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2006年6月

2006年6月30日 (金)

家族の絆

昨日(6/29)北朝鮮拉致被害者の横田めぐみさんの結婚相手の男性の韓国人の金英男さんが、インタビューに応じていた。結果(内容)北朝鮮政府のシナリオの通りの内容となった。放送を聴いていた、めぐみさんの両親は、予想通りの内容と受止めていた。28年間も苦しんで我が子の消息を求めて、あらゆる活動をして来た。そのパワーと執念は、誰でも出来るものでない。愛の深さ、と家族の絆を考えさせられた。人間家族の絆とは、人間社会に於いての最初の基本構成であり、そこから、あらゆる人間社会の団体、国家体制へと構成されて行く事とだ。しかし、人間の本能と云うことであろうが、長年朝起きてから夜寝るまでその事を考え続ける意思と諦めないで活動してこれたのは、自分だったらどうだろうと思わざるを得ない。

2006年6月29日 (木)

生きることが辛い!

92歳の祖母が云った。「わたしゃもう生きていくのが辛くなったあちこちが痛んで、本当に辛い。」                                                「早くお迎えがきてくれないかなあ?」とつぶやいた。                     「どうか楽に逝ってしまいたい」と 人生の酸いも甘いも全てを知り尽くした人の最後の言葉なのか、本当に説得力があった。どんな言葉を掛ければいいのか一瞬迷った、寂しくはないようだが、そのとき自分は「まだ生きていれば良い事もあると思うよ、天がお召しに来るまでは、」と慰めた積りだったが、励ましの言葉が見つからなかった。                                「年寄り責めるな、皆行く道だもの、子供を責めるな通って来た道だもの」と云う言葉を思い浮かべて、「自分は如何に年をとり、そして、死んで逝けるか?」考えさせられた。                      笑顔で死ねるなってある訳がない、しかし、そんな馬鹿なこと考えたりしてみた。でも、自分が祖母に接して来たことに感謝してくれているのでとても楽な気持ちで受止められた。                                                  今日アゼリア(昭島市の施設)に面会に行って記してみた。                       

2006年6月28日 (水)

一期一会と言う事

「一期一会」とは、《山上宗二記の中の「一期に一度の会」から》茶の湯で茶会は毎回一生に一度だと言う思いを込めて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきと説いた語転じて一生一度しかない出会い、一生一度限りである事   人の出会いも、皆一期一会のものである。とすれば、「いささかも、そまつになきよう深切実意を尽くす」交流する事は言うまでもない。 「一期一会」は、特に強調して力説したのは、江戸時代の末いわいる幕末に出て江戸幕府の大老として手腕を発揮し万延元年三月三日世に言う桜田門外の変で斃れた井伊直弼(1815~1850)である。この「一期一会」は仏教思想に根ざしたものでおそらく早くからきざしていたものと思われるが、その期限は、分からないそうだ。今朝は「一期一会」について、考えてみた。

2006年6月27日 (火)

人間の欲望と社会

人間の欲望には際限がない。欲には5欲といわれている、カテゴリーがある。すなわち、財、食、色、眠、名、だがどれをとっても際限がない。かのビル・ゲイツだって世界一のお金持ちであっても、財力で不満はあると思う。(今は、引退すると言うことで、どうかな?)人間は、プライドを持つことが必要で、生きて行くのに条件の一つと思うが。歴史的に有名な秦の始皇帝の、3千の寵愛を受けても5欲は不満で、他に比較できない程のプライドがあったことは事実だ。独裁的な社会構造では仕方がないが、人間どうしが相手を尊重する民主社会構造であるならば、欲を抑える事が絶対に必要である。その範疇は、個人、国の、考えが違っていて、なかなか統制が取れないのが現下の状況だ。また大事な事はそれに伴う心の問題が付いている事で,宗教、民族で、愛の授受の違いが大きいと思う。

2006年6月26日 (月)

自己主張について

人間生れた時は、みんな同じ条件でこの世に排出される。確かにその時点で血統は否めない事実だろうが、環境に影響が大きいと考えたい。年齢を重ねるに従って、個性は出て来る。その個性を大事に育て、尊重し、生かす事が大事で、自己の考えを主張できる社会を作る事が大切だと思う。但し、各自の主張を認めていたら混乱するばかりで、人間社会は在り得なくなる。そこで、ルールである。ルールは人間が作り守ること、守らなければペナルテイが必要である。此処で最も大事な個人対多勢の関係と民主,共産、独裁等の人間社会が出来る。従って、個人の主張を抑えなければいけないことも多くなってくる。我慢、忍耐も必要になってくる。

