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2007年9月

2007年9月30日 (日)

雑草に思う

今日の名言

啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜けでることである。

カント『啓蒙とは何か 他四篇』

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につけて どうするのかと いのこづち

子孫を残すためのしたたかな方法だ。植物と動物の共生で旨くバランスをとっていることって沢山ある事に気づかされた。

昨日、本家に行き「草むしり」に行った。もう何十年も生きてきて、毎年見かける草だが、ただ面倒な雑草で、着ている衣類に付いてしまい、取るのが大変である。名前も知らなかたが、図鑑で調べたら『猪の子槌』と解かった。70年も生きてきて無関心で、生きてきてしまうことってあるもんだなあ・・・しかし、恥ずかしい事でもないと思う。誰だって生活していくのに、係わり合いの無いものはあまり必要ないのだからな・・・・

家に帰ってきたら衣服のあちこちに実付いて落とすのが大変であった。(こんな事、しょっちゅう経験がるのだが)この雑草も子孫を残すための手段である。何か考えさせられる。

昨日の産経新聞にちょっと興味のある記事が載っていたので、記して見た。

【「妻は家庭を守る」に反対!ついに5割超す】

「夫は仕事、妻は家庭」との日本の伝統的な家庭観に対する「反対派」が、この質問が始まった昭和54年以来、初めて5割を超えたことが29日、内閣府の「男女共同参画社会に関する世論調査」で分かった。
「(女性は)子供ができても職業を続ける方がよい」との回答も過去最高の43・4%。一方、「子供を持つ必要はない」「離婚容認」といった“当世風”とみられた考えにはいずれも「反対」が急増。離婚に関しては反対が賛成を上回る一面も見せた。
 調査よると、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきか」との質問に「賛成」「どちらかといえば賛成」とした人は平成16年の前回調査から0・4ポイント減り、44・8%。「反対」「どちらかといえば反対」は逆に3・2ポイント増え、52・1%だった。男女別では、男性は賛成50・7%、反対46・2%。女性は賛成39・9%、反対56・9%だった。
 また、「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はない」に、反対は8・1ポイント増の59・4%で、4・6ポイント減で36・8%の「賛成」との差を広げた。「相手に満足できないときは離婚すればよい」には、反対が7・4ポイント増の47・5%で賛成の46・5%を上回った。
 内閣府は「夫や妻が、当事者同士だけではなく子供や家族を重視するようになっているのではないか」と話している。
 
調査は、今年7~8月、全国の成人男女5000人を対象に実施した。回収率は62・4%。

価値観の相違はいつの時代でもあって当然だが、社会構造が生活を変えてしまう。いま問題になっている子供の「しつけ」でも調査結果からでも分る。

自然の法則に学ぶことが大事だと思うのだが、生活の質の向上だけを考えていったならば、後戻りの出来ない事になってしまうありますまいか?

人間がこの世に生存の歴史は、生まれ、結婚して子供を生み、子孫を残すことにある。化学で作る人造人間ではないのである。人間は動物であることを忘れてはなるまい、精神と肉体がうまくバランスが取れた人間が人間社会構成しているのである。

2007年9月29日 (土)

鬼怒川旅行記

今日の名言

友への同情は、堅い殻のしたにひそんでいるのがいい。

ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(上)

     Sira101                                 平地では、 まだ残暑が厳しいというのに、富士山に初冠雪26日にあったそうだ。

多くの人には、知れないところでは、確実に季節の移り変わっているのである。

27・28日に、小学校の同窓会で、一泊旅行に鬼怒川温泉に行ってきた。14名の参加者だったが、みんな、頭は、白くなったり、薄くなったりして、それぞれに年を重ねて、時の経った事を実感したのであるが、もう、病気で亡くなってしまっている方、また今闘病している方もおり、どの方達の思いもあるが、参加できたことが本当幸せと感じさせられた。

大きな斧で、大きな岩を荒削りにして、その削り取られた隙間に山から流れて来た水が、塊となって岩にぶつかって清流となって流れ出る、谷川である。それで昔の人はその川を鬼怒川と名づけたのだろう。その両岸に旅館ができまた、温泉が湧き観光地化されて、いまは大きなホテルが乱立するようになってしまって、通りから、川を望むことが出来ない。所々に車が通る橋があり、橋の上で川を眺める。またいくつかの観光用のつり橋が架かっていて、観光客を楽しませている。

鬼怒川を遡ると川治温泉があるそうだ。北関東の観光温泉の本場と言う所だ。もう1か月もすれば、奥深い山から紅葉のが始まり、鬼怒川でも11月ごろから見ごろとなるのでないかと思う。

みんなで散歩に川が見えるつり橋に行き、激流となっているところ、平面で静かな川面になっているところ、両側から覆いかぶさるように大きな紅葉があったり、数多いホテルの白い壁が日に当たり、輝いていて見えた。みんなはつり橋からホテルに帰っていったが、私はひとり遠回りして帰る事にして国道を歩き二つ下流の橋を渡って約5キロ早足で50分歩いてホテルに帰った。汗が顔から噴き出ていた。しかし爽やかな汗であった。早速風呂に入る事にする。

ホテルの大浴場の露天風呂に入った岩と岩の隙間から断崖絶壁の頂上から眺める風情となる。はるかに深い谷底の川面に観光客を乗せたライン下りの船の屋根が夕日を浴びてキラキラ輝いて見えた。

  九月末  つくつぼうし  鳴く暑さ   

  泣く時は 泣くべし萩が 咲けば秋  山口青邨

  赤とんぼ 静かに留まる  友の肩  

橋の上で鬼怒川を眺めていたら何処から飛んできたかのか一匹の赤とんぼが、静かに友の肩に留まって羽を休めた。そして季節の時計を遅らせた蝉の鳴き声が聞こえて来て、季節の替わり目を感じた。

2007年9月28日 (金)

同窓会

今日の名言

彼らに取って絶対に必要なものは御互(おたがい)だけで、その御互だけが、彼らにはまた充分であった。彼らは山の中にいる心を抱(いだ)いて、都会に住んでいた。

夏目漱石『門』

447141  秋の宿  川見てをれば  灯がともり 

鬼怒川のほとりの宿の窓で川面を眺めていたら、いつの間にか灯りがついて夕方になったこと気づかせされた。   

小学校の同窓会に参加して思う。57年前(1950年)に小学校を卒業生である。参加者は14名であった。鬼怒川温泉に1泊の旅行で、天気も良く久しぶりに古希となった喜びを参加者一同で味わった。

いつの間にか、70歳今まで何をしてきたのだろう。70歳の人生を振り返り何も実績を残せないまま、無駄な時間を過ごしてきてしまったものだと反省するばかりだ。

光陰矢のごとし、と言うけれどまさしく実感するばかりである。そんな事をみんなで話あったり、少年時代のお互いの思い出を話しあって、童心に帰った良い旅行となった。

長生き人生に

実質二倍の人生をどう生きるか
人間の成長期間を生まれてから成人までの20年とすると、寿命が50年の時代では大人期間が30年間であった、ところが今や平均寿命が80歳超ですから、大人期間が60年間と2倍、日数で1万日多く生きるようになった。
 すなわち、人生が50年の時代においては、子を産み育て終えるや命尽きたのだが、21世紀になって多くの日本人がさらに30年間も生き続けるようになったのである。
 子を産み育てる第一ステージの30年間は気力体力ともに充実していますが、50歳を超えた人生の第二ステージでは、加齢とともに健康を維持しにくくなり、体力が衰え気力も弱くなり、社会との接点をも縮小していく。この人生の第二ステージをどう楽しく生きるかが、人々の課題だと思う。

朝の食事後の飲み薬を殆どの人か飲み、医者にかかりながらの人生となって、しまったようだ。何も残せずの人生だったが、過も無く、不過なくすごせたことに感謝しつつ、『平凡が非凡』を思い出したのである。

予定通りの(27日・28日)工程であったが、とても疲れた。年かなあ・・・・
                                                 

2007年9月26日 (水)

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今日の名言

はづかしきもの 色このむ男の心の内。

清少納言『枕草子』

    夢路を出で、夢路に至る人生の旅
 徳川三代将軍家光の時代に生きた沢庵禅師は「夢」の一字で一喝して73歳にして逝ったと伝えられている。この沢庵禅師は、辞世の偈である「夢」の一字をもって、千言万語をもってしても、とうてい説きつくせない真理を説いている。

 「百年三万六千日、弥勒・観音是非をみる、是もまた夢、非もまた夢、弥勒もまた夢、観音もまた夢、仏云く、まさに是くの如き観をなすべし」 と添え書きして、沢庵禅師は「夢」の一字を辞世の偈として遷化されたそうだ。
 「まさに是くの如き観をなすべし」とは金剛経の 「一切の有為の法は、夢・幻・泡・影の如く、露の如くまた電の如し、応に是くの如き観をなすべし」 という偈からでている言葉だといわれている。

戦乱の世に生きた武将たちも、人生は夢の如しと、辞世の句をよんでいる。

織田信長  「人間五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻の如くなり一たび生を得て 滅せぬもののあるべきか」 ※ 人間の世界

明智光秀  「逆順無二の門 大道は心源に徹す 五十五年の夢 覚来めて一元に帰す」
 

上杉謙信  「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒」
 

豊臣秀吉  「露とをち露と消えにしわが身かな 浪速のことは夢のまた夢」  

百年三万六千日を生きたとしても、過ぎてみれば夢の如し、夢のような人生。人は生前のことは知らない、夢の世界から生まれてきて、物心ついて自分という存在に気づく。人と夢と書いて儚いというが、人生は短くて、あっという間に過ぎ去っていく、そして人はまた夢の彼方に去っていく、夢路を出で、夢路に至るのが人生の旅だ。
 そんな儚い一瞬の人生を、居眠りしていては生まれてきた甲斐がない、目覚めよと、沢庵禅師は「夢」の一字で一喝されたのだ。

