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2006年9月

2006年9月30日 (土)

今日の言葉(柔軟心)

柔 軟 

おれが、おれがと言うところには、この柔軟心はありません。すべてを受け容れ、全てを調和して行く心が柔軟心である。

幹が堅い木々は、強風で折れることもあるが、竹や、柳のようなシナヤカな木々は風の吹くままになびき幹が折れることはない。実に柔軟になびく。

我々もともすれば、意見の異なった人たちと論議に立ち向かい相手を打ち負かそうとする。極端には、相手の考えを否定しますが、相手の考えの出てくる根本的に思い及んで良く聞き届けて同感部分受け容れて調和していく姿勢で生きて行きたいと思う。

調和とは、決して相手の意見をすべて受け容れていくことでなく、よいコミ二ケーションを取る事だと思う。言い換えれば「柔軟心=素直で広い心」と言える。

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2006年9月29日 (金)

ばつが悪い思い

毎日朝ボランテアで(通算13年ぐらい)、湯殿川の河川敷の通路と国道16号から、セブンイレブンのお店の前と片倉町一丁目町会の城址2班範囲をゴミ拾いをしているが最後捨てるところはセブンイレブンのゴミ箱に入れている。店長の柿崎さんには、断っていないが黙認して貰っている積り。いつも朝早いせいか会うと言うことは無かったが、何時もいないときにすてているのだが、今日は店長がゴミ箱の整理をしていたので,そこえ持って行って捨てるのは、気がひけた、躊躇してし暫らく様子を伺い店長の姿がいなくなるの見定めて、捨てに行ったので、大変バツの悪い思いがした。

本来は、拾ったゴミは選別して市のボランテア袋に入れて出すのだが、袋が大きすぎて1回や2回では一杯にならず、出せないので、セブンイレブンの周りがいつも多いのでセブンイレブンのゴミ箱に悪いと思いながら、入れてしまっている。

しかし、まあ・・・拾っても拾ってもよく捨てるもんだと思う、ビンや缶を捨てたら後どうなるか、また、自分の家や部屋に捨ててしまったらどうなるか考えて見たことがあるか言いたい。

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IPODとは、

「IPOD」(あいぽっど)とは、今若者に人気の、apple社製の小型ミュージュック・プレイヤーである。 

HDDにデータをを記録するのが特徴でHDD容量は、30GBと80GBの2モデル

etc・・・とあるが、全く解らない。それだけに、今の「IT]製品には、まったく解らないのである。これを知っているか、使っているかで「脳年齢」を調べる調査方法の一つにあった。色々出題項目の中だが、どうも遥かに遠くに取り残されてしまったような気がして「がっくり」してしまった。

これから、生きていくのに必要があるかでは無く、実際世の中、日進月歩、進歩しているのだ。

人間の生きていくためには、向上心は必要であると思う、便利さの追求だが、忘れてはいけないのは心の成長である。こういうハード[機械的にはソフト]に人間の精神的ソフトとバランスが取れない、人間社会になってしまう事を憂い、記してみた。

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2006年9月28日 (木)

自然と科学

我々の、人類の共通点は、誰もがこの小さな惑星に住み、誰もが同じ空気を吸い、誰もが限りある生命を生きる事だ。

すべてが進歩しているだろうか、停滞し、退歩し同時に失われていくものが多いのではないかと思う。

失われていくものが、すべて不要であり、時代遅れのものであっただろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあったものを進歩と誤解し時にそれが人間でなく、生きとし生けるものを絶滅にさえ、向わしめつつあるのではないかと思うことがある。

だから、人間の行ってきた行為の歴史を振り返り、考えて見直すことが、大切である。それには、学校教育が大きな役目となるのだろう。

今政治は教育基本法を見直し、自然科学に目を向けていかなければならないと思う。どうも、日教組の間違った考えを許してしまったことの付けが来てしまっているのではないだろうかと思う。

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2006年9月27日 (水)

何だか解らぬ

生きると言う事がよく解らぬ、迷いではない、と言うよりも人の手から糸が離れたような感じで、(糸が切れた凧でわない)とても不安定な心境である。経済的にも、健康面でもいま、どうって事は無いのだが、心が何かにしがみ着くものが無いようで、ちょっとした流れが変わったり、いわいる状況が変わると不安を感じるのではないか、また遭遇してしまうのではないかと、心配するである。

逆に大きな傷を負い、直している最中では、無我無中でそんな回り道的考えなど思いつかないだろう。だから贅沢な悩みとも言える。

今日は朝は冷たい雨だったが、昼から雨は上がり、青空が広がった、そして風は秋である。雨上がりの空気の浄化され、遠くの山々は、蒼くスッキリと見え、田圃の稲の黄金色とコントラストが素晴らしいと感じながら、前述の事を散歩しながら思い浮かべて見た。

今の心の生活で満足してはいけない、今で無ければ出来ないことがあるはず、大きく深呼吸して、足元を見直そう。まだまだ、考えることが出来る環境にあるのだから・・・・。

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安倍首相の最初の言葉

「隗より始めよ」

阿倍新首相が始めて話した言葉、「隗より始めよ」と言うこと

中国の戦国時代 郭隗(かくかい)が、燕(えん)の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分より優れた人物が自然と集まってくる,と答えたと言う。

凡庸=平凡で取り得の無い事

郭隗=中国の戦国時代の燕(えん)の政治家。昭王に、人材を集める方法を問われ「先ず私を登用しなさい」と答えた。有名

燕(えん)=中国の春秋戦国時代の国七雄の一。

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2006年9月26日 (火)

