人生と言うものは

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道了堂の階段

『人生に到達点はなく、仕上げはなく成熟はあり得ない。人間はどれほど加齢しようと、その段階で常に新参であり未経験である。』

人生はあっという間

人生はあっという間です。いつのまにかいたずらに時間だけが過ぎていく。時間は巻き戻せません。だからこそ、その時間をどう生きるかが大切です。

私たちが思うよりも時間はずっと早く過ぎていく。心のどこかで人生はまだまだ続く錯覚してしまいます。人生とは有限・・・二度と取り戻すことができないものです。

ただなんとなく過ごしていても有意義に過ごしでも、同じだけ時間は流れていく・・・その当たり前のことになかなか・・・失ってからでは手遅れです。だからこそ後悔のないように生きることです。

「今」を大切に

気がつけば漠然と毎日を繰り返している・・・知らぬ間に年月が経ち、歳を重ねていく・・・時の流れは残酷です。

「自分の人生は何だったのか」・「今までいったい何をしていたのか」過ぎ去った時間の長さに愕然となる。だからといって特別なことをするのではありません。

今のままではダメだと否定しているのでもない、いたずらに時間を浪費するのではないということです。未来のために今を犠牲にするのではないといことです。どんなときも「今ここ」を大切に生きるのです。

精一杯に生きる

後悔のないよう、毎日を精一杯に生きることです。私たちは近くにあるものほど見えにくい・・・失うまで大切なもの気がつかない・・・繰り返しのような日々も、同じ一日の繰り返しではありません。

平凡で退屈な毎日も、目を凝らせば新しい発見に満ちているのです。淡々と進む毎日だからこそ、かけがえのない時間を大切にすることです。

「いつか」ではなく「今」から行動する・・・今日は我慢ではなく、今日も楽しむ・・・つまらない時間なんてありません。自分で楽しくしてしまえばいいのです。意味のない時間なんてありません。そこから学び経験に変えてしまえばいいのです。

今日という一日を目一杯、満喫する・・・今という瞬間を精一杯に生きる・・・ことです。

2019年9月20日 (金)

老いを考える

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「秋彼岸」・・・私は「先祖を敬う日」と、捉えています。

人間の一生は「生・老・病・死」で、生まれた時に、死に向けて歩んでいます。

現代は、長生きするようになり「人生100年時代」といわれ、人生が終わるという感覚が薄れ、彼岸を思うことも少なくなってきました。しかし、人間は、永遠に生きられるわけではありません。

人生は、いずれは終わる

そのことを忘れて、「寿命が延びた、また延びた」と浮かれていると、いずれは、「こんなはずではなかった」ということになります。

現代は、いわば、「長寿のバブル」に浮かれている時代ですが、バブルは、いずれ弾けます。

人間が生きるとは、「生き物としての活動」すること

たとえば、食べものを手に入れる・・・住む場所を作る・・・連れ合いを求める・・・子供を育てる・・・地位を争うとか・・・です。

人間だけではなくて、生き物なら、みんなすることです。生活というのは、生き物が、生きながらえよう・・・生き延びようとしてする活動のことですから、生活の基本は、困難な状況を越えて生き残ることなのです。

老いの現実を知る

老いの現実に寄り添い、老いた自分を直視してこそ、これまでとは違う人生の局面が見えてくる。また、残された時間が充実すると思います。

若いあいだは、ほとんど生活に忙しくて、なかなか気づけないですが、ひと山越して、中年を過ぎますと、それまで見えていなかった、峠の向こうが見えてきます。

峠の向こうを見れば、老いの坂道が、死の断崖に続いているのです。寿命が延びたといっても、老いの坂道が長くなっただけで、行き着くところは「死」なのです。

そのことに気づいても、なお、「死ぬことなんか考えない、生きることだけを考えている」というのなら、それは、死への不安を、ごまかしているだけだと思います。

2019年9月19日 (木)

地域に生きる役割りと責任

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「地域に生きる」には、そこに役割りと責任があることを意識することが重要になってきています。自らの住む地域の環境を「良好な環境」の維持に努める責任と役割りがあります。

現在、地球の環境はかつてないスピードで変化しています。これが好転しているのなら喜ばしいのですが、残念ながら悪化の一途をたどっています。環境をよくするために、私たち一人ひとりが、行動しなければなりません。

まず、自分の住む地域の自然環境を守ることです。

「自然が豊かなところは環境を重んじている」「都市生活者は環境について無頓着である。」本当にそうなのでしょうか。

「うわ、何これ。うそでしょ。」
歩道に、区分けしていないごみが入った大きなレジ袋捨てられていて、散乱していることが三日続いて起きました。カラスの仕業と思われます。野菜くず・何か食べもの残り・プラスチックゴミ・ペットボトル・空き缶などを仕分けして処分をしました。

近くの家(知り合い)に何か心当たりの人はいないかと、伺いましたが・・・当然のことですが・・・「分からない」です。通りがかりの人?

