高齢期の輝き

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高齢期は心身の衰えを伴うが、一方で豊かな経験と知識を身につけています。それらを生かして高齢期は人生における最も輝く時期であっていいハズです。
 
老いて初めてわかること
「高齢期の輝き」は青年や壮年のように輝くことなど、あり得ません。歳を重ね、体力、気力の衰えを受け入れ、その上で自分の高齢期の生き方を、求め続ける姿こそが「高齢期の輝き」です。
 
老いて何が見えるか
人には、年をとつて初めてわかる驚きがあり、年をとって初めてわかち合える喜びあります。老年こそが自己発見と相互再生の黄金期で、老いてはじめて物事が見えてくるのです。

老いの輝きとは知恵の輝き
知恵とは違う、道理を知る判断力で、知恵は豊かな経験と、知識を基に身につくものだからです。身につくには長い歳月とを必要とし、知恵こそが高齢者が有する最高の特質だと言えます。 

経験には失敗もあれば挫折もあり、悲哀もあれば屈辱もあります。辛い思いをしながらそれらに学び、それらをすべ乗り越え、感謝の気持ちや思いやりの大切さも、分かるようになるのが知恵です。

知恵とは「世渡り上手」のことではありません。頭の回転が速いとか、やり手だとか、如才がないとかとも違います。人が生きる上でもっとも大切なものをわきまえる「術」のようなものです。

やさしさ、人の気持ちを思いやる心、ものごとに感謝する心のようなものです。人と争うことのむなしさ、殺し合うことのむなしさ、命の大切さ、自然の大切さ、自然との共生、人との共生の大切さ、こうしたことに気づけば高齢期は自然に輝くことでしょう。

気づかなければ輝くことなく終わるでしょう。だから人は老いても、豊かな生活を求めて努力しなければならないと思うのです。そして、高齢期の輝きの色調も一人ひとり異なります。それぞれ自分の色わいと強さで輝くことです。

2021年6月18日 (金)

当たり前に感謝

道了堂参道
「当たり前」・・・すごく無難な言葉ですが、これほど有難いと感じた言葉はないと思います。日が昇ると目が覚め、当たり前の日常だけどこれも奇跡・・・お腹すいたら当たり前のように ご飯を食べられる日常生活・・・。

どれもこれも日々の中では当たり前の日常・・・。でも、もしこの当た り前が少しでも崩れたら・・・。健康が害されたとき、いつもできていたことが出来なくなっ たとき、生活にすごく支障が出てそれだけで不安な時間を過ごす・・・。

まさに、このコロナのウイルスが変異株となり、不安な毎日とどこか重なるような気がします。出歩くにしてもマスクに 消毒薬、気が付けばすでに当たり前に用意されています。

よくよく振り返れば、どれもこれも、自分一人で出来る事ではな いことに気づかされます。それがいかに「感謝」しなければいけない事だと今更ながら気づか されます。

最近忘れがちな「当たり前」「感謝」は切っても切れない言葉だと思われる今だからこそ、 言葉に出して「ありがとう」と言いたいものです。

そして、心の中で感謝できるとまた一つ心が成長で きるような気もします。「当たり前がいかにありがたいか、感謝すべきか」を考えてみる のも、心の栄養になるかと思います。

気になるタバコのポイ捨て


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私は、健康のため毎日散歩をしています。
私たちの町は、川あり、丘あり、自然環境に恵まれています。清々しい気持ちの良い、朝のひと時を楽しんでいます。
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「気になるタバコの吸殻のポイ捨て!」
そんな清々しい朝・・・「タバコの吸い殻」が落ちていることが、気になります。それは必ず、落ちているタバコの吸殻や、ポイ捨てのゴミです。

ポケットからぽとりと、自然と落ちるものではありません。多分捨てようとして、「ポイ…」と捨てられなければ、ここには落ちてないはずのタバコの吸い殻です。降って湧いてくるみたい・・・

ゴミやタバコのポイ捨てって、なぜなくならないのか?
なぜ人間はポイ捨てするのかは明らかで、不要となったものはさっさと手放したい、身近に置いたままにしたくないということに尽きます。ポイ捨て族は本能のままに行動しているだけですから、こんな些細なことについて深く、考えるなどあり得ないからです。

ただ、間違いなく言えるのは、ポイ捨て族と言えども、町中がゴミで溢れた状態は不愉快であろうし、自分の居住空間をゴミ屋敷とすることが、絶対にあり得ないと思われます。

多分、潔癖なポイ捨て族は、運転席から吸い殻一つでも外に投げ捨てるほどでしょう。ポイ捨て族は本当はきれい好きで、ゴミ一つない清潔な環境が大好きであるに違いないと思います。

ポイ捨て族はゴミを捨てれば必ずそのゴミを拾う者が、存在することを十分見透かして、安心して気楽にゴミをポイ捨てしている?第一に「心に余裕のない人間」が浮かんできます。

「ポイ捨て」とは、社会に生きる人間全員が使用する公共の場所、あるいは自分が所有権を持たない場所に、不適切な形で吸殻を投棄する行為を指すため、ポイ捨てをする時点で「他者への配慮」が欠けていることは明確です。

 〇自分とは関係ない場所だから別に良い 〇誰かが掃除してくれるし別に良い
彼らが考えていることは大体こんな感じですが、まあふざけたご都合主義です。心に余裕がなく自分以外のことを考えられないからこそ、ポイ捨てという行為を平気で行えるのでしょう。

2021年6月17日 (木)

幸せに歳を重ねること

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「幸せに歳を重ねる」とは、
「よい人生を送り天寿を全うすること」と思います。
長寿・高い生活の質・社会貢献となりますが、一方で幸福な老いのイメージは、他者の世話を受けることを前提とした「成熟した依存」関係の中で再評価していくことでもあります。

私は、単に病気がないというだけでなく、たとえ認知症や寝たきりの状況にあっても、その人が今持っている力を発揮し、今を輝かせながら健やかに生き、自分らしい最期を迎えることが、サクセスフル・エイジングに繋がるのではないかと考えます。

サクセスフル・エイジングを「健康や身体的機能の状況にかかわらず、ひとり一人が望む幸せな老後を過ごし、自分らしい最期を迎えること」と思います。

サクセスフル・エイジングとは、アメリカで生まれた言葉であり、「日本語で正確に言い表す和訳はない」とされています。サクセスフル・エイジングの持つ意味とは「良い人生を送り、天寿を全うすること」とされており、日本に元々ある言葉では「生きがい」や「幸福な老い」がその意味に最も近いものではないかと考えられています。

私は、サクセスフル・エイジングを「健康や身体的機能の状況にかかわらず、ひとり一人が望む幸せな老後を過ごし、自分らしい最期を迎えること」と思います。

出合の喜び

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自分の慣れ親しんだ人間関係の中で生きていると、人はそれなりに安心もするし、心地よいかもしれません。でも、その枠をいったん出て、自分の知らなかった、社会に触れたり異なる文化をもった人に、出会ったりすることによって、新鮮な刺激や感動を受け、自分のことがよく見えてくることがあります。

人が成長していくためには、さまざまな人とよい出会いをすることが大切です。これまで日本の社会は、同一性を重んじる傾向が強かったため、異質なものに対して身構えたり、排除したりして自分たちを守ろうとするところがあり、これらが差別や偏見を生み出す、要因の一つになっていると言われます。

差別や偏見は、相手に深い傷を負わせるだけでなく、豊かな出会いの機会を閉ざしてしまうことにもなるのです。自分自身の世界をひろげるためにも、多様な出会いをすることは、意義深いものです。

«修証一如のこと