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2007年10月

2007年10月31日 (水)

盗人にも三分の理あり

今日の名言

自分は今幸福かと自分の胸に問うて見れば、とたんに幸福ではなくなってしまう。

J・S・ミル『ミル自伝』

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盗人にも三分の理【盗人にも三分の理】

悪事を働くにも相応の理屈はある。どんなことにでも理屈はつけられるということ。泥棒にも三分の道理。

最近の国会議員・役人・賞味期限の不正表示の、食品メーカーなど、記者会見で、テレビの前で謝る光景は、誠に多い。机の前にマイクが、並んでその前に緊張した面持ちで座って陳謝するのだが、『本当に申し訳ありませんでした』『これから一生懸命頑張って信頼を得るようにいたします。』などと答弁である。

悪いことを承知でする事は、なにか理由があるはずである。賞味期限不正表示などは、捨てるのは勿体無い。大きな意味で言うならば、多少はいいと(2・3日)思う人もいるかと思うのだが、やはり線引きを守らないと、なし崩しになり問題は更に大きくなるだろう。

食に関する疑惑は、内部告発で発覚したものが多いという。内部告発は、大変な勇気がいると思う。失敗すれば、自ら自滅するかもしれないのだからだ。

自分も会社勤めの経験である程度の事は分っているつもりである。悪いこととは判っていても上司に反発して、失敗すれば家族を路頭に迷わす事になりかねない。随分悩んだ時期があった。

そんな経験を踏まえて、最近の事件を思うにつけ色々考えさせられる。まあ・・・このような事は、表に出ているものは、氷山の一角であろう。

『盗人にも三分の理』という事も分るような気がする。

(ココログがメンテナンスあって、何時もの時間に記せなかった)

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2007年10月30日 (火)

前防衛事務次官の証人喚問

今日の名言

戦争においては、あらゆる種類の善きものも美しきものも姿を現し、あらゆる種類の邪(よこしま)なるものも醜いものも明るみへ曝(さら)し出される。

ラブレー『ラブレー 第三之書 パンタグリュエル物語』

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NHKテレビ中継で守屋前防衛事務次官の証人喚問の様子をみた。

昨日、午後1時からの証人喚問で、衆議院の特別委員会で守屋氏は、防衛省と取り引きのある商社の宮崎元専務と200回を超えるゴルフを行うなど繰り返し接待を受けていたことを明らかにしたうえで「私の不祥事が新テロ対策特別措置法案の審議の大きな障害となっていることに痛切な責任を感じている」と謝罪した。その一方で、守屋氏は、宮崎元専務に便宜を図ったことは一切ないと否定した。
責任を痛感していると事であるが、防衛省の倫理規定を作成した中心的存在の人が、作成している最中にゴルフ接待を受けていたとは、一体どういう神経の持ち主だろう。
そして、退職金の返納は、良く検討して決めたい。と言っていた。
悪い事とは分っていて、山田洋行の宮崎元専務のゴルフ招待を受けていたと言うことだ。
これは、犯罪である。良心があるならば、昔なら切腹ものだ。ただ申しわけない、だけでは済まされぬ問題であるにも関わらず退職金の返納は考えていない、なんてとても許されない。本当に自分の行ってきた事をまったく反省していない。
そして、謝罪とは、頭を下げればいいんだ位にしか考えていないようだ。とても納得がいかない。
守屋氏の謝罪したいとは、どういう事なのか?、説明を聞きたい。こんなことで幕引きなんてしたら「腹の虫が収まらない」悔しい。日本の辱だ。

守屋氏は、宮崎氏と政治家との会合時期について「昨年か一昨年」とした。宮崎氏と複数の政治家の会合に同席したことも、宮崎氏と政治家1人との宴席に加わったことも認めた。

一体、どうなっているのかこれでは、第二のロキード事件ではないか?、疑惑はますます疑惑が深まった。徹底した解明が望まれる。

毎週末にゴルフを奥さんと一緒にして、危機管理意識は、どう考えていたのかなあ・・・、前事務次官・山田洋行の周りの人は、気がついていなかったのかなあ・・・

日本の官庁って、こんなところか?疑いたくなる。

証言内容を並べてみると、改めてこんな感覚の人物が次官職にあったことにあぜんとさせられる。他方で、国会は新テロ対策特別措置法案という重要法案の審議を抱えている。疑惑の解明と国際貢献策の論議。国会はその両方に責任を負っている。

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2007年10月29日 (月)

自分自身を自信を持ち輝かせる

今日の名言

世界は偉人たちの水準で生きることはできない。

フレイザー『金枝篇』(三)

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自分を自信を持ち輝かせる

この世の中のすべてが光に満ちあふれて輝いているのに、私たちはこのことに気づかないでいるようである。輝きを美しいと受けとれない何かが自分にあるからだと思う。

自分の気持ちに差し障りがあるから、素直に受けとれない。この「ぼやっと」した差し障りのことを煩悩だと思う。

その煩悩を捨て去り、ぬぐい去れば、ほんの一時でも、美しいものを美しいと思え、美しいと見ることができる、でもまたすぐにその煩悩の差し障りが、目の前をふさいでしまうのだ。

それで常に自らの心を磨く努力をしなければいけないよう、これを精進というのだと思う。日々そういう生き方を心掛け実践することを修行という事になる、少しでも精進し、修行していれば、美しいと思う心を、美しいと見る目を、美しいと聞く耳を持つ事が出来るだろう。

悩み苦しみの原因を他に求めようとするのが現代人が多い、親、友達がこうだからとか、世の中みなそうだ、社会が悪い、などと、悩み苦しみから逃れるすべを他に求めてしまいがちです。自分自身の見方、聴き方、思う心を変えてみることだと思う。

輝けるこの世界に生きる自分自身を輝かせること、そうすれば日々が輝きの喜びの世界に変わる。

最近、どうも生き方に迷いが出て、言動に自信が持てず悩んでしまう人が多い。言いかえれば、誰でも、聖人君子はいないのである。100人中100人が違った人生観がある。

昨日住民協議会のイベントがあって、リーダーは一生懸命に成功させるため、準備・計画を立てきたのであるが、勿論協力者とも何度の打ち合わせをしてきて、ある程度の合意を得ての事だが、いざイベントを催うすと異論が出る。

ごく少数の異論は、最初からあったが、仕方がない事、すべての人にを満足してもらう訳にはいかないのだから、自信を持って良い。自分もスタッフの一員で、『輝いた一日、充実感があって満足できた一日だった。』ありがたい感謝である

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2007年10月28日 (日)

人間の戦争とは何か

今日の名言

良心の自由ほど魅惑的なものはないけれど、またこれほど苦しいものはないのだ。

ドストエーフスキイ『カラマーゾフの兄弟』(二)

23581神応寺の和尚講話より

人間の戦争とは、何か
人間は日常語としては「ひと」「人類」などを意味しているが、文字からいえば人(ひと)の間(あいだ)であり、本来は「人の住む所」「世の中」を意味しています。

 どんな生き物でも争いはあります、優秀な子孫を残そうとするからです。けれども人間の戦争は、動物の争いと全く内容を異にします。自然の摂理を超えて、同種すなはち人間同士で殺し合いをするからです。また、自然界にはそれぞれの生態系があり、生き物はすべてそれぞれの生態系のままに生きているのに、人間だけがそれを変えてしまう。破壊力の大きな武器を使った近代の戦争は生態系までも大きく変えてしまう。

 人間も他の生き物と同じ生物だが、人間は、自己を限りあるもの、みじめなもの、ちっちゃな存在であることなどを自覚する能力を持っており、それがために命の尊さに気づいている。すなはち、人間は死を知っています、だから、心の安らぎを求めるのも、自殺するのも、戦争するのも、人間だからでしょうか。「生き物である人間とは何か」「人間の戦争とは何か」、根源的な問題を問い直さざるをえません。


人々の心の底にある故郷の心は、やさしさの心です

 故郷(ふるさと)を遠く離れて生活する人も、華麗な魅惑に幻惑されて大都会に出てきた人でも、なにかのはずみに、故郷の天地に思いをはせることがある、そんな時、むしょうに帰りたくなる、このもどかしさ、じれったさ、これが故郷の心です。どんな人間でも故郷を思慕する心をもたない人はいない、この故郷に憧れる心こそ、人の心の底から湧き出てくる清らかな泉であります。人の心の底にある故郷の心は、人間本来のやさしさの心です。

 激戦の戦火の下においても、民族、宗教にかかわらず、人々の心の底に、それぞれの故郷の心はある。戦時下では故郷の心など抹殺され、故郷の心など忘れ去ってしまうかのようですが、戦場ならばこそ故郷の心は消えることなく、平和な故郷への思慕はよりつのる。

 どの人、どの民族にも、それぞれにかけがえのない故郷がある、他民族に踏みにじられたくない故郷がある、人々の心の底にあるもの、それが故郷の心です。お互い人間だから、故郷の心、やさしさの心には、人類共通の相通じるものがあり、民族や宗教のちがいを超えて共感できるはずです

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2007年10月27日 (土)

ベネズエラという国

今日の名言

あなたがたの実力以上に有徳であろうとするな! できそうもないことをおのれに要求するな!

ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(下)

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東京新聞の筆洗いで、このように記してあった。NHKのBS2で放映されたドキ東京新聞の筆洗いで、このように記してあった。「ュメンタリー『オーケストラは人をつくる』を見た。ベネズエラの貧困層の少年少女二十五万人が参加するユース・オーケストラ運動から、二十六歳の天才指揮者グスターボ・ドゥダメルがみごと巣立った。

ベルリンフィルハーモニックオーケストラには最年少コントラバス奏者を供給しており、運動は中南米諸国に広がっている。ドイツで開かれたバーンスタイン作曲『ウエストサイド物語』のユース演奏会は感動した。体育館の群舞の場面で、舞台の少年奏者たちが演奏しながら踊りだのは、米国が失った貧しい移民たちの初心を見た思いがした。

ベネズエラにはアメリカへの愛憎半ばする因縁を感じる。ともにヨーロッパ移民とその子孫が、新大陸に自由と富を求めた国。昨年の国連総会ではチャベス大統領がブッシュ大統領を「悪魔」呼ばわりして物議を醸した。格差社会の米国に対し、豊富な石油資源で得た国富を、貧者に再配分する“チャベス社会革命”への評価は高い。

ベネズエラのウインターリーグで、野茂英雄投手(39)が現役復帰したところだ。ヤンキースのアブレイユ選手、ツインズのサンタナ投手らを輩出した実力リーグ。日本人の本格的なメジャー入りに道を開いた功労者でもある。」

野茂英雄のホームページで、「25日、ベネズエラリーグで2度目の先発し。結果は打者6人を相手に3分の1回を投げて4安打1四球で4失点。残念ながら初回でノックアウトとなった。チームもそのまま6-2で敗退する。」

日本から、遠い国べネズエラという国は、良く分らくて馴染みがない。石油産油国とは知っているくらいである。最近情勢は、原油高に乗じて、外交も強気な面が目立つという。どうも、アメリカのブッシュ大統領の政策には、批判的だ。

外務省のホームページでは、「チャベス大統領の対米批判は激化し、国際場裡において米国及びブッシュ大統領を名指しで非難するなど舌戦を展開している。他方、経済面においては、ベネズエラの全世界向け原油輸出の約40%が米国向けとなっており、石油を中心とする両国の経済関係は依然密接である。」

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Bolivarian Republic of Venezuela

中南米(人口26.6百万人)で日本の約2.4倍の面積を持つ国。

首都はカラカス(386万人)

主産業 鉱業(石油、鉄鉱、ボーキサイト)、石油化学、製鉄、アルミ製錬

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2007年10月26日 (金)

慣れの恐ろしさ

今日の名言

愛を優しい力と見くびった所から生活の誤謬は始る。

有島武郎『惜みなく愛は奪う』

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「環境破壊・温暖化」は、最近は、マスコミは勿論小学生でも言葉が口にする。この地球に住む人間だったら、きれいな空気・きれいな環境で住みたいと思うのは当然である。

ある公園に行ったら、小学生が遠足に来ていた。見晴しの良い山で、ベンチに腰を掛けて遠くを眺めようと、座るところを探していた。傍に、ゴミがあふれたゴミ籠があった、空き缶・飲みかけのペットボトル・レジ袋・紙くずなどが散乱していた。

さすがに、「きたないね違うところに行こう」と行ってしまった。ああ・・・誰でも汚い所より、きれいな所が良いに決まっている。最近近くの公園でも、ゴミ籠にゴミが溢れていたり、町中の自販機の脇に設置されている回収ボックスはいつも一杯なのを目にする。

こんな風景なんて、「嫌だな」と思う人は多いと思う。

なぜか、この実情に慣れてしまう「神経が麻痺」してしまっているのだろうか?従って、歩きながらのタバコの吸殻、食べ歩きながらの包装紙などを捨てて、道路公園は、ゴミの捨て場所?、コンビニ・高速道路のサービスエリアに家庭ごみ、危険物などを捨てていくという。モラルなどと言っていられない。

毎日ゴミを拾っていて、思うのだが、自分の家の周りだけでなく、それを少しでも範囲を広げて各自が掃除をしてもらうと、町はきれいになると思うのだが、是非そういう意識をもってもらいたいと感じている。「きれいにしようよ見んなの住む町だから」

『不都合な真実』の映画、アメリカのゴア前副大統領の講演で地球の危機を訴えて、世界各国を訪問している。「地球を・子供達を愛している」そして「環境破壊は人間」だ。今年ノーベル賞が決定された。

人間の真理といものか、最初はタバコの吸殻なら良いだろうが、缶・ペットボトル・タバコの箱などが交差点の信号待ちに捨ててしまう。そして公園・電車のホーム・町中に・・・・・・・・

自分ひとりは良いだろう、小さなゴミだから良いだろうは、そして無意識は、取り返しのつかない恐ろしい結果になることだ。

今朝はこんなことを考えてみた。そして『汚くても平気でいて、普通に感じてしまう無意識さと慣れは恐ろしい』と思う。

この記事を見て多くの人に感想などを寄せていただければ、幸甚である

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2007年10月25日 (木)

〝まさか〟

今日の名言

好人物は何よりも先に天上の神に似たものである。第一に歓喜を語るのに好い。第二に不平を訴えるのに好い。第三に――いてもいないでも好い。

芥川竜之介『侏儒の言葉 文芸的な,余りに文芸的な』

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70年生きてきて、振り返って見ると・・・「上り坂・下り坂・まさか」について。

、「人生には三つも坂は無い」と・・・。人生は、上り坂と思っていても、実は下り坂であったと言う事もあったと思う。、下り坂だと思っていても、それは想定もしない上り坂であったことも経験した。要するに、人間が想定したり、認識していることとは関係なく、〝まさか〟のことが起こり続けていると言う事ではないかと思う。

〝まさか〟と言えば、最近の事件・事故のニュースは、この〝まさか〟の連続である。

まさかの事が多過ぎると感じるのは自然の感情であるが、考えて見ると、〝まさか〟とは、当人にとっては起こる確率が極めて小さい、或いは絶対に起こらないと考えていた事が起こった時の感情表現であろうと思う。しかし、冷静に考えて見れば、多くの場合、起こっても別段不思議ではない事では、ありますまいか。

最愛の人の突然の死は間違いなく〝まさか〟である。神戸や、新潟に起こった大震災も〝まさか神戸・新潟に・・・〟である。激増すると言われている熟年離婚も、申し渡される亭主に取っては、思ってもみなかった〝まさか〟の通告となるだろう。しかし、これらは、起こらないと言う根拠は何も無い、否、むしろ起こって当然の経過・原因があると断定してもよいと思う。

よくよく考えれば、この大宇宙の中で選りによって、この地球に、しかもこの小さな島国日本に、人間として生まれる確率は限りなくゼロに近いと仏法では説いている。生まれて来た事自体が〝まさか〟だと言う事であろう。〝まさか〟で生まれた命である限り、〝まさか〟はまさかでは無く、必然であると考えるべきではないかと思う。

〝まさか〟と思う事に遭遇したら、しばらくは「まさか、まさか」と悲しめば良いけれども、いずれはそれを必然だと受け止めて、後ずさりしないことだと思う。そう言い聞かせながら、〝まさか〟に備えたいと思う。

人生の坂は、〝まさか〟の坂一つしか無いはずであるから、また、全ての事象は『因果応報』でもある。

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2007年10月24日 (水)

日本人の自殺者について

今日の名言

なんのはや、世の中というものは、そんなに人の思うほど善くもなし悪くもなしですわい。

モーパッサン『女の一生』

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日本人の自殺者は、昨年は3万人を越えているそうだ、これは9年連続である。先進国(G-7)では1位である。

その大きな理由として、昨年は消費者金融や連帯保証の問題が大きいと思う。

その原因となっているのが、リストラや非正規雇用の人の収入の低さや、一旦事業に失敗するとなかなか再出発が難しい日本の現状である。

日本はバブル崩壊以降、そして小泉・安倍政権になってから特に、日本の独自のスタンダードのようなものが崩壊していきた。

この方向性すべてを否定するものではないが、たとえば、グローバルな競争力に勝てない業種があったとして、ここに税金が投入されていて、ここに大きな無駄や、良からぬ権益も発生していたとして、この部分を改革するのには大賛成である。

しかし、この改革で一時的には必ず他の業種への転換に乗り遅れる会社や人が出てくる。ところが現在の日本では、この人たちを救済することで、税金の無駄遣いというような風潮があって、弱者救済的なことを言うと、すぐにばら撒き政治の復活とか、大きな政府にするのかとか、こんな頓珍漢な議論が出てくる。

経団連だって今の会長は、国際競争力の強化一辺倒。それも付加価値で勝負すると言うのではなく、コストで勝負するのかと言う、キャノンの会長とも思えない。

また別の見方をするとwebで(ちょっと一息ためになる話)で、書かれていたものだが・・・

人間は長足の進歩を遂げたが、先進国を中心に自殺は急増している。日本はその最たる例だ。人はなぜ、死を選ぶのか。芥川龍之介は、遺書で、次のように書いている。  

「誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない……僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている。(中略)君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。
(中略)少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」(或旧友へ送る手記)

 自殺の心理に、ひいては現代が直面する問題に、芥川は解明の糸口を与えていないだろうか。

 芥川龍之介は明治25年、新原敏三の長男として、東京に生まれた。
 生後八ヵ月の時、母・フクが突然、精神に異常をきたす。龍之介はフクの兄・芥川道章に預けられる。同家には独身を通した、フクの姉・フキがおり、我が子のように龍之介の面倒を見た。

 愛情に包まれ、芥川夫妻を両親と信じて育った龍之介だったが、子供らしくわがままを言える、自由な時代は続かなかった。十三歳で正式に子入りする前から、自分が"もらわれっ子"だと感づいていたのである。

 実母は、龍之介が11歳の時に世を去った。たまに訪れると、煙管で頭を殴られる始末で、龍之介は後年、「僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない」と述懐している。

自殺者の多い世の中はなくならない、しかしその原因を、政治家や、宗教家などはもっとこの問題を、真剣に考える必要があると思う。

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2007年10月23日 (火)

晩秋の想い

今日の名言

徳ある者は必らず言あり。言ある者は必らずしも徳あらず。仁者(じんじゃ)は必らず勇あり。勇者は必らずしも仁あらず。

『論語』

   旅愁

更け行く秋の夜、旅の空の、
わびしき思いに、ひとりなやむ。
恋しやふるさと、なつかし父母、
夢路
にたどるは、故郷(さと)の家路
更け行く秋の夜、旅の空の、
わびしき思いに、ひとりなやむ。

