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2007年4月

2007年4月30日 (月)

草いきれの思い出

5月になると、湯殿川の河川敷の雑草も延びて、麦に似た草は穂出す寸前である。この草は、外来種で、繁殖力の強い草でその花の花粉が飛んで花粉症の原因になって、悩んでいる人もいると聴き、何とか処分しなければと思っていた。

何時も河川の清掃や交通安全に関心を示してくれている尾川さんに、草刈機で刈っていただき綺麗になった。残った所を鎌で刈り取ってすっかり綺麗になった。

日差しの強く、汗をかいて慣れない作業で大変だった。草いきれを久しぶりに味あった。そして、昔牛の餌に草刈りをした事を思い出した。草刈籠のぎゅうぎゅう詰め込んでその上山盛りにするまで刈って、背負って、坂道を登り家まで運んだが草いきれの、生臭い草の匂いを忘れられない。そして汗でびっしょりの首筋に草の葉がひっついて皮膚が赤くはれ上がってしまった事も懐かしい思い出した。また、田んぼのれんげが、いっぱい花をつけた絨毯のようなところに仰向きになり青い空を見ていると、あの草の匂い、爽やかな風は何ともいえない思い出がある。

そんなボランテアを午前中に行った。(安井さんにお茶を貰う)

今日は夏日(25度)となる。透き通る青い空、気持ちよい風、すっかり初夏に移ってしまった風景となった。

   手洗いの  花瓶の水も  夏隣

   葱坊主   追い草の上  頭だし

夏近し、春の盛りを過ぎる頃には、身の回りのそこここに夏の兆しを感じてきた。山も川も、そして海も、吹く風までも開放的な気分を盛り立ててくれる。身も軽く汗ばむ身体も心地よい、こうした気分は惜春の気持よりも、夏を迎えるという嬉々ととした心持が誰で沸いて来る。

2007年4月29日 (日)

花の色について

四季色とりどり花はある。今朝は、何気なく只綺麗な花を見て日との心を和ませてくれる、花の色について、気になったので調べてみた。

今日の花は、こでまりの花で、眩しいほどの純白な丸い花の玉が、垣根から毀れるような、そして女姓の着物の裾模ようである。

1 花の色を決める色素は

◎ カロチン類・・オレンジ黄色赤色から、濃い黄色や、橙色の花に多く含まれる。水に溶けず、油に溶ける。

◎ フラボン類・・薄い黄色から濃い黄色の色素群・アントシアン色素と類似した構造を持つ、野菜の煮付けが黄色になるのは、この色素が溶けた事による。溶液の酸性度で、色が変わり酸性では薄くアルカリ性では、濃い発色をしめす。

◎ アントシアン類・・ピンクオレンまで幅の広い色素群。溶液の酸性度で色で変化し酸性では、赤、中性では、紫アルカリ性で青を示す。ただし、この色素は酸性溶液では、安定しているがアルカリ性溶液では不安定で極めて短時間に分解する。

2 色素の花びらはどこにある

◎色素の花びらの表裏の表皮部分に含まれており、中心には、含まれていない、紙を千切るように花びらを引き裂くと、薄く剥がれた表皮に色があるのが分る。

3 白い色素はどんな物質

 白い色素はない。白い花の色素の本体は花弁表面の色素細胞の下にある。海面状の細胞の小さな気泡。花弁細胞表面色素細胞中には、黄色のフラボン系色素がわずかに含まれるが、色としてはほとんど感じない。このような場合は、黄色が目立たず、下にある海面綿状細胞に当たって反射した光が白く見える。タイトルを黄色にしてみたが、目立たないことがお分かりかと思う。なお、花弁は厚いほど白さが発揮される。

4 黒い花の色素はどんな物質

◎ 黒い色素はない。黒花の原因は、二つある。一つは紫の色素が多量に含まれる事によって黒く見えること。もう一つは、凹凸になっているが細胞の花弁に拠る表皮細胞は、小山が連なっているように凹凸になっているが花弁に光が当たった時点に、この小山が高いほど山の影ができやすい。影は暗く見えるため紫色素の花が寄り黒く見える。

5 色に厚みがあり、柔らかなビロード状に見える花がある。

◎ 4と同じ同様の原因。花弁に当たったとき、花弁表皮がの表面の色素細胞の小山の凹凸がきついほど、光が細胞の凹凸の隙間で乱反射する。このた色感に厚みが出て柔らかなビロード状を呈する。反対に細胞の凹凸が少ない花は金属質のクリヤーな色感になる。

※①アントシアン=(anthozyan)植物に含まれる色素の一種

※②アントシアニン(anthocyanin)抗生物と知られるポリフェノール一種

といった、事のようだがかなり難しい。しかし、一年中花は色とりどりに咲いている。それは子孫を残すために、生命をかけているのである。ただ綺麗と感じる人間達の思いあがりかもしれないが、目的は一つであるという事実は動かせられない。

素人が勝手に判断するのだが、一番多い花の色は、白が多いと思う。

色の構成は、光(日光)があって始めての出来るのである。この自然界にあって、生物が生きていくの必要なもなが段々破壊され、生態系が壊される事態が進んでいる。何とか食い止めなければ、地球の命も短くなるのではないのかと心配する。

 昭和の日(もとは天皇誕生日→緑に日5/4)である。

  淋しさは  花散りしきて  霞かな   久保田万太郎

  長閑なる  ものの又なき  命かな  久保田万太郎

    五月晴れ  孫達遠く    懐かしむ

  初夏の山  心に滲みる   若青葉

今日は、城趾の総会である1時から飲食には気をつけないと!一次会に参加者は23名、二次会に残ったのは13名で5時に終了し、その後防犯パトロールの人員に問題で、奈良さん、大和地さんから申し出があり、青木さんに木曜に変更してもらう事で決着する。何か、お互い助け合いの精神が必要であり、多少の犠牲はお互い様だ。その事を理解して欲しいと思った。

  

2007年4月28日 (土)

麦の思い出

麦は、現在は近郊ではあまり見られなくなったが、昔(昭和時代)稲(米)の裏作でよく作られていた。麦には大きく分けて大麦小麦があって、大麦は挽いてご飯にお米と一緒にして焚いて食べた。小麦は挽いて、うどんや、団子や、やきもの(たらしやき)にして食べた。

「麦秋」という言葉がある。5・6月になるが麦が実る時期である。広い麦畑が一面に黄色く波のようにゆれている様は、緑の多い風景の中でそのコントラストがたまらなく、なんともいえい感動すら覚える風景が目に残っている。

その麦畑の中にひばりがさえずりながら、天高く舞い上がって行き餌を取りに行き、そして、この時期に麦畑の中に巣をつくりが始まる。

   

   ホトトギス  鳴くやひばりの  十文字 (句を思い出す良く晴れた6月の頃を

農家にとっては、この時期が一年でも最も忙しい時期で、終戦後農繁休みといって学校も家の手伝いで一週間ぐらい休んで麦刈り、田植え、お蚕の桑摘み等の手伝いをした。

麦刈りは、麦の穂の先が鋭く汗の顔に当たってひりひり痛かった事を思い出す。家に持ち帰り庭に筵を広げ足踏み脱穀機で穂だけを取り除く「ぼうち」作業は暑く大変だったこと、また棒ち棒を振り回しは、リズムを取るのが難しい仕事だ。間もなくこんな季節がくるのだ。

今朝は、シャワーを浴び、サッツパリしてこんな昔のことを思い出して記した。(4時だった) “今日は体調がいいぞ”→よしいける。

9時半に、歩いて八王子そごうに行き、片倉町一丁目町会として奈良さんに町会役員を永年努めてこられた事で(先の町会総会で承認済み)商品券(一万円)上げるために買う。(本来昨夜渡すべきとこらだった)会計係の気が利かなくて恥ずかしいことで早速渡した。(大庭会長、河合さんに了解を取る)

今日の天気は、不安定で朝は晴れていたが昼には曇り出し、3時半頃から雷雨となり、4時半には雨が上がって、日が射してきた。雨が降ったら気温が下がったようだった。

   ツバメ飛ぶ  宙返りして  軒に入る

   床下で    唸り猫や   春のショー

   葉桜や   道行く人の   陰うごく         

2007年4月27日 (金)

鬼の霍乱

昨夜は、ちょっと飲みすぎたかな、今朝はこんな体験初めてだが寝ていて気持が悪くなって目が覚めた。そうしたら、身体がベトベトで、シャワーを浴び、頭を洗って髭を剃ってサッツパリしたが、目が回りだしたまらず、布団に入って目をつぶってしばらく震えていた。