『夢』DREAMは、戦国武将の想いはそれぞれあるが、儚い人生である。で、神応寺の和尚の講話で「儚い夢」についてこんな事を言っている。

誰でも生まれた時のことなど知りません。死んでいく先のこともわかりません。人は夢の彼方から生まれてきて夢の彼方に帰る。それで左に人、右に夢、合わせて儚いという字にして、人生を儚いというのでしょう。

人生が一瞬の儚いものであるからこそ、ぼーとして、日おくりをしているとすぐに老いてしまう。それで しっかりと目を見開いて自分の脚下を照顧せよ、現前の世界をしっかりと見据える、物事のほんとうのところを見失わないように、いつも眼を見開きなさい。すなはち目覚めよとお釈迦様は教えられました。
  姿勢を正して、しっかりと大地に自分の身を整え、息を整え、心を整えよ。良く整えし我が身こそ仏なり、人間なりとお示しになられました。
   
  経済不況、世界の情勢や社会の不安が増す現代を生き抜くために、あなたは何をたよりにしていますか?人生には浮き沈みがある、喜び楽しみがあれば、悲しみ失望がある。人の幸福とは困難に出会い克服することだと言う人がいますが、苦悩をも悠然として受けとめ、楽しみと喜びに変えてしまうような、泰然自若の根性を養うことが大切でしょう。
  一瞬の儚い人生ですが、毎日がはじめての今日、はじめての私ですから、人生、日々修行です。

  目覚めようとする心を発すか否かが、我が人生が楽しいものとなるか、幸不幸の分岐点となる。  常に、自分自身の仏心を呼び覚まし続けて生きることです。他に幸せを探し求めても、空虚なものを追いかけているにすぎないことに気づきたいものです。」

  赤とんぼ   人はいても  いなくても

  おみなえし  夕日をうけて 静かなリ     

夕方田んぼの上を静かに、激しく飛んでいた。まだ残暑が厳しいが、秋だなあ・・・

(今日は、旅行のため、記事は昨日記して、編集は27日早朝3.00時にした。)

中秋の明月に思う

今日の名言

嫉妬をする人はわけがあるから疑うんじゃないんです、疑い深いから疑うんです。

シェイクスピア『オセロウ』

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     明月や  明るさを増す  すすき原

   十三夜  団子をそなる  白い皿

昨夜は、中秋の名月であった。良く晴れて絶好の月見の夜となった。昔は何処の家でも団子を作り、ススキと庭の柿と初物のさつま芋を縁側であげたものである。

防犯パトロールの途中に、そんな思いで月を見上げてみる。こんなに大きな月を見るのは久しぶりであった。

今夜は、福田総理が誕生して、組閣人事が発表が、テレビで実況中継で、新首相の記者会見があった。今夜の月のように丸く安定政権で、国民の安心できる政権であり、また今夜のようにお月様が、綺麗に見える地球環境を考えアメリカや中国・インドのような二酸化炭素の大排出国を説得し、世界をリードする国であってほしいと思った。

本日発足した福田新内閣はすぐに、国益と地球益が複雑に入り組んだやっかいな国際交渉に直面することになる。それは地球温暖化防止の新しい枠組み、2013年以降にどうやって経済成長を維持しながら温暖化を食い止めるかという、ポスト京都議定書を巡る政治折衝だ。

 本来なら首相が乗り込んで、日本の立場と主張を世界に訴え、各国の首脳とひざを交えて地球の危機回避策を話し合うはずの、気候変動に関する国連ハイレベル会合が、森元総理が出席し、24日にニューヨークで始まった。期待しよう。

 大空に 心の月を ながむるも 
      闇に迷いて 色にめでけり
  道元禅師
 

中天に輝く月は美しい心の闇に迷い形の美しさのみをめでて、           

本当の月の美しさを知らぬのは悲しい。

また月の輝きに心おどらせ、満月の次に十六夜(いざよい)の月、立待(たちまち)の月、居待(いまち)の月、臥待(ふしまち)の月、有明(ありあけ)の月などと、月の満ち欠けを気にとめる、また、天地自然の恵みをいただく暦として月をあがめるなど、自然と同化した生き方を現代人はしなくなってしまった。

 宇宙にまで人間の活動範囲が広がり、30年も前に人類は月に到達して月面を踏査した、荒涼とした月には生物はいなかった。月面からはるかかなたの地球の姿をカメラがとらえ、地球の地上で月を見るのと同じように、月の地上から見た地球の青き輝きの美しさに感動した。

2007年9月25日 (火)

犬蓼(いぬだて)の花

今日の名言

苦労が人間をけだかくするというのは、事実に反する。幸福が、時にはそうすることはあるが、苦労はたいてい、人間をけちに意地悪くするものなのだ。

モーム『月と六ペンス』

解釈が難しい                                                           

Inutad1                            犬蓼(いぬだて)

通ります赤のまんまの前の道

                                                    辻村麻乃

「赤のまんま」(犬蓼)の生えている道がなんとなく別世界の気がする。そこで、勇気を出して、「通ります」とつぶやいてその道を通る。童心に似た心の動きが生き生きしている句だ。
 麻乃の句は句集『プールの底』(2006年9月、角川書店)から引いた。作者は1964年生まれ。俳句雑誌「篠」「ににん」の同人である。やや稚拙に見える作風だが、それが逆にこの作者の童心の弾みを感じさせる。「汽車降りて渡らう秋の星の橋」「畑中の不便な場所に芒の穂」「まな板の背も腹もなき新豆腐」「月よりもゆつくり歩いてみたくなり」。これらがとてもいい。口語的発想が575音の言葉に新鮮な空気を与えているのだ。

昨日近くの片倉城址公園のはずれ時田グランドに整備にボランテアで、ちょっと人の手のとどかない山道を通った。小高い木陰の中を写真のような犬蓼(いぬだて)が人知れず咲いていた。この花は少年時代に山に山に行き、見かけたが最近は殆ど見かけず「はっ」と一瞬昔の情景思い出した。

最近の植物の外来種が多くなり、在来種が目立たなくなって来た。「ああまだこんなに群生している」と思わず口にしてしまった。懐かしく、いとおしいやら、そしてこの句の通り,足を止め、足の踏み場を考えて、痛めないように慎重に通り過ぎた。

あまり人の入らないところには、自然が守られていられるんだと実感し。そしてこの体験は後々まで、なんとも言えない清清しく心に残る思い出となった。

ただ、「赤のまんま」とは子供の頃は知らなかった。“赤飯”ああなるほどな・・・・と思った。

こういう、素敵に感じる時間を多く、過ごせたら、いいなあ・・・

今日は、中秋の名月である。また福田首相の誕生である。また家内のICの検査で思いは夫々ある。

防犯パトロールはお月見気分で廻った。参加者は、矢崎さん、大庭さん(男)、西山さん(女)、佐藤さん(女)、寅雄さん、小川さん、堀越さん自分の8人だった。  最初に犬を連れて歩いている人(小林さん)と矢崎さんとラブルがあったりしてちょっと何時もより時間がかかった。

2007年9月24日 (月)

平常心を取り戻せ

今日の名言

心というものは、それ自身一つの独自の世界なのだ、――地獄を天国に変え、天国を地獄に変えうるものなのだ。

ミルトン『失楽園』(上)

51  最近の心境

自分での判定は、難しいと思うが「今日の名言」が良く分る心境だ。どうも心の迷いが出て情緒不安定である。

それがある程度分っているので、何とか落ち着けたい、このままではいけない。地獄から天国に変えようと努力し、平然と努めているが性格的に出来ないのか、ちょっと考え込んでしまう。弱い面が出てしまている。

人間は、平静を保とうと心にはあるが、その処方箋は経験・知識・情報であるが、それらを受け止め方である。無頓着な人は心は強い?神経質な人は心は弱い?ことであるかも知れない。

ちょっと、最近の事象からでは、安倍首相の突然の辞め方や、そこまでいった心境、不正を知りながらする行為の官僚の心境や、無意識?にタバコの吸殻や、ゴミを捨てていく人達の心境、飲酒運転で事故を起こしてしまった人の心境など。

何気なく行う行為が、それが悪いことと分ってする行為と、解からずする行為とがる。と判別した場合解からずにする行為が、非常に問題だと思う。

しかし、悪事を知りながらする行為の心境は、その人の人格となって現れるのだろう。そして評価されるのである。

また、評価の尺度が人のよって違うのでこれがまた面倒な問題である。

神応寺の和尚の講話より

人生何事においても耐えることがどんなに大事な価値あることであろうか、思い返せばあの日、あの時、この上もない屈辱の中にあって、内心は激しく怒りと悲しみの渦を巻きあげておりましたけれども、こみ上げる怒りをおさえ、涙が今にもあふれそうになる悲しみに耐えて、じっと我慢の一時を過ごしました。
 後日不思議な喜びがわいてきました。あの時耐えてよかった、我ながらよく凌ぐことができたものだと、何かしら、自分がひとまわり大きくなって、我が人生に一段の深まりを感じる。
 ひらきなおって、耐え忍ぶ中に生きている喜びさえ感じられるようになれば大したものです。ひたすらに、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ それ人生の全てです。
 喜怒哀楽にふりまわされてどうにもならないこの現実の世界が、毎日の生活そのものが、広くて自由な清らかな世界、すなは
ち彼岸なのです。
         

昨日は彼岸の中日であった。お墓参りに行き、生きている事に感謝しながら、先祖を供養してきた。

2007年9月23日 (日)

里山に思う

今日の名言

時分の花を誠の花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて、花の失(う)するをも知らず。

世阿弥『風姿花伝』

歳時記を 開いて気づく  彼岸花

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自然は不思議である。季節の花は、人の手によらず必ず咲き出す。昨日近くの山道を歩いて、遠くまで見える小高い山(標高115メートルと言われている住吉公園)に行ったら、毎年咲いている場所に今年も真っ赤な絨毯の見えた。近くで見ると一つ一つが、両手で何かを優しく包むような形で咲いていた。

