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2007年12月

2007年12月31日 (月)

紅白歌合戦で見る時代の変遷

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今日の名言

武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。
どの路でも足の向く方へゆけば必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物(えもの)がある。

国木田独歩『武蔵野』

いよいよ大晦日、好むと好まざるとも後一日である。借金で年を越せないと言う人も、全て自然に逆らう事は出来ない。

NHKの紅白歌合戦は今年で58回である。歌手・内容がどんどん変わって、70歳の演歌しか分らない私には、だんだん遠ざかってしまった。好きな演歌・ナツメロの類の方はどうしても耳が傾いてしまう。

視聴率も大分落ちていて以前の60パーセントは維持できない。その理由は色々あると思う。勿論NHKでは、調査検討・対応は怠りないと思うが大きくは、メデア進化と視聴者の多極化だろう。

「歌は世につれ、世は歌につれ」行り歌は時代を映すと言われてきた。また、流行り歌が時代を作るとも言われてきた。確かに演歌のヒット作は時代の流れにマッチした内容のものが多い。

そして不朽の名作といわれても時代が変われば忘れられていく。一方、ビートルズやプレスリーが一つの時代を作り上げたことは疑いがない。ビートルズは英国の経済情勢さえ変えるほどの影響力が出た。「歌は世につれ、歌自体が「はやり歌」と言われるゆえんなのだ。この時代の変化とともに変わっていくということは、経済にも当てはまる。固定観念にとらわれてはいけない。

東海道新幹線の開通と、東京オリンピックの開催など、昭和30年後半は、日本の高度成長期の出発点であった。当時の日本経済の基礎を支え、労働力の源泉となったのが田舎から集団就職で都会に迎えられ「金の卵」ともてはやされた若者たちである。

当時の上野駅は東北からの上京する時の玄関であり、『集団就職』や『出稼ぎ』の象徴の駅だった。「ああ上野駅」が世に出たのが昭和39年、以来東北出身者を中心に多くの人に愛されて、人生の応援歌となった。そして、井沢八郎が紅白に出場した。これか時代が40数年経ち、この歌を覚えている人は60歳を過ぎてしまった。

今年の漢字一字は『偽』である。流行語大賞などで、「そんなの関係ない」がある。世相を反映している。めまぐるしく変わる世情に、ややもすると取り残されてしまう。

東海道新幹線の開通と東京オリンピックの開催など、昭和30年代後半は日本の高度成長期の出発点であった。当時の日本経済の基礎を支え、労働力の源泉となったのが田舎から集団就職で都会に迎えられ「金の卵」ともてはやされた若者たちである。
当時上野は東北から上京するときの玄関であり、「集団就職」や「出稼ぎ」の象徴の駅でもあった。井沢八郎さんの代表作「ああ上野駅」が世に出たのが昭和39年。以来東北出身者を中心に多くの人に愛されて続け、心の励みとなり又人生の応援歌にもなっています。かって集団就職で上京し、現在も東京に住まわれている人を中心に寄付が集まり、「ああ上野駅」の歌碑が駅の一角に建立されました。上野駅に来られた際には立ち寄ってみてはいかがでしょうか

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2007年12月30日 (日)

おせち料理とあれこれ

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今日の名言

海のほか何も見えないときに、陸地がないと考えるのは、けっしてすぐれた探検家ではない。

ベーコン『学問の進歩』

「おせち話いろいろ」

「御節」の語源は?

 「御節」=「正月料理」という歴史は短いにしろ、昔からお雑煮以外にも正月料理はあったはず。そう考えてお節の語源を調べた所、「おせち」とは、古代より朝廷で使われている「御節供」(おせちく)の略だという事だ。
 「御節供」(おせちく)とは、朝廷の節日に行われる宴‥‥節会(せちえ)の席で振舞われる御馳走の事で、平安時代には、1月1日に元日節会(がんじつのせちえ)、1月7日に白馬節会(あおうまのせちえ)、3月3日に上巳祓(じょうしのはらえ)、5月5日に端午節会(たんごのせちえ)、6月晦日に六月祓(みなづきはらえ)、7月7日に乞巧奠(きっこうてん)などの節日がありました。この節日に神に供えたり、お客さまに出された「御節供」(おせちく)が、「おせち」と略され、主に正月料理を意味するようになり、又、「お節句」と文字を変えて、3月3日のひな祭りと、5月5日の端午の節句をあらわすようになったのだそうだ。

「具」とその意味?

黒豆、かまぼこ、紅白なます、田作り、栗きんとん … 、日本の伝統食「おせち料理」だ。
おせち料理は、江戸の粋やユーモアを凝縮した庶民文化から開花したものだが、宮中のしきたりが民間に広まったもの。

おせち料理として用意されるものにはそれぞれ意味がある。黒豆は、「まめ(健康)に暮らせるように」、数の子は「子孫繁栄」、田作りは「豊年豊作祈願」、昆布は「よろこぶ」。
錦たまご(ニシキタマゴ)には、卵の白味と黄味をわけて、ニ色でつくった料理の二色(ニシキ)とおめでたく豪華な錦との語呂合わせからきているそうだ。
紅白かまぼこは江戸時代に祝儀用としてかかせないものになりおめでたい彩りから、栗金団(クリキントンの「金団」とは黄金の団子という意味であり見た目の“黄金”の色合いが豪華に見える様子から、それぞれおせちの定番になった。

家族や親戚でワイワイと語り合いながら、みんなで食べるのが、おせち料理の本来の形だ。

我が家のおせちはシンプルだが、新たな年を祝う心、家族の息災や繁栄を祈る心を込めながら食している。

我が家のお正月の朝食の支度の慣わし?

今から60年前(終戦直後)の百姓だった私の家の正月は、年男(男性)が三が日の朝食の用意をして女性はしない。支度の要領。若水を汲み、荒神様(かまどの神)茶飲み茶碗に入れてお供えをする。囲炉裏で鉄器で餅を焼く、鍋に水とこしらえ(芋・大根)入れて沸かす。焼けた餅を鍋に入れ、醤油で味付けしたものがお雑煮と呼んだ。

調理器=かまど・へっつい・ひじろ(いろり)・鉄器 燃料=薪・もや(枯れ枝)・炭・練炭・豆炭(1965年位まで使っていたかな?・・・)

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2007年12月29日 (土)

貧瞋癡(とんじんち)

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人には貧瞋癡(とんじんち)(むさぼり、いかり、おろかさ)の三毒の心がある。

(仏教=三つの根本的な煩悩(ぼんのう)。すなわち、対象を求める貪欲、怒りである瞋恚(しんい)、真理を見失う愚痴のこと。)