窓うつ嵐に、夢もやぶれ、
(はる)けき彼方に、こころ迷う。
恋しやふるさと、なつかし父母、
思いに浮かぶは、杜
のこずえ。
窓うつ嵐に、夢もやぶれ、

遥けき彼方に、心まよう。

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里の秋

静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

明るい明るい 星の夜                                    
鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔                                 
 栗の実 食べては 思い出す

さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて 帰られる
おお 父さんよご無事でと
今夜も 母さんと 祈ります

           

背戸の山  椎の実転び  風うごく

今朝は懐かしい童謡を口ずさんでみた。お袋が、囲炉裏で栗を炊いてくれた昔が懐かしく思い出される。月日は無情に過ぎ去って行く、晩秋である

この世では、すべて諸行は無常、満たされても何時かは欠ける。このことを先達は、「世の習い」と諭した。人は愚かなもの、いかに練達のお人であろうとも、無常は如何ともしがたい。

この世の中の一切のものは常に生滅流転して、永遠不変のものはない。こんな事を考えて目が覚めた。

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2007年10月22日 (月)

朝日と産経の論争

今日の名言

もしも人から、なぜ彼を愛したのかと問いつめられたら、「それは彼であったから、それは私であったから」と答える以外には、何とも言いようがないように思う。

モンテーニュ『エセー』(一)

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最近、新聞各紙を見比べていて、実際主観・客観での記事の公共性の重大性を認識し心して置かなければならないことを痛感した。

その例であるが、産経新聞と朝日新聞との記事の内容で、いまだに問題が解決していないことがある。読者にとってその論争を注視して見なければいけないが、確り話し合って結論を公表して欲しい。 

【10月3日付けで、拝復 朝日新聞論説委員室さま。9月28日付夕刊の「『産経抄』の良心」と題されたコラムを拝読しました。安倍退陣について「靖国神社参拝や村山、河野談話の見直しを求め続けたあなた方の身びいきこそ、(安倍氏に)重荷だったのではないか」とご指摘いただきましたが、物は言いようだとつくづく感心致しました。】

10月17日産経新聞 【論争朝日と産経】記事内容

自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相)は17日、沖縄戦の「集団自決」をめぐる高校日本史教科書検定の見直しを求める動きについて党本部で協議した。その結果、検定制度の堅持を近く政府に申し入れるとともに、「議員の会」に沖縄戦検証のための小委員会を立ち上げ、史実の調査を開始することを決めた。

沖縄戦の「集団自決」をめぐる高校日本史教科書検定の見直しを求める動きについて党本部で協議した。その結果、検定制度の堅持を近く政府に申し入れるとともに、「議員の会」に沖縄戦検証のための小委員会を立ち上げ、史実の調査を開始することを決めた。

 また、検定撤回を求めた沖縄県民大会の参加者数(主催者発表11万人)が、実際には約1万8000人だったとする調査結果も報告された。

 議論の中心メンバーによるこの日の会合では、教科書記述の見直しについて「政治介入は避けるべきだ」との意見が相次いだ。 

 沖縄県民大会の参加者数の調査は、都内の警備会社が、9月30日付「琉球新報」掲載の航空写真を拡大し、1人ずつ数え上げたもの。その結果、参加者は視認可能部分で1万8179人、建物や木陰に隠れている人数を推定しても1万9000~2万人に過ぎないことが判明した。

以上のやり取りで分る事だが、報道とは、しっつかりと事実を報道す事は勿論であることで主観は許されない。

何んで、11万人が1.8万人なのか判らない。読者はどう判断すればいいんだろう。

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2007年10月21日 (日)

延命治療

今日の名言

人は父親の死は早く忘れるが、その遺産の喪失は忘れない。

マキアヴェッリ『君主論』

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最近年を重ねて来て、つくづく思うのであるが、延命治療に関することであるが、個人的には「安楽死」もあっても良いのではないかと思う。

法的には、まだまだ議論を重ねることだが、高齢化・平均寿命の伸び・などには、植物人間で長耐えられていても、本人も辛いし、家族にとっても経済・精神的にも大変な負担のなってしまう。何とか、法律的に、考えの方向性(ガイドライン)を示すことが大事な時期に来ていると思う。

延命治療の中止には明確な公的基準がなく、たとえ患者の希望でも、治療をやめた医師は殺人罪に問われる恐れがある。それが現場の混乱を招いていることから、このガイドラインもつくられた。

しかし、どのように死を迎えたいかはそれぞれの死生観がかかわる。このガイドラインを使っていくためには、社会に幅広く受け入れられることが必要だ。

患者がどのような状態のときに人工呼吸器をはずしたのか。家族とはどんな話をしたのか。それは患者にとって最善の道だったのか。救急医学会は事例ごとにきちんと検証し、公表してほしい。

そのうえで患者や市民、さまざまな分野の専門家の意見を反映させ、ガイドラインの内容を改善してはどうか。そうすれば、末期がんの患者などの延命治療をどうするかの幅広い議論にも役立つ。

延命治療を中止するにしても、その前提は救命の手だてを尽くすことだ。 救急医療をいっそう充実させる必要があることは言うまでもない。

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2007年10月20日 (土)

食の安全

今日の名言

何か遺産を譲り受けるという喜びは、死者を思いやって人が感じる、ごく自然な悲しみをやわらげたり、かき消したりするものだからである。セルバンテス『ドン・キホーテ』後篇(三)

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何年か前に、伊勢志摩に旅行に行ってきた。伊勢神宮前にあまりにも有名な、名物「赤福」があったので、取り合えず買って食べた。とても美味しかった思い出がある。

その「赤福」10月12日伊勢の老舗創業は、江戸時代(1707年)宝永4年に伊勢神宮の名物の「赤福」が、偽装が発覚した。浜田典保社長の記者会見で一生懸命の弁明も「うそ」の発言があったりして、農林水産省は本社工場等を強制調査方針。これを受けて三重県は行政処分として19日より無期限営業禁止処分方針を決めた。

食の安全での事件は過去にも以下の如くある。特に老舗中の老舗のお店であるだけに大きなショックである。何だか内部告発であるそうだが、いま企業が一番問題にしている。安全・コンプライアンス重視が叫ばれている折でもある。

確かに「利益」追求が企業に命題だが、「内部告発」が問題なのではない。企業の何たるかを考える事の重要性を痛感する。

2002年に雪印乳業「雪印集団食中毒事件」

2002年に「雪印牛肉偽装事件」

2006年に「不二家偽装事件」(ペコちゃん)

2007年に「ミーとホープ食肉偽装事件」(カトキチ)

2007年に「石屋製菓偽装事件」(白い恋人)

2007年に「赤福偽装事件」

他に「うなぎ」産地の偽装を始め、「食の安全」に関する問題は、ニュースに暇がないほどである。確かにマスコミに大きく揺さぶられているところも(やり過ぎ)あると思うが、時代である。この事を企業は再認識する事だ。

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2007年10月19日 (金)

一期一会

今日の名言

ふつうの人が懐疑家だとか無信仰者だとか自称する時は、たいていの場合何事でも最後まで考え抜く気持ちのないことを、おおい隠すただのポーズである。

T・S・エリオット『文芸批評論

(冷泉家時雨亭叢書 拾遺愚草)

押なべて 変わる色おば 置きながら 秋を知らする 荻の花かぜ

女郎花  露ぞ毀れる 起伏しに ちぎり染めてし 風や色なる

露深き は木のしたばに 月冴えて をじかなくなり  秋の山ざと

月影を むぐらの門に 差し添えて 秋こそ来たれ 問う人はなし

いと早も 鳴きぬる雁か 白露の 彩る木々も  紅葉あへなくに (勅撰和歌集)

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神応寺の和尚の講話

  一期一会

  一期一会とは、一生に一度の出会いということです
出会い という言葉であなたは何を連想されますか、親友との出会い、恩 師との出会い、夫婦の出会い、等々、若い人達は、友達や出会い系サイトを連想するかもしれません。出会いという言葉からの連想は人によって、さまざまちがいがあるでしょう。
 四月は出会いの月かもしれません、人生の新しい1ページの始まりだいう人が多いからです。 学校での新しい友達との出会い、職場の人との出会い、ご近所や地域の人々との出会い、さまざまな人との出会い。出会いこそ人生
の始まり、生きていく上での新しい展開のきっかけとなることから、人生の悲喜こもごもは、出会いからだと、人は言う。
人にとっての最大の出会いの始まりは、自分との出会い、すなはち、我が命の誕生です。この世に三千万種もの生き物が生息している中で、ヒトに生まれるということは、まさに受け難し人身を得たということです、そして、自分の誕生には、父母の出会いがあったからです。
 命は尊くて重いものであります、 自分のいのちが尊き重きものなれば、他の命も同じであります、 自分が大切であるからこそ、他の命も大切であります。 自分が大切であるから、他人はどうでもいいのだという理屈は成り立ちません。 自分の存在は他が支えている、人は互いを大切に思い、必要とするからこそ、出会いがあるのです。
茶人は客との間柄を大切にします、主人はお客さまを迎えるにあたって、たとえ何度もお会いしているお方であっても、 無常の世です、いつお別れとなるかもしれません、 誠心誠意お客さまにつくしてゆくことが、茶人のたしなみです。
 そのために、お客さまが、路地に入るより 出ずるまで 心をくばる、その心遣いが 無言のうちにも通じていきます。 今日 今席しかないという気持ちで相手に接していく 生き方であります。 すばらしい心くばりです、自分に対する心くばりも、かくあらねばなりません。
 毎日が新しい日、はじめての日、毎日が新しい私、はじめての私です。一期といえば 、人生の一生涯、一会といえば その時、その場、はじめての日のはじめての人との、一度きりの出会いですから、一期一会とは、一生に 一度の出会いということです。
 一期一会は、自分自身への 最高の心くばりでもあります。
 我が命との出会い、自分の誕生を、自ら喜びとして受けとめようとしないで、自分の生まれに不満を抱く人もある、けれども、勝手に生まれてきたのではない、どんな人でもみな、この世に必要だからこそ、望まれて生まれてきたのです。二度とない人生を喜びとしないで、他にどのような喜びがあるというのでしょうか。 
 4月8日はお釈迦様のお誕生日です、天上天下唯我独尊、受け難し人身を受けることができた、 人みなに、今、たった一つの、一度きりの尊き命ありと教えられました。
 さまざまな出会いのもとに 人は生まれてきました、そして、人にはさまざまな出会いがあります、 どんな出会いでもありがたきことと喜びたいものです。
      ありがたし ありがたしとて 世に住めば 
             皆ありがたき ことばかりなり


