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2006年8月

2006年8月31日 (木)

太陽系の惑星の数が8個となる

我々人類の共通点は、誰もがこの小さな惑星に住み、誰もが同じ空気を吸い、誰もが子供達の未来を大事に思い、誰もが限りある生命を生きることだ。すべてが進歩しているだろうか、停滞し、後退し、同じに失われつつあるものも多いのではないだろうか。失われているものが、すべて不要であり、時代遅れのものであっただろうか、進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものを進歩と誤解し、時にそれが人間だけなく、生きとし生けるものを絶滅にさえ向わしめつつあるのではないかと思うことがある。                人間のもつ自然回帰の本能には、自然にまみえる楽しさと、喜びがある、でもそいう喜びって本当になくなってしまった。「立ち入り禁止、危ないから止めろ」、だから、子供の教育と環境は切り離せない。国や、自治体や、産業界が金儲けのために、子供の教育が出来る環境で遊ぶ。ものを作ろう、ものを獲るそういう環境を子供に返そう、と、行動をとる事が急務だ。(石原都知事)        太陽系外惑星の10㌫以上は海がある。と東京工大の井田助教授が2003年に発表。地球以外のにも、生命が存在する可能性を強く示唆した。太陽系外惑星は、1995年以来120個以上が見つかっているが、これもすべて、木星のようにガス惑星だ。地球と同じ岩石惑星は、ガス惑星より小さいため、今の地上望遠鏡の能力では発見できない。井田助教授は、恒星の質量や、恒星と惑星の距離の関係から、様々なタイプの惑星の比率を大型コンピュータで計算惑星の約半分は、岩石型だと結論を得た。さらに全惑星の10㌫以上・地球の10分の1以上から10倍の質量を持ち、又、恒星から距離が地球と太陽の距離と同等であると分析、海を数十億年間維持できる温度、大気の条件にあてははまる。と結論「今後打ち上げ予定の衛生望遠鏡で観測すれば、海の存在を確認できるのでは無いかと思う。(これまで2003年のこと。)今年8月24日にチェコのプラハ国際天文学連合(IAU)総会で惑星の定義がきまった。太陽系惑星は①太陽と周回する天体②自己重力が、固体強度を上回って球状になり③(重力で)自分の軌道の近傍の他天体を、掃き散らしているもの。したがって、冥王星は外されて太陽系惑星は、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王生、海王生の8個となる。という事だが、小坂文部大臣がテレビで学校の教科書を改めるよう関係機関に指示したと言った。何もテレビで大臣が言わなくても、良いのではないかと思った。顔見世か?もっとやる方法はあるだろうと思った。

パソコンと生活

毎日、毎日朝から晩まで、暇があったらパソコン弄りだ。全くパソコンがないと落ち着かないし、生活に活力が無くなる。ただし、暇つぶしであり、弄らなくてもいられる事でもある。まあ・・・日記をつけるとか、プログを書く程度であまり使い方の進歩はないのではないだろうか、そして、キーの打ち方は雨ダレ打法で普通の人が見てもじれったいだろう。見せる訳でもないから、それでも良いと思っているのだから、無理して、何かをするとか、しなければなら無いとかと言う事でないので自分で言うのも可笑しいとおもうが、良いじゃないか。ア!そうそう、最近年寄りの会話を小耳に挟んでしまった事だが「朝起きて今日は何をしてすごそうか?」という事だ。時間はあるがする事が見つからないと言うことだ。限られた時間がもったいない、もっと趣味を持ち、毎日を活力ある生活を、送ったらそう云う言葉は出てこないと思うが。それには、何時も好奇心を持つ事だ。だから、パソコンを弄っているのも好奇心だからかな・・・何時も思う、パソコンは奥が深いとつくづく感心させられる事だ。また新しい発見があるから・・・・・

2006年8月30日 (水)