昨日は、近くに開発される公園の現地の状況を遠くから、近くから歩いて見て、開発計画に対する説明と、要望など話し合う、開発担当の市の関係部長・課長と住民との話し合いを行った。参加者は21名だあった。(町並み整備部長・公園課課長・街づくり対策委員)[9:00~13:00時。]

里山には、楢・子楢・椚・檜・杉・そろ・栗などの木があるが、自然のままにすると、一年で人の入れないほどの山になってしまう。下刈りや、枝打ち、雨水の対策・日射し調整を人の手で行わないと、やがて人が入れない山になってしまう。

異常と思える暑さに驚いている。昨日は、朝から良く晴れて気温は32℃ぐらいとなった。あちこちで気温の更新である。大阪では最も遅い猛暑日だった。そんな異常気象とも思える今日この頃であるが、野菜や・果物などの生産にも影響がでているそうだ。

歩きながら先日の読売新聞の記事を思い出す、日本は、四方が海に囲まれている島国である。海には海の幸、山には山の幸がある。山と海の自然のバランスが大事で、山が荒れると海の生き物がいなくなる。だから、漁師が山に木を植えたり、下刈りをしたり整備をして肥沃な養分が海に流れ込むようにしている。(四国や北海道)人間が手を加えないと自然と共生できない処もあるんだと認識する。

昨日里山に入り栗の実や、どんぐりが落ちていた。食料不足の少年時代には毎日、学校から帰ると栗拾い、薪拾いをして生活の足しにしていた。そんなことで昔の里山と今では大分違うことに納得した。人々と里山の関わりあいが違いを再認識した。

燃料が電気・ガスであるが今は普通だが50年前はー→薪・もや→枯れ枝や下草を燃料の主であった。木の間引き、伐採、薪割り、くずっぱはき、などの農家では、里山がないと営んでいけなかった時代であったことを思い出した。

2007年9月22日 (土)

ちょっとここらで一休み

今日の名言

子供は苦労を和らげる。しかし不幸を一段とつらいものにする。子供は人生の煩(わずら)いを増す。しかし、死の思いを和らげる。

『ベーコン随想集』

ちょっとここらで、ひと休み。

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                                                             深く険しい山道を歩いていると、迷い・不安が容 赦なく襲ってくる、しかし先を歩かねばならぬ。深い藪や・大きな岩に突き当たる。そして、夕方になりやがて暗い夜となる。確りあるとやがて夜が明けて見晴しの良い高台に差し掛かる、そこでどこかに腰を掛けてやすみたくなる。そんな今朝の心境である。人生は、と言うものはその繰り返しである。

昨日は、人生にもそう幾つも無いと思う、試練を経験した。

試練と言うものは、個人の受け止め方で、夫々違いがある。だから他人に話をしても、本当の心の内は理解してもらえないことだと思う。疲れた、本当に疲れた。

パソコン・インターネットを使って、人生に行き先に迷いがでた人達の経験談・対処方法などを探してみて、何とか納得行くところまで出来た。ヤッパリ、パソコンをやっていたので良かったと、つくづく思った。(具体的なことは1か月後に公開できるだろう)ここらでちょっと一休みしよう。

神応寺和尚の講話より

地球が美しいのは命の星だからでしょう。
 この世のすべての物質は、無機物になったり有機物になったりして循環しています、すなわち循環して、一切のものが同じ姿を止めない、そして一切のものが食物連鎖のように関係し合い、生じまた滅しています。一切の生き物は同じ時間と空間を分け合って、この自然の循環に生かされ生きています。

 生きとし生ける命に、大きい命、小さい命、強い命、弱い命、などという命のちがいはありません、みんな輝く命です。さまざまに生きる命、貧困に負けずに生きる命、戦火の下にたくましく生きる命、差別にもひるまず生きる命、暴力にあっても情け心を失わずに生きる命、悩み苦しみがあっても笑顔で生きる命、たった一つの命、みんな輝いています。

 澄んだ秋の天空に冴え、皓々として輝く月を、人々はさまざまな思いで眺めているでしょう。宇宙から地球を眺めたならばそれは生命の生きる青く輝ける星です、一方、月は太陽の光を受けて輝いていますが、それは無機物の星なのです。古代より人類は地上から月を眺めてきました、現代では宇宙から月と地球を同時に見ることも、月面から地球を遠望することもできます。暗闇の宇宙に地球が青く輝いています、地球が美しいのは命の星だからでしょう。


2007年9月21日 (金)

一日一善の行い

今日の名言

男にして女の誘惑よりつつがなく身を脱するは、まことにこの世のただ一つの奇蹟たるべし。
『完訳千一夜物語』(一)「シャハリヤール王と弟シャハザマーン王との物語」

正直理解が難しい

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清々しい気持とは、なかなか今の社会では味わえないものと思うが、昨日は以前から思っていたことだが、ようやっと清々しい気持になれた。一体どういうことかと言うと、今日から全国交通安全週間が(21日~30日)始まる。我町会にも交通安全協会で交通指導員で何日か出働を予定している。

それに先立ち町会の国道に「交通安全」の碑が設置されている。その碑の文字が薄く見えなくなってしまっていたので、ペンキで塗り替えた。国道を車で運転している人たちに良く見えるだろう。

ちょっとした行為が、社会に少しは役に立つと思うと、作業がやり終え、清々しい気持になったのである。他に毎日の清掃(ゴミ拾い)を行っているがそれも同じだ。

だから、長く続けられるのだと思う。これからも一日一善の気持は忘れないようにしたい。

神応寺の和尚の講話より

人は何ごとにつけても、心身にまつわる一切の執着、またその原因となる「とらわれ心」を捨て去ることは容易ではありません。 

明月清風 

普段、常に吸う息、吐く息を意識して呼吸をしている人などいません。朝起きてから夜眠るまで、むろん寝ている時も無意識のうちに身体が呼吸をしているから、生きているのです。また、自分では意識していないのにおなかが減るから何か食べたくなります、そして四六時中、眠らないではいられません。
 私たち人間は、自分の意思で行動し、日々生きているのだと思い込んでいますが、自分の意識・行動にかかわらず、このように、生理的にも「生かされている」ことに気づくべきでしょう。
 また、生老病死は生き物にとって自然な姿です、人間以外に老いを嘆く生き物はいないでしょう。 自然界では死も自然な姿であり、生まれ死にして世代が交代していきます、死は生すなはち新しい命が生まれる始まりなのです。
    

2007年9月20日 (木)

大所高所より判断する

今日の名言

うれしまぎれに、軽はずみな承諾を与えてはならない。酒の酔いにまかせて、腹を立て怒ってはならない。

洪自誠『菜根譚』

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昨日、ちょっと考えてしまって、自分を戒める意味で、自分の人生訓を再確認することで記して見た。

それは遠く沖合いから風に乗ってやってくる白波のようであった。ざわざわと岸壁に当たって砕け散って白い泡になり消えて行くのである。

長く生きていれば、誰でも悩み苦しみ辛い試練は、何度も何度も経験を積み重ね精神的に大きく成長するのである。だから難病で苦しむ小さな子供が、大人勝りの世の中を悟りきったような言い方で、話していることにで合ったことがある。幸せな生活は、いつまで続くのか心配で仕方がない。

生きていく過程「生・老・病・死」には平穏無事はない。波風の人生である。高波が来たとて慌てるな、初めての経験ばかりである。人に聴いいてもあまり役に立たない。

自分の人生は自分で切り開いて行くしかない。強い意志と諦めない精神力で乗り切らねばならない。 しかし、肩の力を抜いて、腰を落としてじっくり前を見据えて行くことだ。

神応寺の和尚の講話より   【真実の姿を見る】から抜粋

よく考えてみると、私たちは常に意識して呼吸していない、自然に呼吸しています、みんな生かされているのです。私達の身体だって、一つ一つの生き物である細胞が寄り集まって新陳代謝して生きている。自分で生きているようでも、実は生かされている。だから自己の身体は自分の生命じゃない、ともいえるでしょう。
 
大きな宇宙全体、全部丸がかえで生かしてもらっているということでしょう。宇宙の小さな自己だけれど大きな宇宙に生かしてもっらてる、そういうことでしょう。
 
思い詰めて絶望だとか、窮地に堕ちて再起不能だと思い込むことも、実は自分勝手な思い過ごしなのです、自ら死を選ぶことは、我が儘かってな色メガネで見ていることに気づかなかったために起きてしまう悲劇であります。
 もっと大きく視野を広げて、真実の姿をありのまま、そのままに見ましょう、おのずと道もよく見えてきます、 自分の色メガネを捨てなければ、真実の姿はなかなか見えてきません。

結論は、人生の大きな波の試練が来たら、あわてず、「大所高所」から判断することだ。

★ちょっとしばらく、ブログ壮快 ウエブリSNSブログは休みとする。

2007年9月19日 (水)

自然に生きる

今日の名言

たいていの男は意気地(いくじ)なしね、いざとなると。

夏目漱石『行人』

今日の名言で心あたりがある。やっつぱり子供を生んで子育てをした経験からか、つくづく感じたことがある。それは、女度胸と言うのかな・・・今流行の「命を賭しても」の言葉を思い出す。子を産むということは、本当に死ぬ思いの経験である。その経験から、腹に座った考えになるのではないかと思うが・・・。

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 春夏秋冬の季節のめぐりだけでなく、大海の潮の流れや大気や地核の動きにいたるまで、大自然のめぐりは途方もなく大きいもので、それはどんな空間場所であろうとも、どんな生き物をもすべて包み込んでしまう、今年は例年になく各地で猛暑で埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で8月16日に40.9℃の最高気温が出た。(73年ぶりの更新とか)台風の襲来で各地に大きな災害がおこり、そして7月16日に新潟県中越沖地震が起こり、台風11号と前線の停滞の影響で東北地方に9月17・18日に大雨が降り、自然の脅威をことさらに強く感じる。
この世の森羅万象はすべて自然のめぐりそのものだが、自然のめぐりによって、植物や動物などのさまざまな生命体が存在している、それらの生命体はみな生まれて死んでいく。
 この世の自然なもの山川草木、森羅万象はたえず変化して一時も同じ姿をとどめていない、すなわち無常で、そのものだけが変わらないというものは何一つないということだ。ことごとく変わっていく森羅万象、その一つとして誰もが生まれてきた、そしてその一つとして誰もが死んでいく。どんなに生活が豊かになり医療が進んで、長寿社会になっても、人の生まれも死も無常の世だから例外はない。昨日も長島監督の奥さんの亜希子さんが亡くなったとのことだ。
 この世の生きとし生けるもの、植物でも動物でも、あるいは目に見えない微生物などの小さな生き物であっても、どんな命でも自然
のめぐりで生まれるべくして生まれてきたものばかりで、そして死ぬべくして死んでいく。自然のめぐりだから、自分の身体であるけれども自己の意志にかかわらず、生き死にしていくことを意味している。

