老いの価値
「老いの価値」を考える。誰でも通る道、では、人間として時代を引き継いていくのには、どうあるべきかいわゆる『結いの心』と言うものはなど・・・東京新聞1/20から考えてみた。
「あったかいなぁ」 長野県栄村の特別養護老人ホームで働くヘルパー有田よし江(60)は、九十歳すぎのおばあちゃんに救われた。今、思う。「あの笑みが、終わらせてくれた…」
それまで、有田はずっと“旅”をしていた。昨春、大阪市近郊のベッドタウンから栄村へ移り住んだ。二十一歳で結婚。二男一女に恵まれ、子育てに追われる「どこにでもいる主婦」だった。そして、それが「嫌だった」。
団塊の世代。「競い合うのが当たり前」の時代を生きてきた。子どもにピアノ、琴やバイオリンを習わせた。変な見えや教育の無理強い、自己満足。でも「その他大勢に埋もれたくなかった」。
四十九歳の時、がんを宣告された。夫の慰めの言葉も耳に入らなかった。手術は成功したが「死」を身近に感じ、抑えきれなかった。「自分らしく自由に生きたい。だから家を出ます」。夫の「二度と帰ってくるな」という言葉を背に家を出た。アパートを借り、パートで働きながら始めた独り暮らし。山登り、スキューバダイビング、マラソン-。やりたいことは何でもやった。つかの間の満足感。でも長続きはしなかった。
働けなくなったら…不安に襲われ、夜、電灯とテレビをつけていないと眠れない。次第に「独り」が恐ろしくなった。
有田にとって「老い」とは「弱い」もの。新天地に栄村を選んだ理由の一つは、介護保険料が安いことだった。「こんな雪国に来てばっかじゃねえの」なんて言った大家さんが、親身に世話を焼いてくれる。近所の人が「これ畑でとれたから持ってけ」と野菜を置いていく。純粋で損得勘定のない応援だった。
そんな時。村にきて半年後の昨秋、施設利用者の給食の配膳(はいぜん)を間違え、同僚から「何やってんの」と言葉が飛んだ。「やっぱり老化してる」。再び自信がしぼみ、胃が痛くなり退職に追い込まれた。
そして、あの日。
再出発を期し介護の職について間もなく、お年寄りの足をベッドの角にぶつけてしまった。「しかられる」。委縮した。とっさに顔を見た。だが、九十歳のおばあちゃんは痛みをこらえながらただ顔の真ん中に深いしわを寄せ、笑っているだけ。ぶつけたあんたもつらいよね-人を許す、そんなあったかい顔だった。
「あのおばあちゃん、ずっと他人に優しく生きてきたんでしょうね」。心の痛みがすーっと消え、やっと気づいた。人を思いやる大切さ、支え合う家族の尊さ。「この村で人のために生きていけたら」
せめて、これから先の人生。村のおばあちゃんらしく、もんぺ姿で麦わら帽子をかぶり、やわらかな「笑み」を浮かべていたい。 =文中敬称略
世界有数の長寿国日本で、「老い」は大きな問いを投げかけている。三世代の家族同居が珍しくなり、高齢者の孤立に拍車がかかる。豊かさの陰で、ここにも見失った大切なものがありはしないか。人と人の絆(きずな)が残る村で、「老いの価値」を見つめ直したい。
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