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2007年10月18日 (木)

巧遅は拙速に如かず

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雨は金持の上にも降れば、貧乏人の上にも降る。善人の上にも降れば、悪人の上にも降る。とはいえ、雨はけっして公平とはいえぬ。もともとが不公平な世の中の上に降るからだ。
老舎『駱駝祥子
巧遅は拙速に如かず。

読み】 こうちはせっそくにしかず
【意味】 上手(じょうず)で遅(おそ)いよりは、下手(へた)くそでも速(はや)いほうがよい、ということ。巧(たく)みで遅いことは、拙(つたな)くて速いことに及(およ)ばない、ということから。

【出典】 孫子(そんし)作戦篇

自分で自分の性格を評価するのはどうかと思うが、そっそかしい性格で慌ててしまい、早くできるのだが、その成果は満足できないもので、もう一度やり直す、  場合によっては何度もといった具合で、むしろゆっくりやっても、成果がよければ良いんだと、ゆっくりしなければいけないなあ・・・といつも反省している。

形は良いが内容が拙い。なんてしょっちゅうで、人に批判される。批判されれば気分が悪い。自分でもあきれてしまう程の性格だなあ・・・と反省する人生だ。情けない。

ところで、兵庫県で小学生が家の玄関の前で刺され亡くなるという痛ましい事件が起きた。近隣の人々にも、また、日本中子供を持つご家庭・いや全国民にとっても大きなショックである。犯人逮捕は、日本の警察の威信に賭けて一日でも早い逮捕が望まれる。

何の罪もないあどけない子供を殺すとは・・・絶対に許せない。悔しい!

自分も小学生の四人孫を持つ者で、遺族の悲しみは痛いほど分る。

いま小学生の四人に一人は人間は死んでも生き返るとの認識だという。そんな人間がそのまま大人になってしまった犯人なのか?それとも、捕まえてみると、何かむしゃくしゃしていたからとの訳の分らぬ事をいう。  こう言う人間がいてしまうと言う事は・・・

大りーグのイチローや松井の活躍が毎日のようにニュースで流れる、一方ではイラクでのおさまることのない内戦や世界各地で頻発するテロによる爆死の報道も毎日のようにある。そこには紛れもなく人の死がある、子供や市民が犠牲になっている。

おびただしい血が流れ、その件数は増え続けているのである。テレビで流されているこれらを伝えるニュースもすっかり日常化してしまうと、子供たちに与える影響として、内戦やテロの事件の生々しい現場から伝えられる報道であっても、、悲惨さや、哀れみの思いをよせる同情の気持ちが薄らいで、大リーグのゲームを見るのと同じ感覚で受け取っている子供もいれば、気の毒な死に方をした人こそ生まれ変わることができると信じてしまう子供もいるだろう。

あたかもゲームでリセットボタンを押せば、何でもなかったかのように新たにゲームが再開される、人の命も、生き物の命もゲームとたいして変わりがないと思っている子供がいるとすれば恐ろしいことだ。

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2007年10月17日 (水)

温暖化

今日の名言

「皮肉」と「憐れみ」とはふたりのよき助言者である。前者は、ほほえみながら、人生を愛すべきものにしてくれ、後者は、泣いて、人生を聖なるものにしてくれる。

アナトール・フランス『エピクロスの園

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また考えてしまった。この地球のことを!!

まさしく、温暖化は進む、人間のエゴで計り知れない罪を作ってしまっている。まったく自助努力うをしない。このままでいいもかなあ・・・自分で自分の首を絞めるようなものだが、まだ気が付かない。温暖化が・・・。

温暖化が、米国の前副大統領アル・ゴア氏へのノーベル平和賞で、くっきり輪郭を現してきた。もうだれも目を背けられないという焼き印が押された。氏は「伝道師」を自任して啓発を続けている。今回の受賞は、その評価を超えて、世界に「今すぐの行動」を求めた鐘の音でもあろう。

 「上農(じょうのう)は草を見ずして草を取る」という言い習わしがある。良い農夫は雑草が芽を出す気配を知って摘み取る、の意味だ。「中農は草を見て草を取り、下農は草を見て草を取らず」と続く。

 温暖化に対し、私たちに「上農」の聡明(そうめい)さはなかったようだ。せめては「中農」の愚直さで向き合わないと、地球は危うい。下農にはなるな――キンモクセイの遅咲きは、自然の鳴らす、ひそやかな鐘とも聞こえる。

昔経験した、収穫の時期ことである。稲刈りは、同じ動作の連続で、腰が、腕が、痛くなり二・三日は治らない。稲扱き、ぼうち、などの作業が控えている。そして親父が言った「会社へ行って休めばいいじゃないか」と(会社勤めであった私は、稲刈り時期に手伝わされた)。

   稲刈りも 猫のひたいで 家ばかり    

造成して、田んぼが家に取り込まれてしまった近郊農家では、こっそり、刈って家で処理してしまう。あ!!という間にか、切り株になっていた。昔は稲架が並んでいたり、藁山ができたりと、それなりのメリハリが残されていたのだが、昨今はそれもない。散歩の犬が目立つこの頃である。

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2007年10月16日 (火)

時雨に想う

今日の名言

大食(おおぐら)いをして、眠りをこのみ、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、糧(かて)を食べて肥る大きな豚のようである。
『仏弟子の告白』

  時雨るるや  時雨れぬ中の 一心寺  小西来山

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この時期に降る雨は、冷たく感じるのか、夕方に、小ぬか雨のように細く音もなく静かに降ってきた。傘を差さないではいられないほどでもないのかなあ・・・。                        4畳半の窓越しから外を見たら、時雨れの中を、白髪頭のお婆さんが傘も差さずに、歩いていく後姿があった。何だかそんな風景を眺めていたいたら、感傷的になってしまった。

神応寺和尚の講話より

人生時計  

   
 今、貴方は幸せですか、とコチコチと音を立てながら
    人生時計は「今」を刻んでいます
 突然、「忘れ物をしてませんか」と尋ねられたら、あなたは、「なんですか」と問い返されるでしょう。
 誰でもモノを置き忘れたり、持ってくるべきモノを忘れてきたり、人の名前や用件をすっかり忘れてしまうことはよくあることです。 でも今ここでは、自分自身の心と体のことを忘れていませんかと、尋ねているのです。
 日々の忙しさにかこつけて、自分のことを忘れている、忘れるとは心を亡くすと漢字で書きますが、忙しいの字も心を亡くすと書きます。

 
「あなたは自分の心と体のことを忘れていませんか」と,あらためて尋ねられると、「大きなお世話だ、自分のことは自分で考える」、「おおきなお節介だ、自分の人生を他人にとやかく言われる筋合いなどない」とおしゃるでしょう。けれどもつまずいたり、体調を悪くした時、それは自然に自分自身を振り返るものです。
 そして取り返しのつかないところにまで来てしまった時、人はしみじみと思うものです、自分では分かっていながら、心と体のことを普段すっかり忘れて暮らしていたと。

 
肩ひじを張ってばかりいないで、背筋を伸ばし、ちょっと深呼吸してみましょう。そして、人間関係のとらわれや人間社会ばかりに目をむけていないで、まわりを見渡してみましょう。
 すると、生きとし生けるもののすべてが、天地自然の恵みによって生かされている、そんなありのままの姿が見えてきます。
 昼は太陽の光がいっぱいに、夜には満天の星が輝いてます、「今」「命、生きている」この実感をいつも忘れないことです。
人生時計には過去も未来もありません、ただ「今」と文字盤に刻まれているだけです。そして確実に人生最後の時刻に向かって時を刻んでいます。
 今、貴方は幸せですか、とコチコチと音を立てながら人生時計は「今」を刻んでいます

  朝日待つ 草葉の露の ほどなきに
         急な立ちそ 野辺の秋風  
道元禅師
  
人生は草葉の露の如くはかない、幸せを願い日の出を待ち望んでいるから、どうぞ情け無い秋風よ吹かないで欲しい。

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2007年10月15日 (月)

クライマックスシリーズに思う

今日の名言

善とは一言にていえば人格の実現である。

西田幾多郎『善の研究』

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プロ野球セ・パ両リーグでクライマックスシリーズが始まった。レギュラーシーズンの上位3球団が日本シリーズ出場権をかけて激突。ファンにとっては、ワクワク、ドキドキの“球秋到来”といったところだろう。  

一方、リーグ優勝を逃した球団でも日本シリーズに出場できる「敗者復活制度」に、釈然としない人もいるかもしれない。そういえば、政界にも似たような仕組みが…。

 衆院選の重複立候補。小選挙区と比例代表に掛け持ち出馬ができ、小選挙区で落選しても比例代表で復活当選できるという、候補者にとってありがたい救済措置のことだ。

セリーグでは、3位の阪神と2位の中日で、どちらか勝ったほうが1位の巨人と対戦する。 パリーグでは、3位のソフトバンクと2位マリーンズと対戦マリーンズが勝ってファイターズと対戦する。だから、ペナントレースで3位でも相手リーグ挑戦し日本一になることが出来る。「敗者復活制度」である。ちょっと納得がいかない人もいるだろう。 まあ・・・

