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2006年7月

2006年7月31日 (月)

思いやりの伝わり方

人に親切心をかけても、相手はこちらで想像するほど感じていない場合がある。そんな時には寂しく侘しい思いになる。相手に恩を売る事でもない所作がかえって有り難迷惑になってしまう事もある。そんな結果なら最初から親切心はしなければ良いので、黙って見ているしかない。こんな事身内にいるなって!なんと情けない事。    又、親切心でしてあげることは当たり前と捉えてもう想定済みであるかのように感じている?のかと思える場合もあり考えてしまい。いずれにしてもコミ二ケーション不足で起きる気持ちのすれ違いからだと思う。普段から、心中より話し合い、お互いに相手の立場を認め合う事が大切である。こんな事を、一宿一般の付き合いで感じ取った。

2006年7月28日 (金)

年をとっても歩く

今朝、80歳を過ぎたお婆さんが一生懸命歩いていた。一寸話を聞いてみたら、歩かないと足が弱くなってしまうし寝たきりになりたくないと云う訳で無理をしない程度で歩いているのだと言っていた。寿命が延びて男78.53歳女85.49歳だ。女世界一を16年間続けていて、男は四位だった。まあそんな事を考えて一緒に歩いてみた、どうして、どうして中々の足取りで大したものだと思った。いつ思っている事だが、人には個人差があり年だけで健康の判定をする訳にいかない。若くたって身体の弱い人や、不幸にして身体の不自由の人もいるが仕方がない事で、誰のせいでもない。みんな一生懸命に生きているのだ。今朝のお婆さんは幸いにして歩けるので、家族の方にお世話になるべく面倒を掛けたくないと言っていた。人生もういつ死んでも良いとも言っていた。なんと屈託のない爽やか人生を送っているんだなあ・・・と思った。

2006年7月27日 (木)

心のふるさと

人には、誰でも心の故郷がある。どんな所か?何故か、わたしは母親の胎内にいるような気持ちになる。そこにはどんな外は荒れて強風が吹いても、乾燥した日照り続きの時でも、何時も穏やかな優しさで、すさんだ身体を癒してくれて、心の潤いを感じる。その故郷を何時までも護っていかなければ本当の心の平和はないだろう。今世界では、中近東の国で民族間で人の殺しあう戦争があり、日本でも毎日人殺しは耐えない。また環境破壊が進み弱い小さな生き物は、その種族を滅亡されている。そう云う事が延々と続いていて、誰か止めてくれる人がいないのか。戦争する、人を殺すのは、全く相手の意見を無視することであり、自分の故郷を放棄する行為であり、その行為は許される事でなく、結果的には自分で自分を苦しめる、いわゆる自殺行為なのだある。そして、人の心の故郷を破壊する事は出来なし、その行為は、自殺を意味する事で早く気が着くべきだ。だから、相手の心故郷を尊重し思いやる精神を養う事はとても大切な事である。

2006年7月25日 (火)

顔は心の鏡

人の顔、民族の違いで形も同じでないが、顔の表情で感情が解るし、顔でも目の表情で心の中も解るものだ。何時も穏やかな顔を絶やさない人でも心の動きを出さない人もいるが、大体の人は顔の表情で何を思い何を考えているか解るものだ。また、加齢になって顔つきも違ってくるものだ。幼少の頃と50年の年を経れば面影は残るが大分変わってくるものだがそこには、その人生経験や、環境によって変わるものだ。大事なのは、自分の顔に自信も持つことだ。心の顔を何時も意識をして、何時も平静さを保ち、何事にも動じない顔を持ち続ける事が大切で、表に出せない顔では困るのである。結論的には顔はその人の心であから、もっともっといい顔になって来るように努力していかなければならない事だ。

2006年7月22日 (土)

終の棲家について

昨夜、NHKの番組で終の棲家について、色々なケースを照会して特集を放送していた。なんと言っても自分の晩年は、子供に見てもらいたくないと思って、なるべくなら自分たち夫婦で、自分たちで行動と判断が出来るうちに方向を決めて行きたいと思っている。これは番組のアンケートでも65㌫位の人が同じ意見だった。そこまでに行くのは大変な紆余曲折があると思われるが、もうそろそろ具体的に考えて置くことが必要と思う。まだ先のことだと思っていたが、本当にもうそんな年になったんだ、番組を見て再確認をした。この問題を大所高所で見た場合先ず、この半世紀の生活形態が大分違ってきた事が第一に考えられる。また、遺産の事に対しても、生活様式の違いで考えが違ってきている。だからそのTURNINGU POINTに来ているから、殆どの人が老後の安心安全な暮らしが保障されていないと思っている。従ってこう言う問題はマスコミでもどんどん取り上げて社会全体で問題視して行って欲しい。