2006年6月25日 (日)

howeverという単語

howeverと言う単語、首相の小泉さんが、テレビでちょっと口ずさんでいる所を見たことがあった。映画を観てのインタビューだったか?記憶がある。  で、なんで取り上げたかは、最近グループ歌手の一組のなかから「however東京」と言うタイトルの、人気が出て来た歌があるそうだ。辞書で「HOWEVER」を調べたら、どんなに・・・でも、どれほど・・・でも、いかに・・・であろうとこ、けれども、しかしながら、それにもかかわらず、一方、・・・etcとあった。何故か好きだ、単語でそれも英語の単語で、感動したのは初めてだ。その意味は、反発精神?頑張り精神、軽く乗り切れる精神のような勇気の出る「単語」のようであって、今の自分にとても心に響いて気持ちが良いと思った事で記してみた。

2006年6月24日 (土)

温泉に行ってゆっくり休みたい

何故か、疲れたようだ。頭の切り替えが旨く出来ない。人間だらだら生きていると疲れるなあ・・・気持ちの切り替えが大事だ。それが旨くいかないと大変な事になる。心の落ち着くところも、(ヘリポート)が必要である。それは、旅行に行って温泉に浸かる、好きな趣味に没頭する、本を読む等何か今までの生活パターンを変える事がだいじだ。 何だろう、もうそんな事考える年になって来た自分に少しは慈悲の気持ちになられたのかなあ・・・長距離を走ってきた感じだ。「人生急いで何処へ行く」ああ温泉にも浸かって、ゆっくり休みたい。こんな今朝の心境だ。体重58キログラム、身長161センチ、年齢68歳10ヶ月、血圧116:76 天気薄曇 気温22.5度 時間6時15分 シャワー浴びて朝食の仕度を済ませパソコンを弄って見た。

2006年6月23日 (金)

リーダーの資格の条件

人間生れてきて、様々な環境のなかで育ってられた人間を、一つのイベントや、考えを纏める事は、相手の性格や、特技、知ること、そして自分と意見を理解してもらえるブレーンを見つける事だ。特に性格を知ることは、大事な事で神経質な人、無神経な人は山ほどいる。そういう人の見分け方の経験の積み重ねが必要だ。ある程度強引の所も必要で、たまには、考え方が違う人間は切る(無視)事も必要だ。その上に信頼の積み重ねがリーダーの資質を高めることになると思う。

2006年6月22日 (木)

緊張もたまには必要

緊張は、日常生活において、時には必要である。何時もだらだらとした生活ばかりしていると考えが緩慢になり、とっさ変化に対応出来ないし、応用が利かないようになり、悪くすれば、ボケが早まることになる。だから、適当な、緊張感は、積極的に自分から受け入れて行く事も大事だ。それが過剰にになり、ストレスとなっては逆効果であることは言うまでもない。常に平常心でいる事を養うには、方法としては色々あるが、先ず好奇心を持って物事に興味を持つようにする事、旅行、読書、するの良いだろう。

2006年6月21日 (水)

一日一膳

今日も、気持ちよく目を覚ますことが出来た。有り難いことだ。外は、雨の日もあれば、風の日もあり、また、雪の日もあり、必ずしも天気の良い日ばかりはない。しかし、天気は選べない、どんな天気でも生活していかなければならない。当然だが一人で生きて行けない。大宇宙から全てを与えられて生きているのだ。全て自分ひとりの努力で生きているんだと思い勝ちになっている人もいる、良く考えて見ることだ。人の社会があっての自分である事を常に反省する素直な気持ちを持つ事が大事だ。人によって生かされた自分を見つめ、何か人のために毎日良い事だと思うことをして見る。役立つ事を実行してみる。そうすれば、自分に関わる、全てが有り難い心は更に増して行くことになる。心の豊かさは、一日一膳で潤いも増して来ると思う。 今日も、入梅真っ只中曇天の朝を迎える。

2006年6月20日 (火)

因果応報

因果応報、=大辞林では=前世あるいは過去の善悪の行為が、因となり報いとして現在の結果がもたらせること。となっている今がよければ、それで良いという考えは必ず、結果に現れる事だ。(後で悪いことが起こる)今を耐えていれば、きっといい事がある。「人生変わりばんこに来るものだ」と森重久弥が言っている。だから、「悲しい時に泣き、泣いてばかりではない嬉しい時に笑えば、いいじゃないか。又笑ってばかりでいられないが。」と言っていた。全くその通りだと思う。悲しいがそんな単純な事が分からない人がいる。