自然に生きる・自然に逆らうことなど空しい。だから自然に生きる。

こんなことを記していたら自分にとっては、BIGなNHKのラジオのニュース流れてきた。(AM3時30分)

何かと言えば、

アメリカの中央銀行にあたるFRB・連邦準備制度理事会は金融政策を決める公開市場委員会を開き、「金融市場の混乱が景気全体に与える悪い影響を未然に防ぐ狙いがある」として、政策金利を0.5%引き下げ、4.75%とすることを決めた。金利の引き下げはおよそ4年ぶりだそうだ。

これで株価は好転することを祈るのだが・・・

2007年9月18日 (火)

高校生の自殺

今日の名言

我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遥かに物深い。

柳田国男『遠野物語・山の人生』
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兵庫県警少年捜査課と須磨署は17日、私立滝川高校(神戸市須磨区)3年の男子生徒(17)=同県西宮市=を恐喝未遂容疑で逮捕した。今年7月に校舎から飛び降り自殺した同じクラスの男子生徒(当時18歳)から、金を脅し取ろうとした疑い。被害生徒は複数の同級生に金を要求されていたと記したメモを残しており、こうした嫌がらせを苦に自殺したとみられる。県警は、逮捕された男子生徒を含む計4人が、被害生徒に40万円以上を要求していたとみて捜査していると言う。
 
 滝川高校の桐山智夫校長は17日に記者会見し、「このような事態になったことをおわびします。生徒の心のケアを含め、誠心誠意、対応していきたい」と謝罪した。そのうえで、校長は「生徒に対する聞き取り調査を行った結果、いじめがあったという情報はなく、少年の容疑と生徒の自殺との関係は何とも言えない。少年のグループが自殺した生徒に罰金を科していたという話は聞いていたが、仲間うちの冗談だと認識していた。自殺した生徒が日常的に助けを求めるサインを出していたのに、それを見逃していたおそれもあると思う」と話していた。

滝川高校といえば、進学校では全国的に有名校であるが、どうも名門を気にしての発言?のようであり、逃げている。この問題で気になる滝川高校の桐山校長の認識のなさ、普段から生徒の生活指導に対する軽薄さがうかがえる。

生徒と先生の関係は、夫々の学校で違いはあっても良いと思うが、記者会見で「少年の容疑と生徒の自殺との関係は、何ともいえない」とのことだが、自殺の事実はあったのだし、普段の生活指導や、今問題の進学中心の授業だけの人間教育を忘れてしまっていることが分るようで、何か私には、関係ないと言わんばかりか、学校の企業化、(進学率が良く、世間の評判を気にする)だけに目をそそいている、と感じた。

高校教育では将来社会に巣立っていく若者のが偏ってしまう事になりはしないか心配だ。先般授業の未修科目の問題もあったばかり、人間形成という尊い時間をそれなりに考えた教育は絶対に必要と思っているので敢えて取り上げた。

だから、これらの問題は、有名校に関係なく何処にも潜んでいる問題であるとの認識を持ち対応してもらい、事故があってからでは遅いのだ。「たら・ねば」では困る。

2007年9月17日 (月)

敬老の日にちなんで

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秋の野に 露負へる萩を 手折らずて あたら盛りを 過ごしてむとか   大伴家持

秋の野に露をいっぱい載せて重そうな萩、それを手に取って折り取らないで、惜しいことに、その萩の盛りをやり過ごしてしまったことだなあ。私の青春を返せと言うことかもしれない。正平調が、有本めぐみさんの拉致事件に触れて引用していた。

神戸新聞の正平調に、敬老の日にちなんで、こんな記事があった。                      十一年前、本紙くらし面の「ふれあい」欄に、九十九歳の男性からの投稿が載った。老いの心境を書いた味わい深い短文で、思わず切り抜き、ノートに張った。こんな内容である。

妻と死別した男性は独り身の生活に入った。体力、気力の衰えは隠せないが、生活が投げやりにならないよう、自分を厳しく戒める。「清潔な肌着を肌で感じるさわやかさ」。それを暮らしのなかで保とうと思う。だから、日々を漫然と送らない。

たとえば、掃除を欠かさずにし、家具は入念にふく。テーブルクロス、台所のふきん、洗面所のタオルは、常にきれいなものに替えておく。床の間に生け花、卓上に一輪挿し。たっぷりある時間を活用して、生活を工夫する。すると心が和む-という内容だ。

たいそうなことは、一つも書いていない。ちょっと気持ちを前向きにし、日々を装う。老いるほど、その価値が重くなると読めた。病への不安はつきまとう。しかし自分にこう言い聞かすと、最後に書いている。「自分で楽しい一日をつくるしかない」。

きょうは「敬老の日」。国民の五人に一人が六十五歳以上で、百歳以上が三万人を超えた。世界一の長寿大国と言っていいが、この国に老いを敬う気持ちが本当にあるかといえば、心もとない。高齢者福祉がもっと手厚くならないと、人数だけの「世界一」で終わる。

同時に高齢者自身も受け身でなく、「楽しい一日をつくる」という姿勢をより大事にしたい。白寿の投稿をあらためて読み返しながら、何度もうなずいてしまう。

私の感想

▼高齢化が進み、喜ばしいことであるが、生きるということは辛さと苦しみが伴うもので、このようにできるのは幸せである。『生きるすなわち苦である』より良い政治が望まれる。

▼今総裁選の候補者、麻生太郎・福田康夫候補が、テロ特措法・年金・格差で大きく取り上げている争点である。しかし、医療・介護・福祉と、独居老人の問題も忘れてはならない。

▼「生 老 病 死」は人間の一生の問題でこのことを考えるのが政治家である。安心して人生を送れる世の中にして貰いたいものだ。

目覚めに頭に浮かんだ

今日の名言

世間には完全な反目も和合もないばかりに、夫婦が互いにいや気がさしながらもずるずると、何年ももとのままで暮している家庭がたくさんある。

トルストイ『アンナ・カレーニナ』(下)

昨夜は良く眠れた。目が覚めると、山本周五郎の「樅の木は残った」の小説を思い出し、本の一節を記して見た。何故かというと、今まで生きてきて、自分がその当時に生きていたらどうなんだろう。と思ったことがあって、この小説を読んで印象に強く残っていた。

伊達藩が幕府からお取りつぶしになるかならないかの瀬戸際である。

そんな大変な時なのに、主人公の原田甲斐は、静かに笑っているだけだ。一人山に入ってのんびりと狩りなどをしている(ように見える)。藩を救うための具体的な動きをしないのだ。そんな彼に落胆して、親しい者までが彼の元を去っていく。

しかし、甲斐には考えがあったのだ。

藩を救うためには、もうこれしかない」といった最後の切り札を、彼は一人、心にしまい込んでいた。切り札を明かすことはできない。明かしてしてしまっては、意味がないことなのだ。そして彼は、そのシナリオ通り“狂った家臣”として、同じ藩の者に切り捨てられ、一人、血だるまになって死んでいくのであった。

これは、“守るべきもの”を守るために、命だけではなく、名誉までもかなぐり捨てて、壮絶に死んでいった一人の男の物語である。』

NHKの大河ドラマでも取り上げられて注目された。この小説は、現在の私の世情を見るときにこういう主人公のすざましい生き方、考え方など、通ずるところがある。

ちらちら日ごろに何か「ぼやー」として、いろいろ、過去の印象に残った出来事など、頭に浮かんでくることがあるが将にこれである。まあ・・・こんなことを記すなんて、初めてである。昨夜、NHKのラジオで山本周五郎の作品『藪の影』を眠りながら聞いていたので強く印象が残っていたのだろう。

遠い過去、忘れかけてしまって記憶は、定かではないが、そういったことは、誰でもあると思うがどうだろう。

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とにかく、目が覚めると直ぐに書かないと忘れてしまうので、忘れないうちに記して置くことにしている。

2007年9月16日 (日)

豊かな感性

今日の名言

復讐と恋愛においては、女は男よりも野蛮である。

ニーチェ『善悪の彼岸』

神応寺の和尚の講話

豊かな感性は、自己も輝き、他をも輝かせる      
        それは、やさしい心、美しい心の発露です。

 実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を撹乱(かくらん)する。欲望の対象にはこの患(うれ)いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。「スッタニパータ」
                                                                                           

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いつの時代でも人類の欲望は豊かさをもとめる、その欲望があるから科学技術が発達しました、その反面、いつもいろいろな問題も生じています。近年、地球規模で市場経済が広がるにつれて、国境を越えた犯罪やテロが多発するようになりました。強力な軍事力を持つ国が世界を制覇し、経済の論理を押しつけ、勝ち組と負け組をつくり、富む国と貧しい国の格差も大きくなっています。負の産物として、地球規模で環境汚染・温暖化が急速に進んでいます、また地域紛争も後を絶ちません。

 欲望の渦巻く世情では、お金ですべてが動きます、お金や物がありさえすればという考え方が日常的になっていますから、お金がすべてという価値観が、子供の心までも蝕んでいきます。国内においては犯罪の凶悪化、低年齢化、親の子殺し、子の親殺し、いじめやひきこもりなど、さまざまな深刻な問題が数多く起きています。長寿の高齢化社会、一方では子を産み育てることが少ない少子化、いわゆる少子高齢化が我が国では急速に進み、社会構造が大きく変化してきました。
 欲望の渦巻く世の中にあって、人は限りなく豊かさをもとめるけれど、お金がすべてである、お金ですべてが動くという価値観のみで、すべてが満足するとは思えません。