この三毒の心がはたらき悪しき行いをしてしまう。人はこの三毒の心のはたらきを抑えて、大地自然の道理に則して生きる理想的人間像である仏に近づこうとするのですが、どうしても三毒の心を消滅できない。この三毒の心のおもむくままに勝手気ままな自分本位の生き方をしてしまう、これが普通の人すなわち凡夫である。
 凡夫の生きざまを業という、悪しき行いは凡夫の悪業。天の声やご先祖の視線が倫理となり、三毒の心のはたらきが抑えられるのだが、現代人には自己の権利意識のほうが強くなりすぎたようだ。

 大地自然の道理のもと、自然体である自分という生命体は己の意思にかかわらず心臓は鼓動を続けている、さまざまな臓器も己の意思にかかわらずその働きをしてくれている、自己の身体を構成する60兆個の細胞も生きている限り己の意思にかかわらず新陳代謝をしている。ところが三毒の心がはたらくと、悩み苦しむこと、すなわち煩悩が多くなり、それにともないストレスが大きくなるから臓器の働きにも影響が出てくる、すなわち心身が病んでしまう。

 悪しきおこない(悪業)を生きることがどれだけ苦しいことであるか、でも悪事に慣れてしまうと少しぐらいは、これくらいはという思いが、慣れっこになり、さらにどん欲な気持ちが働き、悪事の程度が増していくのだ。しかし、どんな軽い悪事でも、やがて大きな結果をもたらすことになるだろう。
 三毒の心のはたらきを少しでも抑えて、自然体に生きることができれば一番楽な生き方ができるはずだが、人は執着、欲望が尽きぬから、さまざまな悩みを自分自身でつくってしまうのである。悩み苦しみのない生き方のために常に三毒の心のはたらきを抑えて(懺悔して)、日々を楽しく生きたいものだ。

不安な時代、なにごとにおいても落ち着かない現代人にとって、視点を地面の高さにまで下げてものを見ることが、より良き生き方につながる。しっかりと地に足をつけ、いつも生きる姿勢を原点の地面の高さにおいて、身の丈をわきまえて、只今を生きることだ。

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2007年12月28日 (金)

日本の21世紀の問題

今日の名言

一々のことばを秤(はかり)の皿(さら)に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、われわれ青年の特権だね。

森鴎外『青年』

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官庁が仕事納め、いよいよ今年もカウトダウンが始まった。今日は天気予報では、午後から雨と言う。午前5時朝は意外と暖かい。気温は10度だった。ちょっと風邪気味で、いつもより、遅い起床だ。

「国際化・情報化・少子高齢化は日本の21世紀の問題」

日本が21世紀に生き残っていくのは、第一に、国際化に対応する事は不可欠だ。資源のない日本では、食料の需給率40パーセント以下では当然外国から食料を調達しなければならない。従って、日本の持ち味を生かす「物づくり」の技術(ノウハウ)を提供し相互理解に努めなければならない。

第二に、情報化である。パソコン・携帯電話・いわゆるIT産業の振興で、人間生活が向上は著しい。しかし、これは諸刃の剣で使い方で、裏表が出てしまう。また問題の核開発もそうで平和利用すれば、地球の温暖化に寄与するが、恐ろしい核兵器なってしまう。

第三に、少子高齢化である。社会を構成維持させていくには、一定の数の子孫を残していくことが条件となってくる。日本の現状から見ると、強力な対策を打たねばならないところに来ている。

今朝は、こんなことを考えながら目が覚めた。基本的には、「国際化・情報化・少子高齢化」の問題を解決しなければ日本は生き残れない。

石由産出国のクエートの王子が国民にメッセージを送っている言葉で、「石油掘れば出るが無尽蔵ではない、いつか掘りつくして涸れてしまう。その時どうしたらいいかと言えばみんな海に行くことだ。そして、大昔のように海の幸をみんなで分かちあえばいい。しかし体力のないものは、海にもいけない、海に出ても何も捕ることが出来ない。だから、今現在に体力をつけて行かねばならない。」とスポーツ奨励をしている。

これはNHKの深夜便でサッカーの岡野俊一郎氏が話されていたことを記した。

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2007年12月27日 (木)

タミフル未使用異常行動2倍

今日の名言

人はパンのみにて生くものにあらず、されどまたパンなくして人は生くものにあらず。

河上肇『貧乏物語』

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今年も、風邪の流行の報道がある。(N5N1)近年、家禽(かきん)類にしか感染しなかった高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)のヒトへの感染例が報告されている。

今年は、インフルエンザが11月中に広がり、国立感染症研究所感染症情報センターが1987年に調査を開始して以来、最速の流行となった。同センターが12月26日にまとめた速報値によると、「第50週」(12月10日~16日)の定点当たり報告数は「5.67」に達し、全国的な流行開始の指標とされる「1.0」を大幅に上回る勢いになっている。インフルエンザの流行は、学校や会社が休み(年末年始休暇)に入ると、いったんは落ち着くものの、休み明けには再び加速する可能性がある。風邪の治療薬(タミフル)の問題を調べてみた。

【NHK焦点のニュース】から、タミフル未使用 異常行動2倍 

風邪の治療薬「タミフル」で社会的に大きな問題となった。タミフルの服用と未使用とで、異常行動を起こすと言われていたが、その因果関係を厚生労働省が調査した。

インフルエンザの治療薬「タミフル」と異常な行動との関係を調べている厚生労働省の研究班がおよそ1万人の患者を対象に行った大規模調査で、タミフルを服用しなかったほうが服用した患者より異常な行動を起こす割合が2倍以上高いことがわかった。
タミフルは原則として10代への使用が禁止されているが、厚生労働省は、専門家による調査会で検討し、この措置が妥当かどうか見解をまとめることにしている。

大阪市立大学大学院の廣田良夫教授の研究班は、昨シーズンの冬に、全国およそ700の医療機関でインフルエンザと診断された18歳未満の患者およそ1万人について、幻覚が出たり大声で叫んだりする異常な行動がどれだけ起きたかを調べた。
その結果、異常な行動を起こしたのは、タミフルを服用した患者ではおよそ7200人のうち10%に当たる700人、服用しなかった患者ではおよそ2500人のうち22%に当たるおよそ550人で、タミフルを服用しなかったほうが服用した患者より異常な行動を起こす割合が2倍以上高いことが分った。
また、建物から飛び降りたり突然走り出したりする危険な行動に絞って分析しても、タミフルを服用したほうが異常な行動を起こす割合が高いという結果は出なかった。
厚生労働省は、ことし3月、原則として10代の患者へのタミフルの使用を禁止しましたが、医療の現場では10歳未満への使用などをめぐって混乱が続いている。
厚生労働省は、専門家による調査会で検討し、使用制限の措置が妥当かどうか見解をまとめることにしている。