野球だけがスポーツではない。サッカーが急に人気が出て、野球ファンが減少し来て、人気であった読売巨人のテレビ放送も大分少なくなって来ているようである。球場に来るお客さんの数もめっきり少なくなったという。むしろアメリカのメジャーリーグが日本で人気上昇しているのではないのかと思う。

そんな意味で、人気復活の意味と、興行の採算でそんなこと始めたのかなあ・・・。実際自分も、野球放送は興味がなくなってきた。そして、新聞のスポーツ欄をあまり見ない。こういう人が多くなって来たのだろう。

予談けど、中日落合監督は、私が働いた工場に、季節工で入社し都市対抗で野球で、活躍し、ロッテ山内監督に見出され、プロ野球に入る。                                                     大変、努力の人だという印象で、勤めていた当時から他の人と違う考え、行動はチームメイトから、注目されていた。その頃の会社の野球部の思い出は、会社総務部の人間が日本中の高校の野球部にスカウト交渉に出かけたことを思い出す。(今ではとても考えられない)私はその時(197879年)の仕事は、総務部安全厚生課に在籍していて、2000人の寮と600世帯の社宅、50人寮長を始め社宅全般(保安・防災防犯・寮長教育・寮営繕など)の管理を担当していた。

そして、野球部の寮に30人位とラクビーの30人ぐらいの寮が単独であって、特別に管理をしていた。その野球部の寮に落合博満選手もいたのである。

その当時は硬式野球部とラクビー部は、会社・工場で今では考えられないほどの力の入れようだった。

たった2年だったが、私の人生でも非常にインパックあった会社生活だった。その後、生産ラインのスタッフでトータル40年の勤続となって、1997年に退職した。

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2007年10月14日 (日)

今日の名言

人間という者は、少しやさし過ぎるくらいでなくちゃあ、十分やさしくあり得ないのだ。

マリヴォー『愛と偶然との戯れ

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昨夜は、夢を見た。広い何処までも続く浜辺を歩いている。もう秋で海には誰もいない、唯一人で歩いているのだが、振り返ってみたら、自分の足跡が続いていた。そして、海は北風を岸に向かって、波しぶきとなって打ち上げられていた。と思ったら寒さで目が覚めた。時計は2時丁度だった。布団を剥いでしまったようだ。

ラジオを聞きながら、ブログを記しているのだが、3:07分地震情報があった。島根県地方だという。震度3だ。地震はいつ何処でおこるか分らない。備えておかなければと思うのだが・・・

神応寺の和尚の講話より

夢路を出で、夢路に至る人生の旅
 徳川三代将軍家光の時代に生きた沢庵禅師は「夢」の一字で一喝して73歳にして逝ったと伝えられています。この沢庵禅師は、辞世の偈である「夢」の一字をもって、千言万語をもってしても、とうてい説きつくせない真理を説いています。

 「百年三万六千日、弥勒・観音是非をみる、是もまた夢、非もまた夢、弥勒もまた夢、観音もまた夢、仏云く、まさに是くの如き観をなすべし」 と添え書きして、沢庵禅師は「夢」の一字を辞世の偈として遷化されたそうです。
 「まさに是くの如き観をなすべし」とは金剛経の 「一切の有為の法は、夢・幻・泡・影の如く、露の如くまた電の如し、応に是くの如き観をなすべし」 という偈からでている言葉だといわれています。

戦乱の世に生きた武将たちも、人生は夢の如しと、辞世の句をよんでいます。
 織田信長  「人間五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻の如くなり、一たび生を得て  滅せぬもののあるべきか」

 明智光秀  「逆順無二の門 大道は心源に徹す、五十五年の夢 覚来めて一元に帰す」
 

上杉謙信   「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒」

 豊臣秀吉  「露とをち露と消えにしわが身かな 浪速のことは夢のまた夢」  

 百年三万六千日を生きたとしても、過ぎてみれば夢の如し、夢のような人生です。人は生前のことは知らない、夢の世界から生まれてきて、物心ついて自分という存在に気づく。人と夢と書いて儚いというが、人生は短くて、あっという間に過ぎ去っていく、そして人はまた夢の彼方に去っていく、夢路を出で、夢路に至るのが人生の旅です。
 そんな儚い一瞬の人生を、居眠りしていては生まれてきた甲斐がない、目覚めよと、沢庵禅師は「夢」の一字で一喝されたのです。

夢と言えば、ヨーロッパでは、フロイトやユングを思い出す。日本では、あまり知られていないが、今から830年ほど前に生まれ、60歳で没した人で、京都高山寺の明恵房高弁上人に、師こそ、ご自身の見た夢を克明に記した人であり、『夢記』という著述がある。

時代によって持つ意味は変わるものの、≪夢≫も大きく意味合いが変った言葉だ。古来より、禅宗では、人が亡くなると、床の間や枕もとに、「夢」という字を掲げたものだった。
人生の軌跡を夢として把握した。人の生そのものが、≪夢≫であったなら、生そのものの≪事実≫は何処にあるのだろうか?

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2007年10月13日 (土)

独り暮らしを思う

今日の名言

人間はおのおのものの見方をもっている。そして同じ一人の人間でも、時が変われば同じ対象に対して違った見方をする。

ベッカリーア『犯罪と刑罰』

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一人暮らし、ちょっと慣れれば何とかなるかな・・・という心境である。

しかし、昔から

一人(ひとり)(ぐち)は食えぬが二人口(ふたりぐち)は食える。
生活をするには、独身でいるよりも世帯を持ったほうが経済的に得策である。ということ。(大辞林)

ということだが、長くは生活は自信がない。悲しんだり、怒ったり、喜んだり、楽しんだりしながらの夫婦である。いわゆる喜怒哀楽を共にすることで人間として成長するのだと思う。このところ何時まで一人暮らしが続くのか分らないが、2・3日続いている独り暮らしで考えてしまった。まあ・・・何とかなるとおもうが・・・   いづれ将来そうなるかもしれないが、以下独り暮らしをしている人の日記を見てなるほどと納得した。

この方、民生委員なのか、ボランテアで独り暮らしの面倒見ている方なのか?

自分を語ることって、そして語れることって、更に語れる相手を持つって、人を助けるって続くと思いました。独り暮らしのお年寄りの家に訪ねる機会があります。
 

身体を気遣って、「どうですか?」「いかがですか?」「体調は?」などと訪ねると、思った以上のことが返ってくる場合があります。老人性鬱病の持病があり、精神科に通っているのですと、ケロッと言われると、思わず、「本当ですか?」と、今、話す相手がそんな症状を持っていたことなど想像が付かないほど、ビックリするときがあります。
 本人も、「私は、何の隠すことも嫌だからと、どんどん話してしまうんです」と言う。その話の内容は、自分に降りかかってくればゾッとする内容の怖い話しだ。

家の中で、独り閉じこもって、自分が自分を外部と閉ざしてしまうことに、抵抗できずに、その家の中も、自分が居る場所すら我慢ができない場所と変わって、ひたすら震えながら気分が過ぎ去るまで、閉じこもることしか選択肢がない気持ち。

その時の自分が何をしでかすかわからない恐怖。それこそ、刃物を持ち出し自分を傷つけるか、一歩外に飛び出し、他人に抱きついて世間の避難を浴びてしまうかも知れないことを、高らかに話してくれたりする。

七十才近くのお年寄りの言葉にしては物騒な話しを、開けっぴろげに話されることに、この人の生命力を思います。それはうかがい知れない過ごしてきた苦しい時間に、耐えて変わってきた自分を、「隠してもしょうがない」「敢えて、話せる相手には、話してしまうんだ」の言葉が表しています。

 そうなんです。こうして自分のことを、誇張しながら?話ができることに、いや、できるようになったからこそ、鬱病という怖い病気と付き合うことの姿勢がうかがえて、この人を、たくましく感じるのです。

 とある女性は、「何でも聞いて下さい」と、言う。亡くなられた夫の話をし、こうして上がり口で対話していたことを思い出しながら、話していると、急に涙を見せながら、「ご免なさいね。涙もろくなりまして」と、時間を忘れて話し出す。

「そうなんです、そうなんです」と、何度でも話す。話すことによって、独りぼっちになってしまった今の自分の、後戻りできない自分の、どう過ごして行けばよいものか、前に進めない揺れる心を表している。これが、独りになることの苦労、試練なのだろうと、辞して思います。
 
お年寄りの、と言っても、六十五才を過ぎての独り暮らしが、多くなったと実感する、今日この頃なのです。

近所にも、独り暮らしの老人4・5人はいる。これから増えてくるだろう。自分も市から委託された、「独り暮らし見回り隊」の一人である。防災・防犯・非常時の備えなどのサポートである。独り暮らしの問題は大きな社会問題で、政治的な配慮が必要と痛感する。

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2007年10月12日 (金)

心の栄養で強く生きられる

今日の名言

音楽について話す時、一番いい話し方は黙っていることだ。

シューマン『音楽と音楽家』

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昨日「人間生きていくにはすべてを受け入れないと、待っているのは死である」なんて、考えさせられる。そんなことから、

人間の一生、いわゆる生老病死の過程で誰もがみな始めての事ばかりである。毎日が始めての体験である。その中でも、精神的に肉体的に大きなダメージになるような洗礼?を受けながら生き続けなければならない。人は、一人で生きていけない、しかし生きなければならない。今朝は、そんな事を考えて目が覚めた。