改革だの、イノベーションだのとカッコイことだが、そういうことが進めば進むほどひかりが当たり、輝いてくるが、その反面影の部分は色濃く残ってくるのである。

いま、国会では総裁選挙で大変である。改革を進めてきた小泉前首相の後を引き継ぎ、「改革を止める訳に行かない」。「改革なくして成長なし」宣伝文句であったが、ポスト安倍首相で立候補している。麻生自民党幹事長、福田元官房長官の一騎打ちだ。

何と言っても、国民の目線での政策をしてのらいたい。改革は痛みを伴うものだ。「光と影」において総合的に目配せをする政治が求められているのではないだろうか。・・・

講話にあることは、個人の利益を考え、弱肉強食そのままの世界から離れ、人に優しく、人間の心の豊かさと感性の醸成を忘れないことである。

2007年9月15日 (土)

総裁選に思う

今日の名言

権威を引いて論ずるものは才能を用いるにあらず、ただ記憶を用いるにすぎぬ。

『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』(上)

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変な形でリレーのバトンタッチをされていようとしている。果たして、1走の阿部首相が転んでしまって誰がバトンを拾うのか、麻生氏か、福田氏か、麻生氏は阿部首相に伴走して来たのだが多少、体の異常は解かっていたのか、本人は3日前とか・・・

しかし、どうも自民党の今言われている9グループの派閥構成が解からない。小泉前総理が「今の自民党をぶっ壊す」と言って総理になった。それを麻生氏が幹事長になった時の言葉に「ぶっ壊された自民党を修復するのは私達だ」と言っていた。

そうすると、安倍首相の「戦後レジュームからの脱却」が売り物だった、のは・・・しかし

転がってしまったバトンを拾う人が二人になった。一人は伴走者、もう一人は外野席で様子を見ていて、周りの人にはやし立てられて腰を上げたひ人?。

麻生氏の談話に、自民党の派閥の領袖に多くの人を取り付けた事を、皮肉たっぷりので、言っていた「舞台の幕が上がったと思ったら、何もしないで幕が下がってしまた」ようなものだ。これではちょっと覗いてみようとしている国民にはまったく見えない。

外野席にも入れない国民は、テレビ中継でしか舞台は見れない。まったく永田町の中だけにいる人の一部の(自民党)人間しか解からない事になって、麻生氏ではないが密室の談合?でバトンをそれらの人の近くに引き寄せてしまったようなものだ。

そんな背景で、走り出した選挙戦は、福田康夫元幹事長(71)と麻生太郎幹事長(66)との争いとなるが、「結果が出てしまっているつまらぬ田舎芝居」にしてはなるまい。

「平時でないから、私がやらなければならないと思った。まさに緊急事態だ」。福田氏は事実上の出馬表明で、こう強調した。参院選惨敗と安倍首相の唐突な辞任表明により、自民党は苦境にある、との認識だろう。

出馬に意欲を示していた額賀福志郎財務相も、福田氏との会談後、「党としては全員野球で難局を乗り切りたい」と語り、福田氏支持に回ってしまった。

まあ・・・自民党の派閥は、戦後よりの自民党の中の政党のようなものであり、そこに渦巻く利権の争いの場である。訳の解からぬお金の動く世界であり、まったく多くの国民には理解できない。

この舞台も国民の理解が得られるような、解かりやすいものにしてもらいたい。全て舞台裏は知らなくても良いが、なるほどといえる選挙戦にしてもらいたい。

もっとも大事な政策論議をして、国会議員や自民党員だけでなく、多くの国民に理解できる内容で、進めてもらいたい。

2007年9月14日 (金)

時は流れる

今日の一言

人は単に知っていることによって、知慮ある人たるのではなくして、それを実践しうる人たることによってそうなのである。

アリストテレス『アリストテレス ニコマコス倫理学』(下)  

何だか解からない勉強不足かな

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今日ぞ知る 秋をしきりに 降りしきる    夏目漱石

人問はば まだ生きて居る 秋の風       正岡子規

さよさよと 過ぎ行く秋の  湯殿川

風一つ   吹いて深まる  里の秋

あわただしい国会の中では、大変な人間同士の葛藤の渦である。本当に日本の国民の暮らしを考えてして頂きたいがまた、そのことの意思を持って国会議員になったのだろうか。

どうも怪しい、自分の利権に走っているようで仕方がない。小泉チルドレンなんて名称で呼ばれている自民党一年生議員の訳のわからぬ行動などや、総裁選の候補に誰を推すのか、派閥のやり取りは、外国人はどう映るのかと心配する。当然そんな事に目はいかない。

大きな険しい山のような、問題を抱えている日本の政治を日本の島のすみずみまで国民の暮らしをよくする事に命を張って取り組んでくれる人が日本のリーダーであると思う。これからの次のリーダー誰がなるのか、非常に気になるところである。

ただ安倍総理には、健康不備では乗り切れない,本当に残念だ。自分も経験をし、死ぬ思いで今を生きている。同情する。ゆっくり身体を休め、政界を外から眺める事にしたらいい。

2007年9月13日 (木)

宮本武蔵に学ぶ

今日の名言

(われ)事におゐて後悔をせず。

宮本武蔵『五輪書』

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宮本武蔵の五輪の書から、今の世情に生きるヒントが見出せるかもしれない。

萬事に於て我に師匠なし
 有名な一文である。『五輪書』の中でも五指に数えられるほど従来名高いテーゼで、解説本もこぞってこれに取り組む。
 しかしこれを、武蔵の「自信」とか、それと紙一重の「不遜」とか、そういう類の解釈をすべきではない。

武蔵の言葉だが、『独行道』の、
神仏は貴し、神仏をたのまず
がある。神仏は貴い=尊いが、自分は神仏を頼りにしないというのである。このポジションはいわば中世から近世への過渡期の思想である。少なくとも神も仏もない残酷な現世を生きて死んだ無数の人々の屍体から生じた思想であるにちがいない。

その当時の武蔵の行動は、日本に限られていたのだと思うので、地球規模の今の世界を全体を考えていかないと、いわゆる世界観の中で理論でなければ通用しない。しかし、五輪の書の思想が現代に生きれるかというと、充分に通用できるものがある。

昨日、安倍首相が辞任意思表示をした。この原因は、イラク・アフガニスタンなどで起きているテロ紛争で、アメリカのブッシュ大統領の政策に協力を約束してしまったが、国民の納得が得られないと判断した事が一つの理由である。

いま問題となっているビンラデイン率いるイスラム過激派の存在であろう。彼らにも理屈は民衆をあれだけ引き付けるものがあるのだから、話し合いも必要だろう。命を賭けて自分達の主張しているのだから、ブッシュ大統領も、安倍首相も、その事を理解して事に当たらないと解決ができない。

歴史を振り返ってみても1950年の朝鮮、1960年のベトナム戦争など多くの犠牲を払ったが結果が出ていない。もうアメリカのに頼る政策はアメリカでの国民からも反発が起きているのである。イラクや、アフガニスタンは、終わりなき戦争となって、世界の平和は来るはずもない。

眠れぬ夜に起きだして、考えてみた。未来を切り開くには「萬事に於いて我に師匠なし 「は貴し、神仏はたのまずと言う思想もあるのか・・・、今の世の中に通ずるものがあるのでは?・・・信ずるものは自分だけ?・・・

イデオロギーや宗教の違いでの争いは、過去の歴史を見てもすざましい争いはあった。これからの時代では歴史を学ぶ事の大切さを痛感するのであるが、何か解決の糸口が見付かると思う。

2007年9月12日 (水)

リーダーとは

今日の名言

おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。

岡倉覚三『茶の本』

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今日の一句

助手席に秋薔薇の束乗せ走る    (季語/秋薔薇)    木村早苗
(情景が鮮明で、あたかもトレンディードラマの一場面のよう)

Leaderリーダーとは、

与えられた状況のもとで特定目標や課題の達成に向かって人間(個人または集団)の活動に対して、影響を与える力(パワー)の行使のプロセスである。

ナチュラルリーダーシップ Natural Leadership

各人の持つ強みとスタイルを自然に活用し、リーダーシップを発揮する。

ナチュラルという言葉の定義を調べると、『自然の、無理のない、気取らない、天性の』とあります。また、リーダーシップは『与えられた状況のもとで、特定の目標や課題を達成するために、個人または集団に影響を与える、パワー(力)の行使のプロセスである』と定義することができる。

オーセンティックリーダーシップ Authentic Leadership

内面の考えや感情をオープンに表出し、外面の言葉や行動と合致させることにより、リーダーシップを発揮する。
オーセンティックという言葉の定義を調べると、『本物の、確実な、心からの』とあります。ここで言うオーセンティックとは『本物の』つまり、『あるがままの』という意味で用いている。

クリエイティブリーダーシップ Creative Leadership

新しい発想・アイディアを創出し、実践することでリーダーシップを発揮する。
クリエイティブ・リーダーシップは、組織が革新を起こしていくときにリーダーシップを発揮しなくてはならない人すべてに必要とされる。革新(イノベーション)とは「創造性+実践」である。

●今朝は、リーダーについて考えてみた。特に政治家のリーダーは重要性を問われる。自民党の安倍首相・民主党の小澤代表の役割とリーダーの評価は、受け止め方夫々だが、リーダーの国民に対する影響は計り知れないと最近日本の政治情勢などから思うようになた。

●身近な問題で、何時も考えている町会のことなどだが、リーダーの難しさはつくづく感じさせられることが多い。リーダー・「犠牲精神と奉仕活動」の両立などだ。

2007年9月11日 (火)