2006年6月19日 (月)

流れる水は腐らない

水、山の頂より自然の恵みの雨雪を受けて地面の奥底に沁み込んで何十年の時を経て、地上に出る。それまでに地面のミネラルを吸収し地中のバクテリアや生物を育み、そして雫として、落ち、溜めて、流れて、地上の生物に潤いを与え川となり谷となり河川となり、海へと流れ行く、途中に又地面吸収されてしまうこともある。谷間のやわらかいど場所に砂を巻き上げて湧き出ているものもある。その水を休むことなく動いている。人間の血液のようなもので、その水を器にとって何日も置いておくと、腐ってしまう。従って絶えず流れている水は腐らない。人間は勿論地球上の生物は水なしでは生きて行けい。全て地球の自転の止まる事ないように流れているのが自然の営みだ。だから、水の流れは止めないことが大切だ。

2006年6月18日 (日)

名もない花になりたい

目立たない、名もない花の如く人前には積極的には絶対に出ない人になりたいのが理想だ。そして、足に踏まれても、少々水が足りなくても、また日に当たりが悪くても「あっ!こんな所に咲いている花がある。」人に採られて、他の花と一緒に花瓶に活けられるが完全に引き立て役であり、表に出してもらえない。唯、それが生きがいと決めているのである。だから、名前も分からない花だ。だが、どんな条件の悪くても花持ちの良い事には、絶対負けない強い、そして、花瓶には最後まで残っていて、皆を驚かす。そうゆう花になって生きたい。

2006年6月17日 (土)

適当な刺激は必要だ

生物は(動物、植物)刺激が必要だ。さつきの選定をして考えて見た。見事に咲き誇っていた、さつきも咲き終わると汚くなり新芽が出て無造作に伸びて、手に負えなくなる、いわいる野木になって、さつき自体も枯れ枝が、増える(枝が重なり合うと光、栄養が行き届かないため枯れてしまう)咲き終わったので他の樹木との調和も考えて剪定をした。そこで考えた動物でも、やたら数が増えると、共食いとなり、他の種族に、滅ばされてしまうかも知れない。人間も、刺激を与えないと、大きなショックが来た時に耐えられず、死んでしまう。従って、刺激(教育、躾け)を受けない、ただ、のほほんと大きくなただけでの、野木になってしまったら同じ事だ。

2006年6月16日 (金)

止まない雨はない

入梅に入り、雨の降る日が続くと思われるが、それでも長くても三日も降り続ければ止むだろう。心の雨降り状態も必ず止むものだ。この方は気持ちの持ちかで自然の雨は、天気図でも分かる通り地球の自転により西から変化してくるのが普通である。従って入梅時期に東南アジアにインド洋の低気圧が発達しヒマラヤ山脈に向って吹きつけ雨を降らすために地球の回りの影響で雨を降らす雲が西から東と流れるのである。その雨雲も切れて晴れ間は、必ずやって来る。雨と晴れは交互にだ。その雨と晴れ間のお陰で米が出来、日本独特の農産物が取れ、水産物にも大いに影響はあるのだ。一方、人の心は人間同士の事で、人の欲からの問題から発生する。お互いの理解と努力で、必ず雨と晴れは出来る。また、五欲(財、色、名、眠、食)のコントロールが出来ないで起こる。しかし、これも人の歴史から見てもいつかは収まるものである。今朝眼が覚めると、激しく屋根打つ雨に思い書き留めて見た。AM 3時30分

2006年6月15日 (木)

おぞましい心

人間は、大きな、セレモニーがあった時に、その人の性格、個性が顕著になるものだと実感した。普段だと腹の底のことは分からないが、人間パニックになるとその人の隠れた心(腹の底)が分かってしまうものだとつくづく思った。だから普段きれい事をならべまくっていた人がそう言う場面に合って露呈してしまうと、悲しくなるほど可愛そうなな気がする。やはり、心の豊かさを、何時も求め、何事にも動じない、強い意志を貫いてこそ人間としての生きる価値があるのだと思う。(昨日、儀姉の納棺の儀があり兄弟が集まり、決め事があった席で、おぞましい心の持ち主を実感した。)