5時半いつも通り起きて、窓を開け、新聞を取り、朝の食事の支度を始めたのだが、とても出来ない状態となり途中で,また布団に入ってじっとこらえいたがとても食事などは出来ない。それから午前中寝ていたが、午後から段々良くなり、食事(お粥)を食べて3時まで寝ていたが、お陰で今日の飲み会に出られそうで良かった。

以上のようなことは、あんまり経験がなくこういうのを鬼の霍乱というのかな・・・

人間は生身である。健康は、作られているものでない、作るものである事を痛感し、気をつけないといけない。まして年なんだから無理は禁物だ。

今日は、奈良さんのご苦労さ会で、どうしても参加したかった。でも今日はアルコールは控え、ウーロン茶にしよう、そして、食べるのも控えめにして置こう。

天気は朝からよく晴れて、湿度も低く気持の良い日となったが、(自分は殆ど寝ていたので外の様子は解からなかったが、)布団中でも寒さだけが感じられた。(PM4時記す)

そんな事いったって、今日の飲み会はつらいなあ・・・これも生きる試練か・・・

でも、何とか飲むのを控えめにして無事に終わることができた。帰宅は、9時半であった。

場所=天一坊=参加者浪花、遠山、鈴木、大庭、高橋、向井、尾川、田中(女)、奈良、矢崎、自分の11人で会費4,500円だった。

2007年4月26日 (木)

音楽の効能

音楽の効能は、現実的には精神医療に大いに利用されているのだが、その治療を更に高めることを目的に研究されている。認知症、自閉症などの障害や精神的なダメージを負った人たちに対して音楽を通して心理療法を行い社会復帰や、日常の生活リズムを整えるよう取り組んでいる。

音楽を聞かせたり、一緒に歌ったり、楽器を演奏するなどして気持をリラックスさせ、人の心を癒す。職場によっては医師や、聴覚士、作業療法士らとの連携が必要であるが、一層の効果が出る事が分っている。

人間生きていく時間と時空を超えて体感できる音楽。全て生命には音楽のリズムがある。そして生きて行ける身体の細胞に埋め込まれたリズムがあって、生命を維持出来ているのだと思う。その環境によってリズムが変わって人格形成にも影響してくるのだ。

昔から、好きだった曲が流れ久しぶりに聴いたりすると、何だかその頃の想いが甦って来るような感覚になる。その上に写真とか、ビデオの映像という視覚的要素が加わればもっともっとその感覚が強くなる。

ノスタルジー(nostalgia)に浸って、陶酔することによって、現実から逃避することになることもあり、夢の中に入ってしまう感じになる。しかし、生命を持つ者はだれでもあり、これが正常であると思うし、ならなければ異常者である。

音楽ビデオ作品は、永遠にその当時の空気感をタイムカプセルのように封じ込めているので、それを観ると懐かしさを通り越して、今自身がその時代に逆戻りしたような感覚になる。音楽ビデオを観ていると、例えようのない、言葉にできない、そんな何ともいえないような感覚が何時も自身を包み込んでしまう。タイムスリップした感覚が、若さが戻ったような感覚さえなる。(今朝はこんな事を考えて目が覚めた時計は3時40分だった)

今日は、今までの借りを返すような良い天気になった。絶好の家事しごとが片付く日となり、我が家でも掃除、洗濯、庭の草取りを早朝から始めた。

ちょっと前の山をながめて見ると昨夜の雨で真珠の珠がはじけるように輝いていた。

   新緑は  目の薬になる   神授かな

   これでよし 時を得たり    鯉のぼり

   春山に  白い帽子や    二人連れ

   分れ霜  八十八夜の    白の月

   花の冷と 花の重さの    下をゆく(篠原 梵)

       蒼さ増す 苔の張付く    トカゲ足

       湧き水や 光り煌めく    砂踊り

 こんな愚作な俳句を考えながら庭の草むしりをして過ごした。

7時から、交通安全指導員で5月の全国交通安全週間の運動の打ち合わせと慰労会に参加する。場所=天一坊=参加者川幡(正)、尾川、高橋、杉本、向井、森山、矢崎、塚本、石田、自分、10人で会費は1,500円+協会補助?

   

   

2007年4月25日 (水)

諸行無常ということ

平家物語(作者不詳)が平安末期に書かれたとされているが今朝は、妙に世の儚さ切なさを気になりだして記して見た。(有名な書き出しで知られている)。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり 紗羅双樹花の色 盛者必衰の理をあらわし おごれる者久からず ただ春の夢の如し  たけき者遂に滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ」 

秦の趙高(ちょうこう)、漢の王莽(おうもう)、梁周伊(しゅうい)、唐録山(ろくさんー安録山)、らも旧先皇の政治に従わず、楽しみをきわめ、諌言も聞かず、天下の乱れも知らず、民衆の憂いも顧みないで滅びてしまった。

我が国でも、承平の平将門、天慶の藤原純友(すみとも)、康和の源義親(よしちか)、平治の藤原信頼(のぶより)これらもまもなく亡びてしまった。

最近では、六波羅の入道大政大臣、平朝臣清盛公という有様を聞くと、言葉に出来ないほどだ。

(注)祇園精舎=須達(しゅだつ)・長者が釈迦とその弟子に寄進した寺。               沙羅双樹=インド・クシナガラ城外、紗羅の林の中、釈迦の病床の四方に二本ずつ相対し  て生えていたと言う紗羅の木。                                      盛者必衰=世の中無常であり、勢いの盛んな者もついに必ず衰え滅びるということ。    偏(ひとえに)=まったく「一重」の意

仏教の根本主張である三法印=根本的な理念を示す旗印である三つ教理。       ①諸行無常  ②諸法無我  ③涅槃寂静                                ①世の中の一切のものは、常に変化し滅し、永久不変なものはないということ。      ②あらゆる事物には、永遠・不変な本性だある我(が)がないということ。          ③悟りが、絶対の静けさであること。

最近何故か、世の中の虚しさ、儚さ等の想いを感じて仕方がない。

今朝は、前の車庫の屋根に夕べから雨音のしきりにするを耳にし、目が覚めてしまった。時計を見ると4時半、雨戸をあけたら、少し明るんできた外に砂利石が雨水で光っていた。そして、平家物語を調べ、有名な行(くだり)を記してみた。そして、殆どがパソコン弄りであった。きょうは、塚本議員、野島宏さん、尾川(利)さん、市川さん、当選御礼の挨拶に来た。また、明治君が、お願いしていたトイレの具合を見に来てくれた。(結論=もう少し様子を見る事に)妻はパーマに行き、午後からかねまんに買い物に行き、お勝手で玉ねぎ炒めを作る(血液さらさらになると言う)。

沙羅双樹と言う花について調べたら、夏椿ともいって、5・6月に白い椿のような白い花で木は、(京都右京区花園1にある妙心寺東林院にある木は樹齢300年とも云われて有名で、樹の高さは15メートルとの事だが、植物学的には違う夏椿である。)花の咲く時期が紫陽花の花と同じ時期だ。インドの本当の沙羅双樹はもっと小さく山茶花のようなイメージだが?・・・。でも昔の人はこの花に世の哀れ、人の儚さなどの思いを寄せていたのだろうか?・・・。  

2007年4月24日 (火)

完璧ということはない

完璧という意味は、完璧「璧(へき)」は平らで中央に穴のあいた宝玉のことで完璧は「傷のない玉」が本来のいみである。

完璧が現在使われる意味となた理由は中国の故事にある。中国の戦国時代趙の国に「和氏の璧(かしのへき)」と呼ばれる立派な「璧」があり、それを秦の国王「照王(しょうおう)」が欲しくなり、「秦15の城と交換したい」と申し出た。

『藺相如(りんしょうじょ)』が秦の国へ使いに使いに行ったが城と交換する気配がなかったため藺相如は璧を命懸けで持ち帰った完璧而帰(璧をまとうしてかえる)という故事から、完璧は大事なことを成し遂げることや、欠点が全くない様を意味するようになった。

完璧を書く際『壁(かべ)の字を用いて「壁(かべ)の字を用いて「完壁」と書かれることが多い。完璧の「ぺき」が「玉」を意味したと覚えて置けば「、」を忘れず、完璧な「完璧」の字は書ける。

「破邪顕正」という言葉がある。これは誤った見解を打ち破り正しい見解を出すと言う意味だ。人との付き合い、共同の作業ではこういった「破邪顕正」必要で正論だ。しかし、現実は、この考えでいくと自分が苦しくなる場合が多くなと実感する。