未成年の犯罪多発する訳

最近、親の子殺し、子の親殺しが多発している中で何故だろうと、誰でも感じるところだろう,全く目を被いたくなる。北は北海道で16歳の男の子が友達に30万円で母親を殺しを依頼し二人で殺してしまう、山口県で徳山高専の女生徒が殺された、これも19歳の男の子だ。その他、テレビでも、新聞でも、記事にするのに暇が無い。世の中よく見詰め現象を考えて見ると、生活苦ではない。一時の不満や、ちょっとした注意に切れる精神と思い止まらない、我慢の出来ない感情の子供達が多くなった事の原因だ。また人の命の尊さを知らぬ事による処だろう。そういう、精神的に未熟の人間が大人になって、人の親になって、子供を、虐待し、面倒になり殺してしまう事になる。教育者や、見識者は、このような、現象を眉をひそめているが、具体的には、政治が悪い、教育が、道徳が、と言っているが、具体的に、身をもって活動している人が少ないのではないだろうか、やはり、御身大切が先に来るのだあろう。確か、家庭の躾け、学校の教育が悪い事は、理解できる。そんな中で、今、しなければならない事は、世の中の大人が勇気を持て実行する事だと思う。子供が悪い事をしているのを見て、見ぬ振りをして仕舞うことの多さに自分も、恥ずかしい思いだ。そう言う小さな行動を大人たちが実践する事が大事だ。そして、ただ、ダメだ、ダメだと言って、よそ事でなく、自分の事と見て、子供に人の命の大切さを教える事だと思う。

2006年8月29日 (火)

家(住い)で思うこと

家(住い)とは、人間生きていくには、3つの必要条件がある。衣、食、住だ、家についてよく考えて見ると、人が雨露を凌げればいいと言う事から30何部屋行く意ないと、ストレスが溜まり生活し難いというところまで幅が広い、豪華な家でさぞかし余裕の生活をしているようだが傍で見ているほどでもない。無理して預金をつぎ込み、長期のローン大きな家を買い、生活が大変な人は沢山いる。だから、将来の生活設計を、慎重に検討し買う事で、当面のことだけを考えて買ってしまうと後で大変になる事だ。そして、家に住んでその人の性格が分かるように、立派な家から、汚い格好でいたらとてもバランスがとれないと思う。また、安アパートにすんで、素晴らしい新車に乗っているのも、おかしな現象と見る人もいる。結論的には、家はそこに住んでいる人達の、性格、信条までも分かってしまうし、また家で教えられる。従って、家の管理、樹木の手入れでそこに住む人の人間性まで、評価される事になる。今朝真木の手入れをしながらこんな事を考えてみた。

至誠必ず天に通ず

二宮尊徳の言葉に『この秋は、雨か嵐か知らねども、今日の勤めに田の草とるなり』がある。これは、先の苦労はどんな事が起こるか分からないいわゆる(取り越し苦労をするな)と言うことだ。人生行く道は、誰にも分からず通った道は一人一人違い、自分だけの道だ。だれも経験はしても教えてもらっても、心の問題では、自分自身で切り開いていく事にある。いまの為すべきことを、先の事を想像して何もしないことは、後退するばかりである。今為すべき事が無駄になるかは、結果的にはよくないかったとしても、仕方がない事であり、そこでは一歩下がったがその経験を生かせば二歩進める事につながる事になる事で、目標に向って生きているのであるから、立ち止まることは許されない人生行路である。だから、先のことあれや、これやと余り考えない、また、過去の事を憂いず今を、何もしない事でなく、一生懸命すれば、必ず思いは通ずると言う事だと思う。

2006年8月28日 (月)

昔の思い出①

東京都南多摩郡由井国民学校に入学が昭和19年4月(1944年)戦争真っ只中だった。当時は、今の由井中で校舎の裏の土手に坊空壕が掘られてあった。

入学は4月6日で、西門入ると左手に桜の木があり、丁度八重桜が奇麗に咲いていた。覚えているのは、母親と一緒に来た事だ。あの優しい母親の一寸不安げと、緊張した顔は覚えていて、ときどき風で舞う桜の花びらがとても印象的に頭に残っている。確か、もんぺ姿で、下駄を履き、木ぐち(手提げ)を持っていた。

その時は、他の同級生のことは余り覚えていない。ただ唯一記憶にあるのが西門を入って直ぐ右に、使われていない、深い井戸があり、除くと、とても深いところに水が光って見えて、落ちたら、死んでしまうだろうと思って、深刻に考えたのだった。そこに居た城所茂君の元気な声で、「そんな井戸なんか覗いていないで、宝取りをしよう。」

と言ってみんなを誘って、飛び回っていた事に、真剣に落ちたらどうしようと思って、一寸陰になって考え込んでしまって居た気分を、陽に変えさせてくてた人だと、それ以来今でも、時々思い出す。小さい時の体験はその人の性格、人生までが決まる大事なことになるんだ、と今も感じている。

2006年8月27日 (日)