2006年7月21日 (金)

男女の間

人間は男と女(オス,メス)だけである。しかし何故そんな事を考えるのか自分でも分からないが、男ばかり、また女ばかりの世界はありえない事だが男ばかりの世界だったらどうなるのだろうとか、女ばかりの世界だったらどうなるのだろうとか考えて見ることがある。よく考えるとそれは、人間の原点に戻って男女関係はどうあるべきかを考えていたからだ。まだまだ結論は出ないが、幾つかある基本の一つは子孫を残す事にある。動物であり本能である、これを意識してそうしなければいけないとかではない。何故かそこに神が出てきて、未解決で考えが及ばない事は、神に預けてしまっている。だから、男女の間は、理屈ではどうしても解決がなくてもいい事ってあっても良いのだと思う。結論ではないが、本能だけで生き、人間社会のルールの範囲で生きればよいのだ。と

2006年7月20日 (木)

花のいろは・・・

『花の色は うつりにけりないたづらに わが身よにふる 眺めせしまに』小野小町  詩だが、「花の色はあせてしまったなあ。我が身をいたづらにこの世に置きむなしく時を経るばかりの、物思いをしていた間--空からは春の長雨が降り続いた。その間に・・・」 何かこん詩を口ずさんでしまうほどの雨降りが続くが、今年程の経験はないと思う。しかし、今まで生きてきた中で、何時も同じような事だがなあ・・・それだけに、初めての経験は多いのでは、海の波のように、打ち寄せては返す波しぶきは同じ様でよく見れば違いがあるものだ。人生死ぬまでには色々な事があるのでこれと同じかなあ・・・と、我が家の庭の紫陽花の花もいつの間にか色褪せてしまった、また、今日も降っている雨空を眺めて感じたことよ。しかし、小野小町と言う人は「LOVE」の強く感じた人だったのかなあ・・・若さの秘訣か。だって92歳も生きたと云うから・・・

2006年7月19日 (水)

汚れが目に余る

駅前の汚れは酷い、余りにも目に余る。路上、河川、公園、でも、何処へ行っても環境感覚が麻痺しているのか、やたらと塵が目に付く。パンの袋、ペットボトル、空き缶、レジ袋、タバコの吸殻何でも駅前等がゴミ捨て場、どうなっても関係ない、いいじゃないか自分一人ぐらい、みんな捨てているじゃないか、屑篭がないじゃないか、全く無意識にどんどん捨てている。何が悪いと考えたら教育、躾け、物余り、飽食、社会、意識の低下でこのまま行ったらどうなるのだろう。犯罪が多くなり、悪臭が漂い人は住めなくなる。何とかしなくてはと・・・昨日雨の中塵を拾いながら考えてしまった。何とかわが町だけでも奇麗にしたい。住んでいる人が立ち上がってほしい。

2006年7月18日 (火)

忘れる事のMERIT

「忘却とは、忘れ去る事なり、忘れえずして誓う心の悲しさよ」君の名はの名台詞だが、忘れることにが出来なければ、前に進まないことってあるものだ。「出会いは、別れの始め」と言うけれど、忘れることに大いにMERITがある。中には記憶にとどめておきたい出来事や、思い出を抱いて生きる事も大事だ。しかし、樹木が成長する過程をもみても古るい葉は落とし、それを肥やしにしてまた成長するものだ。だから人間の記憶だってどんどん肥やしにして吸収し次の段階に進むと云う事が自然がからだ。旨くいえないが、忘れることにMERITがあり次の段階に登れることになるのではないでしょうか。

2006年7月17日 (月)

あえてPRESSUREをかける

だらだら人生を、刺激的(a stimulus)に生活していく事もたまには必要とおもう。そこには、pressureが掛かる場合が多い事になるが、あえてかけることに意識をして生活にメリハリ付ける。いいことではないですかといいたい。肉体的、精神的にhurdleを乗り越えて行くたびに前進があり人間的に成長があるのではないでしょうか、人生のクドク点と言うか、spanと言う様なものがあるとしたら、逃げては終わりで挑戦することが、とても大事だ。昨日、町会の盆踊りの行事で詰めを考えていたときに感じた。