昔から「水清(きよ)ければ魚(うお)住まず」と言う諺がある「孔子家語(こうしけご)」(孔子の言行や門人との問答を録した書)にある言葉 また日本でも江戸時代の寛政の改革(松平定信が行った幕府の改革)があまりにも厳格だったためそれを嘆いてはやった狂歌「白川の清きに魚は住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」と歌われた。これは水があまりにもきれい過ぎると、かえって人が寄ってこなくなる。 

何事も、程々が大事と言う意味から、生真面目な出来のよい人間ばかりでは息が詰まってしまう。「清濁併せ呑む」つまり良いも悪いもいろいろなタイプの人も受け入れる事の出来る自分に変わってみる事が大事で、努力する事で世の中うまくいく事だ。

昨日市議会議員の選挙の当選祝いに行き感じたことだっだ。「完璧」と「破邪顕正(はじゃけんしょう)」「白川の清きに魚は住みかねて・・・」の狂歌の意味と世の中にいかに生きていくのに大事な手法なのか改めて考えさせられた。(漢字には深い意味があるのだなあ・・・)(今朝3時半に記す)

午前中、市場に買い物し、相模原のドラックストアーで買い物をして午後は、以下こんな事を書いて時間を費す。夕方から暑い雲に覆われて、7時ごろから雨となった。従って今夜の防犯パトロールは中止となる。妻はダンスに出かける。背中の痛みは、忘れるくらいに、良くなった。しかし、横になって寝たり、胡坐をかいたりした時は痛くなることがあり大事を取った方がいいと判断して無理はしないようにしている

吉田兼好の徒然草の随想を思い出して、記してみた。

有名な一節に『徒然なるままに(退屈なので)、日ぐらし(終日)、硯に向ひて心に移り行くよしなしごと(つまらぬこと、らちもないこと)そこはかとなく(とりとめもなく)、書きつくれば怪しゅうこそ、物狂う欲しけれ(妙に変な気持がする)』

「徒然草」は1330年の作品だけど何やら悠長な、世捨て人の繰り言葉を集めたように思うが実はそうではないと思う。第19段は、今の自分の心境と生活の中でど想いがある。 季節の変化ほど面白いものはない。「秋ほど素敵な季節はない」と云う人は多い、確かにそうかもしれないが、春の景色を見るときの感動はそれ以上だと私は思う。春の鳥がさえずり始め、穏やかな光が差し込み、垣根の下の雑草が生え出す。それから辺りが、霞がたなびくようになると、桜が咲きはじめる。ところが、ちょうどその頃に雨が降り続いて、桜は気ぜわしく散ってしまう。そして新緑の季節の到来。どれも、心が浮き立つことばかりである。(今年がまったくそうであった。)

花は橘と云うが、昔のことを偲ばせるのは、香り高い梅の花だ。それに清楚は山吹の花、しなやかな藤の花、どれも捨てがたい。「木々の枝葉が青々と茂る潅仏会(かんぶつえ)=(四月八日のお釈迦様誕生で甘茶の会)や葵祭りの頃こそ、逆にこの世の悲しさ、切なさを痛感する。」と言う人がいるが、私もその一人だ。

菖蒲を軒にさす端午の節句、田植えが始まる頃に水鶏(くいな)の泣くを聞く切なさが募ってくる。(以下省略)まあ・・・ 

この年(満で70歳)になり、一応人生経験重ねてきたが、何の取得もなく、苦労もしてこなかった自分で、世の人に恩に報いることをして来なくて、辱を晒している。

まあ・・・こんな人間だけど、お陰で何とか、仏のお情けで健康で生きていられて、第19段の一文が解かるような気がしている。有難き幸だ。合唱

追伸  花は橘となっているが、今見る花はそんなに目立たない。万葉集に70首ぐらい詠まれているが、当時は人気があったのかなあ・・・(5・6月咲き、ミカン科)現代では新種改良したり、食べて美味しい物が沢山ある、アメリカから輸入でグレープフルーツ等もある。

 「わが宿の 花橘は  いたずらに 散り過ぐらむ 見る人もなく」(中臣朝臣守)

2007年4月23日 (月)

曲がり角に来た選挙

昨日、統一地方選挙が行われた。応援した候補者が49人中2位で6、939票で(前回6,912票)、当選した。まあ当選して良かったと思う。しかし6期目となるので、今までの、後援会、選挙本部長、選挙事務長等の人事のことや、世代のニーズの捉え方や、パホーマンス等の方法を考えていかないと、市民から政治離れて行くばかりになって仕舞う危機感がある。(投票率は47㌫だった。前回より2㌫高くなった。)

先ず、本人やる気、信頼感の醸成と行動力等の人間性を生かす方法が的確であること。具体的には、①いわゆる選挙参謀が年を取りすぎている。(殆ど80歳以上) ②選挙ツールが古い、インターネットやホームページを活用してアピールする。③有権者の年齢層に合った訴えをすること④マニフェスト等を公表する。

ああそうそう、長崎市長選は、死んだ伊藤一長前市長の女婿ではNOで(人情ではなく)政策の経験者が当選したのも無理からぬこと。但し、伊藤前市長の名前を書いたりして、無効票が15,000票あったとか、(また、全体の7㌫)、ちょと解かる気がする。

総合的には、一概に言えないが、今までの戦い方では、今後は難しいと思う。いわゆる政治信念を浮き彫りにすることが大事と、行動力だと思う。

今タレント上がりの人物が市議会議員や、県会議員、知事等の当選している。宮崎県東国原知事や岩手県のサスケ議員や、今度千葉の市川市議選でお笑いタレントがトップ当選するのだから、有権者の心を掴むのに一工夫が必要だと思う。

そして、政治に無関心な有権者に何とか訴えるものが欲しい。何れにしても曲がり角に来ていることは事実である。(国政でも同じ)

朝塚本事務所に行き、お祝いを高橋文夫さんに渡して、背中が痛いことを理由に、直ぐと帰ってくる。妻は、奈良さん、大和地さんと塚本事務所に行き帰宅は午後3時となる。

実際の所余り変わっていないが、3・4日も経っても良くならなかったときは、専門医に見てもらう事にしよう。

2007年4月22日 (日)

生き甲斐とは

ある仏教一説を書き出してみた。(福岡県 通玄寺住職 伊藤文教)

人生は一毛作から二毛作、三毛作の時代に移りつつあり、人生80年を幸せに生き抜くためには、生涯にわたって心身ともに健康で財力や時間にゆとりある幸福な一生を送りたいと願わない者はいない。励み学ぶ意欲を持ち続けたいものである。

釈尊は「生きるには難し、されど今生きるにはなお難し」と訓されている。三世も輪廻し、この幸せな現世に生まれ合わせことのあり難さ、生き甲斐をもって生きる事の大切さを教示しているのであろう。

自分が独りで現世に生まれ、自分が独りで今日この幸な生活をつかみ得た等と思いあがっては罰があたる。自分を生み育ててくれた父母の思い、教育え導いてくれた師の恩、何かと面倒を見てくれた多くの先輩、同僚や周りの人々、そしてこの立派な国土や自然の恵みのお陰で今の自分があることを再認識したいものである。

自分独りで生きるのではなく多くの方々、森羅万象によって生かされているのであり、生かされて己に感謝し数えきれない程の多くの恵に報いることが生き甲斐の基本であろう。

物が豊すぎて、心が貧しくなり下がった時代と言われて久しい。食べたい、飲みたい、してみたい、聞きたい、着たい、住みたいなど「たい」をつかみどりし、得て、勝手な欲望を満たす事が恰も生き甲斐であるかの如き考えは、邪念であり一時的享楽のなにものでもない。大切な事は、家庭や、社会の中での自分の立場を弁(わきまえ)て、役割分担を、見誤らず己に課せられたことや、目標に向かって努力していく事に、生き甲斐の真価が覚えるのである。   [発菩提心涅槃章の一節に]

  布施の持戒をたもちつつ  認辱精進怠らず  禅定を修し智慧をみがき  日々の行いを振り返り  自利利他ともに円かなる 生き甲斐のある人生を 送るぞ人の道こそ悟る涅槃の訓えなり、と説いている。

反省の上に立って、生かされている自分に目覚め、報恩と感謝、そして自利利他ともに、円かなる生活こそ真実の生き甲斐である。人生第一義であると訓してある。そして人生は、自分の持てる力を振りしぼり、布施を持戒によって利他を計り忍辱精心、禅定智慧によって自利に努め、自ら切り開いていくものであり、これこそ自力本願、生き甲斐の真髄であると教えている。

