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2006年5月

2006年5月31日 (水)

有り難い事だ

朝3時4時に起きてパソコン弄りして過ごすなんて、世間の常識を越えて生活をしているようだが、こんな暮らしができるなんて幸せで、感謝心で、一杯である。これが、悠悠自適の暮らしとゆうものかなあ・・・しかし、人間のの輪廻と言うものは忘れてはならぬと思う。無理やりに結論付ければ、こういう時こそ自重して生活を戒めて暮らさななくてはならない。森重久弥が言っていた言葉に「人生笑ったり、泣いたりの一生だ、いいじゃないか悲しいときに泣けば、そして嬉しい時には笑って生きれば」とまた、親父の言葉を思い出す「過去に囚われず、未来を憂いず、現在を一生懸命いきる事が大事である。」毎日毎日やな事ばかり、そこで詩が出来、絵が生れると夏目漱石が言っている。幼子の心のように生きて生きたい。そして、宮沢賢治のように東に行けば苦しんでいる人がいれば、手を貸して上げて「頑張ってね」と。西に行けば喜んでいる人がいれば、「本当に良かったね」と一緒に喜んでやれるように努力する。=今朝の心境。

2006年5月30日 (火)

今日も一日無事に過ごせた

朝早く目が覚めて昼ごろには、眠くなり食事をして昼寝をし、また、歩きか、パソコンをするか毎日、毎日同じパターンで、町会の関係、学校ボランテア、防犯パトロール、住民協議会関係、町内の塵拾い等と、パソコン弄りで、暮らしている。特にスケジュールの混んでいる事もなし、気ままに過ごしていて特に緊張する事もなし、自分では旗本退屈男と思っている。まあ健康は悪いなりに気をつけている積り.こんな幸せな毎日を遅れるなって有り難い事と思っている。感謝感謝である。

2006年5月27日 (土)

何でもないことが、大変な事

最近特に感じることだが、人間の一つの行為がごく普通眼が覚め起きて、ご飯を食べ、一日を過ごす事が、とても、大変なことをしているのだとつくづく思う。これは当たり前の事で無意識に毎日を過ごして良いものか考えている。この世の中に生まれたのは、みんな誰でも使命を受けて生まれてきたんだと思う。こんな事考えて悔いのない一日を送りたい、と限りがある人生をもっと大事にしていかなければと思った。朝5時目が醒め外に出て、大きく両手を高く広げて胸一杯空気を吸い込んで、生きている喜びを感じる。さあ今日も頑張るぞと。ああ〇☆●生かされているんだな・・・と実感した有り難い事だ。そして、人間が人間らしく生きていくのに一番大事なのは、頭の良し悪しでなく、心の良し悪しである。と言うことだ。の言葉を思い出した。

2006年5月25日 (木)

我が家でも不如帰の鳴き声が

「めにはあおばやまほととぎすはつがつお」江戸時代中期の俳人山口素堂の句にあるように、今の時期と思う。その頃とすっかり景色が違うが不如帰と鰹と、若葉は変わらない。人の暮らしも違う。今朝雨上がりの丹沢山塊が朝日に輝いていた、突然不如帰が声えたからかに鳴き出した。それは20年ぐらい前に聞いた声と変わっていなかった。何処でどう生き延びてきたのか解らないが、何かいとおしい感じさえしてきた。不如帰は、自分では子育てしないで、ウグイスにお願いしているいわゆる「托卯」である。この営みを何時までも続けて行っていく環境を守って生きたいと思った。

良い時を過ごさせて頂いた

昨年死んだ兄は、晩年車に乗って何処かへ行く、(いわゆるドライブ)が大好きだった。どこでもいいので、場所は選ばないで車に乗って走る事で今までの幻想を吹き飛ばし、忘れ去りたかったのか?何時だかその事で聞いた事がある。自分でも何故だか解らない、「どうしてなんだろうなあ」と言っていた。  多分車窓から見る移り変わる周りの景色が今まで生きてきた人生を振り返り思い出していたんだろう。自分の頭の中の厭な思いを取り除いてしまいたんだろう?いつでも、幾らでも、何時間でも、何処でもいいんだこれはもう中毒かなと思えるようだった。自然が大好き、山の映りゆく景観がとくにすきだった。そんなドライブが終ると、必ず「良い時を過ごさせて頂いた」と必ず口にしていた。だから、年寄りになると毎日がすることがなく、長い一日と、感じてしまうことがある。何か没頭する事がないと、残された大事な時間を退屈なになってしまうのだ。自分も考えようこれからは。

