安心する居場所

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

08yokotesigai_yuukei2[1]

居場所とは「役割」のある場所
人が孤独感に苛まれた時に何を求めるかと言えば、それは単純に「人の温もり」だろうと思います。誰かのそばにいる、誰かと心が繋がっている。それは、遠くにいても近くにいても同じことです。

心を通わせるということは、自分の居場所を見つけることでもあります。自分の居場所、それは「自分の役割のある場所」と言えるかも知れません。それと同じように、社会の中で疎外感を感じるのは、自分が身を置いているはずの場所に自分の居場所がないように感じた時なのではないでしょうか。

だとすれば、逆に社会の中に「役割」を見いだすことが出来れば、自分の居場所が見つかり、途方に暮れる程の孤独感からも少しは解放されるような気がします。

自ら人と関わることで役割を見いだす
では仕事以外で社会の中に役割を見いだすには、どうすれば良いのでしょう。自分の心が温かさに包まれるのはどんな時かと言えば、やはり人との繋がりを感じた時です。

そして人は人の役に立てた時が、何よりも強く満足感を得られるように思います。だとすれば役割を見いだすには、自分から進んで人に関わっていくことが一番の近道となるとは言えないでしょうか。

 

2020年1月23日 (木)

生きている限り悩みは尽きない

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

10risiri_senpousi2[1]

「人生は生きている限り、悩みは尽きないものだ」

天災・病気などは、予期せぬときに突然襲って来るもの・・・「防災の心得」「健康診断」など普段から、チェックして置くことが大切ですが、普通の生活が出来ているから気が緩むものです。

普通に生活できているときこそ、チエックが必要と、異常事態が起きて実感するものです。

一つのことを解決しても、別のことで悩む
生きていく過程にはいろいろな問題が、待ち構えていています。
生きていると、次々に生まれる煩悩と対峙していかなければならないと言うことだが、それは、悩み事に対する「受け入れ度」であると思います。

つまり、自分の抱えている「悩み」に対して、それを「どうにかしたい」「解決したい」「そこから早く逃れたい」と 焦れば 焦るほど、悩みはそのものが、自分の中でどんどん大きく重い存在になってしまうのです。

それは、「なくしたくない、消したい」と 悩みの存在を邪魔者扱いすることから、生じてしまうのです。

それよりも、「誰だって大なり小なり 悩みはある」「人間、悩みあって当たり前だ」と、悩みを受け入れる度を上げることによって、悩みが自分の中で小さく軽い存在になっていくのだと思います。

2020年1月16日 (木)

安心して暮らせる“まち”を考える

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

湯殿川と君橋付近

住み慣れた地域で暮らし続けたい」誰もが感じている共通の想いでしょう。

今、私たちが暮らしている八王子市は、地域の特性や特色がどんどん薄らぎ、地域も高齢者が、安心して暮らすことができる“まち”が不安に感じないようにしなければと思います。

ある年齢までは、個人主義で隣近所との関わりもなく暮らすことは可能です。それは、会社や学校、子ども等を通じて、どこかで誰かとつながっていて、かつ、自分自身の都合に合わせて必要な人間関係を選び構築しているからです。

マンションはオートロックでカメラ付きインターフォンが当たり前。個人のプライバシーを尊重し、煩わしい付き合いをしなくても、快適に過ごすことができます。

しかし、これから高齢者となる世代、中でも男性は、仕事中心の生活で地域との関係づくりに不慣れです。その人たちがいざ退職し、子どもたちも独立していく・・・。年を重ねるにつれ、身体的に衰え思うように動けなくなり、近くに友人もおらず外に出る機会がどんどん減っていく・・・。今まで仕事での役割を生き甲斐にしてきた人が、人との関わりがなくなるという疎外感は、孤立していく要素として十分です。

高齢化が進み、高齢者のひとり暮らし、夫婦のみ世帯が増加する中、「暮らしやすさとは何か」を考えることが重要です。人間は一人では生きていけません。孤立していくことほど辛いことはありません。

自分に役割がある、必要としてくれる人がいる、気にかけてくれる人がそばにいる。それは家族とは限らない。友人であり、隣人であり、専門職であり、この地域にいる人、そばにいる人でいいのです。暮らしやすさとは、住んでよかったと思える地域とは、自分を知っている人たち、気にかけてくれる人たちがいる場なのです。

2020年1月15日 (水)

奉仕活動と健康

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

14-28-20090228-08[1]

頭でいくら解っていても、自分の身体を使わない限り、奉仕の心は、芽生えて来ません。

それこそ、肉体は健全でなければならないのです。

高齢期を楽しく、生きがいをもって、安心して暮らしていくためには、健康で自立し、身近な仲間と支え合いながら、住みよい地域づくりを進めていくことが必要です。 

健康こそ、唯一のボランティア活動が出来るということをしっかり理解の上、自分が奉仕活動をすることです・・・自分が、豊かな心を養うことが出来ると・・・理解しなければいけないと思います。ありがたいことなのです。

そのためにこそ、肉体はいとも大切であり、貴重であり、この人生は、この肉体を使って、社会奉仕をすることが、「生きがい」であると思うことです。

そして、奉仕活動は、他人に見せ付けるものではありません。いつも平常心で行うことです。

2020年1月14日 (火)

自然から学ぶ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

64645211[1]

急速に変化する時代です。そんな慌ただしく、また「もの」があふれている時代です。「今」だからこそ、自然に学び、生きることが大事です。

地球上の生物は互いに共存して生きています。私たち人間もまた同じです。私たちはこの地球で生きていく上で、「環境を守ることや自然を大切にする心」を持たなければなりません。子供たちに思いやる心、命、もの、そして自然を大切にする心を育むこと、そしてそのための体験の場を作る事が必要です。

野生の生き物に出会える自然の草地や池、それらが自然に生存する環境がビオトープ(生物の生息場所)です。子供たちにそれらを、観察できる環境が限られた面積であっても、自然に触れられる環境を大切にしていきたいものです。

食べ物を大切にする心を育むと同時に、このことが虫や鳥などの野生の生き物が自然と寄りつき、暮らしやすくなる環境であることも学べる体験です。

また、ものを大切にする心も身につけたいことです。ものはこわれたらすぐに新しいものを買うのではなく直して使う、必要のないものは買わないなど、ものを大事に長く使う態度は、子供たちに物を大切に使う心を育みます。

ものを大切にする心は生き物を大切にする心、人を大切にする心に繋がります。
ものを大切にすることは、資源の無駄遣いとごみの発生を減らし、自然の生態系への負担を減らすことができる身近な工夫の一つです。電気やガス、水などのエネルギーを無駄遣いの無い様に使うことも、子供たちに伝えたい大切なことと思います。

«百の言葉より一つの行動