「用心・用心」だ。うがいと手洗いの予防する事だ。

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2007年12月26日 (水)

野草に習う

今日の名言

芸術は長く、生命は短いというが、長いのは生命だけで、芸術は短い。
芸術の息吹きが神々のところまで高められるにしても、それはわれわれにとってつかの間の恩恵にすぎないから。

ベートーヴェン『ベートーヴェン 音楽ノート』

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「オイ。オイ」と表のガラス戸を叩いて、女房を呼んだ。ジャージにいっぱいに付いた草の実を、取ってもらうためだ。前の湯殿川の柵の向こう側に落ちている塵を拾って付いたコスモスの実。

「どうしたの?背中の方まで付けちゃって」、「塵が落ちていたんで拾ったんだ」。コスモスの実のしたたかな繁殖のメカニズムである。そうやって誰かに実を運んでもらい生命を広げて行こうとする。

植物には、色々な繁殖のメカニズムはあるが、この種の類は、単純であるが、鳥に食べてもらって繁殖させる植物もある。手入れの不十分な我が家の庭に柘植の木・山椒・千両・やぶこうじ・が植えたのではなく生えている。夫々の子孫を残そうと神は教えたのだろう。

正月に活ける「花の心」にも通ずる「守・破・離」と言う基本があるそうだ。(主にスポーツなどの教えに使っている)

日本人はルール好きなのだろうか、それとも独創性に乏しいのだろうか、とにかく「基本」
を忠実に守る、教える。守ることが好きなのだ。

ハウツー本でも「これで分かる○○の基本」なんてタイトル見かけることが多い。
そしてみんなまじめに従う。基本ができなければ、すべて失敗してしまうと信じているかのようだ。

「守」とは日本人好みの「守る」行為である。最初は基礎どおりのスタイルを身につけていた、と予想できる。

次にどうしても上達の「壁」につきあたる。そこでいままで一生懸命まもってきた基礎をあえて破ってみる。自分の体にあった本当のスタイルはどういうものだろうと考える。

そのレベルになったら色々なスタイルを自分で研究していくしかない。何を柱にして何を譲るのかを動きながら探る。考えてばかりいないでやり続けること。これが「破」である。

そして「離」。ここで、先祖のDNAを引き継ぎ、時代環境に適応した生き方をする。

美味しいフランス料理、斬新なファッション、快適な住まい、時代をリードしていく企業・・・このようなものにも守破離がある。

活け花も例外ではない。守破離の芸事でる。時代とともに変わる柔軟性がなくなったら時代とともに歩いてゆけなくなる。だから色々なものに興味を示し、たえず発想のヒントを求めていくアンテナを張りめぐらせることだ。子孫繁栄となる。

野生の草花にも、したたかな生き方する。習うことが多い。

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2007年12月25日 (火)

クリスマスと孫

今日の名言

文章は簡単ならざるべからず最(もつとも)簡単なる文章が最面白き者なり。

正岡子規『筆まかせ抄』

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Silent Nightのクリスマスである。家の周りに度派手に電飾で飾りつけ、自己満足?それとも人に見せたいから?ちょっと真意は、分らないが・・・家の中で、家族で楽しむくらいでいいと思うが・・・クリスマスといえば「聖夜」である。ビング・クロスビーの男でも痺れるような歌声を、思い出す。

この曲はヨゼフ・モール神父は、1818年のクリスマスイブの日、教会専属のオルガン奏者でアルンスドルフの学校教師でもあったフランツ・グルーバーに自分の詩を渡した。そしてメロディーとギターの伴奏をつけるように依頼して、現在のメロディーが誕生したと伝えられていると言う。そうして賛美歌109番として世界中の人に愛されて歌われている。

6歳になる孫から、電話で《「バアバ」の家にサンタクロースが来た?》と嬉しそうに聞いてきた。「来なかった?ぼくの家にきたよ!」「ぼくねーねがいごとしたの、そしたらね!来たよ!」と続いた。何と微笑ましい!その孫も来年は一年生である。

本当に無邪気な、純真な心でいいなあ・・・

今は、夫婦二人のだけの暮らし、クリスマスケーキもなく普段と変わらない。なんと、糖尿病の心配があるから、甘いものはご法度である。まあ・・・特に何時もと変わらぬ夜を過ごす。

そうそう、昨夜は満月であったが、東京のクリスマスイブの夜では、気がつく人はあまりいなかったのではないかな・・・とにかく世界中で争いが絶えない、Silent Nightが何時までも続いて欲しい。

12月も25日を過ぎると、今年出来なかった事も「仕方がない」とあきらめてしまい、来年はなんとかなるさ!の心境になる。

こんな言葉を思い出した。『停滞を懼れよ』 『日々新面目あるべし』=じっとしててはいけない、毎日が今までになかった新しい姿であること、 と解釈するが来年は・・・?

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2007年12月24日 (月)

薬害肝炎の被害者全員を一律に救済

今日の名言

「女性というものは、銀の皿だよ」と彼はいった、「そこへ、われわれ男性が金(きん)の林檎をのせるのさ。」

エッカーマン『ゲーテとの対話』(中)

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私は自民党総裁として、薬害患者の方々を全員一律に救済するため、議員立法を決めた」

 いったんは一律救済を拒んだのに、なぜ3日後に心変わりしたのか。かたくなな政府の姿勢に批判がやまず、手をこまぬいているわけにはいかなくなったのだろう。急落した内閣支持率に歯止めをかけたいとの思惑もあったに違いない。(朝日新聞の調査では31㌫まで急落した)

 そうした思惑や、決断が遅すぎた面はある。本来は、議員立法ではなく、政府が決断すべき問題だ。とはいえ、今回の方針転換が患者の早期救済に結びつくものであれば、良いのではないか。

しかし、一律救済については自民、公明両党が了承済みといわれるほか、民主党もかねて主張していたところだ。たまたま会期が延長され、越年国会となっていることも好都合だ。原告側の要望を酌みながら、超党派で法案をスピーディーに練り上げ、可及的速やかな成立を目指してほしい。被害者の救済は、時間との競争であることを忘れてはいけない。

3点セットなどと言われるのも、厚生労働省、社会保険庁、防衛省をはじめとする省庁の官僚への不信感が社会に渦巻いていることと無縁ではない。福田首相はもともと官僚寄りと言われるが、閣僚には官僚の立場と一線を画し、厳正に指導力を発揮することが期待されている。今回の立法も官僚の立場に配慮して政府提案によらない選択をしたのだとすれば、疑問なしとしない。議員立法でも、政府が責任問題から逃れられるものでもない。

 福田首相は一律救済を決断した以上、薬害の責任も明確にすべきである。被害者だけでなく費用の負担を迫られる国民にも、政府として公式に謝罪して理解を求めなければならない。