地球の温暖化について

地球の温度が、氷河期以降最も暑い・・・・「別の惑星」の危機

米航空宇宙局(NASA)は25日、地球表面の温度は、この30年間で、10年当たり0.2度の割合で急上昇しており、約1万2000年前に氷河期(氷期)が終って以降最も暑くなっていると発表した。

地球温暖化問題の火付け役になったNASAゴダート宇宙科学研究所(ニューヨーク)のJ・ハンセン博士らが20世紀に世界各地で観測されたデータを分析した。温度上昇が最も激しかったのは北半球の高緯度地域で、研究グループは「雪や氷が解けて地表が露出するとする、と太陽光の吸収が増えるため」と考える。

あと2~3度上昇すると海面が25メートルも高かった300万年前と同程度になると言う。「私達が知っている地球とは違う別な地球になってしまう」と研究者達は、生態系の激変を心配している。(9/25読売新聞) 

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時節はめくりめく変わる

「季節は、確実にめくりめく。」

季節はもう秋、暑い暑いと思っていた夏の象徴であるギラギラとした太陽と、うるさいほどの蝉の鳴き声は、影をひそめて太陽は南に傾き夜には虫が鳴き出し、夏の面影は薄れてきた。

一日一日の経過を振り返り反省する事も無く、過ごしてしまって、アッと思う間に季節の移り変わりの早いのに驚いている。

人間も、現状維持はできないことは分かっているが少し寂しい、悲しい、侘しい、等の気分になることもあるが、これは自然の法則である。

命のはかなさと尊さを、もう一度考えて見る季節になって、今の社会情勢と風潮をよく見ると大変な、ことばかりである。

浮世を離れてみて、この地球を、他の星から眺めてみたら、いけないことや、この先のことが分かるのか、と思ってみたりした。

だから、季節は変わることに人間は、感覚を研ぎ澄ます事を怠っているような気がする。もっと季節感を持つ心のゆとりと、落ち着きを持ちたいものだ。

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2006年9月25日 (月)

今日の一言

「小水も常に流れば即ち能く石を穿つが如し」

精進の秘訣は、「只ひたすらに、うまず、たゆまず励み」努力する事が肝要だ。これは、悟りを求める者への仏教の修行に関する心構えとも言うべきものだ。

ちょと1ヶ月座禅に通って悟りが得られると言う簡単なものでなく、偉いお坊さんの講話を一日聞いてそしてお念仏唱えて安心(あんしんと読み、他力本願といわれる浄土宗・浄土悟りのようなもの)が得られる程、たやすいものでなく、数年・数十年と座禅をし、お念仏を唱えても無理。

しかし、だからと言って諦めては、それこそその時点で駄目は、ハッキリしている。

進歩の度合いは、水滴が石に穴を開けるような目に見えない進み方であっても、ただひたすらに努力すると言うことで、むしろ、悟りを得ると言うことが目的でなく精進すること自体、それだけ良い心境になるのである。  (無相庵より)

うまず=あきたりしない 穿つ=穴をあける  たゆまず=力を抜かず 能く=よく

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2006年9月24日 (日)

本音と建前

今日、息子達一家がお彼岸でお墓参りに来た。いつも感じるが、台風が来たようで、準備が大変だ。こう云う泣き言が出ると言う事は、「年を取ってしまったからかなあ」子供達は、可愛い孫を見せに来て上げたと言うと気持ちでいるのかと思うが、親とすれば嬉しいと思う反面、早く帰ってほっとする。これも年のせいかも知れないが、台風が来たようで疲れる。本音は来てもらいたいが、長くいると辛い。だから、「来て良し,帰って良し」で建前と本音が出てしまう。 

まあ・・・こんなことは、考えたくないが、誰でも感じている事だと思う。親の役目であり子供いない夫婦や、孫のいない家族達にすれば、贅沢な悩みだ。まあ・・何とか生活できているのだから良しとするか。

ここで云えるのは、子供や孫に財産をつぎ込んでしまって、老後は、子供達に見放されて、寂しい思いをだけはしたくない。今日は、そんな事を感じ、子供達に対する感情を本音と建前を考えてしまった。

こう云う現象は、なるべくしてなった事で時代の変革で仕方がないのか?3世代家族なんて、1940年~50年代は普通だったが、老夫婦だけの生活を経済的に余裕の老後も最終局面には悲しい寂しい最後となるのか(その分長生きしているが、)全く、選択肢がない直進型(一本道)の人生行路となって行かざるを得ない。

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ジェンダーフリー(gender free)

ジェンダーフリー(gender free)について,辞書で見て単純に要約すると、「社会的性差(ジェンダー)の押し付けから自由になる」と言う和製英語で、ジェンダーバイアスフリーと呼んだほうが正しい。」

ジェンダーフリーは、社会的、文化的性差に対する偏見や、制度的障壁から自由に意味すること、他人や、社会制度に無理やり「男だから○○しなければいけない、女だから××しなければいけない」と言った固定的な性差関係・社会的役割を押し付けられないようにしましょう。言葉。リスペクトっ。

 性差とは 「性別不問」ニュアンス使っているが間違ってはいない。男女の生物的な違い。生物的な違いだけでは無く、職業適性や、価値観の違いなどの社会的・心理的差異を言う。

