手)ら全選手が、同じ考えで行動をとった。いわゆる「愛国心・忠誠心」の現われだと思う。国があって、自分がある。

それに比べ大阪府門真市の中学校の先生の大分違う。少なくても子供達の一生の思い出になる卒業式で、座って、歌うのは自分の判断とは・・・・?。日今日教組の悪知恵だ。こんなことでは、日本の将来は、明るい未来は見えてこない。

今、学校でいじめが問題になっているが、その多くは家庭内暴力、殺人、自殺、引きこもりなどが多いという。そうして、自己中心的な大人となり、先生を悩ます、モンスターペアレントとなってしまうのではないかと思う。この学校の生徒は一体・・・・。

岡山の突き落とし事件、秋田の幼児二人殺す女なども虐めが原因のようだ。

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ガソリン税のこと

Odaiba971ガソリン税、再可決方針…首相が月末に説明

3月27日3時0分配信 読売新聞


政府・与党は26日、ガソリン税の暫定税率を維持する租税特別措置法改正案など税制関連法案が年度内に成立しない場合、衆院で再可決し成立を図る方針を固めた。

 福田首相は年度末に記者会見し、こうした考えを説明する。再可決は4月末になる見通しで、ガソリン価格が4月初めにいったん下がっても1か月後には元の水準に戻し、国や地方自治体の財政に与える影響を最小限に抑える狙いだ。

 この問題では、新潟県で暫定税率の期限切れに伴う財源不足に備え、道路整備事業の入札実施を保留するなど、地方財政への影響がすでに出始めている。暫定税率の失効により、ガソリンの場合、上乗せされたガソリン税(揮発油税と地方道路税)の分、1リットルあたり25・1円安くなる。4月1日からの値下げを明言するガソリンスタンドもあり、国民生活への影響が懸念される事態となっている。このため、首相としては、再可決の方針を示すことで、価格がいずれ元の水準に戻ることを事前に説明し、混乱の広がりを抑えたい考えだ。

今朝の産経新聞の社説には、ここまで事態を混迷させている一義的な責任は、暫定税率を廃止に持ち込み、ガソリン値下げを争点に衆院解散・総選挙に追い込もうとする政局至上主義の小沢氏にあるといわざるを得ない。と言っているがこれも当たらないと思う。

何故なら、福田首相も小沢代表も経験豊富なベテランの政治家である。先を読み、事態を推測すぐらいの事は考えは当然であろう。それなのに何故、無駄な時間を費やして結論が出ないのだろう。

やはりこの二人は、大連合という、野望が伺えるのだが、日本の将来は、二大政党の姿を描いているのだろうと思う。

本題に戻るが、福田首相は特定財源を、一般財源の方向も視野に入れるとも発言があった。が自民党の議員に躊躇させられた?これは、小沢代表も経験があるが党に持ち帰ったら、執行部にそっぽを向けられたと同じ。

だから、二人の話し合いだけだったら、本当に意見は合うのでないかと思う。

結果的には、多くの無駄な時間をかけたがどうやら、“根回し”不足か、読み不足か分からないが、国民を巻き込んでしまう不安定な国会となってしまった。

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単純の大切さ

今日の名言

異郷(よそ)へ旅したものは往々、正確には真実とは申しがたい事まで、主張しがちなものであります。

『ほらふき男爵の冒険』

Shibutoge61花の雨鯛に塩するゆふべかな 仙 化

季語は「花の雨」で、「花」に分類。何かを感じるのだけれど、あらたまって説明せよと言われると、曰く言い難しとしか言いようのない句がある。おなじみの『古句を観る』に出ている元禄期の句だが、柴田宵曲の解説に曰く。

「これだけのことである。到来の鯛でもあるか、それに塩をふって置く。こういう事実と、花の雨との間にどういう繋りがあるかといえば、こまかに説明することは困難だけれども、そこに或微妙なものが動いている。

その微妙なものを感ずるか、感ぜぬかで、この句に対する興味は岐れるのである」。まことにその通りなのであって、こまかに説明したくてもしようのない句だ。そこをあえて大雑把を承知で説明するならば、「花」と「鯛」という一種のはなやかさで共通する素材に、「雨」と「塩」という物理的心理的な翳をつけることで、春の夕暮れの感傷的な雰囲気を演出しているとでも言えばよいであろうか。