首相の決断力とタイミングがいかに重要であるか、どうも、福田康夫首相は、官僚寄りと噂である。この事にめけず、政治決断を発揮して難問に当たって欲しい。

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2007年12月23日 (日)

やばいぞ日本

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今日の名言

経る時の中に機会は含まれている、しかし機会は長い時を含んではいない。治療は時の経過による、しかし機会によることもある。

ヒポクラテス『ヒポクラテス 古い医術について 他八篇』

今朝は、屋根を叩く雨音で目が覚めた。雪でなくてよかった位昨夜は寒かった。風もあったせいかなあ・・・

昨日は、町会の会館周辺と、川に落したごみ拾いをした。家庭ごみで袋の中を広げてみると、可燃物・不燃物・危険物などが一嘱託になって捨ててあり、区分けにして、袋に分ける作業は大変だった。

空き缶・ペットボトルは、溶けてなくらない、このままどんどん捨てて行ったら、川も道路もみんなゴミ捨て場となってしまう。フッと考えた、捨てても良いが「もっと拾う人が増えれば良いのだがなあ・・・」そうすれば拾う大変さ分るので捨てる人は少なくなる。と

今朝は、そんなことを考え、産経新聞の、特集で「やばいぞ日本」座談会」の欄をみた。『なるほど』とうなずけた。

(宗教学者の山折哲雄、JR東海会長の葛西敬之、元外務省中東アフリカ局参事官の宮家邦彦、一橋大学客員教授の中満泉の4氏)

以下救国シナリオに集約された。

(1)日本は危機的な状況を迎えているのに、日本人は深刻さに気付いていない。

(2)競争力を強めるため、退路を断って思い切った改革を断行する。

(3)そのためには「覚悟の戦略」をもったリーダーが必要だ。

(4)年長者が次世代をきちんと教えて人間関係を安定させる。

このままだと、日本社会の劣化が行くところまで行き、この先は沈没しかないのか、と感じた。

冒頭に山折氏の言葉である。 

戦後60年、われわれの社会は家庭でも学校でも職場でも「人間関係が大事だ」と言い続け、その結果、人間関係そのものが非常に不安定になった。

 何が欠如していたのかというと、親子や師弟の関係でも、技術や知識を年長の者が次の世代にきちんと教えていくという教育の垂直軸というものを問題にしなかった。これがかえって人間関係そのものの基礎を崩した。

 それから水平軸が横並びの平等主義となり、互いの足を引っ張る構造を作り上げた。垂直軸がしっかりしていれば、嫉妬(しっと)や怨念(おんねん)はかなりコントロールされる。それが正当な人間関係の中に吸収されず、ライバルや憎しみの相手に向けられ、社会の中に蓄積している。子殺し、親殺しなどの残虐な事件が多発しているが、蓄積した嫉妬や怨念が外に向かうと殺意になり、内に向かうと自殺を引き起こす。外にも内にも向けることができない人間は行き場を失って鬱(うつ)になっている。

 教育を中心にあらゆる社会組織の中に垂直軸と水平軸という立体的な体系を築き上げなかったことが問題だ。

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2007年12月22日 (土)

富士山に思う

今日の名言

戦争はお愛想じゃなくて、人生における最大な醜悪事だ。われわれはこの点をよく理解して、戦争をもてあそばないようにしなきゃならん。

トルストイ『戦争と平和』(三)

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冬よく晴れた朝は真白な雪化粧が朝日に輝いている。こんな富士山を見ていると元気がわいてくる。

何時までもこの姿を変えないで欲しいと思うが・・・

一方、富士山が世界遺産に登録を進めているが、どうも難しい問題があるようだ。5合目までは、アスファルトの道路が出来て、誰でも簡単に登れる。

旧道の登山路に残っている、朽ちているお土産小屋や、小さな神社など、昔はこの道を通って山頂に登ったが、今は殆どいない。従って経営がなされていで、朽ち果てるのを待っているだけである。撤去に莫大な費用がかかりできないと言う。地元の観光協会も、世界遺産に登録して大勢のお客さんを呼びたい所だが、頭のいたいと言う。

何とか、予算が付き旧道が整備され世界遺産に登録されることを期待したい。

東京新聞にこんな記事が載っていたので興味があり記して見た。

11月11月18日の筆洗いより

伊奈神社-静岡県小山町須走にこぢんまりとした神社がある。まつられているのは江戸時代中期の関東郡代、伊奈半左衛門忠順(ただのり)である。

 伊奈を主人公にした新田次郎の小説「怒る富士」(文春文庫)の新装版が出たのを機会に読み返し、当時これほど住民のために働いた代官がいたのかと感じ入り、実家へ帰るついでに参拝した。

 ちょうど三百年前のいまごろ(十一月二十三日)、富士山の中腹が大爆発を起こし、十六日もの間、小岩や焼け砂を降らせ続けた。いまの小山町と御殿場市にわたる五十九カ村が甚大な被害を受け三メートルの砂で埋まった村もあった。宝永の大噴火である。この地を支配する小田原藩は復旧は無理と「亡所」にしたのも農民の悲惨に拍車をかけた。

 このとき幕府が救済に当たらせたのが伊奈だった。現地に赴き悲惨さを目の当たりにして、復興と食糧確保に奔走した。ところが幕府の要職はこの災害までも材料にして権力争いにうつつを抜かし、農民の困窮は募るばかり。富士山だけでなく農民も怒った。伊奈は駿府にあった幕府貯蔵米五千俵をかなり強引に放出させ飢饉(ききん)を救った。

 伊奈の行動は越権と断定されて郡代職を解任され、小説によると切腹した。住民はこの地が復興した後になって、伊奈の遺徳に感謝して、江戸末期に小さな祠(ほこら)を、明治末には伊奈神社を建立して、春秋の例大祭を行ってきた。地元の高根中学校では二年前から「怒る富士」を劇にして秋の文化祭に上演している。

 いま、政治・行政に携わる選良の劣化が目立つ。三百年とはいわないが、せめて十年後の評価に堪えられる仕事をしてほしい。 (小林一博)

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2007年12月21日 (金)

野菜の買出し

今日の名言

人は決して倖(しあわ)せを避けて通る者ではない、花を見ないで道を通ることはできない。

室生犀星『犀星王朝小品集』

Kazekusa11 時々、散歩を兼ねて、農家の家に野菜を買いに行くのである。自分も農家の生まれ、山羊や牛の乳を飲んだり、鶏と一緒に庭で遊んで育った。

そんな、農家は歩いて30分、山(おか)を超えて行くことにしている。有機質の肥料作りに、家畜を飼っている、牛が6頭いて、牛乳を搾っている。その農家の施主は、私と中学の同級生である。

