吹く風も秋めいて・・・

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今年は8月8日が立秋でした。台風10号が日本海に抜けて暑さも収まる?
昨日は、朝から雨が降ったり止んだりの一日でした。そして、なんとなく風が冷たく、感じるようになりました。
「秋風に アイスの旗も 疲れ気味」  
「草むらで 夏を惜しむか キリギリス」
「暑かった わが町にも 秋の風」
「年寄りの 命を縮めて  夏は往く」
「黒い肌 頑張り証拠に 夏過ぎる」
「散歩みち 湯殿川も 秋めいて」

“むかしのこと、”夏を過ぎて一段落”・・・と年寄りから聞いてました。畑に・・・秋の野菜づくりを始めるということ?

2019年8月23日 (金)

地域の高齢者の安心確保

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最近、私の住む地域では、高齢化が進み、一人暮らしの高齢者が増えています。

以前は、地域における近所付き合いなども活発に行われていましたが、最近ではこうしたつながりや、家族関係ですら希薄になってきています。

地域の暮らしに不安

核家族化で老夫婦生活・・・50歳代の未婚者(子)との家族(日中は高齢の親一人)・・・

☆  ごく卑近の例(4日前のこと)地域の高齢者の安心確保を思い知らされました。

一人暮らしのお婆さんが、買い物帰りに道で倒れ、頭を打って血を流していた。。。近所の方が救急車を呼んで、病院へ搬送したのですが、家は何処?名前と住所をやっと聞き出し、近所の方に聞いても、連絡先(子供・親戚・知り合い)が分からない・・・

緊急事態時の対応

◎独り暮らしの人(老夫婦を含め)緊急事態が起きた場合の対応・・・「連絡先を近所の方に知らせておく」こと。

◎普段からの、近所とのコミュニケーションをとること。

その場(事故)に遭って思いました。

※入院はせず、娘さんと連絡が取れ、一緒に帰宅出来たとのこと・・・連絡がありホッとしました。






2019年8月22日 (木)

ゴミ拾いをして思う

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「ゴミのポイ捨ては一向に減りません。」

ゴミ拾いをして気づくのですが、今の暑い時期で、ペットボトル・空き缶が、多くなっています。水分補給?で冷たいものが欲しくなる・・・ということでしょうか・・・ゴミのポイ捨ては一向に減りません。

原因は家庭教育の崩壊?

家庭教育とは、子どもへの愛情を基盤に、親及び親に準ずる者が子どもに対して主体的に行う教育であり、『すべての教育の出発点』です。

現代は、核家族化が進み、家庭での教育が失われてしまいました。躾、礼儀、善いことと悪いことの判断、道徳、人との関わり合いなど、本来は日常生活の中で親から子へ受け継がれていくべきその機会が、家庭教育の崩壊とともに、なくなってしまった。

家庭教育の重要性

家庭で行なわれていた教育の崩壊で、子どもたちは成長に合わせ、変化が表れはじめます。人に迷惑をかけなければ何をしてもいい・・・自分だけよければいい・・・好きなことはするが嫌いなことはしない・・・面倒なことはしない・・・など、自由放任教育のもとで、自らを律することができない子どもが増えています。

この家庭教育によって、子どもに「基本的な生活習慣や生活能力」・「豊かな情操」・「人に対する思いやり」・「善悪の判断」・「社会の一員としての倫理観や規範意識」・「自立心や自制心」・「他者とのコミュニケーション能力」などの「生きる力」の基礎的な資質や能力をはぐくむことが、今最も求められていると思います。

子どもの「生きる力」の基礎的な資質や能力を育成するためには、あたたかい家庭や家族とのふれあいを大切にしながら、多様な遊びや自然体験・社会体験の機会をつくるなど、家庭教育の充実を図ることが必要と思います。

2019年8月21日 (水)

これからの社会を考える

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今、社会や政治・経済・自然環境そして人との間に、様々な問題が起こっています。それらの問題は日々深刻になっていると、私は思えるのです。

過疎化や都市化が進行し、地域社会の連帯感は次第に希薄となってきました。核家族化が進み、家族の有り様も大きく変化しています。

豊かさを実現したといっても、物質的な豊かさが中心で、あふれるモノに取り囲まれながら、何かしら満たされぬ思いが募る毎日を送っています。

◎ 隣の家に住んでいる人・・・関係ないから関わらなくていい・・・でも、本当に自分と関係ないっていえるでしょうか?

◎ 子どもは好きなこと、得意なことを伸ばしたらいい・・・でも、教育って本当にそれだけでいいんでしょうか?

◎ 市民としての自覚が大切・・・でも、政治や社会への参加や関心って強制されなければいけないのでしょうか?

こうした問題は、私たちの日常に大きく・深く関わっています。

政治や社会の本来の意味に立ち返り、「他者と共に生きている」「自分とは違う人がいる」「人と人とが関わりあう」ということを、積極的な考えていかなければ、未来は見えてこないと思うのです。

自分たちで考えて、変えていく・・・

問題はもっともっと深いところに、あると思いますが、まず現状を認識し、一人ひとりが未来を想定し、多くの人とあ話し合い、考えることが大切と思います。

人は人と関わり社会の中でしか生きられないのから・・・「社会」って?「政治」って?そんなに難しく捉えなくても、まず、他者とうまく付き合っていくには、どうしたらいいのか、考えることです。


2019年8月20日 (火)

親身になる

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人間は、多くの人に助けられ支えられて生きてきたはずです。そして、色んな誰かを助けたり支えたりして生きてきたはずです。互助の精神があって生きてこられたのです。

誰しも、これまで生きてきこられたことは、親や兄弟・従兄弟・向う三軒両どなり・・・そして学校の先生・職場の先輩など、色んな人が、関わりあって生きています。みんな誰かと一緒に生きてきたのです。それらの人々はかけがえのない存在であったはずです。

「親身になる」

親身になるとは・・・「肉親であるかのように、細やかな心遣いをする」ことです。それには、我慢をしたり・・・犠牲になったり・・・自分の我を張らないで、思いやりの心と行動することです。

ただ単に誰かと一緒にいるだけでは、かけがえのない存在とはならないと思うのです。長い時間を共に過ごしたとしても時間だけでは助けられたり助けたりの関係を築けはしないのです。

当たり障りのない会話をし、楽しくみんなで群れているだけであったとしたなら関係は深まらないのだろうと思います。必要があれば言うべきことをはっきり言ったり、駄目なことを駄目だと、叱ってくれるようなことがなければならないのだろうと思うのです。

「お互いがお互いに対して真剣に向き合ってこそできてくる信頼関係」

親身なって考えてくれる人・・・助けられるとか支えられるとかいうのは、そういうことを指すのだろうと思います。共に生きるということはそのようなことなのだろうと思います。

«自分軸を持つこと