2006年7月16日 (日)

訓練する事

訓練する事は大事な事であり、人が目標に向って最大限有意義な条件で出来る環境が作られる。それが慣れとなって、マンネリや、惰性で評価されると困ってしまうのである。だから訓練の中でも、何時も進歩するんだという気持ちで取り組む事が大事である。そして、訓練してある程度目標に到達したら、次の訓練の目標を定めて訓練を始める事がマンネリや惰性と言う批判を浴びないで済むと思う。何時の時代でも、どんな条件でも、訓練して成熟できたとしても、そこに止まらずまた新たに挑戦することがとても大切な事と思う。昨日(7/15土)八王子市の防災指導員研修会に参加して、人の救助方法を習い考えてみた。だから、ベテランであっても新しいものに取り組まないと、後退し、取り遅れとなってしまうことだろう。

2006年7月15日 (土)

音楽の効能

人生、行き詰る事ってあるものだ。そこに詩が出来、画が出来、音楽が出来る。その音楽に人生の羅針盤を求め、慰められ、励まされ、力づけられている。心の支えである音楽の多様性はそういった人間に同化されて、日常の生活から切り離せないものとなっている。人間の喜怒哀楽を表現するには、なんといっても音楽が大事なツールなのである。いわゆる生命力そのものである。音楽は発達して、多くのジャンルに別れ、民族、風土、国家観等により多様化更に進んで人々の心に沁み込んでいるものなのである。だから、他国の曲など、何とも受け入れがたい音楽は、あって当然だ。個人個人の心の中にあるもので、究極的には、生きている証でもあると思う。人に感動を与え、生きる勇気をを得ることになるならば、プロになっても良いと思う。   昨日都はるみショーの座席指定券を求めて、2時間も、くそ暑い真昼時に長い行列で待っていたとき思い浮かべた。

2006年7月14日 (金)

ライバル(RIVAL)意識

人間の意識の中に少なからずRIVAL(ライバル)意識と云うものはある。それが表に出るか出ないかまた、強いか、弱いかは個人差があっても誰でもあるはずだ。あって当然で正常だ。理性のある人間であることは大事であるが、競争社会である。むしろ強弱は別としても、なければ生命力の弱い、魅力のない人間として、社会に通用しない(リーダー、人の上に立つ事は無理)と思う。競い合って生きていく事が大事でそこには進歩があり、向上心が養われる事になるからである。だからお互いに足を引っ張りあう事だってあっても仕方がない。 世知辛い世の中を渡るには色々な問題に突き当たるか分からないが、強く生きるためには、奇麗事だけでは生きられない。        

2006年7月13日 (木)

人生の歩み方を見直す

最近、人生の歩み方について考えるようになった。特に歩幅にこだわって生きていかないといけないと思うようになった。実際70歳を向え自然と歩幅は小さくなってしまっているのは仕方がないが、やはり一番大事なのは自分の体力にあったものでないと無理がいき疲れが出てくるものだ。よく坂道を登るには最初は疲れがないので速いペースで登れるが途中で休んだり歩けなくなったりする。だから、人生の坂道を登るにはゆっつくりでいいから途中で休む事のないようにペース配分を考えて登り、最後まで上り詰めることに最大限頭を使う事だと思う。その道程には谷あり、下り坂ありの大変な急カーブあり、また、石ころ、ぬかるみ等の道は果てし無く続くが、決して諦めない強い意志で人生の歩幅を狂わせないで歩む事だ。そして、自分のペースで歩き通して一生を終らせたい。

2006年7月11日 (火)

人間という動物

最近eccentricな考えで人間を見るようになることがある。これは、人間の原点に立ち戻り、また、人間本来の動物的な生き物の感覚と、感性を追求して全てをさらけ出してみる事が、どれほど必要かと言うことを考えてみる。動物学的には、哺乳類、脊椎、四足で、二足歩行である。他の動物と決定的に違うのが、手を使う事である。その手を使う事が発達し、頭脳を発達させている。また、長い地球の歴史の過程に氷河期があり、それを生き抜いた祖先があった事実はよく分からないが、道具を使い、生きる術を学び継承し発達させた能力があった。そこには愛があり、団体で生きるルールが出来てくる。 今生きている事が、こう言った人間の歴史をもう一度勉強し現代社会に生かしていく事が大変大事だと思う。今朝は思うようにならない現代社会に思いを馳せて記してみた。