秋の夜長

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『夜を更かしゐることのふと秋めける』 山川能舞

 夜更かし=夜遅くまで起きていること=と辞書にある。何か納得がいかない。毎日毎日の熱帯夜に輾転反側七転八倒、ただただ眠れずに虚しく時間だけが過ぎてゆくことをも夜更かしと言うのかしら。どうせ眠れないのなら、いっそ起きてしまって何かすればいいじゃないかと思うのだが、とてもそんな気力はないし、横になっていれば眠るかもしれないと期待をするので、なかなか床から離れられないのだ。夜は刻々と更けてゆく。更かしているのではなく更けてしまうのである。しかしある夜、起きていたくて起きている自分にふと気がつく。眠ってしまうのが惜しい気がする。そう思うともはや炎熱の匂いは消え、どこからかかすかな涼気がしのび込んでくる。しまい忘れた風鈴がチリと鳴り虫の声がする。やっと夜更かしのできる季節になったようだ。

上記のような句を探してみた。近年の夜の眠る時間は人間の生活の基本であるが。24時間起きている時間・寝るている時間がはっきり分けられない。例えば3時に起きて6時30分に朝食・後8時に仮眠(約20分)11時30分に昼食後30分仮眠し、夕飯5時30分に夕食し8時睡眠と言う具合である。起きている時間にパソコン・散歩などの運動を心がけている。だから夜は、2時3時に起きてしまうことはしょっちゅうである。これが生活のパターンになってしまったようだ。

そんな静かな長夜に、起きてパソコンでブログを書いていると、雨戸の外から虫の鳴く声が大きく、あちこちで聞こえてくるようになった。ああ・・・暑い暑い、寝苦しい夜も夜半には涼しい風が何処となく入り込んで、秋の気配を感じるようになったもんだ。

   秋たつも  まだ青々の 沙羅双樹    

我が家の狭い小さな庭に、自慢のシャラの木が春から夏にかけて青く茂っていた。が、この頃は色が薄れてきて水気がなくなってきて、色あせてきたように見える。やがて、紅葉の時期を迎える事になるだろう。今朝、庭に出たら、油蝉が仰向けになってバタバタ羽を動かしていた。そっと木の枝に添えてあげた。羽化の時期がおくれたのか?多分昨夜幼虫から成虫になり羽化したばっかりだったのだろう。そして、急に雨が降ってきた。 生命の尊さを感じた朝だった。

てんてん‐はんそく【輾転反側】しちてんばっとう【七転八倒】



自分は一人

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今日の名言

なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人のほうが、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね。別れたあとってそうらしいわ。

川端康成『雪国』

昨夜も眠れぬ夜を過ごした。

やっぱり早く寝るから、夜中にトイレに起きてしまうのかなあ・・・布団に包まって目をつぶるのだが、我慢が出来ない。仕方なし起きてしまいパソコンを弄ってしまう。こんな生活が続いて10年、無意識に過ごしてきたがいいのかなあ・・・

今朝こんなな事をかがてしまった。「人類が生存して何億年、生まれては死に生まれては死に、途方もない歴史があって、いま自分がいる。絶対に過去には自分はいなかった。」今自分いるのは、過去の人達がいたから自分がいるのである。その歴史をさかのぼって、関わりあった過去の人が、一人でも、欠けていたら自分がいない。

だから、今いる事は何万分の1の確立であって偶然なのだ。そして、若しかして牛や馬か、他の動物だったかもしれない。今地球上では67億の人間がいるが、自分は私一人であり、他にはいない。何だか不思議だ。なんか訳もわからない事を考えてしまった。

地球上の生物はみんな、同じで、コオロギだって、庭にいる雀だって、一匹、一羽だって同じ生命体はいないのである。だから自分も同じである。科学が進歩してクローン技術で、生物が人工的に出来たとしても、心の中までは同じには作れないだろう。

たった一つしかない生命尊び、愛情を持って慈しみあうことが、自分にとっても大切なことだ。

志賀直哉も言っている。

「人間といふものが出来て何十万年になるか知らないが、その間に数へきれない人間が生れ、生き、死んで行った。私もその一人として生れ、今、生きてゐるのだが、例へて云へば、悠々流れる大河の水の一滴のやうな存在で、しかも、一滴の水である私は後にも前にもこの私だけで、何万年溯っても私はゐず、何万年経っても再び私は生れては来ないのだ。過去未来を通じ、永劫に私といふ者は現在の私一人なのである。」

神応寺の和尚の講話から

自己をはこびて、万法を修証するを迷いとす、万法すすみて、自己を修証するは、 さとりなり 」修行 と証(悟)は 一つのものです、修行に終わりはありません、 証(悟)に 始めはありません、広大無辺の悟りの世界にいながら、それに気づかずに迷っているのが私たちです。
人は広大無辺の悟りの世界に生かされている、今、生きているこの世界はすべて悟りに満ちている、けれども人はいつも満ち足りない思いに心は乱れ、迷い苦しんでいます。 迷い苦しむ自分自身こそが、真実の自分の姿であり、日々の生活、生きることが修行です。
 良寛さんのお歌に「裏をみせ 表をみせて 散る紅葉 」 というのがありますこれは迷悟にもこだわらない生き方を貫かれた良寛さんの生きざま、そのままが現われたお歌ではないでしょうか。

2007年9月10日 (月)

世界の人口のこと

今日の名言

惚れきっていてしかも疑い、あやしみながらしかも愛さずにおれぬ男はなんという呪われた月日を過ごすことでしょう!
シェイクスピア『オセロウ』

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      「世界人口の推移 」 (国連人口部)

「自在放言」361より(抜粋)web site

現在世界人口は年に8000万人が増加しており、その殆どが発展途上国である。

その理由は、自給自足をしている社会では、食料の生産・供給量以上には人口は増加しないで安定している。それに反し、従来先進国に於いては、植民地や発展途上国から「食料」や「資源」を獲得したために人口が増加していたが、最近は発展途上国も先進国に「資源」や「換金作物」を輸出することによって貨幣が入ってきたので食料を獲得できるようになり、人口が増えだしたと言われている。

つまり人口爆発は先進国の途上国への依存によるものだと言われているが、理由は何であれ人口が爆発的に増えている状態には変りはない。

先進国では一人当たりのエネルギー消費は途上国の60倍を超えている。これから発展途上国が発展してゆくとエネルギーの消費は益々増え、廃棄物の量は増えざるを得ない。環境に悪影響を及ぼさないエネルギーの開発が急がされる所以である。

廃棄物が増えれば益々人を減らす要因は増大する。廃棄物による環境の変化(特に二酸化炭素の増加)が起きることによって、人口の減少には拍車がかかる。現在もすでに気候の異常変動が発生してきており、生物に大きな被害を与え出している。

更に人為的な要因として、人が増えれば争いが多くなり戦争による人口減少もあり、また病気の流行、環境への適応性の欠除、等により人の減少がどんどん進むことになる。人の減少を止める事は出来ないだろう。これが自然の成り行きではなかろうか。

また大きな地殻変動も起こる筈だ。

日本では、少子高齢化が進んで、大変な問題となっている。人類史上の観点からも大きな変換点がきているのかな・・・

爆発的人口増加の現状に国連も、黙ってみているとは思わないが日本では、大きく取り上げられないのは何故か解からない。0261 33s1

2007年9月 9日 (日)

高齢化の不安

今日の名言

まず食うこと、それから道徳。
ブレヒト『三文オペラ』

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少子高齢化が進んできたことに今、実感する。このことで多かれ少なかれ、誰もが考え、悩んでいることだと思う。将来の行く末はどうなるのだろう、家を継いてくれる人が居ない、老老介護となるのでは、など大きな社会問題となってきた。自分達も終の棲家を考え、丈夫なうちに、介護・病院・趣味を生かせられる施設を体験入居したり、共同生活の施設を見学したりして、非常に関心が高くなった。

今高齢者の悩みは三つのKがある。「一つに、金、二つに健康、三つ家族」不安だ。

①これから、年を重ねて行って、お金がなくなってしまったら、子供も寄り付かないだろう。

②何と言っても病気になることでその先が非常に不安になってしまう。

③自分達がいなくなったら、いま住んで家はどうなるのだろう。

核家族の問題・嫁姑の問題・時代に不同調の問題など、社会構造の変化に対応出来ないスピードで世の中、便利さだけを追求の結果だ。

ハードは進んでいてもソフトが同調して行けない事に政治が見落とした結果だ。将来のことは、自分達で針路選択しないといけない、あまり年を取らないうちに・・・・

神応寺和尚の講話から

高齢化社会が急速に到来してきた。今、この時代を生きるものにとっては、先行きの生活不安を思いながらも長寿を願っている。自らの行く末や、親や伴侶の介護などについても、これほど多くの人々が思い悩むという時代はかつてはなかった。
 昭和22年~24年に生まれた人達は団塊の世代といわれている。日本の人口構成の上でも世代人口がダントツに多いのだが、その人達が還暦をむかえ、そして多くの人々がリタイヤすることから、今後の生き方や社会との関わりについてなど、注目されている。いわゆる2007年問題といわれて久しいが、今年はその年になったのだ。団塊の世代の人々が還暦をむかえて、それぞれの生き方を模索しはじめたということだ。

 かつて人生50年といわれた時代では、人は誕生から成人するまでの成長期の20年間を除くと大人期間は30年間を生きた。これにくらべて人生80年の現代では大人期間が60年を超えるから、2倍の人生を生きるという計算になりる。
 人生50年の時代では還暦をむかえることは人生の終焉を意味しだが、今日の長寿の時代では大人期間の中間点という思いを持つ人も多いようだ。自分の思い通りにならないのが人生だとわかっているけれど、だれでも自分の5年先、10年先のことを思うものだ。そこで還暦という人生の節目に視点をおいて、さまざま思いめぐらしてみることになる。

2007年9月 8日 (土)

表現の上手・下手

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今日の名言

(げこ)ならぬこそ、男(をのこ)はよけれ。

兼好法師『新訂 徒然草』

表現の上手な人、下手な人はいるもんだ。自分の気持が相手に旨く伝わらないことって幾らでもある。

相手に伝わる手段は、言葉・態度いわいる体全体で伝えると言うことだが、心の表情(感情・喜怒哀楽)をつたえることである。いま、自分の存在をアピールする手段では、手紙・電話・メール・ホームページなどの昔は無かった伝達手段がある。