リスペクトとは尊敬する、敬意を表す。

性差と云う言葉を最近政治家を始めいろんな学識経験者が使っている、何でも英語[横文字]にすれば良いと云うことでも無いと思う。しかし、今世の中権利ばかり主張して義務や責任感が薄れてきている。むしろ、男で無ければできないこと、女でなければ出来ないことのをハッキリさせることも大事なことであると主張しなければいけないと思う。

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2006年9月23日 (土)

最近生きて感じた事

お最近、何かインスプレーションのような、感じることがある。悟りを得たような、全てを征服したような、しかし、完全にマスターしたわけでないが。こごれた糸をほごすきっかけを、見出せたようでもある。だが修行が足りないので、まとめて言葉や、文章には、出来ない。でも、近い内に出来そうな感じだ。

今まで生きて来た、価値観や、観念を覆す新たなイメージを見だせると思わせる事象が感じられたのである。

一方、今まで生きてきての体に対するいわゆる健康に対する危険予知のようだもある。 

だから、あまり嬉しくもないが、気持ちの良いもでもなく、言える事は、今までの日常生活を反省し、心を入れ替え、謙虚さと、素直さをもって生活せねばならいとの警告と受止めたい。言い方変えれば、新たな段階[曲がり角]に来たのかと思わせることだ。

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2006年9月22日 (金)

生きて行く指標

「長いスパーンで見ろ」年や、2年じゃ花も咲かないし芽も出ない,でも、10年待てば必ず実がつく。

「逆境克服法」 人間関係の壁は、自分の心の壁、それを壊す。自分自身を変えるきっかけは、自分自身を、離れた所から見てみること。

「偶然の幸運をつかむ」幸運を掴む能力(serendbipity・セレンディビティ)を、高める。そのためには、考えて、考えて、考え続けて人に会うこと。

「you know everything」 前は、全てを知っている自信を持てと言う事。

中国の古い諺で、 徳は、孤ならず必ず隣有り」直感は、自分の経験や、価値観、思いなど、総合的に脳が無意識に判断し出した答え、だから、壁にぶっかったときや、重大な決断を下す時に、論理的思考より、直感を信じて、行動をしたらいい。

                                         

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2006年9月20日 (水)

プロの生き方流儀

茂木健一郎の「プロの生き方の流儀」NHKの番組から

人間逆境の出会いを3つの流儀で乗りこえている。

1、ありのままの自分をさらけ出している。

2、人生を変える出会いや、言葉に出会っている。

3、論理より、直感やひらめきを信じる。

1は、人間の脳には、共感の回路と言うのがあって、相手が感じることをあたかも自分が感じているように反応する。その回路は、相手の弱みや、痛みに対して働きやすい。   2は、何でも好きになれば、一生懸命になる。何でも信じる事が出来きてことが見つかれば人生楽しく生きられる。                                      3は、壁にぶっかったときや、重大な決断を下すとき理論的な思考より、感情が訴えかけてくるのに、従う方がいい結果もたらす。

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2006年9月19日 (火)

敬老の日(長寿社会)

敬老日「長寿社会」

今日敬老の日に思う。いま日本では、100歳を越えるお年寄りは28、000人に上る。 一世紀以上を生きてきた先輩たちに、改めて敬意を表し長寿をお祝いしたい。高齢者名簿が始めて公表された1963年100歳以上は、わずか153人だった。将来2025年16万人、50年後は、51万人と予測されている。長寿が、多くなるのは、喜ぶべきだが、問題は、現在、そして未来の日本が「長寿は幸福」と言い切れる社会かどうかであろう。昨年(2006年)の国勢調査では、405万人高齢者の一人暮らしている。5年前より105万も増加した。家族の有様が、教則に変化し、高齢化と単身化が、同時に進行している。これまでは、高齢者の多くは家族や、地域で、見守ってきた。しかし、大家族は減り近所の付き合いは、希薄になりつつある今、その役目を補完する仕組みを整える事が必要だ。とりわけ、重要なのは、認知症対策である。現在認知症のお年寄りは、170万人と推定される。独り暮らしで、症状を自覚していないケースが、少なくない。 

自分達夫婦も、高齢者の仲間入りした。暗闇の将来にどうしたらいいにか、不安は、一年一年増すばかりである。3Kと、言われている経済、健康、家族構成の不安は、社会構造と経済成長に歯車が完全にかみ合わないまま、時が過ぎた感じで、物心の不満が表れてきているのは、今まで色々の形で活躍され社会を創ってきた、お年寄りだけの責任ではないだろうと思う。若い人も、必ず通る道を身近の問題として真剣に考える事が必要だ。

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2006年9月17日 (日)

延命治療について

延命治療中止の方針案「チームで判断」盛る。

厚労省で、富山県の射水市民病院の外科部長が、人口呼吸器を外し、7人の末期患者が死亡した事件があった。これを受けて厚労省は、終末期患者の延命治療の中止に関するガイドラインの素案をまとめた。主治医の独断でなく、患者の意思を踏まえて医療チームが、判断するとした。同省は、ホームページに素案を掲載して、意見を求めるなどして、年度中に、指針をまとめる方針だ。

素案では、薬物投与などの安楽死や、自殺幇助(ほう・じょ)などは、どんな場合でも、医療行為とは認められない。と、指摘。その上で、死期が迫った患者に延命治療を、やめるかどうかは、患者の意思を(1)確認でき(2)できないーーのケースに分けて判断すとした。