2006年7月10日 (月)

満と空の脳細胞

人は、一日十億の脳細胞が消滅されているとか言われている。容器の大きさは個人差はあるが、殆ど生れたときは同じと思う。そこに詰め込み何時か飽和状態になってしまったと勘違いをして諦めてしまうひとがいる。満杯の状態と言う事の意識が強すぎてしまっているのだ。必ず空きがあるはずで膨らみ緻密さが増し容量が増えていき、そして生きていく能力の活性化していくことになる。だから、好奇心や、話し方や、行動力等は、体力のある時に積極的にすべきで、脳のcapacityなどは際限がないものである。何を云いたいかだが、人生、年齢に関係なく、aggressiveに取り込みをするかに掛かって来るのだ。細胞が消滅しようと関係なく、日常のいつもpositeveの気持ちを維持できるようにしnegativeな考えを抑えル努力をすることにある。そうすれば、脳の退化を遅らせ、ボケの防止になると思う。

2006年7月 9日 (日)

人間裏表があり、これも生きる術

どんな物、者でも裏表があるものだ。人は誰でも心の表があり裏がある、本音と建前である。だから、云っている事と腹とは違いはあるのは間々あるものだ。そこを見極めるには経験が必要で、なかなか難しいものだ。なぜか本音を言わないかと云うと、自分の利益を搾取することと、本当の信頼関係がないからだ。これが夫婦、兄弟、友達、恋人などの違いでも変わってくる。兎に角個人の性格や、考え方により違いはあるが、その表わし方、受止め方(判断し方)掛け値なしの付き合いも、相手にしてやられるからまた、馬鹿にされ人権まで無視されかねないからだ。いずれにしても世の中生きて行くのにこんな事に気をつけないといけないなんて・・・pridoをもていなけれが生きている価値もないし。

2006年7月 8日 (土)

代わりばんこに来るものだ

世の中良い事ばかり続くものではない、また、悪い事ばかり続かない、だから、森重久弥は「代わりわり変わりばんこにすればいいじゃないか」といって友達のお悔やみの手紙を書いたと言う。いま、やっと分かり始めた年代になった自分だが、あちこちにぶつかりぶつかり通しである毎日で(修行がたりない)、なんとなく森重久弥の言葉が解るような気がする。

やっと、夏目漱石の草枕の枕詞の意味が解ったような、実感できるような気がする。また、大事なことは平凡な暮らしや、生き方がいかに難しく大変なことなのかが解った。                       今までも転ばり転ばりの人生だったが、70年の年を重ねることが出来たのも控えめな生き方が良かったのかなと思う。どろどろの世の中を生きてきて今思うことは、詩や画があるのが分かり、そこに生きる喜びを感じることが出来ることである。そして、「代わりばんこ」と云うことを。  今朝は、こんなことを記してみた。

2006年7月 7日 (金)

一生懸命やっても報われない

一生懸命人のためにやっても報われないことってある。人の価値観の違いや、環境の違い(時代背景)での判断力や、受止め方で変わるものだと思う。しかし、本当に人間社会のなかで、一番基本になるのは、confidence「しんらい」だ。信頼感を醸成していく過程においては、時には反対意見や、無視される事もあるだろうが、一貫した信念で押し通す事も大切であり、信頼が生れる。これが人の上に立つリーダーの資格の条件だ。だが、大勢の意見を聞いて意見を纏めることは、大変な努力が必要で、その判断力、エネルギーが最も要求されることとなる。    だから、個人にとって一生懸命やっても認めてもらわれない事ってあって当然である。 そういう積み重ねや、網の目のように絡み合った人間社会が成り立っているのでたまには見放されて、一生懸命やっても報われない事ってあっても仕方がない。

2006年7月 6日 (木)

前向きに生きるには

生きて行くには、毎日をいか大事に生きて行くかに掛かっていると言っても過言でない。「ああ今日は何の得る所がなかったなあ・・・」と何時も反省している。しかし、ここが大事でと思う。反省がなかったらそこで止まってしまって停滞したままだ。いや、後退してしまう結果となる。どんな小さい目標でも行動計画をたてる心構えを持ちそれを実効する事と、反省であると思う。だから、それを含めて明日の目標を立てる事だ。positive(前向き)に生きられる術と思うし。「反省反省反省」だ。