神応寺和尚の講話より

真而妙 てんしんにしてみょう 

 有り余るものの豊かさと長寿社会にあって、現代人は大切なものを見失っています。
 その一つが、自己本来の生命活動により生かされている自分に気づかないで、自力で生きているという錯覚に現代人は陥ってしまった。そしてこの世の中には変わらないというものは何一つありませんが、このことにも無意識な人が多いために、人生の今をより良く生きるという意識が弱く、今さえ楽しければそれでいいという生き方をする人が多くなったことです。時は人を待たずです、この世の無常なることを悟って、生かされている自分に気づくことができれば心に動揺がなくなるはずです。
 そして今一つは、一切の生き物は他を生かし、他に生かせてもらっているという根本原則が忘れられて、自分さえよければという考えをする人が多くなったことです。

 見知らぬ者の異常な行動の話でしょうが、コンビニで、往来で、乗り合わせた電車で、社会常識を逸脱した行動を見るに見かねた善良な人が見知らぬ人に、他の人の迷惑になるからと一言注意しただけで刺し殺されるという事件が多発している、これはキレヤスイ現代人の異常な行動でしょうか、さまざまな犯罪や人々の行動においても、自分だけよければ、自分の権利がと、あまりにも現代人は利己の意識が過ぎるようです、人間の自然環境に与える影響についても同じことです。利他の生き方ができるところに心の豊かさが得られる、利他の意識が弱くなったために、心貧しい生き方をしている現代人が多いようです。

 寒山詩に八風吹不動
(はっぷうふけどもどうぜず)とありますが、その八風とは、得をする、損をする、陰口をいう、ほめる、こよなく賛える、悪口をいう、苦しみを与える、楽しみを与える、いずれも誰もが心を揺り動かされることばかりです。人は自己本来の生命活動に生きることができれば八風吹不動でしょうが、自分勝手な生きかたで、貧瞋癡(むさぼり・いかり・おろかさ心)の三毒の煩悩を捨てきれないから、いつも八風に揺り動かされて、自ら苦しんでしまいます。

 秋には葉が落ちる、西から風が吹けば舞い散る木の葉は東に飛ばされ吹きだまる、木の葉は散って根もとの大地に帰り土になる。森羅万象はそのままが真実の姿であり、愚かな人間がいうところの迷いとか悟ということもない、天地自然が真実そのものだからです。

神応寺和尚の講話で心の栄養を頂きあり難い。 

人間は知恵がある、だから精神的の迷いとなって肉体的にも影響する。知恵を生かす事が大事である。それは、哲学・宗教を学んで行くことが心の栄養になて、力強く生きられるのだと思う。

ラジオのニュースを聞きながら記しているのだが、北海道の山間部は早くも雪になるとか、でも、八王子は比較的暖かい朝である。夜が明けきらない5時、外で「百舌」の甲高い鳴き声が聞こえた。秋深まるの実感だ。

“昨日の事は日記帳に書きとめておいた”(マイペンシル)

こういう時もいつも行っているゴミ拾いのボランテアを行った。大事な日課である。

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2007年10月11日 (木)

平常心

今日の名言

およそ人の頭脳には三通りある。第一は自分で判断をつけるもの、第二は他人の考えが判(わか)るもの、第三は自分でも判らず、他人の考えも解らぬもの。第一はもっとも優れ、第二も善く、第三は無能である。

マキアヴェッリ『君主論』

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今までの生活が、何のわだかまりもなく結婚生活し、42年過ぎた。人生の堰はいくつもある。これを乗り越えなければならないが、中々平常心では乗り切れない事って数々あった、これからもあるだろう。

そこで、必要以上に心配しても仕方がない。「平常心とは」どういうことか考えてみた。そして以下の道元禅師の心の内を見る。

道元禅師の歌に
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えてすずしかりけり」がありる。
 

春は百花開き、夏にはほととぎすの声が清涼をもたらしてくれる。秋の月はひときわ美しく、冬は雪が白くさわやかですっきりしている。

「すずしかりけり」とは寒さや涼しさを我慢して言っているわけではないのでだ。心にとらわれるものがなくさっぱりした状態で雪を見るときの清らかさ、すずやかさをいうのである。

季節にたとえるならば、春は花ですずしく、ほととぎすはほととぎすですずやかで、月は月ですずやかであるということで。人生でいうなら生老病死、そのすべてを追ったり逃げたりしない、むしろ積極的にたのしみ味わっていくところの佛の面目を示されておられるのである。

 「至道は無難」「平常心是れ道」。理論では日常茶飯が道であるといって、難事ではないように見えますけれどもなかなか容易なことではないのである。「平常心是道」の批評に、「無門曰く、南泉、趙州に発問せられて、直に得たり瓦解氷消、分疎不下なることを。趙州、たとい悟り去るも、更に参ずること30年にして始めて得てん」と、そして頌(うた)を詠んでいる。

春には百花有り、 秋には月有り、 夏に涼風有り 、冬に雪有り 、若(も)し閑事(かんじ)の 心頭(しんとう)に挂(か)くる無(なく)んば、 便(すなわ)ち是人間の 好時節

「平常心」とは、無常を知る慮知心をもって菩提心を起こすことであり、日常の所作を滞りなく執り行うことが仏法ですから「威儀即仏法、作法是宗旨」の世界というように展開し、「愚のごとく魯のごとし、ただよく相続するを主中の主と名く」と帰結していくのである。
 在家的に言えば「威儀は人なり」であり、「芸は人なり」「政策もひとなり」「表現は人なり」である。

          語る人貴し

          語るとも知らで

          からだで語る人

          さらに貴し

          みちびく人貴し

          導くとも知らで

          うしろ姿で導くひと

          さらに貴し

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2007年10月10日 (水)

粛々と生きる

 今日の名言 

わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。
芥川竜之介『侏儒の言葉 文芸的な,余りに文芸的な』

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『粛々』という言葉がある。 有名な漢詩に『鞭声「粛々」夜河を過(わた)る』があるが、今政治家が使っている意味がちょっと違うと思う。政治用語での「批判には耳を貸さずに」と言う意味で使っているようだ。一般的には、 おごそかのさま。厳粛なさま。と辞書にある。

いずれにしても、今日は人生には色々な問題があるが、大きな波を迎えるような心境である。誰れでも、通る道ではあると思うのだが、・・・そこで多くの問題を『粛々』と進めていこうと思う、何も大上段に構えなくてもいいかな・・・。

神応寺住職の講話より

真実の姿を見る  

自分のわがまま勝手な色メガネを捨てなければ、真実の姿はなかなか見えて きません。

 
 人、舟にのりてゆくに 目をめぐらして岸を見れば 岸の移るとあやまる   道元禅師

これは、道元禅師が、あなたは舟に乗って、岸を見ていると岸が移るかのように、又景色が走っているかのように見えたりしたことがありませんかと、言われたのです。
 また、こんな話もあります、ある時一人の僧に「あれは旗がなびいているのか、それとも風がなびいているのか」と尋ねた、僧は答えて曰く、「旗にあらず、風にあらず、汝の心が揺れ動いているのだ」と、 このようなことはだれにでも経験があることです。

 私達自身の心が揺れ動いているから、そのも のをしっかりと見定めようとしないで、自分勝手な見方やとらえ方をしていることが多いのです。正しくものを見ることができないで、 我が儘勝手の色メガネでもってものを見てしまいます。
 道元禅師は自己のこだわりを捨てないかぎり、全てが自分中心に回転していると思いこんでしまうものだと、 説き示されています。

   石垣の 直下にたむろす 野菊かな 

 昨日散歩して見つけた、白い野菊は石垣の直ぐ下に可憐な花を見せて、存在を価値を示しているようであって、清清しい心にさせてくれた。

 

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2007年10月 9日 (火)

三角合併とは

今日の名言

私のために門閥制度は親の敵(かたき)で御座る。

福沢諭吉『新訂 福翁自伝』

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三角合併とは産経新聞の見出しに載っていたのだ調べてみた。「M&A脅威減る」の見出しだ。

サッポロビールに外資系ファンドが買収を提案するなど、M&Aの嵐が吹き荒れる時代。「三角合併」の解禁で、(5月)外資による日本企業の買収が加速するとの懸念が高まっている。

「三角合併」とは、国境を越えた企業買収に使われるM&A(合併・買収)の手法。外国企業が日本に設立した子会社を通じ、株式交換方式により日本企業を買収する方法です。「三角」のメンバーは、上の表の通り、外国企業A社、その100%子会社であるB社、合併対象になる日本企業C社の三者。合併手順は、まずA社が日本国内に子会社・B社(日本法人)を設立し、このB社に買収対象となるC社を吸収合併させます。その結果、B社が存続会社となり、C社は消滅……。

これまでの吸収合併では、買収される企業の株主に対し、存続会社の株式を割り当てることが前提とされていました。しかし、昨年5月施行の「新会社法」に盛り込まれた「合併対価の柔軟化」規定により、存続会社以外に他の会社の株式などの割り当ても可能になったのです。これを利用するのが「三角合併」で、C社の株主には、A社の株が割り当てられます。もし、A社の株式時価総額(※)が大きければ、その分株式の追加発行がしやすく、結果的にC社買収に無理なく乗り出すことができます。多額の資金調達が必要な現金買収とは違い、資金準備がいらない株式交換による買収のメリットが、さらに広がりそう!
※ 株価×発行済み株式数。その企業が、株式市場でどれだけ評価されているかを表す指標。all aboutに記載の志田玲子氏解説)

自分も、ちょっとファンドに投資をしているので経済の事が気になる。世界経済・エネルギー資源・主要国の政治や経済などに日本の経済は左右される。新聞の経済面を見る機会が増えたようだ。

M&Aと言えば元ライブドアの堀江元社長事件を思い出す。いまはどうしているのかなあ・・・

このところ、朝晩・毎日の温度差が大きくなって体調に気をつけないと、風邪を引いてしまいそう。昨日雨が降って、半袖では寒くいられない、じっとテレビを横になって見ていたら、足のほうから冷えを感じ上着を着た。3時ごろ起きてパソコン弄りもパジャマでは、寒くなって何かを羽織る物がほしくなった。