(1)は、患者の意思を踏まえて看護師なども含めた医療チームが方針を決め文書にまとめる。症状が変わるなどすれば、意思を再確認する。

(2)は、家族の話から患者の意思を推定、それも難しい時は、家族の意見を参考に医療チームが最善の治療方針を選ぶ。

患者と医療チームが合意できない・チーム内の意見が割れた・などの場合は、病院内に複数の専門職からなる委員会を設置し、助言などを求めるとした。

末期医療に対しては、色々考えさせられる経験がある。家族の経済的、精神的負担に対する問題と生命の尊厳と本人の意思とが絡み合い、解きほごす事と、判断を決定ずける資料が生前に分かるようにして置きたいと思った。                       

(9月15日の新聞のコラムから)

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2006年9月16日 (土)

今日の一言(無相庵より)

[奈かなかの(長々の)月日をかけて御仏(みほとけ)は、そのみ心(みこころ)をとどけたまえり]

私の心の中に真実によるものは無い。しかし、こんな私に願いをかけ、見守ってくださる仏様のお陰です。

名古屋の曹洞宗の高徳な、お坊さんとして有名な西川玄苔老師が、詠われたものだが、私達は、仏教の話を真面目に聞くときもあるかと思えば、とんと忘れてしまって、仏様を、拝む事も無い欲望生活に身を置いてしまう事がある。そして、その繰り返しの人生だが、仏様の方はずーと待っていてくれて。決して見捨てる事はありません。

と言う悟りの境地の詩だ。私達も確かに折りに触れて、折りに触れ連れ戻さされているかのように感じる事もあるが、この詩を自分のものとして実感できる瞬間が来るだろうか?

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ローマ法王の発言

ローマ法王・べネデイクト16世が、イスラム教が本質的に暴力を容認する宗教であるかのような発言をし、イスラム諸国が怒りの声が上がっている。母国ドイツの大学で講義で東ローマ帝国皇帝を批判に触れ「(イスラム教開祖)預言者ムハマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは、邪悪な残酷だけだ」と指摘。その上にイスラムの教える[「ジハード」聖戦]の概念を批判した.

現下、世界ではイスラム教の国々で起きている紛争は全く宗教間の争いの感がある。9.11の同時多発テロから5年、アメリカも,力で抑え込むような、過去にベトナム、朝鮮は半島、等の紛争とイラクの紛争も、目的がぶれて来てしまっている。最終的には、何のための戦いなのか分からなくなっている。そこに、第三者的立場のローマ法王が、偏った発言は、控えるべきと思う。確かに、紛争となるとイスラム教対他の宗教である。イスラム教の[ジハード」は、他宗教では考えられない事だ。

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2006年9月15日 (金)

格言(言いたい放言より)

天海大僧正が徳川家康に贈った健康法

「気は長く、努めは堅く、色うすく、食細らして、心広かれ」

親鸞上人

「身を削り、人をば救う擦りこ木の、この味しれる人ぞ尊き」

福沢諭吉

①世の中で一番尊いことは、人の為に決して恩にきせないことである。②世の中で一番楽しいことは、一生楽しい仕事を持っていることである。③世の中で一番美しいことは、全てのことに愛情を持つことである。④世の中で一番惨めなことは、人間として教養のないことである。⑤世の中で一番醜いことは、他人の生活をうらやむことである。⑥世の中で一番はずかしいことは、嘘をつくことである。⑦世の中で一番寂しいことは、仕事のないことである。

      

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24時間断続睡眠

このところ、「24時間断続睡眠の状態」だ。どういう事かと言えば、朝から眠いし、夜るは普通でもトイレに2~3回起き、3時頃に起きてしまう(目が覚めてねむれない)状態だ。なんとかしなければと思うのだが、「まあぁいいや!」惰性の人生で嫌なのだが、特にこれだけは、しなければいけない仕事がある訳でもなく、あまり苦にならなくなった。しかし、こういう事は、良くないと思っている。いけないのは、パソコンを弄っていて、興味があり起きて直ぐやりたがる癖になってしまっているので、何時でも正常に戻せると、思っているからだ。「いいじゃないか元気ならば」と言い聞かせている。また昼間そういう眠る時間がなければ、夜は早めにねて、充分眠れるのである。そんなに心配していない。ただし、「車の運転は居眠り運転に注意しないといけない」。なんだか凄い年寄りになったようだが、暫らく様子を見たい。夜が寒くなるので、そんな事できなくなるし、正常にもどせると思う。

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2006年9月14日 (木)

敬老の日(孫の幼稚園へいって)

敬老の日と言う事で、孫の幼稚園で、ちょっとした、イベントがあると言う事で行ってみた。今回で2回目で、最初は亜美と真宏の二人が在籍していたので、是非行ってみたいとの思いがあったが、今回は、ウイークデイで電車は混むし、考えたが暫らく顔をみていないので行くことにした。子供は生れてきた時は皆同じで、育つ環境により、性格もそれぞれ変わった個性の持ち主になって行く、大事なのは幼児期には良い環境で育てて行くという事だ。親子のスキンシップが如何に大切かを、今日改いめて感じた。その理由は、ある子供に話しかけたら、殆ど真宏とではなくその子供に抱きつかれてしまって、真宏と遊ぶ事が出来なかったので、スキンシップが普段ないのかと思った。この頃の幼児期は、人間形成のだ第一段階で、人間の信頼感、感受性の醸成の最も大事な時期だと思う。