むろんこの程度の説明では半分も意を尽くせてはいないが、宵曲はつづけて「この句の眼目は、鯛に塩をふるということと、花の雨との調和にあるのだから、どうして鯛に塩をふらなければならなくなったか、という径路や順序について、そう研究したり闡明(せんめい)してりする必要はない」と述べ、「そんなこと(句にある状景・清水注)が何処が面白いかというような人は、むしろ最初からこの句に対する味覚を欠いているのである」と突っ放している。

私たちはしばしば「この句のどこが良いのか、面白くも何ともない」と簡単に言ったりするが、その前に、その句に対しての自分の味覚が欠けているのかもしれぬという疑念は起こすべきなのであろう。(清水哲男)

世の中や、自然を考えるときに、あれやこれやと理屈をつけて見ても仕方がない。そのままを受け入れる。こんなことが如何に大事であるか気がつくことがある。言いかえれば、色々考えて頭の中がこんがらかってしまったら、元に戻して最初から考えると案外いい考えが思いつく。

年寄りの経験を聞かされて見ても、納得行かないで、自分で失敗を重ねて、気づくことが大事である。それは、単純で簡単であることが気づいた後の分かるので自分でも笑ってしまう。「単純の大切さを」実感する。

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命の尊さ

15401長岡市の県立高校で昨年6月、校舎のトイレで出産、同校3年の女子生徒(18)に、少年審判で、不処分決定を下した。

昨夜、JR岡山駅のホームで電車を待っていた県職員が線路に突き落とされて電車にはねられ、死亡した。今月高校を卒業したばかりの大阪・大東市に住む18歳が犯人

茨城の無差別殺人事件の犯人の24歳の男は、通りがかりの人を次々に襲った無差別殺人は、あらかじめ入念に計画が練られていた可能性が高くなった。

これらは一体何が原因があるのかは、考える事は大事なことだが、“命の尊さ”を考えてみたい。

昨日、ある病院に行く機会があった。(「骨粗鬆症の話」講演を聴きにいった)病室からは、老人の眠る大部屋が並んでいて、ここでの治療は殆どはしていない、ただ介護だけで入院しているように見える。

まだ生まれたばかりの嬰児は普通だと80年の命を生きられる。18歳の少年が何の罪もない人間を殺して、命を絶ってしまったり、訳も分からない人に、大勢の命を絶ってしまう24歳の男や、卒業式の後自宅で飛び降り自殺した東京都板橋区立小6年の男児(12)などのニュースに接した。

人間生きる権利を他人によって絶たれたり、自分で絶ってしまう。余命を知らされた病人、意識の無い人間のいわゆる植物人間を、大事に天寿を真っ当させる。

ここで、人間の命のとは、一体どう捉えたらいいのだろうと考えてしまった。地球に生物が生存してから45億年という。とてつもない長い時間からすれば、100年足らずの命である。

大宇宙から見たら、ちっぽけな虫けらの、儚い人間の命である。しかし、瞬きの命だから、1分1秒まで大事にしていかなければ、ならないと思う事が出来るのも、人間叡智からで、他の動物では自分の死を考える事が出来ない。

何か、取りとめもなく纏まりがない文面であるが、今朝目覚めにこんな事を考えてしまって記して置きたかった。「命の尊さ」を

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2008年3月26日 (水)

半年を迎えた福田内閣

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優柔不断で、はっきりした態度がない。そんなところが支持率低下につながっているのかな・・・

強気の心で強情のところがないと個性が無くなってしまう。落ち着いて、洞察力があっていいと思ったが・・・・

産経新聞web

康夫首相は26日で就任から半年を迎えた。「ねじれ国会」の荒波を民主党との「話し合い路線」で乗り切ろうとしたが、さしたる成果はなく、逆に政策の停滞を招いて「無策」との批判を受けるまでになった。ところが、首相はここに来て「話し合い路線」の限界にようやく気づき、強気の政権運営へと変貌(へんぼう)する兆しをみせている。ただ、右肩下がりの内閣支持率を好転させる材料は乏しく、不安定な政権運営から抜け出せるかどうか不透明だ。(酒井充)