刻苦精励 粉心砕身 苦難を乗り越えて生きていくのが人生である。多忙の毎日に追い回され、落ち着く暇もない世相である。この多様化した忙しい社会を全とうしていく事は、大変難しいことかわからないが、生かされている有り難さ、尊さに感謝し、大地にしっかり足を踏みしめ、栄えある人生を精いっぱい生き抜いていくことこそ、真実の人間としての生き方であり、生き甲斐であろう。年を重ね、人生経験を積めば積むほど一歩一歩仏に近づき「唯心の浄土己身の阿弥陀」の境地を得て、やがて人生の終着駅に到着した時点、実名ともに成仏し、他人から拝まれるに、ふさわしい人徳の人になるべくし精進することが生き甲斐のあり、人生の要諦である。

自らの悟りのために修行し、努力すること、他の人の救済のために尽くすこと、この二つを共に完全に行うことを大乗の理想とする(大辞林)

と言った事だがかなり難しい。

今日は昨夜に左の背中の下のほうが痛み、日曜診療の東中野診療所に行き、見てもらう、張り薬と、痛み止めの飲み薬を貰ったが飲み薬は飲まないでいたが、大分よくなり、投票を済ませ、寺田のリカーキングまで歩いて買い物をしてきた。

そして塚本事務所に行き、様子を見にいたが、大庭さん、尾川(利)さん、議員と富雄さんと女性のかたが、3人ぐらいて、当選祝いの準備をしていた。

(スッカリ準備は出来ているようで、何か居場所がなく、これぞ“お呼びでない”“これまた失礼いたしました”の感じだった生きていると、こう云う事ってあるんだなあ・・・と思った。(いけないかな)

妻は、クリエイトホールに(他団体のカラオケ発表会)出かけた。

気温は23度ぐらいに上がって、歩いていて汗をかくほどに、初夏の陽気となった。

そして、裕美の結婚案内状を幸一さんが持って来る。また、疎遠になっている叔父さん、伯母さんの様子を聴かして貰った。 

2007年4月21日 (土)

行く春や

久ぶり、のんびり出来た一日だった。何かに強請されたというか、精神的に縛られた日が続いた。下手な詩でも考えて見た。

  夜ふかして   雨戸の透きに  木の芽風

  木の芽色    一段と増す    陽射かな

  惜春や     失うもものの    多かりき

季節の移り変わりは、早いもの一日一日と装いを変えて行く今日この頃の風景である。

しかし、なにかに囚われていると一寸した隙間から覗いているようで一舜のまばたきほどの速さで走っている馬のようでもある。心の余裕を持ち自分を見失わないようしたい。

  「花の色は 移りにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに」

小野小町が詠まれたものだが、人の生涯なんて本当に短い一瞬の出来事であり、人の栄枯や、幸運不運も刹那的である。諸行無常の仏教思想の象徴的な、桜に咲いたこの時期に、心境と行動が今までに経験した事のないものだった。何か自分の人生の意味深さと使命と目的の重さを初めて覗いて見た感じがした。

こんな詩を思い出した。

そして、万葉集『山上臆良』の「世間平宇之等夜佐之等於母倍杼母飛立可祢都鳥尓之安良祢婆」=原文

「世の間を憂(う)しとやさしと 思えども 飛び立ちかねつ 鳥りにしあらねば」=読み

意味=世の中は思うようにならなず、実の細る思いもすることだけど、鳥ではないので飛び立って行く事が出来ません。となっているが一寸違うかな?

今日は、何か春になったと言うのに踏ん切りがつかない心境であった。

午前中は、パソコン弄りで午後ホームセンターに行くが欲しい物が見やたらず、何も買わずに帰ってきた。陽気は暖かく、過ごしやすかった。風が新芽に辛く当たったようだっだ。世間では、銃の引き起こす殺人問題で大騒ぎだ。アメリカでも、日本でも非常に困った問題だ。多くの人を悲しみさせ、心配をかけたことは、単に犯人の問題だけでなく、世の中の息詰まった、はけ口のない事に原因があるようでならない。

2007年4月20日 (金)

組織の意味と責任

何かのプロジェクトを構成する場合、責任を明確にして各自行動を取る事が大切だ。

八王子市議選で応援をしたが、組織を作って応援したのだが、執行部と現場行動隊と指令の徹底は本当に大事でまた、それを守ることが更に大事であると、つくづく感じた。具体的には、メンバーになったことは承知したが、集合時間、場所、行動が不徹底、でその場その場で対処して済ませたが、担当は相当苦労したようだ。そして、他の幹部から急に要請されて、本来のすべき行動(作業)をしなかったなどは組織を無視して只、混乱するばかりであった。

この事は、家庭でも、職場でも、町会でも、全て複数の人が一つの目的を果す場合に絶対に不可欠である。だから、ボランテアで拘束権限は強くないものでは特に一人一人が組織の在り方を認識して目的に沿って行動を取る事が信頼関係を深めて行くことに繋がっていくことだ。

毎日、その事で不徹底で担当責任者がやりにくかったようだった。集合場所の間違いて待っていても来ないと、思って電話番号を調べて、ようやっと電話したら、先方に先に行っていた。と言う風に心配してしまった。

今日は久ぶりに朝から晴れて、溜まった洗濯物の処理したり、掃除をしたり十分何処の家庭でも行った事だろう。朝7時30分に塚本事務所に行き、特別に北野市場に買出しを要請されて行ってきた。ジャガイモ、たまねぎ等と調味料等、を買ってくる。(その際に本来のお手伝いが出来なかったので、責任者の市川さんに連絡した)

午後は、4時から6時まで片付けに行く。

これで正式なお手伝いは終ったが、この後の事務所の整理復元を手伝うようになろうかと思う。これが大変だ。

2007年4月19日 (木)

久しぶりに晴れた

今日は、朝のうちは雨で今日も一日雨なのかと思ったら午後から晴れてきて暖かくなってきた。午前中、塚本のお手伝いで移動事務所の設営をして9時半に家に戻る。ゴミ拾いをしながらアパートと本家の点検(草取り)し帰宅後、自宅前の道路の草取りをする。12時半に昼食(妻が塚本事務所の応援でいない為)餅を焼いて食べる。しかし3時が過ぎたらまた曇ってきて寒くなった。何たって札幌と同じ最高気温だ(11度)

4時から塚本事務所の応援で出かける。

少し勉強でパソコンで『臥龍』という言葉について調べた。

臥龍とは、世に出る機会を伏せて待っている龍の事で、三国志の英雄の一人、諸葛孔明のことを呼ぶ別名だ。

諸葛孔明は、一字一句を聞かなくても要点を聞けば全て理解できた人だったそうだ。彼のような頭脳明晰な人を称して臥龍と呼ぶそうだ。

論語に「一を聞いて十を知る」と言う言葉がある。孔子の弟子の子路に『君と顔回とではどちらが優れているかのか?』と質問をしたところ子路は、「顔回は一を聞いば十まで解かるが私は一を聞いて二までしか解かりません」と答えたエピソードから発生した諺だ。子路も顔回も優れた孔子の弟子だった。

豊富で深い知識や経験があるだけでなく、様々な知識がリンクして繋がって臥龍と呼ばれるが、イマジネーションも豊でなければ知識がリンクできない。様々な知識や経験が相互に繋がりあえば、ことの要点が見えてくるはずである。

言わんとしている事は自ずと解かってくるものだ。慎みもこのよう先を読む目があれば、生まれてくるものだ。

行間を読むという事に長けている日本人は、本来このような思慮にも長けているはずである。日本的な情緒と言うのは相手を慮る感性を育む事に向いていると言われる。

中国の人々は臥龍と呼ばれるタイプの知識人を好みます。確かにこうゆう人は話題も豊富で、何よりも柔軟な理解力が優れているのでバランス感覚も優れている。英語でスマート(smart)は利口という意見であるが、切れる人は、立振舞いも雅である。

中国の人々にとって臥龍と呼ばれる事は誇れる事なのだが、臥龍になろうとして、とんでもない事をやらかす彼ら特徴であると言う。

こちらの意見や話をろくに聞かないで、勝手に判断してピント外れな事をやらかす。「臥龍」と言うより「我流」に近いと言う事だ。

勘どころが良くて気の利く嫁さんがいればどれだけ暮らしに潤いが出るか計り知れない。

と言った事が書かれていたので興味がわいた。

2007年4月18日 (水)

采根譚について

今朝のNHK深夜便で、「百歳で読む采根譚」と題して南無の会名誉会長松原泰道氏の話があった。本当に元気で驚きである。

「采根譚」 中国の雑学書。2巻。明の洪応明薯。成立年月日不詳。敬句ふうの短文357条からなる語録で、仕官中の保身の術や退官後の山林閑居楽しみを、儒教。仏教。道教の思想を交えた立場で述べたもの。中国より日本で愛好された。