周囲は住宅が押し寄せて来てはいるが、まだ、野菜畑が家の周りに一町歩位に広がって、ほうれん草・小松菜・大根・人参・ブロコリーなどが今は採れる。

しかし、後継者がいなく、今の彼の代で農業は終わりであると力なく話す、(従事者は彼と奥さんとお婆さんの三人)大変な仕事である。

「生き物がいると休みがとれないからなあ・・・」つぶやく

時代で仕方がないが、タイムスリップした、農家の雰囲気はなんとも気分が癒されるようでいごこちが良い、庭先には柚子の実や、金柑の実が黄色く、昼間のクリスマスツリーである。

90歳になろうかと思える越の曲がったお婆さんは元気に、愛想よく、

「この人参は取れたて新鮮で無農薬、おいしいよ!」

「少し、もって行くか!」

と言って話す。そんな同級生の農家に行き、新鮮な野菜を少しだけ買ってくる。

少し買いすぎて、山を持って上って帰らねばならないのが大変である。汗ビッショリになることもあり、「良い運動になった」と妻に話す。快い疲れは気分が良い。

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2007年12月20日 (木)

新しい道徳教育への提言(4)

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今日の名言

愛したい思いを抑えるために自分の心に加える強制は、しばしば、愛するひとのつれなさよりも辛(つら)いものである。 『ラ・ロシュフコー箴言集

いま、道徳教育の必要性が大きく取り上げ、問題視されてきつつある。そこで、下記資料を基に勉強してみたい。(シリーズ)

監修/上寺久雄(元兵庫教育大学学長)

編集/山口彦之(東京大学名誉教授)

発行/世界平和教授アカデミー (2007-1-20刊行)

5、「道徳」を教科とし、「平成版道徳教科書」「道徳教本」を制定する。

「道徳」は教科ではなく、「領域」というあいまいな位置づけになっており、教科書も存在していない。まず、「道徳」を教科に格上げすべきである。 道徳教育は、人間としてのあり方、生き方を教えること、自然との触れ合いなどの情操教育、社会奉仕の実践などを含む一貫したものでなければならない。それらのコアとなる部分として、教科、教科書が必要となる。例えば、小学校では「道徳科」、中学校では「人間科」、高校では「人生科」とする。人間としてのあり方、生き方の一貫した教育を行わなければ、本当の意味での人間教育はできない。 小学校では担任教師が適切だが、中学・高校では、哲学、倫理学、宗教学などの教養をもち、人生経験豊かな教師が、道徳教育を行うべきである。 余り長すぎず、暗記しやすい「平成版道徳教科書」を作成するとともに、欧米の『品性論』(スマイルズ著)、『徳性の本』(The Book of Virtues, ベネット編)などのような「道徳教本」の作成に着手していく必要がある。親子が同じ教科書で学ぶことができれば、家庭で道徳について話し合える環境、雰囲気が生まれてくる。このことは家庭の再建にもつながると考えられる。

6、高等教育は、大衆教育とともに、世界に通じる英才並びに指導者養成の機能を充実させ、国際化時代に対応したものとする。

高校進学率が90%以上となり、大学進学率も高まった結果、大学が大衆化し、高等教育の意味は大きく変化している。また、戦後教育の誤りの一つに、悪しき平等主義がある。この結果、低い水準での平等が実現し、英才が伸びる教育環境が失われ、国家を指導できるようなリーダーの育成ができなくなってしまった。 高等教育の本質は、人格の形成を伴った本当の意味の「教養」の涵養である。21世紀に向けて、大局が見わたせるとともに、幅広く問題状況が看取でき、しかも謙虚で奉仕の念をもった真の指導者を養成することが求められている。現代社会は、プロフェッショナルとともに、彼らを組織する真の意味のゼネラリストが必要とされている。しかし我が国の教育には、真の意味のゼネラリストを養成するという視点が欠けている。 大学院教育は、高度な専門教育を行うべき教育課程である。大学院教育の中では、特にマスター層を充実させることが、現代社会において重要であることを再認識すべきである。 故に、高等教育は、大衆教育とともに、英才及び指導者養成の機能を、制度的に充実させるべく、教育改革を行うべきである。特に、英才が育つような教育システムが今まで不十分であり、制度的改善が求められる。

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2007年12月19日 (水)

新しい道徳教育への提言(3)

今日の名言

自分のつらが曲がっているに、鏡を責めて何になろ。

ゴーゴリ『検察官』

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いま、道徳教育の必要性が大きく取り上げ、問題視されてきつつある。そこで、下記資料を基に勉強してみたい(シリーズ)

3、宗教心を尊重し、宗教の意義などについての教育を行う。

監修/上寺久雄(元兵庫教育大学学長)

編集/山口彦之(東京大学名誉教授)

発行/世界平和教授アカデミー (2007-1-20刊行)

宗教は、人間生活にとって重要な意味を持っており広い意味での宗教心は人間の本性に基づくもので、人が生きていく上での不可欠のものと言える。この「宗教心」にかかわる教育なくて、「心の教育」は成り立ち得ない。また、冷戦終結後、「文明の衝突」時代といわれるように、国際社会において、これまで以上に宗教の持つ意味が大きくなっている。しかるに、我が国では宗教に関する教育が全くなされていない。このことが、オウム真理教事件を生んだ原因の一つともなった。宗教に関する教育の不在は、個人が生きる上でも、国際社会においても、さまざまな歪みを生むと考えられる。 日本国憲法及び教育基本法は、ともに宗教の価値を認め、これを重視している。しかし、「政教分離」が過度に強調されてきた結果、禁止事項ばかりの行政となり、教師たちは宗教関係の教育を避けるようになった。それは、宗教心だけでなく教育そのものをも窒息させた。宗教心の教育とは、生命は偶然の存在ではなく、人間は人間を超えた存在によって生かされているという畏敬の念、感謝の心、愛、尊敬心、善く生きようとする心などを教えるもので、一つの宗派に偏らない普遍的なものである。これは、「心の教育」の重要な柱の一つであり、憲法はこのような意味での宗教心の教育まで否定しているものではない。 宗教の意義や、既存の宗教に関する基本的知識の教育は可能である。韓国では、教科の一つとして小学校から高校まで「宗教」があり、宗教全般についての知識教育を行っている。我が国も教科の一つとして、「宗教科」を設けるべきである。 人間は、大自然に触れることによって、何か偉大な存在を感じる心を持っている。これを大事に伝えていくことが、日本の伝統文化でもある。例えば、自然環境問題もこのような立場から考える必要があり、宗教教育の基本の一つとなり得る。