それにしても幼稚園に行き、自分の老人化をつくづく実感した。今日来たお爺さん、お婆さんの中でも年は上そうだし、電車の中を見渡してもやはり年は上の方だし、まあ時代が、動き、太陽が東から西に傾く自然の法則で仕方がない。また頭は白髪で薄くなり、顔はシワが寄り、腰は曲がりはしたがまだ元気なので、年を取るのは有り難い事と思うように努めたい。(まだ若い若いと思っていたがいつの間にか年を取ってしまった)今日幼稚園に行って感じた。

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四季は巡る[勝手な思い]

暑い暑いと、思い早く、涼しくなって欲しいと思っていたら、秋雨前線が日本列島に横たわり居座った感じで、雨ばかり三日降り続いて急に寒さを感じるようになってきて暑さを懐かしむ思いもある位だ。と、勝手に思っているのだが、これも自然の成り行きである。万物の生命を持つものは、夫々の命をまっとうに果たしている。

物凄い速さで伸びる外来種の背高泡立ち草は、3メートルもあり、幹も直径5センチもなり、また驚くべき繁殖力である。在来種は脅威で絶滅を危惧している所だ。これは、人間のやる仕業で、ある意味では、自然を破壊いているのは、大変で、取り返す事が困難となってきている。人間のエゴで、自然の操作を意識、無意識にしているのである。四季は巡るが、野山を歩いて見て本当に自然を護っていく大切さを、考えさせられた。 

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本日の言葉(夢相庵より)

「あれを見よ、明日は散りなむ花だにも、生命(いのち)ひと時を咲く」

これも一期一絵と同様今を真剣に生きようと言う事を精一杯に咲いている花を見て読まれた詩である。

作者の丸条武子は、佐々木信綱に師事し、多くの詩を残している。

華やかな人生の中にも、いろいろな問題を抱える中である時健気に咲く花に励まされて、詠うたものだと思われる。

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2006年9月13日 (水)

塙保己一(はなわほきいち)

[塙保己一]

生年延享3年(1746年)  埼玉県児玉郡児玉町   

没年文政4年(1821年)

7歳の時から、病のため失明、12歳の時母親えを亡くし、宝暦10年(1760)15歳で江戸に出て、雨富検校の元で、音曲やあんまの修行に入る。その後、保己一の学問に対する情熱と才能を見抜いた雨富検校保己一を学問の道に進ませ国学・和歌を萩原宗固に儒学・漢学を川島俊明に学ばせた。保己一の学問は、人に読んでもらうのを聞いて覚えるというもので、優れた記憶力の持ち主してであった。保己一は一度聞くと直ぐに覚えてしまうと言われている。保己一は学者としての名声もあり天明3年(1783)38歳で検校(旗本と同格)に進み寛政5年(1793)48歳の時に、国学研究の場として和学講談所を創設を幕府に願い出て許可され、ここで多くの門弟育て、また水戸藩から「大日本史」の校正依頼をはじめ数々の資料編集事業を行った。文政2年(1819)には着手以来41年かけた「群書類従」正編670巻を、刊行を完了し同4年(1821)2月総研校となる。「群書類従」の刊行は、その生涯をかけて取り組んだ一大事業で、保己一は貴重な記録文学作品等の古典籍が広く活用される事なく、各所に放置され散逸していく実態を歎き、数多くの文献を集めて分類。整理し670冊の版木本として、41年間にわたり刊行を続けた。   「群書類従」をはじめ、保己一が残した数千冊にのぼる書物は、日本文学や日本史等を研究する上で、今尚欠かす事の出来ない、貴重な資料となっている。(この事がNHKの朝のニュースで話題となっていた為記す)

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2006年9月11日 (月)

自ら処する道(放言より)

「自ら処する道」[(中国の明代・崔後梁(サイコウキョ)]

1、 自ら処すること超然(チョウゼン)自分の事だと直ぐカッカして、自分を失うのでいつも自分を突き放して眺めることが大切である。  2、人に対すること藹然(カイセン)人に接するには、春風を以ってする。3、有事に対すること斬然(ガンゼン)事あれば因習を破りズバリ決断決行する。  4、 無事に対すること澄然(チョウゼン)  事がなければ雑念を去り、清閑を楽しむ。   5、 得意に対すること澹然(タンゼン)   得意のときも軽佻浮薄にうきうきせず      6、 失意に対すること泰然(タイゼン)   事に破れ失意のどん底にもゆったり腰を据えるこれぞ真の自由人の境地である。

伊達政宗                

1、仁に過ぐれば  弱くなる。

2、義に過ぐれば  硬くなる。

3、礼に過ぐれば  諂(ヘツライ)いになる。

4、知に過ぐれば  嘘となる。

5、信に過ぐれば  損をする

            

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2006年9月 8日 (金)

本日の言葉

[独り慎む](ひとりつつしむ)

日常のすべてにわたって、気紛れな私の「やりたい、やりたくない」「好き、嫌い」の想いいを先とせず、道理に照らし仏様の眼を畏れ(おそれ)おのれを慎んで生きて生きたい。

他の人が見ているから、こうしなければとかではなく、また、自分の好き嫌いの判断なしに仏様の眼(宇宙の真理、世の道理)から見て今の自分はどうか、いまからしよとしている事はどうかと、慎み深く生きて行きたい。

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2006年9月 7日 (木)