就任半年について首相は25日夜、首相官邸で記者団に「今まで経験したことのないような国会の状況で、一つ一つ時間がかかることがわかった。もう少しスピーディーにできないかと思う」と、ねじれ国会への不満を語った。揮発油(ガソリン)税の暫定税率廃止に伴うガソリン値下げが現実味を帯び、日銀総裁ポストが空席となった19日以降、首相の口からは民主党への露骨な恨み節が聞かれる。25日も記者団に、3月末の暫定税率期限を目前に修正協議に乗らない民主党を、「正直言って理由がよく分からない」と批判した。

 首相が変化し始めたのは、2月29日の衆院予算委員会で、イージス艦衝突事故について「慚愧(ざんき)に堪えない」と涙を浮かべたころからだ。日銀総裁人事が大詰めを迎えていた今月6日、記者団に「私にお任せいただきたい」と言い切り、24日夜の会合では自民党幹部を前に、道路特定財源問題も念頭に「私に任せてくれ」と強気の姿勢をみせた。野党への低姿勢を貫いてきた首相らしからぬ言動だった。自民党幹部は「民主党は信頼できないと判断したからだ」と解説する。

 そもそも昨夏の参院選での与党大敗で、参院を野党に押さえられた国会の運営は厳しくなった。首相は年金記録問題など安倍前政権時代の重い後遺症を引きずったまま就任し、案の定、野党の反対で海上自衛隊によるインド洋での補給活動は一時撤収を強いられた。手足を縛られた首相は「道路」「日銀」で波状攻撃をかける野党の国会戦略に翻弄(ほんろう)されっぱなしだ。

 今年に入って中国製ギョーザ中毒事件やイージス艦衝突事故で政府の対応のずさんさが露呈すると、首相は「リーダーシップがない」と批判された。伊吹文明自民党幹事長ら与党幹部からも「もっと色を出すべきだ」と注文された。首相には、与謝野馨前官房長官や中川秀直元幹事長が助言に官邸を訪れることはあっても、直言をぶつけるような参謀は見当たらない。

 踏んだりけったりの半年間を経て、首相は強気の政権運営に出る兆しが出てきた。政治アナリストの伊藤惇夫氏は「事態打開への糸口をつかめない首相は追い込められた心境だろう。小沢一郎民主党代表との間で一時浮上した大連立構想の芽はついえ、クリンチ(抱きつき)作戦も通用しないことを悟ったのではないか」と指摘している。

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気になるイラク情勢

Iraqj1_2NHKwebより
石油産業の拠点でもあるイラク南部のバスラでは、25日早朝から、イラク軍が治安回復のためとして軍事作戦を開始し、市内ではイラク軍とシーア派の民兵組織「マハディ軍」との間で激しい戦闘が続いています。
この戦闘で死傷者が出ているもようですが、内務省の報道官は今の段階では死傷者の数など詳しいことは明らかにできないとしています。また、マリキ首相も現地入りし、軍事作戦の指揮をとっているということです。
「マハディ軍」は、去年夏に、指導者のサドル師が一方的な停戦を発表しましたが、これに従わないメンバーも少なくなく、バスラでも去年の末以降、「マハディ軍」と別のシーア派組織との抗争が激化し、治安が悪化していました。
マリキ政権としては、1年前に首都バグダッドで始めた治安回復のための軍事作戦を南部のバスラにも広げることで、イラク人が主導する形で、治安維持にあたる姿勢を強調したいねらいがあるものとみられます。
しかし、これに反発する民兵組織側が今後、報復攻撃を強め、治安が改善傾向を見せていたバグダッドなどほかの地域にも衝突が拡大することが懸念されています。
gooニュース
イラク南部の産油都市バスラで25日、イスラム教シーア派反米強硬指導者サドル師派の民兵組織マハディ軍と、治安部隊の間で激しい戦闘が発生、少なくとも12人が死亡した。ロイター通信などが伝えた。