本日の言葉(無相庵より)

『投げられたところで起きる小法師かな』起き上がり小法師は、達磨さんのことダルマさんは何処に放りだされても、文句なしにそこでコロリと起き上がる。ちょうどそのように私達の人生の処し方も、何時いかなる状態に投げ出されても、そこを正念場とし、逃げず、追わず、ぐずらず、腰を据えて行きたいものだ。調子の良い時はにこにこと頑張れるが一旦不遇な環境に身を置くことになった時、自分の不運を歎きその環境から、逃れる事ばかり考えてしまう。いわいる逃避する事ばかり神経を使ってしまい、難しいポジションを与えられた時何とか自分で打開しようと悪戦苦闘試みるが、袋小路に入り込み、ノイローゼとなり、最終的には逃避する事しか考えられない状態になってしまう。よく冷静に考えてみると「何事も自分一人解決出来るものではないのだ」と言う真理(事実)が分かっていない事が徒労であると思い知ることだ。投げられたところ起きるとは自分の力だけを信じて起き上がるのではなく、周りの人々協力無くして事は成せない。と言う真理(事実)に目覚めなければ本当に起き上がることにはならない。この与えられた境遇は自分を高める『運命の冷蔵庫』であると言う積極的な考え方で、逃げることなく、真理を受け入れて、周りの人々の力を借りて力の限り、知恵の限り尽くし解決すれば、必ず道は開けるのかな・・・。

2006年8月26日 (土)

今日の一言(無相庵より)

《災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候、死ぬる時節には、死にがよく候、是はこれ災難をのがるる妙案にて候》仏様の(安らぎ)の世界をわが住むところとしている人は、苦も楽も死も悲しみ、喜びも、順縁も逆縁どちらとも、合掌礼拝で受け取る人なのです。 これは有名な良寛和尚のお言葉ですが、私達一般人から言えば災難に遇いたくないから苦労しているんだと、言いたいところです。また、死ぬのが嫌だから、怖いからどうしようかと苦にしているのに、と言う想いですが、仏教の悟りと言った世界ではこう言うのを苦労な事、あれを楽しい事と区別し、生と死を区別し悲しい出来事これは喜ばしい事と区別・差別しているのは、人間の自我から決め付けた偏見で、この世の中の起こる全ての事は、本来色の無い無色透明であって、善でも無く、悪でも無いと言う訳です。良寛さんは、そう言う境地で、定住のお寺も、持たず野に庵に住んで近所の子供達と日が暮れるまで遊んだと言う事です。私達には、なかなか到達出来ない境地です。『災い転じて、福と為す』とも言いますように自分に発生した事をそのまま受け容れて避けよう、逃げようとせず対処すればよいのかも知れません。『病気になる事は仕方が無いとしても、病気に悩む事は止めましょう。』と言う事を聞いた事があります。また、病気は天からのお手紙と思って有り難く受け取ってしまえば、病気と仲良く出来て却って治りも早いかも知れません。

2006年8月24日 (木)

生きる活力

生きる活力、生きがいとも云うべきか、これからの人生に心の支えとなる礎となる目標を持つことはとっても大切な事と思う。それは、画であっても、詩であっても、音楽でもあっても何であってもいいと思う。目標を立て一歩でも近づける努力できる事に生きがいが生まれ、人生に光沢が出来て、素晴らしい未来が展望できるからである。また、活力は体力、知力、気力が必要で、日ごろから節制も充分考えていかなくてはならない。後戻りの出来ない人生限りある。人生を、こま鼠のように慌しく走り回って生きるか、心穏やかに、余生を送るかは自由だ。ここで昔、辰次兄が言っていたことを思い出して、「晴耕雨読」「清貧」なんて言葉を、その当時ああ・・・いいなあ・・・早くそんな心境になって見たいと思ったことが、今はそれが現実となって、考えさせられる今日この頃である。人生は活力を付けて濃く生きて生きたい。

人の評価

人間は、誰でも、大勢の人と関わりあって生きられる。そこで人の評価は、自己採点と、他人の採点と大きくかけ離れてしまっていることは、仕方がない事だ。本にが意識しすぎて仕舞うと取り返しのつかないことになってしまう。何故かと言えば人の評価は、他人が決めることで、自己評価と他人評価とでは、大きく離れること多いと思う。「これもやったあれもやった」自慢する人がいる人には、閉口した経験がある。自分がいいと思っていても他人にはとても耐えられないことってあると思う。だから、自分をPRすることは、慎重にしなければいけないことだ。しかし、全然云わないのも個人の存在価値がなくなり、問題になってくるので、難しいことだ。快い生き方をし、何時も爽やかな気分でいられる人間関係がとても大事だし、努力しなければいけないと思う。