2006年5月24日 (水)

生かされている自分

今朝も4時前から起きてパソコンに向い、生きている自分は何なのか、考えてみても良く解らない。しかし人それぞれに、何か使命をもって生まれ生きているのだ。そう考えると短い人生をただ漫然と生きるのではなく、その使命を早く探し求め、生きる事だと、この年で解った、難しいものだ。  今は、お金もない、教養もない、体力もない、だけど、貪り・怒り・愚かさ・がある。   まあそんなこと考えても仕方がないが、今生きている自分が本当に幸せであり毎日が充実している。 これも生かされているので、在り難い事と思う。今朝、眼が覚め床の中でこんな事を考えていた。夏目漱石の草枕を思いだす。    人生格言なども気にしてみた。①いい日は、幾らでも有る。手に入れるのは難しいものは人生だ。=アニー・テイラート②人生は、私たちが人生とは何かを知る前にもう半分が過ぎている。=W・Eヘンリー   ③人間が人間として生きていくのに一番大切なのは頭の良し悪しではなく、心の良し悪しだ。=中村天風

2006年5月23日 (火)

自信を持って生きよう

今日眼が覚めたら、一昨日の公団の説明会の席上で質問に立った。何か作られたペーパーを読み上げえるだけだが、自分のものとして言葉に出ないもどかしさが、自分でも恥ずかしい。その思いが自分を攻めているのか、どうしても拭い去る事が出来ない。しかし、良く考えて見れば、それがどうしただ、こんな自信のない気持ちでいると人間萎縮しっぱなしで花にならず、蕾のまま枯れていく、今我が家に咲いている牡丹の様じゃないか。いいじゃないか、そんなことにこだわらなくても、前向きに生きよう。またそういう事は慣れがあると思う。良かったと思うよ。なぜなら自分の質問、要望を話し終えたら、何人かの人が拍手をして、賛同してくれたではないか、これで自信を持って積極的に人前で自分の意見を話す様にして、自信を持って生きようと思うになった。

2006年5月22日 (月)

自然と人間の関係

開発が、どんどん進んで止まるところがない。50年前の懐かしい思い出の土地が現実にに崩れ去っていく姿に誰も、それなりに思っているのではないかとは感じるのだが、目の前の山が崩れ去り無くなっていく現実は、寂しく悲しい。一度崩れ去った自然を戻すには何十倍の年月とお金が掛かり、実際は不可能だと思う。人間と自然の長い歴史を一瞬で崩す事は絶対にしてはいけない。そして、人間の心の安らぎ、愛情、優しさ、思いやり、はこの自然が生み出す事を忘れてしまっているのではないかと思う。人間社会で目先の利益だけを考えて大きな損失をしてしまっている事に気づいて欲しい。本当に住み安く安心安全な、環境とは、を考え直す事が大切と思う。昨日の[南八王子地区(みなみ野シテイ)の用途地域及び地区計画の変更素案の説明会]が、八王子市,まちづくり計画部、まちなみ整備部の主催で行われ出席しての感想だ。

2006年5月19日 (金)

人間一生を考える

83歳の義姉が入院した。去年連れ合いを亡くした経験して、一人で耐えてきたが、もう限界だ。振り返って見ると、彼女の一生は幸せだったのか不幸だったのかじっくり考えてみる。人それぞれの見方があるが、終わりよければ全てよしかもしれない。この年になり何かを悟る事が出来たような気がして来ので不思議だ。そして落ち着いて自分の今までの生きてきた一生振り返ることが少しは出来るようになった気がする。万物、形は変化してやがて消滅する。生物は生があるれば、死がある。 人が涅槃に入ることは最大の人生最大のイベントだ、朝ゆっくり東の空に上り夕方真っ赤に燃えて沈んでいく太陽のような一生、まったく自然で宇宙の摂理た、ただ沈んで見ると(長かったのか短かったのか人それぞれ)。そこ行くまでのプロセスは、本人の生きた努力の成果と環境(社会構造、信仰心)が重要な、ファクターだ。そして、判断は残された遺族や、周りの人達の評価で決まる。この事はとっても大事な考え方と思う。また、こういう時の対応の仕方で人の心の奥が解るような気がした。