今朝の読売新聞編集手帳より

歌に思い出があり、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れて行きます。・・・NHKラジオ「ニッポンのメロディー」で、今は亡き中西龍アナウサーが夜ごと聞かせてくれた名調子である。「あなたにとって皇室とは」と、人により答えはさまざまだろう。記憶に寄り添い、ときに記憶のつぶやきを聞いてくれる歌ーーー譜面もない、音も無い歌である。そういう答えも許されるだろう。昭和天皇が亡くなわれた折りには多くの人が、戦中戦後を歩みきたわが身の山坂を顧みたはずである。紀宮さまのご結婚に際して、自信が嫁いた日の晴れやかな胸の波立ちを思い起こした方もあっただろう。性別も障害の有無もしりたくない。秋篠宮や紀子さまは、病院長にそう告げていたという。授かる命がどいう子供であろうとも、この胸に抱きしめるのだ、という父の心、母の心が伝わってくる。紀子さまがきのう男のおこさまを無事出産されました。皇室では41年ぶりとなる男子の誕生でだが、性別よりも、何よりも、父と母にとっては元気な産声にまさる喜びあるまい。すこやかに、伸び伸びと、ひとの心の痛みが分かる人に育っておくれ。初めてわが子に語りかけた遠い日を思い出した方もあろう。皇室の緑が新涼の気に包まれた朝、心の浮き立つ歌を聴いた。

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2006年9月 6日 (水)

喫茶去(きっさこ)(無相庵より)

朝から晩まで、あれやこれやと思い回らす心をひと休みして、お茶の一服の味わいの中にひたっていると、一切のわだかまりも融けて、心も開放されてくるのです。

ある修行僧が、悟りを啓いた高名な、お坊さん訪ねて、禅問答に挑みました。肩に随分お力が入り理屈、理論を並びたてるその修行僧に、『まあ、お茶でも一杯飲んで行きな去れ』と爽やかに対応したと言う。

悟りを求めて、あれこれと頭を使い、頭を悩ますことも大切だけれど、頭を使えば使うほど悟りから遠くなりそうな時もあります。

私達の日常生活でも、理屈、理論に、拘って頭で解決しようとし勝ちですが、落ち着いて、お茶を身体全体で、味わえる、素直な態度、上下(かみしも)を脱いた、真っ白な心を持ちたいものです。

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凄く疲れたな・・・

修行が足りない。自分のそんな心持ちではてはいけないと思っていて、おおいに反省している。未熟者(本当はこんな事を記していけないのかなあ?)昨日の夕方家に帰り疲れがドット出た感じだった。良く考えてみれば、自分でしか、解決できない事だが。無人の本家の掃除に行き、誰も、気が付かない家の裏の草取りをした。夕方5時をまわり、蚊の襲来に遇い両手で顔を払いながら、作業をしたが、その手を刺され、顔までも刺されてしまった。誰にも頼まれず、ただ、自分の生れた家だけで、誰も家の裏など見てはいないのに誰も関心は無いと思うが?。

そしてアパートに行き、そこで草取り、玄関、廊下の掃き掃除をして来た。住人だって、自分の玄関にパンのビニールの袋やタバコの吸殻が落ちていたら、拾って良いのではないかと思たりして、汗を掻きながら、土ほこりと蜘蛛の巣のまみれた綿埃を掃除を行って帰って来た。

そんな事を考えるなら、他の人と同じにしなければいいのに、と思ったりして、本当にあんたは、馬鹿な男よ”反省、反省、誰にも言えない情けないだけだ。でも一晩寝れば治るかな・・・・

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2006年9月 5日 (火)

思いついたままに

さるすべり  一枝ごとの 重さかな

樫の実の   独楽の青さと 孫の顔

日焼けした  簾の奥に  老夫婦

空蝉の    爪は小枝に 朝の露

美しい花が咲き、そして、枯れてしまう姿、虫や生き物が生を受けそして死んで行くその過程で自然には、美しさ、素晴らしさと同じに醜さ、恐ろしさがある。そして、その中のに生きる私達の心にその自然との出会いによって考えたり、感じたり、喜んだり、悲しんだり、慕ったり、哀れんだりする感情が生れて来るのである。そこに詩があり、画があり、音楽があるのである。

路傍の名もない花に生きる強さを感じ蝉の抜け殻に生命の神秘を感じ、四季の移り変わり行く姿への感動する。そこに、詩や、画や、音楽、創られて、後々まで、伝えられ行くのである。そして、それを実感しその感動が自分に蘇って来るのである。

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一月三舟(いちげつさんしゅう)

仏教用語。一つの月でも、とまっている舟では、とまって見え北に行く舟から見ると北にいくように見え、南に行く舟からは、南に行くように見えることから、一つの事もそれぞれに異なって受け取ることができ、いろいろな、見かたをすることができる例えとして使われている。人間は、それぞれの、個性をもって生きていて、十人十色で一人一人違う。考えは同じようだが、クーロン的人間なんてありえないし、違わなければおかしい。しかし、一つの事象を捉えて、判断する場合、最大公約数で、平均的な判断できる『常識』が、人間生きるために法律があるのだ。その考えは、民族、宗教、風土から国によって異なることになる。その差の価値観と、利害から、相手を恨んだり、力関係で仲間に入れようとしたりするので、争いが起こるのだ。人間社会では、「愛と思いやり、罰と法律」で秩序を維持し生きていけるのであり、民主主義か、独裁か、それぞれ国家の成り立ちの歴史はあるが。いろいろの見方を最小限個人を認めて行くことも、とても大切な基本原則だと思う。しかし、この問題は、人間社会の争いの歴史からみても解決は出来ていないし、現代も続いている。非常に難しく、完全解決は非常に困難で今後も永遠のテーマになっていくであろう。