2006年7月 5日 (水)

良い事と思ってした事が悪かった。

昨日町会のことで、とても変な事をしてストレスとなった、(聞き間違えて人の分までやってしまった)結果的には人に迷惑をかけて仕舞った。積極的にした行為が、逆の結果となって後味の悪かた。そのリカバリーを気持ちの上で補正する事に時間が掛かりそう。この年になりどうにも仕方がない。今は心の切り替えを早くできるように努力するしかない。また今後は、こう云う問題には慎重に判断して行こうと反省する。骨を折って怒られるなんて何とつまらないことをしてしまった事だろう。

2006年7月 4日 (火)

心の浅さにあきれる

毎朝、塵を拾い続けて、13年近くが経つが、まだまだ修行が足りなさがあり、恥ずかしい限りだ。今朝何時もの通り、塵を拾っていてある人に声を掛けられた。「毎日拾っていても塵があるんですか」と中々実情が分かってもらえない人が多い。問題意識がないのか、毎日その人の家の近くを拾っているのだが・・・何だか自分の家の周りまで見てもらっていない様で気が付いていない。本当にこれでいいと思っているのか?   「少しは意識して、散歩する前に、家の周りを見てからにいてよ」と云いたい。 そこが駄目でそんな事を考えてするなんて情けない、そういう考えでいたならば、止めたほうがいいと本来のボランテアの精神に反する事だから・・・・今朝はこんな事に気が病めた。

2006年7月 3日 (月)

雉も鳴かねば撃たれまい

今朝、ふと考えてみた、人間社会にもいい意味での話で、「雉も、鳴かねば撃たれまい」ということを、格好よくステージの華やかさに乗ってしまい、舞い上がって自分を見失って何が何だか解らなくなってしまった人がよくテレビ等で見かける。時には矢の的になってしまっても、自分で気が付いて身を隠して藪の中に入ってしまう上手な世渡りをする人もいるが、言い換えれば、出るところをわきまえてどちらかと言えば控えめな人がいる。こういう人が最近少なくなったように思う。いわいる目立ちたがり屋であるが内容がなく、直ぐと飽きられてしまう。後から後から、雨後の竹の子のように出てくるのは困ったものだ。逆に悪い事をして、暫らく大人しくしていて出てこないで、目に付かない普通の人間も多くなった。現実はこんな世の中のだ。ああシンド!

2006年7月 2日 (日)

たまには、裸で付き合うことも必要だ

人間は、生まれた時は裸で生れ、死んで行くときも裸で逝くのだが、生きている間は、身を隠すため衣類等を付ける。また、付けないと生きて行けない。他の動物いや生きもの全てが生れたままで一生終る、この地球上で人間だけが衣類を付けるのである。だから、その人の体系や、傷跡まで隠してしまう、その上心までが隠れて想像だけになってしまう。だから、人の評価は言葉から発する内容からの情報と書き物の内容による所の情報からが多い。何を云いたいかと言えば、その人の衣類をつけていない裸の姿を想像して見ることで、その人の裏表が分かり本音と建前が単純に分かるのではないかと思う。身体に纏うことは、武装することでもある。また心までが武装することになってしまう。人間の心の奥をさらすことも時には必要であり、身に何も纏わないことで、信頼関係が生れてくるのではないかと思う。

2006年7月 1日 (土)

穏やかな日々と、質を考える

毎日毎日を大きな問題もなく過ごして、たまには、立ち止まり考えて見ないといけない。人生長生き出来るのは、目標を持って、何時もその目標に向って努力することである。国際聖路加病院の理事長「日野原重明氏」(明治三十五年生まれ)の大長老が何時も言っている事が「長生きの秘訣は目標を持つ」ことだ。本当にただ時間が過ぎていくばかりで、振り返ってみたら、なんにも残っていなかったでは、人生つまらないではないか、いやあいいんじゃなのかな?と思えることも、しかし、一度だけしかない人生悔いのない時間を過ごさないともったいない。でも、なかなか、思う通り行かないのも人生で、あまりこだわら無いことも旨く生きるコツかなあ・・・そうか、そう思ったら日野原さんのように目標を持って生きることか。大事なことは、穏やかに日々を過ごすことを心がけるようしたい。長生きするだけでなく「質」の問題も大切と思う。

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