小説・詩・短歌・句・絵画・音楽・スポーツなど(いわいる芸術・芸能・スポーツ)も自分をアピール出来る手段であるが、上手にアピールできない人がいる。

presentation (プレゼンテーション)上手にまとめ発表できるのもある程度の訓練が大事であると思うが、なかなか難しい。

しかし、漫才や落語のように大衆をひきつけて笑わすことが出来る人などは、上手でないと仕事にならない。本人は、心から、一生懸命の表現して相手に伝えようとしているが、相手は真意が伝わらないことって誰でも経験していることだと思う。

人間社会では、communication の手段は沢山あるが大事なのは、相手の意見を聞く、ということである。それが民主主義の基本であり、人間社会の基本である。

世の中、煩雑多岐と早急多忙な事に付いていけない人間が出てしまい、それが現代病のうつ病となってしまうのだ。それが高じると、自殺に追い込まれるのである。

表現の下手な人に自信を付けさせるのも、社会的大事なことで、本人の心の訴えを聞く認めてあげる、人権尊重の基本であると思う。

こんなこと書いてきたが、自分が常日頃相手に旨く自分の気持を伝えることが出来ないで、もどかしい経験があるから、いつも上手に伝えるにはどうしたらいいかと悩んでいためで、その思いを記してみた。

世界の民族を大小様々であるが少数民族を尊重し、国連でも少数意見聞くという事その国の訴えのも耳を貸す態度が大事で、紛争を無くすことに繋がると思う。

遠い太平洋の島の国(セシル諸島?)で地球温暖化で島が沈没し10万人は島を放棄せざるを得ないで移民先を探していという。強国のアメリカ・中国・インドなど一人よがりでは困るのである。地球環境に理解して欲しいものである。人間愛は本来弱い者の見方である筈。

エイペックの首脳会議はオーストラリアで開かれる。安倍首相は環境問題で主導的的立場で訴えるという、大いに結構だ。

2007年9月 7日 (金)

眠れぬ夜

透きとおる 木の葉の先きに 秋の空

白樺の 白い木肌に 秋の風

萩の花 木陰を抜けて 大泉

高原の 雑木の山に  吾亦紅

女郎花 草原の中  咲きにけり

「萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花また藤袴 朝顔の花」 (万葉集)     

山上憶良が選んだ秋の七草だが、なかでもハギは抜群の人気で、万葉集では141首と、植物では最も多く取り上げられているそうだ。

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今朝は、台風9号で風と大雨で眠れむなかった。平塚の相模川・調布の多摩川の増水で氾濫危険水域を越えてきたたとのNHKのラジオである。

各地で大雨での被害が心配である。八王子市を通過中と3時のニュースであったが、この辺は強い雨が降ったが、風はさほど被害が無いようであった。夜が明けないと分らないが・・・昨夜は、我が家なりの備えはしたが、たいしたことがなく良かった。

眠れぬ夜に一昨日八ヶ岳高原のドライブに行って来たが、とても天気がよく新鮮で明るい印象であった。そこで、句を考えてみた。とても、旨いとは思えないが自分なりに頭を絞った積りである。

NHKラジオ深夜便を聴きながら、駄句を考えているうち夜が明けて、九月7日を迎えられた。元気でおれて有り難い。

2007年9月 6日 (木)

台風いよいよ接近

今日の名言

良人(おつと)というものは、ただ妻の情愛を吸い込むためにのみ生存(せいそん)する海綿に過ぎないのだろうか。

夏目漱石『明暗』

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台風9号は東海・関東に上陸する事が高まったとの午前3時のNHKラジオの情報である。昨夜来時おり車庫の屋根に大きな音を立て大粒の雨が降って、目を覚ます。関東地方を中心に大雨に対する洪水注意報と土砂災害に対する警報が伝えられていた。

当地方では、土砂災害・大雨に対することはあまり心配はないが、風に対しては心配である。樹木の倒壊・屋根等の損壊などが非常に心配である。勿論鉢物などの片づけをしないといけない。特に屋根が飛ばされる心配はある。

昨夜孫娘から電話がかかってきて13日に幼稚園で敬老会があり、「じいじ・ばあば来てくれる」とお誘いである。毎年行っているが、「今年は病院で検査するので残念だが行けないといと言ったら」何だか淋しそうだった。

子供の成長過程において、親や家庭環境が子供のこころの発達に影響をあたえる。昨今、家庭において、親が子を虐待したり、子が親に暴力をふるう、家庭内でも傷害や殺人事件がおきている、教育の場である学校でも暴力、いじめ、登校拒否、など深刻な事態が生じている。親と子、教師と生徒との間柄を、ともすれば距離をおいた 「人間関係」として認識しようとするから、あたたかみのない冷え冷えとしたものになってしまう、そうでなく、温情の強い命の絆で繋がった間柄であれば、、思いやりの心、やさしさの心を失うことはないと思う

今、国会議員・公務員などの不正などで大変混乱している。また教育現場でも家庭でも、乱れてしまっている。世間一般に言えることは恐ろしいこと「常識の認識基準がぶれてきてしまっている」である。

このようなことでは子供の影響は計り知れない、悪影響がでるであろう。その事を認識している人は何人いるのだろうか。不正が分っての会見は決まって責任者の頭を下げる光景がテレビに映し出される。そして「二度とこのようなことはいたしません」が今でも続いている。「飲酒運転で痛ましい事故は後を絶たない」のと同じである。

テレビで、茨城県のある市の市議報酬費の値上げで、市長から提案があって市議会で40パーセント報酬アップが認められてしまった。お手盛りである。これに対して、長崎県のある市では、市民のオンブズマンの一人が呼びかけて、不正を署名活動などで訂正させたということだ。

欧米では市議の報酬はゼロでみんな職業を持った人が名誉職でボランテアで働いている。日本では、専門職の人もいるとか、議会がある日は毎日あるわけでないし、『公僕』の認識を持ってもらう事は言うまでもないが。

世の中、「右を見ても、左を見ても真っ暗じゃございませんか?」と鶴田浩二の歌の文句みたいで淋しい。「物は豊になっているが、心が満たされない」

2007年9月 5日 (水)

ドライブの思い出

今日の名言

たいていの人間は大部分の時間を、生きんがために働いて費す。そして、わずかばかり残された自由はというと、それがかえって恐ろしくて、それから逃れるためにありとあらゆる手段を尽くす。
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』

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この秋は 何で年寄る  雲に鳥     芭蕉

昨日、体調がちょっと悪かったこんな句思い出してみた。

 この秋は、まさに人生の終りの秋だったのである。夢は枯野をかけめぐり、身に深い老いを感ずる。秋風に運ばれるように雲は流れ去っていき、雁は北に向かって発つ。芭蕉の死期はもう近い。

白樺と  ススキが似合う  八ヶ岳

岩肌に  野菊の白き   花一輪

うま子らは  繋がれままの 萩の庭

清里の  高原はるか  秋の風

昨日八ヶ岳高原にドライブに出かけた。もうそこかしこに、秋を見つけることが出来た。萩の小さく赤い花が咲き、広い草原から、吹く風は秋の匂い感じられた。

神応寺和尚の講話から

春夏秋冬の季節のめぐりだけでなく、大海の潮の流れや大気や地核の動きにいたるまで、大自然のめぐりは途方もなく大きいもの、それはどんな空間場所であろうとも、どんな生き物をもすべて包み込んでしまう、そして新潟県中越地震と、自然の脅威をことさらに強く感じる。

 この世の森羅万象はすべて自然
のめぐりそのものですが、自然のめぐりによって、植物や動物などのさまざまな生命体が存在している、それらの生命体はみな生まれて死んでいく。
 この世の自然なもの山川草木、森羅万象はたえず変化して一時も同じ姿をとどめていない、すなわち無常で、そのものだけが変わらないというものは何一つないということだ。ことごとく変わっていく森羅万象、その一つとしてあなたも私も生まれてきた、そしてその一つとしてあなたも私も死んでいく。どんなに生活が豊かになり医療が進んで、長寿社会になっても、人の生まれも死も無常の世ですから例外ではない。

 この世の生きとし生けるもの、植物でも動物でも、あるいは目に見えない微生物などの小さな生き物であっても、どんな命でも自然
のめぐりで生まれるべくして生まれてきたものばかりでだ、そして死ぬべくして死んでいく。自然の巡りだから、自分の身体であるけれども自己の意志にかかわらず、生き死にしていくことを意味している。

昨日のドライブの印象を思い出し、記してみた。

2007年9月 4日 (火)

9月の思い出

今日の名言

きのうの出来事に関する新聞記事がほとんどうそばかりである場合もある。
しかし数千年前からの言い伝えの中に貴重な真実が含まれている場合もあるであろう。
『寺田寅彦随筆集』(四)

Higanbana21 彼岸花【曼珠沙華】

といえばお袋がよく言っていた。

「そんなもの取ってきたら家が火事になる」などと叱られたが,それは,彼岸花に毒がある(リコリン)ので,子どもがそれに触らないようにとの親心もあったのかもしれないなあ・・・。

September

日差しが、縁側の奥のほうまで差し込んで、障子のガラスまでとなって、太陽が南に傾いてきたなあ・・・と感じる。それは日が短くなることである。また「暑さ、寒さも彼岸まで」という、昔の人の知恵に納得。

長い夏休みが終って、学生は2学期である。真っ黒く焼けて顔で、宿題を持って、みんなと会うのも楽しみでもあった。

そして、夜が長く感じる“月”=15夜は、縁側にススキを飾り、初物のサツマイモ・栗・柿などをお供えた。そして、そのお供えを子供達が盗んでも大目にみる風習があって、子供達が人目を盗んで家々を回って柿などを、「ちょっと失敬」し食べた。