4、「制度的教員養成」を「全人的教員養成制度」に改め、教師の力量の向上を図る。

「教育は人なり」と言われるが、教育改革の柱は、公共に奉仕する心を持ち、適切な資質を備えた教師の養成に尽きると言っても過言ではない。教師は、まず人格、人間性などの適格性が第一に問われるべきである。即ち、教師は、教育学・教育心理学・教科などの職業的専門家であるとともに、何より人格者でなければならず、道徳性についての深い造詣を持つべきである。このような教師を「全人的教師」と呼び、新しい時代の教師像としたい。

・戦後、教師の力量が著しく低下したことは否めない事実であり、その背景には教員養成制度の問題がある。現在の教員養成制度は、大学で単位さえ取れば教師になることができる開放型の、いわば「制度的教員養成」である。この制度は、理念は素晴らしいが、実際にはいわゆる「でもしか教師」しか生まない。単に偏差値が高く、採用試験に合格しただけの教師をつくる現行制度を改め、「全人的教員養成制度」にしなければ、ふさわしい資質を備えた教師を養成することは困難である。また、教師でなかった人も教師に登用する道を開くなど、教師の資格を柔軟に考えることも、検討すべきである。かつて、臨教審などでそれらのことが謳われたとき、私立大学や国立大学の反対で実現できなかった。しかし、蛮勇をふるって実行する必要がある。 教師に対する適正な勤務評価方法が確立していないために、制度の上に安住している者もいる。しっかりと教育している教師が、正当に評価されるシステムを導入すべきである。

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2007年12月18日 (火)

新しい道徳教育への提言(2)

今日の名言

子供は眠っているときが一ばん美しい。

キェルケゴール『不安の概念』

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いま、道徳教育の必要性が大きく取り上げ、問題視されてきつつある。そこで、下記資料を基に勉強してみたい。(シリーズ)

監修/上寺久雄(元兵庫教育大学学長)

編集/山口彦之(東京大学名誉教授)

発行/世界平和教授アカデミー (2007-1-20刊行)

1、国は教育を政策の柱に据えるとともに、家庭の強化を訴え、そのための行政措置(少子化対策、結婚奨励、減税対策など)と法的整備を行う。

・国の礎は人であり、家庭は最初の人格の陶冶の場である。家庭が堅固か否かによって、国の未来が決定されるといっても過言ではない。特に資源の乏しい我が国では、人づくりとその基盤となる家庭の強化こそ、国の施策の最優先課題でなければならない。

・教育は、世代を経なければ、明確な成果は現れてこない。青少年問題の深刻化だけでなく、現在の社会全般の腐敗現象は、戦後教育がもたらしたものである。教育の荒廃、モラル(倫理・道徳)の崩壊は、経済以上に深刻な問題であり、政治・経済問題以上に、大胆に改革を進めていかなければ、21世紀の日本に希望はない。

・人は家庭の中に生まれ、その中で国の文化的遺産を学び、モラルの基本を身につける。にもかかわらず、戦後50年余りの間、家庭の崩壊が進み、社会全体がモラルを失ってしまった。最近の政治、経済、社会の混迷の根底には、こうしたモラルの崩壊がある。それは戦後、利己的個人主義が蔓延し、家族(家庭)を軽んじた法・社会制度のもとで、モラルの問題に触れずに施策を推進してきたことに一因がある。

・健全な家庭は、健全な性道徳なしにはあり得ない。また、健全な家庭の基盤を抜きにして、青少年問題、少子化問題、高齢化や福祉問題への解決の道も見出すことはできない。単なる制度改革だけでは、21世紀に向けた抜本的な問題解決のビジョンを示すことは不可能である。米国では、「家族の価値」を尊重するとともに「家庭の強化」を施策の柱としており、最近、英国も同様の施策を実施しつつある。

2、初等・中等教育に新しい道徳教育を導入する。

・教育基本法は、個人主義の考え方に立っており、専ら個人の尊重を謳っている。しかし、日本を含む東アジアの伝統は、家族関係の尊重である。21世紀においては、個人の尊重と家族の尊重とを調和させた新しい考え方に立つとともに、それを基盤として世界に開かれた健全な愛国心、人類愛を育むべきである。

・人格形成の途上にある青少年にとって、「心の教育」の柱となるのは道徳教育である。道徳性は、教育や生活体験を通してはじめて啓発される。すなわち、人格は、子供の内在的な力のみによって、自動的に完成に向かうものではなく、家族や学校、地域社会の支援、適切な指導による啓発がなければ完成させることはできない。

・しかるに、戦後教育学の主流の一つに、デューイ教育学があった。その核心は、道徳教育の否定、自己決定の方法である。これは、子供たちに善悪については全く教えず、自ら考えさせるというものである。しかし、この方法を先駆けて実践してきた米国では、それが失敗であったことが明らかになっている。親や教師が善悪の価値観を教えるという責任を放棄した結果、子供たちの道徳性は低下するとともに、子供たちは自ら考えるのではなく、もっぱら軽薄なマスメディアの影響を受けるようになったのである。

・道徳教育が行われなくなった背景の一つに、「価値相対主義」がある。これは、人間を超えた存在を認めないところから生まれてくるもので、善悪の価値は個人の好みの問題であり、普遍的価値は存在しないという考え方である。しかし、人類に共通する普遍的な価値は存在する。それらは尊敬、責任、信頼、正直、公正、寛容、勤勉、節制、気配り、正義、勇気、奉仕、犠牲などである。これらの価値(徳性)は、社会的存在としての人間の本性にかなうもので、普遍性をもっていると考えられる。

・道徳の問題は、自らの良心に基づく善悪の価値判断と実践の問題である。すなわち、善悪の前提となるのは、人間のみに与えられた選択の自由である。したがって、道徳は、良心に基づく真の自由の問題と言えよう。道徳教育には、道徳的知識とともに、善悪を識別する道徳的感情と直観力および意志力を養う必要がある。それには、人間のもつ感性に訴えながら、意識下(無意識)の世界に働きかけて、生活と体験の中で道徳心を育成していくこと、またアカデミックな教科学習だけではなく、芸術・文学・映像文化など、感性に訴える教育が大切である。更に、よい行動習慣の形成を通して、意志力を訓練することが求められる。

・道徳教育は、「人格教育」そのものであり、「心の教育」の柱となるものである。米国では、このような教育がCharacter Educationとして全国に広がり、大きな成果を挙げつつある。それは、真の意味の「自尊心」(self-esteem)を高め、自らの良心に従った、理想を持つ生き方の教育である。我が国もそのような教育を早急に導入すべきである。

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2007年12月17日 (月)

新しい道徳教育への提言(1)

今日の名言

真実でさえ、時と方法を選ばずにもちいられてよいということはない。

モンテーニュ『エセー』(六)