2006年6月14日 (水)

自然と人間

宇宙から銀河系が55億年前に地球の生い立ちが始まり、現代につながっている。振り返ってみても、人間には想像の世界になって今の科学では、完全には立証できない生い立ち。しかし、その営々と続いた地球の生命も確実に終わりはある事は分かっている。いま、環境が盛んに指摘されているが、少しでも地球の生命を長生き出来るように人類の英知を結集して行かなければならない。硝子壜、プラッシック類の科学製品などは絶対に土には返らない。人間が便利さを追求し、出来上がったもので人間の生命、地球の寿命を早めていることに気づいていないのではないのか?あまりにも便利さの追求、と人間のエゴだけがこのような、地球環境にしてしまうのに気が付いてほしい。限りある資源の乱開発、人間も便利さだけの追求から、自然に返る考え方を徹底すべきである。したがって、土に返らない物質は、無意識に捨てる事は許されない。そこで、それが守れないなら、法律を作り重い罰則を科す事にしなければならないと、今朝も塵を拾いながら考えた。

2006年6月13日 (火)

感動の日だった

日常の生活を、研ぎ澄まされた、感性で送ることの出来る喜びと、充実感で送るこはこの上ない幸せである。そんな事の実感した日。世の中こんなに旨く言っていいのだろうか、一瞬、自分の頬をつねって見たくなるようだ。会った人が皆んな、自分に味方をしてくれているのだ、また、どんな人でも許せる心境になっている自分があった。こんな事今まで、生きてきて、こんな経験はあまりない。良く言われる言葉だが「生きていて良かった」である。それは何んだろう、自分の気持ちを素直に認めた結果だと思った。こう言う日を継続させる事こそ、人間最も大事な事だと思う。有り難い。

2006年6月12日 (月)

独楽の回りにへばり付く人間の垢

毎日、毎日世の中回っているんだ、大きな事件が、あちこちに起きている。これは、大変なことなのだが、「人の噂も75日」と言うけれど次から次へと起きては消え?起きては、消え?と移り変わって行く。過ぎてしまえば、何事もなく忘れ去って行くようだ。一つの事にしがみ付いていたら、前に進まない事は良く分かっているが、どうしても置き去りしてはならない事もあると思う。また、その事を教訓に何時までも忘れてはいけない。そういう経験(体験)を記憶をとどめたり、忘れ去ったりすることは人夫々に違う受止め方でいいと思うが、大事なのは、事実(体験)を生かし、今後の生きていく糧にしていくことだと思う。それは取っても取っても取れない独楽(世間)に人間の垢だ。

2006年6月11日 (日)

普通が最高

昨日、老夫婦が散歩いる姿を見て「これが一番の幸せ何だ」と言うことを散歩して感じた。時間は4時ごろ、年は夫婦とも80歳は越えている感じ、旦那さんは、杖を使い、一歩一歩確かめるよう、静かに歩を進め、一歩後ろで奥さんが白い髪をなびかせて、旦那さんの足元を不安げそうに見詰めて歩いていた。あ”そういえば、何時も遠くで見かけるご夫婦だと思った。人生粋も甘い知り尽くした経験豊富な、お人だと推察される。ようやっと散歩するにも丁度良い季節で夫婦の後姿を見て最高に幸せを感じた。その姿が控えめの、幸せ感もさることながら、普通に暮らして、「此処まで来たよと」言わんばかりか、普通がどんなにかいいのか教えているようだった。又非凡の努力をして来た結果のようだとも思えた。そして、辺りがばら色になった様だった。

2006年6月10日 (土)

サッカーワールドカップが始まる

サッカーのワールドカップがドイツで始まる。近年年を経るたびサッカーの熱が盛んになって行くようだ。もっとも、2002年に日本・韓国で行われたから、日本のサッカー熱は高まったのだろうが、これほど、世界的に国民に親しまれている、団体スポーツはないだろう。いま各国の代表32チームで争われているが、ボール一つで狭い広場で簡単に出来のは、アフリカの貧しい国でも、力を持て余した国民の唯一のスポーツと思う。一方先進国の若者は選ばれて、他国のチームで、活躍しお金を目的で、技を発揮している。ファンも高じて、フーリガンと言う、警察も手を焼く暴動化するまでに異常熱狂する事態になる。最もスポーツであることを一線を越えてしまい、本来の民族間の親睦で抑えて置くべき処を見失っては、元も子もなくなってしまう。とサッカーワールドカップが始まった機に考えてみた。