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2006年9月 4日 (月)

紅葉秋を彩る(季節は来る)

『紅葉秋を彩る』 「秋が紅葉に彩る」ではない。主人公は『紅葉』である。主人公を忘れたり、勘違いしてはならない。(今年もいつも年のように紅葉の季節がくるだろうもう少しで北の高い山では便りが届くかな。)人生の主人公は外の誰でもない、この私なのであると言う事を忘れてはならない。会社と言うものは、建物ではないし、製品やサービスそのものでない。世の中に役に立とうとする想い(理念と、知恵と、労力)の結果が、製品や、サービスと言う形に表れただけの事である。製品だけを出せばよい、利益さえ上げればよいと言う惰性に陥ると、昨今の有名企業の不祥事や企業の命取りともなる品質問題にいたるのだ。大きな会社も、その組織で働く一人一人の生き様や価値観によって進む方向は左右される。一つの歯車が破損したならば、会社全体がストップするのである。人生私が主人公である。私が私の人生をきめるのである。(無相庵より)

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2006年9月 3日 (日)

私の町の変遷(郷土のこと)

東京府南多摩郡由井村は、明治二十二年四月一日以前は、神奈川県南多摩郡片倉村、小比企村、宇津貫村、西長沼村、打越村、北野村であった。そして、昭和二十年十月一日に東京都南多摩郡になり、八王子市、日野町、浅川町、町田町、由井村、横山村、元八王子村、恩方村、七生村、川口村、加住村、由木村、多摩村、稲城村、鶴川村、南村、忠生村、堺村で、一市、三町、十四村の構成であった。

八王子に編入したのが、昭和三十年四月一日だ。 そして、由井村役場は片倉町39番地に存在していた。八王子市の人の流れは、平安時代に横山党や、西党などの武士団が存在していて、西党には、川口、由井、由木,平山、等の武士がいた。

戦国時代になり、信濃の国大石郷の木曽義仲の後裔で木曽家教の三男として生まれ大石為重の養子となった大石信重は八王子に高月城、滝山城などを造った。

鎌倉時代に入り和田義盛と小野氏(横山)と連合で北条氏と対立して敗れ、鎌倉の源頼朝大江広元に支配されるようになる。一九五〇年に北条氏が滅び、徳川家康となり、一方甲斐の武田もいなくなり、秀吉の大名となっていた、元武田信玄の末裔の部下が江戸を監視していて、また、武田信玄の家来だった、大久保石見長安(おおくぼいわみのかみながやす)が町づくりをした。

そてと甲斐の勢力に対抗する為八王子千人隊が構成された。豊臣秀吉、徳川家康の一六一五年大阪夏の陣の争いには家康に加勢した。そして、明治に入り、明治四年七月廃藩置県となり、また、士農工商の身分制度の廃止となり、八王子は江川太郎左衛門と言う人が仕切るようになった。そして八王子宿として人を集め、甲州街道の産業養蚕と織物の町を作っていった。

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汽車の思い出

蒸気機関車、D51,C11の、機関車の名前と、大きな鉄の塊であって、とても牽引力凄いと記憶に残っていた。夕方まで強い北風が強く吹き木の葉を撒き散らして一段と冷え込んだ冬の深夜などは、八王子駅の操車場で急いで電車の入れ替えをしている様子が1本の貨車を入れ替えが終った度に汽笛を鳴すので、薄いふとんを冷えた肩を掛け直しながら、「ポーポー」と聞える度に想像していていたそして、朝起きてみると良く晴れていて、外の手漕ぎ井戸は凍りつき、霜が白々と赤土を持ち上げていた。  また片倉信号所を通り過ぎて、宇津貫の坂を登って行くところで、急に機関車の力強く、「シュポ、シュポ、ポー」と大きな音が耳に届いた。衛ちゃんの叔父さんが、(卯太郎さん)良く、手まねして言って「なんだ坂、こんな坂、なんだ坂、こんな坂と汽車は言って走っているんだよ」と両手を腰で円を書くように回して、子供達にやって見せた。昼間走っていた汽車を見て、アッ!貨車が何台繋がっているか数えるのが楽しかった。そして、最終車両には、車掌が乗っていて窓越しに外を眺めていた。そんな情景を、今朝早く目が覚めて思い出したので記してみた。

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2006年9月 2日 (土)

郷土のこと(2)

神奈川県南多摩郡片倉と言われたのは明治四年4月1日(廃藩置県)の事、その後東京都と、なり、八王子町、恩方、川口、浅川町、加住、横山、由井、堺、柚木、町田町、南、忠生、七生、等の町村があった。

その以前片倉村呼ばれた頃は、原、新道、日向、川久保、釜貫、車石、台、只沼、時田の部落があった。鎌倉時代の道は、絹の道(鎌倉街道)から、横浜街道となり、戦後は、産業街道と呼ばれ、国道16号となって現在に至る。

鉄道は、甲武鉄道(後横浜線で八王子から相原~橋本から横浜まで)と、片倉駅は信号所で当時単線だったので列車の交換だけで止まったが乗り降り出来なかった。

汽車の(貨物)と電車(人)の通行で電車は郵便車が付いていた。汽車は(D51、C11とか)で止まらず通過した汽車があった。また、近所で野良仕事をしているお百姓に、汽笛で、時間を教えてくれる存在でもあった。(もう二時半の汽車が通ったとか)であった。また、信号所で必ず交換輪を取り交わして、子供達の興味持った(どうしてそんな事をするのだろうとか、交換輪作って遊んだりした)。