彼岸は、お墓参り、南傾斜の高台にある墓地に行く途中の土手に毎年、まんじゅしゃげ(彼岸花)が咲いていた。この時期に咲いて、季節の移り変わりを感じる。そして墓地から見下ろすと、田んぼの稲は黄色く色づき、百姓の収穫時期の始まりでもある。また向井側の山では、「もず」の甲高い声も聞こえてくる。

9月(くがつ)はグレゴリオ暦で年年の第9の月月にあたり、30日ある。

日本では、旧暦を長月(ながつき)と呼び、現在では新暦9月の別名としても用いる。長月の由来は、「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力である。他に、「稲刈月(いねかりづき)」が「ねかづき」となり「ながつき」となったという説、「稲熟月(いねあがりづき)」が略されたものという説がある。また、「寝覚月(ねざめつき)」の別名もある。

英語での月名、Septemberは、「7番目の月」の意味。実際の月の番号とずれているのは、紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で、(そのため年末の2月は日数が少ない)3月から数えて7番目という意味である。7月と8月にローマ皇帝の名が入ってずれた、という説は俗説らしい。

そんな思い出のある9月子供の頃を思い出し記してみた。

この記事を記している時午前4時のNHKニュースで、イチロウ選手が7年連続200本安打を達成した。すごいなあ・・・

今日は幸一さん夫婦(義理の弟)と八ヶ岳にドライブを誘われている。夜が明けるまで横になるか・・・

2007年9月 3日 (月)

秋の気配が・・・

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桐一葉 日当たりながら 落ちにけり  高浜虚子

秋の明るい静けさの中を、大きなきりの葉が一枚、日の光を受けながらひらひらと落ちていった。 
秋の深まりをしみじみと感じている句。季語:きり一葉(秋)

くろがねの 秋の風鈴  なりにけり 飯田蛇笏

夏からつるされたままの鉄製の風鈴が、秋風に吹かれてとつぜんチリリリンと鳴り響いた。ああ、もう秋だなあ。
語:秋(秋)。「風鈴」は夏の季語だが、「秋の風鈴」と表現しているところに、ユーモアがある。

河川敷  きちきちと鳴き  バッタ飛ぶ

暑さも、和らいだ日に河川敷を歩いていたら草むらから、一匹のバッタがきちきちと羽音をさせてとんでいった。何となく秋めいた午後である。

神応寺和尚の講話から
命の重み
 ほんの少し前の時代では、病気になっても自宅で療養する人が多かった。衰弱していく同居の肉親の姿を子供は見続け、同じ苦しみを家族が共有する介護の生活を余儀なくされた。けれども近年、人の死はほとんどが病院であり、臨終を処置の施された病室でむかえることになるから、子供たちは命の重みを感じることがない、人の死が家庭から遠のいてしまった。
 三世代が同居する家庭であれば、老いて身体の自由がきかなくなっていくお爺さんお婆さんの姿を見て、子供は老いを理解したが、老人と同居しなくなると、子供は老いの姿を日常的に、目にしなくなった。高齢化時代では一人暮らしの老人が増え、孤独な老人は子供とふれあうこともない。

 また一方では自ら死を選ぶ人が年間に3万人を超えています、子供の自殺もあるけれどほとんどが大人であり、子供には死という現実を認識しても、親の自殺の意味が理解できない。
 そして人は死をむかえても末期の水はなく、遺骸は葬儀社へ運ばれて商業ベースのもとに商品化されていく、そこには肉親の死を葬る儀式はなく、演出された告別の式として、葬儀業者さんのサービス業のシステムの流れで処理され執行されていく。・・・・

人間の最後の儀式はこんなんで良いのかと、常日頃から思っていたが住職の講話に同感した。

一人の人間が多くの人に関わりあって生きてきた、その清算をする葬式と言う儀式と言うもののあり方、またそこまでに至るまでのプロセスなどを総合して考え直すことが必要かと思う。

その上で、そこから人間愛・人間の生き方などの勉強を真剣にするようになることで、人間の命の尊さを知る事になるのではないだろうか・・・・。

2007年9月 2日 (日)

心のゆとり

今日の名言

鉄が使用せずして錆び、水がくさりまたは寒中に凍るように、才能も用いずしてはそこなわれる。
『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』

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このところ、大分暑さは落ち着いた感じで楽になったようだ。そして、今夜は夏の格好でねていたら、寒さで目が覚めてしまった。なんて気温に敏感なんだろうと思った。なにしろ、、体調が戻っていないので季節の変わり目は注意しないと風邪など引いてしまいそうだ。

暑い夏、住吉のお祭りも終わり、湯殿川に植えた黄コスモスの花も一杯咲き出して250メートルの花の道を作って通行する人々の目をなごませている。

今、環境破壊、子供の教育、防災防犯、地域連帯、など経済成長がある中裏腹な問題がクローズUPされてきた。便利さだけを追求して、バランス感覚を失わせてしまうことになっているのに、気がついていないのではなかろうか・・・・。

人間本来の姿に戻って考えてみると、自然の美しさには、人の手で作ったいわゆる造花では、飽きが来て、趣が異ってしまい、人間の一番大事な『心』『愛』『温もり』を感ずることが出来ない。

湯殿川の堤防には、ススキの穂がでて、初秋の風に揺れだした。岡の上の栗の木がはぜて茶色な“いが”の中にふっくらした実は詰まって落ちていた。そして、柿の実や、梨、などが実る秋となった。今まで青々とした田んぼの稲も黄色く彩り、穂のこうべを下げてきた。やがて、澄んだ青空の下に稲刈りが始まるのである。そいう自然の移り変わりが、感じられる心のゆとりを持ちたいものだ。 今朝は、そんなことを考えてみた。

道元禅師の言葉の中にこんな言葉ある。

あきらかにしりぬ、心とは山河大地なり、日月星晨なり
道元禅師(正法眼蔵・即心是仏)

高度に発達した文明の中に生活する現代人は、自己中心のこころでものを見、聞き、思い、行動している。山河大地を相対としてとらえ、自分の思い描く観念でイメージしたものとして認識しているから、大自然との関わりなしに生きられないと、自己中心的に理解しているにすぎない。
自己中心のこころにとらわれているうちは、一切のものが見えているようで、見えていない、聞こえているようで、聞こえていない、とらわれ心が無くなったとき、山河大地、日月星晨のほかに心なく、一点のかげりもない。星辰(せいしん)=星座

今日この頃・・・・                                            秋来ぬと 目にさやかに 見えねども 風の音にぞ おどかれぬる    藤原 敏行

秋が来たと目には、はっきりとは見えないけれど、吹く風の音で、もう秋なのだと、はっと気づかされる。(古今和歌集)

「来ぬ」=来た。「さやかに」=はっつきりと。「おどろかれぬる」=はっと気づかされる。

2007年9月 1日 (土)

野の花の如く

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今日の名言

恋というやつは待つことを知らないもので、これがいったん若い男女の血の中にはいったが最後、はたのものが許してくれるまで待つなんてことがあったら、それこそ奇蹟というものだ。
ジョルジュ・サンド『愛の妖精』

神応寺の和尚の講話から・・・

野の花の如く  
 UFJ信託銀行の遺言川柳の入選作に「百歳の 遺産受け継ぐ 八十歳」というのがありました、日本人はとても長寿です、女性85.33歳で19年連続世界一、男性は78.36歳で第三位だそうです。人生50年の時代と比べて人生80年の時代に生きる現代人は、幸せな生き方ができているだろうか、年老いて心身ともに辛い思いをしてまで生きながらえるより、早く命尽きることを願う人もあれば、80歳を超えても青年のようにいきいきと日々を生きている人もいます。
 長寿とは一度きりの命が長生できるようになったということです、二度と生まれ変わってくることができない命だから、平和で幸せな世の中であればこそ長生きできるのだということを、大人はもっと子供たちに教えていくべきでしょう。

 同じ泥の中にあって芽生えた蓮の花の咲き方に違いがあるでしょうか、芽生えたことを喜び、美しい花を咲かせているのが蓮です。生きとし生けるものすべてが生まれるべくしてこの世に生まれてきました、野の花の如くすべて縁によりこの大地に芽生えたものばかりです、だから野の花の如く、そなわりたる美しい花を今生で咲かしきらなければ芽生えた甲斐がないということでしょう。人生は一度きり、生まれ変わってもう一度は絶対にない、だから今生きているということがすばらしいことであり、どんなに辛く悲しくともそれに耐えて生き抜くことを、大人は子供に教えていくべきでしょう。
 UFJ信託銀行の遺言川柳の入選作に「物よりも 相続したい 母の味」というのがありました、親の生きざまを見て命の使い方を子供が学ぶ、当たり前のことがとても大切な意味を持つのも現代でしょう。

遺言川柳には、他にこんなものがある。(03年UFJ信託銀行)

特選] 遺書書いて  腕立て伏せを  二十回
[入選] 遺言も  開けてみるまで  宝くじ
情よりも  法が出しゃばる  遺産分け
書き替える  たびに痩せゆく  遺産額
通夜の席  銀行マンが  勢揃い
遺言を  地球が書いて  いるらしい

他に佳作では・・・・

どこからか  首だしてくる  遺産分け
家計簿に  挟んであった  遺言書
遺言状  誰も知らない  名が交じり
句読点  きっちりと打つ  遺言書
終章は  「信託」と書き  安堵する
遺産分け  親不孝ほど  よくしゃべり
遺言を  書くと一気に  海が凪ぐ
遺言の  中味で家族  大笑い
遺言を  考え直す  棺の中
遺言も  親父らしいと  泣き笑い
遺言に  皆んなの顔が  弾んでる
紙ふうせん  まあるくたたむ  風の遺書
身内から  火の手のあがる  遺言書
バブルで変え  デフレで直す  遺言状
遺言で  結び直して  いる絆
遺言へ  妻が本気に  なってくる
正直に  いえぬから書く  遺言書
魚焼き  ながら遺言  考える
遺産分け  ホームページに  載せてみる 
遺言の  逆転劇を  夢に見る

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