2006年8月20日 (日)

今日の言葉

「智者は一直線、愚者は千鳥足」沢木興道というお坊さんの言葉だ。どう云う事かと言えば、仏様の御心に随い行く人は、何時でも,何処でも真実一路、無碍一道を「喜び安らぎ」でもって、足取りも大変軽やかです。世間智だけの凡夫は、浮世のあや模様に引きずり回されフラフラです。まさに、千鳥足で人生を渡っている私達凡人です。あれやこれやと迷い、右往左往して結局は、何も得ずして命が尽きてしまいます。まさに欲をかいて、人の分まで欲しがる。これなどは言語道断だ。自分では自分の言動には、気が付いていない人がいる。「それが私の生きがいよ」楽をして人生を送り勝ち名乗りを上げる人もいる。清貧でいて生涯を送る人には、どんな思いがあるのだろう。少しでも近づき智者まではいかなくても正々堂々と歩く努力する事だ。

2006年8月19日 (土)

気分転換が必要な時

人間には、バイオリズムと言う事を教えてもらった事がある。生年月日により割り出すものだが、感情、体調、知力の、調子の良い時、悪い時を事前に解る。これは、統計的に解析したものだと思うがどうも最近バイオリズムが低い所に来ているような気がする。ここに来て、急に暑くなったこともあり、また、疲れが溜まってしまった為か?全般的には、やる気がなくなった?ことにある。気分を晴らすことは大事なことで気分転換が、必要だ。誰氏も同じだと思うが、ここで乗り切り方で、人生観の違いが出てくるのだが、気持ちをポジテブ、持っていく人は幸せで、ネガテブな考えは不幸で急に年を取ってしまう気がし、経験で解決するもので、まあ・・・人生平らな道ばかりないことが解っているのだが、すべて始めての道でを歩いているので、通ったことのない未経験の道だ、危ない橋は渡らず、今までの路線を外さないように、生きていきたいと思う。まあ・・・気分転換は必要だと思うこの頃だ。

2006年8月18日 (金)

惑星が増えた

お最近ニュースで、太陽系の惑星が9個だたが、3個増て11個になった。アメリカの学者発表した。同じ太陽系に生を受けている地球人の一人として、3個増えても、何の影響もないし、どうでも言いと思う。しかし、この地球も寿命があると知って、やはり関心を持たずにはいられない。人間は今の科学では、他の惑星に言って、生活する事は出来ない。また行く事すら出来ない。だから、惑星が増えても、もともと65億年前に、ビックバンで太陽系が発生したと言われている時に既にあったことで、唯認識されていなかったためだろう。やっぱり人間は、他の惑星には住めないのだから、今住んでいるこの地球を大事に使い、寿命があるこの星で生きていかなければならない。そこで、今の地球上で生きている人間の仕業は、取り返しのつかない犯罪行為をしている環境破壊に、早く対処しなければならない。そうゆう意味で、もっと太陽系の惑星の事を考えて欲しい。自殺行為と思う環境破壊を真剣に考えるチャンスだと思う。

2006年8月17日 (木)

旬について

自然の花には旬がある。どんなに大きく育ち成木になても、時期が来ないと、花は咲かない。野生の動物でも、同じでどんなに大きく、おとなになっても、その全ての過程をクリアーしないと子は出来ない。この世に生を受けた全ての生き物は、時期(旬)がある。だから、桜の花を8月に見たいと言っても駄目で、全ての生物は旬があり、春には春の花、夏には夏の花、秋には秋の花、冬には冬の花が咲くのである。それを無理に旬をを外して、人間は咲かそうとしている。宇宙の動きの正確さは、変えられないのである。ここもまた人間は手をつけてはならないのである。そしてまた生物の遺伝子を組み替えて、本来の生体を変える事は、絶対にあってはならないものである。昔から、早く大きくなり花を付けて実を実らせて欲しいと子孫繁栄をの願うのは人間の勝手の欲望なのである。旬をもって、最高の幸せを感じなければならない感性が必要であると思う。今、食べ物は一年中出回っており旬を忘れさせているのも困ったものである。自然の冒涜だ。丹精して育てたコスモスが大きくなって雨で花も咲かずに倒れてしまって早く咲いて欲しい(労力の目的を達成出来ず)願いを込めて記して見た。ああ・・やっぱり旬はありコスモスは秋に咲く花だ。