やがてジーゼル機関車、電気機関車に変わって、貨物の搬送は終った。京王線は、御陵線で北野から片倉、山田、狭間、の駅があり、多摩御陵まで現在の高尾線と狭間まで同じ路線だった。北野街道は昭和30年前半に出来たものだ?。

また、その当時は16号も今の半分の道幅しかなく、ガードレールも無く、現在の京王線のガードから住吉橋まで、ローラー(板に戸車を付けた)で乗って遊んでも車の、通行には、問題なかった。(最も、一日4,5台?位)

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九訓・九徳(放言より)

1、人の好まれる「九訓」を

① 見え透くようなおべっかを言うな。

② 柄にもにも無い偉そうなダボラをふくな。

③ 突き刺すような皮肉毒舌を飛ばすな。

④ 知恵を鼻先にぶら下げて知ったかぶりをするな。

⑤ これ見よがしになりふり着るな。

⑥ 浮かない時も苦り切った顔をするな。

⑦ 煮えたか煮えきらぬの返事をするな。

⑧ 慶弔より心配事に余計に同情する心もちを持て。

⑨ 右と言えば左というねじけ心をカラリと捨てろ。

2、 衿を正して「九徳」を

① 寛にして栗(寛大で、しまりがある)

② 柔にして立て(柔和だが、事が処理する)

③ 愿(つつしむ)にして恭(真面目だが、つけんどんでない)

④ 乱にして敬(事を治める能力があるが、慎み深い)

⑤ 擾(わずわしい)にして毅(大人しいが、内が強い)

⑥ 直にして温(正直・率直だが、温和)

⑦ 簡にして廉(大まかだが、確りしている)

⑧ 剛にして塞(剛健だが、内も充実している)

⑨ 彊(つよい)にして義(強勇だが、ただしい)

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2006年9月 1日 (金)

郷土のこと(1)

明治の初期には、由井村は小比企、宇津貫、片倉、打越、北野、長沼の六つの部落で構成されていた。それ以前は夫々の部落が村であった。そして、神奈川県に所在していて、住所は「神奈川県南多摩郡片倉村×××番地」であった。

由井二小は明治二十年七月に只沼3013に私立由協尋常小学校創立し、明治36年由井村立第二尋常小学校となる。只沼2812に学校移転(四年制)それまでは、六つの部落は村であった。

そして、宇津貫は下谷戸、菖蒲谷戸、君田谷戸、閑道谷戸、和田内谷戸、中村谷戸の六つの谷戸で構成されていた。そこで明治期に宇津貫村で流行った俳句作りがあった。その中心として活躍したのが下谷戸に住む、[一知(いっち)]こと城定宇右衛門で明治30年に没。辞世の句に「ちるもあり さくらもあり  世は花の人」が残っている。

七国峠と言う所があった。七国峠とは、海抜約200メートル位(御殿峠183メートル)の山で相模(神奈川)、甲斐(山梨)、伊豆(伊豆)、駿河(静岡)、信濃(長野)上野(群馬)、下野(栃木)の七つの国が良く見晴らせた所だった。

山とは言いがたい丘陵の尾根に、第二次世界戦争で日本の陸軍の陸軍戦車の試行道路が作られた。地元の人達は、戦車道と呼んで親しまれていた。広くて真っ直ぐな、道路で、春には山つつじ、山桜、秋には、山栗、茸がとれ、終戦直後は隠れたハイキングコースでもあった。

宇津貫地区は農家の副業として、めかい(目籠)作りの発祥の地と言われていた。嘉永年間(1848~1853)ぺりー来航の頃に「宇津貫から~由木方面に、伝播したのは田口久兵衛という人が習い伝えたというもの」だ。そして、南多摩の各村ではめかい作りが盛んとなる。

大正5年(1916)には、今の由井、由木、多摩、鶴川、七生で、従事戸数982で、中でも由木地区380戸、多摩地区480戸で、全従事戸数88㌫を占め由木地区、多摩地区の7割が、竹細工に従事している事になる。(ぽんぽこ瓦版より)

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FAIL-SAFE(フェイルーセーフ)

これは、パソコンを弄っていて、フトしたことからFAIL-SAFEと言う文字の意味を辞書で調べてみた。①一部に故障や、誤認操作があても安全な方に作動する仕組み。②戦略核戦力の配備に当たって偶発戦争を防止するためにとられている安全対策。とある。また、あらかじめ、故障がある事を想定し被害を最小限にとどめるよう工夫して置く安全思想で、ジャンボジェット機のエンジンが、万一故障しても、一つだけ動いていれば飛び続けられる設計。これは、小学生の女の子が、プール事故、高校生のエレベータ事故等で考えさせられるのは、こう言った安全思想が設計に取り入れられたら事故は起こらなかったのではないだろうかと思う。プール事故では、最初に流れるプールを作ったのは、豊島園だそうだ。その豊島園では吸入口は、コンクリートで固めていたそうで、安全対策は吸い込まれ事故を想定して設計されていたそうだ。それが、真似してあちこちに施設が出来たが、コストを下げて見栄えと、機能だけの設計で作ったものだと思う。だから、このFAIL-SAFEの思想が設計時にあったら、事故はなかっただろうと思う。この思想は日常の行動にも取り入れていったらいいと思う。今日は2百十日、防災の日だ。

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