北の国から、紅葉の情報が出るようになった。今自分達が植えたコスモスが河川敷の道路で見ごろである。コスモスは秋桜とも言う。となり町では、コスモスを観る会などを行うそうだ。

      舟に似て  秋夕焼を  出てきたる    松永典子

すてきな情景だ。少年時代、私は船乗りにあこがれていた。それだけに、舟のように夕焼けから出て来る人にもあこがれる。

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2007年10月 8日 (月)

現実を受け入れる

今日の名言

人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である。

芥川竜之介『侏儒の言葉 文芸的な,余りに文芸的な』

Img_0003_2 今朝の目覚めにこんなことを考えた。

自分自身の心に言い聞かせて、全て受け入れるしかない。
立ち止まることは勿論後ろ戻りは出来ないのだから、前にすすむしかない。 

不幸な出来事が起きたときに、その現実を受け入れられないと、前向きに考えることができない。

「信じられない」「どうして私だけがこんな目に」「こんな事(人)は許されない」などと現実を拒否していては、嘆くだけで時間を過ごしてしまう。

また、自分でどうにかすることをあきらめて、落ち込んだり自分の弱さを責めていては、不幸に陥るばかりである。
 

現実を拒否したりあきらめてしまうと、そこで思考は停止してしまう。現実を受け入れられると気分がラクになると思う。そして、感情がおさまれば前向きに考えられるようになる。

現実を受け入れることは、自分の不幸な状態に気づくことだ。それに気づけば、それをいいきっかけとすることもだと思う。
 

確かにどんな不幸な出来事も時間がたてば忘れられる。しかし、ただ現実から目をそらしているだけでは、不幸から抜け出すのに時間がかかってしまう。

また、同じような事が起こる度に不幸に陥いる。現実を受け入れ不幸を幸せに変えることで、不幸から早く立ち直り、いい経験とすることができると思うようになる。

町会の皆様で近くの湯殿川に植えたコスモスが、写真のように綺麗に咲いた。人の心を癒してくれることだろう。

     雨上がり  コスモス咲いて  笑顔あり

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2007年10月 7日 (日)

金木犀の咲く頃

今日の名言

恋は、人間を何ほどか自己以上のものにし、同時に、何ほどか自己以下のものにする。

モーム『月と六ペンス』

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心が正常でないと肉体も正常でない。記憶は何時か忘れてしまう。時間は感情まで消してしまう。

ツルゲーネフこんな悩みを記している。

情熱の冷えが日ごと深く私の心にはいりこみ、ますます強く心をつつみます……この世で起こっている一切が、私には何とうとましく、虚しく、ものうく、無目的なものに見えることでしょう」

ロシアの生んだ世界的作家ツルゲーネフが、55歳の時、友人に書いた手紙の一節。

しかし、この時彼は、富と名声につつまれ、多くの友人と交際し、愛人までもっていたといいます。それなのに、この虚しさはどうしたことでしょう。

また散文詩には・・・

「暮れ行く一日一日の何と空しく味気なく、甲斐ないものに見えることぞ。でもなお、人は生きたいと望む。生を重んじ、希望を生に、己れは未来に繋ぐ。ああ人は、どんな幸を未来にまつのであるか。
『明日は、明日こそは』と、人はそれを慰める。この『明日』が、彼を墓場に送り込むその日まで」

最近、今の生活の流れで、いいのか、このままでいれれないし、数年先には断崖があるかもしれない備えを確りしておかないと、いけないのではないか。と不安に思うことがある。

まさにツルゲーネフの散文詩の心境である。   

       木犀や二夜泊りに雨一夜   水原秋櫻子
  
今年も一斉にキンモクセイの香りが我が街角を包みだした。あの木この木ではなく、どの木も突然芳香を発するのだから不思議だ。
昨日、孫の運動会を観に行って来た。匂いの先を突き止めると校庭(小学校の校庭を借りた)の片隅にある5メートルぐらいの大きな木であった。そばに行って見ると金色の小さな花から香りであった。
秋の長雨も終わって、青空が高く感じられだしたころいつも咲き出す。小さな金の十字花が固まり咲き、しばらくすると木の下は金粉を撒いたかのように散り落ちた花々で染まる。季節を強烈に自己主張する花とも言えようか。
しかし、その香りは仕事疲れの身にはひとときの清涼剤でもある。我が家のも一本の金木犀があるがこの春の剪定で大分枝を切り落としてしまったので学校の木ほど匂いは無いが
近くにある庭園灯に灯をつける頃には心が癒やされていることに気づくのである。
そして年々歳々花が時期を間違えず咲きだすと、我感ずる花の思いは少しずつ変わっているのに気づかされる。

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2007年10月 6日 (土)

心の時代

今日の名言

どうしても言い分を通そうと思って一つ事だけ言っていれば、必ず勝つにきまっているものだ。

ゲーテ『ファウスト』(第一部)

今朝3時46分震度3ぐらいの地震があった。もう起きてパソコンを弄っていた。突然の事で驚いた。何だか、日ごろの備えが出来ていないので反省する。パソコン画面(yahoo!)プラウザにでた。その内容は、当八王子は震度2だあった。家内も驚いて起きてきた。

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そして三島由紀夫のこの発言をwebで見つけじっくり読んでかみしめる。

人間の生命というのは不思議なもので自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど人間は強くないのです。
人間は何か理想なり、何かのためということを考えているので、生きるのも自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。
すると死ぬのも何かのためということが必ず出てくる。それが昔言われた"大義"というものです。
そして"大義"のために死ぬということが人間の最も華々しい、あるいは英雄的なあるいは立派な死に方と考えられていた。しかし、今は"大義"がない。
これは民主主義の政治形態というものが"大義"なんてものはいらない、政治形態ですから当然なんですが、それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ、生きていることすら無意味になるという心理状態がないわけではない。
三島由紀夫 NHK映像ファイル 昭和41年宗教の時間での発言

神応寺和尚の講話                      

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。 

 「人間が霊長類とちがうところは、原因と結果の違いを知っていることです、だからこそ人間なのだ、人間は因果関係に基づいてものを考えることによって進化してきた」と、ロンドン大学のルイス・ウオルパート教授は話す。
 人間が因果関係に基づいてものを考えることによって、情報伝達や技術が飛躍的に発展しました。科学・技術が人の役に立つものであり続けるために大切なことは、人間の「心」のはたらきです、「心」のはたらきによって科学・技術が人にとって役立つ方向ずけがなされる。たとえば使われている電力の3割から4割は原子力発電に頼っています。原子力は人類に貢献していますが、戦争では、人を殺すための大量破壊兵器に使われます、いずれも人間の心が決めるのです。

 21世紀は「心」の時代といわれます、みんな仲よく生きる・・・・・共に生きる(共生)、みんなで考えて物を作る(共創)、自然との共生、異文化そして異宗教の人とも共に生きていく・・・・そういうことを考える「心」を持たなければいけない時代です。

福田総理も所信演説で、国民の目線で改革を続行し「自立と共生」を基本に政策を実行する。温もりのある政治を行う。その先に「希望と安心」と言っている。とにかく、日本いや世界が安心安全に共生できる【心】を大切に育てる政策理念で全力をあげてもらいたいものだ。

ビックリニュース(これはおかしいよ!)

生命保険38社は、ことし2月の金融庁の命令を受けて過去5年間の保険金の不払いについて調査してきた結果を5日までに金融庁に報告し、120万件、総額で910億円にのぼることが明らかになった。

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2007年10月 5日 (金)

最近の気になる話題

今日の名言

何億という人間が生きているが、顔はそれよりもたくさんにある。だれもがいくつもの顔を持っているからである。

リルケ『マルテの手記』

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            秋晴れや  少女は走る  岡の上

   コスモスは  夕日を浴びて  咲きにけり

 ●最近、相撲に関する話題が多い。朝青龍の身勝手な行動、時津部屋の若手力士の死亡問題、武蔵川部屋の暴力問題、と元横綱の花田勝氏の離婚問題など、どうも相撲の伝統を守る古い体質と現代社会と感覚のアンマッチなところから生じた問題だと思う。

国技と言うけれど、ヤッパリ改革がされないと、現代社会では成り立たないのではなかろうか?相撲に限らず、古いしきたりを引きずって行こうとする事は事業としては困難なのだろう。

● 多くの国で注目した南北首脳会談は成功したのだろうか、早稲田大学の教授が言っていたが外交とは、「成功しなければ意味が無い」と・・・

しかし、テレビの報道を見ている限り、どうも金正日総書記のペースにノムヒョン大統領が乗ってしまったような感じがする。

国を隔てる壁がある。それでも壁を越えて繋(つな)がる心の糸がある。同胞との再会を願う人の思いは洋の東西を問わない。歩いて軍事境界線を渡った盧武鉉大統領は感極まった様子だった。迎えた金正日総書記は無表情だった。老朽ビルのような仮面の下で、北の権力者は何を考えていたか。想像するほど虚(むな)しくなる。

華やかな、夕食会会場・10万人とも言っているマスゲームなどの光景と灰色で大小の配電盤をならべたような町並み、アスファルトをしていない道路、潜入取材のテレビ報道は地方の人々の貧困さの光景が映しだされていた。

たった一人の権力者によって国を統率することに疲れたようなキンジョイル(金正日)総書記も大分不健康な容姿である。小旗を振って民集が神様扱いにしている光景は、戦前の日本の天皇陛下と民衆を思い出す。

こんな軍事・独裁政権が地球上にあるのが不思議でならない。これでは、日本人の多くの人の関心事の拉致問題などは、解決は難しいのではなかろうか。

六か国協議の協議文の調印と、南北首脳会談の調印など一見和平が感じられるが、したたかな北朝鮮は目を離せない行動を取るから、要注意だ。

何れにいても、「拉致問題を解決なしでは、国交正常化なし」の基本原則を崩さないようにしなければならない。

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2007年10月 4日 (木)