2006年8月16日 (水)

平凡は、非凡なり

最近、つくづく、親父の言葉を思い出し、合点する事は「平凡は非凡なり」という言葉だ。その当時は(30歳頃の結婚したて)よく言われたものだが今孫も出来、人生かなり解ってきたつもりだが、人生、解ったつもりで言って、生意気な事と思うが、その言葉実に大変重く感じる。世間を見渡しても、年相応の悩みや、苦労は誰しも抱えているものだ。余裕が出来、幾らか世間を見渡す事が出来る環境(境遇)になった今、その言葉が、理解できるようになった。それは、大変な努力と、幸いにして健康と、が良かった為だろう。少なくても努力なしでは、今の生活は出来得ない事だ。そこで努力とは、普通にしていれば良い事だがそこには、余り肩肘張らず、生きる事で、我慢や、試練を何度も経験しなければならない事は言うまでも無い。可も無く不可も無く平均を狙う事の大事さと大変さを実感するものだ。これからも人生未知の世界だが、平凡な、人生を追い求めて行きたい。

2006年8月15日 (火)

終戦の日の思い出

昭和二十年(1945年)8歳の終戦の日思い出を記してみたい。その頃は空襲警報のサイレンが鳴っていた、(毎日のように近くで爆弾投下で火事があた様だ)、朝から暑く、よく晴れていた。この分だと川で泳げるかなあ?と思っていた。父と母は真っ黒い顔で《オラ家では父(トチャン)母(カアチャン)と呼んでいた》今日の12時に大事なラジオ放送があると云っていた。そして、どうしてか落ち着きの無い両親の態度は、子供心に解った。近所の大人の人が集まって来て、ラジオの前に7、8人整列した、これは見たことの無い光景だった。そしてラジオの声は、雑音の酷い、音で、聞えてきたがみんな真剣に頭をたれて、聞き入っていた。放送は、5分ぐらいで終った。みんな肩の力が無くがっかりした様子だっだ。後で解ったのだが、清ちゃんは、防空壕を掘っている最中だったからなお更だ。力が抜けて、暫らくすわりこんだままだった。大人の人は、これからにどうなるんだろう、と云って心配顔で話し合っていた。家族構成は、両親と茂、猛、正夫、光夫、百合子の7人だった。(辰次は兵隊、秀雄は航空省に勤め秩父にいた。)今日61回の終戦記念日の日に記してみた。

2006年8月14日 (月)

自分を中心の世界では困る

どうも、世の中自分を中心に回っている事に、鼻を高くしていい気なっている人が居て何も気がついていないのは、困ったものだ。その世界は相手の考えを尊重しないで、好きなことをして、平気で行動をする高慢ちきな人である。自分の考えに反抗する人は、徹底的に排除すると言う云わば、完ぺきに近い妄想信者でもある。世の中人種、宗教、生れた環境、考え方の集まりで構成されている。そこで考え方が違うからとて、協力できないと言う事は許されない事である。民主主義の世界である事で、争いに無い世界が成り立っているので自分の意見と違うから除外するなって話にならない。まあ・・・よくここまで生きてこれたもんだと思う。あまり人に、馴染んでしまい自分の主張を全然持たないこともいけないと思うが、大切な事は相手の気持ちも理解することだ。

2006年8月12日 (土)

女の強さについて

この世の中には、動物的にはオスとメスの二種類の人間しか居ない。結婚して夫婦の営みをし生活を続けて子供を生み育てる。その過程において、お互いに助け合い励ましあって生きていくものだ。これらは、哺乳類動物は大体同じような経緯で過ごす。それは一番の目的は子孫を残す事にあるのだが、最近目的をはっきり持たずに子を生んでしまったり、子育てが適用できずに、投げ出してしまってしまい、虐待をし、殺してしまう親があちこちで聞くようになって来た。一方子供育っててしまい孫が出来ていていわゆる老夫婦は、若夫婦に邪魔にされ、居場所が無いって言うこともめずらしくない。そこでどうしても、女が強くなり、今までの旦那の恩恵を忘れ、自分の存在と威厳は強くなるばかりの女がいる。そこで、よく考えてみると、女は元来子育てに、男より強い関わりがあって、家族の関わりも強く、男より支配力(生活)強い。だから、能力を失って年を取った男は、ある面では邪魔な存在になってきているのだ。頼りは決まった額の年金だけで、後はもうどうでもいい感じなのである。従って、こうなると男の居場所がない。女に全く頭が上がらない事になってしまう。こういう老夫婦が多い。何故だか一番には教育と社会構造の変化と思う。解決策の一つは、はやはり本来の狩猟動物の家族の構成での社会秩序を維持していく事にある。女が強くなっことを許して認めている男もいるので、この問題は決定的結論はだせない。

