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2008年2月27日 (水)

桃の節句

Dsc_407006001♪あかりをつけましょぼんぼりに♪のお節句は三月三日である。

web暦より(抜粋)

旧暦でいえばもう少し遅い季節になりますのでちょうどよい季節だったようです(これを書いている2001年でいえば新暦3/27です)。まあ、こういった季節感のずれから「旧暦の方が便利」といった議論も起こるのでしょう。

さて、三月三日は桃の節句と書きましたが、もとは「上巳の節供」「元巳」といわれた。「上巳」とは旧暦三月の上旬の「巳の日」と言う意味で、三日に固定されていたわけではなかった(2001年だとこれに当たる日は新暦3/31)。

現在の様に三月三日に固定されるようになったのは中国の三国時代、魏(AD220-265)の国で。日付が固定されてからは三月三日と「三」が重なることから「重三(ちょうさん)の節供」ともいわれるようになった。

「節句を過ぎたら雛人形を早く片づけないと婚期を逃す」といった話を聞いたことは有りませんか?
まあ大きなお世話だと言えなくもないのですが、「早く片づけないとよくないことが起こる」という考えには理由があります。
雛人形のルーツは、形代(人形)に身の穢れを移してこれを流し汚れを払った、その形代です。本来なら、穢れを移し、これを流すことによって穢れを払い、禍を遠ざけたのですから、その人形をいつまでも飾っておくことは、穢れと禍をいつまでも身近におくのと同じです。
ですから、早くしまわなければならないと考えられたわけです。

中国古代に於いては、上巳の節句には河で禊ぎを行い、汚れを落とし(これを「上巳の祓(じょうしのはらえ)」という)、その後に宴を張る習慣がありました。また同じ日に「曲水の宴」も行われ(河での禊ぎと宴会をミックスし優雅にしたものが「曲水の宴」じゃないのかなとも思うのですが・・・あくまでも私の憶測)、奈良~平安時代に日本の貴族階級に取り入れられたのが、日本での桃の節供のスタート。

 ところがどうしたことか、河での禊ぎはあまり一般化しなかったようで、この日に形代(かたしろ・人形)で体をなで、これに穢れを移して川や海へ流すと言う日本独特の行事が生まれた。今でもこの「流し雛」の行事が残る地域が有ります。

 さてこの形代、いつの頃から公家や上流武家の間で上司への贈答の品となった。こうなると「質素な形代→豪華な人形」へ変化した理由は説明するまでもないでしょう。やがて河に流すものでなく、家に飾るようなものも作られるようになりました。その一方で公家の子女が「雛遊び」として人形や小型の調度品を並べて遊ぶままごとがあり、この両者が融合して「雛人形」への道を歩むことになりました。雛人形を河に流すことなく家に飾ることが主となったのは室町時代頃といわれます。

しかし、現在はマンションやアパートの暮らしでは、飾る場所がない。コンパクトなものでタンスの上に飾るものが多く、五段飾り七段飾りなどはお店で見るくらいとなってしまった。

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