六カ国協議に思う

今日の名言

或ることをなしたために不正である場合のみならず、或ることをなさないために不正である場合も少くない。

マルクス・アウレーリウス『自省録』

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六カ国協議内容が昨夜合意文書が発表さた。

(NHK.webより)合意文書によりますと、まず、北朝鮮の核問題については、非核化に向けて年内にニョンビョンの3つの核施設を無能力化するとともに、すべての核計画の完全かつ正確な申告を行うとしている。
さらに、北朝鮮は核物質・技術およびノウハウを移転しないとしている。一方、北朝鮮が非核化の見返りとして求めているアメリカによるテロ支援国家の指定解除については「北朝鮮が取る非核化の行動と並行して履行する」という表現にとどまり、指定解除の時期は盛り込まれていない。
日朝関係については「不幸な過去を清算し、懸案事項を解決することを基礎として、早期に国交正常化をするため誠実に努力する」としたうえで「日本と北朝鮮は精力的な協議を通じ具体的な行動を実施していく」となっている。
今回の合意を受けて、アメリカなどの核問題の専門家チームが今後2週間以内に現地に入り、核施設の無能力化に向けた準備を進めることにしており、今後は合意内容を実行に移せるかが焦点となる。
だが、日本としては、拉致問題の解決へ北朝鮮が具体的行動を取らない現状では、指定解除に引き続き反対するしかないと思う。厳格に対応すべきだ。

それまでの間、日本にとって、北朝鮮の核・ミサイルの脅威に直接さらされ続ける安全保障環境に変化はない。輸入禁止や船舶入港禁止など、独自制裁を継続するのは当然である。

しかし、虚勢を張っている金正日独裁国家は、過去にも何度も裏切られた経緯がある。今時珍しい悪がきの大将のようなくにである。国民は辛いと思う。

危ない核を作り、それを振り回し周辺国を脅している。まだ合意文書だけでは、拉致の問題やまったく核を無くす事はしないだろう。そしてわがままを通す手段に使うのは、過去の行為から予想できる。

国会は代表質問になった。民主党の鳩山幹事長の演説は、さすがにと思わせるところもあったが、対決姿勢を前面に出した強がりの内容であったと思う。

国民の「安心・安全」を守り、国民生活と心の豊かさを味わえる国作りを理念とした国会の討議の場であって欲しい。しばし国会に注目しよう。

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2007年10月 3日 (水)

指示待ち症候群

今日の名言

人間というものは、ふだんから目の前にあるものよりも、過ぎ去ったもの、なくなったものに、あやしいまでの愛着を持つものである。

『朝鮮短篇小説選』(下)

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秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる古今集』(藤原敏行)

 雨の日や  パソコン三昧の    四畳半

 どんぐりや  路面に濡れて    雨の朝 

 草のびて インターロックに     秋の雨

ハッキリしない空模様が続いている。インターロッキングの隙間にどんぐりの実が落ちていたり、雑草が伸びている。やはり、秋の長雨で伸びて来たのだろう。

指示待ち症候群なんて勝手につけたが。常識の判断が出来ない人間が子を持つ親になってしまう人間が多くなっているようだ。

 高校教諭が新聞紙上にこんな内容のコラムを載せてあった。「していいことと」「してはいけないこと」の区別がつけられない子供が多い。判断の基準は「善悪」ではなく、「自分の周りにいるみんながしているかどうかだ」と、それは日本の子供が、家でも学校でも「ああしなさい」「こうしなさい」と言われるままに「受け身」で、自分できちんと考えるゆとりを与えられずに育ってきたためだという、遊びも受け身で、創造性も自分で考えることも必要としないからだ。

 このようにして育った子供たちも、自分の考えで行動しなければならない時が来る。そのとき周りを見渡して「善悪」を問うことなく、周りの仲間と同じことをします。「みんながやってるから」と言う理由だけで、悪の道にはいってしまう子供も多い。犯罪を犯して摘発されても、みんながやっているのに、自分だけが運が悪いと主張する子供、我が子の悪行を更生させる能力をもちあわせていない親も多い、このような内容のコラム。

 子育てにおいて、個性や独創、進取の気風といったことを排除する親や、子離れをしない親に育てられた子供は、自分で善悪の判断ができないから、周りの人々がするのと同じことをします。社会的生活をする上で「善悪」をわきまえる判断能力は不可欠であり、子供の成長過程で躾として親が養うべきものだ。人は生きていくあらゆる局面において、この「善悪」をわきまえる判断能力が常に試される。いじめは、この判断能力が養われず、十分に具わっていない土壌に生じる。

 21世紀は民族や宗教、さまざまな価値観を異にする人々と共に、地球規模で生きていかなければならない、「善悪」の判断については、人類共通の普遍的なことから、価値基準がちがうために、見解の相違が生じるものまであり、多様な「善悪」についての判断能力を身につけておくべきだろう。
                                                                                     

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2007年10月 2日 (火)

売家と唐様で書く三代目

 今日の名言

そう、君らにはわかるまいが、五十六十の堂々たる紳士で、女房がおそろしくて、うちへ帰れないで、夜なかにそとをさまよってるのは、いくらもいるんだよ。
川端康成『山の音』「栗の実」

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朝日新聞の「天声人語」が面白いと思ったので、記して見た。

古川柳に、身上をつぶしながら風流を捨てられない様を揶揄(やゆ)した【売家と唐様で書く三代目】がある。総裁選を争った3代目の麻生さんを「粋な唐様文字」に例えるなら、福田さんはさしずめ「楷書(かいしょ)の首相」か端然としてまじめ。だが人臭さや迫力には乏しい。 安倍さんがうっとりした「美しい国」はひっそり看板を下ろし、憲法改正も所信表明から外れた。官邸を飾る書も「凜(りん)」から「和」に変わった。福田さんの「バランスと調整」を象徴する一文字である。(天声人語より抜粋)

また、新生日本国は昭和天皇を初代とすると、この三代目の時期に来ている。女帝問題がその維持に影を落としたが、悠仁親王の誕生で多少落ち着きを見ているが。将来的には問題がおきそうだ。

安倍さんがうっとりした「美しい国」はひっそり看板を下ろし、憲法改正も所信表明から外れた。官邸を飾る書も「凜(りん)」から「和」に変わった。福田さんの「バランスと調整」を象徴する一文字である。

 淡々、飄々(ひょうひょう)が持ち味だろうし、自分の言葉に酔うのは禁物だ。とはいえ首相の演説は、総務部長のそれとは違う。平たい言葉の羅列では、せっかく風呂敷から取り出した「希望と安心」も国民の胸には響かない。

総務部長で、日本丸の舵取りではちょっと、お客の国民は不安は拭い去れない。

《広辞苑》 【売家と唐様で書く三代目】(うりいえと からようでかく さんだいめ)初代が苦労して作った家屋敷も、 3代目となると売りに出すことになる。商いをおろそかにし中国風の書体などを凝って習ったおろかさが「売家」のはり紙にあらわれていることを皮肉った句。  

新聞社のwebを見て驚いたのだが、産経新聞と毎日新聞・朝日新聞と読売新聞と日経新聞が提携したとニュースが流れた。やはり全国紙の新聞も合理化・改革をしなければ生残れないとの意識の表れだろう。もうすでに、産経・MSN ニュース となっている。

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2007年10月 1日 (月)

神無月になって

今日の名言

女の愛を恐れよ。この幸福を、この毒を恐れよ……

ツルゲーネフ『初恋』

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木の根橋    みんな覗いて     秋の水    川島由子

  空ふかく      栗生れいづ      玉のごと       角川源義

  此道や       行人なしに        秋の暮          芭蕉

 安寧を   祈るばかりの  神無月

 虫食いの 柿葉に留まる  露の玉

季節の変わり目と言うかここ2.3日は天気がハッキリしない。今日も朝から小雨が降っていて、庭の草取りをして、どうも背中か冷たいと思って手を回したら、かなり濡れていた。

今朝方の2時21分、箱根で震度5強の地震があった。今日から、テレビ・ラジオで地震予知で知らせるシステムが、稼動するそうだ。一体地震の事前のお知らせの10秒~15秒でどれだけの行動が出きるかが問題である。震源地が近いと効果がないとか。

10月は、役所や会社では、後期の始まり。そして衣替えでもある。

日銀が1日発表した9月の企業短期経済観測調査(短観)によると、企業の景況感を示す業況判断指数(DI)は、代表的な指標である大企業製造業でプラス23と、前回の6月調査と同じだった。

アジア情勢では、北朝鮮の六ヶ国協議は、どうも北朝鮮の術中に嵌まりそうな感じだ。核廃絶は、アジア諸国の平和には必要だが、日本人の拉致の問題が置き忘れてしまうのでないかと心配である。

もう一つの心配の国、ミャンマーである。映像ジャーナリストの長井健司さんが軍事政権に反体して僧侶をはじめ、民衆のデモの取材中に至近距離で、銃弾に倒れて亡くなった映像が生々しく映し出された。早速藪中さんが、事情把握と調査を申しいれをするために、現地に飛んだ。

また、今日から130年以上にわたって国が行ってきた郵政事業が民営化されて、1日午前中、発足式が行われ、民間企業の「日本郵政グループ」としての業務が始まった。民営化によって、郵政事業は、持ち株会社の「日本郵政」の傘下で「郵便事業会社」「ゆうちょ銀行」「かんぽ生命保険」「郵便局会社」の4社に分割された。

新福田首相の国会もいよいよ、エンジンが始動する事になりこちらも目を離せない。特に『テロ特措法』の問題はどう民主党に対応するのだろう。注目しなければならない。「年金」「格差」の問題も大きな問題とである。

私的なことだが、我が家でも大きな心身の問題で心労が続きそうである。株・投資信託の値動きも心配である。

とにかく、誠実に落ち付いて問題を一つ一つ解決して行く事だと思う。とにかく「泣きっ面に蜂」には、したくない。

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