清能有容、仁能善断。清にして能(よ)く容(い)るるあり、仁にして能く断を善す。

云っている事は正しいが、融通がきかない、清廉であって包容が有り、仁(思いやり)が有って決断力がある。

相反する二面性両立させて人間は成り立つ。難しく考えるととことん難しい事だが「まあまあ、人間なんていい加減なもの」と受け止めて、ほどほどの結果を選んでもらいたい」『いい加減』は「デタラメ」ではなく「良い加減」かもしれない。

身の回りや、仕事先にこういった人は、見覚えがあると思う。清廉潔白だけどバランス感覚がないと。

「白川の清きに魚もすみかねて・・・」江戸時代の末期日本でも謳われた。見苦しく、味気ないものになってしまう。

「清濁併せ呑む」と言われても、なかなか濁った水は飲みにくいもの、日本と中国の政治家や、政府高官のように濁った水でしか生活できなくなってしまうのも困ってしまう。

不責人小過 不発陰私 不念人旧悪  人の小過を責めず、人の陰私(いんし)を発かず(あばかず)、人の旧悪を念わず(おもわず)

人間には、思いやりが大切で、小さな失敗は責めないこと、陰し事をあれこれ詮索しない事、古傷はそっとおいてやることを心に持っていなさいという教えだ。

自分の事は棚に上げて、相手の事になると心穏やかでいられない。人間の常かもしれない。相手の事が何も気にならないとなるとこれは「愛憎」よりも、もっと冷たい「無関心」と云うものだ。

無関心でいられる夫婦や家族などはあろう筈はなく腹に止めて言動や、行動に必要は多い。夫婦なんて、まったく異なる環境で生まれ育ったもの同志が一緒に生活という『無理』するわけだから、大なり小なり食い違いは出てくるものだ。

大きな問題でなければ、グッと飲み込む度量は不可欠だ。こういう「その小さな蟻の穴から、城は崩れる」と思われるだろうが蟻の穴をほじくり返して広げるているのは、あなたでしょう!と突っ込まれることに?なるほど・なるほどだ

今日は午前中、ゴミ拾いを済ませて、塚本事務所に行き、午後は3時から行く。移動事務所の設営で・・・由井中学の東の岡の上町会の、辻正義宅の駐車場だった。雨の中の作業であったがテントがなくて楽だった。(伊藤さん、久保田さん、市川さん、自分の4人)寒く全く冬に戻ってしまった感じだ。

2007年4月17日 (火)

陽気が2ヶ月逆戻り

3日前には、5月下旬の陽気で、もう暑いくらい24.5度の気温で昨日今日は、13度と3月の気温である。寒いくらいで朝は、ストーブを焚いた。

野猿峠脳神経外科病院に行き薬を貰う。先月の採血の結果血糖値が118と高い、外は全てクリアーしていた。それにしても待ち時間が長い。診察終って、薬を貰うまでが40分掛かった。

それから今日も、塚本議員の事務所に行き移動事務所の昼食を届けるお手伝いと、一丁目会館で行われる座談会の準備をする。7時半より8時45分まで行い、参加人員は約70名(役員を含め)であった。

天気は、日中は、小雨になったり、全く止んだりだったが夕方には、強く降ってきて坂道が小川のように流れを作っていた。そして寒かった。

本当に選挙は、お金がかかり、肉体的、精神的に大変であると、実感した。片づけを終わり、家に着いたのが9時半だった。

交通指導員の片倉町一丁目支部の木村一夫さんの奥さん通夜があったが、塚本議員の座談会でいけなかった。尚、防犯パトロールも雨のため中止となった。

アメリカで韓国人留学生の男(23歳)が銃の乱射で32人殺害されたと言うショキングなニュースが流て、間もないが、長崎市長の伊藤さん(61歳)が暴力団の59歳の男にピストルで打たれて病院で手術をしたが亡くなわれた。いかに銃の危険性と、取締りが必要かと、改めて考えさせられる出来事だ。

2007年4月16日 (月)

選挙ということ

初めての、選挙応援をして色々な勉強になった。

先ずコミニケーションが活発になって、人とが解かってきたり性格までも解かってきたように思う。

そして政治と暮らしについて考えてみた。地方の議員はなんといても、治安が安心でき、福祉、医療、教育、環境に配慮してくれることが肝心であると思う。

今の居住環境は、必ずしも満足できる状況でない。外に政治家に力を入れて欲しい事は高齢化に伴う一人暮らし対策、また将来の不安解消政策(健康、医療、交通、災害、経済)をキッチリとした政策を実現して欲しいと思う。

率直に思うことは、高齢化に伴う不安は、3Kで、家族、経済、健康である。

今日は、雨の中、移動事務所の手配と設営などのお手伝いで、朝8時から、15時まで行いちょっと疲れた。

2007年4月15日 (日)

いよいよ決戦だ

統一地方選挙の決戦が始まった。応援している塚本議院候補も出陣式も終って街中に飛び出していった。

昨夜の酒が残っているのか、胃が重い感じで目が覚める時間は3時であった。シャワーに入って、何時もの通りパソコンで時間を潰す。

7時30分車で会館に行き、ビール、お酒のビンを旭やに返す。8時河合さん家に行き昨夜の代金75,000円を仮払いしてもらい、あっちゃん弁当と旭やに支払いをすませる。

塚本議員の出陣式に出席する。約200人が参加した。かえって着替えを済ませテントの片付けなどを済ませ、帰ってくる。これで総会の件は全て終る。時田会の木村さんの奥さんなくなる。一丁目町会の香典5,000円を大庭さんに渡しておく。

三重県で午後12時15分ごろ震度5強の地震が起きた。震度5とか、日ごろ何の準備もしていない事もあって、そう言うニュースがあると、首をすくめて忘れてしまう。ここらで真剣に考えないといけないかな・・・

2007年4月14日 (土)

今朝方の雨は通り雨

朝早く、雨が降って、車庫の屋根が大きな音を立て雨脚の強いことに驚かされる。やがて、夜が明けるに従って雲は東の空に行き去った。晴れて日差しは強く、5月の下旬の暖かさと言うよりは暑いと言ったほうがいい位になった。

午前中は、町会の総会の準備の点検資料、飲み物、おつまみ等の数の確認と、出席者の人員。塚本議員の事務所に行き手伝い。

午後は、アゼリアに、綱島アキさんを連れて行き、おばあさんと、昔の話をして懐かしんでいた。とてもよかったと思う。3時に帰宅そる。

総会の準備で会館に4時に行き文、房具用品の数の点検と袋詰め、座席の配置を行う。

定刻6時30分より開始8時30分に会議は何の問題もなく終わり、宴会を始め10時に帰宅。本当に何かと疲れた感じだったが、やはり慣れがあると思った。

2007年4月13日 (金)

火災は盗難より怖い

今朝方、我町会にある斟珠寺の新築中の庫裏が火災に遭った。今朝方3時ごろだった。一週間前に片倉台の民家が火災で6戸で全焼し、一人の尊い命が亡くなったばかりである。盗難では家まで持っていかないが、火災は、家までも、また人の命までも焼失してしまう。恐ろしい事だ。原因はまだ分からないが、建ったばかりである。

片倉町一丁目町会として、御見舞を出す、(一万円を 大場会長から住職に渡す。3時)

まさかの火災である。全く寺田寅彦の云われたとおり「災害は 忘れたころに やって来る」だ。焼け跡は無残だ、焼け残った家財道具、タンスの衣類、柱の焼け残り、また、消化の水びたしだ、原因は何であれ火災は一瞬で財産を失うのだ恐ろしい。匂いが何とも云えない。“気をつけないといけない”

今日は午前中、床屋に行って頭をサッツパリとして来た。

午後は、塚本事務所に行き、お手伝いをして来る。

妻は、奈良さん大和地さんと、塚本事務所の手伝いで朝から、3時まで行って、3時半ごろ帰ってくる。

今日は、風が強く、桜の花が花吹雪となって散っていた。何とも云えない風情であった。やがて、青葉に変わって行くのである。

2007年4月12日 (木)

春眠暁を覚えず

丁度今の季節にぴったりの漢詩

     春眠 不覚 暁     春眠暁を覚えず

     処処 聞 啼鳥     処処に啼鳥を聞く

     夜来 風雨 声     夜来風の声

     花落 知 多少     花落ちること知る多少(いくばくぞ)                           