2006年5月18日 (木)

個性を尊重する生き方

年を重ねると、生まれ持った個性に今まで生きてきた環境に馴染んだ心身は、固まってなかなか溶け出さない。そして、人間関係において変人、解らぬ人、理屈ぽい人、難しい人になってしまうのかなあ・・・だかもう直せないいんだからそういう人を早く見極めて、付き合っていく事だと思う。そして自分も変な個性になっていることに気づいていないで世間に迷惑をかけているのだから・・・仕方がない。 なるべく自分を見つめて反省し謙虚に生きる事に心がけていくべきと思う。これからも生きなければならないのだから・・・な。

2006年5月16日 (火)

地域社会の迷惑はお互い様

地域社会では迷惑はお互い様で、多少のところは我慢する事が旨く連携が取れると思う。真のコミ二ケーションは、先ず家庭から、そして地域社さらに国になる。人間が安心して暮らしていくには人間同士が信頼しあえる環境にあることが第一条件だ。そのためには、助け合いの精神が必要で自部だけのことしか考えない人には仲間はずれとなる。地域で生活をするには慣習やルールがある。その慣習やルールに反しないように努力する事だと思う。けして理屈ではないそれが合理的でなくても皆だ決めた事ああるならばそれに従うだ。近所に新築工事があり、車の出し入れが不自由しているので考えてみた。

2006年5月15日 (月)

人間だって雑草のようなもの

今朝、眼が覚めたら「人間だって雑草のようなもの」だと考えて見た。何も知らずこの世に生まれ、死んで行く。雑草だって同じだ、春になり種は光と水と栄養分を与えると大きく成長し、花を咲かせ実をつけて子孫を残すため種を落とし枯れて死んで行く、秋に、それは生命の営みは皆んなそうなのだ。どんなに長生きしようとも生れた時にもう一生の期限は決まっている。一年草、多年草と、人間は100年と、また繁殖の方法も違って種、根株、挿し木、等色々有るが、人間だって現在のバイオ科学やクーロン技術で同じ人間を作ることが出来ると言う時代だ、草や木も自然では競争社会の人間以上だと思う。子孫を残すのにはどんな悪条件の隙間でも生えて行こうとするが、人間は知恵があり、統制を取りながら社会構造を形成して、人間社会を維持させて淘汰を防いでいるだけだ。

2006年5月12日 (金)

物事には限度がある

ひょんなことで、我が家の庭の手入れが植木屋さんに入ってもらい見られるようになった。しかし、真木の葉1枚の片付けも気になり、砂利道の間に落ちた葉を素手で拾い集めたり、また、2.3ミリの小さな雑草を指でつまんで取る作業を毎日していたら手が荒れてきてごそごそとなり、指のつめに土がつまり、荒っても落ちない.そこまで徹底して掃除をしても限がない。我が手をじっと見て、考えた人生生きて行くのも、コツが有る大事な事は、心に余裕を持ち、生きていくのの方法には、感性、個人差はあるが、応用に計らう事だ。だからいい加減にしないと前に進まないしい、大きなチャンスをのがしてしまうと思う。大いに反省する。

2006年5月 9日 (火)

年をとると病魔が押し寄せる

厚生省で『メタボリック症候群』が成人の有病者は1,,300万人と発表した。内臓脂肪の肥満に高脂血症、高血圧、高血糖などの深刻でなくても心筋梗塞、脳卒中などの危険性が高まると言うものだ。自分がまさしくその一人絶対そうならないようにしなければと思う。2004年の国民栄養調査で解った。実際その予備軍が1,400万人あり合せると。2,700万人と男性の2人に一人女性で5人に一人になるとか。  それでなくても年をとれば色々な病気になるのは当たり前で、気を付けないといけない、先ず食事を制限する事だ。「腹八分目」を守ること、酒は控えめに飲む事だ。

2006年5月 8日 (月)