 バスラではマハディ軍のほか、マリキ政権内の最大政治勢力イラク・イスラム最高評議会(SIIC)などシーア各派が激しい勢力争いを繰り広げ、無法地帯化しつつあった。

 秩序回復を目指す政府はこの日早朝から、バスラに治安部隊を投入してマハディ軍に対する掃討作戦を開始。マリキ首相自らバスラ入りして作戦を監督しているという。

 このほか、中部のクートでもマハディ軍と治安部隊の戦闘が起きている。

こうした中、サドル師は中部のシーア派聖地ナジャフで声明を出し、イラク全土でのストを呼び掛けるとともに、サドル師派への攻撃がやまない場合は市民による反乱を起こすと警告した。
いずれにしても、石油の利権争いになった。最初から石油が確保が目的だろうと思っていた。 

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幸せな一日

今日の名言

実質上の性の束縛の強制を愛という言葉で現代の男女は考えているのだ。
愛してなどいるのではなく、恋し、慕い、執着し、強制し、束縛し合い、やがて飽き、逃走しているだけなのである。

伊藤整『近代日本人の発想の諸形式 他四篇』

 重箱に鯛おしまげて花見かな  夏目成美

落語「長屋の花見」の連中が知ったら、仰天して腰を抜かしそうな句だ。重箱に入りきらない大きな鯛を、とにかく「おしまげて」詰めたというのだから豪勢な酒肴である。かたや長屋の連中は、卵焼きの代りに沢庵、蒲鉾の代りに大根のこうこという粗末さだ。

酒ももちろん本物ではなく、番茶を煮出して水で割ったものである。作者の成美は江戸期の富裕な札差(金融業)であり、家業のかたわら独学で俳諧をつづけ、江戸の四大家の一人と称された。一茶のパトロンとしても知られた人物だ。句からうかがえるように、当時の大金持ちの花見はさぞや豪勢だったに違いない。

落語に戻れば、上野に出かけた貧乏長屋の連中は、大家に何か花見らしいことをやろうじゃないかと言われ、一句ひねらされるハメになってしまった。そのクダリを少々。

勝「大家さん、いま作った句を書いてみたんですが、こんなのぁどうでしょう」大家「おぅ、勝っあん、できたかい? おぉ、お前さん、矢立てなんぞ持って来たとは、風流人だねぇ。いや、感心したよ、どれどれ『長屋中……』、

うんうん、長屋一同の花見てぇことで、長屋中と始めたところは嬉しいねぇ。『長屋中 歯を食いしばる 花見かな』え? なんだって? この『歯を食いしばる』てぇのはいったい何なんだい?」勝「なーに、別に小難しいこたぁねぇんで、あっしのウソ偽りのねぇ気持ちをよんだまでで……まぁ、早い話が、どっちを見ても本物を呑んだり食ったりしてるでしょ。

ところがこっちは、がぶがぶのぼりぼり、あぁ、実に情けねぇ、と思わずバリバリッと歯を食いしばったという……」へえ、おあとがよろしいようで。柴田宵曲『俳諧博物誌』(岩波文庫)所載。(清水哲男)

我が家の前の公園(片倉城址公園)の桜は乙女が恥ずかしそうにほんのり赤くなったように見えて「アア・・この風情もいいなあ・・」と呟いてしまった。

そして、休耕田で芹を摘み、芹ご飯にして食べた。美味しかった。何だか長生き出来そうな幸せを感じてしまった。 最高に幸せな一日だった。

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2008年3月25日 (火)

赤ん坊銀河

15401『赤ん坊銀河の姿捉えた・125億光年先』のことだという。                    毎日々嫌なニュースばかりである。空の見上げ、400キロ上空に国際宇宙ステーションがあって日本の宇宙飛行士の土井隆雄さんはエンデバーで乗り移り、作業完了し地球に帰還ももう直ぐだ。

地球からろくぶんぎ座の方向に光の速さで125億年もかかる遠い所にある17個の銀河を欧米のハッブル宇宙望遠鏡で観測したところ、直径が約4000光年と非常に小さく、生まれたての銀河であることが分かった。愛媛大と東北大、米カリフォルニア工科大などの研究チームが都内で開催中の日本天文学会で26日発表する。

