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2006年4月

2006年4月30日 (日)

人生句読点はハッキリと

人生時と共に句読点をハッキリつける事が大事だ。みんな夫々時間が来ると変化する。またけじめと言うべき事が必ずあり、それを言葉、また行動で表現する事が大切だと思う。まして、仏事の事などは一年、三年、七年と時間が来るたびに法事がありそれをこなす事で生きている人間の務めと思う。仏事だけでない生きて生活していく事でも必然的に行われている事であり、無意識に行われているが、多数の人間が集まると、意思統一が必要だ、そこでリーダーまたは、主催者は、意識を持つ事が大事だ。それがどんなに短い時間であっても長い時間でもあっても、まして人生生れて死ぬまでの間は句読点が無ければ時間が無く、永遠と終らない事になってしまう。                   

2006年4月29日 (土)

これが普通である事

今朝起きて、ふと思った今生活をしているがこれが普通で当たり前、多少の不満はあり、辛い事、我慢をして生活をしている所があるがなんのためらいも無く生活をしている。不思議だ。その事を良く考えて見ると、自分の努力と性格もあると思うが、運命かも知れない。今の生活に不満があるが、これでよしとする事の(諦めでない)出きる幸せを感謝する事を忘れないことだ。そして、階段を一段下りた生活に入ればそれなりに前と同じ考えで生活をする事だ。いわいる順応を旨くすることで心の穏やかな生活を送れる。

2006年4月28日 (金)

感覚が麻痺の状態

道を歩いていて、気が付くと空き缶、空きペットボトル、紙くずが散乱している。誰もなんとも無く通る人、汚いなあと思いながら通る人、今の若い者はと目をひそめて通る人、色々感じ方が違うがこれが常識、普通と思ってしまうも事が大変怖く、取り返しの付かない重大な結果をもたらすと思われる。世の中も変化しているが、ものの見方、尺度が違ってきているのは解る。国の教育基本法案も提出される。余りにも多様化された価値観もどうかな?だが、戦前の統制された教育法案でも困る。とにかくこのままでは、どこえ行く日本だ。舵の無い舟では困る。知徳、道徳、体育を国民的議論でおこなうべきと思った。

2006年4月24日 (月)

自分に悪い癖を直そう

昔の子供の頃から母親にいつも怒られ、反省しているのだが、いまだに直らない事が有る。どう言う事かといえば、積極的に相手のことを思ってして上げるが、後で嫌味を言う事だ。例えば、相手の事を思い一生懸命して上げるが、御礼をいてくれないと余計に嫌味を言う。相手は余計な事をしなくても良いと言う。やってあげて後悔し、相手も気分を悪くしてしまう事だ。もうそんなことは絶対しない黙っている事にする。今日はボランテアで本家のアパートの掃除を一日かけて行った。疲れた--<よ*~^-^

2006年4月20日 (木)

気負いすぎても疲れる。

世の中生きていくのも、大変な事だ。四角四面のように律儀な生き方の人、だらしない引きずりの人、中傷を生きがいにしている人、さまざまな人がいる。この年になり教えられることの多さにおどかされる。それでも、社会人で世の中で生きていかなければならない。何かこの所そんなことで神経質になっているのかなあ・・・しょうがない事ってあるのだから悩んだら、好きな事をしたり,旅行でもして気分を晴らすことだなあ・・・夏目漱石の草枕のような考えで生きなければ生きて行けない。分かっていると思っていたんだがなあ・・・ああ疲れた。

2006年4月16日 (日)

生死一如

昨夜の胸の痛さに驚かされたが、そんな意味で雨がぽつりぽつりと降っているのにリハビリの意味もあり何時ものコースを歩いて体調を見るつもりもあったが。日ごろ考えている「いかに上手に死ねるか」と言う大きなテーマを掲げて考えているが、当然結論など見つけることなど出来ない「生死一如」と言うことが、どうしても理解できず。(生死一如)をもう少し深く考えて見たい。何故か歩いていると頭の血管の血のめぐりが良くなるのか、前向きに思いがまとまるようで、極力歩きながら考える事にしているが、自分の身体に異常な状態が起きるとナーバスな気持ち?になるからだ。(そんな事余り無いが)生きるも死ぬのも一緒と言うのは、旨く理解できない、毒があるからだが、三毒、一に貪り、二に愚かさ、三に怒りがある、どうしてもそれを乗り切れない。また、欲を捨てる事が出来ない。死ぬのは難しい事だ。今日はそんな事を考えて歩いてみた。

2006年4月15日 (土)

時は自然の働き

万物は宇宙の全ての動きで支配さしているなんて考えてみても、人間なんか小さき存在なんだ。しかし、この大きな動の中で大事な事が忘れてしまう事が有りはしないか心配になる。どう言う事かと言えば、時の流れに逆らってしまう事が多いからなのだ。自然に任せる事が出来ず、やたらと動いてしまい結果的には、動いてしまった事が無駄で何の意味もない徒労となるからだ。だから何もしなくていい事でもない。時の流れを落ち着いて状況を判断する事と自然の法則を熟知する事が最も大切な事である。                                                                                     

2006年4月 7日 (金)

生きていること

生物全て今生きていることは、目的があって生きている。こんな事していては駄目、今があることは過去がありそれが目的のために永遠と続いているのである。だから今が結果が現れなくても必ず未来において、出てくる事になるものだと信じている。言い換えればとにかく現在をベスト尽くす事にある。例えば健康について言うと今無理して身体を駆使すれば良くない結果が必ず出る。因果応報という事だ。

2006年4月 3日 (月)

人の良い爺さん

いよいよ行楽シーズンになった。又木の芽時とも言い,昔は普段から一寸ナーバスの人がこの次期に気出す(今まで潜在的、精神的な心にたまっているものが殻を破って表に出る)と言う。自分では解っていて、承知をしているのだが、抑えることもできない人がいる。そこえ、何のとりえも無い爺さんが、聞き役になり、何でもわかった振りして耳を貸す、こんな時経験がものを言う。この世の中満足して生きている日は誰もいない。不平不満の世の中だ。聞き役がいないと、何処かで爆発するからな?宮沢賢治の詩のようには行かなくても、そんな爺さんでいたい。雨にも負けず、風にも負けずだね。

2006年4月 2日 (日)

年相応と言う事

本当に、昨日はお花見でたらふく飲んでしまって大いに反省している。今日の体の調子の悪さは、頭は痛い、お腹は変で、まいった。年甲斐も無く無茶して人に進められて、飲んでしまって分かっていたはずなのに、まあ・会計の〆も苦労したが終って、また桜も満開になって開放感の勢いで飲んでしまった。過ぎたことは仕方がないこれからは、自分の身体は自分管理しなければ誰も何も出来ないし、まして年寄りになった今年相応の行動をとらないと周りの人に迷惑がかる。反省して気をつけよう。  

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