世の中に奇怪の事になって来たものだ

ボランテアで、草刈をして刈った草を其の侭にして置いたとのことで、パトカーを呼んだとか、(私が犯人)何を言っているのか、市の指導では、刈った草は其のままにしてくださいと言っているのだ。誰が呼んだか知れないが、本当に奇怪な事で、どう見ても理解できない。こんなに世の中エキセントリックになってしまったのかと、心を痛めてしまう。憤りさえ覚えてしまう。はあ・・・ため息が出てしまい、と同時に何処から間違えてしまったのかこごった糸をほごさなけれがと思う。ここまできたか?一刻も猶予がない心境だ。

2006年5月 7日 (日)

信じる事って大変

最近、世の中物騒の時代と言われ、詐欺の横行はもとより、悪事を悪事と考えられない人が増えてきたように思われる。そして信用されるまでの地道な努力をする事の出来ない人間が増えてきたように思う。小さな一つの事を毎日何年も欠かさず続ける事の大事さ、尊さ、また信用される事、を知らない人が多すぎる。信じる事は夫婦であっても、兄弟であっても、まして親子間でも怪しくなって来ている時代だとも思える。実に嘆かわしい時代が来たもんだ。兎に角どんな事でも、人のためになることを毎日欠かさず、実行する事を社会人一人ひとり、本気で行う事だと思う。そして、自分が何故、生きていられるのか、また何のために生きなければならないのかを、熟慮してもらいたいものだ。

2006年5月 5日 (金)

世の中何があっても回っている。

問題は大きく数は沢山あれど、それが、打ち上げ花火の火の穂先のように突き進んでいるが、何処へ行きどうなるかも解らないし、予想も結果も知らないで、突き進んでいる。何といっても、この地球も、一国強国支配のの時代は終ったと思う。そこで我が国の生き方が訪われて来たのではと思う。我が国政治は、5年もの長期政治に歪が出て来たようで、小泉政権が、間違っていたという人たちが出てきて、修正しなければいけない事柄が目だってきている。しかし、世の中は、以前と同じ速さで回っている。気づいていない人たちもまだいるからだが、こう世の中が乱れてきて、ルール無視で、旨く誤魔化して富を得た人が勝ち、正直者が馬鹿を見るの偏重が強くなって敗者無視が強くなったように思えてならない。何が原因か考えると、教育にあると思う。欧米ナイズされた、戦後は、もうこの位にして日本人は昔からある武士道の精神を取り戻し家庭、学校、社会で武士道精神を呼び戻す事がどうしても必要だと思う。休み無く回っている世の中、苦しんでいる人が一人でも少なく、正直者が損をしない世の中に、お天道様は回っている世の中を同じように照らしているんだよ、と教えられる世の中になって行って欲しい。今日は、数学者の藤原正彦の「日本の品格」の本を買う。

2006年5月 2日 (火)

光陰矢の如し

光陰矢の如しと言う諺があるが、現代社会の回り方の早さには驚かされた。文明の発展と共に、IT産業、医療、流通、等みな時間単位で進化している。しかし、人間の求めるのの真理は何かと考えさせられる。環境、道徳、モラル等此処で立ち止まって考えてみる事、重要性を教育することが必要と思う。現代社会は破壊の社会と言っても過言でない。人間の本当の幸せを求め、社会全体が安心安全の心優しき人々に包まれる事が理想で夢なのになあーーー

2006年5月 1日 (月)

浅ましい心が見え隠れ

今朝、5月1日眼が覚めて、ふと感じたことだが、自分でも恥ずかしいくらい嫌になった。そんな事ではもう生きることも出来ないくらい猛省している。昨日長兄の1周忌があった。常識の通らぬ世の中と思ってしまっていたことだが、生きるためのルールがあると思っていた。 心の奥で何とか筋を通したいと思っていたが、時代の経過と変化にはついていけないところがあり、今までの常識で押し通そうと試みたが無勢に多勢でどうする事も出来ない事柄が起きた。十年一昔と言うけれど、自分だけの視野で判断は、禁物で、思い知った。それが、頑固親父、古い人間、世の中のことを知らな過ぎ無すぎる、と言う見方になってしまうと言う事で。仏事でまた、浅ましい心が見え隠れてしまった。とんでもない事になってしまう一歩手前だった。

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