春の朝寝の心地よいこと うとうとと小鳥の声を耳にしながら はては夕べは雨がし   ぶいていたぞ 花はもう散ってしまったのかな

と言った漢詩が思い出される。昨夜は強い雨が降って桜、桃や杏の花も散ってしまったのかな・・・

そしてもう少し季節が進むと、南風が雨戸を叩き雨戸に桜か桃かピンクの花びらがひっついていることがある。そうして住吉の小高い森は一層に緑から青に変わって行くのである。

今朝は3時半に目が覚めてこんなことが頭を過ぎった。自然の中に生きる幸せを感じる。

     「菜の花や 月は東に  日は西に」   与謝蕪村

     「富士一つ うづみのこして 若葉かな」 与謝蕪村

     「花散るや 耳降って馬の おとなしき」 村山鬼城 

     「咲き満ちて 庭盛り上がる 桜草」   山口青邨

「こどもらと 手まりつきつつ この里に 遊ぶ春日は くれずともよし」 良寛

「花の色は 移りにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに」 小町

「ひさかたの 光のどけき 春の日に しず心なく 花のちるらむ」 紀友則

などの歌が思い出す今日この頃である。実家の庭の草取りをしながら、思い出す。春の天気は移り変わりが早い、今日一日の天気だそうで、明日は下り坂とのことだ。こんな事して過ごす毎日で、いいのかしら、余りにも平和過ぎてしまうのが怖いくらいだ。

   「たわらぐみ  あかるんで丸   偲ぶ春」

   「春菜洗い   井戸水ぬるむ  母の手も」               

3.4才だったか?分らないが、たわらぐみが庭の井戸端に赤い実がついて、よく取って食べたものである。そして母の背中におぶさりながら、手漕ぎの井戸で水を汲んでいる。母の背中のぬくもりを今でも忘れない。

2007年4月11日 (水)

11日の夕刊朝日新聞の中から

{『窓』「論説委員から」(なぜヤワラなのか)}気になる記事があった。内容とは、

かってのラクビーの日本代表を率いて強豪と渡り合った大西鉄之祐さんが亡くなる前に、聞いたことがある。「それぞれのポジションで日本一上手な選手を15人を集めもダメ。最強のチームにはならないよ」

不器用でも、手足の長い外国人相手にはめっつぽう強い。それが大西流選手選びのつぼであり、その能力を見極める眼力が指導者としての生命線だった。

格闘技などの体格差が勝敗の直結しやすい対人競技では、これは今でも共通する話題だろう。選考に公平さ分りやすは追求されるべきだが、日本一を日本代表としない選択はあり得る。陸上や水泳などの記録を争うものとは、そこが異なる。

9月にある柔道の世界選手権48㌔級代表に、谷亮子選手が選ばれた事が物議を醸している。選考会決勝で完敗したからだ。五輪3連覇とはいえ、31歳の彼女は出産で2年の空白がある。優勝した福見友子選手は21歳、内容も素晴らしかった。若さか実績か。議論が分かれて当然だ。

しかし、現在の選手は強化合宿で年間を通じて成長や変化がチェックされている。『外国選手に勝てる選手」という選考の物差しが守られたのなら、専門家の最終判断は受けいられるべきだろう。

男子90㌔級のアテネ五輪ので銀、05年世界選手権で金メダルの泉浩選手は、最終選考会では一度も優勝をしていない。今回は彼や谷選手と合わせ、11階級で4人も優勝者以外から代表に選ばれた。その意味ではプロの目が問われる秋になる。

以上の記事だが、なるほどと云う事だが、確かに福見選手には気の毒だ、この記事からでも分るように21歳と若くチャンスはまだあるのだから、諦めないで2度3度良い成績を取るように頑張る事だと思う。

今日は、何時もおなじみの、愛川の三増の養鶏場に行き「生みたて双子の玉子」を買うそして、フラワーランドに行き食料品を買って帰る。午後は塚本事務所に行く3時半に家に帰る。(いよいよ選挙も本番に差し掛かる15日が出陣式で22日が投票日だ。)

今日の天気は朝は晴れていたが3日ごろから雨が降り出してきた。そして肌寒かった。

2007年4月10日 (火)

故郷の山に向かいて

歩きながら考えた。生まれも育ちも同じところで70年、大過なく過ごし全く、平々凡々生きてきた。人間としての役目も果せてはいないと思うが、これも、先代よりの故郷引継ぎ、人間としての努めも十分とは云わないが努力してきた積りである。

遠く丹沢の山並や、近くの高尾山は昔からの姿かたちを変えていない。四季折々の色を変えるだけである。そんな、大昔からの風景のを見ながら見てここまで生きてこれた事に幸を感じたのである。こんな大きな思いやりのある故郷を大事にしなければと、意を強く持った。

石川啄木の歌に

「故郷の山に向かいて 云うことなし  故郷の山は あり難きかな」

そこで、自分も一つ

「何となく 今日はよいこと ありそうで  空も高く  空気もうまい」

大事なことは、心身ともに余裕うを持つ時間を作る事だと思う。凧の糸は張り詰めていたら「切れやすい」たるみを持たせて張るのである。いわゆる余裕である。のんびり行こう。人生短いのだから、焦ったってしょうがない。

だから、出来ると思う「ごみ拾い」最初は勇気がいったが、今は、そこに、ごみがあれば拾う事がなんでもなく、出来る。

庭の草取りと湯殿川のごみ拾い、草取りをして、大汗かいた。午後は歩いて(1時間半)汗を来た。

風が強く、桜の花びらがパラパラと散って、また、季節の移り変わりを実感した。

妻は、今夜は同窓会の打ち合わせとかで、出かける。こちらは防犯パトロールに参加する。参加者は、矢崎さん、寅雄さん、滝島さん、佐藤さん、と自分の5人だった。

2007年4月 9日 (月)

信じられないことって有るのだ

今朝、4時NHKラジオのニュースで、とんでもない出来事が起きたと報じた。

1、米 滝つぼの4人を無事救出した。アメリカ南部のコロラド川のダムでレジャーボートに乗った家族4人が、落差45メートルの滝つぼに、巻き込まれ動けなくなった。沿岸警備隊(レンジャー部隊)のヘリコプターで隊員の一人をロープで縛り現場に下ろし見えなくなって数分して、7歳と5歳の兄弟を抱えて引き上げられ、続いて父親と祖父を無事引き上げ、救出に成功したとのことだ。

2、アマゾン川5300キロ遠泳。南米を流れるアマゾン川で、スロベニア人マーテイン・シュトレルさんが、上流から、河口のブラジル・べレン市の港に到着したという。66日かけて泳いだ距離は5268キロで、3年前にシュトロエンさん中国の長江を、泳いで自身が打ち立てた4002キロを大きく上回り世界記録集に登録すると云う。1日平均80キロを泳ぎ続けたと言う。

二つの事柄を見て、本当に世界中を見渡すと、信じられない事が起きているのだと、つくづく思う。好奇心と冒険心は、少年の夢だけ出ない、人間の生きる限界を示せる事でまた、生きること多くの人に勇気付けられる事だと思う。

知事選は、自民党4勝3敗だった。都知事は、石原さん(投票した)どうもオリンピックは、頂けない。また民主党は、県会議員では勢力を拡大してきたようだが、参議院選ではどうだろう。

午前中北野の、市場で町会関係の事務用品を買い、八王子に行き、妻が使う折り紙を買う。会館に行き事務用品を置いてくる。

午後は、ごみ拾いをしながら、旭やに14日の町会の総会に使う飲み物と、あっちゃん弁当屋さんに(74個×800円)を頼む。本家に行き、草取りを5時まで2時間ほどしてきた。孝貴と、敏雄さんに会って、話をして来る。孝貴の顔色が先日より良くなって、ほっとする。

5時ごろから空模様がおかしくなり、ポツポツ降り出して来た。

2007年4月 8日 (日)

若葉の想い

桜も花吹きとなって散り急いだ感じ、いよいよ野山は、若葉の季節になり、鶯からホトトギスの季節は移ろうとしている。そんな季節の変わり目(芽吹き時期)に毎年想うことがある。

ウコギの垣根であり。うずき垣根である。そして、上杉鷹山(治憲)のことである。(ウコギ=若芽は食料となる)

上杉鷹山は、日向(宮崎県)高鍋藩主(三万石)秋月佐渡守種美の次男として宝暦元年(1751年)7月20日江戸において生まれ、母は、黒田甲斐守長貞の娘・春姫で米沢藩四代藩主上杉綱憲の末娘豊姫の孫に当たる。

鷹山は、14歳の時から細井平州に師事し、講義を聞いて大いに賢君名主の知識を磨き武館を設けて、師90人選び武術の練習奨励し興議館を設けて藩学に意を用いるなど文武両道に振興を図った。