15401  いま、道徳教育の必要性が大きく取り上げ、問題視されてきつつある。そこで、下記資料を基に勉強してみたい。(シリーズ)

監修/上寺久雄(元兵庫教育大学学長)

編集/山口彦之(東京大学名誉教授)

発行/世界平和教授アカデミー (2007-1-20刊行)

前文

心の荒廃、教育の荒廃が指摘されて久しい。その原因の一つは、戦後における道徳教育の不在にある。道徳教育の不在は、青少年問題の深刻化だけでなく、社会全体のモラル(倫理・道徳)の退廃をもたらし、今日の政治、経済、社会の混迷の根本的原因ともなっている。戦後の教育を荒廃させ、道徳教育の不在をもたらしたものは、一体何であったのか。

 第一に、戦後教育の基本は、日本国憲法と教育基本法であったが、ともに個人主義の考え方に立ち、宗教的基盤のない、利己的個人主義を広げたことである。さらに、人格を形成し、倫理・道徳の基本を身につける場である家庭、家族関係の視点が欠如していることである。

 戦後、教育勅語の廃止や伝統文化の否定によって価値の基準がなくなる一方、唯物主義、科学万能主義などを背景に「価値相対主義」に基づく形骸化した民主主義が導入された。こうして個人主義は、利己的個人主義と化すとともに、ニヒリズムの蔓延をもたらした。また、戦後の経済最優先の価値観の中で、家族関係は希薄化し、倫理・道徳を学ぶ第一の場としての家庭が、崩壊の道を辿ることとなった。日本人の美徳である「恥を知る心」や「ウチ観念」(同族意識)すらも消失してしまい、利己主義に歯止めがない状態である。

 第二に、戦後、それまでの価値体系が否定されたが、思想の空白に、マルクス主義(共産主義)を中心とする唯物思想が入り込んだこと。そしてマルキストたちの組織的活動によって、伝統的価値観とモラルの崩壊、家族の解体が促進されたことである。特に、教育分野においては、日教組が道徳教育に強力に反対するとともに、責任抜きの人権思想、悪しき平等主義を唱えて、利己主義を助長させた。また、教員の勤務評定問題、集団主義教育などが、学校教育の現場を硬直化させ、いじめなどの深刻な問題を生み出した。

 第三に、文部省や教育委員会などの教育行政が、もの中心の経済成長に比重を置き過ぎ、哲学を失ったまま中央集権的文部行政を行ったことである。「どういう人間になるのが望ましいのか」、「日本人とはどうあるべきか」といった理想的人間像が失われ、戦後教育は専ら、科学教育偏重、受験教育中心のものとなった。また、文部省は、現場の実態や意見を正しく把握しないままに、施策を立案する傾向があり、教育現場と乖離した教育行政が多かった。しかも、文部省と日教組との政治的「二頭立て馬車構造」があったために、戦後半世紀の間、道徳教育の位置付けも曖昧なまま、教育改革は実施できなかった。

 第四に、教育分野をリードすべき教育学者の多くが、左翼思想に基づく対立と闘争の思想を喧伝し、教員養成を始めとして、教育全体に大きな歪みを与えたことである。また戦後は、教育哲学が不毛となり、代わって「心理主義」(心理学や精神分析学など)が隆盛となった。最近の青少年犯罪に対する分析の視点も心理主義一色で、善悪という価値観には触れずにいるのが現状である。

 道徳教育の不在とともに、かつての旧制高校のような、倫理観をしっかりと持った指導者教育の場が失われた結果、高級官僚にまで価値観のない者が増え、国家の指導層の腐敗をもたらした。

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2007年12月16日 (日)

言葉の力

今日の名言

われわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。

岡倉覚三『茶の本』

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中村天風   言葉 1

 自分の使っている言葉によって自分の気持が駄目にされたり、あるいは非常に鼓舞奨励されたりする直接的な事実がある。
 造物主によって便利な言葉をわれわれ人間だけに与えられているが、言葉というものが、積極的に表現されたときと、消極的に表現されたときとでは、直接的にその実在意識が受ける影響は非常に大きな相違がある。

今日は不愉快ですとか、頭が痛いとか、熱がありますとか、気分が良くない、とかいっているときには、愉快を感じないだろう。今日は嬉しいです、楽しいです、ありがたいです、という言葉をいったときには、なんともいえない快さを、その気持の上に感じるだろう。その感じるということは何が感じるか。実在意識が感じている。

そして実在意識が感じたものが、直ちに潜在意識に直接的に影響して、そして潜在意識が実在意識と同じような気持になると同時に、神経系統の生活機能も同じように良くも悪くもなるのだ。そうすると結局、われわれの生きる力が、その言葉の良し悪しによって、やはり良くも悪くもなるということである。

自分自身のことをいうときに自分自身を知らないで、自分の生命を一寸刻み五分刻みに馬鹿馬鹿しいことを平気でやっている。そういうことを悪いと考えないでさかんにおしゃべりしていると、自分自身ばかりでなく、それを聞いている人の生命にまでよくない影響を与えてしまう。
 

それはお互いの精神生命の中の、実在意識と潜在意識と、それにつながる神経系統の生活機能という、三角関係を考えると分かる。人々の多くは生きている現在を忘れていて、生きているのは神経系統の生活機能のおかげだということを忘れてしまっているから、肝心かなめの神経系統の生活機能の働きを悪くするようなことを、知らないでやっている。

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2007年12月15日 (土)

自然に生きる感謝

今日の名言

三七七八メートルの富士の山と、立派に相対峙(あいたいじ)し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には月見草がよく似合う。

太宰治『富嶽百景・走れメロス他八篇』

無意識に恵を享けているが、ときには「生かされている」と言うことを考えて見ることがとても大事で、人間だけが「反省」の心を持てるからである。

よくよく考えてみれば、体操などで深呼吸する場合は別として、平素全く自分で意識して、息を吸い吐きしている人はいない。自分で意識しないで自然に呼吸を続けているということは、自意識によらずして、生かされているのだということに気づきかない。そして姿勢を正してゆくっり息を吐く、一日一回心鎮める余裕をもちたい。心身を整えて大地と同じ高さで坐り、大地と同じ呼吸をする心がけが大切と思う。

人生は一呼吸のようなもの、人間はこの世に生まれ出るやまずこの世の空気を吸ってオギャーと泣く、人生の始まり。そして人生一代を終えるとき、この世の最後の空気を吸って、できれば、「ありがいう」といって、息を吐き、果てたいものだ。