2006年6月 9日 (金)

学校と躾け

由井第3小学校の前を散歩しながら、考えて見た。学校は、第一に教育でいわいる勉強であり躾けは第二である。(躾けは家庭にある)学校は集団での躾けは当然であるが、今そう言う考えで、家庭、(親)学校(先生)は考えているのであろうか、どうもその責任分担を取り間違えている所が、あるのではないではないだろうかと思う。真剣にその事を、当事者が議論してみた事があるのであろうか、どうも、今の子供達の言動を見ていると、必ずしもそうとは思えない。自然の植物、野生の動物に置き換えて考えてみて、分ると思う。奇麗に咲いた草花はそこの生える適している土壌、光と、水によるのだ。奇麗に咲いているには、いい条件の環境があるからだ。また野生の動物は、生れてから、親の愛情に大きくなり、仲間と社会を作り、生き延びる知恵を先輩(先生)に教えられる。いずれも厳しいルールがあり、その変化は、時代の経過で違いは出るが、子孫を残す生の原点を続けている事を、考えて見たらと思う。もう一度、原点に戻って、学校と躾けを議論して、より良い人間社会を願うものである。そして、そういった環境作りを大人たちも、理解し、協力して、社会構築する事が大切である。

2006年6月 8日 (木)

当たり前のことが出来る幸せ

毎日毎日何もなく、平凡な生活を送れることは、有り難い事と思わなければいけない。平凡は非凡なんだ。みんな苦の娑婆を生きているのだから自分だけ良ければ、いいと言うわけに行かない。弱いものを助け、困った人に声をかけ、悪い人に立ち向かう、勇気が必要である。最近特に社会情勢がおかしくなってきたように見受けられる。秋田の小学校1年生の殺人事件、東京港区のエレベーター事故、村上ファンドのインサイダー取引、社会保険庁の年金免除の取扱の問題、等全くマスコミの記事に事欠かさない事が、多すぎる。本当に一生懸命生正直に且つ、誠実に生きて平凡な生活を送っている人には、嘆かわしい事だ。もう一人一人が襟を正して真面目に生活をして行ってもらいたいと湯殿川の河川敷のごみを拾っていて考えてみた。そして平凡で当たり前のことが出来きている幸せを感じて欲しい。

2006年6月 7日 (水)

鴨の親子を見て

渡り鳥の鴨の親子をみる。昨日夕方5時ごろ、湯殿川のカタクリ橋の下の小さな堰の下に母親?と、小さい子鴨が、6匹一所懸命に堰を上がろうとしていたのを見た、親は1㍍の高さの堰を羽を使って登ってしまい「こうゆう風に登るんだ」といわんばかり大きく羽ばたきをしてに登って見せたが小鴨にはどうしてもできない。しからば、親鴨は、もう一度回って下に下りて同じようにやって見せたが全然駄目だった。それを見て、人間社会に置き換えて考えさせられた。親が、実際に行動して見せて、子は真似をする。そうして大きく大人になって行くんだ。だから其の行為が少々無理であっても、それを「乗り越えないと生きて行けないんだよ」と命を懸けて真剣なんだ。そうしなければ生きられない野性の鳥たちである。人間社会においては、果たしてどうだろう、親の判断力と子供の勇気を訪われたような、光景だった。

2006年6月 6日 (火)

花の命

陽気も段々夏にむかって日ざしも強くなって来た、道路を歩いてふとみたら、アスファルトの割れ目に、可憐な紅い花を付けた小さな草があった。どうしてこんな所に咲いているんだろう、車のタイヤに踏まれはしないか人間の足にも気をつけられない場所に一生懸命咲いて、実をつけて子孫を残そうとしているだ。一方我が家の冬の間家の中に入れ、大事に大事に育てた蟹シャボテンが、真っ白の大きく派手な花を咲かせた何とその花の数13個で、それも一斉に咲いたものだから花と花が重なり合ってさいて大変窮屈な感じすらする。しかしこの花は、僅かな2・3日の間だけで、実をつけない。一年365日の苦節を耐えて来たんだと思うと、なんとも、けなげで哀れささえ覚える。人間に置き換えてみたら、ああ!!所詮人間も線香花火か花のように、ほんの一瞬だけに命をかけているんだなあ・・・・と思った。

2006年6月 5日 (月)