2006年8月11日 (金)

いいじゃないか健康ならば

この世に生を受けて来て、誰でも云いたい事は沢山あると思う。もともっと大きな視野で物事に当たり判断すれば、なんだこんな事と思えることがあるじゃないかなあ・・・限り無く大きい宇宙の中の太陽系で言うならば、太陽の周りを惑星の水星,金星、地球、火星、木星,土星、天王星、海王星、冥王星等の星が太陽の周りを回っていて、その周りの軌道は10億光年の大きさだと言う。宇宙の事は、想像するしかないが、我々人間が住んでいる地球なんてなってちっぽけな星でつまらぬいざこざで悩んだり、争ったり人間どうしでしているのか、地球上で24時間かけて一回りし、太陽の周りを69回も回っている自分は一体何を考えていたのだろうか、もう少しましな考えで生きなければ太陽(お天道様)に申し訳が無い。だから、もっと大きな宇宙船に乗ったような気持ちで未来に向って生きることだと思う。そして、いいじゃないか健康ならば足るを知ることだ。

眠れぬ夜に悩む

最近夜によく眠れぬ事が多くなった。理由は、①早く寝てしまう。②トイレに起きてしまう③暑くて眼が覚める④癖になってしまっている⑤昼寝をしてしまう⑥日中疲れるほど仕事をしない、等が考えられる。問題はその日の健康管理だが、どうしても車の運転や、難しい判断のする重要な決め事、会議は要注意だ。これらの理由は、健康管理が特に注意して問題なければ、今の生活パターンが馴染んでいるのだと思う。但し普通の人間の1日のサイクルに合わせる事も無いともないだろう。しかし、年のせいなのかなあ・・・現役の時はこんな事なかった。でも早く正常に戻りたいと思う証拠なのだ。こんな悩み?甘い、気合が入っていない!。  そして集中力を鍛錬する事を心がけることだ。

2006年8月10日 (木)

少子化の問題

現在日本の人口(2006年)は、1億2、774万人をピークに2100年には6、000万人半分となる計算だ。だから毎年150万人の子供が生れないと今の人口を維持できないのである。 少子化の問題は、社会構成上大きな問題である。最近特に思うのだが近隣で子供がいないで、年寄りばかりだ。何故だろうと考えて見たら、子供が同居しない生活を送っている。いわゆる別居である。従って、それは独立心のあることで大変素晴らしいことであるが、そこには負の部分もある(いい事ばかりでない)それは経済的、教育的(道徳、躾け)に問題があって、社会構造に大きな歪みが出来てしまった、現状のような深刻な問題となって来たと思う。一方見方を変えて見ると豊かさを追い求めて行き過ぎてしまった為と、個人の我がままを認めて社会の互助精神の欠落を放置してしまった政治の責任であると思う。(子は親は見ない?親は子に面倒を掛けさせないと言う風潮が出来上がってしまっている)だから、地球上で住むのには見晴らしの良い高いところで(社会的に高レベルの生活)身軽な生活をする、平らなな日の当たらない処がでるようなところでは生活したくないという人達が多くなって来たためと、少しでも上の生活をしたい向上心を旨くコントロールすることに考え付かなかった、政策があったからだ思う。このままだと共倒れとなってしまう。

2006年8月 9日 (水)

世の中を渡る試練

昨日は、心に渦巻いていたもやもや感を積極的に払い退けてスッキリしたかと思いたいが、どうもそうではない。実際には解決したが何故か空しい。それは理想の位置まできていないからだと思う。大の大人の挑発に世間体を保身するためにいわゆる我慢をしてしまって犠牲になり、引いてしまったからだ。ハッキリ心の思うまま言動をして仕舞ったら身の破滅であり、大手を振って生きていくこともできなくなる。しかし、世の中の人間はいろいろの性格の人がいるものと承知をしていたが、生きるという事は難しいことだなあ・・・とつくづく感じた。これも試練なのだと思い、止まる事は許されない、前に進まなければ明日は無い。個人の主張を振りかざし、心のそこまで見透かして仕舞っていることに気づかず、どうしょうもない人間が多いのには腹ただしい。