ゴミ出しお願いです。
◎ マナー・ルールを守って下さい。
◎ 地域で決められた収集所に出して下さい。
◎ 「ゴミ」その管理は皆さん個人です。
◎ 収集日以外はごみを出さないでください。

「私たちの町は、私たちで守る」・・・私はこの精神が、安心・安全な町づくりと思います。


2019年9月18日 (水)

今の世の中で足りないもの

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  八王子市内を望む2

他人への心底からの尊敬、感謝、思い遣り、激励、気遣い・・・「慈悲の心」です。

他人を本当に思い遣る心・・・仏教用語の「慈悲の心」・・・欠けている人が今の世の中多いと思います。

自分をかえりみず他者に思いやりを持ち手を差し伸べる人のことを「慈悲深い人」というのではないでしょうか・・・人の苦しみを我がことのように感じ、人の喜びを我がことのように受け止められる、そんな人が沢山あつまった社会ができれば皆が幸せになれると思います。

乳幼児を虐待し育児を面倒臭がり・・・介護を辛いと愚痴り・・・他人の為に何でも無報酬で謙虚にさせて戴きますとの喜びは介護士にすら無いのでは?

また、自分の事だけに捉われず、誰かに何かをしてあげたい、手を差し伸べてあげたいと常に考え、行動している人は、心も体も知らずと元気になるものです。

身の回りに困っている人がいたら手を差し伸べられる勇気を誰もが持ちたいものです。「自己中心」 社会全体が他人を批判的にしか見ない風潮が蔓延してるから子供も見習うから、こんな言葉が出て来ます。

他者を敬い大切に理解し感謝や思い遣りが誰れもが、あれば争いは無くなり、平和な社会になるのではないでしょうか。

2019年9月17日 (火)

地球の環境が危機的です

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は、私たちの住む地域のごみ拾いをしています。

最近気づくのですが、生ゴミ・ガラス・空きビン・プラスチック容器・空き缶などの危険物と生ゴミと一緒に、レジ袋に入れて捨てられていることです。市の回収指定の日に、ゴミの種類に別にして出して欲しいのですが、最近同じ袋に一緒くたに入れて捨てられていることが多いです。

道路や河川管理通路に捨てあると、カラスなどの野鳥に散らかされます。また公園・広場のゴミ・ベンチの周りや、植え込みに、食べ物の容器・空き缶・ペットボトル・タバコの吸殻などが落ちています。

危機意識を持って欲しい
今を生きる私たちは、美しいまちに住み、美しいまちを後世に引き継ぐ使命があります。いま地球上に、生きる動植物の種の減少・・・大雨・高温・記録的・異常気象が出ています。これは人間によるわがままによるものです。

忘れされている大事なこと

① 親の教育
マナーやエチケットは、成長する段階で親からしっかりと学びましょう。大人でも平気でゴミを捨てる人がいますが、このポイ捨ての心理で考えられるのは親からきちんと教えてもらっていないことです。

② 自己中心的な考え
公共の場所をゴミで汚す人は、基本的に自己中心的な性格が原因になります。自分の行いでその先どのような展開があるか考えず、一時的な発想や思いつきで自分に有利なことをするのです。

③ マナー・モラルの意識低下
ポイ捨てがいけないのは、なぜなのでしょうか・・・。ゴミの被害まではわからなくても、マナーやモラルとしてやってはいけないことだと理解できない人がいます。
マナーは人のためにすることで、一番大切なのは、自分自身にとってもマナーを意識することです。社会生活を送るには、自分一人では暮らせません。あらゆる人との関わりがあり、マナーやモラルは人間関係にも影響を与える大切なことです。

◎ 私たちの町の環境は私たちで守る

ポイ捨てをしたら、最終的に誰かがゴミを拾い処分しなければなりません。ポイ捨てする人には誰かに迷惑をかけている意識がなく、自分さえよければよいという考えなのでしょう。ゴミを拾う手間だけでなく、ポイ捨ては周囲の人を不快にさせる行為です。他の人の立場になり、よく考えて行動して欲しいです。

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