機能が落ちたら、其のレベルで生きよう

必然的に加齢により、人間の身体の機能は落ちてくるのは仕方がないことである。ある程度の訓練で、落ちるスピードは遅くなると思う。個人差はあるが、また場所にも人それぞれに違いがある。若い時に身体を酷使するとどうしても早めに老化すると言われる。そういう自然の法則であるが、精神的と肉体とのバランスを上手に保つ事が大事な事となる。残っている機能を旨く働かせるには精神的に安定していないと出来ない例えば目が遠くになり、近くのものが見づらいならば、眼鏡(老眼)をかけ、耳が遠くになったら補聴器をつけて今までの生活を維持することは、ある程度出来ると思う。しかし、運動機能が落ちたら無理をせず、出来る能力範囲で生活をすることが、最も大事な事だと思う。

2006年6月 4日 (日)

成し遂げた喜びを知る

年を取り何もかも面度になり、億劫になり諦めが良くなってしまったが、昨日携帯電話の Iモードの取扱(操作)に挑戦した。理由は、携帯電話の機能を半分も利用していなかったと思ったからだが、そもそも利用は電話だけでIモードの機能があるのに全く使えなかったものを使って見たいと思い挑戦した、最初は、取扱書を読み何度も動かしたが出来ず、ドコモに問い合わせてみたが、解ったようで解らない、仕方がないので、ドコモショップに行き、ようやっと出来るようになった。出来て仕舞えば『何だこんな事』と思うが、とても大事な事でどうしても今までは、諦めの方が早く、視野が狭くなってきても気にならなくなってしまっていた。これからの人生まだまだある。何事も挑戦して完遂した喜びを味あうよう心がけたい。それが若さを保つ否決だと思った。

2006年6月 3日 (土)

暇だからしているんだよ

「そんな事して、大変ね」資源ごみ置き場にめちゃくちゃな出し方をして置き去りになっているゴミをからす?が散らかして風で一層散らかしてあった、それを病院の帰りよと言って、整理している年配のご婦人がいたので手伝って上げた。「どうしてこんな事をするのだろう」といいながら風で吹き飛ばされてしまわないうちに早く片付けようと二人で片付けた。こんなところにも、社会の歪が出ているのだと思った。出す方も、税金で集めに来ているんだ、少しぐらい混入してもいいじゃないか、と自分勝手な判断でルール無視の人や、散らかっている惨状を、見てみぬ振りの人達も唯あきれるばかりだ。片付けている所を見て「そんな事して大変ね」と言って目をそむけて通っていった50歳代の女性の人がいた。「暇だからしているんだよ」といって後ろ姿を見送った。後で考えて見てどうして、こんな世の中になったんだろうと、矢張り政治、家庭の教育が間違っていた結果だと思わざるを得なかった。       

2006年6月 2日 (金)

泥臭くても、いいじゃないか

毎日、毎日塵を拾って13年、人は何と言おうといいじゃないか、自分と為と心からそう思ってやっているのだから人に解って貰わなくてもいい。 また、やる事が鈍臭くけっしてスマートとは言えない田舎親父である、相手にすれば迷惑至極の事かも知れないが、自分では信念を持ち一生懸命人に尽くしている積りで、何時か解ってくれると思っている。やる事が小さいが、人に思いやる気持ちは充分あり、執拗に同じ事を継続する事の大事さを心得ている。、応用が効かない、呆れるほどの理屈べた。特技も才能もなく泥臭い、アホな田舎ジジイだがそれでもいいかな?、お願い**神様、仏様もう少し私を生かしておくれよ。

2006年6月 1日 (木)

何か世の中、歯車が狂ったようだ。

どうも、世の中狂ってしまったようだ。子供が親を殺し、親が子供を殺し、人の命の大切さを軽く見過ごしているんだろうか、何か原因はあると思う。教育、政治、の影響力は大変な力があると思う。基本の教育は、最も大事で今起きているさまざまな現象は正に教育の原点である人間社会のルールを徹底的に教える事にある。振り替えれば、市場経済に大きく目が移り、お金儲けに、ただみんなが目を向けすぎて、合理主義だけが一人歩きをして、人間社会に最も大事な道徳を、相手の立場になって思いやる、エゴイズムにならない事等の教育がたりなかった、大きい荷物を置き去りにしてしまったのである。教育方針で国の政策が甘かった結果だ。そんなこと偉い人の政治家が何故気が付かないのだろう。このところの新聞、テレビでの報道は目、耳を被いたくなり記してみた。

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