2006年8月 8日 (火)

人生の原点戻ること

人生の往く道の途中は、早道、回り道、草道、迷い道らを歩いてここまで来た。とても一直線でない、これが誰でも普通人の道程だ。大事な事は迷い道に入って仕舞って出口が解らず進む方向が定まらない時は、原点に戻る勇気が必要だ。それに気づくのが早ければ早いほど良い。そして、BLINDの無い高いところから一望し、そこで目標をハッキリ定めることが重要である。その判断は人それぞれの個性や今までの環境でや、経験の違いが出るのは仕方がないこと、だから道程が違ったと思ったら、原点に戻る考えが、そして大所高所で判断することは、いかにその後の人生を有意義に過ごせるし「葦のずいから天上望む」ということでなくもっともっと視野が広がるだろう。行く道は色々あるのだから、それが個人のこれからの人生観となって人間形成されて、現れる事になると思う。

2006年8月 7日 (月)

ターニングポイント

TURNING POINT(ターニングポイント)今日8月7日は誕生日69歳の誕生日である。この日に思い、生きていく人生の中で幾つかのターニングポイント(曲がり角)はある。そこで最近の事実と思うことを記して見る。自分の取り巻く環境は、川の水の流れのようにそこに止まっていないで毎日毎日が刻々と動いている事実がある。それをしっかり受止めて乗り切ることであり、どう受止めたらいいかその判断は、その人の価値観や人生観が評価されて後々まで影響する事だと考える。  また視野を個人から日本、世界へ向けるて考えると立ち止まることは許されないが、ターニングポイントと捉えて考えて見る事も大事なことだ。日本は豊かな国だが。経済が低迷といわれ政治が腐敗といわれているが、それでも日本は豊かな国である。おそらく1日1,000円もあれば餓死することは殆ど無い。豊かな国日本を支えてくれた先輩方の恩返し、次世代への未来を残す世界へ貢献する社会使命があるではないだろうか。最近の気のなる事実で八王子祭りで、ボランテアで交通指導をしていて笛を吹いたら「うるさい!」若い男に怒鳴られたり、暑いのに草取りをして汗びっしょりになっていても近所の知っている先輩達は「ご苦労さん」の声も掛けてくれないで知らん振りでいたりしていたこと。自分の娘婿の会社の倒産の事実を打ち明けられて、はやはり刻々と変わっていく環境と、自然の環境の変化はターニングポイントと見て捉えて、どう対処したらいいか、これを薄く平らに伸ばして見るか、鋭角的に見るかにかかってくることだと思う。今日嬉しくも無い誕生日に記してみた。そして、インターネットでこんなことを考え、次世代のことを心配しているグループもあると知った。そうした感性を持った人たちもいるんだと解ってとても良かったと思う。(URL=http://www.turning point.jp)また、ココログ記100回目の節目の記事である。

2006年8月 6日 (日)

祭りとはこんな事か

平成18年の八王子祭りは、8/3~6/6まで8/5の民謡流しの時間の午後5時30分から9時まで交通指導のため出動した。一方昌子たちが来ると言うことで前の日から掃除食料品の買い物で頭を使い、金を使い、気を使い、身体を使って疲れるはずだ。孫達が来るのは嬉しいが、どうも年のせいか、面倒と言う言葉になって来たようだ。もうじっと静かな生活が馴染んできたからかなあ・・・そうして体力がなくなって、世代交代のじきにきたかな・・・しかし民謡流しの婦人会の連中は、普段はだめだ、だめだと言っていた人が元気に踊っていたのには驚きだ。祭りと言うものはこんなものかと思った。元気出し印の事かな?。祭りとは、人々に活力を与える事かも知れない。祭りを見た次の朝感じた事を記した。

2006年8月 5日 (土)