天文衛星の観測結果などから、宇宙は137億年前に誕生し、膨張し続けていると考えられている。同宇宙望遠鏡がとらえた赤ん坊銀河は125億年前の姿であり、地球がある銀河系や近くの銀河の最近の姿に比べると、数十分の一の大きさしかない。これは、銀河が生まれてから非常に長い時間をかけて合体を繰り返し、大きく成長したとの理論を裏付ける観測結果という。 

地球の何てちっぽけなこと、その地球で、ゴミみたいな、70億人の人間がつまらぬ事で、争っているなんて、情けない。時々空を見上げて、果てしない宇宙のどこかに、地球と同じ星があるも知れないなどと夢見てはどうだろう。

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警察は何を警戒していたのか

Odaiba971警察は何を警戒していたのか朝日新聞社説(抜粋)

「早く捕まえてごらん」と、指名手配中の容疑者から挑発の110番通報が入り、警察官170人が厳戒態勢をとる中で、通行人ら8人が殺傷される惨劇が起きた。しかも、取り逃がしたら、容疑者の方から空っぽの交番に出頭して「私が犯人です」と本署に連絡してきた……。茨城県土浦市のJR荒川沖駅構内で起きた殺傷事件で、県警は容疑者に翻弄(ほんろう)され通しだった。

通り魔には前触れがないのが常で、警戒することなどは不可能に等しい。今回は例外で、4日前に同市内で起きた別の通り魔的な殺人事件で容疑者が割り出され、刃物を使った新たな犯行に及ぶのではないか、と懸念されていた。容疑者から110番まであったのだから、ぜがひでも犯行を食い止めねばならなかった。

茨城県警の記者会見を見て素人の私だって気がついた。一生懸命に探したり、したが結果がこういったものとなって、残念で遺憾であるとのコメント?話された。

無線機を持っていなかった。写真が2年前のしかなかったなど、取り逃がしたのは仕方がなかったと言わんばかりであった。

一体殺人での指名手配をしていた犯人は、近くにいる。第二の犯罪を起こさないように考えたのか、犯人を捕まえることばかり考えていたのではないか、一般の住民に注意を呼びかけなかった問題が専門家は、指摘しているが、確かにそうだと思う。

最終的には、交番に行き、自分で電話をかけ「自首」した形だった。

もう一つの疑問は、第2の事件の当日も駅にいたのは私服警官だけで、制服警察官を置かなかったことだ。犯人の逮捕を優先し、捜査の動きをできるだけ悟られないようにしたのだろうが、新たな犯罪の抑止という点では結果として失敗だったと言わざるをえない。

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学力に定義

1020208_img1なだ いなだ氏のコラム

最近、教育というと、なにかとフィンランドが話題になる。OECDのPISA調査で、トップの成績をとっているというので、世界から視察団が押し寄せているそうだ。日本ではPISAの成績がちょっと下がったというので、学力低下を心配する声や、ゆとり教育を批判する声が聞かれる。

だが、フィンランドでやっていることは、日本のゆとり教育が目指したものだ。向こうは永年ゆとり教育をやってきた。だから改良し定着させた。日本は教える側のこの方法の習熟度がまだ足りない。その差がちょっと出ている。

よく見ればそういうことだと思うのだが、日本では「ゆとり教育」が批判され、ことはなんだか逆の方に動きそうだ。ということは日本のゆとり教育反対派の、現実を読み解く「読解力」が不足しているということにならないか。奇しくも、日本の子どもの読解力が低いという結果が、PISA調査で出た。子どもの学習到達度比較ではなく、大人のそれの国際比較が必要だと思う。
フィンランドの教育では、競争で一番になることでなく、個々の達成度をはかることが重要視されている。PISAで順位がどうのこうのという人間が多い日本と対照的だ。

日本が国際的にジャパンという名前で呼ばれているようなものだから、フィンランド人はよく我慢している。じつに我慢強い。この我慢強さが、とかく子どもを比較してしまう安易さに流れず、あくまでも子どもを達成度だけで評価することを可能にしているのだろう。
 