当時は貧乏のどん底にあった藩財政の建て直しを計り、藩政の改革も実施した。(明智光秀に加担して、減石されたため)すなわち、質素勤倹を励行し産業の興隆、荒地の開墾につとめ、特に養蚕を奨励し、染色機織等には、指導者を呼び米沢織を興した。

「なせばなる なさねばならぬ 何事も なせぬは人の なさぬなりけり」

(やろうと思えば何でも出来る、出来ないのはやろうと思わないからです。やろうとする事は、他人の為でなく、自分の為なのです)

「受け継ぎて 国を司の身となれば  忘るまじき  民の父母」

1961年第35代米国大統領に就任した ジョン F ケネデイ は、日本の最も尊敬する政治家として「上杉鷹山」を挙げている。

ケネデイの問いかけ (有名な演説の一説)

  and so fellow  american,s

    ask not what your country can do for you

    ask what you can do for your country

(それゆえ 我同胞 アメリカ国民よ  国家があなたに何をしてくれるかを、問うのではなく、あなたが国家に対し何が出来るかを自問して欲しい)

ここまで、ケネデイの心を揺さぶった鷹山の国を想い、民衆を愛する政策、執政は類を見ないものと写ったのだろう。そしてウコギの垣根に奨励したように実直な指導は見事と言うべきだ。そのウコギの新芽が出るころに何時もこの事を思い浮かべる。

また、垣根には、童謡でお馴染みな卯の花(うづきとも云う)がある。この卯の花にも思いで多いものがある。佐々木信綱作詞、小山作之助作曲の♪卯の花の匂う垣根にホトトギス早もき鳴きて♪♪とある。生きものすべてが春を通って夏になり蘇り大きく高く広く、前進するのである。感動の季節でもある。

  こだまして  山ホトトギス  欲しいまま (杉田 久女)

  卯の花に  花に勝りて  あらん嘘の数

  卯の花の  憂かる夕べや 待ちわびて

  やがて来る その日のために  紅うずき

  「うぐいすの 通ふ垣根の卯の花の  憂きことあわや  君が来ませぬ」

万葉集(作者不詳)

今日は、塚本事務所に一日いて、殆ど自分の事は出来なかった。妻は、さわやか会のお花見で(由井市民センター)午前中から、4時頃までいた。

都知事の選挙は5時20分頃行ってきた。投票率は(5時現在)38㌫(前回は35㌫)だった。

2007年4月 7日 (土)

人間には得意・不得意がある

人には、得意分野とそうでない分野がある。言い方を変えれば長所、短所がある。人間社会において生きていく上で、欲望のかたまりの人間がひしめき合って社会を構成しているのだある。ウム?何故こんな事を突然出したんだというと、慣れない町会の会計苦労しながらやって監査を受けて、基本的な会計の基を分らなく、自己流にしてしまった事に批判され、自分でも情けなくなってしまったからだ。

しかしどんな人でも、経験がなく始めての事は、失敗や、考え違いはあるものだ。外の分野に置いては人より優れている事はある場合がある。従って町会の役員などのボランテアの仕事は色々な部門があり、長は、それらの仕事にあった適材適所に協力してもらい長がやり易い人材配置をする事でスムースに会が運営していくもと思う。

また人がいなくて、どうしてもせざるを得ない場合は前任者の教えを聞きながら、やる事だと思う。

最終的には、気持ちよく助け合って会を運営していく事が大事だ。

朝、河合さんから電話あり、押入れ産業に行きたいので一緒に行って欲しいとの事で、同行した。帰って来て、妻を大横町の福祉会館まで送っていってあげた。

夕方、城趾2の総会4/29(日)の件で、矢崎さん、星さん、奈良さん、正明さんと話して懇親会をする事で話をまとめ、パソコンで打って矢崎さんに渡す。

前述の話で、人は、得て不得手がある、皆でそれを理解し協力し合って行くことが大事で、「そんなこと役員がやればいい」と云って自分は関係ないと逃げて?しまう事はよくない。

こんな事に直面したので、気分を害したので記して見た。

今日の空模様は、朝のうちは良く晴れて洗濯物がキッチリ乾く天気だったが午後から徐々に曇ってきて夕方から、雨となった。気温は17度ぐらいで過ごしやすかった。

2007年4月 6日 (金)

駿河湾の潮の香りと桜が印象的

旅行2日目の朝は、天気は良く気分も一新出来た。(昨日の疲れも朝風呂と十分な睡眠で取れたようだ)朝風呂に入り、朝食を取ってチェックアウトは9時40分になった。17号道路を沼津港に目指して車を走らせた途中旅人岬、桜のトンネル、富士山を車を止めて休みながら12時に沼津港に着く、遅い昼食(1時20分)取って、買い物をして、2時に出発して246号に乗る。

途中小山の道の駅に寄り、トイレ休憩をして伊勢原まで来る。(沼津港は数えきれな程行っているがどうしても、スンナリ辿りつけない。何だか方向音痴なのかなあ)

そして246号はかって知ったる道である。何時ものわき道ルートこれは宮ヶ瀬方面から来て、知り合いの鍛代さん(野菜を売ってもらう)フラワーランド(花、食料品買う)知っている。

帰りは、246号が秦野、伊勢原が混んでいたため(何時も経験をしている)上記のコースで帰ってきた。家に着いのが6時を回っていた。

反省点、体調万全で行くべきだった(今回は妻のサービスで行くと言う事に主向きを置いて行って来たが、最初の日は本当に疲れた顔をしていて心配かけてしまった)。

だが、彼女は、元気で帰って来て7時に何時ものダンスに出かけたのには、脱帽だ。

今日は、美波が小学一年生の入学式なのだが、どうだったっか頭にかすめていて、忘れてはいなかった。

2007年4月 5日 (木)

旅行は最高の日和だ

朝起きて雨戸を開けたら久しぶりの快晴だった。放射冷熱で気温は下がり前の家の屋根が、霜で白くなったような感じだった。昨日の町会監査の打ち上げで一寸飲みすぎがたたって胃が痛い(2時頃から目が覚めてしまっていた)それでも4時におき監査時の指摘の修正箇所をパソコンで打ち直しコピーをして7時半に、資源ごみを出しながら、高橋副会長宅に持参する(奥さんに渡す)。

勿論、朝食の支度を取って行った。帰って来て車の洗車をして中国から飛んできた黄砂を落としす。(洗っただけでは落ちなかったので、ウエスで拭いた。

9時に西伊豆土肥温泉(明治館)を目指して出発した。16号~129号~西湘バイパス・熱海~大仁~亀石峠~土肥温泉に着く、時間は2時10分だった。予約を取って3時までフロントで休む(3時に入室する、711号だったこの部屋はホテルでは一番多きい部屋らしい、18,000円/人だった。)12畳の部屋と6畳の部屋があって見晴しも抜群で、豪華だった。

風呂はまあまあであった。食事、対応、風呂、値段は、☆☆☆位かな、明治館は3回来ているが今回が最高と思った。夜は食事(部屋だし6時~7時)さすが寝不足と昨夜の飲みすぎと、運転の疲れが感じられて、超はやく9時に寝てしまった。

2007年4月 4日 (水)

花冷えが続く

朝のうちは、晴れて暖かかったが、午後は一転北西の空が黒雲に低く、覆いつくされて、やがて春雷伴い風雨が強く、吹き荒れた。桜の花びらを散らしながら枝も揺らすほどのものだった。

そして、これが将に花冷えとなって、震えさせた。歩いている人はコートの襟を立て、傘をしっかり掴んで風雨に耐えていた。「寒いねー」の挨拶をしながら桜の下を通り過ぎて行くのが印象的であった。でも4時ごろには上がった。

朝8時半に町会会計の最後の突合せをする為河合さん宅にお邪魔して、1時間で調整がついた、(どうも本気で取り組まなかったもので、真剣さが足りなかった=相手任せで反省した)確かに、途中からのことで仕方がなかったのかもしれない。今夜7時からの監査に間に合わすことが出来た。

家に帰ってきたら、トイレがパンクして水が溢れ出して、床がびしょびしょになって酷い状態になっていた。全くお腹を壊してトイレに行ったら、トイレが壊れてしまう、笑うに笑えない事態になったものだ。修理は奈良さんの清晴君にお願いする事にした。8日の日曜日頃になるのかなあ・・・

2時に歩き(どうしても歩きたかった)三ツ星まで往復歩いた意識して早足で歩いた。雨が降り出してきたときには家に戻っていた。そして、電気釜が半値で販売しているイトウヨーカドー狭間店に買いに行く。妻も喜んでいる。(以前から欲しがっていたから)