血液について思うこと

自分の血液に付いては、3ヶ月/1回は病院(野猿峠脳神経外科病院)で検査をしている。ちなみに、6/16の検査状況は栄養状態良好である。HDコレステロール49mg/dl、中性脂肪98mg/dl、血総コレステロール177mg/dl,HDコレステロール糖値106mg/dlであった。このように何時も数値を気にして父、兄の循環器で亡くなっている遺伝子があると思われるので神経を使っている。まあ人間の体と言うものは、これだけと云う事はないが、やはり、気をつけたことに越した事はないと思う。だから、同じお金を払って検査をしているのだから、この数値ぐらい気にかけていくようにしているし、食べも、運動、とお酒には特に気をつけることにしている。 健康は食にあり、食は農にあり、農は自然にあり、自然は環境にある。だから、人間は環境にもっと気を使うべきだそして、長生きをするのではなく、質の高い生活を送る事だと思う。心がけたいquality of lifeを・・・

2006年8月 4日 (金)

満腹はよくない

人間は、元来は狩猟動物である。何時も、自由にもが手に入り、好きなものがいつでも手の届くところにあり、食べることに頭を余りにも使わなくなった。それだけならいいが、好きなものを、好きなだけ取ってしまい、栄養過多になって病気をしてしまう人が多くなってきている。ダイエットだとか、運動不足だとか大きな関心事なっている。だから食に対する意識が薄れ食に頭を使わない。本来生きていくためには食べなければならないので、全知全能を発揮していかなければいけないのだが、何時も満腹でのうのうと生活を送っていては、絶対生きる知恵のアイデアが生れないし、前進はない。一番懸念する事は、病気になり死んでしまう事だ。もうそろそろ地球の限られた資源で生き抜くには、どうしなければいけないのか、もっと真剣に考えていかなければならない事と思う。

2006年8月 3日 (木)

負けて強くなる

昨夜、ボクシングの世界選手権があった。WBAライトフライ級1位のべネズエラのランダエタ対共栄ジムの亀田興毅の試合だ。亀田は、ただ強がりだけは、試合前は人一倍発揮していた。3兄弟の長男で19歳で小憎らしいほどの自信振りで、相手を小馬鹿にして見下していたが、試合内容はまるで駄目1回にダウンを喫し11回はよれよれであった。観衆は、亀田の勝利を疑った。しかしジャッジの判定は2対1で亀田の勝利だった。 それは、初めての経験だったと思うが試合に勝って勝負に負けたようなもの。ここで大事な事は、負けたことで、辛酸を味あったのだから、今までの強がりや、自信過剰の態度は改めることだ。そして人間的に成長をしなければいけない。誰でも負けを知って強くなって行くものだという事を改めて教えてもらった。そして、人間的にも成長してもらいたい。

2006年8月 2日 (水)

moral hazard(モラルハザード)

モラルハザードとは、=危険回避のための手段や仕組みを整備することにより、かえって人々の注意が散漫になり危険や事故の発生率高まって失われることを指す。現下日本の社会状況は、非常に恵まれていてまったく危機感がなくなってきていてモラルの低下が問題になってきている。本当に嘆かわしい、長い歴史を見れば、海の波の様に浮き沈みはあったにせよ矢張り将来の子孫のため、ここで人間の歴史を終らす訳にはいかないし、この付けを後世に残す事は断じて出来ない。早くこの危機意識を持つ、incetiveがどうしても必要だと思う。そのことが、人殺しや、戦争で終ってしまったら大変悲しい事である。しかし、何故この事にもっとメデアが取り上げないのだろうか?わからない。結論的には、自分さえ良ければ、「何でもして良い」はもう通じないという事を教育で徹底する事だ。

2006年8月 1日 (火)

満たされぬ心

一族の一泊旅行をしたが、一日たってどうも心は満足出来ない。コミ二ケーションを取れたかと言えば、心の底から6割ぐらいしか取れていなかった感じで。しかし100パーセントの満足は期待しなかったが、大金を使って、気を使ってもう少し満たされても良いのではと思った。どういう意味で行くかもう少し解って欲しい。自分としては、孫達が可愛いからだけでなく家族の絆と、お互いの信頼を深める事にある。だから、ギブアンドテイクの精神が、欲しかった。そういう意味でおんぶに抱っこではもう困るのである。社会人として、自分で出来る事はないのか?誠意に感謝することはないのかと考える、社会人として大切だ。そういうのは、勉強なのか、教育なのか、今までの家庭環境か、でも人間形成は死ぬまで続くものだ。だから、そして個人、地域人、社会人として何が出来るかを一族旅行を通して気が付いて、そして信の自立と大人になって欲しい。

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