PISAで見ると成績の上の方ばかりでなく、一以下の子どもが少ないのが特徴だ。日本は三年まえの評価では最上位がトップの数だったが、一以下も多かった。つまり落ちこぼれが多かったということだ。そこがフィンランドとの大きな違いだった。

PISAでトップのフィンランドの教育についてとても興味があった。誰かと比べるのでなく理解できたかどうかという点が重視されている点に気付きました。また、やる気さえ出せばいつでもどこでも再出発できる制度に大きな可能性を感じる。社会に出たとき役に立てる人になる成長させることで本人も充実するでしょうし、育てた先生もそして親もみんなが達成感を持てることと思う。フィンランドの教育観に高い志を感じた。

フィンランドは日本や韓国違い受験戦争がないのにこれだけの高い水準をもっているのが「教え込むのがいい」とはかぎらないという答えなのかもしれない。

しかし、日本には、日本独特の歴史文化を持った国でフィルランドような歴史文化はない。現実的には、少子かが急激に進み、家族・地域・社会に対する考え方が違うのである。いきなり、フィルランドに習えとは行かないだろう。

ゆとり教育とは大義名分で日教組の思う壺で、その付けが来たのだろうという人もいる。確かに、学習熟の問題・夜すぺなど問題となってきた。近頃の青少年の事件・事故をニュースで見るにつけ、道徳教育の欠如は否めない。

日本の教育行政と社会構造の変化対応の拙さが結果となって来ているのだろう。


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方向音痴

今日の名言

道に迷うこともあったが、それはある人々に取っては、もともと本道というものが存在しないからのことだった。

トオマス・マン『トニオ・クレエゲル』

07akitakoma_sumire11爪先の方向音痴蝶の昼 高橋青塢

現在では自他ともに認める方向音痴だが、それを確信したのは多摩川の土手に立ち、川下が分からなかったときだ。ゆるやかな流れの大きな川を目の前に、さて右手と左手、どちら側に海があるのかが分からない。

なにか浮いたものが流れてはいないかと目を凝らしていると、「そんなことも分からないのか」とどっと笑われた。一斉に笑ってはいたが、おそらくその中の二、三人はわたし同様、風の匂いをくんくん嗅いでみたり、わけもわからず鳥の飛ぶ方角を眺めたりしていたと思うのだが。

最近は携帯電話で現在位置を指示し、目的地をナビゲートしてくれる至れり尽くせりのサービスもあるが、表示された地図までもぐるぐると回して見ているのだから押して知るべし。携帯電話に掲句では下五の「蝶の昼」が、舞う蝶に惑わされたかのようにぴったりと作用している。

英語でぎっくり腰を「魔女の一撃」と呼ぶように、救いがたい方向音痴を「蝶を追う爪先」と、どこかの国では呼んでいるのかとさえ思うほどである。たびたび幻の蝶を追いかける我が爪先が、掲句によって愚かしくも愛おしく感じるのだった。〈青き踏む名を呼ぶほどに離れては〉〈このあたり源流ならむ囀れる〉『双沼』(2008)所収。(土肥あき子)

私も時々、電車で遠くまで行って乗り換えたとき目的地の表示の電車を確認し乗るのだがどうも逆の西へ向かうはずが、東に向かっているようで、ようやっと目的地に手前で分かり、“ほっ”とするのである。

何故だろう、どうして起きるのだろうとその時考えてしまうのだが、いつの間にか忘れてしまう。まあ・・・いいかと諦めてしまう。

人間年をとって、思考力が落ちてまったく分からなくなってしまう病気いわゆる認知症となると、徘徊をするとのことだが、それとは違う。認知症といえば、若年性認知症というアルツハイマーの病気があるそうで大変な病気である。そんな病気の方の生活ぶりをテレビで放送されて見たことがある。

家族の理解と協力がないと生きられなくなる恐ろしい病気のようだ。それには、いくつかの理由あるそうだ。いま問題になっている強度なストレスが長く続く生活をしてしまい、うつ状態からなるらしい。 気をつけよう!!

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2008年3月24日 (月)

死者4000人を超える