一年、春夏秋冬の句読点がある日本に生まれて「幸せである」これが、一年中凍りに閉ざされたところや、毎日30度以上の熱帯では価値観も違えば生活様式も当然違ってくる。

当然のように思うものが、突然変わったら・・・無意識に空気を吸って生きている事に「感謝」す07kitayamazaki_yoakemae11ることが大事なことだ。         今朝は、こんなことを考えて目が覚めた。

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2007年12月14日 (金)

薬害肝炎訴訟に思う

今日の名言

歴史家は、その主要着眼点を第一に、かれこれの時代において人間が如何(いか)に考え如何に生活したかという、ところに置かなければならない。

ランケ『ランケ 世界史概観』

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「命の重さに差別されるのか」

被害者を救済する政治決断を先延ばしにしたうえ、薬害を招いた責任をはっきり認めようとしない。裁判所が和解を勧告しているのに福田康夫首相は何をぐずぐずしているのだろう。

型肝炎の患者らが全国各地で訴えている「薬害肝炎訴訟」で、大阪高等裁判所は、新たに裁判を起こす被害者について、血液製剤の投与の時期などで救済範囲を限定するとした和解の具体案を示した。
被害者の全員一律の救済を求めてきた原告側は、受け入れを拒否した。

和解案は、政府の後押しをしているようで,弱い原告側から離れたような見方をしているようでならない。

舛添要一厚生労働相は今月4日、初めて原告団に謝罪の言葉を述べたが、厚労省は依然として責任を認めていない。それどころか、418人の肝炎患者リストを放置した問題では、うち56人が命を落としているのに、厚労省の調査チームは告知を怠った職員の責任を否定する報告書をまとめた。過ちを認めず、被害を直視しない厚労省の体質と姿勢が、薬害を繰り返す原因と思わざるを得ない。

ただ、今回の骨子案に福田首相は「感染者、患者の方々の立場に配慮して、真摯(しんし)に検討していきたい」と述べている。被害者の早期救済を実現する首相の政治決断が必要なときがきている。 何と言っても時間がない、早急な対応が望まれるところだ。

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2007年12月13日 (木)

亥年の如く

今日の名言

夫婦の仲はあまりつづけて一緒にいると、冷めやすいし、くっついてばかりいると損なわれやすい。知らない女性はどれも愛想がよく見える。

モンテーニュ『エセー』(五)

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今年の日本漢字能力検定協会(京都市)が公募し、応募のあった9万816票のうち、「偽」が1万6550票でトップに。「食」「嘘」「疑」が続いた。

私が選んだなら、「連」である。何故なら、これほどまで偽装事件が次から次えと明るみにでたことはなかった。それも老舗中の老舗の会社が芋ずる式発覚した。今度の食品は何に!さほど気にならなくなってしまった?・・・恐ろしい

記者会見での連なって頭を下げる。決まって、「一部の人間の行為であって組織ぐるみでない」との言い訳は、トップの社長は承知の偽装行為であった。これまで発覚した殆どが、「内部告発」だそうだ。

テレビのニュースを見ると、記者会見での同じような「謝りパターン」は、見飽きるほどである連なって、今日の『連』は一体なにと言った具合である。そして記者会見での「謝りのマニアル」まであるとのことだ。

猪の如く、利益追求を前面押し出し、引くことの出来ない猛進の姿が、見えない山に向かって走り出した光景だった。亥年の名にふさわしいと言えばふさわしい。自分を失うほどの経営の姿勢が問われる事件ばかりであった。

いわゆる、利益優先でお客である消費者に心を向けていない、「安全第一」の企業のコンプライアンスの軽視の付けである。その付けは、いかにも大きい。人生、「猪突猛進」もあるときには必要だが、「3歩進んで2歩下がる」ぐらいの心のゆとりを持って生きて行きたいものである。

煩悩の言葉に(仏教)

人には百八つの煩悩がある。大きく、貪り(むさぼり)・怒り(いかり)・愚かさ(おろかさ)がある。このことを三毒と言う。

この三毒を見極められなくなるほど猛進?と言うかジャイロコンパスが壊れてしまったのも気が付かなかったのかなあ・・・亥年の如く 。  合掌・・・

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2007年12月12日 (水)

無理だと思った年金「名寄せ」

今日の名言

日本人は素描をするのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこまかく、感覚が素直なためだ。

『ゴッホの手紙』(中)

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安倍前総理の来年3月までに全て終らせると言っていた「名寄せ」は無理のようだ。どうも無理と分っていても、あれだけはっきりいうのは相当自信の裏づけが無ければ言えないことだと思っていたが・・・・

約5000万件の該当者不明の年金記録のうち、約4割が「名寄せ」作業による持ち主の特定が困難になっていることが11日明らかになり、野党から一斉に批判の声が上がった。

与党は7月の参院選で「3月までに名寄せを完了させる」と公約していただけに、野党は国会で徹底追及する構えで、舛添厚生労働相の辞任を求める声も上がった。

民主党の小沢代表は11日の記者会見で「公約違反であると同時に、国民の年金制度を維持管理している政府の責任は非常に大きい」と指摘。町村官房長官が同日午前の記者会見で「選挙なので『年度内にすべて』と縮めて言ってしまった」と述べたことについて、「国民をぼうとくし、責任を回避する、無責任な言い草だ」と厳しく批判した。

桝添厚労大臣は、「正直いって、ここまでひどいとは想像していませんでした。5合目まで順調だったが、こんなひどい岩山とアイスバーンがあったのかと率直にそういう気がします」。調査結果の感想を問われ、そう語った。

政府が照合を3月末に完了すると公約し、就任直後に「最後の一人まで探し出す」とした発言との整合性については、「3月末までにすべてを片づけると言った覚えはない。5000万件の名寄せをやらなかったら公約違反」と述べ、矛盾はないと繰り返した。

照合作業の期限を尋ねられると「エンドレスです。できないこともあります。」と記者に言っていた。

役人の保身はこの期に及んで、まだ続いているのだ。「言った、言わなかった」の問題ではなく、ここまでいい加減な処理をして、誰も責任をとらないで片付けて、「一件落着」は、許されない。公務員にも罰則規定はあるのだろう。ただ済みませんでしたで頭を下げれば、国民は納得なんかしない。

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2007年12月11日 (火)

yesterday onse moreの思い出

今日の名言

愛とは、人間という謎にみちた独特の存在が、ふしぎに融けあっていくことなのだね。

ノヴァーリス『青い花』

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昨日は昨夜は早く床に就いた、そうしたら、午前2時に目が覚めてしまった。NHK深夜便を聞いていたら、懐かしい曲が流れていたので、記して見た。(抜粋)

カーペンターの「yesterday onse more」だった。 とても素敵な詩である。メロデイもいいなあ・・・

When I was young
I'd listen to the radio
Waitin' for my favorite songs
When they played I'd sing along
It made m