19時町会会計の監査を受ける。片倉町一丁目会館だ。

そして、出来れば、西伊豆に一泊旅行に出かけたいが、天気はどうだろう。(前々から移行と思っていたが天気が悪かったり、体調が悪かったりで行けなかったからなあ・・・

2007年4月 3日 (火)

平凡が非凡と言う事だ

今朝、NHK深夜便で心の時代(4時からの放送)は藤沢周平の一人娘の遠藤展子さんの「父の残したぬくもりと家族の絆」と題して彼女の生い立ちと父の家族に対する思いやり等を語った内容であった。

たそがれ清兵衛とか、武士の一分、蝉しぐれ等の数々作品があり一部映画化されて、現在若者たちに人気が出てきたとの評判でもある。そして記念館が娘の展子さんを中心に進められていると事である。

10年前に肝炎で亡くなっている藤沢周平は69歳であった(今の自分と同じ年)生まれは山形県の鶴岡市の農家で昭和2年に出生で教員、記者生活をして作家となった。結婚して展子さんを生んで8ヶ月で妻が亡くなった(28歳)

後妻を貰い、展子さんは、後妻に実の娘のように育てられた。それには藤沢周平の「普通が一番」の信条で、家族の絆を大切に思い、貫き通したとの事だ。(展子さんの作品に藤沢周平 父の周辺がある)

そう云えば、平成10年に亡くなった、妻の父親の口癖に「平凡が非凡だ」という言葉が思い出す、父親は、特に取り得などなかったが、真面目に誠実に生き抜いた方だったと思う。

そんな事思い浮かべると、「平凡が一番」と「平凡が非凡」と同じだと思う。全くその通りであると確信するのである。妻の父親(義父)の年と丁度10歳下の藤沢周平でまた10歳下が自分だが、時代は変われど今平凡に普通に暮らして生きたいと常日頃思っている自分に勇気を貰ったようなことだ。そしてこれからの生活信条に意を強くした。(これが、中々難しいのだ)

今日は、気温が10度まで届かず寒い一日で雨が降っていて(一寸止んだ時もあった)そして体調が十分でないので一日中家にいた。

高校野球は初出場同士の対戦となって静岡の常葉菊川が岐阜の大垣日大に6-5で優勝となった。プロ野球、MLBのようなスマートさはないが、一生懸命さがあってとても清々しく面白かった。

今日の話題は、黄砂の事だ。中国のゴビ砂漠から舞い上がった砂が偏西風に乗って30時間~70時間かけて日本列島に降って来た。これも中国の環境問題の一つかと思うが、砂漠が植林の伐採により毎年300ヘクタールも砂漠化しているとの見方もあり、大変な問題だ。

19年度始めての、防犯パトロールに参加者は矢崎さん、青木さん、大庭さん、荷見さん、佐藤さん、滝島さん、自分の7人だった。

2007年4月 2日 (月)

生きている事は初めての事ばかり

この所天気の変化はめまぐるしい。晴れていたかと思えば突然雷をともなった雨が降り出しまた晴れる。このことは素人考えだが、冬の季節から夏に変わろうとしているこの時期の現われだと思う。言わば冬と夏の勢力争いであり、押し問答をしているところだ。こうしながら季節は一歩一歩夏に移行して行くのだ。

こうゆう季節は人間にとっても、変化がおきる。体調が狂ってしまって、昼から寝込んでしまった。とても旅行どころではない。諦めて良かった。

確かに昨日と今日の温度差は10度ぐらいあったと思う。寝込んで(3時間)起きて夕食をに起きたが、何だかとても疲れが感じ普段不規則な睡眠の取り方(8時ごろ寝て2時ごろ起きだして4時ごろ寝て5時に起きたり、2時に起きてそのまま朝を迎える)まあ・・そんな生活では長生きできないと?・・・とても反省してしまった。

確かに、自由気ままの生活だが、けじめのついた生活をしないと体に差し控える事になってしまう。こんな事を考えてしまった一日だった。

季節は、人間の感情などお構いなしに回っている。人間社会でも変化してしている、高校野球ももう明日は決勝だ。また、プロ野球もセントラルも始まっている。6日は美波の入学式であり、都知事選も8日に投票日だ。こんな風に一年はどんどん過ぎ去っていくのである。

こんな気ぜわしい世の中に、一日ぐらいの休みは良しと考えてゆっくりしたっていいと思いながら一日を過ごした。

そして、明日が見えない今日この頃で全く想定しない事件や、事故はやってきたり、全く一人よがりの人間の存在にぶち当たったり、始めての経験しなかった事態が起きて、おろおろする毎日に思える。

一体多くの民衆はどっちに向かって動こうとしているのか、そこにカリスマ性のある指導者が現われ引っ張っていく偉大な人物が現われることを望むことはどうだろう。

ヤッパリ結論は、「愛」「人間愛」を持って人間社会を統率していく、一つの宗教を求める事になってしまうのかなあ・・・

2007年4月 1日 (日)

蛋白質偏重からバランス食に変える

4月、早いもので4分の1年が過ぎたのだ。完全に何処か狂っているようだ。1週間前に、予想もしない石川県に、震度6.8の地震が起きて大変な被害があった。

今日は暑くて静岡県では31.8度と真夏日となってしまったり、東京地方でも24度であった。そして台風1号が発生した(普通かな)でも、何かおかしい。 

春に3日の晴れ間なしでもう夕方より雨が降ってしまいせっかく旅行でも行こうと思っているとまたもや、雨で中止をせざるを得ない。

今日は、午前中は掃除機をかけ植物を外に出し、水遣りをして家の中をサッパリとした。もう観葉植物も寒さのも大丈夫だろう。午後は約2時間歩いて、今時に珍しい銀杏を買ってくる。八王子本郷横丁まで行ってきた。

気になることだが、都知事選挙行われる。オリンピックでの議論だが石原さんは人間の生きる夢だと言っているが、お金の問題と環境の問題でどうも説明が分らない、2兆円とか3兆円の経済効果があるというのだが、どうも信じられない。

また、築地の市場を移転だが、どうも食品を扱い多くの人に影響して仕舞う。何と言っても目に見えない毒性の強い厄介な物質だ。そもそも東京ガスの跡地(豊洲)で有毒なものがあるといわれていた所、現在消費者は、反応が厳しい、石原さんも押せ押せだけでは勝てないとおもう。

また、4月は新しい年度始まりであり、一番気になることは、孫の美波が1年生、亜美が2年生に入学進学する。一つ一つ年を重ねる。そして離婚の奥さんにも厚生年金、共済年金が最大で半分貰える法律が出来て施工されるとか。・・・

世の中、余りにも早く回りすぎている感じだ。ゆっくりすればいいと思う。

そうそう、今日のNHKの深夜便で心の時代で、香川大学名誉教授で北川博敏さんの「食の心を子供に伝える」という話の中で、日本人の野菜食から肉食に大きくぶれて来たすなわち欧米型に移行してきた。従って生活習慣病が多くなった。循環器病、やガンが多くなった、アメリカなどは一時日本より多くいて、そのため平均寿命も低かったが、この所大分追い上げられてきたとのことだ。

だから、野菜食の効能は、健康に長生きする条件の一つだという。日本古来の野菜中心の食生活に戻る事を勧めるという事だ。大昔よりある野菜(野草)は蕗、韮、野蒜、芹、三つ葉、等にいえる様に、香りのするいわゆる香味野菜である。今の若い20代30代の人たちはあまり興味がないと思うが、自然の中ではぐくまれた野草は灰汁は強いが香りは何と言っても良い物だ。そして、そうした野草を食べたらいいと思う。何と言っても食物繊維が豊富であると言う事だ。

日本には外国にない、多品種の野菜があるが、殆どが外国生まれだそうだ。大根は地中海、ジャガイモはペルー、白菜は中国、サツマイモは原産は熱帯アメリカという、1609年に琉球に持ち込んだとも云われている。そんな風にどんな野菜でも栽培可能で、日本の国では良い土壌に恵まれているのである。

ああそうそう今日は八王子に始めての道の駅が出来たそうだ、これには黒須市長も得意げだったが、街を歩いて気づいた事は余りにもシャッターが下りて人通りが少ないのには驚いた。活気がない、もう死にかけている?一体どうしたということだ。

一番強調したい点は「蛋白質食中心の食生活から野菜を十分とって、バランスの取れた食生活をすることで丈夫に長生きできるコツだという事だ。脳を柔らかにするという事でもある。そして、肝心なのは、年寄りばかりの住民ばかりとなった街だが老人パワーを発揮し元気に生き抜くことだ。

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